画面と実物 11-24-01

エキストラをするようになってから、画面に映る姿と実物との違いに驚くことが沢山あった。時代劇のセットはかなり汚く、「めしや」のセットなどはとても食事ができるようなところではない。もっとも、江戸時代にはこんなものだったのかも知れないが、伝七親分もこんなところでヨヨヨイヨヨヨイとやっていたのかと驚いてしまった。
現代劇のセットは実際よりも天井が低く、沖さんが部屋に入るシーンでは、よく頭をくぐらせるようにしている訳がよくわかった。

先日、金沢碧さんが健康食用油のCMに出ているのをみかけたので思い出したが、画面では顔が大きく見える彼女も、実際にはお人形のように顔の小さい人だった。
何という番組かは忘れたが、私の役はラストシーンで楽しそうに振り袖姿で歩く新成人で、生まれて初めて振り袖なるものを着せてもらった。更にその上にあの白いショールをかけられて、慣れない草履でポコポコと歩く自分の姿を放映で観た時には、我ながら情けなかった。土俵入りだった。
テレビは実物より太って見えるとは聞いていたが、これはひどい。

沖さんと共演した方を見かけると、どうしても沖さんのことが聞きたくなったが、なかなかそれは出来なかった。
新克利さんはとても人懐っこい方で、かなりお話をしたのだが、どうしても「あの、市松は・・・」と尋ねることはためらわれた。
病院の屋上で看護婦に混じって新氏がバレーボールをするシーンだったが、新さんは球技が苦手な私に向かって何度もボールを送って来た。その度にとんでもない方向へボールを飛ばしてNGを出す私に、「よし、もう一度だ」「それっ、今度こそ」と鬼監督のようにボールをパスして来る。もう少しで「やめてとめて」と言いそうになったが、さすがにそれは出来ない。「キッツー!」などはもっての他だ。(何のことかわからない方は「必殺仕置屋稼業」を観られることをお薦めする)
結局私にはボールを送らないように、という監督の指示が出て撮影は無事終了したが、オンエアでは輪の中でオロオロしている白いかたまりの私がいた。

沖さんはがっしりとした筋肉質体型だと思われる方が多いだろうが、実際はかなり細身だった。スコッチ殉職の頃は体重が90キロにまでなったというが、身長が182cmなのだから、肥満という言葉は当てはまらないだろう。画面でみるとかなり太っているように見えるが、それは観る方に以前との比較もあったからであって、現実にはちょうどいい位だったのではないだろうか。

沖さんはデビュー前は太っていて、モデルクラブに入ると宣言した時に、周囲の人が「そんなにデブじゃ無理だ」と言われたという。それで発奮して体重を落としたとある雑誌のインタビュー記事にある。
「そうしたらモデルになれました」
相変わらず努力の人だ。

日景氏が言っておられたように、沖さんは肩幅がないことを気にしていたという。確かにスーツを着たスコッチ刑事を初めて実際に見た時は、こんなに細い人だったっけ、と驚いた記憶がある。

では、次回はいよいよスコッチ刑事との出会いを書くことにしよう。 おいおい、次回なのか、と言わずにお付き合い願いたい。

エキストラ日記 その2 11-3-01

二回目の仕事も「夜明けの刑事」だった。
スタジオに着いた時のことは「ふりむくな鶴吉 第26回『赤猫』」を参照してもらいたいが、私たちがスタジオに着いた時、その場に横になってすやすやと水谷豊さんが眠っていらした。その後で鈴木ヒロミツさんがやって来て、やはりすぐに眠ってしまわれた。集合は早いが、撮影が始まるまでに時間があるのだ。

ロケバスに乗って撮影場所へ向かった。俳優さんたちはは勿論自分の車で移動したが、同じレギュラーでありながら藤木敬士さんはロケバスに同乗した。しかも60歳くらいの女性のエキストラと隣の席にちょこんと座ったので、友人と私は少々びっくりしてしまった。

藤木さんはその女性に話しかけられて、ちゃんと敬語を使って丁寧に答えていることにも感動した。スターというものはもっとエラソーにしているのだと勝手に信じていたのだ。藤木さんは平尾昌晃氏などとロカビリーで一世を風靡した歌手(らしい。さすがにその時代まではカバーできない私であった)だから、いくら助演になっているとはいえ、エキストラに混じって世間話に付き合うとは信じられなかった。
だが、藤木さんはおにぎりを出して「あんたも食べる?」と言ったエキストラの女性に向かって「あ、これはおいしそうですね。是非いただきます」と言ってそのおにぎりをあっと言う間に食べてしまった。「もうひとつどう?」と言われて、「はい、いただきます」とどんどん食べていた。
うーむ・・・。私と友人はうなった。意外と芸能人だからといって特別扱いしない方が良いのかも知れない。だが、友人は水谷豊さんの大ファンだったが、ロケ地に着いてもなかなか話しかけることができない。
「せっかくだからサインぐらいもらって来なくちゃだめよ」
自分のことではないので気軽に言った私だが、いざ共演(?)となると足が震える。水谷さんは当時すでに女の子にとても人気があったのだ。しかも当時水谷さんはシャイな男というキャラが定着していたので、むやみに話しかけることはためらわれた。
だが、水谷氏は実はとても人なつっこい方だった。
聞き込みのシーンだったが、聞き込みの内容とは全然関係なく「どこから来たの?」「あ、まだ高校生なんだ」などと普通の会話が行われた。「太陽にほえろ!」もそうだったが、聞き込みのシーンというのは音楽が流れて台詞がなかったりするので、意外と関係ないことをしゃべりながら、顔だけ演技している俳優さんが多かったのだ。

ロケバスは住宅街へ移動して、「家の前で掃除をしていて刑事が聞き込みに来るシーン」というのを撮ることになったが、私は前のシーンで顔が映った可能性があるということで、自前のサングラスをかけて掃除するように命じられた。自宅の前でサングラスをして掃除をしている主婦がどこにいるというのか。これでは容疑者になってしまう。私の姿を見て水谷さんが吹き出しながら言った。「変装したの?」
案の定、そのシーンは放送ではカットになっていた。

実は私はそれよりさかのぼること4年ほど前に、無名だった水谷さんにお会いしたことがある。
当時「小さな恋のものがたり」の撮影を見に休日は母校へ通っていた私だが、その時に新番組「泣くな青春」の主役で水谷氏もその学校に来ていたのだ。その時私が無遠慮にも「『小さな恋のものがたり』じゃないんですか?」ときいたのが、実は水谷豊さんだった。水谷さんは嫌な顔ひとつせずに自分は新番組の撮影で来ていること、その主役に抜擢されたことなどを話してくれた。「沖雅也なんてやめて僕のファンになりなよ。僕は有望だよ」と言われたことは忘れられない。水谷さんは確かに今でも第一線で活躍している。
「小さな恋のものがたり」と言っただけで沖雅也が主演ということをわかってくれたことにもかなり感動したが、あとで「小さな恋の〜」を観ると水谷さんが不良高校生役で出演していた。(それについては会話の中で何も触れなかった。悪役だったからか?)

帰り道、友人が言った。
「俳優さんって意外と普通の人なんだね」

もしかしたら、私は沖さんに過剰な畏怖を抱きすぎなのではないか?もしかしたらもっと普通に話しかけることが出来るのではないか?ますます沖さんが出演している番組にエキストラの仕事が来ることを祈らずにはいられなかった。だが、次の瞬間、初対面で怒鳴られたあのシーンが胸によぎった。

「そこでのぞいているのは誰だ!」

この臭いドラマの台詞のような言葉を私は今でも思い出すと鳥肌が立つ。(詳細については番組紹介の「小さな恋のものがたり」参照)
そして次の仕事はついに・・・!
−つづく−

その手があった 10-30-01

個人的思い入れ入り出演作品紹介もやっと1976年。私も高校2年生になって、予備校などというものにも通い始めていた頃の話だ。

日曜日に予備校の試験を受けた帰り道、電車の窓から「エキストラ募集」の広告が見えた。『テレビ・映画出演の道』と書いてある。「俳優・歌手募集」ならぼったくりのインチキスカウトということも考えられるが、エキストラというのはその他大勢で、ドラマなどで俳優の横を歩いている人たちのことだろうか。わざわざそれでぼったくりということもあるまい。NHKの見学センターで沖さんをほぼ毎週眺めることができたのに、その後はさっぱりだった私にとって、これは何かはわからないが素敵な誘惑に思え、先ほどのテストの出来が悪かったこともどこへやら、さっさとその駅で下車して広告の前に行った。

エキストラの紹介所という場所はその下車駅から徒歩5分ほどのところにある、崩れそうな木造の建物だった。受付には愛想のないおじさんが一人で座っており、広告をみたと言うと申込書を出してきた。記憶が曖昧だが、登録は無料か、高校生でもその場で払える程度の金額で、申込書に記入すると各撮影所やテレビ局のスタジオの地図を渡された。仕事をしたい日の前日3時頃に電話して、言われた場所に行けば良いという。ふーん・・・疑心暗鬼ではあったが、早速翌週の週末に電話してみた。だが、「何もないよ」ガチャン!
週末は仕事は少ないようで、その後何度かかけてみても、いつも「ないよガチャン」の繰り返しだった。

ある日、「明日から国鉄(時代を感じるな〜。現JR)スト突入」のニュースを見た。これだ。国鉄がストでも私の自宅は私鉄が最寄り駅だ。友人を誘って紹介所に電話してみた。案の定、仕事はあった。ストが回避されたら学校は休みにはならないのだが、そうなったら風邪をひいたことにしよう、と友人に提案した。仲良しが二人いっしょに風邪で休むという不自然から起こる担任教師の疑惑については不問にした。「これを逃すわけにはいかないのよ!」私は友人に宣言した。

「夜明けの刑事」という長寿番組だった。その日は石立鉄男氏さんが同窓会に出席している時、その料亭で殺人事件が起こるという話で、私と友人は高校生にして料亭の仲居という、やや不法労働的な役を与えられ、着物に着替えさせられた。浴衣以外の着物を着るのは初めてだったが、衣装さんは毎日着付けをやっているだけあって、ものの一分もかからずに帯まできっちりと締めてくれた。
料亭の部屋には鍋がぐつぐつと煮えたぎっており、仲居の我々はそれを皆に取り分けていれば良かった。鍋をすくってみる。白菜しか入っていない。
スト決行中だったのでエキストラにもかなり無理があったらしく、石立鉄男さんの同窓会なのに、出席者は年齢がばらばらだった。部屋に入って来た石立さんはいきなり50歳台と思われる男性の手をつかみ、「先生、お久しぶりです!」とギャグを飛ばした。さらにその横にいた男性には「そうか、君は10年留年したからねえ」白髪の男性には「用務員のおじさんまで来てくれて!」と一気に場を和ませた。さすがだ。

和やかに同窓会が行われていると、下から悲鳴が聞こえる。エキストラではない仲居さんが飛び込んで来て、「下で人が死んでいます!」と石立さんに告げた。さっと立ち上がった石立さんは「みんなここを動かないで!」と言って出て行く。
「はい、カット!」
その声をきいてドヤドヤと皆が動き出すと、石立さんが襖を勢いよく開けて叫んだ。
「動かないでって言ったでしょう!」

こうして初めてのエキストラは石立さんのおかげで緊張もせずに出来た。待ち時間(といってもエキストラはほとんどが待ち時間)に友人と並んで窓から外を見ていた。「神田川?これあの神田川?」「神田川って神田を流れているんじゃないの?」無知な会話をしていると、誰かがいきなり私のお尻をなでた。
「ヒッ!」思わずおかしな声をあげて振り向くと、石立さんが立っていらした。人のお尻を触っておきながら、なぜか眉間に皺を寄せて厳しい表情だ。
「君は人に触られると、いつもヒッ!っていうのか?!」
「へ?」
「ヒッ!と」
「・・・?」
「ヒッ!ヒッ!ヒッ!」
何だかわからないが、笑いどころらしい。私と友人は石立さんのギャグがわからないまま、「はは・・」と力なく笑った。気さくな方であることは間違いないらしい。
私たちが何も突っ込めないと知ると、氏は「ヒッ!ヒッ!ヒッ!」と私の真似をしながら去って行かれた。友人が言った。「何だったんだろうね・・・」

このエキストラのおかげで私は沖さんに再会できることになるのだが、今宵はここまでにしとうございます。

つれづれの独り言 10-28-01


沖さんがはじめておフランスへ行ったのは、昭和49年(1974年)の暮れのことだった。
同行者は日景忠男氏、沖氏の実母・○子さん、妹の芙○子さん、そして同じ事務所の俳優・三景○司氏だった(ような気がするが、もしかしたら三景氏は別の年かも知れない)。12月23日から9日間、「ふりむくな鶴吉」「北都物語」「おからの華」という過密スケジュールの間を縫っての旅は、沖さんご本人の言葉を借りれば「命の洗濯」だった。
この旅行の少し後で、私は後援会事務所に遊びに行き、沖さんの旅行中の話を事務所の人から少しだけうかがったことがある。
この旅行で沖さんは茶色の毛皮のコートに一目惚れして、手元に現金がないのにお店に頼み込んで後払いにして購入したそうだ。どんな方法で支払ったのか詳細も聞いたのだが、何しろ4半世紀も前の話(うへっ!)なので、思い出せないが、当時で百万円ぐらいだったとか。
このコートはかなりお気に入りだったらしく、雑誌の取材の時もよく着ていたので、「ああ、このコートか」と思われる方もあるだろう。大きな襟にファスナーがポイントだ。
そのコートを着て気取って歩いていたら「ジャパニーズ・アラン・ドロン!」と声をかけられて、すっかりその気になった沖さんは歩き方までモデルのようになってしまったという。確かに日本人としてはかなり長身の沖氏が着ればバッチリ着こなせていたが、日本に戻って来てからその思わず気取ってしまった自分を面白おかしく話して聞かせてくれたのだという。
行きの飛行機の中では海外旅行初心者のようにすっかり興奮して、羽翼部分のプロペラが回っていないと大騒ぎしてスチュワーデスを呼んだらしい。乗務員に「あれは回っていなくて良いんですよ」と説明されて、かなり恥ずかしがっていたというのも、何だか可愛らしいエピソードだ。
アイドルの頃はド派手なシャツなどを好んで着ていた沖さんだが、このパリ行きの頃からは黒や茶を基調としたファッションが多くなった。もちろん一般人は着ないようなデザインが多かったし、アラン・ドロンでも被れないような帽子もよく被っていた。明らかに芸能人だとわかるスタイルがお好きだったようだ。

さて、この頃事務所できいた内緒話をひとつ。
あるドラマで共演した女優さんと番宣でトーク番組に出演した沖さんは、彼女の魅力を誉めまくった。それもかなり力説していたから、おやおや、これはひょっとして?、と当時テレビを見ていた私も思ったものだ。
案の定、その女優さんから何度も事務所にお誘いの電話が入ったらしい。だが、沖さんはその時の力説は何処へやら、あっさりお断りしてしまったそうだ。のちに沖さんは、ドラマを演じている時はその人に本当に恋をしている、沢山恋をするので私生活では恋人はいらない、と語っていたが、当時の心境は正にその通りだったのかも知れない。それにしても彼女を本気にさせておいて、罪作りな男だ。


つれづれの独り言 10-22-01



番組紹介だけでなく色々とつぶやいてみたくなったので、新たにこのコーナーを設けてみた。

今回は、沖さんの思い出を沢山お持ちの元おっかけ先輩が書いた「訪問日記」 を紹介しよう。実は先月公式ファンクラブのオフ会に参加した時に、いつもお財布の中に入れていた写真をお見せしたのだが、かなり好評だったので、ここでその写真を公開すると共に、その写真を撮った彼女のレポートが後援会報に掲載されているので、それを全文公開することにする。

「訪問日記」昭和49年8月1日発行の後援会報より
7月11日(木)
友達と学校の演奏会に行く途中に東映撮影所をたずねました。午後3時頃で、「バーディー大作戦」のセット撮影をしていました。フーテンの寅さんと同じような服を着て、腹巻きをしてゾウリをはいていましたが、全部赤で統一していました。泥だらけになっての撮影でした。合い間に私たちの所へ来てサインをしてくれたり、話をしたりしてはまた撮影に戻って・・・。そのシーンは3時半頃で終わりました。M・Oと彫ってあるステキなペンダントをしていました。終わるとすぐにメーキャップルームに戻り、手足を洗い、お風呂に行きました。メーキャップルームの所で沖さんの番傘を持って待っていると、20分位して出てきました。ドライヤーで髪をかわかしドーランぬって「やっと元の顔に戻った・・・」と言って私たちの方を見ました。私たちが「雨がだいぶ降ってきたし、カにくわれた」というと「中に入りなさい」とメーキャップルームに入れてくれました。「かゆい、かゆい」と中で騒ぐと、「君たちは若いからおいしいんだよ。人間は20歳を過ぎると老化するからね」それを聞いていた友達が、「だから沖さんはカに食われないんですね」って言うと、急に沖さんは「かゆいナァー」と言い出しました。(どういうことかなァ?)
私たちの学校の本を見せると「ああ○○音大」と知っているように言うので「知っているんですか?」と聞くと、妹さんから聞いたということで、何かうれしい気持ちになりました。それから5時まで話をして別れました。
私たちはバス停に行くとちょうど行ってしまったあとで、次のバスが来るまで時間がたっぷりあるので、夕食をしてから行こうと、近くのレストランに入りました。
入ってみると、ビックリしました。井上さん(注:当時の付き人さんの名前)と関係者の女の人2人と沖さんが座っていたのです。沖さんもびっくりした顔で私たちを見たので、「先に夕食をとろうと思って」と言うとやっと納得したようすでした(演奏会に行くことを話してあったので)。私たちがカレーライスを注文して食べている間に、沖さんはポタージュスープ、サラダ、トースト、グラタンを食べ「ごちそうさま」と言ったので、もう終わりだろうと思ったら「バナナジュースね」と言ったので、友達と顔を見合わせてしまいました。夕食にはちょっと時間が早く、私はもういらないと小声で言ったら、「若い子はたくさん食べなきゃだめだぞ」と言われました。私たちがお勘定を払って出て行こうとすると「気をつけて帰りなさい」と言ってくれました。『ときめき』の一日でした。
メーキャップルームでの会話で、ボーイフレンドの話が出たとき、私が「沖さんは忙しくて恋人つくる暇がないでしょ?」と聞くと、「暇もないけれど、いてもその子がかわいそうだ」って・・・。「でも、中学1年くらいの女の子をマスコットがわりに連れて歩くかな?20歳以上だと誤解されるからね、そのくらいの年齢が一番いいだろう」と言うので、いやだなと思い私が「そんなことしたらただじゃおかないから・・・」と言うと、笑っていました。沖さんと話しているとおもしろくて・・・。途中で歌をうたったりして、とてもごきげんでした。私たちが演奏会に行く時間を気にしてくれたり、やさしかった。

羨ましくて卒倒しそうなひとときではないか。沖さんは優しいときはこんなに優しいのだ。彼女は「私にあだ名をつけて」と頼んで、「チャチャ」という名誉あるお名前まで拝命している。小柄な彼女は確かにそんなイメージだった。
「怖いときなんて一度もなかった。いつでも優しいお兄さん」
昨年再会した彼女はそう言ったし、「確かに私はファンの中でも気に入られていたと思う」と嬉しそうにしていた。(若干のヤキモチが文章から滲み出ているが、勘弁してもらいたい)

私はどうして裏の顔も見てしまったのだろう。不機嫌な姿、暗い目、私を見上げた時の涙、そして日記が「太陽にほえろ!」まで行ったら書くが、塀をみつめて立ちすくむ後ろ姿、怒りで私をみつめた厳しい目。手招きしてくれた時よりも、にっこり微笑んでくれた時よりも、その淋しそうな姿の方が印象に残るのは私だけなのだろうか。


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