伊藤キム+輝く未来ロゴ

●キムは今・・・


[禁色in Europe]

2006.10.18. update



 伊藤キムは、海外に出ると「舞踏家」として見られる。一方で日本の観客は僕を「舞踏家」というより「コンテンポラリー」としてとらえているフシがある。その辺りの位置付けは自分でもよくわかっていないし、たいした問題ではないだろうと思ってきたが、『禁色』をやることになってあらためて自分の出自を顧みることが多くなった。
 いわゆる踊りを習ったのは古川あんずのもとでの3年間の舞踏だけで、いうまでもなくそこが出発点だし、それが作風やら動きやらが「舞踏っぽくない」ということでいつの間にかコンテンポラリーと言われはじめ(そのころは自分で『ポスト舞踏』と位置付けていたが)、そのへんの境界を曖昧にしたままずるずると生きてきたわけだが、2年ほど前のある日、某大物舞踏家に酒の席でこう言われた。
「あなたね、そろそろケジメをつける時なんじゃないの?」
 この人は、どちらかと言えば古いタイプの舞踏家で、今は全く活動していない。そのせいもあって「ケッ、何いってんの? あなたにそんなこと言われる筋合いない」みたいなことを返したように思う。でもその人はしつこく自説を述べる。「ケジメをつける」とか「ケツをまくる」とか、そういうのは血の気の多い昔の人間、まさに舞踏家なんかが好きな話。半分疲れて家に帰り、そのことを思い出し、ハテ、と考えた。
「俺が舞踏であろうがなかろうが、そんなのはどうでもいい話だが、確かにあの人が言うように、俺はそれについてじっくり考えるのを避けてきたかもしれない。曖昧を楽しんできた反面、見て見ぬふりをしてきたのも確か。そうか、そろそろその辺に手をつけてもいいかな。自分の踊りもマンネリしてきたし」
 『禁色』を思い立った背景にはこの一件があった、わけではないが、無関係とはいえないだろう。あの人とは、元白虎社の大須賀勇さんである。大須賀さんの叱責、いや苦情、いや提言、これはありがたかったのかなんなのか、、、でも少なくとも僕が別の僕を発見する一助になってくれた点では、感謝したい。ありがとうございます。
 ヨーロッパに戻る。
 海外公演の際のポスターやプレスに出る表記はたいてい「BUTOH」となっているし、記者会見やアフタートークなどでも必ず「舞踏って何?」という話題になる。そこで「え〜それはですね、、、」と説明を始めるのだが、もちろんほんの数分で済ませられる内容ではない。だがあれこれ言葉を並べていくと、彼らは「フムフム」とわかったような顔になる。だがこれは頭で、言葉として理解しただけであって、心の底から身にしみてわかってはいないはず。すべてがそうというわけじゃないが、彼ら欧米人は、例えば振付などをすると、まず動く前に「その動きの意味を説明してくれ」とくる。あのねぇ、あんたねぇ、ダンスなんだからさぁ、まず踊れよ!理屈はその後だ! と言いたくもなる。
 アフタートークしかり、彼らにとっては異国で生まれた未知のダンス様式なのだから、疑問をもって当然なのかもしれないが、すべてを頭で理解しようとする習慣にはへきえきする。
 世の中には、頭で理解できないことがあるのですよ、西洋さん。
 また話がそれた。
 ともかく、ふだんあまり意識しないことを、違う環境に入ってあらためて意識させられる、というのはよくあることで、「伊藤キム」が「舞踏家としての伊藤キム」を強く意識するのはこういう時、つまり外国で舞踏をほじくり返される時だ。「出自」を顧みることなく、「現在」に溺れ流され酔ってしまうのが得意な日本人であるから、まぁしかたないが。
 ところで、「海外での反応はどうでした? 日本の観客との違いは?」というお決まりでつまらない質問が多いので、一応今回のリヨンとデュッセルドルフのことを書いておく。
「反応はよかった。観客は日本と変わらない」
 だってホントにそうなんだもん。今後、こういう質問をしたい人は、あらかじめ自分なりの答えを用意してきてください。同じことを何度も聞かれる身にもなってください。つまらない質問を投げる人は、あなたまかせな甘えん坊、としか見えません。「私はこう思うんだけど、実際は?」という聞き方なら、尋ねる側の努力・向上心が感じられますよ。


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