ふりむくな鶴吉 24「貞女気質」

薪炭商・小松屋の娘・加代(志摩みずえ)が番屋に駆け込んできて、父の松平(増田順司)の死体をあらためてくれ、という。病死ではなく、母のお駒(小畠絹子)に殺されたのだという。検死にあたった夢斎は、水死の可能性もあると考える。布団が濡れていたというのも疑問だ。
その裏には、病気の亭主を抱えて25年、女手ひとつで小松屋の身代を築いたお駒の、人には言えない秘密があった。娘の加代の恋人・和三郎と過ちを犯したことがあったのだ。娘の結婚を認めないとそのことをばらすと和三郎に脅されたお駒は・・・。

事件が解決した後に鶴吉が加代に言う言葉が印象的だ。

「・・おいらも以前、さんざん苦労させられて死んだおふくろが哀れでね、とことん父親に逆らったことがあったよ・・・今考えるとあれあ、父親にもっと構って欲しかったんだな。仕事、仕事で、ろくに相手をしてくれなかったもんでね・・・本当は思い切りおっかさんに甘えたかったんだろう。そいつがこじれてこじれて、憎しみだけが化け物のようにふくれ上がりやがったんな・・・人間って奴ぁ、ひねくれた生き物でいけねえよ」

この回の放映直後、昭和50年4月23日、沖さんの実父・楠宗生氏が心筋梗塞のために、49歳の若さで亡くなった。直前まで大分にいた沖氏は養父の日景氏と遊園地に行って子供のようにはしゃいでいたそうだが、父親に会っていけばという日景氏の薦めを無視してそのまま東京に帰ってしまったので、後悔が人一倍残ってしまったようだ。
「人目も憚らず号泣」と週刊誌の記事にもかかれている。
一年後のインタビュー記事での彼の言葉をいくつか引用しよう。

「おれはこのとき初めて、男の、心の底からの鳴咽というものを体験したね」
「おやじとおれの間に、これほどの深い愛があったということは、死ぬまでわかりませんでしたね」

沖さんの両親は彼が15歳の時に離婚しているが、その大分前から父親は家を出て他の女性と暮らしはじめていたらしい。

「オレも潔癖症というか、許せない!と思ったね、このときは。やっぱり離婚の原因はおやじだと思ったわけ。仕事一本槍みたいなところがあって、家庭や子供に興味がなかった人だったから」

沖さんは小学校の文集にこんな詩を載せていた。

夜中にミシンかける母のすがた
ぼおっとうつる ぼくのひとみに

「オレ、おかあさんっ子っていうところもあったけど、仕事に打ち込んでるおやじが不満だったか、というと、そうでもない。ただおふくろがひとりで出ていった。おれの中の優しさがそれを許せなかったんだと思う。みんなばらばらになっちゃえ!そう考えた」

母親の礼子さんは生活のためにバーを開いたが、やがて客の一人と一緒に暮らしはじめてしまう。家には子供たちだけが残され、お手伝いさんが来ていたようだ。
すぐに姉が嫁に行き、妹が叔父にひきとられる。中学生でたった一人家に残された城児少年。沖さんの瞳に時々映る暗い影には、ミシンを踏む母親の姿があったのかも知れない。

沖さんはのちにテレビでも父親について語っている(「俺たちは天使だ!」の番宣)が、宗生氏は、戦後『決起するんだ』といって日本刀を振り回していたといい、
「戦争っていけないですね。人を変えてしまう」
と語っていた。
だが、この父親の死を境に沖さんの表情には一層の影がつきまとうようになった。
父親の死から始まった「ふりむくな鶴吉」は、ますます沖さん本人とだぶって行く。

代表作をきかれて(「太陽にほえろ!」登場後)、

「『ふりむくな鶴吉』が一番印象的でしたね。あれに出ている時に俺にとって重大な変化があったし」

と答えてもいる。事実、この後の沖さんは演技に深みが増し、ますます年齢よりも老けて見えるようになった。
だが、スタジオの隅に座ってぼんやり宙をみつめていることも多かった。
そんな痛々しい姿を上から眺めていたある日・・・。(長くなったので、つづく)

ふりむくな鶴吉 25「珊瑚玉の女」

彫金師の源助が心臓をひと突きされて死んだ。死体のそばには、珊瑚玉がひとつ残されていた。
源助の弟子・銀太(蟹江敬三)に事情を聞いた鶴吉は、寅吉に張り込ませて銀太の様子を探るが、寅吉は銀太が岡場所あがりの女おふみ(中村玉緒)の長屋を訪ねるところを目撃する。おふみは元彫金師の徳次(入川保則)というヒモと暮らしていたのだが・・・。

(前回のつづき)
家庭を捨てて女の元へ走った父親を許せないと思っていた沖さんだが、その父親が予想もしなかった若さで急死したために、大変なショックを受けたようだ。以前のように共演者をからかったりする姿も見なくなったし、極端に笑顔が少なくなった。スタジオの隅でぼんやりしている姿を何回も見かけた。
そんなある日、私はいつものように見学センターから、沖さんの顔を見下ろしていた。見学コースから比較的近いセットのひとつに、一人で座っているその背中は丸く、ウンスンカルタの模様も心なしか縮んで見えた。
私は心の中で何か沖さんに声をかけたのかも知れない。なぜか突然沖さんは振り向いて、鋭い目つきで私の方を見上げた。あまりに突然のことだったので、私は金縛りに遭ったように動けなくなってしまった。沖さんの視線が私の全身を射抜いた。 前に書いたように、その頃の私は人と目を合わせることが出来ない状態だったのだが、その時は目をそらすことも出来ずに真っ直ぐ沖さんの目をみつめ返すしかなかった。それ程の鋭い眼差しだったのだ。脳裏にはさまざまなことが一瞬にして巡った。

『もしかして、あの外交官夫人とのことで脅迫電報を出したのが私だと思っているのでは?』
『いつも上からジトッとみつめていて嫌な女だと思っているのか?』

違う。私は我が目を疑った。沖さんの目は濡れていたのだ。スタジオの上に並ぶライトを浴びたその目は、間違いなく潤んでいた。
この時ほど自分の前に立ちはだかる防音ガラスを恨めしく思ったことはなかった。既に父親の葬儀に出て泣きじゃくる沖氏の姿と記事は読んでいたが、あちらからは顔すらはっきりとは見えず、言葉も交わしたことのない私に悲しみを訴えるほど、彼が苦しんでいるとは思っていなかった。

残念だが、私は自分を捨てた父が死んでも悲しむとは思えない。沖さんは本当に心の優しい人だったのだ。

「おやじ、寂しかったろうな・・・」

と葬儀の時につぶやいたという。それは、沖さん自身が寂しいからこそ思いが及ぶことなのかも知れない。だからこそ、見ず知らずの人間にすら救いを求めたのだろうか。

もちろん私にとって沖さんは、見ず知らずどころか、かけがえのない人であり、自分の命と引き換えにしてでも幸福になってもらいたかったのだが、いくら見つめられても何も出来ない。顔がこわばって微笑んであげることすら出来なかった。

もっとも、たとえ顔見知りであったとしても、当時15歳だった私には何も出来なかっただろう。おざなりな慰めの言葉を言って、かえって傷つけてしまったかも知れない。私が愛する者の死に遭って悲しんでいる人の心が解るようになったのは、他でもない、沖さん本人の死に遭遇してからだったのだから。

一体どの位見つめ合っていただろうか。その時に他のスタッフはいたのだろうか。他の見学者は私の横にいたのだろうか。周囲の状況が全く思い出せない。それほど衝撃的な出来事だったのだ。

先に視線をそらしたのは沖さんだった。さっと前に向き直ったその横顔まで、はっきりと覚えている。怒ったような顔だった。

後にも先にも、沖さんとこんなに長く視線が合ったのはこの時だけだったが、もしかすると、救いを求めていたのは私の方だったのかも知れない。沖さんよりも空虚な心を抱えていた私に、無意識に御褒美をくれたのかも知れないとも今になっては思える。孤独な魂は、他の孤独な魂の呼びかけが聞こえるものなのかも知れない。
今日は大事な大事な思い出を公開した。眠れないかも知れない・・・。

ふりむくな鶴吉 26「赤猫」

小伝馬町で火事が起こり、牢の囚人たちが明後日の朝までに帰ることを条件にで解き放された。無実の罪で明日死刑になるはずだった巳之吉(遠藤征慈)は、恋人・おさき(茅島成美)に会おうと彼女が勤める料理屋へ向かう。おさきは店を辞めていたが、巳之吉は追われて逃げ込んだ路地で、一年前に自分を捕らえた又十郎に助けられた。だが、又十郎に捕らえられた恨みを持つ巳之吉は、闇の中へ走り去る・・・。
実は、スコッチが「太陽にほえろ!」に登場した少し後、私はエキストラのアルバイトをみつけて撮影所へもぐりこむことに成功していた。
そこでのエピソードは後に書かせていただくが、この回のゲストだった茅島成美さんについての思い出で今日は勘弁してもらいたい。

エキストラとしてのバイトは残念ながら「太陽にほえろ!」ばかりではなく、むしろ違う仕事の方が多かった。それでも撮影所へ行くたびに、沖さんに会えるかも知れないという期待を持って嬉々として出かけたものだ。

ある日、「夜明けの刑事」というドラマのエキストラで目黒のスタジオに集合することになった。
俳優という仕事は、待ち時間も仕事のうちなのだとこのアルバイトで身をもって学んだ私だったが、この待ち時間に沢山の俳優さん方と話す機会があったので、私にとってはむしろ楽しみなひとときだった。
目黒スタジオの控え室は、主演俳優もエキストラも一緒、という大部屋だった。朝早い集合だったが、日の当たらない、カビ臭い部屋に通された私と友人は
「ここ、電気ないのかな」
「何だか暗くてこわいね」
と話しながら座る場所を探していてギョッと足を止めた。暗がりの中にしょんぼりと座っている女性の後ろ姿が見えたのだ。
電気をつけるのが憚られるような孤独なその後ろ姿は妖気さえ漂っていた。しかし、今は朝だ。オバケのはずはない。
「あの、電気つけていいですか・・?」
控えめに尋ねると、彼女は振り向きもせずにコクリとうなずいた。
灯かりをつけてそっと横顔をのぞくと、それは最近、「略奪婚で夫を奪われた」とワイドショーを賑わせていた茅島成美さんだった。彼女はその後も終始うつむいたままで、本を読むでもなく、後から入って来た刑事役の俳優さんたちと打ち解けて話すこともなかった。周囲の方々も気を遣ってそっとしておいてあげたのかも知れない。

そしてその時、もう一人誰かいるのに気がついた。
横になって熟睡していたのは、当時既に押しも押されぬスターだった水谷豊氏だった。水谷氏の大ファンだった友人だが、茅島さんの雰囲気に押されて、水谷氏の顔をさして口をパクパクさせ、無言のジェスチャーで驚きのポーズをとった。

そこへ某刑事役の役者さんが入ってこられた。
「あ〜あ、なんか朝なのにもう眠いな!」
そんな話を大声でしてゴロリと寝転がり、すぐに人間のものとは思えないようなイビキをかきはじめたかと思うとガバリと起き上がって
「俺、なんか寝言言っていなかった?」
と私達にきいた。いえ、別に・・と答えると、
「女の人の名前、言ってなかった?」
私たちは茅島さんの後ろ姿にヒヤヒヤしながら答えた。
「あ、何も・・・」

この番組はスタッフも俳優陣もとてもフレンドリーで、長寿番組なのがわかるような雰囲気だったが、私としては茅島さんのことが気になって仕方がなかった。
現在バラエティー番組などで活躍されている元夫(あえてお名前は出しません)を拝見するたびに、あの日の出来事が生々しくよみがえる私だった。

ふりむくな鶴吉 27「盛り場」

浅草界隈で“えて”と呼ばれている若い男(もんたよしのり)が、鶴吉の十手を盗み出す。
奪った十手を満足そうになぜていた“えて”の前に、兄貴分の栄次(綿引洪)が現れ、鶴吉をはめようと思いつく。
一方、“えて”の恋人・お梅(テレサ野田)は、借金のかたに町の親分・柳屋(高城淳一)から無理難題を突き付けられていたが・・・。

ここで、「え?『もんたよしのり』?」と驚かれた方もあるだろうが、これはもんた氏が挿入歌の「少年 鶴吉のバラード」を歌っている関係からのゲスト出演と思われる。
もんた氏はまだヒットを出す前であり、ほとんど無名だったが、

ふりむくな・・・ふりむくな・・・
もう後へは戻れない

と例のハスキーボイスでシャウトしている。
しかし、この1年後には同じNHKで、レコード会社から解雇されてしまうというドキュメントが制作された。歌手の光と影を対照的に視聴者に見せる嗜好で、もんた氏の正反対の道を歩む「光」として紹介されていたのは、ホリプロスカウトキャラバンで優勝した少女歌手だった。
どんどん舞い込む取材や撮影の様子や、デビュー曲の選択から歯の治療まで、プロダクションがありとあらゆる手を尽くす様子が映し出される。
一方のもんた氏は、レコード会社から呼び出され、契約更新はしないと告げられる。
肩を落として夜の町へ消える後ろ姿が印象的だった。

もんた氏はその後、沖さんもファンの集いで歌った「ダンシング・オールナイト」が大ヒットして現在でも活躍中だが、「光」だったはずの少女歌手は、この番組の放映から比較的すぐに「素行不良」という理由で、芸能界から追放された。皮肉なものだ。

沖さんは家出から1年も経たないうちに日活のニューフェースとして主役で映画デビューを果たしている。テレビに仕事の場を移した後も、仕事はコンスタントに入り、アイドルとして人気を得、その後棺桶の錠、鶴吉、スコッチ刑事・・と当り役にも恵まれた。

沖さんご本人はこの点について、養父の日景忠男氏が沖雅也という俳優を育ててくれた、という認識を持っていた。

(「初めて認めてくれた方は」という質問にきっぱりと)
「日景忠男氏です」
「自分のようにいいブレーンに恵まれていたら・・・」(亡父の思い出を語った中で)

ゲイバーで日銭を稼いでいた家出少年は、裕福な日景氏の後押しによって売り出しに成功する。アイドルとして人気絶頂の時には、仕事の質を下げないために、独立してプロダクションまで作った日景氏。世間知らずだった沖さんが恥をかかないように守ったのも日景氏だときいている。ブランド品で身を包ませ、盆栽という渋い趣味も日景氏の入れ知恵で始めたものらしい。
私見で申し訳ないが、沖さんは意外にもモラリストで、身分や地位に執着を持っていたように思える。プライドが高く、常に人より優勢に立ちたい。いわゆる「スノッブ」だ。

そのプライドの高さが嵩じて、時に沖さんは嘘をつくことすらあったが、そのにわか仕込みの南無阿弥陀仏・・・あ、失礼(「必殺仕置屋稼業」より)、にわか仕込みの盆栽も、いつしか真面目な沖さんは本当に自分のものにしてしまった。

沖さんはどの位日景氏を精神的支えにしていたことだろう。
実父の死を境に日景氏の養子に入ったことでもそれはうかがえる。沖さんが亡くなった後、この養子という事実についても同性愛と結び付ける記事が多く出たが、これは沖さんが日景氏に全幅の信頼を置いていた証拠だと私は考える。インタビューでも沖さんは日景氏についてこう語っている。

「自分のことはオヤジが一番よく知っている」
「今では本当のオヤジですよ」

日景氏は「真相・沖雅也」の中で、沖さんに対して恋愛感情を抱いていた日景氏に、沖さんは「上半身の愛でこたえた」と書いている。
この「上半身」という書きかたを、またもやおかしな解釈で書いた記事も出たので、どうして『家族愛』とか『精神面でのつながり』という風に書いてくれなかったのかと悲しく思ったが、編集者がわざとこんな文字にしたのかも知れない。

ファンの間でも賛否両論がある日景氏の存在だが、日景氏がいなかったら、「沖雅也」は誕生することもなかったかもしれない。楠城児少年に「光」を与えたのは、まぎれもなく日景忠男氏だったのだ。

ふりむくな鶴吉 28「奴女郎」

寅吉の代わりに遊女屋に借金を返しに行った鶴吉は、女将のお時(三原葉子)が殺されたらしいと耳打ちされる。
一方、又十郎は昔剣の仲間だった旗本くずれの村政(蜷川幸雄)に出会った。いまは落ちぶれてヒモ同然の暮らしをしているが、鶴吉が出会った悲しい運命の遊女と同じく、首に大きな刀傷があった。

いつも私見を交えた日記ばかり書いているので、今回は女性誌のインタビューで語った沖さんの言葉をそのまま引用する。
バーディー大作戦が始まる少し前のインタビューなので、生意気盛りでちょっと寂しがり屋の沖さんの声が聞こえて来るようだ。

「『沖雅也は生意気だ』と、よく言われるんだけど、なぜ、そう言われるか、自分自身が、いちばんよくわかるんだなあ。僕は、しゃべる口調がきついし、人との間には壁を作って、自分をさらけださないんですよ。
だから、友達も、たった一人しかいないし、父や母や妹とも、心の底から打ち解けない性格なんですね。一週間、家の中に一人だけでいて誰に会わなくても、寂しくないし平気です。

たまに、華やかなパーティーなんかに出席すると帰りには、自己嫌悪にかかって、うんざりするんだ。だから、外で酒も飲まないし、麻雀などの賭事もしないし無駄な遊びは絶対しませんよ。

僕のモットーは、自分のものになった金は生きた使い方をすることなんだ。たとえば、自分のくつろぎ部屋のインテリアや、僕らの売りものである衣装には、安っぽくなくていい物を買って楽しむんです。

いまは、皮製品に凝って集めるのが、唯一の道楽ですよ。夏でも、気に入った毛皮類があると、買っちゃうんだなあ。

それに、金がないと、心まで、貧困になりますから、将来のためにも、大いに貯蓄はしてますよ。

僕は、充実した人間になって、女房が教育できるようになったら結婚するつもりだから、あせったりしませんね。きっと。

仕事の役柄も、『三四郎』みたいな、ちゃんとした青年像が好きだし、『伊豆の踊り子』なんか演りたいです。

自分が、きちんとした人間になるように努力して、映像で、自分のなかにあるものを、拡大し、重複してゆきたいと思っていますよ。」


ふりむくな鶴吉 29「かまいたち」

にわか雨を避けて軒下に走りこんだ鶴吉は、突然男(火野正平)に短刀で斬りつけられた。近頃雨の日に限って現れる“かまいたち”と呼ばれる通り魔だが、鶴吉は彼ともみ合った末に取り逃がしてしまう。
数日後、ついに“かまいたち”による殺人が起こった。寅吉の妻・おふく(中尾ミエ)の飲み屋の常連、辰平(奥村公延)までが襲われ、江戸中が大騒ぎとなる。なら平(ハナ肇)のかわら版が飛ぶように売れるが、毎号必ず買いに来る女(紀比呂子)がいた・・・。
今回は1974年のお正月の記事「今年の俺をみてくれ!」という記事の写真をアップした。
記事の方には
「『一日おきにハードトレーニングに励んでいるので、肉がどんどんついてくるようで気持ちがよい』という沖雅也、お正月も返上して体を鍛えている。
『ことしは芝居のできる役者をめざして努力しているので、そのためにも体が資本だから」と汗を流す。“ヤングアイドル”から脱皮して、今、大きく羽ばたこうとしている。」

とあるように、こめかみの血管が切れそうだ。
昔は代々木のトレーニングセンターに通っていたそうだが、チャック・ウィルソン氏のクラーク・ハッチ・トレーニングセンターへ通い始めた頃だろうか。(別に場所はどこでもいいけれど)

そういえば、「あの人・この人・どんな人」という関西系のクイズ番組にレギュラー出演をしていた時に当時まだ無名のチャック・ウィルソン氏が「この人は何をする人でしょう?」という形で出演され、正解が出た後に司会の西川きよし氏が沖さんに
「沖さん、お知り合いだそうですね」
ときいていたことがあった。何というズサンなクイズ番組だ。正解が解答者に事前に確認されていたことまでバレバレだ。

話を元に戻そう。
沖さんのトレーニングの様子はすさまじいものだったという。完全主義者の故に自分をも甘やかさなかったのだろう。
最近衛星波で再放送になったアイドル時代の沖さんをご覧になった方は、その細さに驚かれたことだろう。
家出をして働いていた頃、モデルになると言ったら「そんなに太っていたら無理だ」と言われて一年奮起して、体重を10キロ以上落としたらしい。その沖氏が本格俳優を目指して、筋肉の増強を始めた頃の記事だ。確かに、この頃から体が逞しくなってきていた。

沖さんが亡くなった日、京王プラザでは三船プロから独立した俳優たちの独立パーティーがあった。その独立プロのメンバーは沖氏と共演のあった俳優が多かったのは偶然だろうが、その中に当時多岐川裕美さんの夫だった阿知波信介氏の姿もあった。沖さんとは「さぼてんとマシュマロ」で共演している。その阿知波氏によれば、

「あいつがジムでトレーニングしている姿は普通じゃないよ。」

と、その猛烈なトレーニングから、完璧を目指して自分を追いつめる性格だったことをを示唆していた。

何事にも集中力がなく、自分に甘い性格の私としては耳が痛い話だが、もう少しいい加減に生きてくれていたら、とほんのちょっぴり残念に思う時もある。

ふりむくな鶴吉 30「両国界隈」

同心・三宅伝蔵の元に、土蔵破りの一味が江戸へ潜入したらしいという書状が届けられる。
伝蔵と鶴吉、そして寅吉は、この書状に書かれていた神社の名は、いずれも見世物小屋のかかる場所であることに気づく。

折も折、日本橋の土蔵が破られた。鶴吉らが現場に急行すると、屋根に小さな穴が開けられていた。犯人はかなり身の軽い者だということから、見世物小屋の軽業師ではないかと思われた。道楽息子として見世物小屋に潜入することになった鶴吉は、子供だましの芸を教えられたり、軽業師の花吉(児島みゆき)に赤ん坊を預けられたり、とてんてこまい・・・。

一年のドラマも残すところ4ヶ月となった。この頃にはレギュラー陣の息はぴったりと合って、皆が鶴吉を引き立てて暖かい雰囲気を出していた。

今回も見世物小屋へ潜入した鶴吉を皆で心配する様が微笑ましく、沖ファンとしては余計なお世話ながら、出演者一人一人にお礼を言いたいほどだった。 中でも寅吉を演じた西田敏行氏は絶妙の演技だった。のちに大ブレイクして、今や大俳優になられたこともうなずける。
放送センターの見学コースの客にサービスをするのもいつも西田氏で、

「『ふりむくな鶴吉』是非見てやって下さい。この通り、色男も頼んでおります」

と沖さんの頭を下げさせたりしていた。沖さんはいつもの癖(あるいはポーズ?)で頭をかく仕草で、照れたように笑って見せて、女性見学者を魅了していた。

この鶴吉と寅吉のコンビがあまりにもぴったりだったので、のちに「ふりむくな鶴吉」が舞台になった時には、青年座に電話して西田氏が出演されるかと尋ねてしまったほどだ。
(舞台は「前進座」公演だったので、当然西田氏の出演はなかった)

無駄な想像ではあるが、沖さんと西田氏のコンビでコメディー映画があったらなあ、とため息をついてしまう今日この頃である。

ふりむくな鶴吉 31「お吉火事場くどき」

鶴吉が前に住んでいた長屋が焼け、火元は引っ越して来たばかりの常吉(森次晃嗣)の部屋だと判明した。男の焼死体があったが、身元は判別出来ない。
鶴吉と寅吉は常吉の身元保証人である浜津屋へ行ってみるが、該当者はいなかった。その帰り、二人はたばこを買う若い女・お吉(緑魔子)にばったり会った。お吉は焼け跡にじっと立ちすくんでいた女だった。

この頃沖さんが住んでいた代官山のマンションのベランダで撮影された写真の載った記事。
この頃は何となく上半身裸の写真が多いような気がするが、別にわざと鼻血出血大サービスを助長しているわけではなかっただろう。代官山の話を少し書きたい。

ひょんなことから沖さんの自宅の住所がわかったので、自宅を引越すことになった時には、少しでも近いところを、と考えて強硬に東横線沿線を主張した。もちろん理由は家族には伏せたままだったが、たまたま良い物件がみつかったこともあり、沖さんのマンションへ頻繁に行かれるようになった。
高級賃貸マンションだったので、当時から入り口にセキュリティーシステムがついていたが、駐車場から入れば簡単に通過できてしまった。

「太陽にほえろ!」のエキストラをした時、沖さんが午後の撮影をサボって帰ってしまったことがあった。詳細は私の日記がその時代に突入した時に書くつもりだが、一緒にいたファンの友人と、罪悪感にかられながらもマンションの中まで侵入してみたことがある。
誰にも言わずにいなくなってしまった沖さんの部屋の前には、店屋物の丼が二つ置いてあった。
自宅に帰っていたのだ。

「ふりむくな鶴吉」の頃に話を戻そう。
あの涙を見せた沖さんは、それから私とは全く目を合わさなくなってしまった。
寂しさで胸がつぶれそうになった時や、行き詰まった時、嫌なことがあった時、私は沖さんのマンションの前にあった歩道橋の上から沖さんの部屋のベランダを眺めるようになった。
今は再開発が進んでお洒落な街の代名詞とも言える代官山だが、当時は女性誌などで紹介され始めてはいたものの、まだまだ静かな街だった。

その頃の沖さんはまだ自宅で盆栽の手入れをしていたので、そのベランダだけはいつも緑でいっぱいだった。
その緑を見上げながら、
「沖さん、あのね」
「今日は私、・・・」
「昨日の鶴吉はいい話だったね」
と、一人で語りかけていた姿は、多分頭のちょっとおかしい女の子に見えたことだろう。

ある日、歩道橋の手すりに足をかけて、下をのぞいて見た。車の量はかなり多く、そこには「日常」と「生活」が凝縮されているように見えた。そして沖氏の部屋を見上げる。そこには私の「夢」があった。
交互にこうして見ることで、自分の心のバランスをとろうとしたのか、或いは物語の主人公にでもなったつもりだったのか。
その時、買い物袋を提げた主婦らしき人が、けたたましい靴音を立てて階段を駆け登って来たので、私の考えは中断された。
「何やってるの?!」
ストーカーのような沖さんへの行動を責められたのだ。その女性はいきなり私の両肩を掴んで揺すった。
「若い人がどうしてそんなことを考えるの!」
「ごめんなさい・・」
「どうしてなの?まだ若いのに、そんなことして。ご両親はご健在なんでしょう?」
「はい・・・」
「その親御さんがどんなに悲しむか考えてごらんなさい。私にも娘がいるのよ。もう○年前に○○県に嫁に行って、子供が○人いるんだけどね、その子もあなた位の時は・・・」

なんだかわからないうちに彼女の娘の話を延々と聞かされた。そして、
「こんなこと、もう2度と考えちゃだめよ。もしまた死にたくなったら、おばさんの家へいらっしゃい」
と言われた時、私は全てを理解した。手すりに足をかけたまま体を乗り出して下を見ていた私は、歩道橋の上から車道に飛び降りて死のうとしているように見えたのだ。そんなに深刻な表情だったのだろうか。しかし、もう否定もできず、
「ありがとうございました。もうしません」
と答えるしかなかった。
満足そうにうなずき、暖かい微笑みを投げかけながら去っていったその女性の後ろ姿を見ながら、今度沖さんの家を見に来た時は彼女にみつからないようにしなければならない、と思った。
とほほな日だった。

ふりむくな鶴吉 32「市村座女形地獄」

名女形・市村萩之丞(河原崎国太郎)の跡継ぎと目される若手歌舞伎俳優・粂次(嵐芳夫)の大人気で、市村座は大盛況の日々が続いていた。ある日、立役が急病になり、急遽代役として紋四郎(嵐圭史)が選ばれたが、紋四郎の抜擢を快く思っていなかった粂次は、舞台のヤマ場でわざと芝居を狂わせて紋四郎に恥をかかせる。
数日後、舞台の上で粂次が殺された。状況から見て複数の者の犯行と鶴吉はにらみ、紋四郎と床山の松吉(市川祥之助)を呼び出すが、証拠は何もなく、二人は容疑を否定する。
そして今度は松吉が水死体で発見される・・・。

この回は前進座の俳優多数ゲストで登場し、劇中劇「女殺油地獄」もあった。
この前進座との共演がきっかけで、後に舞台版「ふりむくな鶴吉」が前進座で上演されることになる。

前進座と縁が出来た沖さんは、この他テレビシリーズの「伝七捕物帳」や「だるま大助」にゲスト出演することになるが、前進座が沖さんを気に入った理由のひとつには、沖雅也という俳優はお年寄り受けするということがあったからではないだろうか。
沖雅也という俳優を通じて何人かの60歳以上の女性と知り合うことになった。
ある人は沖さんに亡き夫の面影を見ていた。ある人は家出した息子の代わりだと言った。
そして、その誰の口からも出たのは、沖さんは大変優しく彼女らに接してくれたということだった。
日景氏の話によれば、沖さんは和服のお見立て会へ出ることに不満だったようだが、きっとその場へ出れば「優しく礼儀正しい俳優・沖雅也」を演じていたのだろう。

トーク番組に出演した時も、年長の司会者の時は物腰も言葉遣いも大変丁寧で、大変礼儀正しい印象だった。司会者が女性だった場合はちょっとすねてみせて、質問をはぐらかしたりもしたが、これとて女ごころをくすぐるための演技だったのかも知れない。

そもそも、NHKが沖さんを鶴吉役に抜擢したのも、時代劇の主な視聴者としてのお年寄りへの好感度を意識してのことだったのかも知れない。

この頃まではクイズ番組などにもよく出ていた沖さんだったが、いつも笑顔で明るい態度で、人を笑わせる才能を遺憾なく発揮していた。クイズの成績も良く、頭の良い青年というイメージ作りにも成功していた。
NHKの「連想ゲーム」にゲスト出演した時も
鶴吉の視聴率に貢献しそうな活躍ぶりだったのを覚えているし、のちにレギュラー解答者としても登場することになる。

沖さんの社葬の後で、ある60歳代後半の女性と会った。品のいい着物を綺麗に着こなした上品な人だったが、彼女はこう言った。

「私、いつか沖さんに演じてもらおうと思ってシナリオ教室に通っていたのよ。あの世に行ったら二人で共演しようかしら。・・・

私の息子、ちょっと沖さんに似ているのよ。今は太って沖ブタ也になっちゃったけれど、昔はそっくりだったの。その息子がヤクザとのトラブルに巻き込まれて失踪した時、私、少しおかしくなっちゃってね。テレビに沖さんが出ているのを見て、『あ、○○ちゃんがいる』って息子と勘違いしちゃった位。だから、その日から沖さんは私の息子。・・・

若い人はもう忘れてしまいなさい。私はもうすぐ会えるけれど、あなたたちはまだ先が長い人生があるんだから、このことを引きずってはいけませんよ」

若かった私たち数名は、涙を流しながらこの話を聞いた。だが、私はそれから18年、忘れることも出来ずにこうしてサイトまで開いている。

あの女性は健在だろうか。それとも今ごろ沖さんと話をしているだろうか・・・。

ふりむくな鶴吉 33「修羅屋敷」

60歳になった葛飾仁左衛門(西村晃)は強欲で鳴り響いた男。悪徳の限りを尽くして今の財産を築いたが、その膨大な財産を巡って、家族の間では醜い相続争いが起こっていた。
仁左衛門の蝦夷時代の友人・夢斎は噂をきき、鶴吉とやよいを兄妹に仕立てて葛飾家に送り込んだ。

今回は鶴吉とやよいのちょっとした愛情の確認もある。疑いをかけられて代官所で拷問を受けた鶴吉が、牢内でやよいに看病してもらうシーンだ。

「大丈夫?」
「名医がついてるから大丈夫だ」
「名医って?」
「おまえだよ」
「足手まといになって怒っているんでしょう?」
「本当だよ。心底頼りにしてるんだ」
ニクイね、鶴さん。

この頃になると、見学センターに一日中張り付いていても、沖さんの出番がないことが何回かあった。その訳は後援会報が来て判明する。
10月からの新番組が入っていたのだ。
「必殺仕置屋稼業」と「はぐれ刑事」だった。
はぐれ刑事は浅草ロケが多く、必殺に至っては京都だという。毎週末ここに来れば沖さんと会える、という日々も終わりが近づいていたのだ。

追い討ちをかけるように、ショックなニュースが入った。同級生が必殺のヒロイン募集に合格したというのだ。

「必殺仕置屋稼業」では中村主水が密かにあこがれる少女役を公募しており、彼女はヒロイン役こそ逃してしまったが、おこうさん(中村玉緒)の髪結屋で下働きをする役で出演するというのだ。

彼女は同級生といっても、学校から選ばれた交換留学生として一年間海外にいたため、年齢は一歳上だった。特に派手というわけではなかったが、英語の弁論大会の代表にも選ばれる優等生で、かといってガリ勉タイプでもない、はつらつとした女の子だった。
それに引き換え、私はコンプレックスの塊で、勉強も容姿も平均以下、この年の担任には徹底的に嫌われ、しかも円形脱毛症だった。(ここで笑わないように)

天は二物を与えず、というが、時々神様は不公平だった。

ふりむくな鶴吉 34「梅雨の晴れ間」

浪人・木村右衛門(藤巻潤)は仕官先を頼んだ先で屈辱を受けた上に雨でずぶ濡れになる。怒りを静めるために入った『ふく寅』で、おふくは雨に濡れ右衛門に青い手ぬぐいを差し出した。
金貸しで踊りの師匠・歌江(いまむらいずみ)が殺され、遺留品として青い手ぬぐいが残されていた。
このサイトを覗いて下さる方の中には、梅雨のシーズンが来ると心穏やかでいられなくなる方もいらっしゃるのではないだろうか。
沖さんの亡くなった6月28日は、前日までの鬱陶しい雨がふっと上がった日だった。

沖さんが亡くなる数年前からうつ病にかかって通院・服薬を続けていたことは、当時の週刊誌の記事にもなった。
うつ病という病気は、症状が悪化している時は死にたくても行動に移せず、完治しかかった時にふっと心が揺れて行動に出てしまうことが多い、と言われているそうだ。かの田宮二郎氏のご子息も、「家族がもう大丈夫と安心した時に、急に行動に移してしまった」と対談記事で語っている。

仕事が順調になりつつあり、薬の副作用で増えた体重もほぼ元に戻った沖さんは、順風満帆のはずだった。8月には大阪・新歌舞伎座で2度目の公演を控えており、私は傘をさして後援会に切符を買いに行ったのを覚えている。

まるで梅雨の晴れ間に出た太陽のように、鋭い光を投げかけてから、急に姿を消してしまった沖さん。
私の買った切符はまだ手元にある。まるでいつかその舞台を見る日が来るかのように。

雨と湿気が、あの日の匂いを呼び起こしたのか、今日はちょっぴり湿っぽくなってしまった。

ふりむくな鶴吉 35「花火の夜」

大工の永太(谷幹一)とお澄(根岸明美)の夫婦は、ふとしたことから千両もの大金を手に入れるが、持ちなれない大金に目がくらんだ夫婦を数々の災難が襲う。
一方、鶴吉は泥棒の悪源太殺しの事件を追っていた。河原に捨てられていた千両箱から、奇妙な事実が浮かび上がる。

沖氏はその類まれなる美貌を生かした役を20歳代の半ばから演じ始める。「必殺仕置屋稼業」の市松や「太陽にほえろ!」のスコッチ刑事などがその典型だ。
当時の同級生たちの会話。
「確かに顔は整っているよね。あんなに完璧なハンサムな人いないよね。日本で一番顔が整っているんじゃない?」
「でも、あんまり整いすぎているのもね・・・。整形じゃないの?」

自分で悪口を言うことはあっても、他人に言われると頭に来るのがファン心理。整形なんかじゃない!と反論したものの、確証があるはずもない。確かにアイドル時代は一重まぶただったのに、今ではくっきり二重にもなっている。鼻も鋭角に尖って、しかも人並外れて高い。おまけに182cmの長身とくれば、もう文句のつけようもないではないか。

アイドル時代の沖さんを見てファンになった私としては、ファンとしての出発点は、優しいお兄さんのイメージだったはずなのに、沖さんはどんどん脱皮して、この鶴吉の頃には正統的美男子の道を歩み始めていた。それ故に私は友人からは面食いと信じられ、「沖雅也のファン」と一言口にしただけで、男の子の不快感を買った。

まあ、沖氏の御父上のお顔を見れば、ひとめで遺伝性の美形であることはわかるのだが。

昭和50年7月1日発行)の後援会報の沖さんのコメント。

「6月12日、今日で23歳、この道に入って早や8年、月日の流れの速さに驚くとともに、今日の僕があるのも、スタッフならみにファンの皆様のお陰と感謝しております。
現在は、月曜日から水曜日の午前中までは京都松竹撮影所で『必殺仕置屋稼業』の撮影をし、水曜日の午後には帰京して、夕方から日曜日までが、NHK『ふりむくな鶴吉』のリハーサルとVTR撮り、木曜日は『ふりむくな鶴吉』のリハーサルと調整をして、『おからの華』のVTRというスケジュールです。

プライベートのことでは、僕は今“植木”に凝っているんですよ。朝、起床してすぐに水をやり、手入れをして・・・。実に心が和みますし、仕事への糧にもなりますね。仕事が終わってから帰るのがまた楽しみです。夜中の3時頃になっても必ず様子を見るんです。こういう仕事をしていますと、静かなもの、心が落ちつけるものに触れたい気持になるものなんです。

今年の前半は、突然の父の死などにあい、いろいろと試練の多い月日でした。人生の中で、多かれ少なかれ誰でもがみんな通る道なのかも知れませんが・・・。
これから暑くなって来ます。会員の皆様のご健康をお祈りいたします。」

こうしてコピーすると、今、沖さんがファンの皆様に語りかけているような気がしてくるのは私だけだろうか。

ふりむくな鶴吉 36「三途の川往来記」

いつもおふくの店で飲んでいる知念坊(丹古母鬼馬二)が毒を盛られるという事件が起こった。一命はとりとめたものの、どうやら人違いによる殺人未遂だったようだ。
夢斎と又十郎の調べで、毒は『ふじうつぎ』という毒性植物だとわかった。鶴吉は『ふじうつぎ』を扱う薬種問屋・岩木屋を突き止めるが、そこの若主人・勝次郎(三田松五郎)は近々祝言をあげるという。しかし、彼は意外なことを口走った・・・。

夏休みになった。
後援会で販売された浴衣の生地は、白地に濃紺で「ふりむくな鶴吉」と書いてあった。番組の宣伝のために、これを学校の合宿に持って行って着ることにしたが、なにしろ家庭科で作った浴衣は、ほとんどの生徒同様母の手作りだったので、これを自力で浴衣に仕上げるのがかなり大変な作業だった。

出発前日に仕上げようと急いで家に戻ると、母が浴衣を仕上げてしまっていた。しかし、これは宿題の浴衣とは違うのだ。こだわりの手作りにしたかった私は、いまだにそれを思い出すと腹が立つという執念深い人間だが、その時はほどいて縫い直す時間もなかったので、そのまま合宿に持参した。

一人で着るのは恥ずかしいので、友人たちと一緒に浴衣を着て食堂にデビューした。他の生徒たちがぎょっとして見守る中、私は勇気をしぼって大声で叫んだ。

「『ふりむくな鶴吉』をよろしく、よろしくお願い申し上げます!!」

これで他の同級生からの私の評価は一層下がったが、沖さんのためなら何でもやろう、と一生懸命だったのだ。

この合宿には、実はこっそり小型のテレビも持参していた。「おからの華」の放映と日が重なったからだ。
まだ液晶ポータブルテレビなどない時代のことなので、小型といってもかなりの大きさだった。担任に
「2泊3日なのに、どうしてそんなに荷物が大きいの?」
と嫌みを言われたが、中身の検査はされずに済んだ。まさかテレビが入っているとは思わなかっただろう。

結局その場所で「おからの華」は映らなかったが、沖さんはその日は出演していなかったことがわかり、胸をなで下ろした。
あの頃ビデオが普及していたらなあ、とつくづく思う。


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