ジャン=マイケル・ビンセント

文:Matt's dog

1944年7月15日、空軍パイロット(中尉)だった父ロイド・ビンセントの任地であるコロラド州デンバーで産声を上げる。

その後、一家は郷里であるカリフォルニア州ハンフォードの農場に移る。
弟クリス、妹ジャキーの三人兄弟の長男として、ここで13歳の時まで「なんてこともない普通の少年時代」を過ごす。
後に「弾丸を噛め」などの西部劇でみせる乗馬の腕前は6歳の頃からこの農場時代で培ってきたものである。

高校時代には水泳部員として活躍する一方でサーフィンにも熱中、その腕前はご存知「ビッグウェンズデー」で観ることができる。見事なハングファイブやウォーキングなどロングボード特有の妙技を披露する姿は、‘遊びは芸の肥やし’とでもいいたげである。

やがてベンチュラ・シティ・カレッジに進学、芸術を専攻。
「超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ」や「ザ・ファイナルゲーム/盗まれた48時間」で世界的な名画に精通する役どころはハマり役といえよう。
大学時代は友人と1年間の大陸漫遊を試みるなど大いにエンジョイ。

卒業後、メキシコに住んでいる時に陸軍に召集され2年間の兵役義務に就く。
「爆走トラック‘76」の冒頭で見られるC・
J・ハマーの兵役時代の写真は、JMV本人が陸軍に入隊していたこの頃の写真ではなかろうか(Matt's dog 推測)。




除隊後ロサンゼルスにおもむき、友人が俳優エージェントのディック・クレイトンに紹介したことから、思いがけぬ俳優業に挑戦することに。(1949年生まれとしていた初期のプロフィール資料では、大学時代にエージェントを紹介されてそのまま芸能界入りしたことになっていた。5歳も年齢を偽るとはさすが童顔!)

初めはTVのCM出演を希望したJMVだったが、俳優としての才能をもつ彼のこと、6ヶ月後には「名犬ラッシー」や「ボナンザ」等の名番組に出演するようになる。
ハンナバーバラの日曜モーニングシリーズ「バナナ・スピリッツ・アドベン
チャー・アワー」にレギュラー出演。

ユニバーサルスタジオでロバート・コンラッドに会ったとき彼の目にとまり、当時彼が制作していたTVムービー「ロス・バンディドス」でプロの俳優としてデビューする。

当初は専属としてユニバーサルと契約していたがフリーになり、「テキサスの七人」(68年)で劇場映画デビューも果たす。当時ワーナー社が売り出し中だったJ・カーンを主演に据え、全くの無名だったハリソンフォードやマイケルサラザンそしてJMVなどを集めたこのB級西部劇は、後に多くのスターを輩出したという意味で「アウトサイダー」みたいな位置付けができるであろう。
続く「大いなる男たち」(69年)では映画デビューわずか2作目にしてあのジョンウェインと共演!この頃はまだクレジットがMichael Vincentであった(Jan無し)。

私生活でも69年からボニ−という女性と同棲生活を始め、のちに娘アンバーができる。70年代の映画雑誌のインタビューでは子煩悩な父としてのJMVを垣間見ることもできる。

70年代に入ると、エミー賞受賞作品となったABC−TVの今週の映画「トライブス(ソルジャーパワー/ある兵士の祈り)」でヒッピーの海兵隊役を演じ注目される。そしてファーストネームJanもついて、晴れてJMVとなるのだ。
続く「Going Home」(71年)ではR・
ミッチャムと共演。この作品でゴールデングローブ賞にノミネートされる。
「メカニック」(72年)では主演のC・ブロンソンを喰うほどの魅力で一躍アクションスターとしての才能を開花させた。

この頃は日本未公開ながら本国では「サンドキャッスル」(72年)や 「バスター&ビリー」(73年)での演技が好評を博す。ドイツでも圧倒的な人気を得て、73年はゴールデンオットー賞、翌年もシルバーオットー賞を受賞している。また米プレイボーイ誌において74年からブラッドピットもびっくりの3年連続セックスアピールY1に選ばれる。

一方「爆走トラック76」では大型ディーゼルカーの運転に際し3週間の特訓を受けるが、自身が無類の運転好きクルマ好きであることは、後の「クライムヒート」にプロデューサーとしても名前を連ねていることでもわかる。「世界が燃えつきる日」(77年)でカワサキのオフロードバイクをカッ飛ばし、「グレートスタントマン」(78年)ではトランザムを駆って激走する勇姿は、いつか交通事故でイタい目にあうであろう予感をさせる。

して「ビッグウエンズデー」(78年)の主人公マットジョンソンを演じたことで、彼の名は永遠のものとなった。80年代に入るとTVでの活動が増える。
エミー賞を
受賞したABC−TVの18時間大作ドラマ「戦争の嵐」(83年)でバイロンヘンリー役を好演。

日本でもS社のウイスキーやT社のクルマのCM等に起用されお茶の間での人気も獲得する。
ちょうどその頃本国で放映されたTVシリーズが2年後の8
6年から日本でも「超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ」というタイトルでTV放送され空前の大ヒットとなる。その孤独でクールな主人公のキャラクターが本人の性格と相まって、JMVといえばストリングフェロー・ホークという決定的なイメージとなる。