セックス・コミュニケ−ション・インタ−ネット(2) 在野哲学者「lll」スリ−エルさんの考察
lll(スリ−エル) 2001/02/13  
うんうん,chiyuさん,このトピは,上にあることだけでも存在意義がある珍しいトピといえるでしょう。(笑) 上にあげるだけではなんなので,久しぶりに一発ぶちかましておきましょう。(そんなものいらんという皆様のお叱りの声ががんがん響いているのですが,僕の日記と理解してください。   インターネットで出会いを求めるということは,二種類の人種を考えることができるでしょう。 ひとつには,インターネットをまったくの道具として利用している人。そのような人種は, 現実の生活世界の中でも,しっかりとした足場を築いており,人との出会いの中で充実感も感じていて,ふとマスコミでインターネットというものが取り上げられていて,そこでも情報を利用すれば,もっと自分の生活が豊かになると思ってこの世界に入ってきます。   このような人は,インターネットに支配されるということはありません。インターネットを利用するのは目的があるときのみに限られます。インターネットで出会いがあれば,すぐにオフ会を開催して,楽しく人の輪を広げていき,一度出会えればインターネットの価値は暴落します。オフ会のほうが中心になり,インターネットはその間つなぎの役割を果たすのみになります。   一方,もうひとつの人種にとっては,現実の生活がいまいちぱっとしません。(僕もそんなところがけっこうあると感じますね・・・(・・,)グスン) 周囲の人とも世間並みの付き合いはしますが,心から触れ合うような深い付き合いが乏しいと感じています。あるいは,世間並みの付き合いすらできてない人もいるでしょう。(大丈夫か〜〜!(;゜〇゜)) そのような人種がインターネットの世界と出会えると,世界が変わるんですよね。現実の生活世界では,他人に何か意見を言われても萎縮してしまう人でも,インターネットなら,反応が遅れても,「PCの調子がいまいちでさあ!」と言い訳ができます。自分にとてつもないコンプレックスがあっても,それが相手に伝わることはめったにありません。   コンプレックス!おお〜,コンプレックス! COMPLEX!! 恐ろしい言葉ですね!   ある人は短足(ほっとけ〜〜!うちの母親はもっと短足じゃ〜!),ある人はハゲ(ハゲの人ごめんなさい・・・抜け毛の量に一喜一憂しますよね!),ある人は肥満(体重計だけは見せないでくれ〜〜!),ある人は顔(俺の目はどこにあるのじゃ〜〜!)こういうのは外見的コンプレックスですね。   ある人は,引っ込み思案((”;)オドオド・・・),ある人は陰険(ああ,また人を傷つけてしまった・・・),ある人は皮肉屋(ひっひっひ,それってあんた○×じゃないの〜!こわ〜!),ある人は蛍光灯(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何言ったらいいかわからない・・・・),などなど,こういうのは対人的コンプレックスですね。   そんなコンプレックスを,相手に悟られずにお話ができて,相手も話し相手になってくれます。急に生き生きとしてきます。自分にも反応してくれる人がいる,自分はひとりじゃない・・・,自分は孤独じゃない,今まで自分を馬鹿にしたやつらを見返せる・・・,というわけで,いままで生活世界の中で萎縮していた自我が,徐々にインターネットという世界の中で肥大し始め,大きくなあれ,大きくなあれという昔話よろしく,日本中,いや世界中にまで広がった巨大な自我という存在が自分の中で感じられるようになります。   この,コンプレックスを秘密に隠した上での肥大した巨大自我という問題を,インターネットは内包しているように思うのです。   インターネットをしている時は,どんな情報も手の内で操れる万能の存在へと肥大し,生活世界へ戻ったときには,何事に対しても自信のない萎縮した存在へと縮小する,この伸縮自在の自我のあり方というのは,これからのインターネット時代特有の,現代人の自我のあり方につながるのではないでしょうか?   おそらく,ここまで極端な人はまれでしょうし,この2種類の人種という考え方は,ひとつの思考実験であり,どのような人もどちらの人種も持っていると思われます。   しかし,逆に言えば,どのような人も,インターネットに手を染めた瞬間に,この伸縮自在の自我のあり方に開かれ始めるのです。   近頃みんな孤独を怖がっていますよね!あるいは,孤独など怖くないといきがる自分自身の奥底にある孤独への恐怖です。一人ぼっち,淋しさ,寂しさ,世界の中でたった一人,誰のことも真に信頼することができない,これらの感情は,僕も含めて比較的多くの人が感じていることでしょう。そして,その孤独を癒すことができるという幻想を与えてくれるのがインターネットなのです。   本当は孤独という病気につける薬はないのに・・・孤独とは,不治の病・・・だからこそ人は信頼しあえる人を求めて目的地に到達することのない旅に出発します。その旅は,到達することなく,途中の出会いこそが大切な印となり,人の人生の碑文に刻み込まれます。そして,それが人生となります。人生とは,出会いそうで出会い損なった人々の思い出で埋められていく・・・でも,その碑文こそが人々の心を強く打ちます!   自分が世間的に見ればどんなに少数派でも,かならず仲間を見つけられるのがインターネットのよさです。(エッセー1参照)自分が世間の中でかなり特異な人間であるということを忘れさせてくれます。この多様な価値の世界で,ひとつの価値の存在を見つけることによって救われることは多いですし,それはすばらしいことです。   しかし,そのあとで,生活世界へと戻り,自分にとって大切な価値が価値を貶められ,バカにされる世界を否定しきることなく,自分の特異性を認め,自分の限界を認め,その中で,自分に与えられたものを,控えめに喜び,かけがえのない自分というものを掴み取ることができて,初めて身の丈にあった人生が送れるのかなあと思います。   生活世界⇔インターネット世界   この往復運動が人類に何をもたらすのでしょうか?伸縮自在の自我は,私たちの体験の質をどのように変えるのでしょうか?? そんなことを考えてみました! それじゃ,また! (^−^)ノ~~マタネー☆’.・.・:★’.・.・:☆’.・.・:★