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性とジェンダ/Feminismと演劇

実はこのHPでこのテーマに深く言及することは全く意図していなかった。 しかし専門領域と全くかけ離れているわけではない。フェミニズムはもち ろん演劇の分野でも批評のメソッドとして大きな位置を占めている。沖縄 の芸能に関しては辻と芝居の相関関係は大きい。それは一つのテーマとして 据えている。

だが、上記のテーマに関心が行かざるをえないのは、沖縄の政治・文化状況 を見渡したとき、小さな魚の骨が喉に突き刺さったまま、常に意識野に潜入 してくる状況がある。そのきっかけは私が参加しているOBKというメイルチェーンである。沖縄文化協会の頭文字がOBKである。

ただ、OBKではネット上のエチケットが問題になった。また、作品(表現)と個人のプライベートな関係性のありようが、焦点になった。作品と個人のモラルの問題は、微妙で必ずしも常識的なモラルを是としないゆえに、直接個人を追及する事の是非を問われたとき、保留せざるをえなかった。

OBKの会員の中には、意図的にウイルスメイルを送りつけてくる方がいたりした。それは逆にこの微妙な領域への関心を深めることになった。

演劇の分野でフェミニズムというと、古代ギリシャ時代の「女の平和」やシェイクスピア作品の中の知的な女主人公たちが頭に浮かぶ。そして近代演劇の代表としてのイプセンの「人形の家」は女性の権利と自由を考えるとき、先駆的な作品として登場する。最も、個人が他者の自我を尊重し、かつ個の自我を尊重してもらうことが可能か?という自由の志向の問でもある。

完全なる自由、平等がありえるのか?特に性やジェンダのレベルにおいて、、。

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しかし、生き方の問題として自分で創作したい、と思ったりする。例えば、女性問題を政治的に志向している方々に簡単に組し得ないと思うのは、観念の混沌とした渦を意識するからである。美しい理念が無意識の中では逆転したり、より悲惨であったり、暴君になったりする、、、、。それらと向き合わねばならないのである。

<追記>上里和美作『カフェ・ライカム』に見る戦争、女、記憶をテーマに 作品論を発表し、論稿をまとめることになり、彼女の作品を読み解くためにセクシャアリティ・ジェンダーに関する本を何冊か買い、しばらく読みまくった。ネットではレイプに関する論文やその他グローバル・ジェンダー・ポりティクス、戦争論とフーコーなどの論に行き着いた。ポストフェミニズムやナショナリズムなど、、。奥は深い。そこで運動としての女たちのネットワークが大きな威力をもつのだということ、を今は素直に認めたいと思う。また女・ジェンダーの視点があらゆるところで意識的に捉え返されている現代の大きな波を感じる。

多くの女性たちの意識的な運動があり、女性の自由と平等をもとめる権利が確立されていった歴史的な経緯を尊重したい。その上でかつ個の力を信じたいし、セクシャアリティ・ジェンダーの問題がきわめて日常的なレベルにあることに思い至る。

バージニアウルフの先駆性!よ。女性には祖国はない、世界が祖国だ!(引用は曖昧)

今後このコーナーではフェミニズムと文学・演劇関連の事項と実際の性とジェンダの問題を別個に取り上げるつもりでいる。

その意図がどう崩れていくのか、今は未知数! ご意見などメイル、BBS へヨロシク!

アカハラ・パワハラ、その他の不公平な現在の差別システム などのサイトは夏休みになって少し余裕ができてUPしたい。 また大学内の問題でこの間経験した事柄などもまとめてみたい。 時代の陥穽がテーマだ。 <2004年春記>
Who are the extremists? ジェンダー素描 Feminism ProjectG あらゆるマイノリティーへの視座と教育現場のセクハラに詳しい! ●遊郭の研究ー近世遊郭の成立とその文化史(田中優子氏他)
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