1月31日(月)
『ネットアイドル・ランキング』・・・最後の3分で”うらんちゃん”敗れる・・・。最後の最後の3分間での異様な投票数の伸びに、何か釈然としないモノを感じながらも、またもや第2位決定である。今日までの皆さまのご支援に感謝致します。ありがとうございました。
まぁ、ランキングそのものより、うらんちゃん、じんさん、アルさん等々今まで知らなかった面白い方達とお知り合いになれましたので、それだけで充分満足です。(笑) ネットの面白さを再認識出来ました。
1月30日(日)
金曜日の夜に造さんからもらった風邪も、どうにか小康状態を保っています。せっかく山野内さんから見取り図を送っていただいたのに、プリントアウトした見取り図と作業中の現場を交互に眺めながらニンマリするだけで、手を付けておりません。まぁ、今日一日はゆっくりと溜まったネットのレスをつけながらのんびり過ごそうと思っています。来週から、本格的にガンバロウ〜〜!!
1月29日(土)

昨夜来のオフ会と言うか協議会と言うか、飲み会が延々と続いております。場所はいつもの某・高級ナイトクラブです。漂うクラゲさんと、ご学友であられた”
ミミちゃ〜あん”も鍋パーティ終了後合流され、ますます酒宴が盛り上がって参りました。
ミミちゃ〜あんはとても初対面とは思えない様な溶け込み方で原爆組独特の会話に浸透なされ、iモードで盛り上がり、パソで盛り上がり、獣姦で盛り上がり、そんなコトなら一挙に「顔アイコン」を作って、「直盃」してしまえーということになりました。


漂うクラゲさんに媒酌の労をとって戴き、これで”ミミちゃ〜あん”も原爆組の立派な仲間です。関西地区は現在原爆組にとって不毛の地であり、ミミちゃ〜あんは大阪在住ですので、関西の
シ(縄張り)マは、ミミちゃ〜あんのモノです。よかったですね。(笑)
そんなこんなで話は延々と盛り上がり、結局お開きになったのは午前4時30分。最後までお付き合い戴きました、おボーさん、漂うクラゲさん、山下マスターお疲れさまでございました。お陰様で、立派なシナリオが書けそうなお話をたくさん聞くことができました。我が身を斬ってまでの貴重なお話のかずかず、感謝致しております。ありがとうございました。
今回の「オフ会」の内容も、
『盃リポート』として近々掲載させていただきますので、あまり催促せずに気長にお待ちいただけますよう、お願い申しあげます。
1月28日(金)

新居浜の おボーさんが”大島で獲れたみかん等”を榛名神社に奉納に参られました。信心深く、建艦作業を暖かく見守って戴いているおボーさんに、仏のご加護があらんことを心より祈ります。
1時間程、建艦ドック内応接室において、原爆組・次回作のテーマ詰めと主人公の役名、等々について真摯な態度で協議を致しました。主人公の役名は、『
槇原 新一』に決定です。そう、あの「槇原政吉・親分」からお名前を戴きました。卑怯者、裏切り者、泣きの槇原と言われ続けて27年。変わり身の「早川英男・親分」のお名前を2作目の主人公に戴いて以来の当然の流れでしょうか。
生年月日は、昭和32年5月27日です。不慮の通り魔連続殺人に遭遇して没するのは、平成12年6月5日。その間42年の生き様を30分に集約する作業に取り掛かり、大まかな履歴を作成致しました。

場所を、市内高教割烹「遊・you・友」に移し、造さん、葉子さんも交えて更に細かい履歴と人間像の構築作業をやりました。
途中、おボーさんの媒酌で”山猫抗争”の手打ちが執り行われ、
山 守:「もうわしらの時代はしまいで。終わったら一杯やらんか?」
猫バス:「そっちとは飲まん。死んだモンにすまんけんのォ。」
などとじゃれ会いつつ、幼稚園の頃に父親にバイクに乗せてもらったエピソード、小学校の時に朝日新聞に掲載された三島由紀夫の斬首写真をみた衝撃で鮒を解剖するエピソード、第二地銀を退職しマチキンへ就職するまでの心の渇きと葛藤のエピソード、等々槇原新一の生涯がどんどん構築されて行きました。
次回作のタイトルも
『さぬき馬鹿伝説 がいな奴 −Once Upon a Time in Sanuki−』に決定いたしました。
1月27日(木)
今月20日の日記に「起倒式クレーン収納部分の形状が判らない」と書いておりましたところ、大変ありがたいことに宮崎市に在住の
「模型海と空」の
山野内さんより、ご丁寧にもメールで見取り図を送っていただきました。

横浜市にある「深雪会」さんより取り寄せた図面を基に書いていただき、どうなんだろうか?こうなんだろうか?と悩んでいた箇所が目から鱗状態でよく判りました。山野内さん、本当にどうもありがとうございました。あまりにも上手く書かれておりましたので、山野内さんのご許可を戴きましてここに掲載させていただきます。
『クレーン収納時には、この「ふた」がされる』そうです。『クレーン支柱は艦尾方向に倒れて一段下の甲板にある断面が軽いV字型のクレーン受けに収納される』そうです。『形状に関しましては上の図で想像できる』と思います。なるほどといった感ですね。

また、『飛行機作業甲板とこれを支える部屋との関係も「見取り図」ですとよく見えて、非常に理解しやすくなっております。下の図で甲板を支える4角のところがありますが、これは給気口も兼ねていると想像します(確定できません)。網目に書いているところは給気口』だそうです。
写真からの判別だけではなかなか判りにくい部分が多いのですが、こうして見取り図や解説をいただけると、手に取るように判ります。それより何より、一人だけでコツコツ建艦作業をしているつもりが、ネット上でお知り合いになれた皆さまのお力添えやご支援で進めていけるコトが非常にうれしく感じられるメールでした。山野内さん、本当にどうもありがとうございました。また、多くのネット上でご支援戴いている皆さまにも、改めて御礼申し上げます。
1月26日(水)
さすがに眠たいです。夜の8時過ぎから寝てしまいました。夜中の4時前に一度目が覚め、チョロチョロっとネット上を徘徊して再び安眠してしまいました。したがって、建艦作業はまったくはかどらず。少々スランプ気味なのか、他に手を出しすぎてアップアップ状態なのか。やるコト一杯ため過ぎてきたので、そろそろ気合いを入れてやっつけていかねば・・・と、思ってはいるのですが。(笑)
1月25日(火)
な〜んかバタバタとする一日。完徹開けにもかかわらず、仮眠を取る間もなく次から次へと襲いかかる仕事を処理していく。労働争議の前祝いと称して久しぶりに某・高級ナイトクラブに繰り出し、山下マスターにHP開設をそそのかしたりもする。結局またまた余り眠らないままの朝を迎える。健全な生活が続いていた反動が大きいようだ。
1月24日(月)
不足気味の角材を調達し、航空甲板基礎工事の追い込み作業に取り掛かろうとするが・・・HPの新・コーナーのタイトル・ページを作りたい願望に取り付かれ、挫折する。建艦作業は捗らず、新・コーナーのタイトルは3本とも完成。中身はおいおい充実させて参ります。情報交換やら技術交流をしながら、久しぶりの完徹。朝6時から食べたロイヤルホストのモーニング・セットはたいへん美味でした。
1月23日(日)
朝から電話注文を受ける為に事務所に缶詰です。日曜日だからって、休みだと思わずお電話をかけて戴けるお客様がいらっしゃるんですから、ありがたいことです。一人で待機しているので、朝から建艦作業に従事できると思っていたんですが、ついついHPの更新に手をつけてしまいました。
今までは「建艦日記」は1つのコーナーだったんですが、業務を拡張して1本のHPとして独立採算性をとります。新たに、日本各地に点在する戦争の遺跡を巡ったものを紹介する新・コーナー
『歴史の涙』と、戦艦・榛名の建造から戦歴までを網羅する新・コーナー
『榛名墓標』を開設致します。更に、今まで謎に包まれておりました私儀・建艦職人のプロフィールも公開する覚悟でございます。ぼちぼちとアップして参りますので、そちらもお楽しみ下さい。
1月22日(土)
寒さの為か、ドックの部屋に入る気力が衰え、暖かい事務所で業務に励んでます。コタツにでも入ってビデオを見ながら、副砲づくりにでも勤しんだ方が賢明かもしれません。(笑) もう少し建艦作業が進んで、各パーツの製作に入ればどんな場所ででも作業ができるんですけどね。船体をいじくっているうちは、ドックでないとできません。この冬は、辛抱するしかないな。後1ヶ月半の辛抱だ。
1月21日(金)

今日は「大寒」です。戦艦榛名建艦ドックの周りも、朝から雪が舞ってます。とにかく、寒い。このドックは3面がほとんどガラス窓なので、少々暖房をきかしても外気に熱を吸収されてしまい、寒い。ストーブをもう1つ持ってきて、指先を温めながら基礎土台となる角材を切ったり削ったりしてます。それでもやっぱり、寒い。
強度をつけようと思って角材を使用しているので、どんどん船体が重く成っていってます。靖国神社搬入の時は、どうせトラック1台貸し切りだから運賃は変わらないでしょう。(笑)
2月初旬の予定だった”京阪モール”への出張が3月に順延。せっかく楽しみにしてたのに、ちょっと残念です。企画書類の制作に行きづまると、ついついデスクの周りを掃除してしまう。今や”ふきそうじ”でキーボードまで磨いて、綺麗なモンです。1つが終わったと思えば、新しい企画が舞い込んで来るし、しばらくはデスクワーク。
1月20日(木)

航空機揚収用の起倒式クレーン装着部分の基礎工事を行っているんですが、ここの形状がよく判りません。上から見たらこんな感じなんですが、窪んだ所にクレーンが建って横の壁部分の内部はどうなっているんでしょうか。クレーンのポールやらギヤーなんかでどうせ見えなくなるから、まぁいいかと判断して作ってます。詳しい図面をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非教えて下さい。
最近は、インターネットのショッピング・モール出店依頼が多く寄せられます。今月に入って、3件の出店です。お客様から直接ご注文を戴くことは少ないでしょうが、ゆうバックの総合カタログと同じで、業者の方が調べて取引を申し込む機会が以外に多いんです。その為の露出効果狙いですね。無作為DMでもセンミツ(1000分の3・有効回収率0.3%)と言われる位ですから、営業にとっては”露出が命”です。・・・最近は・・・業務日報ぽいなぁ・・・。
1月19日(水)
航空甲板基礎工事をちょっとだけ進める。20日〆切の企画書やサンプルの送付が4つも重なっている為、気が気でない。郵政省に至っては、企画書をロータス123で書き込み、FDを添付しなさいとのご指示。今回は日本食研さんのご協力により面白い企画になったので、数は取れるでしょう。中華ちまき、海藻と蒟蒻サラダ・・・うどんと全然関係ないような食材ですが、こういう抱き合わせセットが売れるから郵政のイベントモンはおもしろい。設計図がないものを、材料を自己調達しながら作り上げていく点では建艦作業と根っこは同じでしょう。好きじゃないとやれるモンじゃないですね。
今回の、ミレニアムうどんの電話注文もなかなか面白い。通販の場合、顔も声も判らないままご愛顧いただいてるお客様が多いのですが、「送った先がものすごく喜んでいたから、また送る」とか「美味しかったので、また送って」、果てには「北海道なんかの遠くに嫁に出すと費用がかさんでしかたない」まで、実に延々とお話してくれます。お客様に直接お話戴くことでより親密感を持って戴き、リピート率をより高めるという冷めた目論見はさておき、喜んでお話して戴くのは嬉しいものです。さぁ、残りの企画書もがんばろう。
1月18日(火)
航空甲板基礎工事。なかなか厄介です。強度を保ち、木材のねじれ・収縮を考えるとやっぱりこの方法しかないのかなぁ?? 日々是勉強、常在戦場、こつこつ進めて行きましょう。
ミレニアムうどん、お陰様で好調です。今回は販促コストの削減と、お客様のお声を直にお聞かせ戴く目的でお電話でのお申込み方法にしているのですが、朝からしゃべり過ぎて咽が痛い。ありがたいコトです。
企画書製作にも追われております。母の日、子供の日、京阪モールやら高松市制110周年やら。駄菓子、冷凍中華ちまき、海草サラダ・・・取り合わせは種種様々でございます。思い起こせば”生花”と”生うどん”の抱き合わせによる母の日イベントの大ヒット、苦肉の策とは言いながらもよく思いついたものだと感慨深いですが、次々と展開するのも一苦労でございます。周りの環境に影響を受けやすいので、日記まで丁寧口調に成ってます。(笑)
1月17日(月)
阪神大震災からはや5年が経ちました。午前5時46分、6,432名の犠牲者の皆さまのご冥福を祈りながら黙祷。テレビを通して黙祷するのは、敗戦記念日、広島・長崎の原爆記念日・・・坂本弁護士ご一家のご遺体搬送のニュースの時もかな・・・。
5年前の1月17日早朝のことは、今でも鮮明に覚えています。香川県でも震度4でしたので、生まれてこのかた味わったことのないような揺れに飛び起き、テレビのニュースを急いでつけました。この日の午前中から1週間、兵庫県尼崎市の西武つかしん店へ出張の予定だったんです。東京発のニュースではなかなか全容が把握できませんでしたが、ただごとではない直感はあたってしまいました。西武百貨店からの電話も、当初は営業を続けるのか休業するのか決めかねていたご様子だったんですが、1階の食品売場だけは地元のお客様への食料品確保の為にも営業するということで、是非とも来てくれとの要請でした。
商品は事前に送っていたので、バック1つを持ってお昼過ぎに高松を出発。新幹線で姫路まで行き、在来線に乗り換え加古川で下車。もう少し先からJRは不通でした。加古川から中国山地への在来線に乗り換え、山の中から再び海側に南下しようと考えたんですが、甘かった。やっぱり神戸方面行きのJR在来線は不通。しかたなく、タクシーででもと乗り込んだはいいんですが、山越えをしてお知り合いの安否を気遣う方々で道路はノロノロ運転。30分も乗らないうちに運転手さんにリタイアを宣言され、しかたなく徒歩で尼崎を目指す事を決意しました。
地図もなく、どこに居るのかもはっきり判らないまま主要幹線道路づたいに歩くコト6時間。こんなに歩いたのは久しぶり。身体の中は熱くて汗が出るのに、外気はものすごく冷たかった。時々休憩しながら飲む熱い缶コーヒーが実に美味しかった。いくらノロノロの大渋滞とはいえ、やっぱり車はどんどん進むのに、徒歩では遠くに見える目標までがなかなか遠いものです。夜中の3時頃にどうにかこうにか宿泊予定先のホテルに到着。途中、コンビニの食料品は全て売り切れ。居酒屋さんが開いていたので助かりました。
尼崎市内は見かけ上は崩壊は少なく感じたんですが、西武百貨店の社員の皆さんも家の中で寝るのが心配で、車の中で寝泊まりなさっているとか。10時間かけて神戸の冷凍倉庫から”冷凍うどん”を運んでくれた運送会社の方は、ご自宅が全壊だったそうです。食品売場の冷凍ケースには、流通がストップしてしまった間うどんばかりが目立っておりました。関係者で亡くなられた方もおり、つらい1週間の出張でした。
ここには書ききれない位、いろいろなことがあったんですが、あの誰に言われたからでもなく集まってきたボランティアの人達の
心の熱さは忘れられません。名前も知らないまま一緒に動いていたあの若い子達、みんな元気にしてるのかなぁ。
1月16日(日)
航空甲板、2.5ミリ・ベニアの切り出し部分と基礎土台との接合部分がかなり厄介です。側壁が航空甲板の天板に直角の所、下に隠れている所、側壁補強に2.5ミリ・ペニアを打ち付ける所、アールが掛かっていて厚白ボール紙の貼り合わせで補強する所・・・相互に干渉しあいながら複雑な様相を呈しております。もちろん設計図なんてありませんから、ここはコウなる、あそこはコウなると頭の中で図面を引きながらやって行って下さい。
しばらくは余程冷静沈着に組立行程を考えながらの作業に従事しなければならないでしょう。ボーっとしたままでやってたら、あとでエライ目にあってしまいますよ。う〜〜んっ、クソ忙しい時に何てこったァ!!(笑)
1月15日(土)

昨日来、タッカーさんが金比羅さん代参の為、社命にて帰省なされておりました。乗船(今は陸上勤務)なされております海底ケーブル船の安全祈願と、1/72戦艦榛名の安全工事の為のお参り、痛み入ります。高松空港にタッカー氏を搬送の途中で、建艦ドックをご視察いただきました。昼間から缶ビールで歓待させていただき、組合問題、年俸制問題、うらんさん支援対策、ここで明らかにできない諸問題等々について、真剣に協議させていただきました。
深夜、昨年末のBS特番のビデオを見ながら1956年から1999年までの国内外の重大事件・事故をピックアップしておりました。次回作のシナリオ制作に向けての資料づくりです。三島由紀夫割腹、山一抗争、フィリピン・マルコス政権崩壊、京都ベラミ事件・・・等々、年代がハッキリしないものがたくさんありますので、下調べが大変です。
1月14日(金)

航空甲板部分は、基礎土台の途中までと2.5ミリ・ペニアの切り出しまで作業が進んでおります。取り急ぎ、基礎土台部分を完成させましょう。航空機揚収用の起倒式クレーンの装着部分が微妙に入り組んだ形状に成ってますのでかなり厄介です。左舷後部はアールがかかった形状に成ってますし、後端部の出っ張りも両端は小さなアール形状です。なかなかクセのある・・・やり甲斐のある作業に成りそうです。
お年賀DM用葉書のタックシール郵便番号振り分けは、ほぼ完了しました。明日には郵送できるでしょう。ミレニアムうどん・・・(単に2000円のお買い得詰合せ)うまくいくんだろうか??
1月13日(木)
さて次に、航空甲板の製作に取り掛かります。3番砲塔、4番砲塔の間の船首楼甲板は4番砲塔後端部まで延長され、ここを航空甲板として呉式二号五型射出機(カタバルト)が艦中心線上に搭載され、航空甲板の左舷側後端には航空機揚収用の起倒式クレーンが装備されています。カタパルトの両側には航空機運搬軌条、ターンテーブルが装備されて艦載水偵の連続射出が可能です。
まずは、リノリウムを張った状態にまで仕上げましょう。木甲板と高さをツライチにしてやる必要がありますので、どうしようかな・・?? 厚白ボール紙の貼り合わせで対応しようか・・。
1月12日(水)

完全に乾燥して、木甲板の保護膜の様になっているつや消しニスを磨き上げてやります。400番のペーパーで、軽〜く、軽〜くなでる様に磨きます。決してグルグル回転させながら研磨しないで下さい。細木の並んでる方向になでる様に丁寧にそっと磨きます。そうすれば、つや消しのまま真っ平らな木甲板の完成です。最後の仕上げ磨きは、ティッシュ・ペーパーを丸めて、こする様に磨き上げて下さい。
「原爆組・掲示板」に於きましては、構成員はじめ遊びにおいでいただいております皆々様のご支援、ご努力によりまして、原爆組が推薦致しております
川原 京さんが善戦をし、トップ3に迫る勢いでございます。誠にありがとうございます。皆さまのお力、恐るべきモノがございます。
ここで、更なるお願いがございます。8日の日記にも記述しておりますが、
”佑天寺 うらん”さん、この方の文章表現の感性は素晴らしいモノがあります。そこで、我が「建艦日記」では、彼女を全面的に支援し、是非とも第1位を取らしてみたいモノだと考えました。皆様方の1票を、是非ともお願い致します。1日に、違う方に投票するのはOKですので、川原さんとお二人にご投票下さい。
1日1票、よろしくお願い申しあげます。
1月11日(火)
との粉を400番のペーパーで綺麗に取り除きます。この時に、細木の隙間に擦り込んだ との粉 まで取り除かないように、細心の注意を払いましょう。せっかく との粉 を塗ったのに無駄になってしまいますから。
いよいよ、水性つや消しニスを塗って、木甲板部分を保護してやります。との粉も一緒に固めてしまいますから、隙間はピッタリ埋まってしまいます。焦って厚塗りをせず、薄目につや消しニスを3度塗ります。完全に乾燥してから充分に時間をおいて、次の塗り作業に取り掛かって下さい。半乾きのまま塗りますと、ダボができますから、乾燥時間は充分に取って下さい。3度塗り終えたところで、本日の作業は終了。乾燥待ちです。
お年賀用DM葉書が刷り上がってきましたので、ひたすらタックシールを郵便番号のくくりで切り貼りしてます。乾燥待ち作業の時にこんな本業がやれるとは・・・非常にラッキーであります。
1月10日(月)


いよいよ、木甲板・中央部の仕上げ作業に入ります。まずは張り付けた細木の高さが微妙にマチマチなので、ペーパーで磨き上げてツライチにしてやります。200番の荒番で大まかに平坦にしてやります。冬の室内でも、汗が流れる程の重作業ですが、ここで頑張らな何処で頑張るんやと云う意気込みで磨き上げて下さい。一心不乱に平らにしましたら、400番で仕上げ磨きをかけてやります。
細木に若干の隙間が生じている所もありますので、「との粉」を塗ってやります。最初に筆で思い切り塗ってやり、余分な「との粉」をティッシュ・ペーパーで擦り込む様に拭き取ってやります。後は、との粉が完全に細木にしみ込んで乾燥するまで待ちましょう。
世間では3連休ということでしたが、建艦とお仕事に明け暮れる毎日でした。まぁ、たまには健全で隠遁生活のような日々を送るのもヨシとしよう。今週は、これからどうなるコトか??
1月9日(日)

建艦作業自体が真面目な行為かどうかは、判りませんが、とにかく真面目に細木を1本1本張り付ける作業を行った結果、木甲板・中央部張り付け作業は完了致しました。直線部分が多かったので、割と楽に進みました。後は、磨き込んでの仕上げ作業です。
これから出す年賀状のタック・シールを6000枚プリントアウトしながら、ネットを漂いながら、心配事をしながら、ながらながらで精神的安定を保てるのも、建艦作業という指先を刺激する作業をしているおかげでしょうか?? 何かに没頭していれば精神的には落ち着くんですが、それを更に練度の高いモノに押し上げようと思って、もっと深みに埋もれてしまいがちなんですよね。どこかで妥協点を設定してやらねば、止めどないです。
1月8日(土)
木甲板・中央部、右舷側細木張り付け作業は順調に進んでます。基本線より舷側まで張り終えた処で、準備していた細木を使い果たしてしまったので、本日はここまで。まるで謹慎生活をするかの如くおとなしい生活を送れば、建艦がこんなにもスムーズに進捗するものかと、我ながら感心してしまいました。
義理あって応援しているネットアイドル・ランキングで、ついつい他の女の子のHPを覗いてて、
”うらんさん”のページを興味深く読ませて戴きました。22歳でヘルスのお仕事。ストレート過ぎるほど赤裸々に内面を表現した日記が異色の出来映えです。5年ほど前に付き合っていた19歳のソープの女の子と共通する感性に、驚きつつも、もうこんなにストレートな表現はできんなぁ〜と、時間の流れを痛感致しました。文字にしてしまうのに、美辞麗句、抽象表現が身に付いてしまい、なかなか自分の思っている通りのコトを表現できないのに苛立たしさを感じるものの、過去に他人を傷つけるような表現をしてきた経験からそう簡単に思いのたけをストレートにぶちまけるコトもできず・・・。41歳やモンなぁ〜。「吐いたツバ飲みこむ様なマネするな」と、自分に言い聞かせるのが精一杯かな??
1月7日(金)
左舷側終了致しましたので、右舷側の作業に取り掛かります。まずは、中央構造物と木甲板との境部分のアタリを細木で取ってやります。後で隙間をパテ処理するとはいえ、できるだけ丁寧にキッチリ合わせてアタリを取りましょう。アタリが狂ってると、全ての努力が気泡と化します。人生と同じ。
原爆組ホームページも、御陰様で1周年を迎えることができました。バカゲタ事を、誠心誠意一生懸命にやる。基本ポリシーは不変普及のままの20数年。さまざまなご厚意や、誤解、温情、侮蔑の眼差しを受けつつも一心不乱にこのまま突き進んで行くことでしょう。”お遊びなんやから”と思いつつも、”何がイカンのやぁー”と云う敵愾心の強さだけがこの組織を維持してきたたった1つの理由だったりして。
思いもかけない時に、思いもかけぬ決断と実行をしなければならない時もあるのが、この世のならい。日々の積み重ねは小さいモノですが、後から振り返れば大きなターニング・ポイントだったりもします。でも、いつかはキチンとカッコつけなイカンことをズルズルと先延ばししがちな毎日の生活。今日がその日だったのかな?と後から思える日も来るさ。『過去にこだわってはいけません』・・・実に深い《真の御託》です。
1月6日(木)

真面目に木甲板の細木を1本1本張り付ける日々が続いています。さしたる急ぎの仕事もなく、漠然とした気持ちの中で時間を過ごすのには、最も適した作業でしょう。焦ってないだけ順調に少しずつ捗り、中央部の左舷側が完了してしまいました。このペースで行くと、右舷側もこの連休中に完成でしょう。でもまだ、トノコを塗って、ペーパーで磨き上げる仕上げ作業が残っていますけどね。本当は、もっとやるべきコトがあるんじゃないの??などと自問自答しつつ、建艦も一種の現実逃避かなァ〜などとも思ったりして。たまには自分を見つめ直す時間を持ってもいいか。
1月5日(水)
粛々と細木を1本1本張り付ける作業に従事しておりました。この、緊張感や高度な技量を必要としない単純作業は、長時間に渡って雑念を交えずにいろんなコトを深く考えるコトができる非常に有意義なものであることが再確認できました。建艦作業の中での”座禅”みたいなモンですね。左舷・舷側部分張り付けが完了。
1月4日(火)

木甲板、張り付け作業の再開です。これはもう、1本1本、地道にゴム系ボンド・G17で貼り付けていくしかありません。広い直線部分に、まず基本線となる一筋を張り付けます。そこから継ぎ目をずらして両側に向かって張り付けて行きましょう。焦らず、気負わず、コツコツとが肝要ですよ。(自分に言い聞かせていたりして。)
角地や舷側部分は、細木を微調整しながら切り刻んではめ込みますから、まぁ、楽しみながらやりましょう。しっかし、中央部分て、広いなぁ〜。いったい両舷に張り付けるのに何日かかるんだろうか??
一応の目安的作業工程目標として、1月中に木甲板・中央部分と飛行甲板を完成させるってコトにしておきましょうか。そうすりゃ、2月中に艦尾部分の木甲板まで完成しますよ。いったい・・・・後、細木が何百本必要なんだ??
1月3日(月)

木甲板・中央部から作業が中断したままでしたので、木甲板の張り付けから始めましょう。まず、細木を用意しないといけません。幅1ミリ角、長さ90センチの細木を15センチ毎にカッター・ナイフで切断します。切断面がキッチリしていないので、10本位ずつをひとまとめにして両端のツラを400番のペーパーで平坦にします。こうしておきますと細木を張り合わせた時に、継ぎ目がピッタリ合いますから気持ち良いですよ。
「掲示板」に
”通りすがり”さんより、
『「バカゲタHP」で、簡単に《原爆》という言葉を使わないでください。』とのお書き込みあり。自主映画製作団体として活動を始めて20数年、ネットにHPを公開して1年、早く誰かにこういう提言をしていただきたかったので、”通りすがり”さんには感謝致しております。大いに議論を重ね、日本の将来について語り合いましょう。議論や言論を1つの形にはめ込む恐怖の時代を繰り返さない為にも、お互いに考えている事を時間をかけて相手に伝えると云う作業は、是非とも必要な事ですよ。違った考え方を認識するコトが重要なんですよ。
1月2日(日)
今日から本業は仕事はじめ。Y2K問題のあおりで帰省客が減少し、栗林公園前の本店のお客様も昨年より減少です。店自体は元旦より営業してたので、トータル=プラマイ0ですね。
今日から建艦に取り掛かろうと思っていた矢先の夕方に、ぼびさんがお食事会をやろうとのお誘い電話あり。元来が意志薄弱の為、さっそく各方面に連絡を取ったのですが、正月2日の夜に予定がないのは猫バスと漂うクラゲさんくらいのモンです。(笑) 6時より高松ワシントンホテルプラザのチャイナ・テーブルで中華を満喫させていただきました。辛いお料理が続きましたので、ビールが空く、空く。
いつもの如く、某・高級ナイトクラブに流れてお年始の挨拶かたがた酔い心地。同窓会帰りの造田氏と合流し、ああでもナイ、こうでもナイと口泡飛散の激論発旨。(笑) 睡眠時間0だった為泥酔し、帰宅後はすぐに熟睡できました。でも、”初夢”は・・・記憶がございません。
1月1日(土)
2000年、
明けましておめでとうございます。

ちょうど1年前、1999年の年頭抱負として「1/72スケールの戦艦・榛名」を作ってみたいと思っておりましたが、まさかこういう形でネット公開しながらの作業になるとまでは予期しておりませんでした。
『願えば叶う』・・・高度成長期に幼少期を過ごした世代としましては、未だ右肩上がり的発想が生き方から消え去らず、ただただ盲目的に突っ走るのみであります。今年は更に新作の自主製作映画まで作ってしまう予定もあり、仕事・・・出来るんでしょうか??(笑)
去年の11月から、長期出張やらお歳暮やらで建艦作業が頓挫してしまい、なにやら”酔いどれ日記”の様相を呈しておりましたが、新年を迎えまして決意も新たに建艦の再スタートをきる覚悟でございます。まずは、発泡スチロール・ケースの倉庫やら化粧箱の箱折り作業場と化しておりました「榛名」建艦専用ドック(一般的な名称は”応接室”)をきちんと清掃し、新春のお飾りを設置するコトから始めました。
3年計画の1年が過ぎてしまいましたから、そろそろピッチを早めないと、ヤバイかも。(笑) 柏手を打ち清々しい心で、再出発です。昨年にも増してのご支援、ご教授の程、よろしく御願い申し上げます。
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