1976年11月 大阪中座 秋の特別公演 「ふりむくな鶴吉」
1976年11月 大阪中座 秋の特別公演 「ふりむくな鶴吉」

こりゃあ何としても大阪へかけつけるしかない。


「ふりむくな鶴吉」が前進座で舞台化されることになったのだ。しかもあの名作『冬の女』だという。

昼夜2回づつの公演で、昼は『拍手かっさい』と鶴吉、夜は鶴吉と『新門辰五郎』。沖さんは昼は鶴吉のみ、夜は『新門辰五郎』にも山谷堀の彦造という役で出演した。NHK版の鶴吉『女殺し油地獄』で、前進座が出演したのが縁らしい。

夜の部を観るためには、大阪にどうしても一泊しなくてはならない。どうにか母を説得したが、母の条件は「ユースホステルでの宿泊、しかも繁華街は避ける」だった。今の女子校生からみればちゃんちゃらおかしいかも知れないが、関東人にとって大阪はヤクザの街で、こわいおっちゃんが沢山いるようなイメージがあった。(関東人の偏見。それでは新宿は良いのか?と関西人からクレームが来そうだな)
とにかく行くためには母の許可がいる。あわててユースホステルの会員になって、繁華街からは離れたユースに予約を入れた。

私の行っていた高校は当時から週休二日制だったので、土曜の早朝に新幹線で大阪に着き、地図を頼りに中座を訪ねた。楽屋の扉の前にはすでに女の子が何人かいる。後援会報で知り合って文通していたYさんとそこで落ち合った。彼女は短大生。年上の女性なのでちょっと緊張したが、大阪人は人見知りなどしないのだ。またたく間に打ち解けて、もう一人のファンとも友達になった。待っていると美容室から美容師さんが出てきて、「沖さん、うちでセットして行った(「行きはった」だったかな?大阪弁だった)のよ」と嬉しそうに会話に加わった。カーラーを巻いたままの女性も出てきて「ちょっと、もう来るの?」と輪に入る。
沖さんの髪質についてYさんが尋ねると、「髪は多いけど柔らかくて、ちょっと天然パーマだからセットしやすかった」とのこと。天然パーマとは初耳だった。てっきりパーマをかけているのだと思っていたのだ。

そんなこんなで賑やかな初対面の他人同志の会話が続いているうちに、楽屋の扉の前が騒がしくなって、わっと女の子が輪を作った。輪の中心に帽子が見える。Yさん、そして新しく友人になったFさんと三人で走って行くと、沖さんがファンにサインをしているところだった。
だが、一目見てわかった。今日はご機嫌ななめの日だ。どうしてこんな日に当たってしまうのだろう。一応求められたサインを無表情でこなした沖さんは、無言でさっさと中へ入ってしまった。

11時半から昼の部が始まった。沖さんは出演していないが、せっかく切符があるので『拍手かっさい』も観た。野川由美子さんは目が大きいので、舞台映えがする。時代劇の舞台観劇など初めてだったので、役者さんに客席から声がかかることすらちょっと驚きだった。沖さんにも声がかかるのだろうか。見渡すと中高生の姿は見当たらず、どちらかといえば老人が多かった。声などかかるはずもないか。

『拍手かっさい』が終わるとお弁当タイムらしい。幕の内弁当の由来はここからだと初めて知った。次は鶴吉だと思うと、なんだか緊張して箸が進まない。

いよいよブザーが鳴り、『ふりむくな鶴吉』がスタートした。
懐かしいハッピ姿が見えた時、私は涙が出そうになった。だが、その涙も引っ込む驚くべきことが起きた。男性の声であちこちから「沖!」「沖!」と掛け声が入るのだ。え?何これ?

アイドルの頃、女の子が「マサヤ!」」と絶叫していたのは聞き覚えがあるが、「沖」と男性から掛け声がかかるとは意外だった。(サクラなのかも知れない)あちこちから「いい男だね〜」の声も聞こえて来る。客席が一気に盛り上がったのがひしひしと感じられる。感無量だ。

物語はNHK版のダイジェストだ。放浪の末江戸に帰って来た鶴吉が父親の後を継いで岡っ引きとなり、事件を解決する。放浪中に一緒に住んだことのある女・あや(野川由美子)が今は犯人・利平(藤村有弘)と暮らしていることを知った鶴吉の心の動きはテレビほど細やかではないが、きちんと描かれていた。なじんだNHK版のレギュラーメンバーではないので、寅吉(瀬川新蔵)ややよい(五大路子)に違和感を感じたが、 手が届くほどの距離に鶴吉がいることに、私はすっかりボーッとなってしまった。NHKと違ってガラス越しではない。ちょっとお化粧が濃いが、舞台だから仕方がない。花道のそばの席だったので、駆け込んで来た鶴吉の足首まで見えた。

最後に死んだあやを後ろから抱きしめて「小諸 出てみりゃ 浅間の・・・」と鶴吉が歌うシーンで幕が下りた時は放心状態だった。あとでその時知り合ったFさんが観劇した時のテープをダビングしてもらったが、ラストシーンで彼女の「マサヤ〜!!」の絶叫が入っている。が、それもよくわかる。私とて思わず声が出そうになったのだ。

さて、舞台が終わると、日も暮れていた。通勤帰りの人と混じって電車に乗っていると、ここが大阪であることを忘れそうになるが、ドアに「ゆびつめに注意」と書いてあったので、「さすが大阪 やくざの街」と思い出した。 土地鑑がないので、何だか普通の住宅街の駅に降りた。しかも駅から暗い道を歩く。これでは繁華街の方が安全なように思われたが、あとの祭りだ。

やっとたどり着くと、おばあさんが二人で出迎えてくれた。
「さあ、待っていたのよ。早くご飯にしましょう」
私が来るまで他の客も待ってくれていたらしい。他の客は近辺から来た大学生が数人だったが、私を見るなり一人が言った。
「なんか変わった格好しているな。東京ではそんなのが流行りか」
さすがは大阪、忌憚のないご意見だ。

皆がテーブルにつくとおばあさんが言った。「それじゃご飯の歌ね。 さんっはい!」
♪ごーはんだごはんだ・・
ユースではこんな歌を斉唱しなくてはならないのか?しかも食事が終わると「今日はお風呂はお休みの日だから」と宣言されてしまった。当時潔癖症にかかっていた私にはかなりの苦痛だ。明日、お風呂に入らないで昼の舞台を観なくてはならないのか・・・。
食事のあとかたずけが終わるとトランプ大会だった。もう諦めて参加するしかない。連勝してやった。

翌日は高島屋に行って、東京でも売っている鶴屋吉信の和菓子をおみやげに買った。沖さんに花束を買おうかとも考えたが、ご機嫌ななめの沖さんの横顔を思い出してやめにした。

もう一度楽屋の前で待っていた。前日の二人も来た。昨日は黒の皮ジャンだったが、今日は茶色のロングコートをまとって沖さんが登場。なんと今日は上機嫌ではないか。笑顔でファンにサインをする沖さん。「行ってくれば?私らはもう何度もサインもらったから」とYさんが私の肩をたたいたが、私はあまりの至近距離にフローズン状態だった。また惜しいチャンスを逃してしまった。

それでも私はこの二日を昨日のことのように覚えている。自分が来ていた白のタートルネックと赤のコーデュロイのジャンパースカートの形や、ブーツの皺まではっきり思い出せる。そして沖さんが昼の公演も夜の公演も幕が下りる瞬間に涙を流していたことも。

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