中学生のとき、親友に馬乗りにされ、身体を はがいめにされた。身動きできなかったわたしは、突然「ディアラフォ−」と叫ぶ。立ち上がり復活したのだが、今でもあのときの言葉がわからない。「ディアラ」その意味は理解不能と して、永遠にわたしを謎の迷宮に投げ込む。 わたしは、「ディアラ」を求めて今も歩いている。意味ではなく、言葉は存在なのだろうか?

村上龍と77年世代とは何か

  予感する小説・世界モデルに逆光照明あびた眼潰しのわれら現実へ

  文学は先行し歪曲された現実がひたすら模倣していくわれら観念へ

         壊す人 シヴァ神は塩化ビニールの炎 溶解する富士山の裏 

 1978 4 なごり雪はやがて大雪注意報となった。西会津での友の葬式を終え
猪苗代湖の国道を郡山へと向かう、そこから南へとさらに降りる。車は誰もが黙って
いた。雪の道路きわ街灯が流れ、悲しい歌「マザー・スカイ」が聞こえてくる。はじ
めて森田童子の音楽を聞いた。

  沈黙に祈る無言劇の夜空から降臨する時間夜の河に少年と少女は彼岸にたたずむ

   身体を裂く海峡こそが時間の河ならば永遠に触れ合うことがない両岸の石

             個人的な体験とは音声なき痛恨

                    声      

   滅んで行く風の香水頬に浴びて堤の夏草揺れる遠き村空港の丘そして廃畑

                    道      

   スケッチブックを持った抒情が消えていくとき城咲きの白い植物園の黒影

             6月の男と女は倒れている  

       回線が腕から飛び出したヒューマノイド


       いつのまにか奇蹟の声を信じた麻原とはわれら同時代

              70年代の詐欺師     

     捏造の現実40歳その闇のカルマ魔天使はコミック雑誌から到来し

       魔観念の頂点奈落を現実が模倣せるときひたすら反復する変成

 われらコミック雑誌こそ:思考は現実化するその実現形態:畏怖する世界の幕が落ち

      血のイニシェイショイン地獄に恐怖する新たなる中世の誕生

  詐欺師たちの魔界都市の物語に侵略され自壊する資本主義文明の21世紀

  翼を燃やす捏造天使たちの舞踏今中世の血を飲み干し魔観念の怪物闇の息

  滅びの糸は曠野を駆け巡るそのように破綻する自然の法則にそって現光景

  闇の中を闇に溶けて闇になって疾走する少女が産み落とす世界の中心来訪

  1995年殺人を経験したかった中学生がいた酒鬼薔薇聖斗1983年生

77年世代とは何か−0

 これまでのべたように77年/78年/79年に誕生した世代は身体表現へと向
かっている。80年・81年誕生した世代は、もっと積極的であり行動的ある、路
上演奏そして公演裏方として。まだ82年誕生の人間とわたしは出会ったいない。

 メディアに00年に登場したのが17歳となった酒鬼薔薇聖斗世代である。村上
龍の「ラブ&ポップ」の%%%%%%%%女子高校生は高2であるから、80年生であろう
か? いずれにしても主人公の吉井裕美は洗練された行動力があった。村上龍がア
クセスしたのは77年世代移行の女子高校生であった。そしてかれは酒鬼薔薇聖斗
83年世代の登場を予見し「寂しい国の殺人」を出した。なんら個人としての価値
観がもてぬ漂流する近代システムの瓦解の前に人は寂しさの極限で殺人者に生成す
る、味噌汁を飲みながら。精神が崩壊したわれら若き貧しき殺人者である。

 しかし村上龍は分析思考として「では彼/女たちが誕生した時代はいかなる内容
であったのか?」へ下向していない。現在の分析思考の方法としては一度、過去の
時間帯へと降り、そこから現在へと登ってこなければ、体系としての分析にはなら
ない。それは状況主義としての情報価値でしかない。わたしが方法として問題にし
ているのは、彼/女たちが誕生した季節とはいかなる原光景であったのか、それは
同時にわれわれ中高年層の自己批判的切開となる。

 日本警察と国家公安委員会の崩壊から小渕前総理の死へ到る敗北の過程とは、9
年間も二重壁の部屋に閉じこめられた少女が発見された1月28日から開始された
のだが、幕は切って落とされたのである。もはや少年・少女たちは、この日以来、
大人たちが欺瞞をもって形成した日本社会そのシステムを信用しなくなった。当然
である。17歳は明確に敵を射程に内在したのだ。これが83年世代である。

 では1983年とは何であったのか? やはり任期中に死亡した大平前総理を筆
頭に支配層が全身全霊をあげて、独自な日本戦略を立ち上げてようとしていた構造
こそ1983年体制と呼ばれていた。1978年福田政権は成田空港の開港失敗の
責任で敗退した後、大平は格分野別に強力な審議会を作り、いわば戦前の翼賛体制
のごとくあらゆる知識人・学者・有名人を総動員したが、79年ガイドラインの制
定とアメリカン戦略のまえに敗退してしまった。さらに予測しないイラン・イスラ
ム革命が独自な日本戦略1983年体制を頓挫させてしまった。このときの中心軸
として日本経済崩壊の戦犯・宮沢喜一がいた。

 大平のなきあと継承したのが鈴木善行であったが、彼はアメリカ・レ−ガン戦略
の過度の要求に身が持たず途中で政権を投げ出す。大平が作り上げようとした19
83年体制のブレ−ンをわがものにして登場したのが、レ−ガン戦略に一体化した
中曽根1985年体制である。つまり市民社会にはけしてみえない空間で、あらゆ
る政治勢力が80年代戦略をめぐって内戦をしていたのである。これが「もうひと
つの日本」である。1983年とはもちろん寺山修司が亡くなった年であるが、三
島由紀夫が自決した1970年のごとく国家戦略をめぐる政治内戦の季節だったの
である。ゆえに欺瞞の制度によって闇に落とし込められ牢獄に閉じこめられた原光
景が、復讐の女神にコマンドされ、83年の17歳は登場してきたのである。現在
の日本列島とは阿片戦争の密室である。

 その復讐の女神とは第二次世界大戦に、「天皇を中心にした神の国」と「国体」
によって大量虐殺された魂が生成させたのである。復讐の女神とはギリシア神話に
登場するのだが、その非人間的内容の物語こそ、文学者・伊藤整が見据えた戦後史
に隠されいつか登場するであろう鬼であったのだ。中国人から今でも日本人は鬼子
と呼ばれている。酒鬼薔薇聖斗世代とは都市を脅かす中世の鬼である。

 田中角栄は中国・毛沢東・周恩来戦略を理解できなかった。何故、中国は戦争賠
償金の請求を放棄したのか? 当時この巨大に満ちた畏怖を誰も語る人は皆無であ
った。70年代後半、日本の浮かれた気分はここから始まった。国民的価値観は全
て経済となり、戦争中食えなかった世代が飽食へと疾走していった。「飽食の国体」
が「物質消費の神の国」へと変遷する。こうして1977年とは反動と変節の歪曲
が、優しき若者たちの文化コミュ−ン帯を打倒したのである。生き残ったのは芸能
劇団のみであった。そこで演劇は世阿弥を再発見するのである。さらに寺山修司は
中世説教節の世界へと下向していった。そして誕生したのが「身毒丸」である。
寺山修司が国際的に評価されているのは、思想の原点を生涯貫徹したからである。

 利権分配同盟としての権力と「神の国」「国体」に、多くの学者・知識人は、お
のれの内面と精神を歪曲し、接近していった、これが上昇であり転向と呼ばれる。
1977年とは戦前体制翼賛期のごとく転向の季節だった。吉本隆明は一般なる大
衆の発見へと向かったが、これも転向の反復であった。演劇界から1983年体制
1985年体制戦略立ち上げにブレ−ンとして参加したのが、劇団四季であった。
浅利慶太は中曽根国家戦略のブレ−ンとして、国鉄労働組合を解体した。その利権
分配として旧国鉄用地を収奪したのである。そこで劇団四季はアメリカものまねの
ミュ−ジカルをやり、転向したJRとJR労組が音頭をとって、営業を全国展開す
る。劇団四季のありあまる利潤構造とは、こうした再分配同盟に依拠している。
 80年代多くの国鉄労働者が自殺したが、復讐の女神が劇団四季に襲いかかる
ことは間違いない。劇団四季と浅利慶太はヘビに呑み込まれたカエルであった。

 世代とは何か? わたしが強烈に教えられたのが、1976年村上龍が「限りな
く透明に近いブル−」が芥川賞を受賞したときだった、そのとき前世代からの憎悪
は洪水のごときマスメディアや同人雑誌に登場したのであった。何故、それほどま
でに新人の登場に憎しみの感情を燃やすのか、理解できなかった。そこで日本の戦
後史とは、どろどろした感情が内在していることを、めつぶし照明のごとく教えら
れた。的確に批評したのは文学者・加藤周一である。「基地国家日本とアメリカと
の関係を表現した」と。

 おそらく村上龍は、アメリカ・コンプレックス感情を刺激し、なにものかをあば
いたのであろう。それが前世代の文学者を憎悪の興奮に誘惑したのである。76年
とは、日本の知識人なるものは丁度、中国による日本に対する戦争賠償金放棄によ
り、罪悪感から解放され浮かれていた。それがいきなり村上龍によって、日本がア
メリカの植民地であることを提示されてしまった。それで憤慨したのであろう。

 そして77年である。利権再分配同盟は、村上龍の出現による若者たちのあらゆ
る分野での進出を恐れ、アナクロニズム復古「神の国」と「国体」にアイディンテ
ィティを強め、一挙に若者文化を打倒し、物質消費文化へと変遷をはかる。それは
まず教育における偏差値評価基準、入試センタ−設立、大学法、変人が出ない均一
教育体制確立へと疾走するのである。教育における問題解決能力の喪失はこうして
開始されたのである。全体主義の反復であり、その歪曲が子どもをストレスに追い
やり、学校は廃虚となった。追われ行く明日である。人間の尊厳を教えられない機
関は日本軍隊のいじめを反復するのだ。価値観なき問題解決能力の自己喪失それが
現在の日本社会である。21世紀に漂流する列島は1977年に誕生した。
 
 しかしいかに1977年が重い敗北の過程とはいえ、過度期であったのである。
「希望の春」という言葉がある。芸能舞台で接する77年世代とつきあうかぎり、
彼/女は良質な根性がある。それはコミュニケ−ションと%屬鯊臉擇砲垢訶拯未
ある。芸能が不断に寺山修司と土方巽の仕事を自己検証しながら勝負するとき、わ
たしは芸能の不滅を確信するのである。77年世代は個人としても核があり、強い
根性がある。77年世代はわれわれ古い世代が10年をかけて発見したことを、一
瞬の感覚で取得してしまう。これが革命である。1977年、わたしは23歳であ
った。故郷で一緒にたたかった友人は、その年胃ガンで倒れた。1978年正月、
病院に見舞いに行った。別れるときの彼の厳しい視線が焼き付いている。わたしは
77年10月故郷から逃亡したのだ。それほど若者のグル−プは解体へと、押しや
られたのである。

 友人は98年4月に死亡した。友人の故郷、福島県の西会津に青春をともにした
%屬帆鮗阿砲い辰拭・慣遒世箸いΔ里棒磴・澆辰討い襦・嵜世旅顱廚龍售を痢
た薩長同盟との戦争、会津戦争のなごりをもって村人は麻の武士衣裳で、友人の棺
をかつぐ、雪にぬれた黒い道路、雪は友人が降らせているのだと感じる。土葬であ
る。凍った土塊を棺へと投げ落とす、それがすんで、墓の近くの村人の家で、青春
をともに文化活動をしていた%屬呂・磴鬚茲个譴燭・△澆鵑閉戚曚靴討い襦・△
重い悲しみは今でもこみあげるものがある。彼はわたしにかわって死んだのだと、
思う。敗北の過程とは重い死者がいる。

 会津は「神の国」「維新国体」の官軍に敗れた。死者を葬ることも許されず、野
や道ばたに風葬にされたのである。それが会津人の長州に対する憎しみである。そ
の歴史的感情はいまなお、山口県と友好を拒絶している。70年代の敗北につぐ敗
北、壊滅につぐ壊滅、そして数多くの死者たち。感情が摩滅するほどに重い時代で
あった。何故か? 理想と思想と革命への情熱があったからである。ほとばしる叫
びがあったからである。街頭はエネルギ−に燃えていた。人は自己の思想を投げ捨
てた時、同時に価値創出能力も喪失する。ゆえに90年代とは失われた10年間と
呼ばれている。しかし芸能としての演劇・舞踏・舞台は理想と思想の現場であった。
表現は人の良質なこころを励ます。芸能舞台とは一回性にかける時空である。それ
は継承の集団としての営為にある。生涯性をかけた演劇はたとえ一度失敗したとい
え、けして無駄になることはない。実践のいとなみこそが「永遠の今」としての芸
能だからである。ようするに場数を踏みしめるしかないのだ。それがお客さんに育
てられる演劇市場と云われている。

 77年世代は、こうした現場との対話に踏み込んでいくだろう。思想とは現場か
ら誕生する。われわれの世代から坂本龍一や生涯としてのライバルとしての村上龍
が現出したように、77年世代から、代表選手たるトップランナ−がもうすぐ登場
するだろう。それはおそらく女である。
2000年06月12日 09時55分33秒

77年世代とは何か−1

 77年世代とは77年/78年/79年に誕生した人間が表現の舞台に,
世代として登場している。それをわたしは30年に一度しか誕生しない世界
現象であり、驚嘆している。わたしの兄の息子である塚原公平が生まれたの
は78年であった。彼が幼児のとき、よく一緒に遊んだ。彼は中学のとき、
登校拒否をし、夜間中学から、定時制高校へ進み、今、ロックンロ−ル音楽
バンドの%屬肇薀ぅ屮魯Ε垢捻藾佞鬚靴討い襦・▲襯丱ぅ箸鬚靴覆・蕁・
たしが公平に再度であったのが92年であった。よく一緒に演劇を観にいっ
た。77年世代と1992年とは何か? やはり彼らは意識覚醒期において
89年ドイツ・ベルリンの壁が打ち壊され東欧・旧ソ連邦スタ−リン全体シ
ステムが崩壊した世界同時革命を少年少女期に内在として経験した、崩壊と
いう過程をあらかじめ見据えた恐れるべき世代であったのである。わたしの
ライバルである村上龍は女子高校生%%%%%%%%などとつきあいその日本の物質
消費過程の豊饒とその破産を取材してきたが、それが東京デカダンスであり、
表層現象でしかない。真摯に生きてきた77年世代は深部からの声に突き動
かされ音楽・文学・美術・演劇/舞踏・映画に世代として登場した。文学に
おいても村上龍を越える人物が野望をもって登場する。「なさけない男たち
よさようなら」77年世代を象徴するのが女である。武装花嫁・革命花嫁そ
して野人花嫁は芸能の現場を建設する。現場こそがハイパ−テキストであり、
複合されたマトリックスへの没入なのである。

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人間としてのメディアへの手紙
1992年・春・現代演劇の記録
   新宿梁山泊公演「愛しのメディア」
          「それからの愛しのメディア」 
        

 前略  この手紙は現在の私の身体的知覚と意識たるカオス構造を、あり
のままに表出して、時間と意識が交錯し読みづらいとおもいます。

この六月に「愛しのメディア」の感想文を書いたのですが途中挫折をしてし
まいました。それは現在の私の全面的立場が敗北者として「逃亡」の構造に
規定されているからです。私は91年一月、己の主体の全面的破綻により、
この老母の住むアパートに逃亡してきた人間であり、いまだ実践の現場に戻
れません。

現場の登校拒否時となった私は、これまた中学校の登校拒否児である私のお
いである少年kと共に、演劇の観客体験を通して演劇人間のエネルギーを盗
みとり、何とかこの恐べき社会関係・人間関係の台風を生き抜く勇気と意志
を回復させる、ふとどきな野望をもっているのですが。

 演劇人間から私ども社会と学校の登校拒否児がエネルギーを盗みとり、再
度人間関係の実践の現場に復帰できれば、演劇人間からおさらばするつもり
です。それ迄は自分勝手に一方通行ではありますが、ある妄想のレベルでお
つきあいさせていだだきます。

 第一通信

 92年5月最終日、「愛しのメディア」を、兄の子である私のおいkと体
験しました。言語化できぬほどのある圧倒性を身体的知覚によって私は感受
できたと思います。

 演劇のもつ革命的な空間とは、制度化された平面的なわれわれの身体的知
覚をくつがえし、能動的な空間知覚を喚起してくれるのだと、今追憶してい
ます。

 人間としてのメディアである俳優の言葉、身体的言語、、総じてあのエネ
ルギーによって、われわれの多元的な知覚は根源的に呼び起こされていくの
だ、そう思いました。やはり私は演劇批評の内野儀が物語る「演劇の死」あ
るいは「思考する演劇」には同意できません。

 観客であるわれわれが、ある演劇の空間と時間を体験し、なおかつその演
劇を思考するとは、すでにその現場から時間が過ぎた、己の日常たる現在に
おいて、己の記憶を武器に、追憶し、己自信が能動的に受け止めた身体的知
覚その意味を探求し、なにものかの生成を発見することが、思考するという
経験であるあると思われるからです。

 さらに批評者の思考とは、演劇が社会的現在に規定され、なおかつ集団的
想像力の表出によって、この現在の時間と空間のそうを切り開き、過去と未
来の「現」の構造を人間としてのメディアが出力させる関係性としての社会
的出来事である以上、彼の思考はより対決性をもった「演劇の他者」として
磨ぎ澄まし純化する位置にあるのではないかと私は思うのです。

 こうした思考の格闘を欠落させた批評者の言語は、いくら彼が学問の体系
と知識・教養の伝導体制としてある大学制度やマスメディアの構成員であっ
たとしても、一回性の生身の「現」の空間構造と生身の物語の協働的世界形
成・その表出を実現させるための現場である演劇の実践の構造には及ばずた
ちうちできないと私には思えるのです。

 ある集団的想像力と個の訓練と反復が演劇の日常の実践的行為としてある
骨格であるならば、それは毛沢東の「持久戦論」に通じる試練と主体形成の
想像力あると私には大げさであるかもしれませんが思うのです。訓練と反復
をある対決性の現場としてくぐりぬく精神的緒力こそが、協働的世界形成と
してのある物語を生成させる。その空間とは跡形も亡くなる一回性にのみ表
出する。

 生成と死滅を同時的に孕んだ演劇の時間と空間に連環せんとする、専門的
な演劇批評者として己の肩書をもつものは、言説の唯我構造とそのかもしだ
すある悪意を出力させる政治的言語を孕ませてもよいから、己を徹底して演
劇の記録者として関係した方がよいのではないかと私は思います。

 新宿梁山泊の「愛しのメディア」五月公演の観客としての体験をかわきり
に、これまで回数は少ないのではありますが少年Kと演劇の会場に体を運び
ました。そこで手渡してもらうパンフレット・演劇公演の多さに驚嘆します。
それは演劇のある豊饒の「現」の構造にある。私は思いました。一体だれが
この様々な演劇公演の豊饒たる「現」の構造を記録するのか?

 さらに現在の演劇を支えているのは、十代後半から二十代前半といったと
りわけ若い世代であると思われます。人間の社会的出来事と「現」の構造に
おいて接点をもち、なおかつ「表」の時間と空間に過去の記憶を生身の「出」
として重層・複合的に生成させる、ある意味で前衛的想像の出力たる方法と
模索を具現化している現代演劇に己の身体を自ら動員する若い観客が少数者
であれといえ、そこに民衆的ジャーナリストとしての記録者である演劇批評
者が存在しないのであれば、私はひどく寒く貧しい分断化された演劇現象を
感じます。

 怠惰である私は演劇批評を読まないのでありますが、それでも朝日新聞夕
刊の演劇評や書店でペラペラと演劇誌を立ち見で読む限り、どうしようもな
いズレが置きているのではないかと思われるのです。その言葉の衰退はもは
や貧困のレベルをこえて批評者の感受能力さえ疑わしくなります。彼らは「
飼いならせられた死」として演劇を扱おうとしているのではないかと思われ
るのです。

 一方における多様な演劇公演の豊饒、他方における己の感受能力を立ち腐
らせ己の世界が転回し構造そのものが転換したにもかかわらず、一般世界に
しがみつくその批評根性は一度徹低的に思考せねばなりません。もちろん論
理はアトミズム唯我構造により、己の論理を破産させないために、自分に都
合が悪いあるなにものかを隠蔽するのですが、それが対決すべき対象として
の演劇人間がある劇空間と時間に表出させた世界を隠し、技術問題としての
み批評するならば、彼の批評基準がすでに崩壊を遂げたスターリン的近代合
理主義の規格たる「こうあるべきものに」という論理構造にあるからです。

 こうした批評基準はある怪物的な一般のトレンドのみに気配りするマスメ
ディアの編集規格にはぴったりと合うのですが、ある特殊世界が新しく生成
させた「現」の構造をひたすら隠蔽するわけです。生活形態と言語・歴史が
違う他者が存在する世界に認められる演劇・映画・文学とは、ある特殊世界
の人間の受苦と関係性を徹底的に「あばき」「さらし」根源的な人間の問い
を類的存在に押しはかり、己の受苦的関係としてあるこの「現」の構造がい
かなるものであるかの回答を、あるイメージの「表」と「出」の重層的複合
的構造によって接近させる。他者はそこに受苦的関係としての人間をおのれ
の「現」の構造によって受け止め世界同時的生成の人間としてある意識が共
鳴するのです。 この「現」の構造には新しい身体的知覚と新しい意識が常
に生成し、それをひきだし発見するものは受苦的存在としての人間と協働的
世界形成におのれを訓練し自己変革に挑戦する人間であります。彼ら訓練と
反復の集団的想像力とは、おのれの共同体の中におのれ自身が他者を発見し、
その他者から教えられることをもって人間そのものの存在を発見するのです。

 演劇人間がある時間ある空間に表出した「現」の構造世界を無視または隠
蔽する言説にもならない言説によって、おのれの言葉がスターリン機能主義
反映論の文体の圏内にあることを省察できない批評者はただ俳優の機能とあ
る演出技術のみが批評基準となるのはどういうことなのか?これは反面教師
として思考する価値があります。

 まんが少年であった私は始めてまんが評論を読んで以来、批評というもの
は「現」の構造を教えてくれて、おのれの対象世界を広げてくれるものであ
ることを理解していらい、七十年代後期であれば文芸評論・八十年代初期で
あれば演劇評論からこの「現」の構造をどう把握するかについて教えられて
きました。しかし八十年代という十年間は集団的想像力の現場と、その実践
的構想力の内部が新しい身体的知覚・新しい方法意識を誕生させながら、突
き進んでいったのであると思われます。それはある意味でこの日本の内部に
おいては空間とおのれたち共同体の時間たる物語を防衛し確保しない限り、
生き残ることはできないといった危機意識に逆規定されながら、論理・イデ
オロギー闘争を内包させた集団的想像力の「現」の構造であったわけです。

 新しい身体的知覚・新しい方法意識・新しい物語意識をめぐる論理・イデ
オロギー闘争を内包させ、自己批評・自己表現のベクトルをもった集団的想
像力の表出運動構造は協働的世界形成の想像力に突入しつつあるように思わ
れます。アジア映画・アジア演劇といったこの九十年代におけるダイナミッ
クな表出は、ある歴史的共同体の人間が他者を発見し、その他者の空間と時
間を知覚し人間そのものの存在を見出し世界同時性たるおのれの存在・空間
・時間を再発見していく「現」の構造をもったベクトルのような気がします。

 世界現代史としてのEC(ヨーロピアン・コミュニティ)経済統合から政
治統合への実践的構想力は、ヨーロッパ中心世界史観の具体的転回として古
代ローマ帝国の再興を二十一世紀世界に自己実現せんとする国家官僚システ
ムによる、民衆の協働的世界形成を先取りし、「現」の構造を支配せんとす
る地球政治戦略であることは間違いありません。私の動物的本能の知覚で言
えば、EC戦略は民衆の協働的世界形成の参加を排除する反革命の戦略であ
ります。

 しかしながらこの九十年代を準備した八十年代の十年間とは、国家官僚シ
ステム機構やマスメディア・知識・教養の体系的伝導体制としてある大学人
たちや知識人たちが依拠した「知」の構造のパラダイムがある場所へと転回
し、人間と空間の関係性をめぐる実践的構造としての街頭の文体と集団的文
体が知覚と思考の先端を生成してきたと言えるでしょう。

 たしかに知識と教養のアトミズム私的所有をめざす彼らの書斎の書物の数
量と、パーソナル・コンピュータのある圧倒性は驚嘆すべき「知」の構造に
生成している。しかし彼らの書斎はどこまでいっても、部屋という空間にと
ざされているのです。それら十九世紀的教養主義はこの八十年代の「現」の
構造にはたちうちできなかったのではないか? 八十年代のある先端的な「
現」の構造は、世界同時性をおのれの想像力に抱えた集団的文体と社会・人
間関係の交差点としてある街頭の文体にまぎれもなく存在していたからです。
それはアトミズム私的所有が人間関係の交差点である市民社会の論理では消
して見えない構造の生成であったのです。

 快楽というキー・ワードは「われ」の自立的個人たる近代的個人の身体的
知覚であり、労動力商品所有者の「夢」の私有化としてある ナルシズム・マ
スターベーション構造の内部に閉ざされているのです。この九十年代のキー
ワードである世界同時性を内包した街頭の文体・身体的知覚の表出は、受苦
的存在としての人間がその受苦的構造の内部に閉ざされたまま絶望し無力化
の地獄の部屋で、その精神世界と意志が打倒され、協働的世界形成の参加を、
その想像力のレベルにおいても制度機能としての国家官僚システム機構に奪
われテクノクラートにゆだね、おのれの存在をゼロの記号とするのか?

 ある意味でヨーロッパの民衆的想像力は、国家官僚システム機構とテクノ
クラートによる数理的手段の臨界点である実践的構想力のEC統合に先取り
され敗北しているのではないかと私は妄想しています。

 EC統合のテクノラートによる実践的構想力からUSAのテクノクラート
による九十一年中東・湾岸戦争、多国籍軍によるアラブ世界の分断と壊滅の
石油戦略の戦争発動はその新世界秩序の「現」の構造が民衆的想像力を壊滅
させ、想像力をめぐる階級闘争をねだやしにして、デジタル・ハイテクノロ
ジーを操作くするハイパー戦略兵器と核戦力をもって、民衆の協働的世界形
成への意志と想像力を粉々に打ち砕くことにありました。 現在、八十九年
に表出した東欧革命の民衆的想像力と街頭の文体は、ヨーロッパ・イデオロ
ギーに回収され、テクノクラートによるEC統合の実践的構想力に敗北して
いると言っても過言ではないでしょう。世界形成の中心としてあるヨーロッ
パ幻想の強力な内部に、おのれの主体が吸収されれば経済的に安定するとあ
る幻想に取り込まれてしまう、この「現」の構造は九十一年、アラブ世界の
分断壊滅から旧ソ連邦の内部自壊と到るのです。ECとUSA幻想こそが、
ある人間の世界イメージと人間イメージの崩壊と空洞の身体的知覚を埋めて
いるのです。

 現在のユーゴスラビア内戦は、ドイツとフランスの歴史的民族戦争とロー
マ帝国復活の回帰欲望が、第三世界非同盟運動の推進者であったチトー体制
を解体しながら、ドイツとフランスの保守勢力がユーゴスラビアを植民地化
することにあります。ドイツとフランスの軍事産業複合体と死の商人がいか
に第三世界に食い込んでいるかの事実は、イラクの軍事形成において明らか
になりましたが、そのようにユーゴスラビアの内戦は死の商人の草刈り場な
のです。こうした世界政治にいつもほんろうされ傷つき死んでいくのはいつ
も民衆なのです。昨日まで隣人であったものが今や武器を持って殺し合いを
する構造は、パルチザン闘争によりナチス・ドイツ軍に勝利して独立し、そ
の後はスターリン体制と闘いながら自主独立を形成しながら奮闘してきた、
第三世界非同盟運動の主体構造が世界システムの新世界秩序なるものによっ
て壊滅されたからに他なりません。

 薄っぺらとなったその感性と酸化し腐食していく精神世界の森は、おのれ
自身の想像力が世界システムのテクノクラートに奪われ剥奪されていく原光
景にあります。民衆的想像力は協働的世界形成の意志を奪われ、収容所・ゲ
ットーに「飼いならされた死」として囲いこまれてしまうのでしょうか?
 
 物語をめぐるこの「現」の構造は今もなを、想像力の階級闘争として表出
しているのであり、それを教えてくれた存在こそまぎれもなく、九十一年世
界システムによる新世界秩序戦略を中東・湾岸戦争として発動しアラブ世界
を分断壊滅したのち表出した、韓国の階級闘争でした。

 あのおのれ自身の身体を火だるまと化し、その死にざまによってわれわれ
に教えた世界同時性の思想とは何であったのか?  韓国の青年たちは、国家
官僚システム機構・テクノクラート・世界多国籍企業・帝国軍事力よる世界
形成に「否」と答え、民衆的創造力と実践的構想力による協働的世界形成の
意志を体現したのであると私は思います。

    第二通信

 演劇の死とはわれわれ観客の主体的な問題であり、ある革命的な空間と時
間が跡形もなく消え去り、その始源的な空間から外へ一歩でたときから始ま
るのです。その外とは日本の制度化された都市の強力な内部であり、われわ
れ観客は、すでに消え去ったその演劇の空間と時間を記憶し追憶せねば、わ
れわれの演劇体験は確実に日本の都市情報空間に取り込まれ、死んでいくの
です。

 この規格化され制度化された都市空間に対抗するかのように、ロック音楽
コンサートシーンは、B2・B3ほどの大きなパンフレットをコンサート会
場で売り、群がった観客を会場から都市に拡散させる。いやおうもなく大き
なパンフレットを抱えた少女たちは目立つ。コンサート会場から外へでた少
女・少年たちは都市を歩き交通機関に乗ることによって、確実にあるコンサ
ートの延長を制度化された都市に投げ落しているのです。 そのロック音楽
の差異戦略はおのれの規格の浸透力・現象化によって都市を異化しているの
です。その延長シーンが新興宗教に似ているとは言え、資金力を活用した彼
らなりの都市論・観客論の実践的構想力の具体的転回であると言えるでしょう。

 資金力には縁がない現代演劇の「現」の構造にはたして都市論・観客論は
存在するのか? 様々な演劇集団の公演の圧倒的量が、演劇の他者である 都
市と観客の思想的対象化を忘れ、「飼い」の構造にあるとしたら、舞台と物
語・役者の中心性を創出することができず「散」と「混」にある方法を譲り、
他者の中心性を発見することはできないばかりでなく、人間を卑下化するこ
とによって生成する現在の日本の市民社会文化たる「飼い」の構造を突破す
ることはできないと思います。

 <そこでは、現にあるものとありえるものとが出会い、歴史の現実と人生
の一回性が交叉し、「全世界が舞台」であると同時に、舞台が全世界となる。
 加藤周一>

 日本文学の歴史を多元的に総括した加藤周一が語る演劇とは、ある一点を
表出するのです。その一点とは詩ではなく、世界同時性なのです。ある舞台
とある俳優たちが創造する舞台の中心の一点はその原基が遠心力と求心力を
出現させ、演劇の他者である都市と観客の中心性を覚醒させる、観客の身体
に中心が誕生し、その中心から舞台は前方に広がり世界との対話が誕生する
のです。

 人間としてのメディアを媒介に観客は、世界舞台の中心との対話によって、
おのれの身体に中心を胎動させるのであります。現代演劇の都市論・観客論
の骨格は、電脳衛星通信回線都市とデジタル映像・デジタル音の一般化によっ
て、稀薄化され実感を喪失した身体の中心を奪還することにあると思います。
ある演劇ある舞台の体系が中心を現出させるとき観客はその対話によって、己
の動的世界の中心を胎動させるのです。

 新宿梁山泊の演劇「愛しのメディア」「それからの愛しのメディア」公演と、
韓国・全州中央舞台「欲」の上演と続く動的中心の移動は、おそらく体系の一
点にしぼり込んだ舞台と役者・観客こうした世界同時性の人間の中心を創造す
るエネルギーであったとおもいます。「愛しのメディア」では人間の反復的訓
練・鍛えられた身体関係を奪還し、「それからの愛しのメディア」ではさらな
る身体と それによる自然関係を奪還したのです。さらに全州中央舞台「欲」に
おいては東アジアの民衆による協働的世界形成の実践的構想力の棚芽を、その
舞台の中心において奪還したのであると思います。三つの舞台から私が他者と
して教えられたことは、いかに己の世界と身体に移動する動的中心をこれから
形成するのか? この問題意識でありました。

 「それからの愛しのメディア」は創造力と美の高まりに置いて最高であった
と思います。しかしその感想を言葉として表出すれば、私はあの幻想世界の森
林に入り込んでしまい、いつ脱出出来るかわからないのでまだ書けません。紫
陽花の花の山野の青空、あれほどの美しさを喪失せぬよういつまでも記憶して
いきたいと思います。 走りながら人間存在の根源を問う力もまた形成してい
きたいと思います。

                   1992. 夏         
2000年06月11日 12時06分03秒

詩編−10

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| | |街| |海| | |街| | | |街| |物| |言| |思| |感| |記| | |
| | |道| |に| | |道| | | |道| |語| |葉| |想| |情| |憶| | |
| | |は| |も| | |は| | | |だ| |は| |は| |は| |は| |は| | |
| | |燐| |街| | |隣| | | |っ| | | | | | | | | | | | |
| | |国| |道| | |村| | | |た| | | | | | | | | | | | |
| | |に| |は| | |に| | | | | | | | | | | | | | | | |
| | |続| |あ| | |続| | | | | | | | | | | | | | | | |
| | |い| |る| | |い| | | | | | | | | | | | | | | | |
| | |て| |ん| | |て| | | | | | | | | | | | | | | | |
| | |い| |だ| | |い| | | | | | | | | | | | | | | | |
| | |た| |よ| | |た| | | | | | | | | | | | | | | | |
| | |ね| | | | |ね| | | | | | | | | | | | | | | | |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
|や| | |人| | | |畑| | |言| |砕| | |街| | |詩| | |詩| | |
|が| | |間| | | |で| | |葉| |石| | |道| | |人| | |人| | |
|て| | |が| | | |麦| | |を| |と| | |は| | |は| | |は| | |
|街| | |歩| | | |の| | |固| |砂| | |言| | |情| | |感| | |
|道| | |く| | | |種| | |め| |を| | |葉| | |感| | |情| | |
|と| | | | | | |を| | |設| |歩| | |の| | |の| | |の| | |
|な| | |道| | | |踏| | |定| |き| | |砂| | |呼| | |記| | |
|る| | |は| | | |む| | |す| | | | |利| | |出| | |憶| | |
|ん| | |形| | | |よ| | |る| | | | |道| | |装| | |装| | |
|だ| | |と| | | |う| | |ん| | | | |だ| | |置| | |置| | |
|ね| | |な| | | |に| | |だ| | | | |よ| | |だ| | |だ| | |
| | | |り| | | | | | |よ| | | | |ね| | |ね| | |ね| | |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| | | |ム| |夕| |い| |愛| |幻| | |こ| |街| | | |君| |麦| |
| | | |ン| |焼| |つ| |は| |想| | |の| |道| | | |は| |の| |
| | | |ク| |け| |か| |街| |は| | |道| |は| | | |太| |穂| |
| | | |の| |の| |再| |道| |事| | |は| |世| | | |陽| |が| |
| | | |絵| |街| |び| |だ| |実| | |君| |界| | | |の| |波| |
| | | |は| |道| |め| |っ| |だ| | |へ| |へ| | | |時| |を| |
| | | |と| |こ| |ぐ| |た| |っ| | |と| |と| | | |間| |う| |
| | | |て| |そ| |り| | | |た| | |続| |続| | | |へ| |っ| |
| | | |も| |赤| |あ| | | | | | |い| |き| | | |と| |て| |
| | | |明| |い| |う| | | | | | |て| | | | | |行| |い| |
| | | |る| |糸| | | | | | | | |い| | | | | |く| |る| |
| | | |か| | | | | | | | | | |る| | | | | | | | | |
| | | |っ| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| | | |た| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| | | |よ| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
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2000年06月09日 20時37分15秒

77年世代とは何か−2


 77年世代とは1977年・78年・79年に誕生した演劇・舞踏界の新人
であり、それは音楽・文学・映像・美術界においても同時革命として、進出し
ている。01年においては現象となるであろう動派を、わたしは77年世代と
呼ぶ。

 舞台において人は人とであう。であいによって人は教えられる。人は世界を
こころとして内延と外延において表象する。77年世代が類として登場したの
が「天使のウインク」である、そう、わたしは云った。出演者15人のうち6
人をしめた。宮下和美、佐藤夕香、加藤一馬、佐野陽一、久保田寛子、杉本明
子である。

 1月公演の「瓜の涙」では4人、宮下和美、加藤一馬、佐野陽一、新人の久保
田寛子はなんと主演の「おゆう」を貫徹して、演劇界に衝撃のデビュ−をはたし
た。制作スッタフとして佐藤夕香がザムザ阿佐ヶ谷劇場公演を成功させる。遊行
舎の革命期はこうして1月幕を切って落とした。77年世代の足場建設である。
99年の「小栗判官と照手姫」では、榊大亮(舞踏)、小松大輔、佐藤夕香、宮
下和美、加藤一馬、佐野陽一の6人が出演している。98年の「小栗判官と照手
姫」では、瀧川英次、榊大亮(舞踏)、小松大輔、斉藤素子、佐藤夕香、宮下和
美の6人である。97年の「小栗判官と照手姫」は、小松大輔は舞台裏くろこを
やり佐藤夕香は演出助手をやる、出演は榊大亮、浜田恭子(照手・小萩)、斉藤
素子(舞踏)、斉藤里見(舞踏)の4人であった。このとき、斉藤素子は頭をぼ
うずに切って、根性を発現した。

 やはり遊行舎と77年世代のであいは97年パルテノン多摩における、J.A.
シ−ザ−総指揮による「100年気球メトロポリス」であった。それまでは、1
988年に白石征が立ち上げた「新雪之丞変化−暗殺のオペラ」いらい、演劇プ
ロジュクトとしての、ユニット・プロディ−ス公演形態であった。白石征と77
年世代のであいは、一挙に組織された演劇へと進展していく。つまり遊行舎にお
ける77年世代の革命としての登場は、97年から3年間の胎動期が準備されて
きたのである。この試練としての苦行は77年世代による演劇界における不退転
を結実させてきたのである。学生演劇と遊行舎の差異は同年代による舞台である
のか、それとも、あらゆる年代による層としての広がりが複合された社会的演劇
であるのかである。

 舞台において人はあらたなる世代とであう、類としての77世代登場とのであい
の通過点として、わたしは、てんびん座が93年8月に東京芸術劇場で上演した、
サルトル「狂気と天才」では、団長である古屋今朝緒さんの息子である太郎君は当
時小学6年生であり、娘の舞ちゃんは小学1年生であったが、ともに初舞台に立っ
た。つぎに94年7月では、まだ高校2年であった16歳の瀧川英次君と、白石征
演劇「十三(とさ)の砂山」初演の舞台に立った。まだ16歳であるのに、英次君
は、女房をもったワラの役をみごとにやりとげた。この初演はいまは演劇界にはい
ないが女子高校生がふたり出演している。そして5歳になったばかりの白石征氏の
息子である浩気君が出演している。ここに芸能の同志的世界がある。

 94年、わたしは三上宥起夫氏にさそわれ、8月の舞踏ワ−クショップを受け、
とりふね舞踏舎公演「わたしの生まれた日」に出演したのだが、ここでも三上さん
の娘である小学2年生の芙美ちゃんと、初舞踏に立った。96年3月では16歳の
榊大亮君と「さんげったん」とりふね舞踏舎公演で出会った。榊大亮君と芙美ちゃ
んとはミラノ公演も貫徹している。

 77年世代の瀧川英次君は95年2月、横浜STスポットにおいて自主公演を貫
徹する。そのとき、PECTの主宰者である中嶋さんは「くやしいですね、わかい
ものが芝居を立ち上げるとは」と嬉しそうに、あらたなる世代による演劇の誕生を
よろこんでいた。わたしは英次君に根性をみた。99年秋、かれはとうとう東京の
小劇場で、ひとり芝居を打ったのである。

 舞踏の77年世代、榊大亮君は99年秋、とりふね舞踏舎・横浜戸塚公演で、観
客に舞踏手の誕生を刻印させた。根性がすわっている。わたしが云う根性とは、英
次君も榊大亮君も生涯、舞台人として場数を踏んでいくという気概である。

 この6月3日、昨年の寺山修司17回忌で出会ったあつみさんが立ち上げた演劇
集団ユニット「停時場」第一回公演「For tune Eyes」を手伝った。
そこでも77年世代の誕生をわたしは発見したのである。西荻窪のライブハウス、
「音や金時」が会場だったが、スッタフ、俳優の集中した力によって、小劇場にも
負けない舞台空間を生成させたのである。お客さんは満員であった。かつての森田
童子、新宿ライブハウス・ロフトでの熱い空気を思い出させた。俳優はおのれの写
真を破り、20世紀にみずから決別し、羽ばたいたのである。わたしは暗転にたす
けられ、涙をふいた。支配人のマスタ−が表現を愛する人である。79年の最終日
新宿ロフトでの森田童子コンサ−トの熱いものがよみがえった。
http://www.pp.iij4u.or.jp/~atsumi-t/index.shtml

表現の場所をめぐっては、若き音楽者たちが先行している。路上演奏である。そ
こでは劇場にこだわる制度的観念において、演劇人は遅れているのかもしれない。
77年世代が孤独に耐える力において、路上に飛び出していくのはいつだろうか?
おそらく音楽を表現メディアとする若者が、前を疾走していることは間違いない。
「ひとりを恐れず、みんなのなかへ」これが77年世代の特質である。かつて「連
帯を求めて孤立を恐れず」という68年パリ5月革命の言葉があった。33年ぶり
に復活したのである。若き路上音楽演奏者はすでに01年の荒玉をつかんでいる。

 そこで、遊行舎における77年世代の特徴であるが、彼/女は「連帯」を希求す
る77年世代の良質な特質をそなえている。CG芸術「連」の国際的方向感覚を立
ち上げたのは、中村理恵子氏と安斉氏である。
            http://www.renga.com
 わたしはパソコン通信草のねBBS−CABINETで、中村理恵子氏とであっ
たのは1993年であった。そのころすでに氏は「連画」を打ち出していた。まさ
に「連」とは21世紀をめぐる重要な根幹であることを実感した。そして思うので
ある。77年世代の特質「連」と「弧」とは何か? と。何故、彼/女は全共闘世
代−団塊の世代や、わたしたち敗北の世代や、利口なオウム30歳代の閉塞世代を
飛び越えて、第二次世界大戦を幼少時に体験している寺山修司世代である1939
年生まれの白石征との回路を切り開いたのであろうか? これこそが奇蹟である。

 J・A・シ−ザ−その至福とは、寺山修司のごとく新人との出会いを設定する。
パルテノン多摩1997年演劇実験室・万有引力公演とは、今から思うと巨大な運
動であった。そこでオ−ディションに参加してきた77年世代は、自分たちの世代
に出会った至福をわがものにするのである。淋しい「弧」に過ぎなかった自分が、
熱き同世代の「連」と出会う、これこそ彼/女にとって生涯の舞台であった。そこ
に77年世代の命がけの飛躍があり、続いて「野外劇から寺院劇場へ」を合い言葉
に遊行寺「小栗判官と照手姫」公演に参加した彼/女は、はじめて伝統と歴史的現
在の芸能の起源を体験するのである。これこそが愛の奇蹟である。しかし体験と言
語レベルでの確認は位相が違う。彼/女が問題意識の情熱をもって、言語の思考へ
と回路を切り開かない限り、体験として去っていくだろう。

 シ−ザ−は何故、演劇人よりも方向感覚が先行しているのか? それはシ−ザ−
が演出家としの寺山修司継承者であると同時に音楽家であるからだ。先ほど云った
ように日本においては視覚よりも聴覚が先行している。77年世代はそこで世界と
アジアの同時革命演劇をダイナミックな現在として体験する。そこから白石征の方
向感覚とは魂と場所をめぐる日本内在の情感である。つまり四国における遍路修行
者が彼の源であろう。遊行舎に参加した77年世代は、いまだ言語レベルでは自覚
化されぬまま、彼/女の系譜遺伝子が「遊行かぶき」を立ち上げてきた。何故に?

 それは日本の基層に古代から中世の呼び声が反復しているからである。つまり身
体論の最終段階としては、精神史へと移行するように、わたしのこの身体とは民衆
の記録されなかった歴史的内在に居る。存在から居在、それが現在の「連」として
定性されていく。77年世代はやはり魂が帰還する精神を模索している。77年世
代とは、やはり30年に一度しか誕生しない歴史継承者としての申し子なのだ。

 50歳代前半のリストラ内戦と、その子供たちである17歳が現在、日本社会へ
の復讐者として転化しているにあたり、そこで表出している魂とは、20世紀の崩
壊である。政治・経済・社会は「死刑宣告」され淋しさの極限にある。そこにおい
て演劇人の任務とは、祝祭を組織し舞台を立ち上げ、人々に元気になってもらうこ
とである。これまで政治・経済は滅びても芸能は滅びなかった。ゆえに第二次世界
大戦の敗戦後、日本映画は世界映画として現出したのである。演劇人がいたからで
ある。彼/女は国体愛国の小市民軍団による侮蔑と冷たいまなざしにも負けなかっ
た、演劇人の動物直感としての良質な方向感覚は国体の崩壊を予測し、敗戦後へと
準備していた。それがただでは起きぬ役者根性である。こうした古代からの日本芸
能史の不滅の根性を学ぶとき、77年世代は自己表現における自己批評をわがもの
とするはずである。自己批評とは言語によって記述された歴史と対話しないかぎり
誕生しない。書を捨て街に出よ、そして書に帰る、これが言葉を表現手段とする演
劇人である。

 77年世代に問われているのは、果たして自分の言葉がもてるのか? それとも
舞台体験に終わり、刺激に反応するアメ−バ−としての情報細胞へと退行するのか
どちらかである。表現者とは唯ひとり、地球に立つ、その地点が世界の中心軸であ
ることを自覚している者である。孤独のなかで自分を見据える者である。淋しさの
総量を引き受け自己と対話できない者は、観客と対話できない。観客は何故、芝居
が進行している舞台空間に向けて言葉を発しないのであろうか? 観客は静かに舞
台に居る自己と対話しているからである。舞台の俳優に観客はとけ込む、そしてこ
ころの起動によって自己人間像を立ち上がらせる、対話が始まる、しかし良質な俳
優は観客の自己同化を裏切り、もっとも遠い人間像へと観客を誘う。そこに感動が
生まれる。良質な俳優の本を読むとき、言葉への豊かな感受と、人間と社会を奈落
の底まで観察する力に驚嘆する。そして芸能者とは芸術を総量において愛している
者である。その感動の記憶装置である情感の豊饒の海こそが、舞台に立っただけで
観客を遠い世界に誘導してくれるのである。77年世代に決定的に欠けているのは
理論対象能力としての思想である。思想は世界を発見する、言葉が誕生する喜びを
いまだ彼/女はしらない。無感知のまま真面目さを武器に演劇市場を疾走している。
それは77年世代がいまだ体系への畏怖を感じていないことに理由がある。

 厳しい演劇市場の体系へ接近し、スタッフとして現出してきたのが、80年世代
である。彼/女は照明者/音響者/音楽者/制作者として、舞台に立つ77年世代
を見据え、演劇界に登場してきた。それは彼/女たちが77年世代よりも覚醒期が
90年代後半として厳しい社会環境に育ったからであろう。彼/女は演劇市場が俳
優のみで立ち上がらないことを自覚している。それは世界にも表と裏があることを
身体において納得しているかのようだ。まさに裏方のあたらしい世代の登場である。
77年世代は、もはやあらたなる世代に越えられようとしている。革命期のいまと
は、この1年が10年の胎動になる誕生の季節である。そこでは「終わった内容形
態」と「始まった内容形態」が明確になる。市場に身を置く先端企業のトップは自
覚している。革命におびえる77年世代は無感知な世代とともに淘汰されてしまう
であろう。革命を経験し生き残った全共闘世代−団塊の世代は、企業・行政・政治
経済・社会の指導者となった。彼らは最終の革命を、いま仕掛けている。IT革命
とは、情報技術のみの言葉ではない。演劇市場をふくむ市場総体としての革命なの
である。そこに68年世界同時革命の反復が潜んでいる。

 演劇市場において、この00年とは革命期であり誕生零年である。ここで勝負し
おのれの「始まりの内容形態」を誕生させることができなかった演劇集団は、生き
残ることができない。天使は季節到来の日に勝負しない者にはウインクしてはくれ
ない。いかなる失敗も恐れず、遊行舎が00年に4本もの公演を打つ戦略的内容と
は、みずからの「連」としての演劇集団が、おのれの主体に、なにものかの到来を
誕生させることができるかにある。天使のウインクその微笑みは、人間に言葉を与
えてくれる。それが方向である。内部の深部からの力としての方向装置であり、ハ
イパ−テキストとしてのプログラムされた言葉の力である。遊行舎は77年世代に
よる社会的出現を戦略軸にして、1月「瓜の涙」5月新作「天使のウインク」を上
演した。あと2本である。9月遊行寺「小栗判官と照手姫」公演製作の格闘の轍の
試練で、77年世代を自己批判的に自己対象化し、77年世代が切り開いた回路を
さらに80年代スッタフ世代が切り開くその現在の進行を、革命期における時節通
来として白石征演劇は伝統の場所で芸能の起源として勝負をかけるであろう。

 演劇界に登場せよと深部からの声に突き動かされる野望をもった新人よ!
若き男性俳優志望諸君、「小栗判官と照手姫」公演に参加しよう!
21世紀はあなたの世界が待ち受けている。遊行舎はその道場である。
天使はあなたに微笑んでいる。淋しさの極限から、ひとりを恐れずみんなの
なかへ! 孤立を恐れず出会いを求めて、遊行舎に飛び込め! 飛翔しよう!
 おのれの名を! おのれの存在を! 舞台に居る! 立つ!
 世紀の零年に社会的出現を! いま舞台に出なければ来年はないだろう!
 情報技術革命とは人とであう、あ(I)い/た(T)い革命である。
 情報技術革命こそ白石征マトリックス演劇の根幹であり、君の系譜を誘う。


2000年06月09日 10時23分01秒

77年世代とは何か−3

| |烏| |デ| |デ| |詩| |明| |わ| |幻| |沈| |こ| |現| |麻| |一|
| |恒| |ィ| |ィ| |歌| |日| |れ| |想| |黙| |ん| |実| |で| |握|
| |鮮| |ア| |ア| |史| |の| |ら| |は| |の| |な| |は| |編| |の|
| | | |ラ| |ラ| |の| |意| |の| |情| |春| |に| |遠| |ん| |雪|
| |も| | | | | |位| |志| |遠| |熱| |に| |も| |い| |だ| | |
| |う| |も| |復| |置| | | |い| |と| |語| |近| |鉛| |会| |白|
| |す| |う| |活| | | |あ| |現| |死| |れ| |く| |色| |津| |い|
| |ぐ| |ひ| |の| |わ| |か| |実| |の| | | | | |の| |武| |山|
| |お| |と| |叫| |れ| |ぎ| | | |紙| |わ| |こ| |空| |士| | |
| |ま| |つ| |び| |ら| |れ| |私| |一| |れ| |ん| |か| |衣| |黒|
| |え| |の| |声| |オ| |の| |の| |重| |ら| |な| |ら| |装| |い|
| |に| |宇| | | |ン| |貧| |生| | | |最| |に| |降| |の| |道|
| |会| |宙| |人| |ラ| |し| |を| |桜| |終| |も| |臨| |野| | |
| |え| |に| |間| |イ| |き| |復| |吹| |の| |遠| |し| |辺| | |
| |る| |お| |を| |ン| |唇| |活| |雪| |黒| |く| | | |送| | |
| | | |ま| |め| |詩| |か| |さ| | | |い| | | | | |り| | |
| | | |え| |ざ| |群| |ら| |せ| | | |服| | | | | | | | |
| | | |は| |し| |よ| | | |て| | | | | | | | | | | | |
| |そ| |現| |イ| |時| |こ| |仮| |幻| |仮| |言| |ゆ| |現| |わ|
| |の| |実| |メ| |間| |こ| |想| |想| |面| |葉| |え| |実| |れ|
| |獣| |は| ||| |と| |に| |こ| |こ| |こ| |は| |に| |は| |ら|
| |道| |降| |ジ| |場| |わ| |そ| |そ| |そ| |現| |詩| |雲| |最|
| | | |臨| |の| |所| |れ| |が| |が| |が| |実| |人| |よ| |終|
| |自| |し| |力| |の| |ら| |現| |現| |現| |に| |は| |り| |の|
| |然| | | | | |旅| |の| |実| |実| |実| |生| |洞| |も| |詩|
| |の| |誠| |言| |人| |詩| |で| |で| |で| |の| |察| |遠| |人|
| |整| |実| |葉| | | |歌| |あ| |あ| |あ| |息| |す| |く| | |
| |合| |が| |の| |言| |史| |れ| |れ| |れ| |を| |る| | | |オ|
| | | |道| |音| |葉| | | |ば| |ば| |ば| |吹| |の| | | |ン|
| |宇| |を| |楽| |に| |二| | | | | | | |き| |だ| | | |ラ|
| |宙| |ひ| | | |綴| |十| | | | | | | |込| |ろ| | | |イ|
| | | |ら| |あ| |り| |世| | | | | | | |む| |う| | | |ン|
| |詩| |く| |れ| |て| |紀| | | | | | | |呼| | | | | |か|
| |人| | | |は| | | |最| | | | | | | |吸| | | | | |ら|
| |か| | | |歌| | | |終| | | | | | | |法| | | | | | |
| |ら| | | | | | | |の| | | | | | | | | | | | | | |

 寺山修司映画「二頭女−影の映画」は77年作品だが、そこに70年代の青春群
像が集約されている。沈黙の砂が胸から下に降臨する解体を経験すれば、裸電球の
二頭女は誕生する。その年、熱い70年代たぎるコミューンが終焉したのである。

 00年5月、遊行舎は「天使のウインク」を上演した。稽古場でふと思った。こ
れは77年生まれ世代による社会的出現であると。77年5月、わたしは反動の季
節に打倒され、故郷の3畳のアパ−トにいた。陽光がまぶしい午後、ふらふらと立
ち上がれば、感情は無気質になり紅い血は下降し、胸から体内の砂が落下する。遠
くの長峰公園から、花祭の音が聞こえてくるのだ。それがわたしの「二頭女−影の
映画」だった。

 孤独な白い砂を踏んで、わたしは優しく発狂する。自己と対話するこころがここ
ろの奈落へと落ちるとき、ついに自分は文字どおり、分けられていく。感情とここ
ろにもうひとりの意識感情存在が立ち上がってきたのである。それをわたしは「幻
想女」と呼んだ。故郷を永遠に去ったのは、77年の秋である。わたしの70年代、
敗北の早秋として。

 77年とは結節であった。政治・経済は80年代から90年代が代表してきた、
「利口に効率をあげ自己の利益のために他人を利用する」近代合理主義小市民雰囲
気が、最終原則として、コミュ−ンの時間帯を打倒したのである。革命家は牢獄と
地下にいた。天使は絶望し、詩人は5月の陽光のみが、希望であった。

 しかし絶望の季節にも、子供は誕生していたのだ。23年後、77年生まれ世代
は、表現の舞台に立ったのである。この奇蹟こそが「天使のウインク」である。ウ
インクとは微笑みである。『ロ−ザ微笑』という、ガリ版印刷の詩集があった。

 その詩集は71年の冬、宇都宮大学学生寮から発行された。川島さんという農学
部学自治会議長で、何度も逮捕されては逮捕されていた。71年、その人の部屋に
泊まったとき、読ませてもらったのである。ドイツ革命の敗北その20世紀の悲劇
を背負い、ロ−ザ・ルクセンブルクは静かに優しく微笑んでいる。その無言こそは
イタリア・ルネサンスの絵画、モナリザに通低する。あれが天使のウインクなのだ
ろう。ルネサンスの背景とは絶望としてあったペストとしての死の舞踏である。

 悲劇と絶望の総量こそが、人類史の営みであるとしたら、舞台表現とは現代史に
とって、天使のウインクの時間である。そこで人は生きとし生きる人間の始源とし
ての時間と対話するのである。舞台とは奈落から天使が浮上するのだ。

 表現者とは何か? 詩人とは何か? 自分が育った故郷でたたかった詩人は、い
かなる場所であれ、送信できる。人間は世界を所有できないが、誕生させることは
できる。インタ−ネットの世界では物流の時代は終焉した。いよいよテキスト存在
をめぐる革命の真っ直中に没入する。それが「IT革命」の中心軸だ。詩は演劇を
めざす。ハイパ−テキストは演劇・舞踏の空間へと向かっている。革命である。
2000年06月08日 20時03分00秒

白石征演劇とは何か−1

 白石征演劇とは何か


 1)




 いつかテレビで見たある特集番組それは大衆演劇・団長の物語、団長は
女性であった。ある時期、団員が全員離れていった。しかし彼女はひとり
で大衆演劇を不退転で実践する、やがて若い人々が劇団に集まり、劇団は
かつての活力を復活させる、しかしその劇団は以前の劇団ではなく団長の
生きざまと信念と思想を了解している劇団員によって構成されている。こ
れが組織における再生である。現在の遊行舎はこうした構造に接近しつつ
ある。演劇集団とは「死と再生」であろう。細胞は死滅し誕生する、それ
が生命のいとなみである。遊行舎という社会的組織を創造し存続させてき
たのが白石征先生である。わたしは白石征演劇に弟子入れしてから6年目
になる。



 遊行舎は96年9月に遊行フォーラムの一環として上演した「小栗判官
と照手姫−愛の奇蹟」によって誕生した。制作・衣裳は湘南舞踏派を裏方
として立ち上げたといってよい若林可南子さんが大きな力となった。彼女
の息子は土方巽の流れをくんだ舞踏手である。若林さんはその当時、演劇
鑑賞会の世話役をしていて、かなりの文化的ネットワークをもった女性で
あった。大きな社会的世界をもった創造的人間である。白石先生とは同世
代であろう。つづく「中世悪党伝」でも衣裳づくりに大きな力を発揮して
くれた。「遊行かぶき」は湘南の文化を支える女性たちとの協働、また横
浜・東京・首都圏の演劇を支える女性たちとの協働によって誕生したとい
っても過言ではない。ながらく編集出版の仕事をやってこられた白石征先
生には、創造的人間のエネルギーを演劇に組織する主体の強さがある。そ
の主体とは倫理に裏打ちされた不退転の悪魔のごとき執念であった。



 作家のエネルギーを本へと組織するのが編集者であるとするならば、民
衆の創造的エネルギーを演劇へと組織するのが演劇編集者であろう。演劇
編集者とは演劇運動家とも呼ばれる。そこにおける実践的な主体のありか
たこそが、出版と同様に演劇を社会に提示できる内容を持つ。組織された
演劇それが民衆「遊行かぶき」の構造である。社会に開かれた組織され生
成する演劇の可能性をきりひらく力として倫理がある。今後も「遊行かぶ
き」にはさまざまな創造的人間が参加してくるにちがいない。つまり演劇
とは寺山修司が実践したように、演劇のための演劇ではなく文明批評とし
て社会になにものかを提示する大きな可能性がある。



 「今治公演、お疲れさまでした。すえながく白石さんを助けてください
ネ!」元天井桟敷の歌姫・蘭妖子さんから晩夏、ハガキが届いた。ありが
たかった。蘭妖子さんは生涯性をもった尊敬する表現者である。そろそろ
白石征演劇について書けるのではないか、白石征演劇の根幹その思想が何
であるのか、いちど対象化してみたい、その世界観を言葉の方向感覚に助
けられながら主体化しないかぎり、遊行舎のつぎはみえてこないように思
えた。それがこの文章化作業である。吉川英治の小説「親鸞」を読み終え
たとき、新鮮な精神が高揚してきたのである。「親鸞」にたどりつくまで
長かった。今治公演から帰り、まずわたしはトム・クランシーの近未来小
説「日米開戦」から「合衆国崩壊」を読み、今度は日本の小説だと「親鸞
」を読めると思った。98年から「中世悪党伝」の勉強のため吉川英治の
小説は「新平家物語」「源頼朝」「太平記」を読んできたが、中世世界を
感じるためには、まず小説である。わたしは吉川英治の「親鸞」によって
鎌倉仏教「南無阿弥陀仏」の世界に接近できた。



 小栗判官と照手姫−愛の奇蹟、今治市公演楽日、政太夫さんの説教節は
うなりをあげた。あれは今だ見ぬ鳴門海峡であったかもしれない。すでに
幕は切って落とされ、わたしはそでで出番を待つ緊張にあった。政太夫さ
んのダイナミックな芸能の力を落とすことなく、次なるシーンへとバトン
を渡す演劇の役割意識。蘭妖子さんのシーンへとつなぐのである。白石征
先生(以下敬称略)から本舞台とは出演者スタッフによる駅伝レースであ
ると教えられてきた。そして演劇運動とは他力本願の行動思想であると。



 わたしは自分のシーンが終え、黒子に転じ舞台装置の裏に身を潜め、劇
場の風を感じていた。袖幕の裏に完成に向けた精神の集中と高まりが匂う
とき、舞台は成功する。白石征演劇そして遊行舎とは何か? わたしにと
ってその問いがようやくにして開示された。4年目にして。遊行寺野外公
演から愛媛県今治市公演は源流への帰還であり、つぎなる心的エネルギー
を準備する。舞台の袖幕に異界からの夏風がふき、黒幕がおよぐとき、白
石征演劇は死者を舞台に誘い魅了するのである。


 
 生身の説教節が現代演劇の構造を食い破り、観客をとらえて離さない、
そこに白石征演劇の実践があり、舞台の風は異界から本流へと転化する。
生身の芸能、生身の場所、生身の風雨、生身の危機、それこそが本物であ
ろう。遊行舎の演劇とは本物との出会いにつきる。説教節のうねりが中世
から立ち上がるとき,やはり白石征演劇「遊行かぶき」とは、起源を問題
にしているのだと、わたしは遊行寺公演から今治公演を経験したとき、よ
うやくにして自覚した。



 ささらこじきと呼ばれた放浪下層芸能民によって中世後期に出現した民
衆の説教節。それはヨーロッパ中世絵画と通低している。近代とはイタリ
ア・ルネサンスが表出する契機となったのだが、近代から現代のヨーロッ
パ芸術の根底には、10世紀から14世紀ヨーロッパ中世の絶望としてあ
ったこのペストとの死闘「死の舞踏」をくぐりぬけ生き延びたおそるべき
パワーの構造にある。



 近代ダンスではなく日本の舞踏として創出した暗黒舞踏・土方巽も中世
説教節に方向感覚はあったはずである。わたしは1996年6月ミラノ市
で観た中世絵画展、そこに餓鬼阿弥の存在を感じた。地獄に落とされそこ
から這い上がった餓鬼阿弥はまさにペストに侵食された民衆身体であり、
回復を願い熊野へと餓鬼阿弥車を引く小萩はヨーロッパの女たちでもあっ
た。



 ゆえに日本の根幹に迫る白石征演劇「遊行かぶき」は、愚直にも本物の
場所を4年間にわたり堀続けとき、民衆を発見するのである。滝のような
風雨にさらされながら、世紀末の説教師政太夫さんは、昨年・今年と遊行
寺野外劇で格闘するとき、劇場芸ではなく、中世放浪芸の根幹に迫る。昨
年の台風では音響家曽我さんの高価な外国製出力装置が雨でやられてしま
った。なぜそこまでリスクをかけ、膨大な赤字を支払い、白石征演劇は貫
徹されなくてはならないのか? 白石征は何を現代の人間に問おうとして
いるのか? 



 寺院における修行僧たちの鍛えられた福音が民衆への布教へと転化する
とき、説話という形態をとった。そこにコミュニケーション双方向といっ
た演劇が誕生する。中世説教節の源流がここにあった。リアリズムとは人
間こそがテキスト存在であるとする演者と観者の還流であろう。他者をあ
らかじめ前提としたところの説話。他者とは民衆身体である。ゆえに民衆
とは発見され続ける存在なのであろう。これを下層からの想像力と呼ぶ。



 藤原不比等たち国家官僚によって「古事記」「日本書紀」は古代たる奈
良時代に成立した。この奈良・平城京落日から長岡京をへて京都・平安京
への遷都の転換期に「日本霊異記」といった民衆の物語が修行僧景戒によ
って編纂されたことは驚嘆すべき事実である。そこに収録されている亡霊
が現在に語る能の源流ともいうべき「物言う骸骨」にいたっては、世界的
に分布している民話の一例である。日本演劇の原点として「日本霊異記」
はあり、ギリシア演劇と通低する世界性があった、音声によって立ち上が
る記憶の記述それが演劇と芸能の起点。



 白石征は80年代の最後において江戸を通過する。それが「新雪之丞変
化−暗殺のオペラ」と「落下の舞−暗殺のロンド」であった。江戸から中
世へ、白石征演劇の根幹は、時間の降臨である。過去の時間が降臨し現在
と入れ替わる、この変身は、息子から父の幻想時間が交差し、幽霊として
ある父の記述されなかった歴史が往生をとげるという独自性にある。時間
の上昇は不断に過去へと流れ、実はそこに人間のリアリズムがあるとする
空間認識。「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」にしても、結末は小栗毒殺と
いう暗殺の時間が降臨するのである。そして小栗は照手姫に抱かれながら
神へと昇華する。



 白石征演劇における「共同体時間における暗殺と神」は、白土三平「カ
ムイ伝第1部」でも表出しているが、空間認識における白石征の独自性に
わたしは注目する。空間と時間の編集それが舞台であるとするならば、白
石征はおのれが演出し、立ち上げた舞台から他者となって不断になにもの
かの生成を学習している。そこにはきびしいリアリズムとしてのひとりの
観客として成るものを幻視している。みえないものを感知しているのだ。
そこにわたしは脅威を感じる。



 「遊行かぶき」における時間のダイナミズムとは、遊行フォーラム運動、
本物の政太夫さんの説教節、これに土方巽暗黒舞踏の流れをもった、とり
ふね舞踏舎三上宥起夫氏の振付による湘南舞踏派による念仏踊りの展開、
日本舞踊・花柳輔礼乃先生の所作指導、若林可南子さんとそのネットワー
クによる衣裳づくり、現代美術家・鈴木朝湖氏による美術、新戸雅章氏に
よる「遊行舎通信」印刷メディアとインターネット・メディア展開、こう
した社会的世界をもった人々による協働作業として展開され、これが時間
のダイナミズムを生む。自己完結ではない空間であり、白石征は寺山修司
の演劇運動に学びながら、寺山修司と土方巽が希求した「かぶき」を現出
する。



 日雇労働者が日常的に路上で死に、山谷ドキュメンタリー映画を撮影し
ていた映画人が右翼韶韶団に暗殺され、その映画を完成させた山谷争議団
の組合指導者が、続いて路上で暗殺される。早朝には警視庁機動隊一個中
隊が毎日大通りを占領する緊張した山谷にわたしは89年4月に横浜・寿
町の寿日雇労働者組合から派遣された。夜・争議団事務所での不寝番、そ
のとき一緒だった争議団の活動家から思想について教えられた。彼は浄土
真宗の大谷大学で学んだ人だった。「思想とは結局、個人の背によっても
つ荷のようなものだ。思想とは全体ではなく個人が担うものなんだ」と。
今から思えばそれが親鸞の教えであったかもしれない。



 死といかに向き合うか、死をどうかんがえるか? これが思想の契機と
なる。70年代初期、わたしはさまざまな同時代の先輩・後輩・同世代の
自殺を社会運動のなかで経験してきた。あの70年代を生き延びてこれた
のは奇蹟だったと思っている。70年代とはわたしにとって「敗北の過程」
だった。80年代に入り、岩波文庫の法華経を読んだとき、仏教の宇宙的
大きさに感動した。現在、わたしは熱い晩夏の残暑のアパートで岩波文庫
「浄土三部経」・網野善彦の中世に関する本、吉本隆明の「全天皇制・宗
教論集成」などを猛烈に読書している。いまいちど「日本とは何か?」を
希求し、法然から親鸞そして一遍、これら鎌倉仏教の前期とフビライによ
るモンゴル帝国の来襲にゆれる鎌倉仏教後期をえて、「ねんぶつ」に集約
された民衆の現出などをかんがえている。



 ダイナミックな「遊行かぶき」を展開する白石征という人は、ある演劇
思想をもっている。それはこれまで近代にはなかった演劇思想かもしれな
い。近代合理主義の論理からみれば白石征を理解することはできない。わ
たしの経験によれば白石征演劇運動とは社会運動・革命運動よりもすざま
しい運動体である。白石征自身が太い倫理の幹であり、その器こそが運動
体の渦をつくり、社会的世界をもった創造的人間を組織する。自己をどこ
までもみつめ自己をひらいたとき宇宙的世界となる、それが人間をめぐる
仏教的世界であるならば、白石征演劇とは仏教的世界観をもった演劇運動
である。

2000年06月07日 20時15分26秒

白石征演劇とは何か−2

遊行舎・白石征演劇の構造にアクセスする実践的ドキュメント 98年の「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」野外劇。J.A.シーザーさんから、打ち上げの時、「家は流され人は死んだ、この台風の襲撃から守られ、公演がうてた奇蹟を、よく噛みしめた方がいい」と、教えを受けた。8月の最後、台風によって、私の故郷から近い那須町は那珂川が氾濫し、大被害にあった。不寝番体制で仮設芝居小屋を防衛した、遊行舎は、そこで遊行寺の大きさ深さ場所そのものを発見するのである。わたしは後日、新聞でフランスでの演劇祭・世界的有名な舞踏ダンサーの野外公演が風雨によって中断された記事を読む。

 そこでは時宗総務所・境内を守る庭師の親方から仕込にストップがかかったり、自然からは巨大台風の接近と、不断に演劇総体が遊行の試練にさらされていた。幕をあけれるかどうか、をめぐって仕込から最終日まで危機にあったのである。しかし船は沈没しなかった。劇は雨によっても中断しなかった。もっとも雨を嫌う生演奏の三味線をかかえた説教節・政太夫さんの格闘はすざましかった。さらに音響曽我さんの高価な出力装置に水が浸透してしまった。そして照明家小粥さんの格闘。


 舞台監督の藤原さんは、精神的肉体的諸力を出しきって、成功させたのである。演劇が開示できるかどうかは、裏方・スタッフの意志によって、決定される。奇蹟の運を呼んだのは、白石征の強靭な精神力であろう。演劇が立ち上がった場所は遊行舎の存在の意味を問うたのである。寺院はそれぞれの社会性を問う。遊行寺を甘くみてはならない。時宗・遊行寺は、徳川300年間に通低している場所だった。


近代以降勢力は縮小されたとしも、その伝統は、奈良・京都・鎌倉の場所に接近する。歴史の上部構造も下部構造も知りつくしている流れがある。物語を成立させた民衆説教節の本物の場所で演劇を立ち上げるとは、主体が問われるのである。それが古典との格闘であろう。藤原貴族の瓦解から平家と源氏の戦争そして鎌倉幕府内での部族内戦、戦力としての武士支配の登場は修羅と地獄の人間模様であり、虚脱と虚無。民衆にとって政治に救済はなくその内省の心に、法然、親鸞、一遍、日連といった、思想の実践者の音声が浸透していく。鎌倉仏教とは民衆が思想とおのれの物語を持った。


 鎌倉時代その中世とは、政治によって人は救えないとする自己精神への思索と共同性、自分もまた民衆のひとりであるとする親鸞の民衆の発見その念仏は、国家形成から分離した民衆形成としてあった。王国からの出家それはあらかじめ政治に問題解決能力が自己喪失しているとするブッタの原点でもある。近代とは個人・市民がアトミズムに分解・変質する形態として登場しその共同性とは、権利と権力と政治をめぐる闘争でもある。20世紀は戦争と革命の時代であると言われている。競争と闘争の世紀。生者としての人間の解放とは何であったのか?


 鎌倉時代から毎日継承されてまた明日も続く、朝5時の勤行、夜8時の就寝太鼓、そのおそるべき毎日の反復力こそが伝統であり、芝居の反復稽古どころではない。遊行舎は野外劇場を防衛する不寝番体制によって修行僧の道場としての遊行寺の深みを発見してきた。わたしは舞台監督の藤原さんに指示され遊行寺総務所に折衝に行くたび、胸が痛かった。お寺からみれば、われわれは神聖な場所の侵犯者である。


 96年6月わたしはイタリア・ミラノ市での、とりふね舞踏舎公演に参加したとき、巨大な教会としてのドーモの内部と外部を見学し、ドーモ広場を起点にしてミラノ市街を何万もの民衆が聖歌を歌いながら行進するカトリックの祭に参加してきた。ミラノ市にはローマ帝国時代の遺跡が街と同居していくら遺跡の門によって車が渋滞しようと、市民は遺跡を受け入れながら生活している。都市は教会といった寺院を中心にした街として生成している。ミラノから帰還し、すぐさま遊行フォーラムの立ち上がりとともに、わたしは、「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」初演の準備に入った。仕込で遊行寺本堂を観たときその内陣と外陣が、ミラノ・ドーモ教会と類似していたことに驚嘆した。大陸性があったのである。


 ミラノで文化交流の仕事をしているコーディネーター荒川いずみさんとわたしがレストランで昼食をとりながら話したことは、「日本のバブルとは何であったのか?」ということであった。何も残さなかったのではないか? それが結論だった。そのときわたしはイタリア現代史を成田からミラノまでの飛行機で読んでいたのだが。帰還してからもイタリア映画のビデオを借りてきて観たのだが。いずみさんから聞いたのだがイタリアの若者は一時期アメリカかぶれになるのだがイタリアの歴史文化に戻るそうである。


 人間と社会は流転する。流転する政治と経済に人間の救済はない、修行僧はこれらを寺院の道場から見つめてきたに違いない。ゆえに街の精神の中心軸に遊行寺は存立してきたのだろう。近代の破綻とはつまり市民文化それ自身が問われている末期にある。95年阪神・淡路大震災とオウム事件は、日本の近代史・現代史のありかたに深刻な反省を「精神史の敗北」として突きつけた。なにひとつ総括してこなかったと。イタリアと現在の日本を比較すれば民衆文化と精神の基層が、日本は崩れ落ちている。96年から展開された遊行フォーラムの試みは、寺院と民衆文化の歴史を再発見する。


 固有の場所との格闘、それが演劇のリアリズムを生成させる。リアリズムとは、空間のことである。歴史と人間の格闘構造・場所を演劇の動的中心が連動するとき、場所は人間の情念と幻想を昇華させる。場所には人間と建築の情念と幻想が渦巻き、それがテキスト存在と人間の動的中心を生成させる。固有の場所とは、人間と生物・植物・建築の情念と幻想が幾層にも形成されているのである。場所を確保せねば生き残れない演劇は、揺らぎつつも場所との対話を形成し、場所の身体的言語の昇華に向かう。これが民衆「遊行」かぶきであり白石征演劇の構造であろう。


 固有の男と女にはけして一般には回収されない物語がある。人間にとって最大のテキスト存在とは誰でもない自分自身である。私は幼少のころから心という空間が不思議でしかたがなかった。それは対話すれば対話するほど深いのである。いつからか私は自分のこころと遊ぶようになってしまった。この私のこころの空間と他者のこころの空間はどう違うのだろうか? 私は今でもわからない。こころとこころの出合いと自己が問われるこころの関係は緊張する。この緊張から現代演劇が逃亡したとき、その向こうにまっているのは「飼い慣らされた死」である。


 歌人斎藤慎爾氏は白石征を一言において定性している。「言葉と幽霊とを同じように心から信じた作家」と。それは三島由紀夫が鏡花を評した言葉だそうだが、「十三(とさ)の砂山」にしても、ワラの韶韶を父親・蟹吉が抱きかかえる、「瓜の涙」にしても謹三から父親瓜吉の恋の成就となる。つまり近代における現在から未来のの解放を希求する時間の構造は逆転し、過去の現在の時間が解放されて演劇の幕は閉じる。そこに「現世を生きる人間の魂は、生と死の境をこえて往来している」という、往生の時間帯と場所性に作家としての白石征の根源がある。


 白石征にとって演劇とは「おまえはただの現在にすぎない」ではないのだ。舞台の生者としての俳優の身体と内蔵からの音声を媒介に、死者の魂が呼応するのである。つまりそこでは、俳優の類系−先祖、死者としての演劇の人物、観客の類系−死者となった家族、これらの霊的三者構造の応答関係が白石征演劇構造には進出しているのである。それを「信」の不退転と呼ぼう。法然と親鸞の他力本願の往生と一遍における遊行、これら主体行動思想が「遊行かぶき」を立ち上げる白石征演劇の動的中心軸であり、近代と現代の合理にまみれたわれわれは、なかなか白石征を理解できない。


何故、寺院に劇場を立ち上げるのか? その自問はやがて、足利幕府・室町時代に定性された演劇、中世芸能者への交信に向かい、白石征演劇「遊行かぶき」は、「中世悪党伝」1部・2部の公演で、場所としての鎌倉を問い、後醍醐天皇・足利尊氏・楠木政成の時代を演劇化してきた。遊行舎は遊行寺を原点に鎌倉へと時間軸を伸ばしたのである。白石征の徹底した場所へのこだわりは土着の想像力であろう。


 わたしは栃木県矢板市の山奥で育ったのだが、小学校1年か2年の夏、漫画映画を観音寺という奈良時代につくられた寺の本堂で観た記憶がある。それは不思議な空間だった。寺は村の唯一の文化空間だった。


 昭和が終焉した89年とは同時に戦後世界が場所的に変貌をとげた。人はあたらしい中世がはじまったと予感した。それから10年がたった。90年代を総括することは20世紀を総括することでもある。現代史は1914年バルカン地域を導火線として第一次世界大戦からはじまった。99年はそこからさらに中世へと反復する。熊野湯の峰で本復した小栗が「この世は乱世なのだ。あるのは、遠くひろがる罰の荒野、地獄の風が吹いているばかりなのだ。わたしは、もう行かなければならない。そう、まさしくあの日は、地獄の狂宴、血の儀式だったのだ」と小萩をふりきって叫ぶとき、この現世がいかなる時にあるのか、わたしたちは自覚するのである。


 それまで黒子だった者が小栗を暗殺する配役へと変貌するとき、この地獄の狂宴、血の儀式こそが現代世界の政治構造であろう。その黒子とは舞台をつぎなる配置へと転換する者である。白石征演劇「遊行かぶき」とは現代世界の政治構造を回収しながら、民衆の救済を希求する。遊行寺に場所を求め中世に軸を置換したとき、すでに白石征は21世紀・資本主義様式の自壊を予測し、現代演劇が漂流することを、厳しいリアリズムの眼をもってみている。時間は理解不能となり、空間は白と黒の革命として再編される。地獄の狂宴、血の儀式としての中世的時間が突然現出したのが70年三島由紀夫事件であり、72年連合赤軍事件である。世界史的には79年イラン・イスラム革命であろう。89年世界史の転換とは近代様式の破綻であり、時間は理解不能の中世的時間へと反復したのである。たしかに歴史は終わった。


 人間をめぐる現代世界の動的中心が中世的時間へ大きく転換し変貌したとゆうあたりまえの現実をいまだ身体的言語は認めていない。人間世界の転換と変貌を己の身体言語が認めるということは、己のこれまでの観念が一度崩壊をとげねばならない。人間はこうした受苦的存在の経験の格闘をくぐりねけることによって、人間世界の転換と変貌を身体言語として認めるのである。身体言語こそが動物としての演劇である。新しい身体知覚・新しい物語知覚・新しい交換知覚と本格的に対決し、遊行寺の境内に中世芸能者が復活したかのごとく現出したのが、白石征演劇「遊行かぶき」であった。


 こうした場所にこだわる土着の想像力こそが大陸的前衛演劇であるとするならば、リアリティを剥奪され文明没落を深め、情報言語で充満する現在的空間に変質させられた身体的言語・俳優を解体し、他者の力によって再生する白石征演劇は、世界同時性を内包した前衛演劇の一里塚でもある。ありあまる情報言語とは、映像と表層・最後の人間としてこの現代に表出する身体である。その身体とは:いま::ここ:に配給される視覚と聴覚の世界市場に、規定されている。ゆえに事件にみちたアメリカ的外部空間は解体され、一貫とした視点によって内部からつくりなおされていく、白石征演出は世界市場に拮抗する「日本とは何か?」の根幹にせまる。吉本隆明が「南島論」で提示しているごとく、われわれが歴史的、現在的にとらえられる対象とは最も身近な空間と場所からであるが、対象から自己を問われる実践的空間であるがゆえに困難なのである。
2000年06月07日 19時52分42秒

白石征演劇とは何か−3


 他力本願の主体これが白石征演劇思想である。「遊行かぶき」の膨大な
赤字をおのれの労働によって支払い続けながら、「遊行かぶき」をこの日
本社会に定立させてきた白石征の主体とは、演劇とはそれ自身が他人の力
を借りなくては成立できない。しかしそこでは他人とっても自分が他力で
ある。社会的責任が自己に貫徹されている。「遊行かぶき」はそのつど膨
大な赤字を出しながら白石征個人によって支払われ、次の公演を打ってき
た。演劇市場における誠意その過酷な市場の風にさらされながら、白石征
は社会的責任を貫徹してきたのである。祝祭としての演劇、「遊行」かぶ
きが問いかけるものとは、遊行舎に参加する演劇人そのものの主体が問わ
れる。

 他力本願の思想とは無責任の主体とは位相が違うのである。組織された
演劇としての他力本願である。演劇人がつねに原点を問いつづけ、不断の
自己切開と反省を続けたとき、はじめて舞台に立ったときの豊かな情感が
よみがえる。「何故、何のために芝居をやるのか」これが演劇人の生涯の
問いであろう。この暗いリリシズムこそが演劇市場を生き延びるガイスト
であろう。

 白石征の強烈な主体性によって遊行舎は存続できた。この他力本願の思
想を白石征から聞くとき、わたしはまだまだ理解できないが、戦後主体性
論を越える内容軸をはらんでいる予感がする。市民社会はイデオロギーと
言う言葉を嫌悪する。文化から政治まで、イデオロギーとは鬼のイメージ
で悪者とされていく。しかし思想およびイデオロギーとは教条の代名詞で
はない。それは方法意識と実践から出力された蓄積による体系なのだ。コ
ンピュータ言語に換言すればデーターを蓄積しながら、ソウトウェアを構
築する実践としての体系性を内包する言語世界と思考世界なのである。ゆ
えに場所のこだわりはその演劇展開の中心軸となる。

 近代的自我の確立をめざし出発した主体性論争は敗戦後の日本における、
思想の環を生成させてきた。文学においては敗戦後すぐさま創刊された宮
本百合子、荒正人、埴谷雄高らの「近代文学」が口火をきった。哲学にお
いては梯明秀、梅本克己である。86年わたしは梯明秀の「戦後精神の探
求」を読んだがおのれの精神の虚脱の病を分析する徹底したありかたに、
ほとんど打ちのめされてしまった。世の中にはおそろしい人がいる。90
年代の社会思想において主体性構築に向けた論争などはない。たしかに近
代的自我などは近代の破産とともに消却されてしまったのかもしれない。
しかし依然として、集団としての現場と演劇市場における観客に責任を持
つ演劇人にとって、主体形成とは実践的な課題なのである。白石征はひと
りでも演劇市場の過酷な風にさらされながら、死ぬまで創造行為の手をや
すめることはない。演劇における主体性とはつまり、演劇集団が解体をし
ようとも、ひとりになっても芝居をやるという実践的なかまえである。

 演劇人がノルマもなければ赤字を負担しなくてもよいシステムはすでに、
演劇市場から離なれている。市場から離れた演劇は、観客を発見できない
ばかりでなく、民衆を発見できない。演劇市場における観客は市民として
ある演劇に足をはこび自己動員するのではない。ひとりの記述されなかっ
た歴史と系譜をもって観客は登場するのだ。むこうの世界からまれびとと
して観客はやってきた。「遊行かぶき」の他力本願としての主体演劇論の
根幹がここにある。演劇の他力、これが観客であり、この他力本願によっ
て、演劇は社会的世界として成立できる。

 観客は自力によって誕生したのではなく、他力によって誕生した。そこ
には「古事記」「日本書紀」以前の文化が観客の遺伝子情報に内蔵されて
いる。「無意識下の意識」それが仏教で説く人間の宇宙たる「あらやしき
」である。無意識下の意識、実はこれこそが人間身体の表層であり、観客
が日常つかう言葉には、観客誕生以前の社会と文化の伝統によって生成し
てきた。言葉もまた他力である。他力世界とは生命潮流としてのダイナミ
ズムがあり、愛の奇蹟に満ちている。演劇市場は観客の登場によって幕が
切って落とされる。観客の頭上に集合幻想の空間が立ち上がるとき、古典
との格闘は、観客の身体と舞台にのる観客の魂の至福なコミュニケーショ
ンであり、身体と魂の摩擦による熱をもったエクスタシーである。「遊行
かぶき」はこうして舞台と観客席の壁を溶解する。

 古典との出会いその格闘とは、基層からの復活であり、白石征演劇は日
本的霊性を魂の系譜として記憶装置に内蔵している観客を振動させる。演
劇市場においては観客こそ主体であり、その観客とは人類誕生以来、今日
まで継承されてきた悠久の遺伝子をもった生命潮流であり「愛の奇蹟」な
のである。観客は愛の奇蹟によってこの現世に誕生し、「わたしが生まれ
た日」は同時に、観客の両親その魂の系譜たる死者たちに祝福されて、こ
の現世に生命潮流によって母の子宮から他力によって押し出された。その
身体に内蔵された遺伝子は天皇制よりも古い伝統がある。死者もまた愛、
観客も俳優も古典的存在なのだろう。

 遊行舎はこれまで日本舞踊の花柳輔礼乃先生から、俳優の所作指導、衣
裳では大いなる援助をいただいたのだが、わたしが教えられたのはやはり
日本伝統芸能の強靭な精神と、おしみなく支援する暖かさだった。95年
泉鏡化の世界「瓜の涙」で一緒に共演した花柳先生の一番弟子うさぎさん
から、日本で芸をするんだったら着物くらい自分で着られるようにしなさ
い、とお叱りを受けたことを今でも思い出す。また世紀末の説教節・政太
夫さんは「遊行かぶき」を中世へと誘う基調として、協働作業の一環を困
難な現場で担ってこられた。

 「遊行かぶき」とはこれら日本伝統芸能と日本からの舞踏として誕生し
た土方巽暗黒舞踏のながれをくんだ三上宥起夫さんとの協働作業によって
創造された日本演劇における独自な方向感覚を社会に提示している。組織
された演劇がここにある。映画創造における、ダイナミックなスッタフ協
働の現場、この現場の制作を白石征は演劇にとりいれたのである。なにも
かもが演出家の恣意によって編集されるのではなく、専門家との協働にお
いて編集する社会的行為、こうしたカオスのなかで一方通行の演劇を解体
し、観客との双方向の空間にあるイメージの心を出力する、これが「遊行
かぶき」であろう。

 生命潮流その平凡な営為こそが古典であり、寺院においては毎日古典が
音楽のように朗読されている。修行僧と俳優の声は通低している。反復の
呼び声とは基層からの復活であり、奇蹟を空間に呼びおこすのである。演
劇における観客の感動の総量とは、基層から古代、中世をくぐりぬけ、近
世から近代、そして現代を生き延びてきた生命の情感であり、その総量が
わけもわからず観客身体を深部からつき動かすのである。その集合意識が
舞台に波動として集中放射されたとき観客と俳優の細胞は双方向として転
化し、あたかも観客の身体は舞台に立ち上げる。観客の身体から魂は抜け、
舞台にいる。観客は舞台のある自分の他力としての魂たるもうひとりの自
分と対話している。舞台いる自分とは自己の記述化されなかった歴史その
根幹である。観客の自己とは自らが他力によってあらかじめ分けられてい
る、ひとつの社会的世界である。ゆえに自分と言われる。

 社会的世界ゆえにこころの葛藤がある。舞台における人物とは観客のさ
まざまな類形である。観客のこころとは大きな社会的世界であり、さまざ
まには分化された自分としての人物が舞台に登場し物語を展開している。
舞台とは観客のいつか見たなつかしい風景、いつか出会った人、夜眠る観
客の夢その物語を再生する社会的世界である。舞台に登場する配役は観客
自身であり俳優は観客の媒介者である。ゆえに俳優は人間としてのメディ
アと呼ばれ、演出家は観客の代理人である。白石征は徹底してひとりの観
客として集中稽古をかまえる。現場に入ればそこはいよいよ白石征の時間
である。幕があく最後の最後まで稽古にねばる。観客に舞台をあけわたす
まで。ここでは遊行舎の俳優は野球の選手である。白石征にとって演劇と
は市場における観客との野球試合であり、試合に勝つための稽古場であり
現場稽古なのだ。こうして演出家は最終日までも観客が登場するまで現場
を観客にあけわたさない。白石征は演出家というよりは野球監督である。

 「遊行かぶき」は「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」にしても「中世悪党
伝」にしても、中世時代劇として、大きな舞台である。コストは高く、お
金がかかる。わたしは遊行寺初演の時、そのあまりにも巨大なリスクに疲
れ「先生、もう芝居はやめてください」と迫ったことがある。家庭経済が
破綻することは目に見えていたから。「いや、ぼくは演劇という表現を選
択したのだから」と答えられた。そこでわたしは白石征という作家は死ぬ
までひとりになっても芝居を持続させていくのだな、と、その決意を痛い
ほど感じとった。社会的巨大な運動体、そのエネルギーの渦の中心軸を白
石征は個人の理に有している。遊行寺初演が終わりほとんどわたしは幽霊
のごとく虚脱となった。遊行寺で芸能行為を立ち上げることは、行為する
主体が遊行の試練を受ける。

 96年遊行寺公演はなんとか赤字から救われ、続く97年3月の「瓜の
涙」銀座・博品館公演も赤字ではなかった。97年9月遊行寺公演への過
程は、幕が上がれば成功とわたしは制作として戦略を立てたのだが、膨大
なスッタフ支払いの赤字を生み出してしまい、制作としては失敗したので
ある。これをかぶったのが白石征その人である。その年の10月、電車で
たまたま遊行フォーラムの人に会い、遊行フォーラムの芸能企画はほとん
ど赤字だった、ぼくらはそれを負担した。演劇もそうとうに赤字を出した
ようだが、白石さんがひとりでそれを負担したようだね、他に誰も負担は
しないのか? と質問された。わたしは返答できなかった。演劇とはそう
いうものなのか? と、その人は社会的人間性への疑問をわたしに提示し
たのである。わたしは顔を上げられなかった。

 98年3月「遊行かぶき」第2弾として、新釈太平記三部作計画として
立ち上げた「中世悪党伝パート1」は、平日公演ということもあり、観客
動員は失敗し、膨大な赤字。98年5月渋谷ジァンジァン公演「十三(と
さ)の砂山」はジァンジァン側に、観客入場総数の全額を完納し、劇団に
はその後、半額しか小切手で入らないシステムで、わたしはほとんど打倒
されてしまったがかろうじてきりぬけた。98年8月最後の遊行寺公演は
台風のため観客動員失敗、野外劇でのコスト増大により、膨大な赤字。
99年3月「中世悪党伝パート2」、時間をかけて早くから仮シラシを藤
沢・東京におりこんだのだが、またしても観客動員に失敗した、赤字。
これらの膨大につぐ膨大な赤字を、遊行舎は白石征のその背に負わせてき
たのである。そしてまたしても99年8月遊行寺公演では赤字を出してし
まった。この赤字を白石征は支払っていく。これが演劇市場の過酷なリア
リズムなのだ。「ぼくが中小企業の経営者だったら一家心中自殺していた
よ。表現だから展望もあるし救われる」この白石征の演劇に賭ける死生観
は何であるのか?
2000年06月06日 21時31分52秒

池田ユリヤ舞踏・結露・感想−1

                   池田ユリヤ
                   東京都中野生まれ。
                   1990年 沙羅・辻征宣両氏の許で
                   ダンスを始める。
                   94年−98年 和栗由紀夫に師事し
                   好善社の数他の公演に参加する。
                   99年よりソロ活動を開始し「水の
                   匂い」「透視画法のゲルダ」を発
                   表。

               5月20日/初演/世田谷アルスノ−ヴァ

 闇である。天上の言語を支配する者は地上を支配する。あかりが天から垂直に落ち
るとき、舞台の奈落が同時的に対象化される。それが舞踏家の現在への回答であろう。
観客は舞台が幕を切って落とされた一瞬において規定される、白い布が落ち、月より
永遠の今、かぐや姫が降臨する。ここは神の国だ。

 頭書としての背骨にある近未来としての赤と緑のサインライト、あれは音であろう。
外では雨の音、さらり−まんたちの歓声、都市の騒音消して、天使は夜の雨空へと上
昇するのか? しかし舞踏家は奈落へと絶望を背負い沈んでいくのである。その対話
は、かつてあった故郷の土に交信しているかのように。ときおり背の赤と緑の点あか
りが、われわれ観客に向かって膨張する。あれは象徴としての羽であろう。そして舞
踏家の呼吸であろう。

 やがて言葉を生成させる、わたしの立場は消滅する、それが池田ユリヤの時間だ。
「人間には羽がはえていたのだ」ゆっくりと同意する詩人、和栗由紀夫氏の言葉に置
換すれば堕天使であり、失楽園以後の時間を表象したのかもしれない。しかしおそら
く「天の衣」であろう、唐時代、洞窟に描かれた仏教絵である。池田ユリヤの起源は
韓半島からイベリヤ半島へと疾走する大陸にあると直感する。

 われわれ観客は舞踏家の時間と接続し、神と対話する。そこにちいさな密教の場所
が誕生する、それが35人もはいれば満員になる小劇場の特権的肉体であろう。池田
ユリヤと曽我傑のコラボレ−ションによって生成した空間とは生き神である。そこに
表象と時間の現在的原点をわたしは確認する。俳優は人間としてのメディアではある
が舞踏家はさらに覚悟の総量において、生き神と人間の回路を接続するメディアかも
しれない。舞踏家は「現」なるものを飛翔することによって、表現とは云わない、そ
れは源態としての「像」なのである。ゆえに生き美術なのであろう。

 天使と神の絶望こそが第一部であった。タルコフスキ−が映画「ストカ−」で表明
したごとく、絶望する人間こそが神と対話できる。われわれは表層皮膚を突き破るも
のは愚劣なエイリアンである、H・R・ギ−ガ−に80年代から90年代と規定され
てきた。人間的内容の解剖であり、人間のような物への廃虚への敗北の過程である。
それはやがて茶色の最強の昆虫と人間の合体まで退行する。映像と表層、最後の人間。
自己に絶望するものは世界に絶望する、そこにおいて救済とは対話能力であろう。

 思想もそうであるが、神との対話とは個人による営為であり、神とは時間と空間そ
の宇宙であり、ソロ舞踏は、個人による個人のための個人への対話能力を観客に喚起
させる。こうしてソロ舞踏は美術のように、きわめて思想領域へと回路を開き純化さ
せるのであろう。こうして池田ユリヤは第一部において、背骨からアメリカUSA的
世界市場の絶望映像を打倒し、みごとな羽と天の衣を空間に像形したのである。舞踏
の生成が現代史における至福として、西洋人に受け入れられた要素がここにある。彼
らは神としての時間と対話したのだ。

 東欧・ソ連邦スタ−リン全体主義体制を解体させた89年革命とは、東西陣営に配
置された核弾頭に対する、巨万の民衆の個人としての危機意識であり、生産システム
その工場制度が起こす自然環境破壊への個人としての危機意識である。89年革命の
根底の精神史がここにあった。ヨ−ロッパ人は舞踏に失楽園以前の時間を感知したの
である。失楽園以前の時間を感知できなかった、フランス・ポストモダン現代思想家
は絶望と孤独に病み死んでいった。

 たまたま偶然ではあるが、わたしは池田ユリヤ舞踏公演に行く前、東京ビッグサイ
トへ立ち寄っている。パルテノン多摩・万有引力公演に出演した関係での知人がムシ
ムシコロコロシリ−ズを出展するので、あいさつがわりに行ったのだが、帰るとき、
アンドレ・ウエシュラ−と目が合い、あいさつをしたきっかけで、もう一度、彼女の
作品の前に戻った。骨である。自分のレントゲン写真のうえに自分の顔と身体の素描。
そのアクセスとしての表象は人間と自己とは何か? をめぐる内面思考であり、やは
り失楽園以後の時間帯ではあるが、対話が生成している。現在の女性表象者にとって
骨の内延と外延に生成している波動こそが、誕生である。          
2000年06月06日 21時20分21秒

池田ユリヤ舞踏公演・結露・感想−2

 糸である。紅い糸紐が舞踏者の手首にからむとき、つながれた袖幕には
あらかじめ分化された、わたしがいる。世界とは自我がわかれたとき、誕
生する。舞踏家は世界のかなたにいる、もうひとりの自分と出会っている。
観客は、舞踏家が生成した鏡としての瞳と脳波が出力した「対自己」の空
間に出会う。舞台とはわれわれにとって遠い、それが表象へのあこがれを
内包する夢となり、その回路こそが舞踏家の身体である。

 人間としての個人にとって、何故、世界はここにあるのだろうか? わ
たしは池田ユリヤの舞踏によって、その糸口がみえてきた。この世界とは
わたしのもうひとつの巨大な自我であり、意識であり、自己の身体をおの
れが所有できないように、この巨大な世界も所有できない。「神の国」だ
からである。その奇蹟、ひとは自己の器としての容量にみあった世界を生
成させている。人とは空間である。その空間は人のこころが集合した網の
細胞であろう。舞踏は空間の遺伝子なるものを呼び出すのである。

 第二部、池田ユリヤが紅い糸紐を、袖幕から伸ばしたとき、わたしには
すぐさまジァンジァン最終公演としての、万有引力『記憶の地下想像力』
に張られた紅い蜘蛛の糸がかさなり、陳腐だと感じた。しかし世界を再生
させるにおいて、その方法は必要だったのである。絶望した天使と神を呼
び出すために。

 紅い糸紐に池田ユリヤの身体がからまる、%%%%である。そこに空間のエ
クスタシ−が集中する。いい表情だと思う。いい腰だと思う。わたしは青
年時に始めて女性を抱いたとき、背から腰に流れる曲線の美しさに息を呑
んだ記憶がある。えくすたし−とは美しい季節である、その夜の匂い。
その至福こそが、世界への愛情として、再生するのであろう。世界とは、
もうひとりの分化された自分である。舞台とはやはり最後まで自己への信
頼を問い、そして舞踏家の細胞は覚悟の総量において、空間へと、夜と夜
の夜、都市に摩滅した観客の細胞を再起動させるのである。

 曽我傑の音は舞踏家の身体にとけ込み、それは音のみが主張することは
ない、ゆえに舞踏と道連れの音楽家なのだが、あかりは今でも記憶に残る。
昨年秋、同じ小屋での境野ひろみ舞踏公演でも、曽我傑のシンプルな世界
にうっとりとした。暗黒からあかりの源態が知感できる。そのあかりが縦
軸と横軸において、「永遠の今」を生成させるのである。ゆえに観客は至
福な特権を所有できる。それは思考する現代美術ではない、やはり身体表
象としての空間美術なのである。

 ユリヤが紅い紐糸と、白い衣裳を捨てたとき、風がやむ。舞台の中央。
中心が観客に迫る。女とは自己と世界が分離してないんだよ、あんた。情
けない男たちよ、さようなら。わたしは彼女の暗黒子宮にからだごと飲み
込まれればよかったと思った。ユリヤの躯体が反り、ふんばる足が美しい
と思った。しかし、今だ、手の表情が弱かった。若さゆえのエネルギ−と
集中で疾走していた。しかし、あれは演劇以上の衝撃あるシ−ンだ。世界
を再生させる裸力としてのえろすである。

 犬が野で疾走する夕方の美しい光景を、久しくわたしはみていない。近
くにあった鉄道沿いの大きな野原も、数年前、精神が宿る場所は全て壊滅
させる都市計画によって、モデルハウスが建つ場所へと変貌した。犬は繋
がれ、今や動物的本能を管理され、雄は犬小屋の横で自慰行為に走ってい
る。犬の内面が内向し、犬は諦観の淋しい街路を歩いている。池田ユリヤ
が云う「崩壊の借景」がここにある。えろすは再生を待っている。
2000年06月06日 20時46分11秒

池田ユリヤ舞踏公演・結露・感想

池田ユリヤ舞踏公演『結露』感想 (3)



 狂女である。エリザベ−ト、おまえの世界に雪が降る、そう詩人なら
うたうであろう。皇女の黒い衣裳、裏の裾には赤茶色染みがある。95
年以降の世界基調色である。自分が狂うとき、世界もまた同時的に移行
する。人間とは世界と自己が同時的時間と空間において成立している。
他人が介在したときに、始めて客体化された世界像がひらかれる。つま
り人間とは、世界を背負っているのである。それを世間とは云わない。
自己が個人として自分と対話をする回路が欠落している場合、世界は立
ち上がらない。制度としての世間であり、社会である。世界とは人のこ
ころが空間に拡張された通信としてある恋愛としての生成である。



 「物質と物質の恋愛」と云う土方巽の言葉がある。今日に置換すれば
細胞と細胞の恋愛ということになる。恋愛こそが日本の神生成であり舞
台であろう。そこにちいさな宗教が誕生するとき、観客は特権的身体と
なろう。恋愛ができぬ物質は狂うほかはない。第一部から第二部として
のかぐや姫は、なさけない男たちにみきりをつけ、月に昇っていった。
中世のかぐや姫とは天使であり、それは両性でもある。ゆえに男たちは
そのえろすに魅了されたのだろう。月に昇っていったのは理由がある。
かぐや姫が人間の男と結ばれれば、堕天使へと落下するからである。


 池田ユリヤは天海で「おにいさま」と叫ぶ、それが舞踏家のテ−マで
ある「水・記憶・夢」の根幹なのであろうか? わたしにはそうは思え
なかった。しかし男は舞台の特権的身体の波動に、「呼ばれている」と
至福な錯覚をするのである。そこにおいてはもはや阿佐ヶ谷アルスノ−
ヴァは世界劇場都市の皇居である。その二階から降りてくる狂った皇帝
の娘エリザベ−ト、おまえの世界に雪が降っている。ドイツ革命は失敗
した。第三部である。



 その姿に旧ソ連映画、「戦争と平和」の窓のシ−ンが、わたしの記憶
装置に呼び出す。さらにタルコフスキ−「惑星ソラリス」における記憶
装置との交配とその廃虚、宇宙船は記憶に蝕まれていく。記憶とは鏡。
銅鏡なのだ。特権的な小劇場の舞踏空間とは、もはや宇宙船であろう。
暗黒舞踏は始源としてのあかりを照らし出す。そのあかりこそが観客に
世界を再生させるのであろう。物質と物質の恋愛なき、切断された大量
物流の近代の終焉、わたしたちの前におわりが明確にあらわれる今、こ
の文明のレベルの低さを自覚する。えろすなき物流世界が崩壊している。


 「近代の終焉をまえにして、人は淋しさの極限にある」この村上龍の
指摘は根幹をつかんでいる。人と巨大組織システムは淋しく発狂する。
これが現在の「神の国」である。90年代のわたしは狂っていたのだ、
それが池田ユリヤと曽我傑のコラボレ−ション舞踏から、わたし自身が
対象化され、学んだことである。詩人は、やがて全面展開する予感によ
って、打倒される。オウム・サリン工場に突入する宇宙服を身につけ、
自衛隊化学部隊が手に持った「カナリヤ」こそ、詩人の動物的本能であ
ろう。詩人はつねに、やがて台風のように襲うであろう暗黒怪物のそば
で、ふるえながら生きているのである。

 わたしは狂っていたのだ、終焉をまえにして、明るい街を自転車で走
るとき、終焉を生きるためには、まずおのれが崩壊を遂げなければつぎ
なる世界がみえない。つぎなる価値観と思想は天使からのインスピレ−
ションの福音をまつ。この5月、曽我さんの音楽で、デイモン・ラニア
ン/原作、白石征/脚色・演出による「天使のウンイク」という芝居を
横浜で公演した。まず「天使のウインク」という題名に、わたしは嫌悪
感をおぼえた。「この地獄の世紀末に、天使のウインクとは、なにごと
か!!」、おそらく観客に拒否されるだろう。




 しかし、だんだんとわたしは、部屋で酒を呑みながら同意していくの
である。「これまで、わけもわからず、白石さんのもとでやってきた、
おそらく、今回も何かしらあるのだろう、とにかく白石征という人は先
駆者みたいな人だから、時間が醸成すれば、わかるかもしれない」、わ
たしは魔除にアパ−トの北側の壁に質屋で買った、銅のちいさな彫刻牛
を置いた。



 「天使のウインク」はみごとに観客動員は失敗した。しかしわたしに
それほどまでの敗北感は無かった。今回の公演の戦略を、偶然にも77
年生まれ世代が5人出演するので、77年世代による社会的出現に定め
ていたからである。明確にわずかな熱き支持者と圧倒的な拒否者とわか
らない不満者に観客は分離した。わたしのお客で60代の主婦からは、
もうみんな遊行舎の芝居は行かない、って云っているわよ、と優しくお
どかされるしまつである。

 天使をめぐる思いを誘ってくれたのは、池田ユリヤ舞踏である。先に
書いたように、その肩胛骨から羽を感知できたのだ。さらに初演後の和
栗由紀夫氏の言葉「堕天使」であった。瞬時にわたしは盲目のイギリス
詩人ミルトン「失楽園」を回路に呼び出す。天使であれ堕天使であれ、
五月雨の宇宙船に結露したものは、自己の実践的領域における、なにも
のかの誕生であった。



 わたしは崩壊し狂っていた、それが池田ユリヤ舞踏第三部へよせる、
わたしの回答である。この90年代とは淋しさの総量において70年代
に似ていた。70年代を生き延びられたのは奇蹟だったが、同時にこの
90年代を生き延びてこられたのも奇蹟だった。そう思うのである。生
涯性を賭けた表現者・表象者とは、表現行為をなぐりすてやめた時、神
によって殺されるであろうことを、よく自覚している。何故なら彼/女
は世界を誕生させるからである。いかなる場所においても。その最も良
質な原理をうながす営為として、池田ユリヤと曽我傑のコラボレ−ショ
ン舞踏は五月雨の世界に、対話を生成させたのである。


 過度期世界は終焉した。転換期である。わたしはもう70年代からあ
のあかるさに満ちた80年代へ変貌した都市に回答はできるだろう。お
まえの世界に雪が降る。


SCROLLDELAY=10 SCROLLAMOUNT=20 LOOP=-1 BGCOLOR=#FF00FF>
舞台の奈落から天使は浮上する五月の誕生。

2000年5月20日/阿佐ヶ谷アルスノ−ヴァ

2000年06月05日 20時57分19秒

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