1970年3月27日ニューヨーク郊外のロングアイランドにて、
ベネズエラ系の黒人の血を受け継ぐ父 「
Alfred Roy Carey」と、
アイルランド系の音楽家の母「
Patricia Carey(Hickey)」の間に生まれる。
幼いころは人種差別などでかなりつらい思いをしたこともあったいう。
両親はマライアが3歳の頃に離婚。マライアは母親側に引き取られ育てられた。
ちなみに「
Mariah」という名は、母が好きだった
ブロードウェイ・ミュージカルのナンバー
(※)「
THEY CALL THE WIND MARIAH」
からとったという。
マライアの母親はシティオペラの舞台に立っていたソリストで、マライアも3歳の時に 母に連れられていった歌劇 「リゴレット」 のリハーサルを見て、
歌の魅力にとりつかれ歌手になる決心をしたという。
家族は他に、10歳離れた兄「
Morgan Carey」と、9歳離れた姉「
Alison Scott(Carey)」がいる。
家では幼いころからいつもさまざまな音楽が溢れており、 「
ビリー・ホリデイ」、「
ジャクソン・ファイブ」、
「
アレサ・フランクリン」、「
スティーヴィー・ワンダー」、「
ジミ・ヘンドリックス」など、
さまざまで子守歌代わりに聴いていた。
母親の仲間のミュージシャンの前でワンマン・ショーをやって見せたりもしていたという。
母はボーカル・コーチの仕事も持っていたので発声などの基礎を習い、 あとは様々なR&Bシンガーの
レコードに合わせて 独力で歌い方を学んでいった。母は「歌うために生まれてきたような子」とマライアを語っている。
ハイ・スクール時代、もう彼女の頭の中は音楽のことでいっぱいだったという。
友だちが遊んでいる間も作曲、アレンジの勉強、そしてスタジオにこもってデモ・テープ作りに励む。
16歳の時にはキーボード奏者の「
ベン・マーギュリース」とデビューアルバムに入っている
「
ALL IN YOUR MIND」 を書いている。
学校卒業後、プロフェッショナルを目指し、単身マンハッタンに乗り込む。
ウエイトレスをしながらの生活は決して楽ではなかったが、18歳の時、「
ブレンダ・K・スター」のコーラスの
オーディションに合格し、 彼女にとって初の音楽家としての仕事が回ってくるようになる。
これがのちのマライアのデビューのきっかけとなるあのサクセスストーリーの始まりである。
その間もマライアはゴスペル、R&Bのレコードを聴きあさり、その要素を結集して曲作り、そしてデモテープ作りに励み、
いつでもデビュー出来る状態にあった。
そしてとあるパーティーで幸運が生まれた。ブレンダ・K・スターと共にパーティーに訪れたマライアは、
同じ会場に来ていたCBSレコード(当時)社長「
トミー・モトーラ」氏を紹介 してもらう。
何せメジャーレーベルの社長ということで緊張した彼女、そこではあいさつのみで終わってしまった。
しかしマライアの実力を認めるブレンダが、こっそりマライアの2曲入りのデモテープをモトーラ氏に渡してくれたのだ。
さて、途中でパーティーを退席したモトーラ氏は、ハイウエイを家路に向かう途中、 「そういえばテープを受けとったな」
と思いだし、 カーステレオで聞き始めると、これはびっくり。
あわててハイウエイをUターンして、パーティー会場に引き返したが、 マライアはすでに帰ったあと。
なんとか連絡先を聞き出して会社に呼び、CBSレコードと即契約となった。1988年、当時マライアは18歳だった。
デビュー・シングル「
VISION OF LOVE」が全米ビルボード・チャートHOT100に73位で初登場。
その後、遂に第1位に輝く。
デビュー・アルバム「MARIAH CAREY」が全米ビルボードのアルバム・チャートに80位で初登場。
その後、 第1位に輝く。
その後も、全米No.1 ヒットを出し続けている。(その後の活躍はもうご存知ですよね〜!)
生まれながらに持つ音楽センスや才能、7オクターブともいわれるその驚異的な声域
!
まさに、’90年代を代表する女性アーティストである。
(※)今流れている曲が「THEY CALL THE WIND MARIAH」です。