ジミー・ウェッブとの仕事
 

 

 

 ハル・ブレインはフィル・スペクターと同様に、ジミー・ウェッブが手がけた作品にも特に多く参加している。それは前述した様に、スタジオでのレコーディング時間短縮と、確実で高度なプレイを要求するジミーの要望に応えられるのは、ハルしかいないという事だったのかも知れない。中でもリチャード・ハリスの「MacArthur Park」は、音楽史上希にみるドラマティックな構成と、素晴らしい演奏、歌唱が三位一体となった名曲だ。そこでこの曲を中心に、ジミーとハルの関係を検証してみたい。

 ジミー・ウェッブは46年生まれ、子供の頃から教会のオルガンやピアノを弾いて育った少年は、オクラホマからL.A.に移り住み、この頃より音楽を志す。13歳で作曲を始め、大学では音楽を専攻したもののこれに飽きたらず、ハリウッドのスタジオで働き出す。そして65年には、モータウン系出版社と契約し作曲家デビューを果たし、同年Bellへ自身のデモ作品を売り込む。またこの時期、スタジオでの仕事を通じて出会ったのがジョニー・リヴァースやボーンズ・ハウだった。そしてジョニーの計らいで彼のレーベルSoul Cityからシングル「Love Years Coming」を、Strawbelly Children名義でリリース。これが元となってジョニー・リヴァースやフィフス・ディメンションへの曲提供やプロデュースの仕事が始まる。「Up, Up And Away」「By The Time I Get To Phoenix」等のヒットでグラミー賞を2年連続受賞するなど、若干20歳にしてまさに順風満帆のスタートを切ったのは、皆さんご承知の通りだ。

 さてハルとの出会いだが、恐らくこのハリウッドのスタジオで働き出した頃に、知り合ったもとの思われる。フィフス・ディメンションもジョニー・リヴァースのレーベルSoul Cityからデビューしたため、当然その関係のミュージシャンが集められた。ハル・ブレイン、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルら、いわゆるレッキング・クルーと呼ばれるスタジオ・ミュージシャン達だ。ハルの独特なドラミングとジョー・オズボーンのグルーヴ感溢れるプレイは、圧倒的存在感をもってジミーの耳に焼き付いたに違いない。それ以来ハルやジョー達は、事あるごとにジミーのセッションに呼ばれるようになる。そんな中67年のある日、ボーンズ・ハウの依頼でジミーは大作「MacArthur Park」を書き上げる。折しもビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』やビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』が大きな話題となり、作品をシングル1曲単位からアルバム単位で聴くようになりつつあった時代。そんな背景に触発されたのか、ジミーはそれをアルバムではなく、たった1曲の中に封じ込めた。こうして書き上がった「MacArthur Park」は7分以上という、とてつもない長さだった。書き上げたその夜、ジミーはアソシエイションのメンバーに聴かせるため、彼らがレコーディング中のスタジオへ。「MacArthur Park」は元々アソシエイション用に書かれた曲だった。しかしそれを聴いたアソシエイションの反応は芳しくなかった。

 その後、この曲の事を聞いたジョニー・リヴァースの紹介で、彼の友人でもあるイギリスの性格俳優、リチャード・ハリスに会いに68年始めにイギリスへ。彼の前で再びジミーは「MacArthur Park」を演奏することとなる。これを聴いて気に入ったリチャードは早速ジミーにアルバムのプロデュースを依頼、これがジミーとリチャードとの、長いセッションの始まりだった。その後L.A.に戻ったジミーは、早速レコーディングに取りかかる。ドラムスにハル・ブレイン、ベースにジョー・オズボーン、キーボードにラリー・ネクテル、ギターにマイク・ディージー、ストリングスにシド・シャープ、といういつものメンバーが集められ、サンセット・レコーダーズでセッションが始まる。「MacArthur Park」をはじめとする全9曲はすべて、ジミーによる作品。しかもアレンジ、プロデュースまでもが彼1人の手で完璧に行われた。特にアレンジは全てのパートを譜面でしっかり指定し、ジミーのコンダクトに合わせて綿密な打ち合わせと練習の下、レコーディングが行われた様だ。中でも「MacArthur Park」は異例の7分を越える長さを誇り、弦楽器や管楽器が加えられ、さながらシンフォニック・ロックといった体裁の見事な楽曲に仕上がった。特に間奏部分で聴かれる、ハルのドラムスと弦楽器や管楽器との鬩ぎ合いによる8ビートは、今世紀最大の名演と称しても過言ではあるまい。その後このオケのマスターを持って渡英したジミーは、ダブリンでリチャードのヴォーカルをダビングし、アルバム『A Tramp Shining』(Dunhill-50032)を完成させる。

 さてここでもう一度話を、ハル・ブレインに戻そう。この「MacArthur Park」セッションの過程を知る上で、面白い素材が実は存在する。それがハル・ブレインのソロ名義でリリースされたシングル「Allegro from "MacArthur Park"」である。タイトルを見てお分かりの通り、この曲は「MacArthur Park」を録音した時に同時に録られたものである。作者は勿論ジミー・ウェッブ。アレンジとプロデュースも彼だ。ハルのドラムスをメインにフィーチャーしたこの曲は基本的にインストだが、例えばストリングスのフレーズや曲展開などに、本家「MacArthur Park」と同じ要素が出てくる。恐らく「MacArthur Park」の譜面を起こした際に、ジミーが遊び心で書いた曲だろう。またはスペクター・セッションの様に、録音前のリハーサル用楽曲として書かれたもの(スペクターの場合、これを度々シングルのB面に収録している。)かも知れない。いずれにせよ発売を予定して始めから録られたものとは思えないが、結果的に出来が良かったからか、68年にハル・ブレインのソロ名義で「Drums A-Go-Go」とのカップリングでシングル・リリース(Dunhill-4142)された。ハルとジミーの信頼関係を知る上でも、貴重な資料と言えそうだ。ちなみに本家の「MacArthur Park」は全米2位を記録。また10年後にドナ・サマーによってカヴァーされたヴァージョンは、全米1位を獲得している。