建艦日記「海に降る雪」2000年・2月
 
あぶないあぶないと分かっていながら、なおも風船を膨らましつづける〈男〉の姿は、
可笑しくもあり悲しくもあり、なによりもその真剣さが美しい。
風船の中が空っぽなら、なおさら感動的だ・・・・・・・・・・。

 

 
2月29日(火)
第三砲塔・バーベットは完成。第四砲塔・バーベットも完成間近。  第三砲塔・バーベットの天板に貼り付けた厚白ボール紙を側壁の円周に合わせてハスった後で、ペーパーをかけてやり、一体整形物のように仕上げます。接合部分あたりを広めにプラカラーで塗ってやり、完全に乾いてからペーパーをかけます。これを3度程繰り返しますと、厚白ボール紙の隙間はまったく感じられなくなります。バーベットの側壁や天板部分もこの要領で、塗っては磨く作業を3,4回繰り返し(漆器職人に成った気持ちで)、納得がいくまで続けて下さい。紙の質感はなくなり、金属部品のようになれば仕上がりです。
 第三砲塔・バーベットは完成致しました。第四砲塔・バーベットももう少しで完成です。これで木甲板中央部のアタリも付けられますので、一気に細木を張り付けてしまいましょう。
 1月は、まさかの逆転に涙した”ネットアイドル・ランキング”も、2月は皆さまのご支援のお陰をもちまして、うらんちゃん堂々の第1位に輝くことができました。うらんファン悲願達成に狂喜乱舞致しております。(笑) ありがとうございました。3月は、新手のキワモノ候補者がエントリーする予定になっておりますので お楽しみに〜〜〜♪♪
 

 
2月28日(月)
榛名神社に奉納される、なっと〜さん寄贈の茨城の銘酒「府中誉」。  茨城県のなっと〜さんより、銘酒『府中誉』が贈られてまいりました。それも、一升瓶で2本も!!(笑) さっそく榛名神社に奉納させて戴きました。上部構造物がまだ設置されず、木目も鮮やかな木甲板の上に置かれた一升瓶の風景は、まるで居酒屋さんのカウンターのようでもあります。まだまだ一升瓶は載りますよ。3メートルもある船体ともなれば、セブンスターを並べるより、一升瓶を置いた方がスケール比較が判りやすいと実感致しました。深夜にさっそく美味しい「府中誉」を呑ませて戴きました。なっと〜さん、ありがとう〜〜〜。
 上質紙下張り作業まで終わっていたバーベットに、仕上げの厚白ボール紙を貼り付けてやります。第一、第二主砲塔バーベットと同じように、側面防御用のアーマーを再現する為に、前部6センチを残して3枚厚白ボール紙を貼り重ねてやります。上端をカッターでハスり、ペーパーでツライチに合わせて天板用の厚白ボール紙を貼り付け、修正はG17が完全に乾燥する明日を待って暫しの酒盛りです。
 

 
2月27日(日)
第三(左)、第四(右)砲塔・バーベット、上質紙下張り作業まで完了。  第三、第四砲塔・バーベットともに、基礎工事から、発泡スチロール埋め込み作業を経て、上質紙での下張り作業まで完了しました。片方のボンド乾き待ち時間に、もう片方のバーベットの作業を進め、これを交互に繰り返しますと2基のバーベットは順調に出来上がっていきます。
 夜、田中氏より早朝の面白い出来事の報告電話を戴く。機械ごときを過信してうぬが秘密を全て預けてしまったら、イカンよねぇ〜。(笑) それよりも、修羅場慣れしていない人は、いくら齢を重ねても純情でいいよねぇ〜。(笑) お電話を受けるコッチの状況も状況でしたが・・・。
 深夜、今日こそは早く寝ようと思っていたのに、うらんチャットにてSMの女王様・華岡さまと親しくお話できる機会に恵まれ、またまた夜更かしをしてしまう。お伺いしたいコトはいっぱいあったのに、何故か「ゴジラVSデストロイア」のジュニアを守るゴジラに涙するお話となる。その他モロモロここでは書けません。(笑)
 

 
2月26日(土)
第三砲塔・バーベット、基礎工事と発泡スチロール組み込み作業。  第三砲塔・バーベットを作っています。基礎工事として1.3センチ角材を井形に組んで砲塔設置部分を作ってやり、更にもう1組の井形と2.5ミリ・ペニアを2枚はさみ込んで高さを調節してやります。12ミリ釘を打ち込んで固めてやれば強度は保証付きです。G17が完全に乾いてから、発泡スチロール専用ボンドで発泡スチロールを組み込み、バーベットの外周にきちんと合わせながらカッターでハスってやりましょう。昨日の深夜はPCの前でチャットをしながらベニアにペーパーをかけ、今夜は発泡スチロールをカッターでハスりながらのチャットです。PCの環境としては・・・良くないだろうなァ〜。
 今日は、2.26だったんですね・・・。日記を書くまでまったく気付きませんでした。2.26の青年将校達が日本を軍国主義に導いたと勘違いしていらっしゃる方々もまだまだ多いのでそのことを記したかったんですが・・・また日を改めまして。2.26を鎮圧、処理した後の事なかれ主義が結果的に悲惨な状況に日本を導いたと信じております。銃殺刑に処せられ、靖国に御霊を奉られることのない青年将校の皆さまのご冥福をお祈り申し上げます。
 

 
2月25日(金)
第三砲塔付近・右舷側木甲板張り付け作業と、バーベット用ベニア板切り抜き作業。  第三砲塔付近・右舷側木甲板張り付け作業が粛々と進んでおります。舷側付近は早くも仕上がってしまいました。単純作業も慣れると効率よく進みます。合わせて、第三、第四主砲塔のバーベットの製作にも取り掛かりました。まずは2.5ミリ・ベニアを直径13センチの円に切り抜きます。上下に使いますから、計4枚を切り抜きます。キチンと円周を合わせる為に、釘で仮止めをしてやって、4枚重ねて円周の縁部分にペーパーをかけてやります。これで、ビタッと上下が合う真円の出来上がりです。90度の罫線を入れておくと大変便利ですよ
 寝不足のために、夕寝をしようと試みましたが、逆効果。かえって疲れを増す結果となってしまいました。「建艦日記」サイトを”うらクラ”リングに接続しました。うらんちゃんの次がこんな軍艦ページだなんて、嫌だろうなァー。(笑)
 

 
2月24日(木)
 第三主砲塔付近の木甲板を、左舷側、中央部、右舷側に区分して作業行程を考えますと、左舷側の木甲板張り付け作業は完了致しました。続いて、右舷側の側壁部分上部のアタリを細木を加工しながら張り付けてやりました。明日からは、右舷側に1本1本細木を張り付けるコツコツ作業の開始です。中央部のアタリをとる為に、そろそろ第3,第4砲塔のバーベット製作に取り掛からねば。
 

 
2月23日(水)
 相も変わらず、細木を1本1本張り付けてます。夕方、陽の高いうちから”大吟醸”を飲んでやった。実に飲みやすく美味しい。悪酔い、酩酊、誇大妄想、被害妄想、ぜんぜん無し。高いお酒は身体と精神に良いのか??(笑) 深夜にお美しいおネーさんお二人に宴席のお誘いを受けるが、さすがに眠気には勝てず丁重にご辞退させていただきました。体力の限界か?? いやいや、そんなコトはございません。また、誘ってね♪♪
 

 
2月22日(火)
コツコツ木甲板張り付け作業の再開です。  木甲板の細木を1本ずつ張り付けていくという気の遠くなるようなコツコツ作業の再開です。20年前から買い置きしてあった細木もだんだんと残りわずかになってきました。艦尾部分の木甲板に備えて、また買い占めに走り回らなくてはならないでしょう。しかしこんな規格の細木って、今でも売っているんだろうか?? などと妄想に耽りつつ、11時前にお風呂に入ったらあっいう間に寝てしまいました。急に健全な生活が続いてしまった。アブノーマルな生活を送っていた反動か?? 何はさておき、建艦作業もガンバロウ。
 

 
2月21日(月)
 コトデンそごうでの『交流都市との観光と物産展』は本日5時にて、無事終了。そごうさんの予算を大幅に上回り、140%達成。地元開催にもかかわらず、あくなき試食営業活動(物々交換とも言う)の甲斐あって、他市町の業者さん担当者様に”お土産”として買っていただいた比率が圧倒的に高かった為でしょう。弊社社長の要望により、秋田県矢島町(やしままち)の銘酒「出羽の富士・天の美禄大吟醸」を1本購入する。
 建艦作業を再開すべく、細木を15センチに裁断し、切断面にペーパーをかけて面合わせ処理をしてやりました。たくさん出来上がったところで、10時過ぎから寝てしまいました。(笑)明日からはコツコツ木甲板を張り付けよう。
 

 
2月20日(日)
 漂うクラゲさんと、武田さんが『交流都市との観光と物産展』にほとんど同時にご来場になられました。武田さんはお仕事の営業を兼ねて来られており、担当者の高松市役所観光課の方のJR四国・連絡船時代の先輩にあたられるとか。世間は狭い・・・。クラゲさんは松本市の名産「おやき」【おやき・信州の代表的な味。野菜たっぷりでこんがりほかほかの焼きたて。肉まんのようなモノ??】をほおばりながらの登場。芋きんや揚げたての天ぷらを喰い散らかしながら、松江市の「大吟醸・国暉」をお買い求めになられておりました。3人で茶屋に入り、打ちたての”出雲”三宝割子そば、舞茸天ぷらそば、”信州”鴨南蛮そばを美味しく戴きました。
 ほどよく疲れた日の、お風呂上がりのビール、ウイスキー、冷酒は旨いっ!
 

 
2月19日(土)
 早朝から、ビックリするような面白い出来事が勃発しました。ここでは、その詳細は一切書けないなぁ〜〜。(笑) いやぁ〜、久々のもっのすごく面白い珍事で、何年か経ったら重大事件の”笑い話”として話しまくってるコトでしょうけど、プフッ、今はリアル過ぎて書けないなぁ〜〜。(爆)
 

 
2月18日(金)
ミス高松の村井さんより恭しく「盃」を受ける、田中さん。  本業の方でいろいろお世話になっている、高松市役所商工労政課の田中義浩さん「直盃」を交わすことになりました。去年の秋に千葉の幕張メッセでお会いした時には、まだHPを立ち上げていらっしゃらなかったのですが昨年末の12月27日にめでたく草野球チーム「ダイナマイツ」のネット・ホームグランドをオープン。お約束通り「直盃」の儀と相成りました。今回のご媒酌の労はミス高松の村井さんにお願い致しました。一応ちゃんと市の担当者の方からは、”高松市に基盤を置く20数年の活動歴を持つ文化的映像創造グループとのインターネット活動の一環として、高松市のお力添えを戴きたい”と、ご許可は戴きました。ただ、『ミス貸したら、高いょォ〜(笑)』・・・だそうです。まだ請求書は届いておりません。今までの盃事の中で、いっちゃん豪華絢爛なんじゃないでしょうか。
 詳しくは近々アップ予定の「盃リポート」にてお楽しみ下さい。尚、今度の「盃リポート」は、mimiちゃーあん、うらんちゃん、田中さんの一挙3本立てになる予定です。
 

 
2月17日(木)
 彦根市の「近江牛コロッケ」は旨いっ! 松江市の「シジミの佃煮生姜入」は旨いっ! 秋田県矢島町の「山菜缶詰」は旨いっ! 水戸市の「あんこう鍋」は旨いっ! 松本市の「馬刺」は旨いっ! 石川県高松町の「かぶら寿司」は旨いっ! 高松市の焼きたての「瓦せんべい」は旨いっ!
 試食用のカップに大盛りのうどんを出前で持っていったら、いろんな美味しいモノを食べさせてくれました。(笑) なんじゃそりゃー、物々交換じゃー。面白い人達もたくさんいますので、1時間毎の煙草休憩もこれまた楽しい。遊びに来てる訳じゃないんですが・・・充分すぎる程楽しませて戴いております。
 

 
2月16日(水)
 今日から6日間、コトデンそごうにて『交流都市との観光と物産展』の開催です。地元開催の催事なので、用意や足らないモノの補充も簡単だろうとタカをくくってネット夜遊びに耽ると、さすがに翌日は眠い。地元の業者さんも、かねすえさん、桑島かまぼこさん、鶴見商店さん、吉内さん、たまも食品さん、鬼無の盆栽組合さん等々知った顔の方ばかりなので、お気楽といえば、お気楽です。楽しみながらお仕事させていただきます。(笑)
 

 
2月15日(火)
 明日から、地元高松のコトデンそごうで『交流都市との観光と物産展』が開催されます。地元でこんな時期に”生うどん”を実演販売しても売れないだろうなぁ〜と思いつつ、いろんな事情で出店です。お昼過ぎから搬入作業でバタバタしながらも、どうにかこうにか7時過ぎには設営完了。1日遅れのバレンタイン・チョコをくれるというお申し出がございましたのでいそいそと宴席に参加致しました。どうせ遅れてくれるなら、身体にチョコを塗りたくりリボンを付けて『ワタシをたべてネっ』・・・ってのが、いいなぁ〜〜。(笑)
 

 
2月14日(月)
木甲板、張り付け作業準備。  川原さんから、バレンタイン・チョコ(はあと)を戴きました。川原さん、ありがとう〜〜。
 昨夜は、うらんちゃんと川原さんの”夢の共演”のような楽しいチャットを体験することができました。いやぁ〜、面白かったァ〜。しかし、チャットをしながら、木甲板の細木張り付け作業を進めるというのは、至難の業なんですよ。ですから、ついつい作業の進捗状況は遅れがちになってます。でも、ここまで舷側付近が張り付けられると、後は力任せに15センチに切断した細木を張り付けてやれば良いだけですから、作業スピードは一気に上がります。ぼちぼち気合いを入れて、がんばろう。
 

 
2月13日(日)
 コツコツと細木を1本1本張り付けております。舷側付近は細かく加工しながらやっていかないといけませんので、時間をかける割りには面積的には進みません。焦らずに、コツコツやっていくしかありません。「湯どうふ」を食べながらビールを飲もうと思っていたんですが、ビールばかりを飲んで、朝のゴミ出しにせかされる不思議な1日でした。
 

 
2月12日(土)
木甲板、張り付け作業準備。  上質紙の下張り作業が完了し、いよいよ木甲板張り付け作業の再開です。木甲板と、航空甲板のリノリウム甲板との境目に細木をまっすぐに張り付けます。次に左舷側より、側壁上端のアタリを細木で張り付けていきます。左舷側の端から細木を張り付けていきましょう。また、コツコツとした単調な作業の始まりです。
 中央構造物のすぐ後ろに、第3主砲塔が設置されております。第3主砲塔のバーベットのアタリを取るためには、バーベットを作らなければなりません。単調な細木張り付け作業と並行して、第3,第4主砲のバーベットを作ってしまいましょう。
 

 
2月11日(金)
 今日は、建国記念日で国民の祝日と称して休日です。世間ではまたまた3連休になるらしい。イケイケのヒラケンさんは超御多忙でお仕事続行中らしい。昼間に間違い電話をヒラケンさんにかけて、お久しぶりにお話できました。仕事に追われて情緒不安定になりそうなヒラケンさんにワンポイント・アドバイス。自分を失いそうになった時は、安モンのモデルガン(1500円位)の銃口に”爆竹”を突っ込んで爆発させなさい。硝煙の臭いと、グリップを握りしめた手から伝わる衝撃が心を和ませてくれますよ。(笑) 暴発が怖い時は、銃口に鉄パイプを装着するコトもお忘れなく。これだと、弾着を仕込んで電気発火させても大丈夫です。
 東急イン・ホテルの池田チーフさん達がインターネットのことで来社なされるというので、講師をお招きして朝から待機。ロイヤルホストでモーニングを食べ、エルギザでアメリカン・オムライスを食べる洋食な一日でした。
 

 
2月10日(木)
 側壁に上質紙下張り作業をしながらの穏やかな一日。穏やかなんですが、すごく寝不足です。寝る前にチョットこれして、チョットあれしてと思っていると結局眠れないまま朝を迎えてしまいます。テレビの『ゴットファーザー』日本語吹き替え版を観ながらうたた寝してたくらいです。これって、20数年前に日本テレビで最初に放映した日本語版のやつですよね。アル・パチーノも若いけど、吹き替えしてる野沢那智さんのお声も若くて渋い。よく聞いてた深夜ラジオの「ナッチャコ・パック」懐かしく思い出してしまいました。最終回の放送分とかもテープに録っておいたハズなんだけど・・・どこにあるのか・・・検討もつきません。(笑)
 

 
2月9日(水)
 今日は、休建日。少し前からオムライスが食べたくてしかたなくなっていました。小学校の頃から、高松(田舎の香川町からみれば、大都会)に連れて行ってもらっては『一繁』というレストランで、オムライスばかり食べてました。私の記憶の中では、オムライスは”洋食の王様”なんです。それが最近、喫茶店なんかのメニューには無いんですよ。国分寺の『シカ』に行けばあるだろうと思っていたんですが・・・やっぱりない。何でこんな定番メニューがないんだろう??と思いつつ、「オムスパ」を食べました。オムスパは、旨いっ!!(笑)
 4年前の夏に思い出を作った場所を再訪してみる。時間の流れと共にいろいろ変わったなぁ〜と、感慨深い。人の生き方も水の流れと同じで、留まれば澱むものなのか。流れのままに身をまかせる自分を肯定してみたりして。(笑) ただ、ゆっくりとした時間の流れを感じる瞬間も必要かと思いました。
 

 
2月8日(火)
 左舷側・側壁の2.5ミリ・ベニア貼り付け作業が終了しましたので、上質紙の下張り作業に入ってます。側壁自体の下張りは簡単なのですが、やっぱりクレーン収納部分の入り組んだ下張り作業は、細かいアール部分や薄い側壁部分があって難作業です。楽しみながら、丁寧に仕上げましょう。
 田中氏より、『知覧特攻平和会館』に関する画像のFDと感想文が届きましたので、新・コーナー「歴史の涙」掲載に先立ちその一部をご紹介させていただきます。
 
◆3式戦闘機「飛燕」◆ この飛燕は、日本陸軍の名機とうたわれた3式戦闘機(2型改)で全長8.94メートル、最大時速590キロメートル、20.0ミリ機関砲2門、12.7ミリ機関銃2挺を装備した当時日本唯一の液冷式の新鋭機でした。昭和20年5月11日知覧基地から第55振武隊長黒木国雄少尉(宮崎県出身)ら第55、66、165、110振武隊は、飛び立ち散華しています。この機は、日本航空協会(東京)が所有するもので、現在日本にただ1機現存する貴重なものです。日本航空協会のご配慮によって特攻隊の鎮魂の象徴としてここに展示保存してあります。 知覧。
その土地の名を冠した有名なものは、お茶だけではなかったはず。
薩摩の地に出張で赴いたその日、僅かばかりの空き時間ができた。
「特攻隊の記念館へ行ってみないか」
同僚の言葉に、はっと思い当たる。
そうだ、特攻隊の基地、知覧。
『知覧基地を飛び立つ零戦』という脚注。
◆四式戦闘機「疾風」◆ フィリピンに侵攻した米軍が接収、後、アメリカの私設博物館に払い下げられ、それを日本の愛好家が購入。栃木県宇都宮から嵐山美術館を経て、ここに展示される。 桜の小枝を振って旅立ちを見送る女学生の姿。
どこかで見た、それらモノクロの写真のイメージが思い出されてくる。
セピア色の印象からか、ぼんやりと霞む昔の印象がある。
しかし、だからといって白黒の時代を過ごしてきたのではない。
そこには総天然色で実物大の時代と人が、確かに在ったのだ。

ホールの正面に架けられた大きな絵画。
火を噴き、墜落していく戦闘機から、天女達に抱かれながら昇天していく操縦士の姿だ。
英霊か…。この言葉が口を衝く。
天に召されていく、いや、そうであって欲しいと願う気持ちの極みか。

本来の順路は、その奥の大きな展示ホールへと続くのだが、外の明るいテラスにある実物と思しき零戦に気を取られ、そちらに向かう。

練習飛行中に海中に墜落した機体を引き揚げたものだ。
胴体の後部は、腐食してなくなっているので、操縦席のすぐ後ろから覗き込むことができる。
この不思議なある種の快感を、どう説明すれば良いのだろうか。
それは人を殺めるための武器、兵器でありながら、優れた機械が持つ機能美がある。
退職された社船の機関士が言っていた。『出来の良い機械は美しいものだ。』
その狭い座席に身を埋め、操縦かんの手応えを想像してみる。
そして照準の中に敵機の後ろ姿を見据えてみる。
その原始的な猛々しさの欠片が、自分にも内在することを認めざるを得ない。

引き続き、順路を逆に回り、生き残った隊員達が、自分達の生きた時代の象徴として、戦闘機の5/8サイズの模型が奉納されている。
千羽鶴や子供たちの感想文が明るい展示室に並べられている。

そして、本来の展示物があるホールへと戻ってきた。
当時の戦況、基地の模型、訓練の内容といった一般的基礎知識は、入り口のパソコンで知ることができる。
壁面を取り囲むのは、兵士達の遺影、遺品そして遺言だ。
懐紙に毛筆で書かれたもの、あるいは粗末な用紙に鉛筆で書きつけられたもの。
生々しく訴えかけてくることは、それらを書いた人たちは、もう生きていないということだ。
それも天寿を全うしたのではなく、死ぬべくして死んでいったのだ。
数通を読んだものの、もう先は読めなくなってしまった。
とてもそれらに対峙していられなくなったからだ。

人は生きることに何らかの目的を求める。
あるいは目的を模索しながら生きているのかもしれない。
時代がそれをさせなかった時、人は死ぬことにすら目的を求めるのか。
曰く、大君のために。曰く、御國のために。
特攻隊に選ばれし名誉、そして家の名に恥じぬ散りざま。
本当なのですか。本当にそう考えて逝ったのですか。
確信であれ、盲信であれ、死ぬための目標を信じていた人は、生きる目標がない人々よりも幸せかもしれない。
彼らは私たちの、たかだか二世代前の同胞なのに。

いろいろな考えが頭を巡る。そしてぼんやりと外に出てきた。
「こんにちは、いかがでした」
記念写真を撮るカメラマンのおじさんが声をかけてくる。
用はないものと通り過ぎようとする私たちに、
「どうです、ここには戦争があるでしょう」
この一言に足を止めた。
そうだ、この中だけではない。 戦争は今も現にあるし、自分の周りでもこの先、起こらないなどと誰がいえよう。

おじさんは、毎月訪れて戦友の死を弔う人の話しを始めた。
「私も長いことここで商売してますがね、名古屋から毎月みえるんですよ、その方はね。
「何かの理由でその人の飛行機は飛ばなかったんです。
「そして飛び立った仲間はただの1人も戻ってこなかった。
「その人はね、仲間にすまないと言うんですよ。
「心にどう思うかはありますがね、ずっと昔から毎月やってくるんですよ。
「そうそうできることじゃありません。

先達は死んでいった。彼らの肉体を救うすべなどない。
しかし彼らの魂を救うことはできる。
過ちを繰り返さないことで、彼らの魂を尊いものに昇華させることができる。

もう一つの言葉を胸に刻んだ。

我々の成すべき事の如何に多く、そして残された時間の如何に少ないことか
「聞け、わだつみのこえ」より
 
                   2000年2月5日 田中 孝幸氏の「手記」より・全文掲載
 

 
2月7日(月)
航空甲板付近・左舷側、2.5ミリ・ベニア貼り付け作業・完了。  航空甲板付近・左舷側の側壁工事も順調に進んでおります。2.5ミリ・ベニアを貼り付けての側壁工事はすっかり慣れてしまい、あれよあれよと言う間にどんどん出来上がって行きます。ただ、クレーン支柱接合部分と格納部分が、最初は木甲板の高さまで掘り下げられていると勘違いしてましたので、底上げをしてやらないといけませんでした。アールを付けて角材をくり抜くと云う手間の掛かることをしていたのですが、アールを付けた角材で埋め戻す二度手間になってしまいました。
 それでも、支柱格納部分は2.5ミリ・ベニアを貼り付けてペーパーで磨き上げてやると、なんとも素晴らしい形状に仕上がりました。基礎工事はこれにて完了。いよいよ仕上げの行程に入ります。
 

 
2月6日(日)
航空甲板付近・右舷側、2.5ミリ・ベニア貼り付け作業・完了。  右舷側・側壁の2.5ミリ・ベニア貼り付け作業が航空甲板周りも含めて完了しました。上に出っ張っている航空甲板の下に隠れてしまう側壁もあり、ちょっと作業のしづらい箇所もありますが、丁寧に仕上げましょう。隙間の出来ないようにペーパーがけで1本モノの木彫々刻の様なできばえを目指して下さい。特に、”角度”については、甲板と直角に成るように細心の注意を払って下さい。
航空甲板付近・右舷側、上質紙下張り作業・完了。  2.5ミリ・ベニアを貼り終わったら、木屑や木粉を丁寧に取り除いて、上質紙で下張りをしてやります。継ぎ目は重ね貼りでも大丈夫ですので、一度に広い面積を貼り付けようとせず、少しずつ確実に隙間無く押さえていって下さい。航空甲板の出っ張り部分など、数カ所アールの付いた所も2.5ミリ・ペニアの厚みを考慮しながらキチンと下張りをしてしまいましょう。
 これで、右舷側の作業は完了しました。この勢いで左舷側の作業もやってしまいましょう。ただ、だんだんと船体が重くなってますので、建艦ドックの室内でグルッと回転させて反対側を向けるのがやりにくく成ってきてます。(笑) そろそろ両舷から同時に作業の出来る体制にしないといけませんねぇ。
 

 
2月5日(土)
航空甲板付近・右舷側、側壁基礎工事。  航空甲板の土台基礎の上に、2.5ミリ・ペニアを切り抜いて作ってあった天板を打ち付けました。去年の何ヶ月前なんだろうか??天板を切り抜いてあったのは。かなりの時間が経ってしまいましたが、ようやくこのパーツも落ち着く所に落ち着いた感があります。
 さっそく側壁に2.5ミリ・ベニアを少し大きめに切ったのをG17で圧着した後打ち付け、微妙な角度をペーパーで成形しながら削り落とします。まずは、右舷側からです。この作業自体は、中央部・木甲板付近でさんざんやってますから手慣れた作業工程でしょう。またまた、建艦ドックは、木くずとペーパーがけの研磨木粉が舞い散る、非常に悪環境に成ってしまいました。しかし、この側壁の2.5ミリ・ベニアをキッチリと合うように成形してないと、後々厚白ボール紙で仕上げる時に綺麗に貼り付けられませんから、丁寧にちゃんと作業を進めましょう。
 

 
2月4日(金)
航空甲板土台基礎工事終了。  航空甲板土台基礎工事がやっと終了致しました。微妙な形状と不可解な点が多いのとで細々と続けておりましたこの作業も、山野内さんから戴いた図面のお陰で一挙にはかどりました。
 これで大まかな形としての作業は一段落したことになります。形があるようでないものを作り上げる資料検証がこれほど大変だとは思いませんでした。土台が完成するということは、これからの作業行程の設計図が頭の中で出来上がっているということですので、これからの作業はスパートがかかることでしょう。
 このペースで行けば、3月末までには艦尾部分までの木甲板張り付け作業終了という目標達成も夢ではありません。遅々とした建艦作業ではありますが、暖かい目で見守って下さいね。
 

 
2月3日(木)
航空甲板土台基礎、修正作業。  山野内さんから戴いたメールの資料をみていると、今までに作っていた航空甲板土台基礎の中で、一部間違っている箇所が判明しました。航空甲板の左舷側に少しアールを帯びて出っ張ってる部分があるんですが、その下も作業室が全部あると思っていました。しかし、図面をよく見てみると右舷側と同じく、航空甲板だけが拡張されたもので、支柱によって支えられていると判明しました。
 さっそく出っ張って基礎を作っていた部分を削り取り、新たに修正をして加工処理しました。土台基礎作業という、早い時期に間違いが判明して良かったです。航空甲板部分を打ち付けていたら、えらい複雑な修理作業になるところでした。
 深夜、うらんチャットで漂うクラゲさん達と遊んでいると、うらんちゃん御本人が登場〜〜。クラゲさんのビリビリに緊張しまくった雰囲気は、文体を変えてしまう程で、ネットを通じてもビシビシ感じられて、面白かった〜。(笑) クラゲさんは、うらんちゃんに”惚れた”そうです。ウイスキーをラッパ飲みしても緊張がほぐれず、感動のあまり眠ることもできず、”人生の出会い”だったみたいですね。おめでとう〜。(笑)
 

 
2月2日(水)
戦艦「榛名」クレーン付近・図面。  「模型海と空」山野内さんより、またまた詳しい資料を二段構えのメールにて戴きました。今回はクレーン本体につきましての詳細なデーターとイラストで、この感謝に対する御礼の言葉もありません。以外となかなか無いもんなんですよね、こういうクレーンだけの資料なんて。
 右の図面は、航空甲板に装備されている起倒式クレーンの装着状況が非常によく判る上面図と側面図です。掲載しました図面はかなり縮小してますが、送られてきました原図では、その作りと仕組みが手に取る様に理解できます。一番判らなくて、さしあたっての建艦作業に支障をきたしていたのが、クレーン支柱基部横の左舷側の細長いスペースをどう処理するかでしたが、この図面のお陰で、リノリウム甲板で処理して良いと判断できました。ありがたかったぁ。(笑)
クレーン収納の仕組み。クレーン全体図。  右図・左側は、クレーン全体図の図面です。『部分図をみると、(クレーン本体は)丸鋼とワイアーの組み合わせです。ワイアーが絡まりそうな部分は丸鋼にしてありますネ』また、『クレーンは今ではアームの昇降は油圧式ですが、その他はまだワイアーが使われています。超大型クレーンは今でもワイアー式かも知れません。建設業、荷役業に携わる方が模型のクレーンを見れば「このワイアーの張り方では物は上がらんでー」なんて事はままあると思います。何しろ1箇所間違っていても作業は出来ませんから。知り合い方にお聞きになると、その過程でまた新たな何かの”繋がり”が生まれてくると思います。』とのことです。
 右上図・右側は、クレーン収納の仕組みを理論的に説明して戴いております。『Aが受動ギアでM1,M2が駆動ギアです。M2の場合が「学研」の作例のタイプで上部がカットされています。運用を考慮すると適当かなと思います。長門はM1タイプみたいです。従ってギアも半円が甲板上から見えます。Bは回転ローラですが、2個並列に取り付けてあると考えています。又、ワイアー止めの金具が丸鋼なりで取り付けてあると思います。これはCの部分にもあると思います。ただローラはシングルでしょう。Dは図面や作例には無いのですが、フックを止める金具が必要に思えるのですが…。図4の収容ベッドよりハミ出てしまいますので後端には掛けられないですよネ。』との完全理論に裏打ちされたありがたいコメントを戴いております。
アームベッド・イラスト。  右のイラストは、クレーンを倒してアームの先端部分を収納する時のものです。『図4はアームベッドですがアーム自体はトラス構造なので重量そのものはそんなに掛からないでしょう。パネルの両側や前面に3角片がありますが、これらに軽目穴を開けてやる、反対にパネルにはダンプの荷台のパネルをイメージして補強フレームを入れたらイイナという感じです。大型模型は仕組みも知ってないと対応できない部分もありますが、反面「でっち上げ」も必要ですよネ。難しさと面白さがありますネ。』との、実際に長く製作されてこられたからこそ思いつき感じられるアドバイスまで戴きました。経験から生まれた”言葉”の重みですね。要を得て端的な視点とアドバイス、痛み入ります。
付録・他の艦船のクレーン。  右の図は、【付録】として他の艦船のクレーンをご紹介ならびに説明して戴きました。『図5は付録ですが、長門の例です。この図の方がもっともらしいです。先端のローラもダブルになっています。ただクレーントップの荷上げ用のワイアーの動きがオリジナルのは分かりませんでした。検証願います。図6は重巡の例です。重巡は全体が外に出ていて、折りたたむ構造にはなっていないので力量的に合理的です。ローラもシングルが2つタンデムに並んで付いています。ワイアーやギアへの負担は半分になりますネ。下の図は戦艦なら甲板下で見えない、クレーン旋回やワイアーによって荷役の揚げ降ろし、アームの揚げ降ろしの構造が分かりますのでのせました。「ウンチク」を披露する時の演題になります(^^)』とのコメントを戴いております。こういう資料も非常にありがたいです。備品やワイヤーの繋ぎ方などは資料のハッキリとしたモノを参考にした方がいいでしょう。1/72スケールともなれば、クレーンも結構大きくなります。ワイヤーの繋ぎ方の理論性だけはきちんとやりたいものです。
 原図は大きいのですが、掲載に関しましては縮小させていただいております。また、山野内さんのご説明が有益で面白かったので、全文『 』で引用させていただきました。山野内さん、本当にありがとうございました。助かります。非常に助かりました。心強いです。ありがとうございました。
 と、山野内さんに感謝しつつも、建艦作業にすぐ取り掛かることができず、本日は”或る祝いの宴”があり熱燗と湯豆腐を堪能させていただきました。貴重な資料を戴いた安心感からか、本当に美味しく楽しいお酒を戴き満喫した時間を過ごすことができました。
 

 
2月1日(火)
『知覧特攻平和会館』の「零戦」。  鹿児島にご出張をなされていた田中氏より、『知覧特攻平和会館』に立ち寄られたとの画像付きメールを戴きました。
 知覧特攻平和会館は、太平洋戦争末期、沖縄決戦に人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与しています。
  『そまつな紙に鉛筆で書かれた遺書はあまりにも生々しく
   私には読みすすむことが出来ませんでした
   機会あれば、是非行ってみて下さい 』・・との田中氏のご感想です。
 知覧は、昭和17年、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官さん達が操縦訓練を重ねていましたが、戦況が緊迫し、険悪となり、遂に昭和20年本土最南端の特攻基地となり、「若き勇士が雲流るゝ果て、遙か逝いて帰らざる」壮途につかれた思いで深い地です。
 沖縄特攻で散華された1,036柱の隊員は、知覧基地を主軸とする万世・都城基地及び第8飛行師団は台湾各基地、義烈空挺隊は健軍基地から出撃しています。
 館内の貴重な画像を後日FDで郵送して戴けるそうですので、建艦日記の新・コーナー「歴史の涙」でご紹介させて戴こうと思っております。特攻兵器として肉弾をもって散華されました多くの若い御霊に心より感謝させて戴きますとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。     合掌
 

 
    
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