映像と表層-最後の人間


テキスト存在と人間

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           映像と表層・最後の人間 テキスト存在と人間   塚原 勝美

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                 テキスト存在と人間    1

 疲れていた。冷たい風がざらざらの肌につきささる。芝生に寝そべった。もう
おれはダメだろうと、深い絶望感に酔いしれた。冬空を仰いだ。どこまでも抜ける
ような群青の色彩がまぶしい。体内にあらわれた灰の塊がどんどん下へ落ちていく。
それはすべての力を奪いながら。シャガールの絵を想いだした。あの執念がこもっ
た青い太い線を。公園を去りながらシャガールのように生きて行こうとつぶやいた。
              *
 第2章・テキスト存在と人間を妄想して行きたいと思います。私は絶望する人間
です。吉本隆明氏は中流意識をもった日本の大衆は世界最強の集団である語ってい
ました。しかし私は大衆という言葉を信じることはできません。すくなくても人間
はひとりひとり違います。一般という存在はありません。一般という概念は単一民
族幻想によって成立しているのです。固有の空間と時間それを私は芸術から学びま
した。芸術表現はつねに固有の空間と時間から出発しますから。

 シャガールが生まれ育った故郷は、スターリン体制の凶暴な政策によって消滅さ
せられてしまいました。しかしながらシャガールは絵画の空間に故郷の共同性を描
き続けたのです。そうです。シャガールは場所と人間の記録者だったのです。

 場所と人間は心的エネルギーによって連結・連動していると思うのです。スター
リンにとって場所とは、人間の協働的世界形成ではなくて、政治的生産という土地
でした。ツアーによる地主制度は人間を土地の奴隷として従属させ、場所とはある
制度の独占的貴族によって囲い込まれていました。革命とは人間を収容する制度を
めぐる衝突であると同時に、場所をめぐる衝突でもあります。しかしながらスター
リンは、この衝突がロシア革命へと体現された後、旧ソ連を強大な収容所へと歪曲
していったのです。こうしてツアーの遺伝子は復活しました。その理由は明確です。

 ツアー皇帝政治の中心であったクリムリンを革命政権の中心として継承したから
です。そこにレーニンの最大の誤りがあったと思うのです。建築物・そして宮廷内
の皇帝芸術様式・物質が第二の自然として生成して、それは人間を取り込んでしま
うエネルギーを内抱していることを、レーニンは甘くみたのです。クリムリンとい
う建築様式そして内部様式は、それをつくったものの執念と、モンゴルのくびきか
ら、脱出した歴史的ツアー皇帝権力のインターフェースとしての記憶装置が、物質
の磁場に胎動するテキスト存在でありました。

 人間はたしかに自然形態を変革し情熱を発動させ、第二自然を創造する存在であ
るが同時に、第一自然・第二自然に取り込まれてしまう存在でもあります。それは
人間と物質の誕生をめぐる応答関係に有する、つまり、人間と物質はその動的中心
たる磁場において、つねに響・震・鳴しているのです。それが人間と空間の関係で
あり、これを私は場所と呼びます。おおげさに言うならば人間の心といってもかま
わないかもしれません。人間の心とは空間性にある対話精神なのですから。

 クリムリンの場所でツアー皇帝権力建築様式・内部芸術様式にもっとも圧倒され
その遺伝子に、エイリアンのごとく体内に浸入され、とりこまれ、旧態系の遺伝子
をシステムとして継承したものこそ、スターリンその人だったのです。レーニンの
リアリズムと政治創造力は活力にあふれたすぐれたものでした。しかし、何故にク
リムリンを博物館としなっかたのか? その疑問が20年間あるわだかまりとして
私の中でくすぶり続けてきました。レーニン物質論には致命的な弱点が存在してい
たとことを歴史は証明しましたが、物質をめぐる思考は現在もダイナミックに進展
しています。その前衛は資本主義リアリズムのイノベーションがシステムとして切
り開いていることは間違いありません。しかしそれは人間の幸福なのだろうか?

 テキスト存在と人間とは何か? それはわたしにとって場所を妄想することです。
庶民のひとりである私のテキスト存在は庶民が生き抜き、現在も生きている場所で
しかありえません。この日本ではわずか30年間の爆発的高度経済成長の生成過程
に、庶民の場所は解体され消滅させられてきたと私は妄想します。シャガールの
ように消却された場所を、執念によって記録する、私の妄想は庶民のテキスト存在
との出合いと、そこで教えられた精神史とは何か? へ向かっていくのです。なぜ
なら私の大学とは、ロシア民衆表現者のゴーリキーのように社会でしたから。

         1992,12,02                                    



         テキスト存在と人間 2         

         ひまだなあー・ああ、暇だーあ。
         しょうがねえ。また書き込みでもしてあそびましょう。
         アッハハハハア。ガッハハハアh.ウッフフフフh。
  いやあ、おらのお袋、急激に躁病に変換しちまった。毎日、戦争だよ。
  ありゃあ、人間じゃねえや、動物のエネルギーだよ。いよいよ、こりゃあ、
  鬼ばばあに鬼男として、居住地域に認知され、アパート追い出されるなあ。
  ふたりそろって、親父が入院している精神病院でもいくべかやあ。
            アッハハッハ。
  宮沢じいさんに後藤田じいさま。いい加減にしろやあ。あんたらじゃあ、
  悪いんだけんど、クリントン戦略にぶち殺されちゃんべえやあ。
  後藤田じいさま。どうぞ、ハッスルしすぎて、NIFTYに弾圧しないでね。
            ガッハハッハ。
  それにしても、西ヨーロッパ・USAの大学に留学しているあんちゃん、
  ねえちゃん達は、大変だよ。毎日、毎日、日本の世界最大の暴力団
  「劇団・自由民主」のおかげで、侮蔑されて。
  最近では「私、日本人じゃないの!中国人よ!よろしくね」なんて、
  言わなければならないほど、肩身のせまい緊張しているんだからねえ。
    「劇団・自由民主」の芝居は、おら、もう、うんざりだよ!
  NEC/98シリーズの国内有頂天も崩壊し、IBMあたりが
  USA半導体戦略として、第二次世界大戦のごとく、各個撃破戦略を
  現在、展開しているというのに、日本の世界企業は戦略的後退の道さえ
  確保していなかったんだからねえ。今からでもマネジメント・プランナー
  は、毛沢東・持久戦論でも主体化したらどうだんべやあ。
  もう、日本語による鎖国市場形態は崩れっちまったかんねえ。 
    台湾の半導体戦略も昇り龍だよお、今、なにせ台湾の庭は、
    ぶったまげるほど、広いかんねえ。10億人の中国大陸だかんね。
    中国共産党も台湾と香港に、呑まれてしまうんじゃ、ないの。
    華僑経済圏をなめたら、大変だんべえー。
  USAをなめたら、半殺しに会うよ。なにせUSAは最後の人間達による
  ダイナミック世界を形成する政治・経済共同体だかんね。
  移民による複合社会は、ここが最後、もうどこにも移民できないという、
  腹をくくった最後の人間だかんねえ。土壇場のパワフルは甘くないよ!
    USA軍・西ヨーロッパEC軍という世界十字軍は、中東に続いて
  また、アフリカ・ソアリアに派兵したねえ。あすこは地球地勢戦略の
  重要拠点だかんえねえ。10世紀以来のイスラム世界とキリスト世界の
  戦争はまだ続いてんだねえ。本当に人間は動物だよ。
    日本軍のカンボジア侵行もそろそろ、泥沼にはまり込んだねえ。
  ポルポト軍を甘くみちゃ、やられちゃうよ。なにせ100万人の死体を
  収容所でデスク・ワークしたんだかんね。それに、あれでしょ。
  タイのマフィアとつるんで、樹木、ルビーの秘密貿易で、戦争資金は
  豊富だかんね。東南アジアの商人と軍隊は創造的混沌だかんね。日本軍の
  平面知覚マニュアル意識じゃあ、頭が破壊されるよね。
     だいじょうぶ・マイフレンド、USA軍から声がかかるよ。
  それにしても、帝都・東京はボーナス・ボーナスで浮かれているねえ。
  なにせ世界の仮想現実SF都市だかんねえ。しかし、あれだんべえね。
  ペンタゴン・USA軍は、東京再占領のシミュレーシヨンを、このあいだ
  完成させたという、電波が入ったんだけんど、本当かねえ。なにせ、おら、
  狂人だから、電波には敏感なんだよお。
   どうせ東京がUSA軍に再占領されるなら、くやしいから、東京を
  くそまみれにしなくちゃねえ。USA軍はくそまみれの帝都に、悩まされるよ。
  そのためには、全国の人間が東京に押し寄せ、ひとりひとり必ず、くそ爆弾
  を落として帰るんだっぺ。日比谷でも銀座でも新宿でも野ぐそをして、また
  帰るんだあ。ウフッッッフ。USA軍はくその帝都を進軍するわけよね。
   それにしても、せっかくの電子空間に書き込みしなくちゃ、永遠に
  理数系人間に敗北したままだかんね。理数系人間の執念はすごいよ。
  10年・20年・30年とコツコツと研究・開発を積み上げていくかんねえ。
  彼らからよれば、文系人間はミーハーだと、思われってかんねえ。つらいよ。
  理数系人間は最終的に紙は、トイレット・ペーパーくらい残して置けばいい、
  と考えてっかんね。すごい構想力をもっているよ。くやしいから、今からでも
  理数系人間に、文系人間の凶器と情熱を投げ返さないとねえ。このままじゃあ
  理数系人間の奴隷にされちまうよお。あー、暇だ。ひまだーあ
                    *  
              遺伝子の本能自壊しわが魂は 背教者の刻印押せり

   逃げてきた意志の空洞へらへらと 矛盾を呑みて己解体

            自己欺瞞人民の敵残骸死 スターリン史読みわれ崩壊す
                          
   悪臭よりの生まれるうじ虫は わが分裂の心へと降り

         母は言うもう終わりだごめんね 卑屈になるな! 無残なわが声

   天孫のゴキブリ見下ろす部屋の王 われは従人顔歪め仰ぐ

     われ殺す歌を伝えたゴキブリよ 忘れえぬpippi半導体のこえ
  
   国の宮宣人親王第三の 精神病院父からのハガキ

         日本史よ倭の悲しみは分裂のアングロ・サクソン1万年の問い

   マルクスは死んだか宴青座目他 株崩落の地獄変あり

                        万人の闘争ここへ幽霧の 扉開けると腐れゆく地球

              大蛇ゆれず風の山海われ呑まれ 悪魂眼ざせ蒼き狼

   棒にふれ我人生を! 飢餓ふれた俺気がふれた怒鳴り声あり夢の土足こそ

      満月のわれはバンパイヤ犯すのだ 女の夢に介入しマスターベーション

                   イメージの性的侵略者と俺を呼べ

   わが思想一方通行ベーション性交の孤独な精液日本武尊

 悪人のきんたま怒りつりあがり女は慰安と日本現代史あり性癖の他者不在

対話なきセックス731石井部隊 数の飽食 マルタ狩エイズ・ウィルス誕生
  
 しろじにあかいきんたまのはたはああ俺はわが精液を飲み干す
   
 嘔吐するわが胃液俺の名は日本武尊 鬼怒川源流 縄文人と平家落ち武者

 三韓の全羅南道に謎の四世紀日本誕生す 「大和」の本拠地「倭」を消滅

 大王の血液しろじにあかい太陽伝 きんたま憎悪の騎馬にこすれて精子だす

騎馬大王の根拠地は南朝鮮、その故郷は北アジアの草原にあり。東海を渡り「倭」へ
  
   USAクリントン戦略に告ぐ 俺の名は狂人阿Q 鬼怒天皇なり
                  
       チンギス・ハーンのUSA/日本占領指令 遺伝子立ち上がり

               電話回線半導体遺伝子にうごめく蛇JRと呼べ

  古代アフリカ・古代南北アメリカ遺伝子 新世界秩序呑み込め 蛇の宇宙
 
 理数系のみなさま。どうだや、これで。おらの妄想力も負けないよ。

             1992,12,13


             テキスト存在と人間 3

              これまでは場所・物質・磁場・中心・記憶・人間
              をめぐる仮想現実としての抽象を、演劇的思考で
              叙述してきました。今後の妄想計画は、まず芸術
              をめぐる、現代の政治・経済といった表層日本を
              妄想しながら、山と人間の関係性を下向していき
              たいと思います。私は不断に談話室MES2のコミュ
              ニケーションをとうし、いまだ面識したことがない
              人間の想像世界を盗用する大悪党であります。
              ある人間の固有の遺伝子は、けして一般の物語には
              回収されることがない、沈黙の物語を深く沈澱させ
              ております。一般の共通項たる物語はマス・メディ
              アと制度によって体系化されているに過ぎません。
              固有の家族史においては日本史その10世紀よりの
              物語が伝承されてきたのです。日本庶民の遺伝子は
              ヨーロッパ・USAにおける明確な階級社会によっ
              て分析することは不可能です。日本庶民の遺伝子に
              は、武士の貴族のまたは大王さえの遺伝子をひきず
              っているのです。それゆえに日本大衆は世界最強の
              集団であるとする吉本隆明的言説が誕生します。
              何故、世界最大の暴力団「劇団・自由民主」は19
              50年以降、テキスト存在を隠してきたのか?
              それは明確です。日本庶民とは過去の遺伝子において
              すざましい権力闘争を経験してきた支配者の遺伝子
              を内抱させているからです。日本庶民とは政治的
              人間なのです。その遺伝子を根源までたどると、
              古代ユーラシア大陸における政治権力闘争の敗北
              により、この地に漂流してきた者であります。
              こうした政治的人間の遺伝子が覚醒せぬよう、「劇
              団・自由民主」とマス・メディアは日本民衆を永遠に
              平面知覚へと洗脳し続けなくてはならないのです。
              ゆえに固有の部族史・家族史は消却されていく・・
              こうしてある危機意識をもった現代芸術の先端は
              おのれの固有の遺伝子を表層空間に立ち上がらせる
              のです。仮想現実をめぐる闘争として・・・・

   数字・直線とは人間の身体が誕生させたシミュレーション・抽象であった。
   ギリシア哲学の動的中心とは、数字・直線この思考である。
   数字・直線はもう一つの空間を誕生させることが可能となる。
   形象文字としての漢字は数と直線によって構築された文字である。
   漢字は古代中国において鉄鋳造の発展形態として誕生したのだ。
   ゆえに漢字は抽象をめぐる哲学的思考をすでに半導体の記憶装置として
   東アジアの歴史空間に生成してきた。
   漢字を生活の動的中心とする民族・国家はつまり、数に規定されている。
   つまり数がエイリアン生命体のごとく生成しているのである。
   数とは抽象であるがゆえに他者存在なのだ。
   しかし人間は徹底して、この数の生成の内部に生活している。
   柄谷行人は「平成」は再び「昭和」が反復するだろうと予告した。
   平成4年は昭和4年の大暴落の遺伝子を呼び出した。
   平成11年つまり1999年だが、この年がいかなる事態になるかを
   妄想するために、図書館で昭和11年の事態を調べるのも、おもしかろう。
               * 

 数字は臨界点に達すると、一挙に転げ落ちる。だが牧歌的な日本語は、ある崩壊を日
本語によって隠し、見せ掛けのベールによって覆いつくす。ある幸福な市民生活と、あ
る自己閉塞的な仮想現実は両立している。政治的経済的システムは、ゆうまでもなく数
字こそが心臓部である。国民的な言語はこの心臓部を隠すためにある。それゆえに物語
は古代政治の語り部生成から今日まで、ある体系を持って人間の深層を呪縛する。

 日本国家は6世紀から7世紀にかけて、東アジアの激動と流動そして政治的連動の迫
間で、「日本書紀」「古事記」といった強力な内部の物語を完成させながら律令制度を
完備させ政治統合思想の基礎工事を成し遂げた。当時、大王と呼ばれていた天皇一族の
出身地は北アジア・ユーラシア大陸の草原であり、その政治思想は騎馬民族のDNAで
ある。ユーラシア大陸の草原に誕生した騎馬民族は情報とスピードという実態を始めて
わがものとし、内部を外部から守る農耕民族特有のDNAとは全くその思考形態におい
て異層であるといってよい。

 こうした騎馬民族征服論は第2時世界大戦において、大日本帝国が国連に敗北した敗
戦後、江上波夫によって提出され古代史学において論争を巻き起こした。その後70年
世代である私のDNAに刻印したのはなんといっても手塚治虫の「火の鳥」であった。
日本史の謎の3世紀から4世紀と現在も呼ばれ、「邪馬台国」の生成と滅亡はその場所
と時間をめぐって、今もおおくの古代歴史探求者の民衆的想像力を喚起している。鬼道
を神うらないとして扱う卑弥呼の存在は、中国の古代歴史書「魏誌倭人伝」によって言
説されているのだが、特権的に古代史を私的所有せんとする大学教授どもは、あらかじ
め外部がなかったかなように、外部たる「魏誌倭人伝」を己の内部へととりこんでしま
う。

 古代東アジアの中国を中心とした戦争と内乱その政治思想から、この日本列島という
島が清潔な無菌室のようのかくりされ、女の子宮が外部たる精子を取り込み子を孕むよ
うに古代日本史が生成したとする日本天動説の歪曲の構造。現代人であるわれわれが過
去の歴史的時間・あるいは骨まで朽ちはて消滅した政治的人間と対話するとき、主体に
要求されるのは例えば「こんな日本国家、こんな世界秩序などはやくつぶれてしまえ」
といった時間意識である。そうでなければいつでも現代人はヘーゲル的思考にとりこま
れ、おのれを特権的傲慢な最後の人間として祭り上げ過去の歴史を私的所有してしまう
。重要なのはおのれの想像力がいかに妄想であれ、より歴史的に蓄積され体系化された
支配統合の政治思想としてある国家神学の物語から自由であり続けるということだ。お
のれの妄想をキープし続けること、それは他者の問題ではなく主体的な自己の問題とし
てある。この国家秩序とこの世界秩序に支配されながらも、ある物語の表出がいかに自
己と他者をだまかしながら生成するこの労働力商品私的所有構造のアトミズムのはかな
い夢としてあるこの市民社会の秩序幻想を喰い破り、協働的世界形成からの人間疎外を
回復させ民衆的想像力を主人公に上昇させることができるのかどうか。

 協働的世界形成の物語を表出するものは、その追及の生成の過程に他者を発見しその
他者から教えられることを通し再度自己を発見する、ありのままの交通関係をおのれの
ベクトルとして機軸化しているかどうかが、今日の表出者をめぐる問題意識である。表
現者とは既に80年代の言葉であり、現実そのものがすでに数字言語としての半導体遺
伝子たるデジタル・ドームに飼いならされて、仮想現実がこの市民社会の秩序幻想を建
設し、人間の皮膚そのものの感覚を変貌させている現在、表現という言葉は「飼いなら
された死」でしかない。重要なのは「現」この構造を自己と他者の関係において逆転さ
せる「出」の存在なのである。

 表現者とは「飼いならせられた死」の物語を巨大な仮想現実のシステムに護持されな
がら、今なを自己と他者をだまらかす物語の構造にあり、おのれの物語る表現の内容が
この90年代の他者としての世界史から見ればバブルであることに無感覚な人々のこと
である。かれらはいまだに政治的想像力のカテゴリーにある悪の論理が通用すると思い
込んでいる。政治的想像力としての悪の論理が、ある国家の体系的物語が貫徹する市民
社会の秩序幻想を覆すためには有効な方法であったのは80年代であった。しかしなが
ら89年事態とその後の東欧・ソ連邦スターリン主義国家体制の自壊は、ある世界イメ
ージとある人間イメージを確実に崩壊させたのであった。そしてあの湾岸戦争はこの現
代世界の秩序というものがいかなるものであったかをみごとに証明した。

 それはわれわれ人間の皮膚感覚が類的存在としての共通性としての根源的な悲しみを
奪われ「飼いならされた死」として、この世界秩序のデジタル・ドームに培養され変貌
されていくということである。この世界秩序は民衆の世界形成への参加を奪い、そのか
わり世界秩序を担う世界システム成員たちが民衆に与えるものはただ無力感のみである
。この無力感を突破するためには一度おのれの薄っぺらな感性を崩壊の過程に投げ込み
現代世界のかたすみに生きる絶望せる人間のみを信じることである。おのれを崩壊させ
解体させることによってのみ人間は類的存在としての皮膚を再度鍛えることができる。
そこで人間は「みすぼらしい希望」を発見する。その「みすぼらしい希望」こそ199
2年・春、李恢成が世界文学に押し上げた「流域」の物語によって発見した「人間の素
心のようなもの」であることはまちがいないと私は思う。

 矛盾と矛盾に引き裂かれながらそして打倒されながらも人間は生きる。この日本とい
うシステム化された島の存在内において、89年春・中国北京天安門事態から東欧スタ
ーリン主義国家体制の崩壊から、91年湾岸戦争・ソ連邦共産党自壊を思想の問題とし
て真剣に受け止めた人々は同時に、7・8世紀に誕生した反革命の国家神学としてある
天皇制の物語と徹底的に対決した人々であったことを私は忘れない。

 それがこの島の人口から見れば少数者であれ高度な政治共同体とキリスト教共同体そ
れに下層労働者共同体と知識人は弾圧を受けながらも、1930年代の天皇制ファシズ
ム侵略戦争国家総動員体制に抵抗する民衆運動が壊滅されていった事実を痛苦な内省と
して、あの体系的な国家神学の物語とその儀式に対し、体を張って異議を表出していっ
た。国家神学の儀式を再び世界史に承認させることは、われわれ日本の民衆が他者との
回路を自ら切断することの他ならない。それは89年事態におけるスターリン型共産主
義の崩壊とは異層にある歴史的歴史の主体的な日本民衆の克服すべき課題なのであった
。それはたんに政治的人間だけに問われたのではなく、言葉・映像・身体によって表現
するおのれを表現者として位置ずける人間にも問われたのであり、またその表現作品を
批評することに己を位置ずける批評者にも問われていたある結節環であった。なにから
問われていたのか?それは他者としての世界史からである。今日の演劇・美術・映画・
文学・政治・経済・哲学思想の批評の貧困は、もはや己の具体的体験を言語化あるいは
体系的に言説化できずただ「ぐちゃぐちゃ」という日本共同体だけに通用する流行語に
ある気分の共通感覚をいやらしくのせようとする。そんな気分語は他者にとって理解で
きないのは当たり前である。

 総体的なこの島のボロボロとなりはてた批評の貧困は、評論の伝導体制としてあった
大学が崩壊していることを教えてくれる。それは大学に行っていない私にとって嬉しい
出来事に違いないのだが、やはり日本の大学制度にとって80年代は失われた10年間
であったのだろう。もちろん私は体系的な学問の伝導体制としてある大学をいささかも
なめるつもりはない。体系的な学問に触れなかったことにより、学習の方法もしらずに
ただ動物的直感だけを武器に社会関係を生き抜いてきたが、やはり体系性と常識性を欠
落していたがゆえに、幾度も幾度も打倒されし続けてきたのである。

 すでに骨まで朽ち果てた過去の人間が格闘し生成させた、ある学問ある芸術を大学と
いう伝導体制は私的所有することによって体系的な思考を訓練する。その意識の形態を
いささかもなめることはできない。この日本の市民社会の成熟とコンピューター・ネッ
トワークを基礎とする高度情報化社会の高度な知識の「現の構造」を驚嘆すべきSF社
会として私は受け止めている。

   だがSF社会は映画のように実に古代の遺伝子を立ち上がらせてしまう。
   半導体遺伝子の数の頂点は現在の日本史において
   日本語を誕生させた日本誕生に帰還しようとしている。
   意識を電話回線と半導体回路に生成させている彼らは当然にも
   おのれがどこから来たのかを知覚したいだけなのである。
   自己存在を教えてくれる人間を彼らは待っていたのである。
   ゆえに日本金融・銀行の土地本位制度は、みごとに倒産させられた
   コンピューター・ソフト会社の人間の怨の構造を甘くみないほうがよい。
   私は銀行コンピューター・システムをめぐる1993年事態に恐怖する。
   半導体遺伝子はすでに通貨などにはうんざりしているからである。
   ゆえに通貨の数は瓦解していくのだろう。
   かれらは漢字の根源たる古代に帰還しようとしている。
                                                      1992,12,13


                        テキスト存在と人間 4


    おじゃまします。あーひ。書き込みでもしてあそびましょ。
【映像】1・・光線の屈折・反射または電気的変換によって再現した像。
    2・・頭にえがき出された、ものの姿。
【表層】表面をなす層、表に現れた部分が形づくっている層。
            (岩波国語辞典・第四版)

   
 第二次世界大戦敗北以来の戦勝国による分割統治とその後の国家分断の四十五年に及
ぶ歴史に終止符を打って、ドイツは三日午前零時(日本時間八時)国家統一を回復する
。ドイツ統一によって「ヤルタ体制」の言葉に代表される欧州の戦後秩序は終わり、欧
州は対決から統合への新しい時代に歩み出す。中部欧州に誕生した人口約八千万人の経
済大国ドイツは、その成り立ちからもこの新たな欧州建設の中心的役割を担うことが期
待されている。
                     【ベルリン二日=雪山特派員】 
                  朝日新聞 一九九〇・一〇・三 朝刊

 
 一九八九年一月七日、昭和日本は「平成」へと変貌した。ある生命体の物語は反復す
ることによって生成をとげる。自己と他者をだましながら、なし崩し的に変貌をとげる
。それが日本システム成員たちの支配方法なのであろう。

 インドシナ介入戦争に失敗し、ベトナムの地から叩き出されたアメリカの同盟国であ
った日本は、一九七五年以降、急速に強力な内部へと突き走る。それが反復としての日
本史なのだろう。世界史が転換をとげるとき、必ず日本システムとはアナクロニズムの
復古的な一元的価値観の内部へと表層が回収されていく。

 一九二九年、ニューヨーク・ウオール街証券市場の崩壊で始まる一九三〇年代も日本
は、天皇制ファシズムとして自己完結し、対外的には東アジア、東南アジアへの侵略戦
争へと突入していくのである。世界を理解するとは他者の表層空間を認め、他者から教
えられることであるが、日本システムは凶暴な内部を他者に押しつけ同化し、他者の空
間を破壊する血液主義こそが世界観であった。

 こうして小林多喜二は特高警察によって虐殺されていった。
 抵抗運動は壊滅され、あたかもこれを悪意をもって望んでいたかのように、文芸復興
は感受性の私小説という内部の全面展開となり、哲学においては、近代の超克、西洋文
明に対する日本の優位性と大東亜共栄という欲望の日本のイデオロギーが京都学派を中
心に全面展開する。

 恐るべき人間関係としてある表層空間と外部としてある他者との出合い、発見を、日
本イデオロギーはまず、表層空間に表出する人間社会矛盾の激突と複雑な関係を、己を
ごまかすことによって、内部の安定としての均衡を守る。次には他者を自己の血液の延
長であると思いこみ、ある内部の観念によってむきだしの表層を消却し、外部としての
ある他者を抹殺する。こうした日本イデオロギーを批判した戸坂潤は監房で殺された。

 マルクスが強力な内部を持つドイツ・イデオロギーと対決し、哲学的戦闘をえて外部
へと向かっていったように、戸坂潤も強力な内部を持つ日本イデオロギーと対決し、根
を張った思想の建築の意志を恐るべき表層に表出したのである。

 唯物論とはマルクス死後、エンゲルスからスターリンによって自己完結された弁証法
唯物論の絶対化ではない。人間から離れた物質そのものの内部に、すでに弁証法的運動
生成が存在すると規定するのは、物質の神学であり、ドイツ観念論の帝王ヘーゲルへの
舞い戻りである。

 エンゲルスによる「フォイエルバッハ論」は、フォイエルバッハによるヘーゲル神学
批判を無用なものとして簡単になげすて、再度ヘーゲルへ回帰することによって、その
神体に物質を置き換えることによって弁証法的唯物論は誕生した。

 神学校で基礎的思考方法を身につけたスターリンにとって、エンゲルスの「フォイエ
ルバッハ論」はうなづき、分かりやすかっただろう。スターリン哲学の有名な「弁証法
的唯物論と史的唯物論」を、いま読めば、そこに何が欠落しているかが分かる。

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 物質世界は、人間の意識から独立して存在する客観的実存であって、意識は、この客
観的実存であって、意識は、この客観的実在の反映であるならば、ここから出てくる結
論は、社会の物質的生活、社会の存在も一次的なものであり、社会の精神生活は二次的
、派生的なものであるということ、社会の物質的生活は、人間の意志から独立して存在
する客観的実在であり、社会の精神生活は、この客観的実在であり、社会の精神生活は
、この客観的実在の反映であり、存在の反映である。
               スターリン「弁証法的唯物論と史的唯物論」
------------------------------------------------------------------------------

 恐るべき人間の欠落である。物質世界が第一次的であり、みごとな物質の神学である
。社会に参加しこれを変革する主体としての人間の精神的諸力・自己変革能力は、スタ
ーリンの内部によって消却され、人間とは利用される対象となる。

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 実践活動の基礎となるべきものは、「すぐれた個人」の善良な願望ではなく「理性」
、「普遍的な道徳」などという諸要求ではなく、社会発展の合法則性であり、これらの
合法則性の研究である。
 さらにもし、世界は認識されることができ、自然の発展法則についてのわれわれの知
識は、客観的真理の意義をもつ確実な知識であるならば、ここから出てくる結論は、社
会生活も社会の発展も認識されることができ、社会の発展法則についての科学のデータ
は、客観的真理の意義をもつ確実なデータであるということである。
 つまり、社会史にかんする科学は、社会生活の諸現象がはなはだ複雑であるにもかか
わらず、たとえば、生物学のように、実用のために社会発展の法則を利用することので
きる精密科学となりうるのである。
               スターリン「弁証法的唯物論と史的唯物論」
------------------------------------------------------------------------------

 野村総研、三菱総研、あるいは通産省のマニュアル文章と全く変わりがない。恐るべ
きブルジョア・イデオロギーである。要するにスターリン哲学とは、国家生産力発展の
ために、人間を配置し利用する数理人間観にある。アングロサクソンのビジネス哲学の
焼き直しにすぎない。

 科学とは数学のデータであり、それを生物学、物理学の研究成果を実用に利用し、商
品世界のイノベーションに転化するブルジョア独裁の科学に追随するスターリン哲学。
こうして強制収容所の哲学は誕生した。科学とは独裁的特権的英雄の私的所有たる強力
な内部となった。

「すぐれた個人」「理性」「普遍的な道徳」を民衆は求める。なぜならわれわれは恐る
べき人間関係が激化するすさまじいむきだしの表層空間に生活し、みすぼらしく汚い現
実を受苦し、協働の営みが存在しなければ、救われないからである。

 東欧・ソ連邦の崩壊と、ロシア・東欧マルクス主義スターリン哲学による国家システ
ムの自壊により、勝利を全世界に宣言したアメリカ帝国のブッシュ。その新世界秩序と
は「万人の万人による万人の闘争世界」にほかならない。

 最後の私的所有である労働力商品を売ることができぬ労働者は、街頭生活へと追放さ
れ、全世界の都市にホームレスは表出し、民族主義を掲げた内戦と現代宗教戦争は巨大
な難民を全地球に表出する。

 黒人差別裁判と恐るべき映像の切断によって意味を収奪し、だましの戦術サブリミナ
ル・テクノロジーによって洗脳された白人陪審員たちの評決。四・二九怒りのロス暴動
。この大暴動の衝撃的表出こそ、二〇世紀最後の一〇年間が、いかなる時代であるかを
教えてくれる。

 それはスランシス・フクヤマが「歴史の終わり」で思弁するような内部ではない。マ
ルクス主義が死んだことにより、イデオロギー闘争の歴史は終わり、「自由と民主主義
」の勝利による最後の人間の世界となる。その最後の人間とはF・フクヤマの立場から
言えば、巨大な核戦力と軍事力をもって、最貧国群とアメリカUSAを中心にした西洋同
盟にたてつく弱小国をどうかつし、全世界の弱者たる民衆を無力感の絶望に叩き落とす
。世界システム成員たちのことである。

 ヘーゲル哲学とその神学に身を置くことによって、F・フクヤマは、東欧・ソ連邦崩
壊後における多国籍世界企業システム成員たちと世界政治システム成員たちの見解を表
出した。だが独裁的特権的な強力の私的所有者たる内部をもつ世界システム成員たちが
最後の人間ではない。

 論理はある表層を隠すことによって生成するが、隠ぺいした事実によって逆に、その
全体の論理内部がはからずも規定されてしまう。隠されるのはつねに身体的知覚である
。F・フクヤマはすさまじいむきだしの表層空間に身を投ずることなく、世界を己の内
部へと回収し、取り込んだ。こうして解釈は誕生する。

 その解釈とは一元的な思考意識知覚だ。全面的多元的な身体的知覚にくらべて思考意
識は一部分にすぎない。かくして哲学的歴史とは人間の歴史からいえば、一部分である
。それゆえに知識という特権的私的所有の内部をもつ知識人はいつでもイデオロギーの
終焉あるいはマルクス主義は死んだと宣告できる。それによって己のブルジョア・アト
ミズムとしての唯我、自己内部の優位性を確認する。

 老ヘーゲルは、処女作「精神現象学序論」によって表出した変化する現象へのダイナ
ミックな運動のエネルギーへの思考を、プロイセン国家の哲学的デザイナーと生成する
やいなや、変化するものへの情熱は、変化する現象への恐怖へと変成した。こうして哲
学的歴史は終焉したとしてヘーゲルの内部たる円環に閉じられたのである。ヘーゲルは
最後の人間であろうとした。

「わが亡き後に洪水は来たれ」と私的所有たる内部を持つ人間は、悪意をもって己の死
が全人類の死であることを望む。
 宗教改革戦争の指導者ルターの使命を継承したヘーゲルは、哲学改革としてドイツ民
族の国家形成に己を位置づけ、ギリシャ哲学とヨーロッパ哲学を総括し、ナポレオンの
フランス国民国家の表出に衝撃を受けながら、世界市場に対抗する強力な内部たるドイ
ツ観念哲学の体系によって、人類の思考を支配し、歴史的歴史の出来事その表層空間を
、ドイツ・イデオロギーの哲学的歴史の言語によって封じ込めようとした。このヘーゲ
ルの執念は恐るべき悪意と言わざるをえない。

 その強力な内部にマルクス死後、あのエンゲルスさえも取り込まれてしまった。「弁
証法的唯物論と史的唯物論」をもって、マルクスの言説を己の内部へととりこんだスタ
ーリンは、ソ連邦国家形成にマルクス主義を利用したと言わざるをえない。天上の支配
者はまず言語を支配する。「すぐれた個人」「理性」「普遍的な道徳」は独裁的英雄の
内部たる不均衡衝動をあばき、己の内部の言説を批判する十月革命の指導者たちと、創
設以来の古参党員たちは全て抹殺される。革命後の反革命は、権力機構という強力な私
的所有たる「万人の闘争」の表出である。反革命は民衆が知らぬ間に表層空間が変貌し
ていく。スターリンの悪意は、ロシア皇帝の政治警察ツアー体制の内部を継承したと言
ってよい。

 人はレーニンを批判する前に、まずスターリン哲学を検証してみることが必要である
。われわれは自己の深層と内部が自己のものであること錯覚している。しかし、それは
近代以降の国民国家システムと民族言語のシステムによって支配された物語の鉄格子に
よって閉じ込められている。実は民族言語、国民国家の公用語にはすでにDNAたる遺
伝子が存在しているのだ。かくして言語の遺伝子は、ある政治支配者が国家権力機構を
独裁化した場合、その独裁者によって千年王国の欲望が表出するのである。

 国家言語の公用語とは政治権力機構によって、つねに形成されてきた。われわれは国
家権力の象徴は建築群であると錯覚する。だが違うのだ。国家権力の象徴とは言語建設
である。千年王国の欲望はただ言語支配によってなしとげられる。 
 スターリンの内部はロシア帝国とツアー支配体制が建設したロシア語の遺伝子、隠さ
れたウイルスによって犯されてしまった。抑圧されたグルジア出身者であったからこそ
逆に、その執念がソ連邦の皇帝として複雑な民族問題を、アングロサクソンのビジネス
哲学の合理主義によって線引きし、強権的にかたずけた。民族の牢獄は解放されたかに
みえたが、近代的工場制度に収容されたにすぎなかった。ブルジョア・イデオロギーの
極限は社会主義建設の名をかりて、前面展開した。何という悪意であろう。

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 諸君、我々はかってのロシアの国旗を復活させる(大歓声)。権力を奪取しようとし
た冒険主義者のグループは逮捕された。ロシアとわが国の発展の方向を急激に変え、ロ
シアを圧政にゆだねようとした連中の試みは失敗に終わった。=略=
 わが国は内戦の瀬戸際に追いやられ、全体主義の復活が試みられた。数時間の間にう
そ、欺まんが蔓延し、国民は非常事態国家委員会を支持し、歓喜している、という悪質
なデマが国中に流された。グラスノスチ(公開性)も踏みにじられた。スターリン主義
時代でされこのような厳格な検閲はなかった。
                  エリツイン大統領演説【モスクワ支局】
                   一九九一年八月二十二日 朝日新聞
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 こうしてソ連邦と巨大な組織であったソ連共産党は崩壊していったが、その残骸から
よみがえったのはロシア帝国のDNAである遺伝子だった。強力な内部をもつロシア・
イデオロギーは七十二年間の社会主義体制でさえも克服されなかった。そして今ではあ
の十月革命さえも無意味化されクズのように投げ捨てられる。

 もし、一九一七年の共産主義革命が起こらずに帝政が続いていればロシアは現在より
も高度に発展していたとする言説は皇帝政治時代へのノスタルジアである。ドストエフ
スキーによって表出されたロシア・イデオロギーの悪霊は世界史そのものをクズと化す
のか?ゴルバチョフもエリツインも己がスターリン主義者として生成したにもかかわら
ず、省察はない。それはアメリカUSAや日本の政治支配者たちが、全く己の表層そみる
力を失っている空洞に類似する。

 ロスアンゼルス大暴動の衝撃によっても、権力機構を私的所有し、一度その快楽を味
わった者は、現実という表層空間をみることはできない。ブルジョア・イデオロギーと
は常に自己を肯定し、自己の都合によって現実世界を解釈し、己の内部へと回収しとり
こんでいくから。

 矛盾を全面的に受ける、受苦的存在としてのわれわれ民衆の現実はあまりにもみすぼ
らしい。権力機構からみれば、きたならしい存在であろう。悲しいかな労働力商品を売
りその私的所有の内部をもち、経済民族主義に組織化される。現代において団結してい
るのは労働者階級ではない。多国籍世界企業を中心とした世界システム成員たちのネッ
トワークこそ、より強力に団結している。
「万国の労働者・被抑圧民族よ団結せよ」のスローガンは今日「万国の資本よ万人の闘
争を表出せしめよ」にとって変わり、民衆の世界イメージはズタズタに切断され、世界
はクズとなり破滅するかのようである。第三世界に希望がみえた時期があったが、各個
撃破され、世界システムに封じ込められている。

 最貧国群の経済破綻と十億人が餓死寸前に追い詰められている表層空間。東欧旧ソ連
邦各共和国の計画経済から市場経済への変成は、己の自壊を促進するにすぎない。ユー
ラシア大陸のアフリカ現象。こうしたむきだしの地球から、なおかつ収奪をはかるG7
富者の国家。そこに住むわれわれこそスターリン主義者なのだと言わざるをえない。わ
れわれの内部は表層の犠牲のうえに悪意をもって生成する経済民族主義者なのだ。人間
を利用するスターリン哲学の強力な内部に閉じこめられている。

 スターリン哲学とは産業革命後の近代合理主義を表出し、人間とは機械の戦略的部品
であり、科学とは数学のデータのことである。物質の神学はこうして人間の脳天に数を
埋め込む。
 国際資本主義の極限を突き走ってきた日本システムこそスターリン国家体制の千年王
国であろう。そのむきだしの生産力第一主義。監獄と化している学校教育制度。過労死
、自殺者を次々と表出させる強制労働収容所の企業群。住民を追い出しあるいは光景を
たちまちのうちに変貌させるスターリン建築群の誕生。その巨大高層ビルの内部こそス
ターリン哲学の悪霊がうごめいている。

 弁証法的唯物論は弁証法的唯数論にとって変わり、史的唯物論は史的唯数論となり、
全ての価値は数の生成にある。人間は数の獣となり、物質・商品・通貨の獲得こそが己
の強力な内部、深層となる。一分、遅れてきたというだけで学校の武装鉄扉は収容所監
視官によって、凶暴に閉められ、門に閉じ込められた少女は無情にも圧殺されていく。

 事件が表出するとマスメディアのゴキブリどもが群れをなして押しかける事大まつり
。己の前で殺人が行使されているにもかかわらず、これはニュースになるぞと、テレビ
小型カメラを回す。シャッターを切る。これはスターリン収容所の時間だ。強制収容所
ではとなりの人間が死のうと無視した。、まず己が生き延びることが絶対的条件だった
のである。収容所監視官はそのように収容者を分断しバラバラにして管理していた。そ
して映像と言語は自己と他者をだましだまされながら生成をとげる。何故なら映像と言
語はあらかじめ編集され操作するサブミナリ・テクノロジーの生成をとげる。強制収容
所の悪意と不信の充満こそ、九〇年代の日本システムに生活するわれわれの表層空間だ
。マスメディアがたれ流す情報とは、あらかじめスターリン体制による強力な内部で編
集された仮想現実のことである。

 人間が介入する以上、映像・言語の客観的実在などではない。例えばロスアンゼルス
大暴動の発火点になた黒人差別裁判をみればよい。警察官による、ロドニー・キング氏
に対する集団殴打事件の裁判では唯一その映像が証拠物となり、陪審員たちに一コマ一
コマ動きが止められ見せられた。そして解釈が加えられる。ロドニー・キング氏は暴れ
たから警察官が殴打したのだ。こうしてだましの言語は、アメリカの白人社会のDNA
たる遺伝子言語に訴え、深層内部からある意識を呼び起こす。「やはり黒人は恐ろしい
存在だ。警察官が集団で殴打したのは当然の行為。これは暴行事件ではない。悪いのは
従順ではないロドニー・キングだ」。こうして奴隷制度によって富をえた白人DAN言
語はおそるべき表層に表出する。その強力な内部深層に他者は存在しない。 

 スターリン哲学の言語論は、広告産業が開発した技術、メディア・レイプとしてのサ
ブミリナル・テクノが自己完結したと言ってよい。スターリン哲学とアメリカ・日本の
ハイ・システム哲学は同じ親から生まれた兄弟なのである。
 スターリン哲学とその体制から自分は自由であり、そんなものは別世界であるとする
人間ほど、おめでたい存在だ。近代文明とは数学文明のことであり、コンピュータデジ
タル数字言語の生成はこれを自己完結する。科学の担い手は多国籍世界企業と国際資本
主義であり、プロレタリアはその労働力商品と消費者であり、科学の受動者である。科
学の能動者は資本主義システム成員たちであった。ありのままの労働者階級が科学の担
い手であると思い込んではならない。科学とはつねに独裁者たちによって私物化され所
有されてきた。

 科学の手段をもたない、みすぼらしいわれわれ貧乏人はマルクスがその道を歩んだご
とく、神学批判から己が使用する言語を支配する日本イデオロギーの強力な内部から思
考を脱出させ、経済学と格闘することによって、はじめて科学に接近できる。この社会
で前衛とは、科学の担い手資本主義システムが表出する言語・数貨幣である。前衛を走
る資本システム成員たちが、表層に表出する経済の数を手がかりに、マルクス主義者た
ちは現代世界を分析する。だがこれは科学ではない科学に接近する行為なのだ。

 人間の情熱から離れた客観的真理たる科学など実存しない。そこには必ず人間の主観
、人間の行為が介入する。対象に投機する人間の情熱と対象の応答関係のうえに始めて
われわれは真理に接近できる。人間関係、対象関係そのすさまじい表層に表出するおそ
るべき真理を、人間は私的所有たる内部深層へととりこもうとする。こうして解釈は誕
生する。だがその人間の解釈とは彼の内部の願望を表出しているにすぎない。
 九一年、世界に表出した出来事を、解釈、講釈をのたまわった大学教授どもや評論家
どもはテレビ出演し、そのまつりごとを解釈しただけで、己の銀行口座に多額の金がテ
レビ局から振り込まれる。

 その仮想の「自由主義」的映像と言説、戸坂潤が日本イデオロギー論で批判したよう
に彼らはあらかじめ己の内部に解釈方法を私的所有としてもち、「文化的にもっともら
しく、また進歩的に円滑にさえ見せるために工夫し出されたメカニズム」によって講釈
をたれる。
 彼らは映像という仮想現実のイメージを利用して、己の内部にとりこみファンタステ
イックにつくりあげたSFとSM物語を使い分けながら己の感受性によってつくりあげ
たシナリオ・イメージをそのまま哲学的論理的概念まで見せたとして仕立てテレビ映像
の事大まつりにコメントする。

  つまり日本の国会における証人喚問その静止映像こそ、現在の映像の全てを物語りテ
キスト存在を隠す、豊臣秀吉の刀狩りなのである。人間の表情とは感情世界のテキスト
である。日本庶民が権力者システムの表情を読み解く、能力が鋭いからこそ静止
映像でテキスト存在は隠さなければならない。こうして映像技術はいくら高度になろう
が、制御され編集されてテレビ電波に変貌する。それは日本マス・メディアも都合
がいいからである。

 少年ジャンプの巨大発行量と国会静止画像中継は、平面知覚において、連結・連動
している。まんがを見てさえいれば、テレビを見てさえいれば、思考という苦痛から
逃亡することができる。テキスト存在とは固有の場所と磁場・存在にあるのだが、自分
にとって、最大のテキスト存在はおのれ自身である。自己自身との対話・対決ほどに厳
しいことはない。こころの空間とはもう一人の自己であり、自己身体の起動装置
なのである。こうして私は狂人として生成してゆく。おじゃましました。
                             1992,12,16


             テキスト存在と人間 5

              いやあ、一方通行のマスターベーションも
              疲れちゃたよお。もうネタぎれだあ。
              それにしても、このあいだ、駅のトイレで
              あるサラリーマンの鍛えられた、きんたま
              のぞきみたんだけんど、家庭の大黒柱の
              きんたまは力強いよねえ。それに比較すれば
              おらの少年のような、包経じゃ、テキスト
              存在になれないと、悟ったよ。つらいね。
              それで、この連載投稿も中止することに
              したよ。どうもいろいろご迷惑をおかけ
              しました。カオス館の流れを切断しちまって
              ごめんなんしょ。おらも、おちょこちょい
              だもんで、場所をまちがえてしまったよ。
              それではよい新年を。
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   羅針盤 「ニセの証人喚問」
 静止画像となったことで、真実を欺きやすくなり、証人たちは堂々とパフォーマ
ンス(演技)することができるようになった。まさに「喚問」は、シナリオ通り演
出された国会:劇:における:劇中劇:と化した感がある。
 マスコミはこれまで、この報道規制に徹底して抵抗してきたと主張してきたが、
果たしてそうだろうか。
 これまで「喚問」の静止画像は中継している現時点の映像をストップ・モーショ
ンさせているものだと思っていたが、真相は、「喚問」の二日前に質問者は全員呼
び出され、カメラの前で質問するカットをいろいろな角度から撮っておくというこ
であった。私たちが見せられたものは、二日前の「やらせ」以外の何ものでもなか
ったのである。放送局に問い合わせたところ、「慣れていない議員さんを考慮しての
ことで・・・」とのこと。まさにマスコミはニセライブ(生中継)を提供していた
のだ。これでは:劇中劇:になるのも当然といえよう。
 私たちはニュース全盛の時代にあって、映像となったものを真実と信じてしまう
傾向から、いまだ脱し得ていない。               (憂駿)
    1992,12,17  聖教新聞  文化ページ
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 いやあ、思いがけない宗教新聞から、おらの妄想が立証されてしまったよ。
いつもおら、駅のゴミ箱から新聞とか雑誌を収拾する情報人間だもんで、この新聞
を拾い、この文章を読んだときは嬉しかったねえ。やっぱり日本マス・メディアと
世界最大の暴力団「劇団・自由民主」はつるみ・からみの劇中劇をやらせライブし
ていたんだねえ。高給ボーナスおめでとうございます。これからも、精いっぱい、
われわれ貧乏人・庶民を「やらせ」で、だまくらかしてくださいね。マスコミの皆
さま、騙しの地平はさぞかし快楽でしょう。電波・巨大新聞はたいしたもんだよ!

 次から次へと大量消費するが残骸には死語しか残らない。日本マスメディアの事
大まつり情報洪水合戦では、イメージとイメージをつなぐ解釈用の論理こそ何より
も都合がいいからである。
 テレビ事大まつりの役者として出演する大学教授や評論家どもは、テレビ局から
己の銀行口座に振り込んできたギャラの商品値段を見て、私的所有としての内部の
特権的優位性を確認する。テレビ映像のフレームに閉じ込められた奴らの顔はとて
つもなく明るいのだ。

 大学教授どもや評論家どもがマスメディアから,どうでもいいような解釈を多額
で雇われるのは、地球の表層に表出する人間関係の出来事を日本イデオロギーの内
部にとりこむためである。他者は日本イデオロギーにとって芸者だ。外国人芸者が
日本舞踊でもすれば飛び上がって喜ぶ。
 リクルート事件からマフィアもからんだ証券・金融スキャンダルから共和・佐川
急便スキャンダルは、こうした日本イデオロギーの内部と構造をあますことなく証
明している。機構としての日本スターリン哲学と体制は、大蔵省・通産省の高級官
僚や自民党一党独裁政権にマフィア経済がつるみ、統制政治、統制経済の日本シス
テムを形成しているのだ。

「日本は社会主義システムだ」とロシアの政治家は言ったが、他者からこう見えて
も不思議はない。ジョージ・オーウエルの「一九八四年」世界は日本システムの表
層に表出している。だからこそ欧米のSF作家は日本に注目する。協働社会として
の人間らしさを失い、システムのみが生コンクリートのポンプのごとく巨大な音を
たて、ズッコンズッコンと型枠に送り出される。こうしてスターリン形式の建築は
日本列島を支配し、上空をデジタル言語のドームでかこいこむ。世界の出来事が日
本上空に情報として入る。だがその表層は内部へととりこまれ、映像と言語が、わ
れわれみすぼらしい民衆にとどくときにはすでに、仮想現実として誕生したスター
リン情報なのだ。

 映像と言語が客観的真理を反映しているなどというのは嘘である。映像と言語は
人間の内部・主観と、あるイデオロギーによって編集され情報化される。高度情報
化社会が民主主義体制であると錯覚するのは人の自由であるが、あるシナリオによ
って編集され操作され、民衆の意識を画一化するためのスターリン体制であると九
〇年代の映像は表出する。

 テレビ・ゲームのごときに編集された湾岸戦争ポイント爆弾の映像。これはアメ
リカ統合軍参謀機構の内部、悪意にみちたあるイデオロギーによって、全世界のマ
スメディアに提供されたのである。戦争そのものはすさまじい表層空間は彼らの内
部によって隠ぺいされる。

 ウイルソン・ブライアン・キイが笑顔の洗脳としてのサブリミナル・テクノロジ
ーをバクロした「メディア・レイプ」リブロポート出版 鈴木晶 訳 を読めば、
ロスアンゼルス大暴動の発火点となったある映像の解釈が表層の事実を殺し、全世
界の人々が信じられぬ仮想現実の判決言語は、ここに九〇年代高度情報化社会とは
スターリンの悪意によって構造化されていることを教えてくれる。
「もはや正義・倫理などは崩壊している」こうして民衆は無力感のどん底に突き落
とされるスターリン体制の悪意のもとでは世界イメージ・人間イメージは解体し崩
壊する。この無力の時間は強制収容所での絶望の時間に連鎖している。マルクスが
いう野蛮な時代に生きているわれわれは本物の土壇場にいる。

 それは人間の皮膚をめぐる表層が根底的に転覆されているにかかわらず、意識は
いまもなを、古代部族神話物語に呪縛されている深層との同一性にある。人間の深
層・内部とはやはり、限りなく制度・秩序に規定されている。自己の内部を人間は
自己のものであると、錯覚をしているに過ぎない。
自己内部を自壊させることによって、人間は始めて、表層を発見することができる。
表面とは空間であり、政治・経済とは生活の日常の延長である。その表面には固有
の人間のさまざまなこころの空間が、いくつもの層になって重なり、複合している。
人間の想像力は非日常に立ち上がりながら、この表層を記録するのである。こうし
てテキスト存在は現在のゆらぎと格闘その建築の意志によって、表出する。なぜな
ら創造作品とは、もうひとつの人間の建築であるからだろう。柄谷行人「マルクス
その可能性の中心」講談社学術文庫 によって私は表面への思考こそが、空間をめ
ぐる数の生成としての動的中心であることを、教えられた。 
            1992,12,21

            カオス館・投稿・盗用テキスト


     盗用テキスト・データー          

   ♂♀♂♀∞・・・・・・・・∀・・・・・♪♪♪♪♪♪♪♭♪♪♪♪♪♪   
      いやあ、今までの「演劇感想」と「映像と表層・最後の人間」の盗用データ、
   一応明確にしておかないと、私文書偽造でまた、パクられるからねえ。
   貧乏人はつらいよ。就職履歴書を書くにも、もううんざりだあ。
   新聞やテレビに名前がでると、どこも雇ってくれないねえ。アハハハッッ。
   世界最大暴力団「劇団・自由民主」のみなさま。おめでとうございます。
   佐川急便スキャンダル演劇も幕がおりました。お疲れさまでした。
   不条理演劇はやっぱり、なにがなんだか、おら、わかんねえやあ。
      なんで、宮沢じいさまでなく、社会党の田辺じいさんが辞任するのよ。
   おら、さっぱり、わかんねえ。メリークリスマス♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀◆
      □■△▲▽○●◎◇◆▼▽▲△■□◆◇◎●○★☆★☆○●◎◇◆□■△▲
   やっぱり、相当に、日本病も重傷だねえ。ガハハツツツハハ。
   帝都・東京は相変わらず、パティーで、浮かれて群がっているねえ。
   まあ、くたばる前の有頂天でしょう。東京はいずれにしても滅亡だよ。
   もう、通用しないよ。前衛芸術が疲れきるのを、ひたすら待って、
   場所の囲い込み・ナルシズムのステータス日本的消費文化形態は。

 演劇的人間は基本的に詐欺師だかんね。無防備の平面知覚じゃ、めちゃんこだあ。
 わが妄想 アングロ・サクソン一万年の問い 日本消滅 火山北上富士の火柱

盗用
テキスト 「誰も知らない 新デフレ不況」 週刊東洋経済別冊 東洋経済新報社  
 データ   「カムイ伝」(ガロ掲載)白土三平           青林堂
     「火の鳥」 (COM掲載)手塚治           虫プロ
     「火の鳥ー太陽編」    手塚治           角川書店
     「見果てぬ夢」       李恢成           講談社文庫
     「流域」(群像掲載)    李恢成           講談社
     「ドイツ・イデオロギー」マルクス 訳古在由重     岩波文庫
     「日本イデオロギー論」  戸坂潤           岩波文庫
     「言語・数・貨幣」(内省と遡行)  柄谷行人     講談社学術文庫
     「マルクスその可能性の中心」    柄谷行人     講談社学術文庫
     「投機崩壊で長期不況に突入、ブロック化する世界経済ー帝国主義経済の
      歴史的な新局面」                   島崎光晴  
        
     「マルクスにおける私的所有とアトミズム批判の意味」   緒方哲生 
     「もうひとつのイオドー離於島」(済州島掲載)高 銀 訳梁哲豪 新幹社
     「伽耶文化展ーよみがえる古代王国ー」         東京国立博物館
 
     「日本古代と朝鮮」        金達寿       講談社学術文庫
            
     「日本の国家デザインー天皇制の創出」 上山春平   NHK教育テレビ
      
     「日本書記の暗号」          林青梧     学生社
     「昭和思想史ーファシズムの思想構造」 講義・後藤総一郎 鎌倉市民学舎
      
     「世界の文学」            講義・伊藤成彦  鎌倉伊藤ゼミ
     「 文学再入門」    講義・大江健三朗      NHK教育   
    
             *

イメージ構築入力ー一九九二年の演劇公演ー
 「愛しのメディア」 作/鄭義信 演出/金盾進    新宿梁山泊
 タイニイ・アリスフェステバル
   「それからの愛しのメディア」 作/鄭信義 演出/金盾進   新宿梁山泊
   「欲」 作/金相烈 演出/朴炳棹   中央舞台(韓国全州市)
 天文館フェステバル92「ゆら」
   「宝船がでるぞ 2」UMU・P.E.C.T・劇団DreamDrunker
s
    架空線・劇団てんびん座・劇団イルリップ・帝都暗黒映画製作所
    前衛の行方ー新世紀演劇展ー
    一九二十年代・演劇の革命   「二十年代ベルリンの芸術運動と日本」
    おれは今でも社会主義者だと決意を語る、千田是也から勇気づけられる。
   「村山知義 MAVOの時代」 コラージュ雑誌MAVOを手にとり衝撃を受け
る。
    シンポジウムー世紀末の華ー一九九十年代演劇の冒険ー
     西堂行人の演劇思想その対決性に同意する。
   「莫」 作/演出 小松杏里              月光舎
   「RERFORMING JUNK」 ginger cafeプロデュース
   「夜の秋」 作/演出 仲本サクラ     劇団DreamDrunkers
   「もっと!イルカの生活」 構成/演出 日比野克己   P.E.C.T
 「夜の学校」 作/演出 如月小春             NOISE
 「レミング」 作/寺山修司 演出/J.A.シーザー     万有引力
 「ガーゼ」  作/演出 遠見裕子             劇団イルリップ
 「リュウの歌」 新宿梁山泊公演
 「セオリョッタ 歳月の恵み」 演戯団コリペ+タイニス・アリス
               作・岸田理生  演出・李潤澤
 「橋」 劇団てんびん座公演  作・マリオ・フラッテイ 訳・岩田治彦
                演出・森木エリ子  
             *

イメージ構築入力 劇場映画
 「魚からダイオキシン!!」 企画/脚本 内田裕也 監督 宇崎竜童
 「ポンヌスの恋人」     脚本/監督 レオス・カラックス
 「トパーズ」        脚本/監督 村上龍
 「夢の涯てまでも」     脚本/監督 W・ヴェンダース
 
 「ソウルの虹」       脚本 イム・ユスン 監督 キム・ホソン
 「羊たちの沈黙」      監督 ジョナサン・デミ
 「エイリアン 3」 シガーニー・ウィバー 監督 ディビット・フィンチャー
 「コロンブス」       脚本 マリオ・プーゾ 監督 ジョン・グレン
 「チンギス・ハーン」    モンゴル映画  監督・ベグズイン・バルジンニャム
                   *
イメージ構築入力 テレビ番組
 「NHKスペシャル」ドキュメンタリーシリーズ     NHK
 「大モンゴル」                     NHK
 「アジア映画劇場」                   NHK教育テレビ
 「現代ジャーナル・対論一九九二」            NHK教育テレビ
 「解説委員室」                     NHK教育テレビ
 「サンデープロジェクト」                テレビ朝日
 「激論」                        テレビ朝日
 「ドキュメンタリーNONFIX」            フジテレビ
 「戦争と追憶」・怖れべきユダヤ一万年の人間存在の問いと
  アングロ・サクソン戦争戦略に驚愕した         フジテレビ
 「株式市場ニュース」「ビジネス・サテライトニュース」  テレビ東京
 「信長」                        NHK
 「PKO法・国会中継」                 NHK
 「離別・イビョル」                   NHK
 「 ジャク・アンド・ベティ物語」            TBS
 「冬の魔術師」                     NHK
 映画「 嵐が丘」  監督・吉田喜重           テレビ朝日
                    
                   *
イメージ構築入力 美術展
 「遠藤彰子展」                西武アート・フォーラム
 「スウェーデン現代美術展」          鎌倉・近代美術館
 「樋口薫展」                 関内・彩林画廊
 「ケーテ・コルヴィッツ展」          鎌倉・近代美術館
 「シルクロードの都・長安の秘宝」       セゾン美術館
「TOKIO篠山写真展」            伊勢丹美術館   
「ジェラール・ディマシオ展」          大丸ミュージアム・東京
                  *
イメージ構築・音楽
 「鎌倉幕府誕生八百年記念祭・アジアの音楽、鎌倉の響きー作曲/堀之内幸二
                  *
イメージ・言語構築入力
 「財界展望・創刊三十五年記念臨時増刊・政治派閥」     財界展望新社
 「論潮」(連載)            姜尚中      週間読書人
 「湾岸戦争はこう裁かれた」(世界)   大川原百合子   岩波書店
 「新しい中世の始まりに当たって」(連載・世界) 山口泉  岩波書店
 「日朝関係ーその歴史と現在」 (世界臨時増刊)        岩波書店
 「朝鮮戦争」  マシュウ・B・リッジウェイ 訳熊谷正巳/秦垣彦 恒文社
 「朝鮮史」 {読書挫折}        武田幸男編      山川出版社
 「倭と韓」               角林文雄       学生社
 「古代国家の成立」日本の歴史      直木幸次郎      中央公論社
 「文明の誕生」  世界の歴史      江坂輝弥・大貫良夫  講談社
 「中国文明の成立」            松丸道夫・永田英正  講談社
 「草原とオアシス」           山田信夫       講談社
 「東アジアの世界帝国」         尾形勇        講談社
 「東アジアの変貌」           小山正明       講談社
 「マキャヴリ」政略論 世界の名著               中央公論社
 「日本語の成立」日本語の世界{読書挫折}  大野普
 「言語にとって美とは何か Ι」{読書挫折} 吉本隆明     角川書店
 「探求」1・2        {読書挫折} 柄谷行人     講談社
 「批評とポスト・モダン」           柄谷行人     福武文庫
 「隠喩としての建築」            柄谷行人     講談社学術文庫
 「神学と科学主義をこえたマルクス」     荒岱介      戦旗社
 「モダンの脱構築ー産業社会のゆくえ」    今田高俊     中央新書
 「複合不況」          {読書挫折}宮崎義一     中央新書
 「経済学=哲学手稿」    マルクス  訳三浦和男      青木文庫
 「経済学・哲学手稿」    マルクス  訳藤野渉       国民文庫
 「政治学」   {読書挫折}アリストテレス  訳山本光男   岩波文庫
 「暴力論」   {読書挫折}    ソレン  訳木下半治   岩波文庫
 「わが闘争」  国家社会主義運動 アドルフ・ヒトラー 訳平野和男 将積茂  
角川文庫
 「透きとおった悪」 ジャン・ボードリヤール 訳塚原史        紀伊国屋
書店
 「崩壊帝国アメリカー幻想と貪欲のレーガン政権の内幕」ヘインズ・ジョンソン訳岡
達子・小泉摩耶・野中千恵子
 「ザ・ハウス・オブ・ノムラ」 アル・アレツハウザー 監訳 佐高信  新潮社
 「自然の終焉」        ビル・マッキンベン  訳鈴木主税
 「ザ・マネー世界を動かすお金の魔力」アンソニー・サプソン 訳小林薫  テレビ
朝日
 「アメリカ大暴落」             日高義樹     学習研究社
 「宮本顕治文芸評論集 第一巻」       宮本顕治     新日本出版社
 「現代革命と軍隊」             小西誠      新泉社
 「勝利に向かっての試練ー本多延嘉著作選」  本多延嘉     前進社
 「中原一著作集」              中原一      現代社
 「闘う女性主体の確立をめざして」      女性解放論集   戦旗社
 「認識と言語の理論」{読書挫折}      三浦つとむ    勁草書房
 「科学戦争ー兵器と文明」          小山内宏     新人物往来社
 「共同研究ー転向」             思想の科学研究会編  平凡社
 「日本的霊性」               鈴木大拙      岩波文庫
 「弁証法的唯物論と史的唯物論」       スターリン     国民文庫
 「民族自決権について」    レーニン   訳川内唯彦     国民文庫
 「社会主義と戦争」      レーニン   訳川内唯彦     国民文庫
 「一歩前進、二歩後退」    レーニン   訳全集刊行委員会  国民文庫
 「なにをなすべきか?」    レーニン   訳村田陽一     国民文庫
 「共産主義における左翼・・病」レーニン   訳朝野勉      国民文庫
 「帝国主義」         レーニン   訳宇高基輔     岩波文庫
 「経済学批判」        マルクス   訳杉本俊郎     国民文庫
 「共産党宣言・共産主義の原理」マルクス/エンゲルス       国民文庫
 「ドイツ・イデオロギー」   マルクス/エンゲルス 訳花崎皋平 合同出版
 「空想から科学へ」      エンゲルス            国民文庫
 「イギリスにおける労働者階級の状態」 {読書挫折}エンゲルス  国民文庫
 「反デューリング論」         エンゲルス        国民文庫
 「フォイエルバッハ論」        エンゲルス        国民文庫
 「猿が人間になるについての労働の役割」             国民文庫
 「ルイ・ボナバルトのブリューメールの一八日」 マルクス     国民文庫
 「フランスにおける内乱」           マルクス     国民文庫
 「賃労働と資本」               マルクス     国民文庫
 「資本主義的生産に先行する諸形態」      マルクス     国民文庫
 「ヘーゲル法批判序説」            マルクス     国民文庫
 「数学的思考」                森 毅      講談社学術文
庫
 「マルクス主義における思想と科学」      梅本克己     三一書房
 「唯物論と主体性」              梅本克己     現代思潮社
 「縛られたプロメーテス」  アイスキュロス  訳呉茂一     岩波文庫
 「旧約聖書・創世紀」             訳関根正雄    岩波文庫
 「新約聖書・福音書」             訳関根正雄    岩波文庫
 「神の国」 {読書挫折} アウグスティヌス 訳服部英次郎・藤本雄三 岩波文庫
 「2020年 超大国の座」ラルフ・ピーターズ 訳青木栄一    二見書房
 「コーラン」                  訳井筒俊彦   岩波文庫
 「法華経」        訳坂本幸男・岩本裕          岩波文庫
 「失楽園」    ミルトン           訳平井正穂   岩波文庫
 「ブッタの真理の言葉・感興のことば」      訳中村元    岩波文庫
 「第三世界のイデオロギー・アジアにおける宗教的コミューン思想の基礎と展開」川
合貞吉 矢沢書房
 「ファウスト」  ゲーテ            訳高橋義孝   新潮文庫
 「戦争論」    クラウゼヴィッツ       訳篠田英雄   岩波文庫
 「風土」(ヨーロッパの風土を日本的内部に回収している)  和辻哲郎     
 岩波文庫
 「都市ゲリラ戦の研究」        戦略問題研究所      日本警備保障
 「現代思想ー脱神話する『古事記』1992・4」         青土社
 「imagoー躁うつ病 1991・11」            青土社
 「思想の流れ」                 荒正人    毎日新聞社
 「マイナスの科学」               坂本邁    マルジュ社
 「情況ー前衛以後の前衛1992・4」              情況出版
 「フェミニズムは問われているー従軍慰安婦問題と日本的風土」   大越愛子
 「情況ーフェミズム・重層的支配構造を撃つ 1992・6」    情況出版
 「我ら家なき者ーホームレスと冷たいアメリカ」 ステハァニー・ホリーマン/ビク
トリア・アーウィン
                        訳関 元   JICC出版
 「ロシアン・ルーレットーソビエト帝国の崩壊」 今技弘一     新潮社
 「死と歴史」   アィリプ・アリエス    訳伊藤晃・成瀬駒男 みみず書房
 「終焉の終わり」               笠井潔      福武書店
 「帝国主義」{読書挫折}  G・リヒトハイム  訳香西純一   みみず書房
 「『こめかみに穿たれた二つのホール』からの報告」 塚原由紀夫 文海 9  ふ
みの会
 「エンドレス・ワルツ」 (文芸掲載)      稲葉真弓   河出書房新社
 「琥珀の町」                 稲葉真弓   河出書房新社
 「未葬の時」 (文芸掲載)          桐山襲    河出書房新社
 「原色の愛に抱かれてー異国のJAPANES」 家田荘子   青春出版社
 「『昭和末期』まつり」 (葦牙掲載)      塚原由紀夫  みずち書房
 「父の奉安殿」     (葦牙掲載)     塚原由紀夫  みずち書房
 「北帰行」                  外岡秀俊   河出書房新社
 「村上龍全エッセイ1987〜1991」    村上龍    講談社文庫
 「詩集 宵待歩行」              銀色夏生   角川文庫
 「通信極楽」(朝日ジャーナル連載)      上野千鶴子  朝日新聞社
 「動物園物語」1973年上演  作/オルビー 演出 原 信 明学小劇場
 「正義の人々」1973年上演  作/カミュ  演出 原 信 明学小劇場
 「如月小春のフィルドノート」         如月小春   而立書房
 「演劇とは何か」               渡辺守章   講談社学術文庫
 「仮面劇とマダン劇ー韓国の民衆演劇」     梁民基・久保覚 晶文社
 「演劇批評誌MUNKS 1」菅孝行・西堂行人・松井憲太郎・内野儀・佐伯隆幸
 「詩集・死刑宣告」(近代文学館・名著復刻全集)荻原恭次郎    長隆社
 「現代美術・ウォーホル以後」美術手帳編集部          美術出版社
 「現代美術の感情」              篠田辰美    美術出版社
 「経済白書はどこまで解いたか」エコノミスト臨時増刊8・31 毎日新聞社   
         
 「批評空間4・湾岸戦争以後」紙の質を落としもっと価格を下げろ!福武書店

                *
無断勝手盗用作品

 「に奔国家紙幣一万円札・に翻弄銀行券」    大蔵省印刷局製造 日本銀行
 「煮捕ん国家紙幣五千円札・煮捕うんこ銀行券」 大蔵省印刷局製造 日本銀行
 「二歩国家紙幣千円札・二歩んが銀行券」    大蔵省印刷局製造 日本銀行
 「日刊・またかあ新聞きんたまとおまんこにコカインをぬりたくりファク・イン・ザ
・ジャパン!」朝日新聞社
 「日刊・日本経済暴落新聞・一族は東京大地震と富士活火山帯爆発に
よる関東・東海沈没にそなえろ!」日経新聞
 「週刊・罠ゃあー、富士山が爆発した!いよいよゴキブリ一族の天下だぞ」  ぴあ
株式会社
 「月刊・おおプレジデント、東京が崩壊しています!統制経済が解体していきます」
    プレジデント社
 「諸君・オピニオン文芸は春秋に鎖国しましたが日本列島は沈没しました!部族闘争
の戦国時代だ」文芸春秋社
 「週刊・ああエコノミスト・日本経済はアメリカ経済よりも早く没落だ」 毎日新聞
社
 「週刊・東洋経済は華僑経済圏に制覇されてしまったよ!ざまあみろ、日本経済は地
獄特急だ」 新東洋経済社
 「月刊・劇団自由民主/和が劇団は日本最大の暴力団です。ミステリー・スキャンダ
ル演劇のネタは消して証しま  せん。俳優の付き人がネタを漏らすであれば殺すでし
ょう。暗幕内部での暴力演劇ならおまかせください。
  革命ゲリラは衛生通信回線デジタル列島の回路に封じ込めました。道路の上では毎
秒、車と人間のナンバーをデ  ジタル回線が照合チェクしているのです。日本列島に
飼育されている人間は車で走っても、一歩二歩と歩行して  もすべては数字によって
照合できるシステムを、和が劇団は大動脈化しています。これこそ二十一世紀の街頭演
  劇の先取りであります。今や和が劇団こそ世界最大の過激派なのであります。
  公演資金ならばメセナ支援金として企業を倒産させてもふんだくります。和が劇団
の演劇欲望は矮小な人間ども  の想像力など鼻息で吹き飛ばすほどに怪物化している
のであります。日本多国籍の系列企業経営者などの欲望な  ど、和が劇団の欲望に飲
み干されてしまいます。世界最大の暴力団を甘く見てはいけません。マス・メディアの
  演劇批評はすでに和が劇団の情報ブレーンとして囲ってあります。和が劇団の稽古
場を観客に漏らし、和が演劇  を攻撃するのであれば、彼は自殺者としてゼロの記号
と成り逆に、おのれが構成員であったマス・メディアによ  って批評されるでしょう
。和が劇団はすでに五年前、神戸において一人の演劇批評者を殺害し、演劇批評マス・
  メディアに蠢めくうじ虫どもを恐怖の底に叩き落しました。それ以来、彼らは和が
劇団のミステリー・スキャン  ダル演劇の舞台装置としていきいきと活躍しています
。一般の独裁に従順な彼らと彼らの機関は今や和が劇団の  宣伝係を自ら買って出て
います。奥様、だんなさま、九十二回公演『PKO佐川急便』はいかがでございました
  か?日本だけでなくUSA・ECの演劇批評もバルセロナ・オリンピックの祝祭的
演劇よりも素晴らしいと絶賛  してくれました。次回公演は日本の国際貢献を題材に
美しい青春像をお送りします。カンボジアを舞台に活躍す  る自衛隊の青春像こそ美
しい物語はありません。彼らこそ武器商人で構成されている国連安保理事国による新世
  界秩序の『期待される人間像』なのです。こんなにも和が劇団は経済戦争要員を補
完すべくセックス文化を普及  し列島に充満させましたが、奥様方があまり経済戦争
要員を生んでくれませんので、いよいよ和が劇団は徴兵制  度を行使させていだだく
ことに相なりそうでございます。奥様、だんなさま、ぜひとも日本文化で国際貢献しよ

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    映像・夢・視線ノート                 塚原 勝美

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  そうですねぇ、吉野さん(*^^*)
  映像の先端は吉野さんがくわしいと思いますので、ぼくは大衆メディアと
  して、どうなって行くのか? すこし妄想してみます。
  「現代映画」が20世紀と区別する意味で、登場するのは21世紀ですから、
  ぼくは映画館という場所が、まず変容していくと思いますね。

  つまり未来の映画館は、プラネタリウムになって生き残ると考えます。
  つまり巨大映像は、四角の銀幕から、丸天井をスクリーンとして、
  より立体感がある臨場感あふれた、椅子まで動く構造になっていくと
  予想しますね。もちろん、そこではストーリが展開しています。

  人間と物語は、古代以来、強い関係で、人間は物語的存在では?
  うーん、なんというか、人間は幼少から老人になるまで、物語とは
  切っても切れない関係ですから、未来の映画もストーリを映像で語る
  と、ぼくは考えますね。その場所とはプラネタリウムです。

  もう一方として、吉野さんが言われる、「デジタルなメディア」としての
  映像・ビデオ・音楽とコンピューターが結合した、マルチメディアの展開
  が進展していきますよね。そこではやはり大衆メディアとしての、テレビ
  が、どう進展していくのかに興味があります。
  その場所とは個人が生活する住宅です。

  何が表現されるようになるか? うーん(゜_。?) メインテーマだぁ!
  もしかしたら、テレパシー対話という心的空間への限りない接近かもね。
  おらぁ、なんだかわかんねえやぁ。
  タルコフスキー監督「ストーカー」あの映画の最後のシーン、少女が、
  心的能力で、静物を揺さぶってしまう、
  「誘惑されてしまう映像」こそが、次なる表現だんべぇ、吉野さん(^_^;)
                    1993,9,10              


寺山修司は夢世界

  [ 寺山修司のいくつかの実験的短編映画は夢を扱ったものだ ]
                                                  #249  岡谷勝さん
                                                  
     おそらく劇画表現者の竹宮恵子さんも、寺山修司は表現による夢世界を構築
     した人、そのようなニュアンスをこめて、語ってくれたのだと、思います。
     
     やはり夢の世界は映像として展開しますから、夢日記として言葉に記録する
     のは大変な作業だと思います。
     
     やはり寺山修司の映画は、言葉よりもイメージの構築というか、絵画的なと
     ころがありますね。イメージの力として言葉を使用していたのでは。
     彼はイメージの解放として映画を作ったのかもしれませんね。
     「さらば、箱舟」のラストシーンは、やっぱり寺山修司は5月の詩人だなぁ
     と思い、とても暖かい感じがしました。
     
     「言葉に支配されない世界」「次世代のコミュニケーションの形」「視線の解放」
     この岡谷さんの言葉からは、いろいろ考えさせられる内容があります。
     
     「見せられる存在」この無防備な受動に過ぎなかった自分が、いまでもくやしか
     ったのは、フランス映画の「エマニエル夫人」でしたね。あれは東南アジアが、
     舞台でしたが、植民地を失ったフランスのアジアへの復讐かなぁ、なんて、
     今では考えています(^_^;)
     
     映画は確かに、観客を無防備にさらしてしまいますね。観客席という闇から、
     スクーリンに投射された光の国を、のぞき込むという。
     寺山修司の表現は、この無防備な観客の知覚を、覚醒させたデザインでも
     あったのかもしれませんね。
     
     写真という誕生がそれまでの絵画史なしには、ありえなかったように、映画と
     いうメディアは、19世紀までの文学・美術の歴史に制約され、限りなく文学
     と美術、そして演劇・舞踏などの歴史を内部化していると思います。
     日本映画は活字の呪縛から脱出できなかったのでしょうか?
     
     確かに現在、ぼくらが使用している、日本語は、明治・大正の文学青年たちが
     血をはきながら口語体文体建設として、あるいは翻訳言語として小説・詩・短歌・
     俳句という分野で格闘し死んでいきましたからぁ。この亡霊というか、怨霊が、
     現代日本語には染み込んでいるんですよねぇ。
     
     それを学校の授業では、教科書のみに真理がある、テキスト神話を、ひたすら
     展開してきましたから、活字=言葉の呪縛は、「神聖にして侵すべからず」みた
     いな神話がありますよね。言葉というのは本来、思考とコミュニケーションの道
     具なんだけど、やっかいな歴史・権威・制度が染み込んでっから、もぉ。
     
     岡谷さんが言われるように、映像とは本来、この言葉の呪縛を打ち破り、言葉を
     解放するためのメディアでもあったと思いますね。なるほどぉ、テレパシー言葉
     というのは、感情だったんですね。まぁ、テレパシー・コミュニケーションは、
     鯨の通信のように、動物の始源としての通信形態かも。
     
     まぁ、映画・映像とは一体、何であるのか? 岡谷さんや吉野さんのコメントを
     読んで、考えてしまいます。うーん(゜_。?)  
                           1993,9,12        

 (4)今朝、オンライン小説「断層海流」 梁 石日さんの小説をダウンロード
 して、一日、ディスプレイ表示で、読みました。さすがプロは徹底している
 なぁと、その才能に嫉妬しました。ハイパーどすこい心理学も徹底して展開
 しておりますね。こうしたプロ意識の根性が、パソコン通信の可能性を切り
 開いていくのでしょうね。
                    1993,9,12          

  (1)岡谷さん。これは吉野さんの#257コメントが、答を出しています。
    言葉の束縛、時間の拘束に関連して、長文ですが、演劇の内部から考えました。

  (2)「役者=挑発する存在」「観客=挑発されても黙って座っていなければならない
  悲しい存在」 #257  吉野 忍さん。

  (3)美術あるいは映像との対話は、個人としてであり、その観照としての時間は、
  個人の自由が及びます。映画もいつ席をたとうが自由で、入れ替え制でなければ、
  何度も同じ映画を、映画館で観ることができますよね。
  本当に美術も、ある作品の前で、一日、対話していても自由であるわけです。
  テレビで、ルーブル美術館のなかで、画学生がスケッチしているのを見ました。
  あれなんか本当に長い対話なんでしょうね。

  (4)演劇は大きな劇場は知りませんが、小劇場の場合は、吉野さんがコメントして
  いましたごとく、ある強制力が作動しますね。もちろん観客はつまらなければ
  途中で帰りますが。
  なにか観客が役者と共に、空間と時間を集団的に作り出すという。
  観客は個人であるにもかかわらず、やはりなにか、舞台から役者のまなざしを
  受けてしまう、観客という集団を形成してしまうと思います。

  (5)観客の誰かが笑えば、それに無関心ではいられない、雰囲気が観客にもあり,
  また役者も、吉野さんのコメントにあるように挑発する存在ですから、ものすご
  く観客の反応が気になってしょうがありません。なぜらな演劇は観客の存在のみ
  によってしか成立しない触媒ですから。なにか演劇の舞台とは観客のまなざしと
  幻想によって逆に成立してしまう場所でもあると思います。

  (6)吉野さんのコメントにもあるように役者は、観客に見られることが快感であり、
  それが、あたかも超人になったかのような幻想を所有させるのでしょう。
  まぁ、こうした新興宗教的な雰囲気が嫌いで、芝居をみにいくのがいやな人も
  けっこう、いるとぼくは思います。美術館や映画館は個人として入場し、個人
  として帰るのですが、演劇は限りなく生きた集団的空間と時間のなかを体験し
  てしまいますから。
 
  (7)まぁ、演劇は人間が好きでないと、やってられないところがありますね。
  役者と役者は競争関係にあり、稽古の過程なんかでは、丸裸の感情が露呈
  してしまいますから、忍耐力が要求されると思います。
  役者が異性の役者に恋なんかすると、もう、わけがわからなくなってしまいます。
  演劇は二面性を持っていますから、恋する者は集団と個人のはざまで傷ついて
  いきますね。演じる者=仮面感情と、演じない者=本来の自己感情が重複して、
  役者とは言葉と肉体が傷ついていく人間であるかも知れませんね。

  (8)いやぁ、役者とは自己に幻滅し、自己の卑少さと対峙しながら、舞台まで
  自己を支えていくんですよー。だから舞台に上がり、照明なんかぁいただくと、
  それにお客さんなんかに見られると、超人伝説になっちまぅ。
  「劇的狂気の力を我に!」なんてぇ、気合いを入れて飛び出す野郎もいました。
  なんかぁ話しがそれてしまいますが、人間とまるごとつきあってやろう!という
  かまえが必要ですね。
  第三エロチカの川村 毅さんが「演劇とは、どこまでも広く、どこまでも狭苦しい
  世界である」と定義づけましたが、本当にそうだと思います。

  (9)だから演劇の内部に入り、役者なんかになると、恐ろしい幻滅を味わうこと
  は、まず間違いありませんね(^_^;) こうした幻滅とか葛藤・恐れ・愛憎・競争
  希望・自己顕示欲・嫌悪・憧れ・挑戦欲・このような人間のあらゆる感情が、そ
  の集団的創造力としての劇団に、どろどろと渦巻いてないと、まぁパワフルな舞
  台は生み出すことはできないのではないかと思います。

  (10)「映画は、例え10分の映画にしても見る人の貴重な時間をうばってしまう」
                     #261   岡谷勝さん
  ぼくは見る人の貴重な時間を奪ってしまうのが表現であると思います。
  みなれた日常と勤労の時間と空間からしては、理解不能なのが夢だと考えますが、
  なにか夢はある重要なメッセイジーなり、インスピレーションを、あたえてくれ
  ることがありますよね。おそらく表現もこうした夢の要素があると考えます。
  だから表現はどこまで知覚する人の想像力を、遠くまで連れ去ることができるの
  か? が魅了であり、また、どれほど、知覚する人の日常に「あ!と驚く為五郎」
  と迫ることができるのか? だと思います。
  
  (11)「映像は文学的知覚コードに依拠しないメディアでもある」
                           #261 岡谷さん
  サブリミナル・テクノロジーを紹介しながら、岡谷さんは説明してくれましたが、
  ぼくも同意します。それはやはり映像とは数学的な触媒だからでしょうか?

  (12)キーファー展「革命の女たち」の部屋は、東京・佐賀町エキジビット・スペースい
  温度は低くかったです。あの部屋にストーブがあり、がんがんぐわんぐわん、
  熱帯で、汗をだらだらたらしながら、見たら、悪夢は増幅し、きっと外の風は
  さわやかに感じたと思います。

  (13)岡谷さんや@ろーる@さんは、美術館の観客にまで、まなざしがそそがれて
    いましたが、それはきっと人間が好きだからであると思います。美術館の学芸員
    の方や、ギャラリーの方が「美術観客」について、専門の立場から報告してくれ
    ますと、おもしろいですね。美術館の角に座っている人やガードマンにとっては
    観客こそが見る対象ですよね。おそらく観客の姿態については、役者が楽屋で話
    すように、職員の休憩室で物語っているでしょう。サブ・カルチャーとして「美
    術観客への裏話」という題で、このフォーラムで報告していただければ、美術館
    を100倍楽しめる方法になると思います。
    
    (14)映画それ自体は、観客を観察することはできません。けれど演劇の舞台は、
    観客を観察できます。そこには観客の身体が劇場に持ち込むさまざまなコスチューム、
    表情、感情、幻想という、現在の観客の生活と勤労が表出します。劇場は観客
    によってこそ現在の融合という時空が開きます。それは舞台から見ると、とて
    も反世界であり魅了され、ブッラク・ホールのようです。ぼくはこれを演劇の第五の層
    と定義しているのですが、演劇の開始はまず舞台からでなく、現在の生活に格闘
    する、さまざまな多様な観客の現在意識から、幕は切って落とされます。
    
    (15)演劇は前衛的な経済・貨幣・技術の攻防から遅れた表現媒体ですが、前衛的
    な経済・技術などで日々格闘している観客、あるいは役者が知ることがない分野
    での生活格闘、またや高校や大学での学習と生活、こうした多様な現在を抱えた
    観客が、さまざまな演劇が展開した記憶が空間に染み込んでいる劇場に、座れば
    そこに、人間の現在の雰囲気が、限りなく増幅します。その融合は舞台から知覚
    すると渦を巻いています。あれは超空間だと思います。だから役者は観客によっ
    て生きた人間の現在を、無意識に蓄積してしまいます。こうした現在そのものの
    融合が、演劇の幻想を増幅させ、特異点を作動させ、劇場の時空はタイムマシン
    となるわけです。
    
    (16)このフォーラムでは美術品の所有について論議されてきました。
    やはり美術作品は購入しなければ、価値を所有できないシビアな面があります。
    やはり美術は経済と文化と生活思想の蓄積のある階層によって、支えられ守られ
    てきましたから。(これはSさんの書き込みで認識しました)
    でもいまや美術愛好人口も多いと思いますので、一度、サブ・カルチャーの波に
    遭遇してもいいと思います。「美術を100倍、楽しむ方法」として、美術館や
    ギャラリーの方に、観客とは一体何者なのか? 観客の姿態について、報告して
    いただければ、最高です。       1993,9,15           

            白黒の原爆記録映画

 (1)パソコン通信は、それまで自分の中にこだわっていたものが、突然、会員の
 文章を読んで、息をふきかえすことがありますね。
 ぼくの場合、岡谷さんの原爆に関する文章がそうでした。

 (2)ぼくが美術館にいくのは、なんか歴史を知覚するためにですね。
 キーファー展には「美」ではなく、現代史をうながしてもらいました。
 これはSさんも書いておりましたが、「美術を観ることは、自分なりに世界史を
 読み解く行為」なるほどぉ、本当にそうなんだ!と思いました。
 だから「美」なるものを作品から感受しなくても、いいんだ、と考えます。
 岡谷さんが一日「革命の女たち」を考えている行為こそが、現代美術そのもの
 が作動していると思います。

 (3)岡谷さんの独自的なアイデアとプロジェクト案
 「原爆資料と現代美術の同時展ー光と影展」は、1945年から50年になる
 1995年に開催されると、インパクトがありますね。
  それは現代史のむきだしの裸体を、表示させるのでは。

 (4)「●1995年・第二次世界大戦後の50年とは何であったのか?」
 こうしたテーマをめぐって、世界各地でシンポジウムや出版物が発行されていくの
 は、間違いないですね。もちろんNHKも特集番組を放映しますね。
 
 (5)現代美術界が1995年に展示するとしたら、それはもう岡谷さんの、
 プロジュクト案で行くしかないと思います。
 やはりヒロシマ・ナガサキに投下された核戦争の原爆は、今日のハイ・テクノロジー
 の原点でもありますから。これはもう隠すことはできません。

 (6)原子爆弾こそが、その後の宇宙開発技術の原点にもなったと思います。
 怪獣ゴジラも核爆弾の実験によって、誕生したんですよねぇ。

 (7)1972年に、白黒フィルムによる「原爆記録映画」を、始めて見ました。
 橋に残された人影が衝撃的でしたね。

 (8)世界的に評価された黒沢白黒映画は人物に映る風に揺れる樹の枝葉の影なんか、
  細微までフィルム神経がいきとどいていた感じでした。
  でもぼくには「原爆記録映画」こそが、光と影については、決定的であり、モノク
  ロ映像におけるインパクトは強烈でありました。
  
  (9)中国から伝達された墨絵や習字という墨の世界は歴史があり、日本の感受性の
  基底には、この白黒そして中間の灰色という墨の色彩感覚があると思います。
  冬に雪なんか降りますと、墨絵の世界があらわれますよね。
  
  (10)「原爆記録映画」は、こうした墨の感受性を、徹底した破壊によって
  ねじふせ、破滅させるかもしれない、衝撃の雲と都市の光と影でした。
  焼きただれたケロイドの人物像は、核戦争の恐怖と悲劇として迫るものがありまし
  た。原爆詩人の言葉によって、ぼくは人間の尊厳を教えられました。
  
  (11)核戦争を体験したヒロシマ・ナガサキの都市がある日本にとって、1945年の
  感受性は、ものすごい虚脱だったと思います。日本の現代史の基底にはこの虚脱
  を内包していると考えます。虚脱を内包しながらの発展こそが高度経済成長以降
  の歴史だったと思います。
  
 (12)岡谷さんのプロジェクト案「日本現代美術の軌跡と原爆資料」が同じ場所で
 展示されれば、日本現代史がいかなる内部であったのかが、明らかになるのでは
 ないかと考えてしまいます。それはすごいアイデアだと思います。

 (13)先日、北鎌倉美術館に行ってきました。着物の模様である「江戸小紋展」で
 した。繊細な絵柄の秩序ある徹底した反復。まさに封建制度の秩序その反復とし
 ての日常が、あのような小紋を成立させたのだと考えました。現代においては、
 再生不可能な高度技術は、職人の執念かなぁと感じました。

 (14)美術というのは、生きた歴史であり、人間の死という境界から来た亡霊でも
 あるかも。やっぱりその物質世界は、観客のまなざしと知覚によって、エネルギー
 を、吸収している、演劇で言えば舞台空間ですね。
 どうもぉ、またぁ悪い癖で、重い文章になってしまいました。ごめん。
                       1993,9,15    



           芸術表現と経済

 Sさんの問題意識から、かなりズレてしまうと、思いますが、表現者と経済を
 めぐり、すこし考えてみます。私は美術世界は全然無知であり、また演劇も、
 地域劇団に参加しているにすぎません。先日、図書館で朝日新聞を読んでいた
 ら、第二国立劇場の問題が記事になっていました。いま、第二国立劇場は演劇
 監督の人事でもめているらしいです。「そんなに騒ぐなら、第二国立劇場を、
 貸劇場にしてしまうぞ!」この文化庁の脅迫には、さすがに演劇人たちもビビ
 ってしまった、そのようにぼくは記事を読みました。

 貸劇場になると全面的に、公演の劇場費とあらゆる経費は劇団が負担しなくて
 はなりませんから、この、どう喝は効き目があります。
  第二国立劇場の問題は、松井憲太郎・内野儀・西堂行人・管孝行・佐伯隆幸・
  演劇批評者各氏たちが発行している演劇批評誌「MUNKS」3号なども、と
  りあげておりました。第二国立劇場の誕生に逆行して、個人経営の貸し劇場は、
  今、大変な経営の困難にあると推測します。それは劇団の数そのものが減少し
  ておりますから。やはり不況期においては地域劇団も淘汰されてしまうようです。
  
  長い引用になってしまいますが、データを含んだ文章を紹介します。
  -------------------------------------------------------------------------
    ●連載時評「フィフテイ・フィフティ50」     衛 紀生
            綜合演劇雑誌テアトロ・1993年4月号
    
    その助成が一般的になった芸術振興基金の平成3年度実績の助成総額は、30億
    5250万円だが、総件数からいえば決して多くない額だ。芸術文化助成団体協議
    会に所属している18財団の基本財産総額も芸術文化振興基金の約37%の2
    20億円で、11億円程度の助成総額である。
    
    これを加えても、それほど希望的な助成総額ではないし、国家予算に占める文化
    庁予算が0・07%を割っているうえでの伸び悩み、その予算の70%が文化財
    保護に当てられていることを考えると、いささかあんたんたる気分になる。
    
    が、一方では、地方自冶体の文化予算が近年大幅に伸びすでに国のそれの10倍
    にもなっている事実、企業メセナ協議会の調査結果(平成3年度実績でメセナ総
    額253億3746万円、総件数1403件)経団連調査の企業メセナ意識調査
    結果(社会貢献活動支出総額1398億円/254社)もあるのだ。
    
  ---------------------------------------------------------------------------
  衛 紀生さんの分析によれが企業メセナも音楽分野に一極集中していることです。
  「文化とは国宝・伝統とヨーロッパクラッシク音楽・オペラのことである」という
  思想ですから、それが予算にも転化されるはずです。
  ここにはもはや、現代美術や現代演劇が入り込む場所は、ないかのようです。
  
  有名な劇団でない限り、公演は赤字です。そこから推測しますと美術人の個展なん
  かも、その負担は実に大変であることが予測できます。

 演劇では「芝居をやる人間は男はヤクザ、女は娼婦」という、いささか自嘲ぎみな
 言い回しがあります。おそらく屈辱的な生活がそう言わせるのでしょう。

 衛 紀生さんは「好きなことをやっているのだから、それで喰えないのは当たり前」
 という、演劇人みずからの社会意識を問題にしておりました。この意識ですと永遠
 に演劇行為は自己満足の充足のためにあり、公共性の獲得は遥かに遠いです。
 また「道楽には金を出せない」という制度意識を強化するだけと、説明しました。

 自冶体行政が管理するギャラリーは、おそらく「平等的市民日曜画家」のために、
 存在し、そこでは団体・サークルでなければ使用できない構造が、あるのではない
 かと妄想します。ここでは個人・プロとしての美術人は排除されているのかもしれ
 ませんね。

                      1993,9,16        

  Sさんのアーティスト・コラムが掲載されてる、
  CO・LAB/ART コ・ラボ・アート〜牢・罅▲札哨鷂渋緘・儡曚・藕愼・靴董
  今、書籍小包で届きました。楽しみです。

           視線の快感ノート

 (1)絵画と映画の対比は、わかりやすい説明でした。
  視線と聴覚を操作するフィルムは武器だったんですね。
  なるほど第二次世界大戦でもドイツ・日本やUSAの戦争指導部は宣伝映画を
  つくりましたね。その時代はラジオが第一メディアでした。
  ぼくは視線にはある程度批判能力があると思います。
  しかし聴覚にはあまり批判能力がありません。
  おそらく映画は視線ではなく耳を、操作するのでは、ないでしょうか?
  耳はバランス感覚を保つ器官ですから。
  映画は映像の編集でもあると同時に音の編集でもあります。
  CMは映像よりも、むしろ音に説得力をもたせます。

 (2)演劇の訓練では、まず発声練習から開始します。音声こそは演劇の武器です。
  映画の音声には演劇史が内部化されています。
  トーキ映画の時代は、活動写真劇場に職業としての、語り部たる声優たちが
  いましたよね。
   映画は音の集合と編集によって、観客の耳の知覚を支配するのでしょう。
  サブリミナル・テクノロジーですが、心理学フォーラムのMES 3 ハイパーどすこい
  心理学の最新の報告では、洗脳効果はないそうです。

  問題はサブリミナルが、なにか人間の潜在意識を支配してしまうような書物
  もありましたが、人間の意志というか主体の強さがあれば、サブリミナルと
  いえども、効果はないのでしょう。
  「視線という視覚には批判能力があるが、耳の聴覚は批判能力が弱い」これが
  ぼくの考えです。映像は音によってこそ、立体構造がもてるのかも。
  絵画・詩・小説は音はないが、その世界には音が内部化されていると思う。

 (3)[ 日常のなかにちいさな風穴を開けなければ意味がない ] #275 岡谷さん
  なるほどぉ、キーファー展の全貌が、その言葉によって、深化しました。
  世界現代演劇の先頭を疾走している、ハイナー・ミュラーというドイツ人は
  「演劇は陰謀である」なんて語っていますね。

 (4)[ ひとつの表現手段は、かならず他の手段にコンプレッスクスをもっている ]
                                                     #275  岡谷さん
                                                     
  うーん、これも発見をうながす新鮮な言葉ですね。まさに岡谷語録です。

 (5)岡谷さんが仲間とともに駅前の商店街で、演奏すれば、最高ですね。
  街から「奇人・変人」と認められれば、もうりっぱな演劇的人間です。

 PS,まぁ、岡谷さん、ぼくも、ものすごく、いい加減な人間です(^_^)
 マイペースと遊び心で、いきましょう。
 PS,いつもテレビでは人物の耳を見ています。耳を見ていると、人間は
 宇宙人だと思ってしまいます。
                    1993,9,17       


           もっと退化するか嗅覚ノート

 (1)通信のおもしろいところは、理解のズレにあるのではないかと、
 ぼくは考えます。例えばぼくは岡谷さんの文章を100%理解することは
 不可能です。人間の判断装置は主観のコンピューターですから、他者である以上
 必ず、ズレが発生してしまいます。この差異といいますか、ズレを読むことも
 通信のおもしろいところではないかと、最近、考えました。

 (2)でもやっぱり、通信のおもしろいところは、岡谷さんの言われる、イメージが
 膨らんでいくことでしょうね。どんどん発見していく速度は実に楽しいです。
 ぼくの耳に関する発言より早く、「サブリミナル・テープ」の存在をめぐって、
 Sさんがすでに、[ ハイパーどすこい心理学 ]で、発言しておりました。
 サブリミナルの展開はもっか注目株ですね(゜_゜)
 
 (3)視覚の進化。これは映像の先端的分野では、数学的世界の全面的展開として、
 かなりこの10年間は、「スピードは力」として、疾走したんでしょうね。
 でも、ぼくは大衆的には聴覚の分野が普及したのではないかと妄想します。
 レコードを打倒したCDへの転換は、そう感じますね。
 大衆的には音の質感を、聴覚の快感が、ぐっと、求心力が広がっていったと思う。
 それはやはり20世紀のメディアが、ラジオに基礎構造があったからでは。
 
 (3)これからは、このラジオから離陸した映像が、大衆的に普及するかも。
 テレビとはラジオの延長であったと思いますが、ビデオ機器の普及は、このラジオ
 からの離陸をなしとげたのかもしれませんね。パソコン・ワープロのディスプレイ
 表示もラジオからの離陸だったと思います。
 
 (4)ある程度、大きな劇場は、楽屋と通路、それに劇場技術者たちの部屋には、
 常時、舞台のビデオ・モニターが流れています。それは岡谷さんが言う、
 「もうひとつの観客席」です。それは固定設定のカメラが切り取った世界です。
 
 (5)NHK教育テレビ、日曜夜9時からの芸術劇場・劇場中継がおもしろいのは、
 撮影者がテレビカメラを操作しているからだと思います。そこでは撮影者も、
 演劇の時空に参加しているんですよね。テレビカメラはその媒介にすぎない。
 
 (6)やっぱりビデオ機器の普及はテレビを道具化してしまったんでしょね。
 受信機神話を覆したことは革命ですよー。ちなみにぼくはビデオ機器はもって
 おりません。妄想的人間はひたすら、流れ動き消えて行く、一回性の時空にいた
 ほうがよいと勝手に判断しております。
 
 (7)うーむ。ぼくが岡谷さんの書き込みから発見したことは、撮影機というのは、
 実体というか現実というか被写体がもつ根拠を記録する媒介かも。
 被写体という実体の根拠がない幽霊・蜃気楼だったら、撮影機は成立しない。
 その点では機器なしに言葉で記録する夢日記は、たいへんだと思います。
 
 (8)感触のある夢ならみたことあるのですが、嗅覚のある夢はまだ一度もみたこと
 がありません。嗅覚の表現とは何であるのか、考えてしまいます(゜_。?)
                    1993,9,19                
           土建美術違い?ノート

 (1)Avocadoさんの「日本の新しい風景」という言葉を、朝、読んで、ぼくもさっそく
 建築のディテールを観察してきました。鎌倉から逗子へ延びる海岸線に「逗子マ
 リーナ」という、ヤシの木の街頭樹に囲まれた地中海的なイメージのマンション群
 の街があります。白亜の壁、そして洋風の丸い瓦の反復。その色はまさに、ぼくの
 パソコン東芝J−3100プラズマディスプレイの赤系統の色です。

 (2)問題はそこではなく、すぐ近くの小坪という町の山並を解体して、造成した
 「COSMOS MILDS」という、あの株贈与で有名になった、リクルート・コス
 モスが造成した、高級マンション群です。1992年に完成したと思います。
 M練ー44戸、L練ー12戸、S練ー45戸、合計101戸あります。
 いずれも一億円以上です。
 
 (3)ひとつの街が突然出現したといってよいでしょう。街道からエスカレーターで街
 へ上がれる施設があり、もちろんコンピューター制御によって、番号のキーを押さ
 なければ、エスカレーターのドアは開きません。ここでも情報化社会の神秘的会員
 制度は徹底しております。ビック・メーカー日立の城下町のひとつである東戸塚に
 立つ高層マンション群も、入り口はコンピューター管理で、部外者は建物の内部へ
 入ることはできません。これも85年プラザ合意、円高ドル安以降の革命的な時代
 が成しとげた「日本の新しい風景」です。

 (4)逗子のコスモスの街のコンセプクトは「ヨーロピアン」です。南欧・地中海的
 なイメージでしょうか? ぼくは一度も日本の外へ旅行したことがないので、映像
 から判断するしかありませんが。
 その高級マンション群の街には、イリオス公園、ビーナスの井戸、サラサプール、
 アエラスの石段、日時計広場、そして、ベルカテドラルという鐘の塔があります。
 南欧ヨーロピアンの街は、9月の陽光を浴び、これも英語の標識である集会室から
 笑い声が聞こえてきます。

 (5)ベランダから干してある布団は少なく、カーテンがないガラス窓の部屋が、多く
 ありましたから、まだ入居は少ないようです。ぼくは坂道を登り、その街へあがり
 観察してきました。ゆっくりと歩き、やがて裏の階段から庶民の町へ降りました。

 (6)それからすぐ近くの海へむかい、逗子マリーナにやってきました。この街も日本
 の風景を差別化異化することによって、ステータスを誇っています。カリフォルニア
 のイメージかもしれません。山並を解体して造成建設した高台にあるコスモスの街は
 この逗子マリーナを反復させたのだとも考えました。

 (7)ぼくは170円のカンビールをもって、逗子の海を眺めました。防壁の下には釣り人
 がおりました。それからレストランに入り、1000円の和風スパゲティを昼食にしまし
 た。逗子マリーナのテニスコートでは女性達がコーチを受けておりました。村上龍の
 世界です。

 (8)逗子マリーナを出て、私は遠望できる山の頂上にある披露山(ひろやま)公園へ
 と登りました。そこには尾崎行雄の記念碑があります。展望台から、さきほど歩いた
 逗子マリーナとコスモスの街を遠望しました。すでにコスモスのマンション群の街は
 光景にとけ込んでいるかのようです。その巨大さは鎌倉方面に広がる住宅の群と比較
 しても判断できます。

 (9)工事現場のあれほどの武装的身体による荒々しい暴力的な光景は、みごとに外装
 によって消却されている。商品が工場の匂いを感じさせないように。
 土木・鉄筋・建築・こうした過酷な労働条件のもとで働く、危険と隣り合わせの男た
 ち。そしてトッラク、生コン車、ポンプ車、鉄パイプ足場。それは戦国時代の内戦の
 ようでした。
 
 (10)しかし商品の誕生はヨーロピアンのイメージが香る女性誌のグラビアから現出し
 ました。何故なら女性の快適心とナルシズムをくすぐらなければ、マンションは売れ
 ませんから。「日本の新しい風景」は少女マンガと女性誌のヨーロピアン・イメージ
 が造成させたのだと、ぼくは妄想します。男たちの荒々しい土建美術職人たちの武装
 的身体による執念の労働は、女性のアニメティに奉仕してきたのでしょう。

  Avocadoさん、あわぴぃさん、会員の方々と一緒にアート&マネー館で論議してき
  た、バブルと建築をめぐる論争テーマは、Avocadoさんの「日本の新しい風景」と
  いう言葉で深化しました。
  その風景と光景は世界経済によって誕生し、今後も続くでしょう。
  何故なら日本はアメリカUSAと、公共造成事業および住宅建設の莫大な予算支出を
  約束しておりますから。

  田中角栄がCIAの陰謀によって牢獄にぶちこまれたように、今回のゼネコンを
  めぐる言説は、金融の市場開放に続いて、建設の世界市場をめぐるアメリカUSA
  による日本改造計画の行使であると、ぼくは妄想しています。
  南欧とカリフォルニアの明るさに、憧れている構造は女性誌にありましたよね。
  これまで建設市場は暗闇市場と言われて来ました。USAは暗闇が嫌いですから
  何でも明るくしてしまわないと気が滅入ってしまうのでしょう。
  
  アメリカ大使館は30分ごとに、日本のあらゆる情報をUSA政府機関とCIA
  本部に送信していると、ぼくは妄想しています。日本とは世界の場所ですから、
  これは当たり前です。パソコン通信も翻訳されて送信されているかもしれない
  から、気おつけないと、ね(^◇^;)

  まぁ、「日本の新しい風景」その光景とはUSA様式への、世界様式支配への
  限りなく透明に近い屈服だと、妄想します。コンビニエンス・ストアーと、
  マクドナルドの全面的展開の80年代と連動しております。
  土建美術とは<日本特殊>ではなく、その完成した商品から判断しますと、
  世界様式文化支配が貫徹していますね。

  おそらくその基底にはトイレの様式革命が大きいですね。大便という、くそ、を
  ためこむ様式から水洗にしたトイレ様式革命は、日本が西洋に接近できた最大原因
  でしょう。その要素は「水」の豊富さにあったと思います。
  水道局こそ、近代から現代への担い手であたったと思います。

  造成工事はまず「水」の流れを人工として管理支配する工事から開始します。
  
  しかしこの夏、九州・鹿児島を襲った台風の強雨による、崖崩壊を考えますと、
  「土」の流動の問題が出てきましたね。これまで雨水は森林・山が制御してきた
  のですが、なにか日本列島は土の流動という問題に直面してきたのかもしれない
  と考えてしまいました。
                    1993,9,20             



            気分は土建美術ノート

  Avocadoさん、建築も美術史ですから、土建美術をめぐる解釈は、
  Avocadoさんの意見に賛成です。

  数年前から建築現場には女性労働者も登場しています。
  
  「それだけ」と遠慮しないで、ぜひともこの「日本の新しい風景」をめぐる
  書き込みのアクションには、IARI/SHIMIZさんや吉野 忍さんにも登場して
  いただきたいですね(^-^)

  なお、もうすこし新しいマンション群の光景について補足説明します。
  逗子市はアメリカUSA駐留軍住宅建設の問題で防衛庁と論争してきました。
  逗子の女性たちを中心にした池子の緑を守る運動は、ぼくは尊敬しています。

  そうした場所に突然、出現したコスモスのマンション群の街は衝撃的でした。
  これは神奈川における85年以降の光景の変貌と無関係ではありません。
  緑を守る意志の場所、逗子市にさえ、光景の変貌が押し寄せた、という
  象徴として報告しました。

  神奈川は鉄道網の駅ステーション新開発として、全面的展開として、
  すべての駅前が「新しい風景」になりました。
  神奈川と横浜の政治・経済司令都市である関内だけは別ですが。

  そうですねぇ、Avocadoさん、東京都との境目である川崎駅新開発あたりから
  土建美術の光芒をめぐって、90年12月に頂点を極め、その後、瓦解した
  バブルが出現させた「新しい風景」と光景をめぐって、じっくりと報告して
  みたい気持ちがあります。

  世界史でみればバブルは西へ移動してきたんでしょうね。西ヨーロッパ大陸
  から、イギリスへ、そしてアメリカUSA、最近では日本。
  現在では中国らしいですね。

  9月19日(日)NHkスペシャル報道番組、アメリカの巨大製鉄工場を、
  自分たちで解体し中国に移転する、報告にはびっくりしましたね。
  いまもって、毛沢東・持久戦思想と周恩来・中国は自転車で行く思想は、
  生きてるだなぁと、思いました。

  ただ走資共産主義はかなり農民を犠牲にすると思いますから、また暴動が
  中国には起こると妄想しています。もっとも風景と光景が変貌している場所
  は、香港と台湾に接近している場所でしょうね。世界資本が投資している。

  「エコノミスト」1993年9月14日号・発行・毎日新聞社 に、中国経済の報告
  が掲載されておりました。同号に掲載されていた浜田和幸氏の論文には、びっ
  くりしました。
  ----------------------------------------------------------------------
    これら日本の構造的欠陥は、放置しておくとアメリカにとって最重要同盟国
    である日本の内部崩壊にも発展しかねないとの問題意識がクリントン政権内
    に生まれ始めている。この危機感は、日本では理解されにくいかもしれない
    が、先の東京サミットでのクリントン大統領の言動にはっきりと読みとるこ
    とができた。
                                浜田和幸
    ----------------------------------------------------------------------

  やはり「日本の新しい風景」と光景には、「記憶もなければ、なにもないところ
  へ来てしまった」と閉じた、三島由紀夫の最終行その神道の回廊が顔を出してい
  るのでしょうか?

  Avocadoさんの新開発工事と神棚をめぐる報告は、とてもすごい発見です。
                  1993,9,21              


  (1)ぼくらの実体の時間は小説あるいは映画の物語のように、偶然から必然へ、
  あるいは行為から関係へ、出合から別れへ、と人生のような時間ですね。
  数を積み上げていくような時間だと思います。

  (2)ところが夢は、目覚めた時が結末で、その結末をめざして、物語が展開
  しているような気がします。始まりがない断片のエピソードは実に、シュール
  です。夢の結末とは、眠りと目覚めの、ある中間項といいますか、例えば、
  ベットから落ちちて目覚めるとします。夢もその一瞬に向かって進展したきた
  という、夢の物語は時間が逆に流れているのではないかと思いますが、岡谷さん
  どうでしょうか?

 (3)人間の記憶・判断装置というROMは、一定のフロッピィ容量しかなく、
 レムという夢は、このフロッピィが、明日のために準備するために、前日の記憶
 を消却している過程なのではないでしょうか?
 まぁカセット・テープでいえば、巻き戻しですね。
 夢がエピソードとエピローグの集積なのは、重要な記憶を脳に物質化するためで
 しょう。

 (4)昨日22日、天文館というアート・スペースで、「演劇の実験室」という、
 シンポジウムを聞いてきました。主席者は扇田昭彦 センダアキヒコ〇瓠扮薹猗禀昭圈
                    小竹信節 コタケノブタカ〇瓠壁饌翦・兌圈
                    金 守珍 キムスンジ  氏(演出・俳優)

 (5)新宿梁山泊(劇団)の金 守珍さんは、岡谷さんが展開しておりました、嗅覚の
 ある役者の存在と舞台を、めざしているとのことでした。嗅覚とは演劇にとって
 重要な存在証明なんだと、再認識しましたね。蜷川幸夫から唐十朗を通過してきた
 金 守珍さんには、あらためてほれてしまいました。68年からの日本のアンダー
 グランドが誕生させたテント芝居は、世界に誇れる方式であるとの発言は、日本現代
 美術[もの]派以降の展開との共通項を喚起させられました。

 (6)小竹信節さんは寺山修司と天上桟敷の舞台美術を担当してきた、舞台美術人で、
 最近では自動機械のみによる演劇を展開してしまった、ある徹底性まで追求して
 しまった人です。「役者もオブジュである」「どうイメージを役者あるいは機械で
 あるモノに置換できるか?」「どう舞台のなかに異物が混入しているか」
 そこではいかに舞台が絵画に接近できるか? を問題にしていたように思います。
 これはぼくの誤理解かもしれませんが。

 (7)小竹信節さんの話しを聞くと、寺山修司のワークショップは、空白の画面から
 その無条件から出発し、常にイメージの消滅の危機を抱え込んでいる絵画者の作業
 と似ていると思いました。この考えはセゾン現代美術館か8月に発行した、
 コ・ラボ・アート創刊号、アトリエ訪問物語、長沢秀之さんの言葉から喚起された
 のですが。

 (8)扇田昭彦さんの話しは、寺山が定型詩という短歌から出発し、いかに定型を
 解体するためにイメージの過剰として、演劇や映画にとりくんだかを、考えさせら
 れました。1975年の市街劇「ノック」の話し、ある若夫婦が住むマンションに
 案内人に連れられた観客がなだれこんでしまうのは、笑ってしましました。
 まぁ、扇田昭彦さんは68年以降のアンダーグランド演劇・小劇場演劇を記録してきた
 演劇史者として、最近、ぼくは尊敬しております。

 (9)写真の話しに変わりますが、雑誌「日本カメラ」1993年8月号に、山田ヒロミ
 さんのモノクロ写真群「ヒロシマ・モニュメント・」が掲載されておりました。
 被爆地をめぐる1979年から1993年の都市の変貌が表現されておりましたね。
 写真表現者とは風景と光景の落差を、身体化している人間であると感じました。
 詩とは一瞬を言葉に置換する動物的本能ですが、映像とはその一瞬を言語化できぬ
 実存として、現出させるのでしょうか?
 -------------------------------------------------------------------------
  戦争中に成長した世代を貫いていたのは、人間という存在は言葉によってあらわす
  ことのできる合理的な世界にけっして収まりきるものではないという、ある感受性
  であった。普遍的・客観的に備わっているとされる本質から、人間を説きあかそう
  とする概念的思考では、戦争体験の不条理を内面化した<私>を捉えることはでき
  ない。いまここに現実に存在するという、人間の主体的・事実的な在り方に直面し
  たこのような感受性にとって、人間の実存は、伝統的な思想の合理性が成立しない
  ところの、現象という意味に近いものとして浮かび上がることになるだろう。
  
     二十世紀の写真家-その過程と軌跡  8  実存主義的物語 上野 修
         日本カメラ 1993年8月号 発行・日本カメラ社
  --------------------------------------------------------------------------
  
  (10)この上野 修さんの文章を読んで、岡谷さんが展開しておりました、言葉の
  拘束からの脱出が理解できました。近代から現代へと巨大に肥大化した恐竜として
  の人間世界の生なましさは、映像の一瞬が説得力があり、核戦争体験以降の現代は
  映像としての写真・映画が、実存と不条理を、記録してきたのかもしれませんね。
  映画「羊たちの沈黙」はもろに現在の人間が出ていましたね。

  (11)報道写真者は戦争の現場で、死んでおりますが、文学者・美術者・演劇人が
  第二次世界大戦以降の戦争の現場を記録するために、死んだという話しはあまり
  聞きません。日本のカメラマンでもベトナムやアフガニスタンで死んでおります。
  長崎県の火山でも、テレビカメラマンが亡くなっておりますね。
  映像は出来事の現場とまるごとつきあうメディアなのでしょう。それは死ぬことも
  ある、実に厳しいです。
  
 (12)サブリミナルですが、「メディア・レイプ」著ウィルソン・ブライアン・キイ
             訳 鈴木 晶・入江良平  発行・リブロポート
   が、ぼくとしてはたいへん参考になりました。

 (13)ヒロシマ・ナガサキ核戦争と50年代実存主義以降の映像とは、
 人間世界の現象液であったと思います。
 映像とは衝撃力がある液体であり、現象液が人間を虜にする。
 テレビ電波とは空間の現象液であり、受信機はスキャナー。
 サルトルが展開した他者存在をめぐる言葉は、液体としての人間でした。
 十分に人間の意識とは液体であり、映像は投石として、その液体意識に波紋を起こ
 す。ラジオとは音声の液体であり、テレビとは映像と音声の液体であるかも。

 (14)1989年以降の映像は人間を十分に現象液にさせましたね。
 おそらくボーダレスとは現象液のことではないでしょうか?
 写真表現者が記録する都市の風景と光景の変貌その落差は、液体の人間世界が
 現象液と移動したことの証明でしょう。それがいかなる臭いか興味があります。
 現代世界とは街頭であり、現象液である、これがぼくの結論です。
                     1993,9,23          


          「土建美術館」なんちゃってノート

  (1)Avocadoさん、「日本の新しい風景」をめぐる書き込みのアクションは
  たいへんですよーぉ。

    (2)なんてったってぇ、日本列島改造はバブルが完成させましたから。
     形式としてのヨーロピアン&USA、精神としての神棚天皇制。
     この敗戦後の日本の空間を完成させましたから。
    
    (3)まぁ、それが、あわぴぃさんの発見である廃虚の構造ですよね。
     公定歩合1・75%および19年ぶりのマイナス成長。
     「君の頂点は君の落下」というマルクス詩集を証明しちまったんですからぁ。
    
    (4)外部形式Xヨーロピアン&アメリカン+内部精神X神棚天皇制=廃虚
      この数学の方程式でも=は廃虚ですからぁ、(゜_。?)
    
    (5)日本経済新聞連載「自動車成長神話の終幕」を読みました。
     この世界同時不景気は、ハイウェーの移動ですからぁ。
     もはや現在のハイウェーとは自動車が走る高速道路ではなく
     コンピューター通信が疾走する、オンライン・ハイウェーですからぁ。
    
    (6)USAアル・ゴア副大統領のオンライン・ハイウェーに、移動して
     しまいましたから、もはや自動車にステータスはないんですよーぉ。
     自動車のハイウェーは終焉したからこそ、世界同時不況でしょう。
    
    (7)「日本の新しい風景」は太平洋戦争で敗北した日本海軍の巨艦巨砲造形
      だったんですよぉ。それは自動車輸出であらかせいだ金を、巨艦建設に
      ぶちこむ。それがゼネコンに構造汚職を呼び込む内部崩壊。
    
    (8) 金丸信もゼネコンの親分も、検察の取調では、べらべらゲロりまくる
     吐いてしまう軟弱な型は、ヤクザよりも信念がないですよ。
     理念があれば黙秘権で頑張ると思うのですが、べちゃくちゃゲロるのは
     なんの経営思想、人生思想も皆無だったという証明ですよね。
     これが経団連の無思想・無理念の実体ですよぉ。まぁ、廃虚です。

  (9)本当に日本経済の親分どもは、天文額の不良債券をかかえ、94年に
   頂点に達するワラント債の借金をかかえ、どうするんですかねぇ。
   親分が検察にゲロってしまっては、いもずる式にパクられてしまうのは
   当たり前ですよぉ。こんなに会長・社長が軟弱だとは思いませんでした。
   こんな無理念・無思想・無倫理だから、第二次世界大戦でも、中国の
   毛沢東持久戦に敗北してしまったんですよーぉ、陸軍は。

  (10)バブルの時代、ワラント債という株金融商品の借金で設備投資して
   いまやストップしている座間自動車工場なんか、中国に買ってもらう
   しか、打つ手はもうないでしょうね。

  (11)まぁ、テナントが埋まらないランドマークタワーやMM21も、華僑経済に
   買ってもらうしかないでしょう。バブルで建築したが、いまや空白の亡霊
   ビルも、華僑経済に買ってもらうしか、手はありませんね。

  (12)ついでに膨大な不良債券をかかえた銀行も、中国に買ってもらうしか
   ないでしょう。問題解決が不能となっているんですからぁねぇ。

  (13)土建美術の構想はたいへんですよ。世界経済・日本経済・華僑圏経済を
   分析し、女性誌も研究しなくてはならないですからぁ。
   Avocadoさん、かんべんしてくださいよーぉ。
   図書館で女性誌ばっかり見てるもんだから、奥さんがたに変態だと思われて
   しまいましたよ。

  (14)「ノンノ」「ミセス」「モア」「エル・ジャポン」「フラウ」
    「週刊女性」「流行通信」これらを次から次へと読んでいる、禿頭の
    おっさんであるぼくは、もう限りなく変態ですよーぉ。
    図書館の職員がぼくを見て笑っていましたよーぉ。
   
  (15)コ・ラボ・アート創刊号 誌上討論「今、現代美術にとって何が問題な
  のか?」での世田谷美術館の長谷川祐子さんの発言に注目しましたけど。
  「ファシズムが出てくると思う」の予測なんですけど、日本はファシズムに
  なるパワフルな元気はもう喪失していると、ぼくは思いますねーぇ。

  (16)あのゼネコンが検察にゲロゲロしてしまう、軟弱さを見れば、わかりますよ。
  ファシズムが出でくるのは、ドイツや日本ではなくアメリカUSAだと思いますね。

  (17)ほんとうに「日本の新しい風景」の報告分析と、土建美術構想はたいへん
  です。まぁAvocadoさん、ぼちぼち、いい加減にやりましょう。
  土建美術の商品源流は女性ファッションですから、ファッション雑誌も分析しなく
  てはならないからぁ。しかし、女性誌のデザインは美しいですね。
  占星術特集が必ず掲載されているのは、女性身体が天体のリズムをもっている
  からですかね。

  (18)それによると11月11日に木星が蠍座に入宮し、「本質への回帰」が
  はじまり、1994年12月の射て座まで、カオスたる創造的混沌戦略は
  世界に渦巻くらしいです。これ以上のカオスは、もう自分だけでたくさん
  だと、大きなため息をしてしまいました。
                                          1993,9,24        


美術品の需要と供給

 おそまきさん、コメントが遅くなりましたが、おそまきさんの論文は
 美術経済の基本を、言葉と記号によって現出させた素晴らしい内容で
 ありました。

 あまりにも市場のリアリティがありましたので、どうコメントしてい
 いか、しばらくわかりませんでした。

 「科学と芸術の間」著 坂根 厳夫    朝日選書 1986年発行
                          朝日新聞社
 
 この本を読んで、流れ動くものこそ市場であり、数の世界である、
 そう考えました。「生成」という言葉は、柄谷行人が使用してから
 けっこう使用されてきました。おそまきさんの「定性」という説明
 の言葉は、社会構成員と経済環境にとって、キーワードになる予感
 がしました。

 ぼくもこれから土建美術なるものの無名性による、労働の集積とし
 ての、「日本の新しい光景」の「定性」をめぐって、妄想してみよ
 うと、思います。

 日本の50年代の美術、浜田知明や河原 温、関根政夫の表現は、
 なにか現在の不条理と通低するパワフルさがあります。
 ぼくは53年、3月5日のスターリンの死と、3月28日の朝鮮
 戦争休戦会談再会提案による、株式市場の暴落(37、2%暴落)
 有名なスターリン暴落の前日に、この世に誕生しました。

 自分の誕生日の経済環境を調べると、なんか人生の暗示がありますね。
 だからぼくにとってはスターリンと朝鮮戦争は、自分とは何か? を
 妄想する重要なファクターでした。

 人間の人生の「定性」とは、なにか誕生日の株式市場と経済環境の
 数の生成に、けっこう連結しているのでは、ないかなんて(^_^)
                          1993,9,24                 


           鑑賞用のカボチャ・ノート

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>ベッドから落ちた時、それが結末となる夢は不思議ですが、実際はベッドから落ちる時
>から落ちた瞬間の間に脳がストーリーを組み立ててしまうそうです。
>驚くべき脳の働きですね。
>芸術も日常では使わない脳の部分を使う事には寄与してるんでしょうね。

                                    #299 岡谷勝さん
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  (1)なるほどぉ、いままでの夢のストーリをめぐる、わだかまりが、スッキリしまし
  た。たけしにお礼を言っておいてください。

  (2)しかし、瞬間にストーリを組織してしまうとは、脳とはおそるべき能力が、ある
  んですね。ぼくは最近、老齢化現象かもしれませんが、夢から目覚めたとき、テレビ
  が放映終了したときのように、ザーッと消えてしまうんです。
  
  (3)それに抵抗して記憶しようと頑張るのですが、脳からの消却命令は強制力があり、
  いつも負けてしまいます。やはり脳は、人間の心という意識とは別に、司令塔が、
  存在しているのでしょうか?
  
  (4)その筑波学園都市の話しは、ぼくもなにかで読んだ記憶があります。
  完全な機能性なる学園都市を一度、おとづれてみたいです。
  東京の中心から、多くの大学が郊外へと移転しましたね。
  
  (5)川崎の多摩地区に移転した、明治大学の新校舎の工事で、働いたことがあります。
  山並に閉鎖されている感じでした。お茶の水・駿河台にある明治大学とは、全然違う
  環境でした。
  
  (6)おそらく学園闘争の総括から、学生を、エネルギッシュな都市の中心から、疎外
  させる戦略だったと思いますが、都市の隈雑こそ学生の栄養ですから、今の学生が
  元気がないのも、あたりまえかもしれませんね。
  
  (7)緑に閉鎖された静かなキャンパスからは、唐十朗とか、たけしはもう出てこな
  いのではないかと、思いますね。
  
  (8)横浜・戸塚には明治学院大学があり、藤沢・湘南台には慶応大学のキャンパス
  があるのですが、実におとなしいです。大学とは独自的な文化を生み出す場所だっ
  たと思いますが、無機質なイメージがあります。
  
 (9)神奈川でここ数年で変貌した駅前開発は、岡谷さんが鑑賞用カボチャを買った
 朝市、そうした市場の匂いを消却し、ツルツルピカピカの無機質都市を誕生させ
 たことにありましたね。隈雑さはみごとに消えました。

 (10)隈雑な匂いを拒否する、清潔衛生都市。うーむ、女性誌グラビアの世界。
 「ミセス」はまさにヨーロピアンの世界でした。
 「モア 」はヨーロピアンとアジアの中間項。
 「ノンノ」は日本女性のモデルで等身大の世界。
 「アンアン」と「ノンノ」は、日本というかアジアへと帰還したみたい。

 (11)たけしも、「トパーズ」を書いた村上龍も、けっこう女性から支持されて
 いますよね。女性とは清潔衛生都市を愛し、暴力の匂いも愛するという、生活
 からエロスをくみ取る存在なのでしょうか?

 (12)おそらく女とは鑑賞されることを意識している、無名の美術人なのかも。
 メイクアップの技術を磨き、色彩感覚を美術館・ギャラリーで高める。
 女性誌は実に色彩が豊かでセンスがありますね。女の欲望とは何か?(゜_。?)
 テレビ・女性アナウサーも、実に知的な香を放出させていますね。

 (13)まぁ岡谷さん、今、ぼくは「日本の新しい風景」をめぐって妄想しており
 ますので、混乱してしまいごめんなさい。
 土建美術は女の快適欲望を実現しましたので、やはり日本の女とは何か?に
 どうしても関心が移動してしまうんです。
 「革命の女たち」ならある程度理解可能なのですが、高度消費形態の先頭を
 疾走している女の欲望とは何か? この存在は一度、徹底的に妄想してみよう
 と、構想しております。

  女とはある特有の動物的な夢と生活が同一化する、闘争者である。
  女とはある決意をもって境界を越境する、勇気者である。
  女とは日常的に鏡の向こう側に、男の存在を見ている、透視者である。

  女の心その葛藤とは、内面の戦争である。
  女とはアクションを待っている舞台である。

  女とは関係と関心のベクトルに、定性する、橋である。
  男が女の関係と関心を切断したとき、女は、自ら橋を爆破する。
  そして、
  女の沈黙とは、自らが発見されることを待つ、時間である。
  
  「日本の新しい風景」はこうして、女の沈黙を爆破した。
                            1993,9,24 



           誌面と会議室ノート

  (1)Sさんのおしゃる「ステイタスと存在感」とは社会的認知のことであると
 思います。詩のフォーラムや冒険小説フォーラム、心理学フォーラムなん
 か、出版界と提携して、通信を世に送り出す、アクションがあります。
 
 (2)これは草のねネットワークにおいてもそうです。
 外部へのアクションがなければ、オルグナイザーないしコーデネイターの志向が、
 なければ、永遠にパソコン・ワープロ通信は、回路に閉じこめられた、
 ままでしょう。

 (3)それは通信が100万人の時代であろうが、外部へのコミュニケート意志を
 喪失した場所は、永遠に電子村の自己満足でしかないですね。

 (4)ぼくはSさんがオフにおいて、常に通信を経験していない人に参加を促す、
 立場に敬意をもちました。Sさんには外部への意志があります。

 (5)「フォーラムの存在感を高めるためには、会員が出世するしかない」
 この導かれた言葉に、ぼくは全面的に同意し、現代演劇なんかで、ちいさい
 営みですが、志向してきました。

 (6)ぼくは、大いに疎外感、ないしは負の意識を身体化させている人生を、これ
 まで歩んできました。だから人格が全面的に試される恋愛なんか、どうしても
 この負のマイナス自己意識の壁を超えることができず、女性を地獄の底に落と
 してしまいます。

  (7)ある意味で自尊心がすぐ傷ついてしまうマイナー意識の塊ですので、
   「フォーラムのバカがいる」などと読みますと、それはおれのことだ!
  と、すぐ感じてしまいます。まぁ自分でも大バカ者であることは認識して
  おります。
  
  (8)確かに、ぼくの書き込みは、フォーラムの社会的信用を落としてしまい、
  Sさんへの長文コメントなんか、Sさんの社会的立場をだいぶ困らせてしまって
  いるのでは、ないか? と、自覚せざるえないのですが。
  
  (9)ぼくがこのフォーラムに参加しているのは、日本近代芸術教育から排除されて
  しまった、演劇の社会的存在を高めたい、欲望があること。それは本流カルチャー
  としての、美術へ侵犯するしかありません。
  
  (10)美術は演劇に比べて、巨大な装置です。それはギャラリーと美術館の圧倒的
  数量の存在と、日常的展開。日本近代芸術教育の本流である、美術と音楽は、
  市民社会においても、絵を教える、ピアノを教える、こうした市場が成立して
  おります。けれど演劇は成立しておりません。社会的には無駄である、これが
  現代演劇に対する制度の歴史的政策でしたから。
  
  (11)美術には芸術本流としてのステイタスが、芸術の起源としてあります。
  そうであるならば、美術人はしっかりと、おのれの日本芸術教育制度によって
  防衛されてきた、本流の構造として、サブ・カルチャーからの貧乏臭い、河原
  乞食による侵犯を、受けて闘争していただきたいと思います。
  
  (12)確かに現代美術人は知と空間への先端を疾走しております。
  「バカ者にかまっていられる」余裕の時間などないでしょう。世界の先端の動向
  を常に、学習していかなくてはなりませんから。
  
  (13)数学的展開および抽象世界とハイ・レバルな動向を論議しなくてはならない
  現代美術が、カオス館に同居させられてしまう過度期形態が解決されていく必要
  があることは、誰でも認識していると思います。
  
  (14)現代美術とはカオスではありません。現代美術がカオスと言う現代世界に、
  追随すれば、それは現代美術の危機であり、死への落下ですから。
  現代美術はやはり、もっとも、このカオス的現代世界の空間的日常の展開から
  遠くへと目的意志を持たなければならないのですから。
  
  (15)カオスとは無駄という贅沢な時間と空間です。あるいはゴミ・ホコリの渦
  そのものでしょう。この無駄そのものである、カオスに、かまっていられねぇ
  とする、目的意志をもった人生をかけた職業としてのプロの人間の意識が、ぼく
  には、理解できそうな気がします。
  
  (16)伝統は確かに保守されていく文化形態です。しかし現代(永遠たる今の展開)
  (近未来への予兆と挑戦)表現その数学的展開をめぐる、芸術を軸に論議される
  場所はオンライン・フォーラムが間口を開けば、素晴らしい、これは大バカ者で
  ある、ぼくが語らなくても、美術を愛するスッタフの方なら、理解していると、
  思うのですが。
  
  (17)現代世界の現象がカオスだからこそ、その現象を超えようとする現代美術が
  カオスと同居することは、無理であり、それは芸術の死でしかない!
  早く、現代美術館をカオス館と切り放し、新設していただきたい!
  スッタフの方へ、これは倫理の問題として問いかけているのです。
  
  (18)人間はいつまでも忍耐できるものではありません。
  
  (19)ぼくは近いうちに現代美術館が新設されることを信じ、挑発と毒を内部化
  させた演劇人の立場から、「大バカ者」として、書き込み送信させていただき
  ました。オンライン・アクセスが、たとえそれが妄想であれ、どのメディアより
  先行し、疾走し、そこに日本的様式としての建て前ではない、ガイストの実体を
  コンピューティングあるいはコミュニケート・ゲームしてきました。
  
  (20)Sさんにはぜひとも、芸術本流から排除されてきた、現代演劇からの侵犯
  として、闘争していただきたいと思います(^-^)
  ゆえに、ぼくは現代美術館がカオス館との同居ではなく、早急に新設されること
  を前提に、「土建美術」なるものの拡張された無名性による労働の集積としての
  「日本の新しい風景」と光景をめぐって、さらなるゲームを展開していきます。
  
  (21)さらにぼくは印刷メディアを否定しているわけではありません。寺山修司は
  68年「書を捨て、街へ出よう」を展開しましたが、現在では、このオンライン
  こそ街頭であり、その街頭は世界へと接続しております。さらに冷戦構造と違っ
  て、このカオスの現代世界は、書物を捨てることはできません。今は、イデオロ
  ギーをどう定性し、建築できるかの永遠の今ですから。
  
  (22)オンライン・アクセスとは街頭であり、そこには人間のテレパシー相という
  ガイストが出現します。このハイウェーは@ろーる@さんが発言しましたように
  実に魅力的です。それは印刷メディアを超える可能性があります。
  そこにおいては@ろーる@さんもぼくもプロとして、自己実現させるでしょう。
  もはやこの街頭たるオンラインでデビューしておりますので、後は貨幣をわが手
  につかむだけです。ぼくはプロとしてSさんにコメントしております。
  今のところぼくの脱字誤字は、後から居直っていますが(^_^;)
  
  (23)早く、原稿要請という仕事が、メールに送信されないかなぁと、ひたすら、
  待っているんだけどぉ、こねぇなぁ、なかなか(^◇^;)
  まぁ、それまでは、ひたすら書き込みすべぇ。
  科学朝日10月号、Sさんが、ちと、紹介したもんで、買ってしまいましたよぉ。
  うーむ、通信100万人時代の現実と変容する場所。
  
  「当世文字顔事情」は、なかなかおもしろかったです。
  「機種も違えば文字顔表示も違う」そのズレの街頭は、ハイウェーを疾走する車
  の機種であり、街頭を歩く人間模様ですね。
  演劇の本質とは、舞台美術人の小竹信節さんの定性によれば、
 「人間とはこれほどおもしろい存在である」その不可解さを現出することである、
  との内容です。
  
  おそらく美術は市街劇というオンラインの街頭から、もはや逃亡はできないでしょ
  う。EVさんが書かれた文字顔をめぐるコミュニケーション報告は、ギリシア演劇
  以来の人間関係の身ぶりですね。人間は永遠に身体知覚という主観の容器から脱出
  できませんから。皮膚が溶解し液体にならない限り、他者とは融合できません。
  
  そこではコミュニケーションをどう成立させるかをめぐり、格闘するしかない。
  無視という態度設定によって、関係を切断することは楽だと思いますが。
  場所を開墾し切り開くのは、アクティブな能動者ですから、能動者に苦悩はつきま
  といます。しかしその苦悩は「生き残り可能」な遺伝子を鍛えている。
  まぁ人間は、その困難による苦悩によってこそ、今日まで消滅せずにすんだのかも。
  
  しかし、オンライン・ハイウェーは意識の表示が疾走し、人間の身体が乗っていない
  ゆえの確認・判断作業を追体験しないと、不安になりますね。
  だからこそ、ぼくは現在、アクションLOGを展開しております。
  まぁ、それはひとつの実験なのですが、この8月から9月は明確に、世界精神の場所
  が移動したという予感にありますので。「速度は力」「継続は力」の渦中にいなけれ
  ば、「女神の後ろ髪」をつかめないという危機感があるわけです。
  
  まぁ、ROM=読者の方には迷惑をかけておりますが、基本的にぼくは、表現とは
  他者というひとりにしか通用しない、という判断認識がありますので。
  不特定多数に通用することは基本的に不可能であるとする立場です。
  それゆえにいまだプロになれないのですが。
  
  まぁ世界中には自分と問題意識が融合する人間は、必ず存在しておりますので、
  その人間も今ごろ、アクションLOGを展開していると自覚しています。
  この現在の世界精神の移動をなんとしてもわが手にしたい欲望は同じですね。
  「大バカ者」が愚直に徹すれば、これはもうプロです。
  
  この場所は世界通信の場所ですから、USAからもアクセスできます。
  日本の読者には迷惑かけておりますが、韓国・台湾・USAの読者が、もしかしたら
  読んでくれているかも、と妄想しております。
  どうもSさんのコメントという形をとって、世界通信へと語ってしまいました。
  午前深夜がなせる世界はこうして妄想を拡張してくれますので。
  
                         1993,9,26

            眠りでトリップ・ノート

 (1)夢の逃亡とは、実におもしろいですね。フランス映画のコクトーだったか、
 ゴダールだったか、時間の流れと人物情景が後ろ向きで展開するのは、
 夢そのものが、逃亡の時間だからでしょうか? 

 (2)恋も夢のように、憧れる女性への幻影へと、心が逃亡していく時間ですね。
 健康な女性のお尻が、冷たいということは、竜宮という洋水に泳ぐ、生命体の
 誕生を守る、温度装置なのでしょうか? 女性身体は男と違って、血を内部から
 流す卵の新陳代謝があります。生命体を誕生させる女性身体は柔らかいと同時に
 母胎維持装置は高度に作用し、男よりも生命力は強いですよね。
 そのデリケートな身体は、生命力の強さでもありますから、温度装置は高度です。
 
 (3)さらに女性のお尻、その曲線による山脈は、自然を模倣していると思います。
 中心としての子宮は、天体リズムと交信する秘密の竜宮ですから、山脈から湿原
 へと続く、温度は、高度情報機器よりも高度装置として、作動していると思いま
 すね。

 (4)洋水に泳ぐ生命体とは、宇宙遊泳の宇宙飛行士でしょう。生命体は子宮宇宙
 空間で夢の過程にいる。それは実に心地よい環境だと思います。人間最大の快楽
 を、人間は洋水遊泳で経験してしまうのでしょうね。夢の起源は子宮洋水遊泳。

 (5)生命体が子宮から、この現実社会へと、突然、送り出されてしまえば、これは
 不快として、泣き叫ぶのは、当然です。人間にとって最大快楽とは胎児の時間で、
 経験しておりますから、べつにこの現実社会で享楽と快楽を唯一の価値にしなく
 てもいいわけです。快楽の想像力よりも不快への想像力の方が、多様な人間の現実
 社会を教えてくれますね。

 (6)現実社会とは不快である。これを前提として、ここでの営みと闘争を表現する
 表現はインパクトがあり、人間の存在を主張・謳歌できます。

 (7)快適な環境のみで人間が生活すると、不快を前提にした人間の現実社会に、対応
 不能になる、落とし穴がある、パワフルさとは不快の反復過程を訓練として、くぐり
 ぬけた、不快への挑戦欲望と、そのゴールに快楽をわが手につかみたいとする欲望の
 体現ですね。
 
  (8)東京から青森の心霊の場所・恐山とテレパシー送信する、あるいは東京を弘前に
  置換してしまう、寺山修司は「イメージの革命者」だったと思います。
  革命とは快適な環境の過程からは登場しませんね。不快の反復過程から出現します。
  
 (9)日本は戦争という不快の全面的展開を、侵略とその結果によるUSA軍による、
 都市壊滅焦土、さらに核戦争の体験を通して、この現実社会がどれほどの不快に満ち
 た代物であるか、徹底した虚脱の経験で学習したわけです。

 (10)その経験は半世紀をかけて、子宮洋水遊泳の快楽を実現させたと思います。
 現実社会が不快が前提であることを、ひたすら忘却してきた、チャイルドへの疾走。
 三島由紀夫が1970年で割腹自殺をとげ、寺山修司が1983年ストレスによる病死をと
 げてから、どうも過剰な毒とイメージを体現する人間が、清潔衛生環境によって、
 消却されてきたのは、とても淋しいですね。

 (11)でも日本の女は、けっこう暴力的そして不快の世界を愛しておりますから、
 中国文化革命の残酷さを、たんたんと物語る「ワイルド・スワン」なんか、読んで
 いて、不快の現実社会から学習していますね。男よりも女のほうが、不快の現実社
 会の情報は入力し、日本から身軽に外国に行って、学習しているから。

 (12)男には、どうしても子宮洋水遊泳回帰をめざす、ナルシズムの弱さがあるわけ
 ですが、女は秘密の竜宮から、血を毎月、流しているわけですから、すでに身体の
 不快と、まるごとつきあっていますから、男のナルシズムなど、当然に破壊されて
 しまいますよね。

 (13)現在においては、女から支持されないと、表現の市場は成立しませんから。
 女のメイクアップ・ドレスアップは、ナルシズムではなく、美の闘争ですから。
 
 (14)非公開フォーラムの存在は、ぼくはまったく無知です。
 政治・経済の分野では、神秘的秘密会員制度によって、けっこう活用されている
 みたいですね。大前研一さんの平成維新の会なんか、秘密会員制度で、このNIF
 で、非公開フォーラムを運営していますね。

 (15)高度情報化社会とは、情報の民主化ではなく、その逆の神秘的秘密会員制度の
 促進が、日本的様式ですから、非公開フォーラムも存在は今後も、通信の中心を、
 形成していくことは、間違いないと思います。

 (16)でも大体の情報は日本経済新聞・エコノミスト・東洋経済・プレジテントなどで
 つかめると、思います。記者も評論者も貨幣に両替できる原稿は、裏をとりながら
 書きますから、ぼくのように妄想文章は、皆無ですね。
 それに日本語に翻訳された、書物などで、情報は入力できます。まぁ、USAのジャ
 ーナリストが書いた書物に関心があれば、日本の神秘的秘密会員制度を覆すことは
 可能です。

 (17)まぁ、ぼくとしては非公開フォーラムよりも、現実社会で疾走している、女の
 知=情報入力の動向と、欲望に関心が現在、とてもあります。女に支持されない表
 現は、滅びるしかありませんから。日本の女とはすでに世界の場所から、不快の物語
 に魅了され、土建美術が完成すればするほど、心は残酷物語へと移動していきます。
 そこから流行としての美を、どの女よりも先にたち上げる美の闘争は、パワフルです。
 (18)女とは不快現象という身体とまるごとつきあいながら、快適=美を、残酷の事実
 から、たち上げる、性的武装した、闘士ですから。
    女とは世界最大の謎です。非公開フォーラムよりも不気味です。

    疾走する馬のお尻が美しいように、女性のお尻には魅了されてしまいます。
    背骨からお尻にかかる曲線は、なだらかな山脈のようです。
    その柔らかいふたつの丘が、とてもひんやりとした冷たさがあるのなら、
    たまらなく、頬で愛撫したいですね。
                     1993,9,27                

           視線の反乱・ノート

 (1)このカオス館は、ぼくも現代演劇界に、宣伝しましたので、かなりの
 演劇人の読者がいるのではないかと、推測しております。
 NIFTYのシアター・フォーラム・イベント館MES 17の平田オリザさん(青年団)
 が、劇作家連絡会として、推進している会議室にも、宣伝しておきました。
 今、演劇人たちはある速度をもって、通信に参加しています。
 この8月での劇作家連絡会イベントでも、通信リアルタイムによる、脚本の実験
 が展開されております。
 演劇人とは何でもおもちゃ箱にして、それをひっくり換えす盗賊ですから、
 通信を道具化・装置化して、演劇と電脳の融合は、射程に入ったと思います。
 まぁ、唐十朗はこの世界を先取りして「電子城」テント芝居をやりました。

 (2)シアター・フォーラム・イベント館での17番会議室では、今を疾走する
 若手劇作家が参加しておりますので、一度、岡谷さんが、訪問すれば、おもしろい
 と、思います。演劇に興味があれば、ダイレクトに演劇のオンラインに参加して
 も、刺激的ですよー。

 (3)岡谷さんのアイデア、舞台中央にモニタースクーリンが、突然、出現し、
 観客を映し出す。それも3・4人のグループショットで。もちろん移動しながら。
 観客はモニターによって、観客の役割を破壊され、役者に置換されてしまう。

 (4)観客にとっては、それは刺激的な快感でもありますから、金返せ! とは
 要求しないと思います。おそらく黒子を観客席に隠密としてしのばせ、舞台で
 暴れさせるか、劇終了時に、受付カウンターで、騒がせるか、でしょう。
 金返せ!と騒乱するのは、やはり役者がやるしかないでしょう。

 (5)岡谷さんのアイデアは、さっそく、演劇人によって、いただかれて、しまい
 ましたね。観客をどう舞台に参加させるか? は、観客論をめぐって、日本現代
 演劇の主要なテーマでした。寺山修司と天井桟敷は、その先頭を疾走していました。

 (6)それでは岡谷さんにアイデアをお返しするのですが、パソコン・ディスプレイ
 モニターを、破壊してしまう映像はどうでしょうか?
 USA映画「タクシードライバー」で、主人公がテレビ・モニターを破壊してしまう
 映像は衝撃でした。

 (7)まぁ、それはディスプレイ画像通信に表示された自分の顔でも、相手の顔でもい
 いのですが、突然、主人公は、そのディスプレイを破壊するわけです。ピストルで
 撃ってもいいですね。映像のプロローグでは最高だと思いますが。
 
 (8)あと、オンライン・ハイウェーで闘争する、ウィルスとバトル死守隊のミクロ
 世界で展開するSF映像なんか、おもしろいと思います。
 まぁ宇宙戦争映画もいいですが、このオンライン・ハイウェーに電気ミクロ身体
 となって、乗り込んでみたいですね。

 (9)政治・経済をめぐる闘争でも、映画によく出てくる、電話の盗聴が不可能です
 ので、警察庁では、デジタル通信の盗読が可能かどうか、研究していると思います。
 デジタル通信列島の完成は、新たなるバトルが現出してきましたね。
 
 (10)たけしが、映画「魚からダイオシキン!」では、銀幕スクリーンを破って、
 登場しましたが、今度は、パソコン・ディスプレイを破壊して、オンラインから
 飛び出してくれば、最高のオープニングですね(^_^)
                         1993,9,27       


 26日、天文館での最終公演、三上賀代舞踏公演を観戦してきました。
 実に絵画的でした。
 音楽は万有引力の、J.A.シーザーでした。

 寺山修司は最終的に歌舞伎をやりたかったそうですね。
 歌舞伎は一度もまだ観戦したことが、ないのですが、
 舞踏と関係あるのでしょうか?

 いやぁ、IARI/SHIMIZさん、まいりましたよぉ。
 最近、全然、観劇の感想が書けなくなってしまいました(;_;)

 なんか時間が60年代から50年代へと逆行しているみたいで、
 先が全然、読めなくなってしまいました。

 もう、演劇とか舞踏は、流行とかOO時代なんて関係ない、我が道を
 ひたすら表現することだ! という強烈な意志が形成されているみたいです。
 つまりUSA的な流行を意識してしまう精神から脱皮をとげたみたいです。
 
 「政治・経済の動向なんて、関係ねぇ、いい作品を創造するだけだ!」
 こおいう意志が全面化しているようですね。
 これはでかい意味がありますね。
 政治・経済の動向から舞台の意味するものを、感想アップしてきた、ぼくに
 とっては最大の危機です。もうこの方法は通用しませんから。

 この8月から9月は、何かが移動してしまったと予感してるのですが、
 政治・経済の先が全然読めないもので、焦っております。
 NHKは20世紀の放送史の総括作業に長期戦略として着手しましたね。
 その研究は放送の仕事に従事した人からの聞き取り作業という、きわめて
 シンプルな研究方法から開始しています。

 なにか全体的にビック組織は21世紀への生き残りをかけて、20世紀の
 総括に入っているような気がします。

 ぼくも個人的な妄想システムを、ちと、メンテナスしなくてはいけませんので
 カオス館から撤退し、ちと、14番の森林深く、身を隠そうかと思います。
                       1993,9,29    




1992年12月から1993年9月にかけまして ニフティ・サーブ芸術フォーラム・カオス館に投稿しました投稿文章です。


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