涙 -4/05/03

≪ 今日の独り言は「ふりむくな鶴吉」の撮影を毎週NHK見学コースから見ていた時のエピソードからです。詳細については「ふりむくな鶴吉」24〜36話の25話「珊瑚玉の女」をどうぞ ≫

目をつぶると、目に涙をためた沖さんの顔が、私を見上げている時がある。あの日、沖さんはどんな気持ちで、いつも一人でNHK見学センターの窓からみつめているおかしな女の子の顔をみつめたのだろう。誰でもいいから、辛い気持ちを訴えたかったのか。たまたま、スタジオで一人になり、悲しい気分になった時に誰かの視線を感じたのか。
そして、私はきちんと笑顔を返してあげられただろうかと回想する。いつものことだ。
同じことを何万回考えただろう。沖さんはずるい。ただでさえ大好きな人に、涙のたまった目でみつめられたら、一生忘れられなくなるではないか。

沖さんが亡くなった後で放映となった「かけおち’83」のラストで、大竹しのぶさん演じるセツ子が、沖さん演じる萩原への想いを独白するシーンがある。萩原はセツ子が見合いの日身につけていた物について、「あなたが高校3年の春、卒業式の時につけていらしたものですね」などと言い出すのだが、その時を回想して独白する。
「そんなこといわれたら、誰だって胸かきむしられちゃうよ。誰だって好きになっちゃうよ!」
正にその台詞を言いたいと思う。どんどん好きにさせておいて、勝手に一人で旅立ってしまった。

死者は永遠に胸に刻み付けられ、残された者に悔恨の思いが残れば残るほど、忘れることの出来ない存在となる。どんな死であろうとも、それが愛する者の死であれば、悔いは残るものだ。そして、地上で上を見上げて地団駄を踏み続け、今日も両手を合わせて手のひらを差し出すのだ。あの涙を一粒もこぼさないで受け止めようとして。


不安定な時期 -3/21/03

浪人時代は、家庭の北極時代でもあった。父親の単身赴任で訪れたいっときの春が去り、その父の帰国と退職で、あっという間に我が家は没落してしまった。北風が吹く3LDKと財布の中身。志望校を短大に変更して授業料が安い短大に入学したものの、父親は預金を持ってトンズラし、二年に進むためのお金は残っていなかった。アルバイトだ!そう決めはしたものの、短大は意外にも授業がみっちり入っており、代返も許されない環境だった。何とかピアノ弾きのアルバイトを始めてはみたものの、当初の約束とは違って、お客についてお酒の相手もしなくてはならなかったので、すぐにやめてしまった。だいたい、ピアノ弾きを選ぶあたりに、まだ貧乏の実感がなかったとしかいいようがない。皿洗いでも何でもやれば良かったのだ。

夏休みに経験した水泳のコーチのアルバイトで、私は子供が水の中で見せる笑顔に魅了されてしまい、水泳のコーチを本職にすることにした。短大は一年の後期で中退したが、勉強は元々好きではなかったので、未練はなかった。自己の怠慢ではなく親のせいだから、という言い訳も自分を甘えさせていた。

だが、就職したスイミング・スクールは社長のワンマン経営で、月謝が入ると社長はそのお金を丸々財布にしまいこみ、社員を飲みに連れ歩く日々だった。そして、ふと気がつくと、水泳という体育系の仕事でありながら、正社員のコーチは女性ばかりだった。反対にアルバイトの大学生は男性ばかり。私は女子校で育った上に兄弟もいなければ父親もいない家庭。担任の先生も男性は一度だけという環境だったので、男性と普通に話すことがとても困難であることを、この時はじめて知った。何という自己認識の甘さ。普通の男性にこれでは、沖さんに声がかけられなくても当然だった。

そんな中で私は何故かどんどん男性化して行った。スカートは決してはかず、大股でのしのしと歩く。モデルはその頃ビューティー・ペアを解散して、一人でリングに立っていたジャッキー佐藤さんだ。男らしい服装と髪型で、バイクを飛ばして走り回るようになっていた私は、女性にはモテても男性にはさっぱりだった。当たり前だ。女子プロの試合を観戦した時は、トイレで「もう試合は終ったんですか?」と声をかけられる有り様だったのだ。

当然、沖さんに会いに行く気力は失せていた。自分の中の「女」が、この姿で沖さんに会いに行かれる訳はないと拒否していた。どうしても沖さんの匂いだけでも嗅ぎたくて、時々事務所には顔を出してみたのだが、その頃は「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」が放映中だったためか、明らかに今までより上の年齢層のファンが押し寄せていることが多かった。彼女たちはかなり強引で、私はいつも「TVガイドに投票することが沖さんを本当に喜ばせること」「私は今度着物をプレゼントしようと思うんだけど、あなたは手ぶら?」と、叱られてばかりいた。今振り返れば理不尽な非難だとわかるのだが、当時の私は自分を責めていた。そうだ、私は駄目なファンだ、私は駄目な奴だ、もうどうしようもない・・・。こんなところから落ち込みモードになるのは馬鹿らしい、と跳ね返す精神力が当時の私にはなくなっていた。何事にも自信がなくなり、もう人生を終りにしてしまいたい、と再び考えるようになっていた。

沖さんが亡くなる少し前に業者(もちろん非合法)を通じて契約していたという「愛人」は、沖さんが『画用紙に絵が出来る直前に絵具が落ちて汚れたとするでしょう。ぼくはその場合、直すより新しい画用紙を求める。汚点が少しでもあるのはイヤなんだ』とつぶやいたことを告白しているが、私にはその気持ちが痛いほどわかった。だが、今の私は沖さんにこう言いたい。

「どんなに汚れていても、その絵を眺めていたかったのです。それはどんな名匠の絵よりも私の心を満たしてくれる。それは、沖さんの描いた絵だから」


坂口良子さんとの対談 -3/8/03

20〜21歳の沖さんは、大人の俳優への脱皮を図っていたものの、まだアイドルとして雑誌などに登場していた。ドラマも「光る海」や「必殺仕置人」など大人のドラマに挑戦していたが、「Go!Goスカイヤー!!」は子供向けだった。この「良子のなんでも聞いちゃお!」という対談は、「セブンティーン」に連載されていた対談企画で、坂口良子さんと「Go!Goスカイヤー!!」で共演する少し前のものだ。坂口さんとは以前彼女が主演の「アイちゃんが行く!」のゲストで共演していた。その後、「細腕一代記」でも相手役、亡くなった日に死ぬシーンが放映されて話題になった「大奥」でも相手役と、何かと共演が多かった坂口さんで、沖さんが亡くなった時に恋人と言われたこともあった(坂口さんは「兄と妹のような仲」と否定)。

サブタイトルは「おとなの雰囲気を持ったクールな人」。

「沖さんは、ロケバスの中ではしゃいでいたかと思うと、きゅうにムッツリとむずかしい表情を浮かべたりしていたんです。だからどっちがほんとうの沖さんだかわからないの。ちょっぴりこわいけれど、そこのところを問いただしてみようかな」

そう、問いただしてくれ!私もそう思っていたんだと身を乗り出して読んだ。

良子「明るくふるまっているときと、ムッツリしているときと、どっちがおおいの?」
沖「どっちかなあ。場所や日によってちがうからね」
良子「むずかしいのね」
沖「べつにむずかしいわけじゃない。ぼくってずるいから、自分を人にわからせないようにしてるのさ」
良子「どうして?」
沖「ああ、あいつはこうだとわかっちゃうのは、役者としてマイナスだよ」

言い回しに多少の違いはあっても、この「目くらまし作戦」は他の対談でも繰り返しきかれた言葉だ。ただ、そこまで意識していたというよりは、単に感情の起伏が激しい性格で、それを隠そうとしての発言だったのかも知れない。それとも、のちに躁鬱病を患った沖さんには、もともと躁鬱の気があったのか。

★休日に何をしているか
沖「サーキット・トレーニングして、散歩して、部屋の掃除して、洗濯して、インスタント・ラーメンつくって食った」
良子「お掃除やお洗濯するなんて感心ね」
沖「なにしろ15歳のときから、ひとり暮らしですからね。うまいもんですよ」
良子「じゃ、朝もひとりで起きるの?」
沖「もちろん、目ざましがリンリンと鳴れば、オキマサヤ」


ダジャレ好きの沖さんらしい発言だが、ここでも沖さんは「ひとり暮らし」と発言している。日景氏と同居していることを発言するのはタブーだったのだ。

★女の子につめたい?
良子「沖さんて、女の子につめたいでしょ」
沖「よくわかるね。たしかにそうだね。だけど、ずーっと心の奥ではやさしい」
良子「そんなふうにいわれたって、女の子はやっぱり態度でしめしてもらわなくちゃ、わかんないわよ」
沖「それじゃ説明するけどね、ぼくがハンドルをにぎってて、となりに女の子がすわってる。ドライブしながらケンカになって、降りろよ、と女の子をつきとばして降ろしちゃう」
良子「残酷!」
沖「そのあと気になって、ユーターンして彼女をひろい家まで送っていく、というわけ、わかった?」

わかるわけないだろう。それは感情の起伏の激しさを自ら暴露しているだけではないか。中学に入ったばかりの私には、この発言はかなり衝撃的だった。

★妹の大学受験にふれて。
沖「たとえ彼女が合格してずっと東京にいることになっても、ぼくはほっとくね。あいつのほうから手助けしてほしいといってくれば、兄貴としてできるだけのことはするけれど」
良子「ほっといて心配じゃない?」
沖「心配したってしようがない。人間なんて結局はひとりなんだから」

親からほっとかれた沖さんは、こういう考え方をするのか、と当時は思った。今では沖さんのツッパリ発言ではないかと思ったりもするし、寂しがり屋な自分を隠そうとしての「意地」のようなものも見え隠れして読み取れる。

★出世作「さぼてんとマシュマロ」と新番組「必殺仕置人」に触れて。
良子「アクションもののほうがいい?」
沖「ああ、ぼくは芝居がへたくそだからね、はでなアクションでカバーしなくちゃ困るんだ」
良子「そんな・・・」
沖「そうなぐさめてくれなくてもいいよ。これはじゅうぶん自覚してることなんだから。"さぼてんとマシュマロ”のころのことを考えると赤面ものだね」
(中略)
沖「ぼくはあの時は必死だったもの。からだの負傷がなおりきらないうちに仕事に入ったり、せりふのひとつひとつも討論しながら考えたしね。監督やスタッフも応援してくれて、これがだめなら、ほんとうにおれはだめになっちゃうという気があったもの」
良子「自分にピッタリの役だったでしょ?」
沖「そんなことはない。あれはぼくでなくてもいいと思うよ。なんてカッコいいこといまはいってるけど、あれには精いっぱい自分をかけたし、ティーンにみとめてもらえたのだから、ぼくとしてはうれしい仕事だったね」
良子「自分の性格にピッタリの役と反対の役では、どっちがやりいいものなのかしら?」
沖「さあ・・人によるだろうけど、ぼくとしては性格に近い役のほうがやりいい。ほんとうに芝居のうまい人なら、正反対の役だからこそつくりだす楽しみを持つだろうけどね」

「性格に近い役」とはどんな役だろう。日景氏によれば「姿三四郎」の桧垣源之助が近かったそうだが、あれは性格というより、大事なところでつまずく運命が似ていたと言った方が良いかも知れない。それに、三四郎との決闘前と後では、桧垣はまるで別人だ。一体どちらが似ていたのだろう。とりあえず、乱暴者の弟(沖さんの二役)の方に似ていなくて良かった。

★俳優として
沖「俳優としてやっていくとしたら、最低守らなければいけないのは、時間厳守と他人へのあいさつ。どんなに不愉快なことがあっても“おはようございます”“おつかれさま”はにこやかにいうこと。芝居はやっているうちに、これが自分のものだというのが見つかるもんだよ」

沖さんは「礼儀正しい」と業界でも評判が良かったときく。集合時間には早めに到着し、先輩への気遣いも忘れなかったそうだから、この発言にはうなずける。沖さんの発言に常に右往左往していた私の青春だったが、悲しいかな、この「時間厳守」だけはとうとう今でも苦手である。



能弁な21歳 -3/1/03

沖さんが21歳の時、ある女性誌にインタビューが掲載された。「若き獅子・沖雅也」と題されたその記事を読んだ時、はじめてアイドルとしての優等生発言ではない、野心的な若者である沖さんを垣間見て驚いた記憶がある。

「男とはその一生を通じて一本の軌跡を描くことだと思います。そのためには借りをつくらないことです。借りが出来たら、どうしてもそのために不本意な妥協をせざるを得ません。ぼくは15歳で芸能界にデビューして以来、人に借りをつくらないように努力してきました」

若い時は誰でも夢のような野心を持つ。だが、「借りをつくらない」という信念を持つ若者は、現代の飽食日本では少ないのではないだろうか。親に甘えるのは当然であり、経済的に不安のない生活を「親に感謝してます」と公言する男性も多い。
自分で生活せざるを得ない生活を強いられた沖さんには、こんな現実的なルールを自分に課す必要があったのかも知れない。


「お世話になった人はたくさんいます。でも、お金で済むお礼はちゃんとしましたし、精神的なものには、こちらも誠で報いたつもりです。だから、いまのぼくは、誰にも借りがないと胸を張っていえます。ぼくなりの意志を貫き通して、この21年間を生きてきました」

ここまで言い切れる人はなかなかいない。インタビュアーも、「彼の第一印象はふてぶてしい。とっつきづらい」と書いている。だが、沖さんは更につっぱる。

「それでかまわないと思いますね。俳優にはふてぶてしさが必要なんです。へらへらする俳優には魅力がないですよ」

記事には彼のストイックな生活ぶりも書かれている。
「スケジュールがあくと、渋谷のひとり暮しの(管理人注:実際には日景氏と同居)マンションからトレーニング着を持って、千駄ヶ谷のスポーツセンターに出かけ、汗を流す」
「酒はほとんど飲まない。俳優にとって、おのれの肉体は財産であり、動けなくなった俳優はそれだけで存在理由を失うということを彼は固く信奉しているのである」

これは沖さんの死後に、自殺の理由としてよく挙げられた「死者は衰えないという思い」を思い出させる。ここまで自分を追いつめる理由があるだろうか。

「酒を飲みたい、女と遊びたい、という生身の人間の欲望をぎりぎりまで抑えて、トレーニングをつむことで、その欲求不満を演技にぶつけます」

生身の人間がすることを演じるのが俳優であるのに、沖さんの理論では、それを演じるためには生活の中にそれを取り込まず、エネルギーをため込んでおいてカメラの前で発散させるということになるらしい。

「ほくは、かつての三船さんのような俳優になりたいのです。餓えとか憎悪を力いっぱい演技をぶつける役者にね」

私の知るリアルタイムの三船敏郎氏は、寡黙で冷静、強い男のイメージだが、餓えとか憎悪という言葉が出ているからには、「七人の侍」や「赤ひげ」など黒沢明監督の映画だろうか。
確かにこの頃の沖さんは、「必殺仕置人」の棺桶の錠や、NHK銀河の「三四郎」のハングリーで暗い目が印象的だ。容姿の出来不出来は別にしても、こんな目をした21歳の男性に、私はかつて会ったことがない。今も夢や野望を語る若者の目を見ながら、その向こうに沖さんこの目を探している。この目に会いたい。


あるものへの共感と、ないものへの憧れ -2/11/03

バイトをしながら受験勉強をする浪人時代を迎えた頃のこと。バイトはスコッチと「すれ違った」場所の目の前のビルの地下にあり、私は毎日すれ違った記憶を思い出しながらそこへ通った。
浪人という宙ぶらりんの身分がこれほど不安定な気分になるものとは、なってみて初めてわかった。世界のどこにも自分の居場所がないような気がするのだ。後年、再就職のあてもなく仕事を辞めてしまった時にも同じ不安感が湧いてきたが、地に足がつかないとはこういう状態をいうのだな、と思い知らされた時期でもあった。

そんな毎日の中で沖さんはあまり助けにはならなかった。当時の沖さんは病気の兆候も感じさせず、まるで幸せの絶頂にいるように私の目には映った。実際のそのころ沖さんの生活がどうだったかは知る由もないのに、勝手に沖さんは幸せに違いないと思い込んでいた。いや、沖さんに限らず自分以外の人間は全て幸せに見えたに違いない。

そんなある夜、ラジオをボーッと聴いていると、新沼謙治さんがDJをしていた。日替わりで色々な人がDJをしていた番組だが、その日はたまたま新沼さんだったようだ。いつものように岩手の訛りで訥々と喋る声を聞いていると、何となく孤独な気持ちが癒されるような気がする。父方の先祖は岩手だから、DNAが呼んだのか。そういえば、母方の先祖は大分出身だ。これも沖さんに対するDNAの呼び声だったのか。
偶然受験生からの悩み相談の葉書が読まれ、新沼さんが「辛い時も辛抱すればきっと良い時が来る」というようなことをぽつんぽつんと話すのが、妙に胸に染みた。沖さんには胸をしめつけられることばかりで癒されることがなかった私には、この新沼謙治さんという人が、とても新鮮に感じられた。

その日のDJが好評だったのか、新沼さんはすぐに2度目のDJとして登場した。だが、その日は話すネタも尽きてしまったのか、途中で「もうこれで終りにします」と、勝手に終了宣言。「まだ延ばせって?え〜、もう勘弁して下さいよ〜」と音を上げてしまう前代未聞のDJに、私は大笑いしてしまった。思えば笑うことすら少なくなっていた日々のことだ。彼のマイペースぶりが羨ましく微笑ましく思えた。

沖さんは「マイペース」という言葉からは遠い印象を受ける人だ。トークやバラエティー番組では常に周囲に気を遣っていたし、自分が周りからどう思われるかをとても気にする人であるらしい。「ミエと良子のおしゃべり泥棒」では、飲み会などに行った後また誘われても、「どうせまた自分は嫌われて・・」と思ってしり込みしてしまうと語っている。「生身の生意気をどうカバーするかしかない」という沖さんの言葉の意味がとてもがよくわかる。私も同じタイプの人間だからだ。
もし沖さんがラジオ番組のDJなどをさせられたら、どんなに言葉に詰まっても何とかその場をしのぎ、後でうまく行かなかったことを一人で悔やむタイプではないだろうか。
一方、新沼さんはあくまで自分を信じられる人間のようだ。謙虚に見えて、実は自分のペースは崩さない。自分の周りにもいるそういう人をみると、私は自分にないものに対する憧れと尊敬の念を抱いてしまうのだが、本当に愛することが出来るのは、自分の中にもあって理解も出来るものなのかも知れない。

比較対象出来るお二人ではないが、その時沖ファン歴8年になろうとしていた私にとって、沖さんは私の中で既に根を張ったものになっていたし、新沼さんは一般的な「ファン」という言葉がぴったりする対象だった。だが、「新沼謙治の世界」はすぐに挫折した。彼の本業である演歌が、私には受け入れられない世界だったのだった・・・。


サリー -1/1/03

沖さんが活躍していた頃、「二十一世紀」という言葉には全く実感が伴わず、二十世紀という梨はどうなるんかいなという程度にしか考えなかった遠い未来だった。その二十一世紀に今、私は生きている。沖さんは二十世紀を生きた人だから、自分だけ隔離されて生き延びているのが無性に淋しい。
思えば昭和から平成に変わった時も同じように感じていた。西暦にしろ年号にしろ人間が決めた区切りでしかないのだから、別の世界にいるということに比べれば大した事実ではないのかも知れないが、それも今年で二十年。よく沖さんのいない世界で二十年も生きられたと思う。

新年を迎えてから無性に沖さんの出ているビデオが観たくなった。私の手が伸びたのは「小さな恋のものがたり」だった。若くてピカピカのサリーが傘を差し出して「入れよ」と言った。その傘の柄にしがみつくようにずっと生きてきたのだ。

「小さな恋のものがたり」の最終回で、サリーはチッチに手紙を書く。これから先、誰かに「お前は恋をしたことがあるか」ときかれたら、
「ちょっとお茶目であわてんぼうだったけど、瞳の綺麗な心の優しい子だった」
と答えるだろうと書いている。私も答えたい。
「ちょっとお茶目でおこりんぼだったけど、瞳の綺麗な人生に誠実な人だった」と。

「本当に好きだったら顔なんか見えなくてもその人のことがわかるんだ。どんなに大勢の中にいても、どんなに遠く離れていても。それが愛だ」 −「小さな恋のものがたり」より


お食事タイム -12/1/02

ドラマに食事のシーンはつきものであり、沖さんが出演した番組でも、食べるシーンはよくあった。ホームドラマなら食卓を囲むシーンはつきものだったし、「未婚・結婚・未再婚」では、“いつも食べている婿”として小姑に嫌味を言われたし、「嫁の縁談」では有名な割烹にやはり婿入りしている。
時代劇では一杯めし屋で丼をかきこんでいるし、「はぐれ刑事」や「早春物語」ではラーメンをすする姿も見られる。
あまり正式なディナーでマナー良く食べているシーンにはお目にかからないが、生活感溢れる日常の食事でも、沖さんはあまり食べ方がきれいとは言えない。いつも背中を丸め、食べ物は口に放り込むように入れられる。これはどのドラマでも共通だ。沖さんと同じレストランに入って食事風景を見守っていたファンの話によれば、大食なのはともかく、食べるのがとても早いということだった。
中学生にして一人で暮らさねばならなかった沖さん。ご本人は、一人でアパートを借りて『自活』していたと説明していたが、家庭を捨てた父親、そして生活のために夜働いていた母親も家を出て、姉は嫁ぎ、妹は親戚に引き取られ、たった一人残された城児少年に、食事のマナーを教える人はいなかった。子供の頃は男尊女卑で名高い九州で、厳しい父親がたとえ母親でも女性とは同じ食卓を囲ませなかったというが、たとえ小学校まではきちんとしつけられていたとしても、一人での食生活は内容はもとよりマナーも乱れがちだ。誰にも見られていないから、肘をつき、かき込むように食べて、素早く終らせてしまう。消化にも良くない。よくあそこまですくすくと背が伸びたものだ。

フラッシュバック -9/5/02

「太陽にほえろ!」のレギュラーがなくなってから、国際放映に行ってスケジュールを確認するより、事務所に立ち寄ることが多くなった。事務所のお姉さんはファンの応対も仕事のうちと心得ておられ、裏話などをきかせてくれたりもしたので、沖さんの香りのするこの事務所で行くのはとても楽しいものだったのだが、沖さんご自身に会うことはなかった。いつも「あ、今出ていったばかりなのよ。惜しかったわね」とか「今日は一日中京都よ」などと言われて、ガッカリしたような、それでいてホッとしたような気分を味わった。
お姉さんと話をしていると沖さんから電話が入ることもあった。勿論電話を替ってもらえる訳もなく、耳をダンボにして聞いているだけなのだが、それでも沖さんに近くなったような気がして、胸がときめいたものだった。

ある撮影所にいるときいて胸をときめかせて出かけたこともあった。猫背で独特の歩き方の後ろ姿をみつけると、それだけで懐かしい気持ちがじーんとこみあげて来る。夢を見ているような、それでいて自分のいるべき所に帰って来たような気持ちだった。ロマンチックな気分でそっと後をつけると、沖さんはゴミ箱のそばでチーン!と勢いよく鼻をかんだ。何ともムードがぶち壊しだが、私にはそのチーン!すら天使の囁きに聞こえたし、沖さんが去った後に残されたゴミ箱の上のティッシュの周囲には、薔薇の花がちりばめられているようにさえ思えた。一瞬、そのティッシュを持ち帰って押し花ならぬ押しティッシュを作ろうかとすら考えたが、さすがにそれはやめておいた。

将来鼻水からでもDNAを抽出してクローンを作れる日が来るかも知れない。この世で二度と本人に再会出来ないことを考えると、クローンでもいいからという気分になる時もあるから、そのティッシュは採取しておくべきだったかも知れない。

残念なことに、沖さんには子孫がいない。もしいたとしても、それは沖さんではない。クローンが出来たとしても、やはり沖さんではない。見かけがそっくりな人間が出来上がったとしても、魂が沖さんでないことをみつけた時、今より更に深い闇の底に突き落とされるような気がする。やはりクローンなど不要だ。

沖さんが鼻をかんだのを目撃したその日から、私自身は何千回、いや何万回鼻をかんだか知れないが、その度に沖さんが鼻をかむ姿がフラッシュバックされる。赤くなった鼻で、眉間に皺を寄せるようにもう一度鼻をすすった沖さん。その姿を思い出しながら鼻をかみ、フッと一人で微笑む私はアブナイ奴かも知れない。


コンプレックス -8/13/02

いきなり雲の上の人に本気で恋してしまった小学生の私は、そのままその想いが消えることなく現在に至っている。長い長い片思いの日々。その中で、年を経る毎に美しくなって行く沖さんに対して、私は容姿に対するコンプレックスを膨らませて行くようになった。釣り合わないなどという次元の問題ではない。自分でいくら贔屓目に見ても美人とは言えない容姿に生まれついたことが、とてつもなく自分に重くのしかかって来たのだ。そこそこの人を好きになっていれば、そこまで悲観せずにも生きて行かれたかも知れない。だが、「ちょっとカッコイイ優しそうなお兄さん」だった沖さんは、女優さんにも綺麗と絶賛されるほどの美男子に成長し、スコッチ刑事を演じてからは、ますます「孤高の人」という印象を強くしていた。

ちょうどその頃、巷では新御三家がアイドルの代表として席捲していた。郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎。この三人のことを語れなければ、クラスでも話題について行かれなかったものだ。
幸運な私の友人は、伯父さんが興行の仕事をしていて、郷ひろみのコンサートの楽屋の手伝いというアルバイトをゲットして来た。郷ひろみこそ我々の世代には雲の上の人だった。事実、楽屋に入った友人は、そのまま固まってしまい、手伝いもせずに椅子に座っていたという。そんな彼女を見て郷ひろみサンはこうおっしゃったそうだ。
「つまんない?サインでもしてあげようか」

私はこの発想にとてつもなく驚いた。友人は自分がファンだとは一言も言わなかったという。スターだという認識はあってもファンではなかったのだ。それでもひろみサンは、自分がサインすれば誰もが喜ぶと信じている。それがスターというものなのか。16歳でデビューして、すぐにスターへの階段を駆け上って行った彼には、人は自分のサインをもらえば喜ぶというのは、疑うべくもない事実だったのだ。

同じく16歳でデビューした沖さんだったが、沖さんの場合はデビュー後しばらく日活で下積み期間があったから、そこまでの考えはなかったかも知れない。だが、やはりニコリと微笑みかけてくれる時は、相手に好かれていることを確信する無言の余裕を感じたものだ。

その沖さんが、病気で変わってしまった。コンプレックスを持つようになってしまったのだ。病気見舞いに行った「俺たちは天使だ!」の加賀プロデューサーに「握手しない方が良いよね」と言ったという一文(「沖雅也・イン・太陽にほえろ!」より)を読んで私は愕然とした。失礼で不遜な言い方かも知れないが、沖さんが可哀想で可哀想で、後から後から涙がこぼれた。沖さんのためにコンプレックスの固まりとなってしまった私だが、沖さんにはそんな思いは持ってもらいたくなかった。プロデューサーだろうが大俳優だろうが、蹴散らして行かれるようないちばん星になって欲しかったのだ。アイドル時代にはふてくされて嫌々握手会をしていた沖さんだが、その方がまだスターらしかった。それもまた病気の症状のひとつとして理解しなくてはいけないのだろう。今、彼岸の彼方で、沢山の人に幸せをもたらしたことを認識して、大きな自信を持って笑っていて下さることを心から祈るばかりである。


おもいやり -7/26/02


【左】初期のサインと過渡期のサインが一緒に書かれています。右側はサインを変えるための練習だったのかしら?
【中】サインをして下さる沖さん。衣装で作品がわかれば、今日からオタクの殿堂入りができます。ちなみにこれは「悪魔が来りて笛を吹く」の時の衣装
【右】このサインが最も一般的です。アイドル期を除いて、ほとんどこのサインを使用されていました

その日は学校が休みの時期だったのか、女子中高生が撮影所の前にたむろしていた。もちろん私もその一人だった。その前日は殿下ファンの友人と小野寺昭氏の自宅見学ツアーという、芸能人にとっては迷惑極まりない企画を遂行したので、今日は彼女が私に付き合ってこちらに来ていてくれた。
沖さんがサインをするために、「たむろ軍団」のところまで来てくれた。しめた!今日は上機嫌に違いない。一人でいる時よりは少し勇気が出た私は、「沖さんカッコイイ!」などとワイワイ騒ぐ一団に混じって、するすると前に出ることが出来た。後援会でもらったプロマイドを持っていると、何も言わないうちに、さっとそれを引っ張ってサインして、微笑みかけてくれた。
「汚れなき悪戯」という昔の映画をご存知の方はあるだろうか。孤児の少年・マルセリーノが屋根裏に行くと、キリストの彫像が微笑みかける。その時の私には、正にその状態だった。
あちらさんは俳優だから、そんな微笑みなど朝飯前だったことだろうが、私にとっては、それで10年は生きられる価値のあるものだった。
「ありがとうございました」と蚊がなくような声でお礼を言って、プロマイドをおしただきながら、骨っぽい手をみつめていた。

誰かが皺のついたハンカチを差し出して、サインを頼んだ。その時、沖さんの横にはりついていたちょっと年かさの行った女性が、「ちょっとこれはないんじゃない?」と口を出したが、沖さんは彼女にもハンカチを差し出した女性にも交互に微笑みかけ、ハンカチの四方を軽くひっぱってサインした。 機嫌の悪い時は「もうファンなんか辞めてやる!」と思うのだが、こういうシーンをみると、あっというまにメロメロになる単純な私の、ちょっと素敵な思い出だ。

二十回忌によせて -6/27/02

インターネットを始めてから、沢山の沖さんのファンにめぐり会うことができた。昔からのファンの方、亡くなられた後に再放送を観てファンになられた方。きっかけはさまざまであり、心の中にいる沖雅也像はそれぞれ違うものであることも最近わかって来た。スコッチ=沖雅也の人もいれば、精神や肉体面での不安を彼の病気と死に重ねる人もいる。 興味の対象もそれぞれ違う。以前チャットでふざけて「班分け」をしたことがあり、時代劇班、アイドル班、スコッチ班、CAP班などを設定し、自分がどれに当てはまるかを選んで楽しんだのだが、最近とても多いのに気が付いたのが「私生活班」だ。
好きになった人のことは何でも知りたい。それは私とて同じことであり、自ら選んだ死についても謎が多いから、ますます気になる。特に死後ファンになった人にとって、せっかく好きになった人が既に故人というのは、とても悲しいし、もっと知りたいという欲求が募って当然だろう。

私は沖さんがテレビデビューをしてから比較的すぐファンになったが、今になってインターネットを通じて知り得た情報も多い。裏話などを聞けば衝撃を受けて、すぐに他のファンに話してしまったこともあったが、これについてはちょっと後悔している。それぞれの心の中にいる沖さんを勝手に侵害してしまったような気がするのだ。楽しい話、素顔の沖さんが見える話なら歓迎だが、嫌な噂もある。そんな裏話を聞けば作品を観る時に影響することもあるだろう。私が自分勝手に未確認な情報をしゃべって、その人が沖さんの残してくれた大事な作品を色眼鏡で観るようになってしまったら、私はどう責任をとって良いのかわからない。反省しきりである。この場を借りてお詫びしたい。

沖さんは何もかも胸の中にしまって逝ってしまった。死の直前まで女の子の悩み相談まで受けてしまったという沖さん。全くどこまでキザニマなんだろう。どこまで心の優しい人なんだろう。優しい人ほど傷つきやすいのに、強い男を演じた。念願のつかこうへいさんの作品を倒れて降板しても、私たちファンには笑顔を見せて、ベッドの上からインタビューに答えた沖さん。実際にはつかこうへいさんに「こんなことでくじけたら沖雅也が泣くぞ」と励まされて大粒の涙を流したというが、沖雅也を泣かせないため、ひいてはファンを泣かせないために笑顔を見せてくれたのだ。

私は沖さんがファンを置いて逝ってしまったという風には考えたくない。躁鬱病は自殺の危険が大変高い病気である。闘病の末の病死だと思っている。マスコミはその部分にわざと目隠しをして、スキャンダラスな面だけを強調して報道した。混乱した遺族や事務所の隙をついて、情報操作をするような質問を浴びせかけ、それだけを流した。だが、それでもこうしてファンは次々と増えているのだから、沖雅也は何があろうと永遠に魅力を放つ俳優として、そろそろ勝利宣言をしても良いのではないだろうか。

いつもこのサイトを盛り上げて下さる皆さんのおかげで、逆に私が癒されていたようだ。例年よりずっと力強い気持ちでご命日が迎えられるような気がするし、自分がこれからどんなファンでいようかという方向性も、徐々に見つかって来たような気がする。


演技ってむずかしい -4/30/02

エキストラでは東映撮影所にも何度か行ったが、国際放映と比べると、やはり「映画」の匂いがした。専属の俳優さんのファンレター箱もある。

その日の私の役は友人と二人で「社長秘書補佐」の役だった。私たちの顔を見た途端、衣装係さんが「何だ、同じようなのが二人来たな」と言う。
同じ服を着せられてセットに行くと、「正式秘書」役の正式な女優さんがいた。私たちが単なるアルバイトだと知るとちょっと落胆した様子で、「私、もう女優はじめて随分になるんですけど、なかな芽が出なくて・・」と目を落とす。感化されやすい高校生二人は、すぐに「私たちが応援します!頑張って下さい!!」などと彼女の手を握りしめてしまった。我ながら調子のいい奴だ。

主演の俳優はソファにごろんと横になって足を投げ出していた。私たちの役はその主演俳優が社長室に乗り込むのを阻止しようとする役だ。意外な大役(?)に「どうしようどうしようきゃぴきゃぴ」と騒ぐ私たちに、その俳優は「だいじょーぶだって、何とかなるよ」と寝転んだまま笑って声をかけてきた。彼とて前作がデビューで、この作品が2作目のはずである。大した度胸だ。

さて、いよいよリハーサル。乱入しようとする彼の背中をつかもうとするが、皮ジャンなのでつかみにくい。私たちは両側から彼の腕をつかんだ。
「カット!」
私たちの力が強すぎて、彼がいつまでも乱入できなかったらしい。
リハーサルその2。
部屋に飛び込む彼。台本を読んだわけでもない私は、その後何が起こるのか全く知らない。どうやらこの暴走族青年はここの社長の息子で、金で解決しようとした父親に抗議に来たらしい。ほー。
「カット!」
ぼんやりみつめすぎてしまったらしい。
エキストラに演技指導する暇はないので、そのまま本番となる。
「父さんはいつもそうだ!金、金、金・・」
(まあ、勝手に乗り込んで来て何でしょう、この人は)
「お前は世の中のことが全くわかっておらんのだ」
(ええ、そうですとも、社長のおっしゃる通りですわ)
それなりにうなずいたり驚いたりしてみた。
「カット!」
今度こそ私が監督に注意された。
「君ね、キョロキョロしないでいいから」
かくて私の自己判断による演技は却下され、スクリーンで観た時には、すまなそうに下を向いたままの私が映っていた。

バレンタインデー -4/21/02

生まれて初めてバレンタインデーにチョコレートを買ったのも沖氏のためだった。沖さんにあげるまでは誰にもあげたくなかったのだ。
生まれて初めて手渡しするチャンスをものにするため、事務所のお姉さんにスケジュールの確認もしたし、国際放映に行って予定表のボードもちゃんと見ておいた。もう国際放映は大きな顔をして守衛さんと挨拶できるまでになっていたが、スケジュール表を見ていてある俳優さんに「君、だれ?」と聞かれた時は少し焦った。まさか翌日の沖さんの予定をわざわざ見に来たとも言えない。
「事務所の者で・・」と意味不明の返事をすると、今でも清潔なイメージのその俳優さんは雪のように白い歯を見せて微笑みをくれた。思わずファンになりそうな笑顔だった。

翌日、学校が終わってから自○が丘駅前でチョコレートを買った。小さなハート型のチョコレートがいくつも並んでいるものだ。店の名前も包装紙の色柄まではっきりと思い出せる。その日、学校でもらった教則本の訂正シールも貼り付けた。シールにはこう書いてあった。
「Lord is my Shepherd」(主は私の羊飼いである)

制服のまま撮影所に行った。当時の制服は足首まであるロングスカートにするのが流行だったが、私は沖さんの「制服の形を変えたりするのは良くない」というアイドル時代の記事を真に受けていたので、膝下丈の制服を着ていた。もっとも、遊び用に別の学校の制服も持っていたというのが、今となっては我ながらインチキという気もする。

待っていると付き人の○山氏が出て来た。私を見て軽く会釈してくれたので、走り寄って頼んだ。「すみません、これ、沖さんに・・・」
○山氏は快諾してスタジオの中へ戻って行った。何故自分で渡さないのか、と言われそうだが、当時の私にはこれでも精一杯だったのだ。持っている間に胸に抱えたチョコレートが溶けてしまうかと思うほど、私は緊張していた。

いよいよ撮影が終わったらしく、沖さんが外に出てきた。だがチョコどころか、私がそこに立っていることすら気づかぬ沖さんは、楽しそうな笑顔を残してさっさと車に乗り込んでしまった。
その後、○山氏をはじめスタッフが外に出て来た。○山氏は期待に胸を膨らませる私を見るなり大声で言った。「それじゃあ、あとで必ず渡しておきますら!」え、まだ渡してくれていなかったのか・・・。
キャディラックはあっという間に私の前から消えた。いいんだ、私は羊・・羊飼いにどこまでもついて行きます・・そう言い聞かせても冬の風が淋しい夕方だった。

ヤキモチ? -4/7/02

太陽の仕事ではなかったが、国際放映に行った時、同じエキストラにとても積極的な女性がいて、俳優さんたちにどんどん一人で話しかけていた。年齢は私とあまり違わないようだったが、高校生ではないという。
彼女は、私と一緒に来ていた沖さんのファン仲間だった友人とすっかり意気投合して、あの人が素敵、この人もいいねと色々な俳優のところへ行って話しかけていた。

私は例のごとく沖さんの側に貼りついていたのだが、今日も今日とて話しかけられずに、沖さんが訪ねてきた他のファンと談笑するのをいじいじと後ろからみつめていた。

さて、撮影も終わって帰る時間となった。他のドラマの出演者たちも次々と帰り始める。先の女性と友人は、他の刑事ドラマに出演していた若手の俳優さんと仲良くなり、送ってもらうという。「一緒に送ってもらおうよ!」屈託なく彼女は言った。友人も興奮している。その俳優は売り出し中の二枚目だったで、二人とも彼の車に乗れるのに夢心地らしい。
女性3人ならば安心ということもあったのだろうか。私は開けられたドアから乗り込もうとした。だが、その時だった。私は鋭い視線を背中に感じて振り向いた。

沖さんが私を見つめていてくれた。

正確に言えば「にらまれていた」のだが、その厳しい視線すら、感激して受け止められた。沖さんは、私が他の俳優の車に乗るのを嫌がってくれたのだ。話しかけられもしない私のことを、自分のファンだと認識していてくれたのだ。 その視線を受けた途端、反射的に「私、いいです。歩いて帰ります!」そう宣言した。当たり前だ。言いながら沖さんのファンであるはずの友人にも目配せをしたが、彼女は浮かれていて気がつかない。というより、車に乗る人が一人減って、むしろ嬉しそうだった。

車が走り去り、手を振って見送った私は素早く振り返ったが、沖さんの姿はもうそこにはなかった。

先ほどの事件からあさはかな期待を抱いて、沖さんのキャディラックの前で待ってみた。だが、付き人とともに登場した沖さんは、私の方には一瞥もくれずに車に乗り込んで去って行った。文句をつける位なら送ってほしいものだと思った反面、もしそんなことになったら、その場で心臓発作を起こして死んでしまったかも知れないだろうとも思った。無視されてもいいのだ。沖さんは私が他の俳優の車に乗るのを嫌がってくれた。それだけでその日の私の胸は、ぽかぽかといつまでも暖かかった。

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