鬼怒天皇物語(きぬてんのう・ものがたり)3                塚原勝美(つかはら・かつみ)    3 ひと・物質・生態系は砂塵と塵芥である あらゆる物質はそこへ帰還する本能がある それが自然の摂理である 左手で砂をひろい、右手のてのひらにのせる。 左手のひとさし指で宇宙を回す やがて星たる一粒の素粒子 ひとつぶの砂があらわれる おまえは0・1%の記録者だ わたしは砂になりたい ひとつぶの丸いミクロの素粒子の記憶 20世紀の砂になった わたしの白いやわらかな孤独を踏んで、 21世紀の人がひとつぶのわたしを踏む。 100億分の1 その偶然の可能性があるとき ひとつぶの砂になったわたしを30世紀の40世紀の50世紀の誰かが ひろい上げてくれるかもしれない。 人とは砂塵へ塵芥に帰還するために生きている それが自然の摂理である 永遠に現在がある 人の創造とは自然の摂理への闘争である。砂のひとつぶ魂の刻印のために希望がある。  これまで人は生命潮流を自然と錯覚してきた。生命潮流とは、砂塵・塵芥から産まれ 再度、そこへ帰還する摂理への抵抗としてある。自然とは砂塵・塵芥の渦であり、それ が、われわれの宇宙であろう。旧約聖書あるいはコーランの畏怖がここにある。  もはや小説を展開する人間にとって、方法意識など、どうでもいいのではないか? そう、私は考えはじめている。人の前にあり広がるのは原光景のみである。 若き妻と幼子を殺し、横浜港に沈めた筑波大学の青年医師の手から、鬼怒川に投げ捨て られる今日の日常の闇、あれは幸福の黄色い帽子だった。  アメリカUSAを模倣し白い粉が住宅地域に浸透したように、ピストル銃社会は、す でに、星条旗の模倣として、葦の豊原に訪れている。深夜、私はカマで底から切ってい る。長いながい葦を。葦の湿原地帯は遠くに広がり、泥のぬかるみから、蛇が襲ってこ ないか? 恐怖の電気が走った。思想は下部の肢体。大学の非常勤講師は日雇い労働者 の賃労働だった。  自由市場の街頭よ。私を打倒せよ!!  破綻したプログラムよ。私を打倒せよ!!  国民国家の政治と経済は、まんがを模倣している。  この列島は、まんがとゲームなしでは、もはや、やってはゆけないと!!  私は漫画の葦。揺れている秋から初冬へ。  1989年11月30日。彼はJR京浜東北・根岸線石川町駅のそばにあるドヤ街 の3畳ほどの室内で、鬼怒天皇物語第2部の草稿を書いていた。明日、日雇い労働に ありつかねば、このドヤから追い出されるだろう、危機感はいつも隣にあり、横には 落とし穴が待っていた。宗教者でない者は、つねに自己の保守・維持への、たえまな き意志を強く鍛え上げていかねば、明日にでも人は、己の落とし穴に落下してしまう。 崩れていくものこそが人の自己像なのだろう。  小説の方法など糞くらえだ!!  私ではなく、僕ではなく、おら、おら、お、おらはハッキリ言って大バカ者だよ!!  才能などは断じてない!! それに教養教育・体系的教育なども通過していない。  大日本帝国の夢は、世界経済の街頭と漫画・ゲームの教典に分裂している。  一人十色。十人の人格に分裂しながら、崩れていく男こそが、鬼怒天皇物語の語り部 に、ふさわしかった。彼は1975年、昭和天皇から文学なるものを学んだ。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「私は文学者ではないので、言葉の意味を考える者ではありません」このように、大東 亜戦争の最高戦争指導者は、アメリカUSAの記者の質問に答えたのでした。彼はこの 昭和天皇の言葉から、文学とは言語の意味をめぐる探求闘争であることを学んだのでし た。それから彼は意味という病人になったのです。  さらに昭和天皇の弟である宮からも彼は学びました。あれは70年代の終わり。宮は NHK教育テレビで、シンボル美術をめぐる講義をしていたのです。太陽神の象徴であ る、「日の丸」。その起源が古代エジプト神話に共通項があることを、宮は発見されて いたのです。個人的な宮の研究は、おそらく、天皇制の起源と秘密を発掘されたのに、 違いないと、テレビ受信機画像の向こう側にいる宮を見ながら、彼の動物的直感に電気 が走ったのです。  そうです。小学生2年の時、あの夕暮れ。町の日雇い労働から帰った母のふろしきの なかに、自分のおみやげはないかと、むさぶった貧しき彼の姿態。それを立ったまま上 からながめていた彼の一番上の兄は、怒りを爆発させ、彼を足で蹴り突き飛ばしたので す。彼は縁側から、まっさかさまに脳天から固い土の庭に落ちました。彼ははじめて電 気の火花を内部化したのです。うっとりする電気の火花が脳天に咲き、ここに彼の妄想 力装置回路は起動したのです。1960年でありました。  彼の住む村:ましろく:には、まだ東京電力の電気が引かれていなかったにも、かか わらず、すでに鬼怒天皇物語の語り部は8歳の時、脳天とは電気であることを見たので あります。彼にとって電気とは妄想の入り口でした。  その頃、帝都は60年安保闘争のエネルギー。人の海に街頭の磁場は叫び声をあげて 伝説の歌。人知れず微笑まん。ローザ微笑の死。帝都から北関東の村に、抵抗の歌声は 聞こえて来なかったと、彼は断言します。彼の村は山県有朋と天皇の土地であり、教室 には、平成天皇と皇后妃の写真が神々しく飾られていました。  帝都にとって60年安保闘争とは、巨大な歴史であったのでしょう。しかし村にとっ て、1960年とは、やがて高度成長といわれる貨幣経済によって、千年の百姓民俗の 歴史が消滅する、終わりの始まりであったと、彼は断言します。皮肉にもこの解体を加 速したのは、1959年、平成天皇と皇后妃の結婚祝賀パレードでした。  3種の神器たるテレビ受信機は、この国民国家の祭典によって、爆発的に普及したの でした。彼は小学校入学の日、はじめてテレビなるものを見ました。街道の大きな農家 で。叔母に連れられ。「おまえにテレビを見せてやろう」そう言いながら叔母は彼の手 を引きながら。その7歳の体験は私にとって、身体の革命でした。そうです。この国民 国家にとって、革命的体験とはつねに、皇帝の体制から無防備のまま行使されてしまう のだと、彼は断言します。  1960年とは、鬼怒天皇物語の語り部がこの世に誕生した、50年代の最後であり ました。そして美しき自然の摂理、砂塵・塵芥へ帰還する本能は加速したのです。 生命潮流とは自然の摂理への生命力の抵抗と持続そして闘争であります。ある意味で、 ヒロシマ・ナガサキ、核弾頭の投下から爆発的に進化した、テクノロジーとは、自然の 摂理そのものの本能を体現していると、彼は断言します。都市の村の廃虚、砂塵・塵芥 への帰還こそ、宇宙自然の摂理・本能でありますから。  生命潮流を自然であるとする、大いなる人類の錯覚。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  核の箱舟・民族/宗教戦争の箱舟・この地球世界の現在の危機とは何か?  それは自然の摂理と本能の加速によって、生命潮流のエネルギーが衰弱している  ところにあります。  生命潮流の星こそ、この地球であるとしたのなら。人間とは何か?    人間とは一方における生命潮流の属性であり、他方における砂塵・塵芥に帰還する  自然の摂理本能を加速させる属性にある葦である。こう彼は断言します。  鬼怒天皇物語の語り部が叙述を止めたとき、彼は自然の摂理によって殺される。  彼は接近していくでしょう。  大江健三郎が戦後日本文学のテーゼとして語る、最終のヴィジョンへと。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  小説の方法・約束・秩序・構成は、崩れて瓦解することこそ、自然の摂理です。  崩壊・瓦解そして意味のなさぬ国民国家言葉群、日本語によって彼は物語ます。  いかに破綻とバランスをとるのか? それが現在の小説であると彼は断言します。  こうして、ゆっくりと鬼怒天皇物語の幕は、ディスプレイ表示を読む観客である  あなたの現在意識によって、切って落とされました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  書こうと思っても書けないイメージがある。10年間も暖めてきたイメージ。 鬼怒天皇物語の重要な映像カットだ。それを今、一挙にタイピングしてしまおう。 時は1955年8月。ディアラ2歳。場所、山手線、神田駅から上野駅間。 ディアラは調布市から栃木県へと叔母に連れられ、鬼怒川にそって北上していく のだが。  上野駅まで、もうすぐであった。叔母にだきかかえられたディアラは泣いている。 「あの子なにか、かわいそう。お母さん。これあげてもいい?」 反対側の車両椅子に座っていた3歳くらいのワンピースの女の子が、隣に座っている 母親に聞いている。  ディアラは女の子から飴玉をもらった。それをしゃぶりながら、ディアラは彼女を 見あげる。「あなたの名前はディアラ。わたしの名前は烏恒鮮よ。いつかきっと会う 1979年に。うふふ」謎めいた言葉をかけて幼女は、自分の席に戻っていった。  上野駅から東北本線に乗車するため、叔母は、その謎めいた女の子と、母親に礼を 言って電車から降りる。その飴玉をくれた女の子は「きっと、また会う」そう言いな がら手を振っている。烏恒鮮(うがんせん)、不思議な名前だと叔母はつぶやく。  「ディアラ・うがんせん」まじないのように2歳の童子は、何度も反復しながら 遊ぶ幼児特有の世界で、言葉を発していた。北上する関東平野の列車の椅子に。 童子は里子として叔母の家に行くことも知らなかったが、女の子との出会いは幸福 だった。  幸福は美しかった。  燐国の朝鮮では戦争の風が、屍と傷を勃発させている。民族は38゜国境線が血の 河として引き離されてしまった。その悲劇を踏み台にして大日本帝国は再復活しつつ ある獣の経済に踊っている1955年の8月。われら童子はあまりにも無防備に日本 人としての原理を今後、飼育されていくのである。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  日雇い労働者の個人的な唸り声は、深夜になってもドヤ街に響いている。 語り部はファクス原紙の小さい四角マスに、文字を埋めている、午前2時半。 鬼怒天皇物語第2部はまだ完成していない。90年はもうすぐだ。 彼は焦っていた。80年代最後の年の前に、90年代の予感を結語せねばと。 「街頭それが90年代世界だ。街頭は続く世界に」そう彼は書く。  しかし彼の予感はまだ反乱というロマンチズムの一方でしかなかった。 東欧・ソ連社会主義国家の崩壊から、ユーゴスラビア民族宗教内戦の地獄の絶望 街頭を予感することはできなかった。彼はあまりにも幼い89年のちいさな人間 でしかなかった。  「朝、仕事にアブれないために、このまま起きていよう」そう彼は決意して、 トイレットペーパーをほぎほどし、その柔らかい弾力のあるティシュを、自分の パンツに入れた。きんたまを、そっとつつみ、うつぶせになって、腰を動かす。 眠りのために体の緊張をほぐすためのマスターベーション。精液がやがて発射さ れるまで。なんという貧しい身体の器だろう。それを彼は悲しみと感じなかった。  彼はやがて浅い眠りの境界に落ちていった。男の身体の周りをゴキブリ一族が 行進している。昆虫の部屋に彼は夢をみている。  巨大な高層ビルがハルマゲドンの大地震で崩れていく。天然色の映像世界。  彼は神々の軍勢によって地獄に突き落とされた堕天使に変貌していた。  清なる流れに入ることを許されなかった。彼の片腕は切り落とされた。  彼は夢の映像の空間で思考していた。  「おれは誰だ? 」と。するともうひとつの映像空間に彼の身体は投げ込まれた。  夢はいくつもの縦の断層から断層へと続き、身体はその映像断層のホールを水流の  ように波状としてくぐりねけていくのだろう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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