アメリカン・ニュー・シネマ

アメリカン・ニュー・シネマとは一般的に1960年代後半から作られ始めた、従来のハリウッド映画とは違ったタイプの作品群を指す。具体的には「俺たちに明日はない」(1967)をタイム 誌が「ニュー・シネマ/暴力・・・セックス・・・芸術」というタイトルで特集したことから始まっている。ジャーナリズムから生まれた言葉であって、映画の作り手が宣言したものでも、ハリウッドの映画会社が宣伝のために作り出した言葉でもない。言ってみれば実態など無いに等しい。したがって、絶対的な定義も存在しない。「従来のハリウッド映画との違い」の代表例として、ハッピーエンドの回避、低予算、きらびやかな美男美女スターの不在、アンチヒーローといった言葉が引き合いに出される。これらとて、決してそれまでのハリウッド映画になかったものではない。確かにハリウッド・メジャーが力を入れて送り出すA級作品には稀なものではあったが、B級作品をちょっと見てみれば、ハリウッド映画に存在しなかったものではないことがわかるだろう。

アメリカン・ニュー・シネマは新しい映画の形をハリウッドが生み出したのではなく、新しい映画の形をハリウッドが前面に押し出すようになったという点で興味深い。プロダクション・コードからレイティング・システムへの移行という、映画の自主規制制度の変化が後押ししたことはもちろんだ。アメリカはヘイズ・オフィスによる検閲によって、ハリウッド映画を「アメリカ国家お墨付き」として世に出してきた。国のお墨付きを得ることによって、ハリウッド映画は文字通り「アメリカの文化」として存在してきた。レイティング・システムへの移行によって、ハリウッドはそれまで「国家のお墨付き」を失う代わりに、新しい映画の形を前面に押し出すことを可能にした。旧来の手法(大作主義)によってどんどん収益を悪化させていたハリウッドは、大作よりも金のかからない作家中心のこじんまりとした新しい映画の形を売り出していったことは当然のことといえるかもしれない。

アメリカン・ニュー・シネマという存在を考えると、ハリウッドの商業主義の強さを感じさせる。もし、ハリウッドが収益の悪化にもめげず、「映画はスペクタクルが命」と大作製作に突き進んでいたならば、現在の隆盛はありえない。収益の悪化によって、それまでは一流とは見ていなかったような独立系の制作会社による新しい映画の形の興行的な価値を認め、それを前面に押し出して配給するという商業主義的な視点があったからこそ、ハリウッドは生き延びた。

「アメリカン・ニュー・シネマ=革新的でおもしろい」という簡略なイメージの図式ができてしまい、60年代から70年代にかけての作品の価値が過剰に持ち上げられているような感じもしないでもない昨今だが、結局はアメリカン・ニュー・シネマだろうが、それ以前の作品だろうが、本物だけがおもしろいのだ。特に具体的なスタイルも、具体的な思想も、具体的な宣言もないアメリカン・ニュー・シネマにおいてはイメージに捕われないで見る目が問われることだろう。

左 「俺たちに明日はない」 右「卒業」
この2作は1967年のアカデミー賞作品賞にノミネートされている。この事実が、ハリウッドが新しい映画の形を一流と認めたことの証といえよう。しかし、この流れは1969年に「真夜中のカーボーイ」が作品賞を受賞することで決定的となる。


(2001,1,26)