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そこには荻野綾子の存在が関係している。荻野は第1回、第2回の深尾の渡欧に同行しており、この時の深尾の回想が『素顔の巨匠たち』(音楽之友社刊)に載っている。
『1930年に私はまたパリにゆきました。前の時も友人の声楽家の荻野綾子さんと一緒でしたが、今度もそうでした。そして、またドラゴン先生につこうとしたところ、荻野さんは、理屈屋なもんで、せっかく習うなら、あんな先生についても意味がないというんですよ。私はそれに反論して、とても好きな先生だし、喜んで勉強しているんだといったんですが、彼女は「モイーズをみてごらんなさい、あれが本当のフルートで、ドラゴンのフルートは、きれいごとだけなのよ」といってきかないんです。だけど、モイーズは、はるか遠い存在なので、私がついて勉強できるとは思っていなかった。』
どうも最初、モイーズに惚れ込んだのは荻野綾子の方だったようだ。
ちなみにドラゴン女史は1917年エネバンの代理でパリ音楽院のクラスを受け持っていたラフルーランスのクラスを卒業している。
『ところが不思議なことに、それが実現したんですよ。そのころ荻野さんが向こうで録音をしましてね、日本の歌かなんかの吹込みをしたんです。そのときに、室内楽のような形の伴奏のなかに、やはりモイーズが入っていたんですね。それで荻野さんがモイーズに勝手に相談してしまったんです。モイーズは、いまはそういうアマチュアには教えないが、遠い日本からきてフルートを習っているような人なら、まあよこしてごらんといってくれたんです。』
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