WHO IS C. S. LEWIS?

 C. S. ルイスって知っていますか?そう、ナルニア国物語を書いた人です。 でも、C. S. ルイスっていうと、特にナルニア国物語が浮かぶかもしれませんが、 それだけじゃないんです。彼は大学教授、文学研究家、批評家、詩人、作家、 キリスト教弁証家、etc...といった色々な能力を持った人でした。また、 彼が書いた本も単行本になっているものだけで60冊を超えているんです。 彼は小さい頃から3才年上のお兄さんであるウォレンと一緒に「ボクセン」(Boxen)という 仮想の国を作って遊んでいことや、父親の勧めで家の至る所にあった本を読み、読書の 習慣がついたことが結果的に彼に物語を書かせることになったようです。
 ルイスはどうやってナルニア国物語を書くようになったのでしょう?実は、彼自身も よくわからないと言っています。けれども、彼は「すべては絵の中ではじまった」という エッセイでこう言っています。


 一つのことだけはたしかです。私の七巻の<ナルニア国物語>も、三冊のSF(注)も、 いくつかの絵を思い浮かべることからはじまったのです。はじめは物語などではなく、 単にいくつかの絵でした。<ライオンと魔女>はそもそも、雪の森を傘と包みを持って 歩いているフォーンの絵ではじまったのです。この絵は私の十六歳のころから心にあった ものでした。そして、四十歳の頃のある日、私はひとりごとを言ったのです。「これを 物語に書いてみよう」と。
 はじめのうちは、物語がどう進展するか、はっきりした考えはほとんどありません でした。ところがとつぜん、アスランがその中に跳びこんできたのです。そのころ、 私はライオンの夢をずいぶんたくさん見ていたように思います。そのことを別にすれば、 どこから、またなぜ、そのライオンがきたのか、私にもわかりません。けれども、 いったん登場すると、アスランは物語全体をまとめあげ、間もなく他の六冊の<ナルニア 物語>をも引きこんだのです。

『別世界にて』収録「すべては絵の中ではじまった」より


 彼について知りたければ、彼の自叙伝『喜びの訪れ』を読んだり、 映画"SHADOWLANDS"(邦題は『永遠の愛に生きて』)を ビデオでみるのも良いと思います。

注:SF三部作とは『沈黙の惑星を離れて』『ペレランドラ』『かの忌まわしき砦』のことをさします。



C. S. ルイスの略年譜
Clive Staples Lewis (1898-1963)


1898 11月29日、クライヴ・ステイプルズ・ルイスは、父アルバート・ジェイムズ・ルイスと母フローレンス・オーガスタ・ハミルトン・ルイスの次男として北アイルランドのベルファストで生まれる。父は弁護士、母は牧師の娘で数学者。父方はウェールズ系、母方はノルマン騎士の血を引く。兄ウォレン・ハミルトン・ルイスは1895年6月16日生まれ。 二人の兄弟は生涯の親友であった。
1902 (3才) ルイスはクライヴの名前を嫌い、ある朝、母のところへ来て“ジャクシー”と呼ぶように要求。以後、他の名では返事をせず。家族や友人はルイスをジャックと呼ぶようになる。
1904 (5才) 長雨の日、ジャックは“服を着た動物”を描き、兄ウォーニーと想像の国に遊び、ボクセン国の歴史と冒険物語に発展する最初の物語を書き始める。
1905 (6才) ルイス家はベルファスト郊外の新居リトル・リーへ引っ越す。
1908 (9才) 8月23日、母フローラ癌で死去。9月、兄ウォーニーと同じハートフォードシアの寄宿学校ウィニアード校に入学。校長は精神病者で1910年に廃校。
1910 (11才) ベルファストのキャンベル校に入学するが、一学期の途中で退学。
1911 (12才) 一月、イングランドのモルヴァーンにあるシェアバーグ予備学校に入学、1913年まで在学。
1913 (14才) 英国のモルヴァーン・コレジへの奨学金を獲得し、9月、同コレジに入学。
1914 (15才) 春、アーサー・グリーヴズと知り合う。以後、生涯に亘る親交を結ぶ。二人の文通は49年間続く。夏、第一次世界大戦勃発。モルヴァーン・コレジ退学。9月より、サリー州グレート・ブッカムに在住の父の恩師W. T. カークパトリック(ザ・グレート・ノック)の家に住みこんで個人指導を受け、オックスフォード大学入学準備をする。
1915 (16才) 10月、レザーヘッド駅の売店でジョージ・マクドナルドの『ファンタステス』を偶然に入手。 想像力の先例を体験。以後、マクドナルドの愛読者となる。
1916 (17才) 10月、アーサー宛の手紙に、キリスト教棄教の理由を書く。12月、オックスフォード大学奨学生試験に合格。
1917 (18才) 4月、オックスフォードのユニヴァーシティー・コレジで研究を開始。ギリシア、ラテンの古典研究に専心。6月応召、パディー・ムーアを知る。9月、サマーセットの軽歩兵隊に配属。11月、軽歩兵隊少尉としてフランス戦線に出立。
1918 (19才) 4月、アラスの戦闘で、味方の砲弾破片により負傷。5月、英国に送還されて入院。入院中、読書に耽る。6月、退院し、ノック先生宅を訪問。11月、終戦。パディー・ムーア戦死により、彼の母、ジェニー・ムーア夫人とその娘との関係密になる。
1919 (20才)
1月、ユニヴァーシティー・コレジに復学。クライヴ・ハミルトンの名で『囚われの魂』出版。オーエン・バーフィールドと親交を結ぶ。
1920 (21才) 春、哲学優等試験で第一級。
1921 (22才) 3月14日、オックスフォードに来ていたW. B. イエイツを訪問。
1922 (23才) 古典文学の優等試験で第一級。ネヴィル・コグヒルと親交を結ぶ。
1923 (24才) 7月、英語英文学の優等試験で第一級。
1924 (25才) 3月、ムーア夫人と娘を引き取る。10月、ユニヴァーシティー・コレジで哲学のチューターを始める。
1925 (26才) 6月、モーダリン・コレジの英語・英文学特別研究員に専任される。1954年までこの職にあった。
1927 (28才) 7月、クライヴ・ハミルトン名で『ダイマー』出版。
1929 (30才) 9月、父アルバート癌で死去。『神は神である』と認めるが、まだキリスト教信仰に至っていない。
1930 (31才) 7月、オックスフォード郊外のヘディングトンの”キルンズ”にムーア母娘と転居。やがて兄のウォーニーも同居。
1931 (32才) キリスト教信仰を受け入れる。イエスを神の子と信じる。
1933 (34才) 『天路退行』出版。
1936 (37才) 3月、チャールズ・ウィリアムズの『ライオンの場』を読み、賞賛の手紙を書く。5月、『愛のアレゴリー』出版。本書によりホーソンデン賞受賞。
1937 (38才) 『愛のアレゴリー』でゴランツ賞受賞。
1938 (39才) 『沈黙の惑星を離れて』出版。
1939 (40才) W. M. W. ティリヤード博士と文学論争『個性中心主義の誤り――ひとつの論争』出版。9月、第二次世界大戦勃発。同月、チャールズ・ウィリアムズ<インクリングズ>に加わる。
1940 (41才) 『痛みの問題』出版。
1941 (42才) BBCの依頼により、キリスト教に関するラジオ講演開始。オックスフォード大学の<ソクラテス・クラブ>の創設に参加。
1942 (43才) 『悪魔の手紙』、『放送講話』、『<失楽園>研究序説』出版。
1943 (44才) 『キリスト教徒の生き方』、『金星への旅』、『人間廃絶』出版。
1944 (45才) 『人格の彼方』出版。
1945 (46才) 『天国と地獄の離婚』、『かの忌まわしき砦』出版。
1946 (47才) セント・アンドルーズ大学より名誉博士号を授与される。『ジョージ・マクドナルド――アンソロジー』出版。SF三部作をめぐって生物学者J. B. S. ホールデン教授と論争。
1947 (48才) 『奇跡論』出版。
1948 (49才) 『アーサー王に関する未完の詩』出版。
1949 (50才) 『転位その他』出版。
1950 (51才) 『ライオンと魔女』出版。ジョイ・デヴィドマン・グレシャムから初めて手紙を受け取る。100通以上ある『あるアメリカ夫人への手紙』となる最初の手紙を書く。
1951 (52才) 『カスピアン王子のつのぶえ』出版。ムーア夫人死去。オックスフォード大学教授選において、セシル・ディ・ルイスに敗れる。
1952 (53才) 『朝びらき丸 東の海へ』出版。
1953 (54才) 『銀のいす』出版。
1954 (55才) 『馬と少年』、『十六世紀英文学史』出版。ケンブリッジ大学モーダリン・コレジに新設された中世・ルネッサンス文学講座の初代教授となる。
1955 (56才) 『魔術師のおい』、『喜びの訪れ』出版。
1956 (57才) 『さいごの戦い』、『愛はあまりにも若く』出版。4月23日、英国政府がジョイの滞英許可を与えないのを機に、ルイスはオックスフォードの市役所の戸籍課において、ジョイと書類上の結婚をする。
1957 (58才) 『さいごの戦い』により、カーネギー賞受賞。3月23日、骨癌で入院中のジョイと病床において正式の結婚式を執り行う。
1958 (59才) 『詩篇を考える』出版。
1960 (61才) 『四つの愛』、『語の研究』、『世の終わりの夜、その他』出版。7月13日、ジョイ死去。
1962 (63才) 『彼らは論文を求めた』出版。
1963 5月、『マルカムへの手紙』が完成(出版は1964)。7月、心臓発作で一時危篤状態になる。8月、ケンブリッジ大学教授を辞任。11月22日、“キルンズ”にて死去。65才の誕生日の一週間前であった。同日、ケネディ大統領暗殺、オルダス・ハックスレー死去。

・「C. S. ルイス『ナルニア国年代記』読本」(山形和美・竹野一雄編/国研出版)より引用。