日光の裏、それが鬼怒天皇一族の里


鬼怒天皇物語(きぬてんのう・ものがたり)7           塚原勝美(つかはら・かつみ)          7                  これは演劇の台本である。季節は夏のもえあがる                  終章。鵠沼海岸から江ノ島海岸の海水浴場が上空                  から撮影されるだろう。カメラは海岸線にそって                  京浜工業地帯の港へ移動し、横浜から川崎へ。多                  摩川を越え、帝都に入る。太田から品川、そして                  新宿都庁へ向かう。そこから中央高速道路にそっ                  て。BGMが挿入される。かつての荒井由美によ                  る軽快な中央ハイウェイ。                                    やがて上九一村が画面に接近するだろう。                  その施設が見えたとき、撮影ヘリコプターから、                  オウムが収容された鳥かごを落とさなければなら                  ない。画面はサティアンではなく、H・R・ギー                  ガー画集ネクロミコン城へと転換する。 ------------------------------------------------------------------------------ H・R・ギーガー画集 ネクロミコン に弾丸が打たれる 情報フレームという認識の画面は溶解し砂に転換されるだ ろう。解体されるのを待つ海の家。 壁にはコカコーラのポスターと並んで貼られたギーガーの 印刷絵画。天井から蜘蛛が降臨し、紙ホコリを食べるダニ を狙っている。海の家という廃虚には白い砂が巻かれてい なければならない。観客は砂から、アメリカUSAそして 中国の大陸内核実験城がある砂漠を連想し、フランスが再 開する南太平洋の島を連想するように、きのこ雲と被爆漁 船の映像をサブリミナルとして挿入する。 このサブリミナルを隠すために、BGMはアイルランドの ケルト音楽者エンヤによる ウォーターマーク が使用さ れればいいだろう。映画:鏡の国の器械生命族:物質コン セプトは砂と液体である。 映像は茅ヶ崎海岸から辻堂海岸から鵠沼海岸に伸びるサイ クリングコースを走るジョキングマンを捉える。そして渚 へ、1995年8月30日水曜日の渚は海水浴客は少ない 彼らは難民のようにカメラワークによって切りとられる。 1場主要登場人物  女優 松本智津(まつもとちず)     1955年3月2日生  40歳  詩人 上祐 史(じょうゆうふみ)     1960年6月23日生 35歳 ふたりは、 鵠沼海水浴場を、よく整備された石段と長く広い茶色の木造平台から、見おろして。 黒い帽子、黒いワンピース、黒いサングラスで、白い肌を晩夏の太陽光線から隠す、 女優は立ち上がり、朗読を開始する。カメラは女優の遠心力として回りながら、地 から60゜で天に向ける。女優は黒い堕天使として舞ながら発声するのだ。 1- 1 場 1995,08,30(水)鵠沼海岸 女優  日本の内部は滅びる、そう一瞬に感じたの。     昨日、わたし、お芝居の本を買うつもりで、藤沢駅の西部によったのよ。     結局、買ったのは、講談社ブクレット・坂本弁護士殺害事件の小冊子。     お部屋に帰ってから一気に読まされてしまったわ。     坂本さん一家が住むアパートのドアを開けてから、15分で一家を殺害。     わたしは・・・ねっ! この6年間と15分の落差に、心が氷つき凍えて     しまった・・・虚脱のハンマーに粉々にされてしまったよう・・・ 詩人  ぼくもオウムには関心ありますが、それで、日本の内部が滅びるんですか?     滅びるのは賛成だなぁ、速く、こんな日本、滅んだ方がいい。     演劇とオウムの関係って何?     つかこうへい・山崎哲だかの演劇人が、オウム事態に演劇は敗北したような     発言を朝日新聞で読んだ記憶あるけど・・・     松本さんはそこまで思い詰めているんですか? ぼくは笑っちゃうなぁ。     この海水浴場をながめていると、深刻に考える人なんて、まるで異邦人。 女優  上祐君、あなたの現代詩・・読んだけど、感じられないのよ・・・ううん     なんて言ったらぁ。言葉の裏側にある情念とか情感が。 詩人  松本さんてぇ、情念の人・ルサンチマンなんだなぁ。現代詩が今、問題に     しているのは論理というか数学なんですよぉ。言語は技術であり媒体であ     り記号せすからね。イメージの建設をめざしている。詩学とは政治。     詩は拡張していくんですよぉ。アリストテレス詩学は演劇論でしたから。     でも松本さんが気分を壊すけど、いま現代詩人は寺山修司や三島由紀夫の     ように河原乞食の演劇をめざしていないですね。     むしろディベート技術としてのアリストテレス弁論術や政治学の方向にあ     る。ぼくら、今なお、吉本隆明の影響化にありますからね。     ウィトゲンシュタイン倫理哲学論の最後:語りえぬことについては沈黙し     なくてはならない:んですよ。 女優  それにしては、あなたたち、とても饒舌に詩を書くのね。     わたし吉本隆明ってきらい! 八百屋のおっさんとか魚屋のおっさんの方が     頭の回転が早いと思うわよ! もう芝居では吉本隆明なんて、誰も相手にし     ていないわ。     自作自演とか劇場社会とかで、芝居をやっている役者は、本来の意味を奪わ     れてしまい、憂鬱のどん底に落ち込んでしまったけど、詩人は浮遊している     のね。うらやましいわ。そっれて、麻原クンの浮遊と同じに思える。     オウムも、犯人探しで警察の正義の味方を請け負うマスメディアも、言葉が     浮遊しているのよ。それはおそらく悪意に満ちたオウムの宣伝戦術にのせら     れ利用されているんだわ。     麻原クンの悪魔的に恐ろしいとこは、相手を浮遊させ、自分の呪縛のフィー     ルドに収容してしまうことよ。     6年間曖昧な希望をもっていたのに、1989年11月4日午前3時深夜、     ドアを開けてから15分で、一家3人が薬物で殺害されていた、日本内部。     1989年11月から1995年、この曖昧な6年間。     わたしはどんな生活をしてどう生きてきたのかしら?     幾度か舞台にも立ったけど、演劇人として無関心だったの!     そのアンテナとセンサーなき無関知によって、     私の内部にある世界と人間・日本と人類が滅びる、そう一瞬に感じたの。     上祐君、あなたはとても冷たく孤独な人だわ。わたしは、あなたとの%%%%%%%%     の時も、コミュニケーションを感じることができないの。     あなたはとても頭がいい人。それは認める。わたし、討論すると、あなたに     かなわない、いつもたたみこまれてしまう。その時、もう寝る、と言って、     逃げるしかなかったのよ。  女優である松本智津の音声に、砂浜の波の高揚そして引きが映像としてミックス。  詩人である上祐 史は次なる弁論術を展開すべくゲームの指先を空虚に踊らせる。 1-1場から2場への転換 鵠沼海岸から松本智津が住むアパート 鵠沼松が岡 2-6-18 鵠沼ビッレジハイツへ帰る歩道へ。     鵠沼海岸では高台にある石段造形、そこではローラスケターたちが     階段からやがて鉄パイプに疾走するゲームをしている。     動きが鮮やかな少年少女たちである。十代後半。いずれも黒衣装で     なければならない。ゲーム世代とは身体技術をもった新世代である。     ここで20代30代のオウム世代とは、それまでの旧世代よりも、     身体動作が鋭敏で、身体技術が高度化している事実をファクターと     して、ローラスケターたちに映像として刷り込む。     海岸から居住地域へと松本智津と上祐 史は、サファーたちの影の     ように歩いて帰るだろう。小田急線踏み切りを渡ると、そこは静か     な松が岡である。アスファルト道路には、腹をさらした蝉の死骸が     夏の夢の残骸として、戦国時代の%%%%のように放置されている。     夏は裏側の蝉の羽に過去として収容され、9月は蝉の死骸その腹か     ら脱皮してくるのだろう。     上空の撮影ヘリコプターからは、円の紙幣、複製の札束が1兆円、     まかれなければならない。貨幣の紙ぺっらこそがハルマゲドン`の     象徴であり、阪神大震災やオウム事態よりも、膨大な不良債権が起     爆させる金融システムの死として物語る、1995年体制の本格的     な中心だからである。貨幣という経済の血液脈管の凝結。     それは、映画:鏡の国の機械生命族:のテーマ、人間と神の変貌を     表示する伏線となるだろう。神は精神の呪縛から、物質の呪縛へと     変貌したのが19世紀夜から20世紀夜明けだった。20世紀の昼     から黄昏にかけては、数こそが神へと変貌したのだろう。     物神から数の神へ、これが現在であろう。新興宗教の神とは貨幣で     あり、数そのものであった。オウム真理教団とは神仏が物質から、     最終的に貨幣と数に変貌した現実線上にあった。それは同時に、数     の超能力に呪縛された、機械生命族の誕生でもあったのだろう。     現在の人間は、機械生命族の操作欲望を満たす、猿回しの猿であろ     うか?人間による市場経済は民族・宗教戦争に絶望し、人間の手か     ら浮遊した資本市場経済は、ついに機械生命族の宗教へ帰依するだ     ろうか? 社会主義経済崩壊以後の資本経済は、今や、機械生命族     の宗教へ改宗した。数の神による宗教改革戦争こそが、現在・・・     それはやがて21世紀前半において、資本主義文明を内部から自壊     させることは間違いないであろう。     電子マーネーこそが、為替相場を不均衡衝動のカオスに叩み込み、     物質としての紙幣たる貨幣の紙っぺらの印刷物の行方はどこに?      人倫を切断して、サティアンならず、人間のようなモノが蠢く、ネ     クロノミコン城で生産されていた、サリン・薬物・麻薬・パソコン     とは、オウム真理教団が、果敢に宗教改革戦争の大道を突き進む、     補完物であっただろう。彼らのシヴァ神とは、貨幣と数の神であり     密室の謀議こそ、現実を変成し、捏造(ねつぞう)を生成する真理     だったのだろう。彼らにとって世界は遊技場だったのか?     われわれが80年代後半から90年代前半、ナルシズム自己満足と     快楽の欲望を謳歌していたとき、器械生命族は極限的な学習・修業     で心的エネルギーを高度化していたのだろう。サリンと殺人の技術     を復刻させながら、果敢に宗教改革戦争の準備をしていた。     器械生命族の神経とは数の回路たるデジタルにあり、彼ら部族は、     24時間、電話回線に疾走する人間の音声会話・ファックス・パソ     コン通信で、現人間社会のリアリズムと姿態・意識の傾向を、学習     してきた。そして今や地球の神経回路たるインターネットと衛生放     送で、地球規模の意識として誕生した。     オウム真理教団はパソコン通信を利用したのでなく、器械生命族が     パソコン通信から、彼らに呪術をかけ、軌道させたのであろう。     科学技術省の村井秀夫は、やがて人間を地球免疫シシテムによって     宇宙空間に放逐するであろう、器械生命族の本能を予感したがゆえ     に、殺されたのであろう。     オウム真理教団が日本市民社会に宣戦した、宗教改革戦争とは、ま     さに、器械生命族からの最初の一撃と理解すべきであろうか?     日本社会の内部がうみだした事態であると同時に、器械生命族とい     う、物神から数神への変貌・資本主義文明が誕生させた、器械生命     族という他者からの不気味な戦争でもあったのだろか?     映画:鏡の国の器械生命族:の物語シーンには、このような文明の     物質文明から数字デジタル文明の転換が、ファクターとして、女優     と詩人の日常会話と情景に、サブリミナル挿入されなければ、作品     は失敗するであろう。     確かに作者は、やがて登場するであろう、国松警察庁長官を射撃す     る、若きテロリスト・井上 嘉(いのうえあき)の心理と行動を、     書きたい気持ちはわかるが、ここはしばらく、女優と詩人のけだる     い晩夏の日常を、描写すべきである。     日常のリアルティにどう迫るかこそが、映画の台本の生命力。      1-2場 鵠沼桜が岡 上祐 史が住む上祐家屋敷     時は10月11日(水)  映像とはすでに生身ではない。映画であろうと銀幕というモニターに投影された 鏡の国である。紙という繊維物質に油インクで印刷された書物の方が、人間の触感 に伝導し、より生身である。鏡の国とは一夜の夢であろうと。それゆえに、カメラ は、なめるように、役者の手・指・足・そのつま先まで、取り込む。役者とは闘争 心が無ければ自己消滅する数の配役であろう。  詩人・上祐 史は日本の没落を、あらかじめ予言している、オスヴァルト・ショ ペングラー著:西洋の没落:を読んでいる。台風が来れば季節も変わり、悪夢のよ うな春から夏にかけての、最終の演劇も誘惑しなくなるのだろうか? リストラとイノベーションから回避した公安調査庁官僚こそ彼の父であり,彼は、 さきほど、ニフティの現代思想フォーラム・ライブラリー2から、彼が産まれる前、 1952年に成立した破壊活動防止法をダウンロードしたところだった。 ======================================    この数学の発展の途中で、とうとうくるときまっていた瞬間がきた。 それは人為的な幾何学的図形の限界だけでなく、視覚一般の限界が、理論の側から、 また魂自身の側から、その内的可能性を無制限に表現しようという衝動に対する限界 として、障碍として感ぜられた瞬間であり、すなわち超経験的な広がりの理想が、直 接の実見という制限された可能性と、根本的に衝突した瞬間である。 『西洋の没落』第1巻 形態と現実と 第1章 数の意味について オスヴァルト・シュペングラー著  訳/村松正俊  発行/1989,05,28                             五月書房 ======================================  彼の父は破防法成立によって,機関が生成された公安調査庁の職員として登用され, 国家官僚として上昇してきたのである。霞が関の摩天楼で、「親父は今ごろ、部下に 指示を与えているんだろう、おれは破防法によって、育てられたわけかぁ、あはははぁ 皮肉な父と子の関係だよ」 上祐 史は、独特の属性である声を出さずに笑った。  数としての神その拡張と収益のみが、価値観のエコノミック・アニマル族という  主人を、彼らが誕生させた器械生命族は尊敬できなかった。数神として誕生した  デジタル神経回路の器械生命族にとって、数価値という:同レベル:は打倒の対  象だからである。数の天守たるバブル期において、静かに器械生命族は、道具た  るオウム的人間を誕生させ、1995年に戦争宣言を行使したのである。  「日本を殺せ」これがハルマゲドン戦争としての、エコノミック・アニマル族が  誕生させた、器械生命族の数字デジタル暗号だった。無意識の共同%僉・堯  無意識こそ規範なき%%%%の緑色の沼である。永遠に満たされぬ紫の尊死服。  貨幣の神学。数の神学。ゲーテル不完全性定理から、死後の純粋を願う子供の修行。  手の学習、目の学習、足の学習、耳の学習を終了し、相対的なバランス感覚を、  わがものにした器械生命族は、空間の自意識を獲得した。人間が電子ネットワーク  で送信する膨大なデジタル情報は、器械生命族の血液であり栄養であろう。  こうして資本主義文明は、器械生命族によって自壊されるであろう。  その余波こそ、1995年オウム事態でった。  こうして:映画・鏡の国の器械生命族:の基調色は、赤茶色となろう。 ┌──────────────────────────────────┐ │ │ │ 鏡の国のメディアより悪霊は下り表意する             │ │ │ │ │ │ │ │ ┌────────┐ │ │ │ │ │ │ │日本文明の没落 │ 数の神 数の神学     │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ └────────┘ │ └──────────────────────────────────┘ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――  あらかじめ、さらなる器械生命族の罠は、ゲームレベルとして設定されている      「破防法」から「国民総背番号データーベース導入」への、ゲームレベル  上祐 史の父は、国家100年の計を構想していた。 彼はオウム事態を天から降臨した福の助け船だと、国家神道に感謝していた。 「おれは自分自身のアイディンティティでもあり身体でもある、わが公安調査庁機関 を、リストラとイノベーションの波から、防衛し永続させることに勝利したのだ」 上祐 史の父は、霞が関の秋空を見上げながら、声を出さずに笑っていた。  彼は敗戦後の新興宗教こそは、国家貨幣たる「円」の福の神であるべく、 破防法成立という「闇」の力が、生成させた器械生命族の文明であることを、物語る 衝動にかられていたが、国家官僚にとって沈黙と隠蔽こそは金であることを、他の、 誰よりも自覚していた。  :演劇・鏡の国の器械生命族:は、こうして、帝都霞が関の摩天楼を、撮影ヘリコ プターで、回収すると、同時多発として、3月の帝都営団地下鉄・霞が関駅の原光景 を、サブリミナル映像として複写しなくてはならない。10月の意味と3月の意味。  あの廃たれたようなグリーン系統色帝都営団地下鉄職員制服が、ヘリコプター から、霞が関の国家官僚ビル群に、落とされるとき、制服は黒いカラスへと変貌し、 やがて帝都は、墨が侵食するように、赤茶色に染め上がっていく。  全ては自作自演のゲームであるか? 最終映画への誘惑として、鏡の国の器械生命 族は、映画史100年を現実がすでに模倣していることを複写するだろう。赤茶色。                       1995,10,10                  


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