マタイによる福音書12章9〜14節
を朗読
2000年7月16日の日曜学校
説教:桑原政道

 先週の聖書の御言葉に「神さまが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」(7節)というのがありました。今日はその続きで、安息日、今でいえば日曜日にあたる日の出来事についてお話します。
 安息日については、モーセの十戒に「安息日には仕事をしてはならない」という戒めがあります。それはその日を聖なるものとして、神さまを礼拝する日としなさいという目的のためでした。日曜日はただ仕事や学校を休む日ではない、みんなが神さまを礼拝するために神さまが準備された日なのです。ちょうど神さまが天地を創造され、最後に人を造られたように、神さまの御心が「これでよい」というように完成した、そのような営みを私たちの生活の内にも回復する日なのです。安息日は神さまの願い、御心が行われるように、人のために備えられた日なのです。
 さて、その安息日にイエスさまは会堂に入られました。会堂は今でいえば教会のようなところです。そこには神さまを礼拝しようとする人が集まっていました。ところが、そのなかに片手の不自由な人がいました。多分、この人は片手が不自由なために、普通の人と同じようには仕事ができず、教会に集う人からお金を恵んでもらっていたのではないかと思います。誰もがこの人の不自由な生活を憐れみ同情したと思います。そこにイエスさまが現れたのです。
 神さまを礼拝しにやって来た人のなかに、モーセの十戒にある「安息日には仕事をしてはならない」という戒めを厳格に守ることを自慢していた人がいました。14節でいうファリサイ派という人たちです。このファリサイ派の人たちは、イエスさまが色んな人の病気やケガを癒したのを知っていたので、イエスさまが安息日にお医者さんの仕事をするかどうかを試しに聞いてみたのです。「安息日に病気を治すのは、律法で赦されていますか?」10節にそう書いてあります。
 イエスさまは何て答えたでしょうか? ○○ちゃん11節と12節を読んでください。「あなたたちのうち、だれか羊を1匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから安息日に善いことをするのは許されている。」 片手の不自由な人は、ちょうど穴に落ちて出られなくなった羊のように、あれもできない、これもできないと、皆から蔑まれて生きていた人だったと思います。イエスさまは、羊が穴に落ちたら助けるのが当たり前のように、苦しむ人を助けるのは神さまを礼拝する安息日にふさわしいことなのだと言ったのです。イエスさまは、ただかわいそうなまま放っておくだけではなく、この片手が不自由な人に手を差し伸べて、一緒に心置きなく礼拝するように招いてくださったのです。片手の不自由な人はイエスさまが「手を伸ばしなさい」という通りにすると、もうひとつの手と同じように元通り良くなりました。
 普通の人ならこのことを見て喜びにあふれ、神さまに感謝するでしょう。イエスさまは、私たちの内に潜むおごり高ぶった心を低く下げて、逆に蔑まれている人、心の低いうなだれている人を高くあげて、父なる神さまを皆が一緒に感謝し喜ぶことをいつも願っています。神さまを礼拝するとは、このようなイエスさまの導きと助けの下に、皆が一日仕事の手を休めて、神さまのために力を合わせて集うことだと言えます。
 しかしそれを見ていた人のなかに、律法を厳格に守ることを自慢するファリサイ派という人たちがいました。彼らは安息日に仕事をしてはならないという戒めに縛られて、その目的である神さまを礼拝することを忘れていました。律法で大切なのは、「何々をするな」という戒めのなかに、神さまがむしろどんどんやりなさいという御心が共に語られることへ、充分に耳を傾けることです。ちょうどエデンの園で、アダムとエバが園の中央の実を食べてはいけないという戒めを受ける一方で、園にある他のどんな実も食べることが許されていたようにです。私たちが戒めに含まれる神さまの大きな恵みを忘れたとき、ちょうど蛇がアダムとエバをだましたように、罪に誘い込まれることがあります。ファリサイ派の人たちは、安息日にイエスさまが病気の人を治したことで、喜ぶどころか大変怒って、イエスさまを殺す相談までしました。彼らは手の不自由な人を、かわいそうに思いこそすれ、愛してはいなかったのです。
 ここで再び「神さまが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」という言葉を思い出してみましょう。私たちは神さまの与えてくださった戒めを、真実な愛と恵みに回復してくださるイエスさまと共に礼拝を守ることができるように、聖書のことばを毎日良く噛みしめながら生活していきたいと思います。


お祈り
天のお父様。わたしたちがあなたの子として養い育つことができるように、わたしたちに戒めを与えられたあなたの深い御心に感謝します。どうか、わたしたちがあなたの遣わされたひとり子イエスさまに従って行くことができますように、わたしたちの心の闇を聖霊と御言葉によって照らし、迷いやすいわたしたちの行く道に導きと助けを与えてください。困難にある人に手を差し伸べ、共にあなたの御名をたたえることができますように、わたしたちが再び集うことの喜びを確かなものとしてください。
イエスさまの御名によってお祈りいたします。アーメン。