マタイによる福音書21章1〜11節
を朗読
2000年3月12日の日曜学校
説教:桑原政道

 先週からイエスさまの御受難のことをお話ししています。(今年のイースターは4月23日とかなり遅く、当然受難節も3月8日からなのだが、日曜学校のカリキュラムでは3月初めから受難の話しをすることになっている。)  今日読んだ聖書は、シュロの祝日と呼ばれ、イエスさまの御受難の一週間前のことの出来事であると言われています。さてイエスさまはエルサレムの都に入られました。エルサレムはイスラエルという国の首都です。日本でいえば東京のような所です。それもただ都に入っただけではありません。イスラエルの王様として入られたのです。王様はその国で最も偉い人で、誰でも王様の言うことはきかなければなりません。そんな偉い人としてイエスさまは入っていったのです。

 イエスさまは王様としてエルサレムの街に入ったのですが、そのときどのような格好で入っていったでしょうか?(子供はキョトンとしている...質問を替えて) それではどんな乗り物に乗って街に入りましたか?(答え:ロバ) そうですね。どんなロバでしたか?(答え:子ロバ) そうです。まだ子供で小さなロバだったんです。でも普通、偉い王様はどんな乗り物に乗ってやってくるでしょうか。大きくて立派な車、または金銀宝石で飾り立てた車に乗ってこないでしょうか。また立派な飾りのついた着物や、冠を被ってくるのではないでしょうか。しかしイエスさまは、みんなが着ているのと同じような服で、まだ子供の小さい子ロバに乗ってやってきました。なぜでしょうか?

 ここで聖書を読んでみましょう。4節を○○ちゃん読んでください。「それは、預言者を通して言われたことが実現するためであった。」 続けて××君、5節を読んでください。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」 そうです。預言者、つまり神さまの言葉を預かる人が、イエスさまの生まれるずっと前から、イスラエルの本当の王様が小さなロバに乗ってやってくいることを、神さまの言葉として教えてくれていました。ゼカリヤという名前の預言者なのですが、そこには続けてこう書いてあります。「わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ。」 つまりイエスさまは平和の王としてやってきたわけです。普通の王様のように威張ってはいません。柔和な方、つまりへりくだってやさしい方として、イエスさまはロバに乗ってやってきたのです。

 そんなイエスさまをエルサレムの街の人はどのように迎えたでしょうか?9節を読んでみましょう。「そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』」 イエスさまの前に居る人も後に付いてきた人も一緒に、大声で神さまを讃美したのです。ちょうど、預言者がイエスさまより生まれる前に、またずっと後に生まれた私たちがイエスさまに従っていくように、みんなが一緒になって、「いと高きところにホサナ!」と讃美するのです。

 ところで、このようにみんなに喜んで迎えられたイエスさまですが、この後ひとり十字架の道をまっすぐ進んで行かれます。それはわたしたちの罪のなかへ、つまり互いに憎み合い争いの絶えない私たち人間の直中に向かって歩まれたのでした。イエスさまは、やさしい平和な方として私たちに出会い、しかも私たちの醜い憎しみの心の直中に立って、十字架に掛かられます。私たちは平和を思うとき、一方では憎しみの心の内にイエスさまが立っていてくださることを忘れてはならないと思います。

お祈り
天のお父様。わたしたちにイエスさまを、平和なやさしい方としてお遣わしくださったことに感謝します。しかもそのイエスさまが、わたしたちの罪のために十字架にかかり、わたしたちの憎しみの心の内に立ち、罪のとりなしとあがないをしてくださることを感謝します。わたしたちがこのイエスさまの愛を憶えて、お互いの憎しみをゆるしあいながら、この一週間を過ごせますようにお守りください。罪を悔い改め、ふたたびあなたを大声で讃美できるようにしてください。
イエスさまの御名によってお祈りいたします。アーメン。