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Bruno Walter's Page The attraction of Buruno Walter |
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| ワルターの魅力 編集:TOSCA |
| ブルーノ・ワルターを聴いているときほど、安息の時間を過ごしたという実感を感じることはない。ワルターの創り出す音楽は独特な豊かさ、温かい
ぬくもり、親しみやすさ、精神性の高揚と豊かな感情による作品への思いやりが感じられる。これはトスカニーニ、クナッパーツブシュ、ベーム、フルトヴェングラーにはない、ワルターだけが持つ魅力
なのです。 彼はその著書「音楽と演奏」の中で、自分は教育的指揮者であると述べております。つまり、ワルターは指揮をするとき、決してトスカニーニのような専制君主になれなかった人なのです。 (トスカニーニは自分の意志を徹底するのに何度か楽員と衝突してしまったが・・・) すぐに楽員の気持ちを考えてしまうという。これは彼が認めているように、指揮者には絶対あってはならない欠点なのです。ワルターはこの自分自身の大きな欠点をどのように解決したのでしょうか? ワルターは短所を長所に変えるべく、長い時間をかけて楽員を教育するやり方をしたのです。リズム、カンタービレ、テンポから曲の解釈に至るまで、どのように演奏すれば最も正しく、もっと美しいかを 絶えず楽員に話したのです。しかも常に楽員の気持ちを考え、優しい態度で接したので、ワルターの音楽観は徐々にメンバーに浸透し、ついには楽員自身の感情として表現するようになりました。そうです。まるで 先生が弟子に教えるようにです。このようにして楽員が自分たちの演奏として歓びをもって弾き、ワルターは全体をまとめるだけで良かったのでした。結局はワルターの演奏なのでしたが・・・。 ワルターがオペラ指揮者として卓越していたのは、彼の指揮下では歌手が非常に安心して自分の才能を発揮できるからであり、しかもその表現はワルターが前もって歌手を教育した結果であって、彼は 自分と音楽的に合わないような歌手は極力選ばないようにしたということであります。結局のところ、ワルターは天才でも英雄でもない。才能に恵まれた普通人が努力して偉人になったのだ。彼の妥協が時として 表現に一種の曖昧さを与えているのは否定できないでしょう。オーケストラによって表現が変わってくるのはそのためであるし、コロンビア交響楽団を愛する理由も解る気がするのです。 クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのように表面的な冷たさが無く、誰しも微笑みかけてくる音楽、厳しすぎない音楽、それでいてカラヤンなどと比べると、遙かに精神的でロマンティックな芸術、ここにこそ ワルター最大の美点があると同時に、その人気の秘密も伺われます。態度としてはある程度、現世的なものを土台としながらも、演奏自体は、著しく幻想的であって現実を遠く離れています。それはフルトヴェングラーや クナッパーツブッシュのような、いかに生きるべきかの闘いではなく、現実逃避の夢なのかも知れません。(この辺はマーラーの影響が感じられる) 故国を持たないユダヤ人の幻想の中に漂う淡い孤独の影、それはワルターの人間的な弱さを伴って、彼の演奏に大きな魅力とニュアンス(色合い、陰影)添えているのです。自分の気持ちよりは人の気持ちを 考えないではいられない人、この上なく謙虚でまじめな人、現実のことに疎く、「術は日常生活を超えて高く聳えていなければならない」と言いつつも、一方では家庭生活を大切にしないではいられなかった人、 ワルター・ファンはこうした彼の美点と欠点を全て知っている。そして芸術としての弱さを持つが故に、それが正直にでた彼の演奏を心から愛するのです。こんなに親しみやすいワルターの芸術であってみれば、 本来ならば二流の域に甘んじなければならない筈なのだが、一流中の一流としてとどまっているのは、ひとえに彼の純音楽家としての才能、そして純真で真剣な自己陶治の結果ではなかったろうか。そういう意味では 彼は極めて別格なユニークな存在であります。何よりも人間性の高さが演奏に如実に反映しているのです。 晩年、コロンビア交響楽団との録音の合間に、ワルターは休憩室で休んでおりました。その時、楽員たちは「先生を尊敬しているだけでなく、心から愛しています」と語ったプロデューサーの言葉を聞いてハラハラと涙を 流したワルターの人間性にどうして惹かれないでいられよう。(トスカニーニもワルターの人間性に惹かれて、終生の友情が芽生えたのであった。) ワルターの内部にある強さは、戦後アメリカ中の音楽家たちがこぞってフルトヴェングラーの渡米に反対した時、メニューインとたった二人きりで味方をしたことに現れている。問題は彼の魂の温かさ以上に、 こうした行為が全米音楽家からボイコットされる危険にさらされているという事実でありましょう。わたしはワルターの正義に対する勇気に深く心を打たれるのです。 ウィーン・フィルハーモニーの楽員の一人は、「人間としてワルターは善の化身であったといえるのだが、人々に、いつも彼に対してある種の距離を保たせていた」と書いている。ここにもワルターの人間的な温かさ と同居する芸術家としての強さを見るのである。それなればこそ、実演のモーツァルトの歌劇「魔笛」やベートーヴェンの英雄のような超名演が可能となったのでしょう。 ワルターが最も得意とした音楽は、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブラームス、マーラーなどでした。彼の演奏スタイルは作曲家の年代によって大きな差を見せず、常にワルターそのものであった。 それはスタイルとしては初期ロマン派の感じで、シューベルトあたりがぴったりであり、ハイドン、モーツァルトはややロマン的に過ぎ、R・シュトラウスやワーグナーでは古典的に過ぎる趣があります。 しかし、わたし自身は彼のウィーン・フィルとのハイドンの「軍隊」やニューヨーク・フィルとのモーツァルトの「40番」、コロンビアとのマーラーの「第一」そしてベートーヴェンの「第二」「第四」「第六」あたりにおける、 彼ならではの独特な温かな情緒、纏綿と歌われるカンタービレが例えようもなく好きです。 ここに掲載されるワルターの魅力は宇野功芳著 レコードによる演奏の歩み〜 音楽之友社を参考に筆者が多少手を加えたものです。 |
| 参考図書 宇野功芳著 レコードによる演奏の歩み〜 音楽之友社 Japanese |

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