
Carrie

(2005.3.18 update)
シシー・スペイセク(キャリー・ホワイト)
パイパー・ローリー(マーガレット・ホワイト)
エイミー・アーヴィング(スー・スネル)
ウィリアム・カット(トミー・ロス)
ベティ・バックリー(ミス・コリンズ)
ナンシー・アレン(クリス・ハーゲンセン)
ジョン・トラヴォルタ(ビリー・ノーラン)
P・J・ソールズ(ノーマ・ワトソン)
プリシラ・ポインター(ミセス・スネル)
シドニー・ラシック(フロム先生)/ステファン・ジラッシュ(モートン副校長)/
マイケル・タルボット(フレディ)/ダグ・コックス(ビーク:The
Beak)/
ハリー・ゴールド(ジョージ)/ノエル・ノース(フリーダ)/
シンディ・デイリー(コーラ)/ディードル・ベースロング(ロンダ)/
アンソン・ドーンズ(アーネスト)/ローリー・スティーヴンス(ケニー)/
エディー・マックラーグ(ヘレン)/キャメロン・デ・パルマ(自転車の少年)
●原作は現代のアメリカン・ブギーマン=
スティーヴン・キングの処女作
「キャリー」の原作者は「シャイニング」「デッド・ゾーン」など、
その著作が数多く映画化されている米国屈指のホラー作家、スティーヴン・キング。
この少説はキングがまだ有名になる前、時給1ドル60セントの
クリーニング店でシーツを洗う仕事の合間に、
うだるような暑さのトレーラーハウスの中で書かれた。
キング曰く "「キャリー」は女性的な感性を盛り込んだ少説"だった。
「当時、僕はずいぶん短編少説を書いていたんだけど、女性を扱った
作品は全くなかったんだ。そこでキャバリエ誌と200ドルで契約し、
クラスメートのしつこいイジメに反撃する少女の話を書こうと思ったんだ。
道義的な勇気とか倫理的な行為について頭を悩ますのは女性だけだからね。」
キャリーのモデルはキングの高校時代の同級生と、彼が高校教師をしていた頃の
教え子で、二人はどちらもイジメられた末に登校拒否になった生徒だった。
キングは追いつめられて恐ろしい行動に出る主人公の少女を、
猟犬に吠えられ、噛みつかれる熊とイメージし、早速執筆に取りかかった。
しかしすぐに問題が起きた。物語の中でキャリーが生理用ナプキンの
使い方を教えられる下りがあるが、キングは(高校で教鞭を取っていたのに)
ナプキンが自販機で売られていることも知らなかったのだ。
女子高校生たちの生活について、自分の無知を悟ったキングは、
この話は書けないと判断。一旦は原稿をゴミ箱に捨てた。
だがそれを読んだキング夫人のタビサは、筆を進めるよう夫を強く説得。
執筆に行き詰まる度に助言をくれたという。
「プロムの出席者を皆殺しにするアイデアもタビーが出してくれたんだ。
ロックバンドのアンプや電気製品を利用したらどう?ってね」
・・・短編少説というのは点火すればそれでおしまい。
ちょうどダイナマイトみたいなものだ。しかし僕は(最初は短編に仕上げる筈だった)
「キャリー」を書いていて、急にもっと導火線を長くしたくなったんだ。
読者にキャリーが追い詰められていく様を見てもらいたくなった。
彼女がしたことは決して邪なことじゃない。復讐ですらないよ。
僕はただ、人が深く傷つけられた時に、外へ向って自分を
爆発させて行く様子を分ってもらいたかったんだ。」
「キャリー」を書いている間じゅう、僕はこんなことばかり考えていた。
・・・これは凄い出来だけど、メインの小さな町の少女を主人公にした
作り話なんか誰も読みたがらないぞ。流行じゃないし、暗いし、絵空事っぽいし。
ところが、初稿が上ったところに「エクソシスト」(73)でオカルトブームが来た。
あとはトントン拍子に話が進んだ、って訳さ。
●少説「キャリー」の出版と、映画化権大売り出し
「キャリー」が出版された当時のハリウッドは、「エクソシスト」(73)の公開を控え、
その対抗馬、あるいは少しでも成功のオコボレにあずかれるようなホラー少説を
血眼になって探していた。もちろん「キャリー」にもいくつかのスタジオが
早くから関心を示した。しかし提示された金額が少なかった為、
キングは「少説がハードカヴァー化され、ベストセラーになれば
映画化権も少しは高くなるかも・・・(笑)」と、返答を暫く保留。
当時のキングは妻のタビサ、2人の子供と一緒にメイン州バンゴアに移住、
教職についていたが、まだまだ作家としては無名で、「キャリー」の
初版ペイパーバックには(何と)キングの著者名すら入っておらず、
単に青い背景をバックに黒髪を風になびかせた少女の横顔だけが
描かれていた。このペイパーバックは、その時点で130万部売れていたが、
映画の封切り後は天井知らずのセールスとなり、
最終的には4百万部も売れたらしい。
さて、待望のハードカヴァー版「キャリー」は74年の4月に出版されたが、
キングが予想した程の売れ行きにはならなかった(キング曰く、ハードカヴァー初の
ベストセラーは「シャイニング」だったとか)。こうして右余曲折の末、
「キャリー」の映画化権は、めでたく?同年の8月に買い取られる運びとなった。

「(「キャリー」の出版元である)ダブルデイ社の著作権部の人間が、
映画化権を買いたいという人を3人連れてきた。
僕はポール・モナシュが一番いいと思った。
金額は申し分なかったよ(映画化権取得予算は軽く40万ドルにも
達したとされる)。監督は誰が良いかと聞かれたんで、
ブライアン・デ・パルマはどうかと答えたんだ。彼の撮った
「悪魔のシスター」(72)がべらぼうに怖かったからね。ま、結局、
映画会社の連中はこちらと知り合おうともしなかったが。」とはキングの弁。
余談になるが、キングは自分の著作を読んでいる人に初めて会った時の
ちょっと面白いエピソードを次のように語っている。
"あれは「キャリー」のペーパーバックが出た直後、コロラドからNYへ向かう
飛行機の中だった。僕は飛行機が苦手でね、2、3杯のジントニックを引っかけて
さっさと酔っぱらってしまったんだ。すると機内に5千部しか出ていない
(レアな)ハードカヴァー版「キャリー」を読んでいるご婦人がいたんだよ。
そこで僕はトイレに行った帰りに彼女にこう話かけたんだ。「その本、面白いですか?」
すると相手はこう答えた。「最低ね、クズよ」
そこで僕は「そうですか、じゃあ僕は読まないことにしよう」と返答し、
そそくさと自分のシートに戻ったんだ。"
●オカルトブームの到来と、ブライアン・デ・パルマ登場
「キャリー」の映画化スタート!
「悪魔のシスター」(72)「ファントム・オブ・パラダイス」(74)と
怪奇色の強い話題作を連打していた(が、イマイチ興業的な評価を
得られなかった)気鋭の若手映画作家、ブライアン・デ・パルマは
ちょうどこの頃、友達である作家の薦めで、新人作家スティーヴン・キングの
ハードカヴァー本「キャリー」を読んでいた。デ・パルマは
メアリー・ヒギンズ・クラーク原作の「子供たちはどこにいる」を
監督するオファーを受けていたが、結局この企画は(幸運にも)実現しなかった。
「キャリー」に興味を持ったデ・パルマは、エージェントを通じて
映画化権がどうなっているのかを調査。すると、
この作品はいくつかのスタジオで映画化が検討されているものの、
まだ結定には致っていないことが判った(権利を買ったポール・モナシュは
企画をパラマントに持ち込んだが断わられ、ワーナーブラザーズからも
良い返事がもらえず、数社めとなるユナイテッド・アーティスツで、
ようやく製作が実現しようとしていた)。
「ファントム・オブ・パラダイス」(74)のプロデューサーであった
ジョージ・リットと契約を交わしていたデ・パルマは、
独自のリサーチから1年後、映画化を取得したユナイテッド・アーティスツの
製作担当者であるマイク・メタヴォイから「キャリー」の監督依頼を受ける。
実はメタヴォイのパートナーが他ならぬポール・モナシュで、
デ・パルマに特別な思い入れはなかったモナシュは、メタヴォイから
「キャリー」にはデ・パルマの起用が絶対であることを力説され、
デ・パルマに演出を任せての映画化に(遂に?)ゴーサインを出したのだ。
(原作を読んだデ・パルマが映画化権を持っていたポール・モナシュに
コンタクトを取ると、モナシュが既にジョージ・リットに
「キャリー」をデ・パルマに任せるよう指示していたことを知った、
とする資料(デ・パーマ・カット)もある。この辺の事情はイマイチはっきりしない。)
●キャスト選びと困難続きの撮影
「キャリー」のキャスト・オーディションが、ジョージ・ルーカスの
「スター・ウォーズ」と共にLAで行なわれたのは、今さら語る必要もない有名な話だが、
デ・パルマは当初、主役のキャリーに「心に訴える演技が出来る」という理由で
まだ無名のキャリー・フィッシャーを考えていた(実際、彼女はキャリー役で
このオーディションを受けたが、結果的にはレイア姫役に抜擢された。
一方、ルーカスはレイア姫役として、まだ映画には出演したこともなく、
舞台の「ロミオとジュリエット」に立った経験しかない無名女優
エイミー・アーヴィングを考えていた。同じくまだキャリアの浅い若手俳優だった
ウィリアム・カットにも(ルーク・スカイウォーカー役で?)注目していたが、
結局この二人は「キャリー」で学園の人気者カップルを演じることになった。

デ・パルマも注目してた個性派キャリー・フィッシャー
原作を読んでキャリー役を熱望していたシシー・スペイセクは、
夫ジャック・フィスクと共に「ファントム・オブ・パラダイス」(74)で
セットデコレイターとして働いた経験があった。「ペイトン・プレイス物語」で
ライアン・オニールとミア・ファーロゥをデビューさせた実積を持つ
プロデューサー、ポール・モナシュも「地獄の逃避行」を見て
シシーの資質を高く買っていた。だがデ・パルマは彼女をキャリー役より
(ナンシー・アレンが演じた)悪役=クリス・ハーゲンソンの方に適役だと考えていた。
当時CMの仕事を受けていたシシーは、「キャリー」とどちらを優先させるか
デ・パルマに相談するも、「CMをやりなよ」とそっけなく答えられ激怒したそうだ。
また、デ・パルマから個人的にキャスティング・セッションに誘われていた
彼女は、キャリーそのままに髪にワセリン、着古したセーラー服を身につけて
会場に出かけたが、そこはキャトル・コール(端役候補者の群れ)の
たまり場だった。遠慮のない視線を浴びせられたシシーは、
キャリーさながらの惨めな気分を味わったという。

オーディションには若きメラニー・グリフィスも参加。
その場で知らない男の子と「キスしろ」というデ・パルマの応対にムカついて、
即会場を後にしたとか。ヒッチコックの「鳥」「マーニー」で
ヒロインを張った女優のティッピ・ヘドレンを母に持つ彼女が
採用される可能性は結構あったんじゃないかと思うのだが・・・
映画に参加することになったブレイク直前の若手スターたちは、
撮影が始まるまでに役柄を取り替えながら何度も脚本の読み合わせをし、
連帯感を高めていった(キャリー役のスペイセクは極力この仲間には
加わらないようにしていたようだが)。・・・もしかしたら自分がやりたい役を
与えられるチャンスがあるかもしれない・・・。この微妙な状況は
彼らそれぞれの心に密かなライバル心を呼び起こした。
冒頭にあるシャワーシーンでは裸になることを嫌がる女優も多かったが、
デ・パルマはシシー・スペイセクのヌードを先に撮り、
そのラッシュを皆に見せることで、俳優たちの奮気を巧みに煽った。
デ・パルマは後にピーター・ストラウヴの「ゴースト・ストーリー」(81)を
脚色した脚本家のローレンス・D・コーヘンと共に、
("キャリー・ホワイト"事件を目撃者の証言や新聞記事などの
モンタージュを交えて浮かびあがらせる「羅生門」的な手法を用いた)
キングの原作を、メイン・ストーリーの展開に焦点を絞って改稿。
1976年の初め、ユナイテッド・アーティスツの製作、
160万ドルの予算(最終的には180万ドルが費やされた)と
50日間の撮影期間で「キャリー」の撮影をスタートさせた。
「キャリー」のプロダクション・デザインを担当したのは
シシー・スペイセクの夫でもあるジャック・フィスクと、
「ファントム・オブ・パラダイス」(74)でもデ・パルマと組んだ
特珠効果のグレゴリー・M・オーアーだった。
オーアーはデ・パルマが黒澤映画からアイデアを得て考えたという
パイパー・ローリーに刺さる包丁(透明なワイヤーをバスローヴに結び、
そこに刃物を取りつけてローリーの体に取りつけた木片に突き刺さるように
撮影した)のシーンを手がけたほか、クライマックスのプロムで
キャリーとトミーがダンスし、不思議な幸福感を体験する場面
(トミーの脳裏にその女の名が。キャリーキャリーキャリー)を、モーターで
回転する台に二人を乗せ、カメラを逆に回転させて撮影するなど、
デ・パルマ独自のヴィジュアルを具現化するのに一役買った。

「・・・特珠効果は盲信みたいだ。相手にどうしてほしいのか伝え、
後は現場に担当者がやって来るまでに、彼がその方法を思いついて
くれるよう神に祈るようなものだから」と撮影セットで語ったデ・パルマ。
確かに特珠効果が上手くいかない場面もあった。本来の脚本では
映画のラストはキャリーが巨石の雨を降らせて自分の家を破壊する
シーンになるはずだった。美術担当のジャック・フィスクは
(助手を務めたのは後に役者として成功したビル・パクストンで、
彼はいつもロケ地探しのため8ミリを抱えてあちこちを歩き回っていたという。
劇中に登場する養豚場も彼がLAのダウンタウンで見つけて来た場所だとか)
かつて自分が住んでいた「父と子と聖霊の家」と呼ばれる
三部屋を積み重さねたような奇妙な家屋をイメージして、
ロケに使える家を探してLA中を走りまわり、遂にサンタポーラで
不思議なバランスの家を発見。これがホワイト家として登場することになった。
予算も時間もなかったので、フィスクはこの家の1/2サイズのミニチュアを製作。
問題のシーンの撮影は夜通し行なわれたが、なかなか思った通りの映像が撮れない。
石を運ぶベルトも壊れ、夜明けが近づき、荷立ったデ・パルマは
その場で家を燃やすことを决断。こうして(家の中では天井から石が降ってくる
ショットがあるのに)キャリーの家は炎に包まれて焼け落ちることになった。
同様にシシー・スペイセク演じる幼いキャリーが、隣家の娘と話しているところを
母親にとがめられ、超能力で砂利の雨を降らせるシーンも
石が水のようにしか見えず、ファイナルカットから削除された。
(詳細は良く分らないが)「キャリー」の撮影半ばで亡なった
カメラマンに代わって、登板したのが「この生命誰のもの?」のマリオ・トッシ。
トッシはホワイト家のシーンを宗教的な色合いを強く出したルックに仕上げている。
またデ・パルマは「愛のメモリー」(74)に続いて、
バーナード・ハーマンに音楽を依頼するつもりだったが、
彼が他界したので、イタリアのピノ・ドナジオが代打を任せた。
ドナジオはハーマンの「サイコ」(60)からバイオリンの音を抜き出し、
キャリーの感情が爆発するシーンで用いている。
●デ・パルマ・スタイル
撮影前にアパートの部屋で全カットをコンテに描き起こし、スタイルを練りに練った
デ・パルマは、擬ったカメラワークを多用。その編集作業には6週間が費やされた。
クライマックスで描かれるプロムの惨劇は、ドリーやクレーンを使って撮った
長回しやスローモーションなど、様ざまなカットを積み重ねた力作だが、
デ・パルマの頭を最も悩ませたのは、画面を分割する
スプリット・スクリーンを用いた下りだった。
「キャリーと動いている物とでいちいちカットを変えていたらどうなると思う?
それじゃやり過ぎだし、手法も古臭い。だから画面を分けたんだ。
カットは自分で組合わせたが6週間もかかった。うまく合わせる為に
150回も試行作誤をくり返した。それで全部まとめたのが
およそ5分ぶんの尺になったんだが、今度はちょっと複雑すぎて、
普通に描いた場合と比べると衝撃も弱くなってしまってね。
で、エディターと二人で絶対に必用なショット以外は元に戻すことにしたんだ。
「キャリー」でのスプリットスクリーンは失敗だったと思ってる。
2つのことが同時進行することでアクションがウソっぽくなり、
エネルギーが伝わってこない(面白いのはデ・パルマはこの場面を
「力を操ることを知った」キャリーの復讐だと述べている点。
確か原作では無意識に力が解き放たれた結果、みたいな記述になっていたはず)。
今でもこの映画を見るといろいろ反省するところも多いよ。」

このプロムの場面ではカリフォルニアのハモサビーチに実在する
ピアーアヴェニュー高校の体育舘を基に、カルバーシティ・スタジオの
サウンドステージ上に撮影用セットを建設。全てが炎に包まれるシーンでは、
カロシロップと食紅で出来た血糊で全身血まみれになった
主演のシシー・スペイセクを、3メートルはある業火の中に
「もうこれ以上耐えられない」というところ(約4メートル?)まで立たせた。
デ・パルマの演出に心酔していた彼女はこう語っている。
「私はキャリーになり切っていたの。炎だって私を傷つけられないと
思うほどにね。眉毛がチリチリ音を立てるまで演技してたわ」

バラは赤、スミレは青、砂糖は甘い。
それでもキャリー・ホワイトはウンコを食べる。
(TVオンエアでカットされた場面)
●「キャリー」の公開と、その余波
1976年11月3日に封切られ、予算のかかった「オーメン」「家」などの
大作ホラーがひしめくなか、無名の原作者、無名のキャスト揃いの
「キャリー」は思いもよらぬスマッシュ・ヒットを記録する。
・・・原作者のスティーヴン・キングは語る。
「僕が「キャリー」を見たのはハロウィンの一週間半ほど前だった。
これが最初の映画化作品だったから、(どんな物になるのか)
とてもスリルがあったけど、出かけた劇場はなんと黒人でいっぱい。
初潮に悩む白人少女の話なんて、絶対にコキおろされるだろうと
思ったんだけど、彼らは次第にエキサイトしてきてね。
クライマックスでは大騒ぎさ。「キャリー」の仕上りは抜群だった。
僕のイメージ通りにできていた。これはヒットすると判ったね。」
キングは自分の少説よりも映画の方が、ド肝を抜く伝説の
ビックリエンディングを含めて(これはデ・パルマがジョン・ブアマンの
「脱出」を見て思いついたシーンだったが・・・)
スタイルを持った作品である事を認めている。

水面からニューッと手が出てくるブアマンの「脱出」(左)。
くにゃっと変な形に手が曲った死体(右)も凄絶。
また、キングは別の資料(インタビュー集「悪夢の種子」)でこんな風にも語っている。
「・・・実は「キャリー」を初めて見た試写室というのは、その5年前、
学生時代に行ったことのある場所だったんだ。そこではユナイテッド・アーティスツが
駄作の上映会を開いて、学生批評家を集めて少しばかりの金を渡し、
好意的な評を書かせようとしていた。そんな訳で僕はポルノショップに挟まれた
ブロードウェイの映画舘に座って「歴史は繰り返す。二度あることは三度あるとも言うしな。
こりゃ完全な駄作に違いない・・・」って身構えていたんだ。
ところが、デ・パルマの「キャリー」は実に素晴らしい映像化だった。
僕はこの処女作(キャリー)が好きなんだ。若者についての少説だからね。
「キャリー」の草稿を書き上げたとき、僕は22歳ぐらいだった。
当時はまじめで、自分自身も作品の主題にかなり近い位置にいたと思う。
この少説が、読み始めたら止められないほど面白いと自負している
(同時に稚拙でぎこちない部分があることを誰よりも分っている)けど、
内容にはちょっと悲劇的なところがあるんだ。映画にはそれがない。
デ・パルマは素材を手際良く、芸術的に料理していたけどね。
それとキャリー役のシシー・スペイセクの演技が良かった。
彼女が主役を演じると発表された時、多くの人から
これはミスキャストだと思わないか?と尋ねられた。
少説のなかのキャリーは肥満児でノッペリした醜い丸顔、という
設定だからね。でも僕はいつもは醜く見える彼女がプロムの時に
素敵に見えてくれれば、あとは外見がどうだろうと気にならなかった。
茶色の髪だろうと赤毛だろうと、何でも良かったんだ。
その心情についてはしっかりしたイメージを持っていたけどね。
多くの点で映画の方が原作よりもスマートだった。
それに映画が終わったと思って席を立ちかけた客の心臓をつかむことに成功している。
映画は活字では動かせない感情のある部分に働きかけることができるからね。」
最終的に「キャリー」は製作費の15倍もの収益を挙げ、
誰もが予想しなかった大ヒットとなった。
それどころか、主演のシシー・スペイセク(実際の授賞者は
「ネットワーク」のフェイ・ダナウェイ)と助演の
パイパー・ローリー(こちらも授賞したのは「ネットワーク」の
ベアトリス・ストレイト)がアカデミー賞ノミネートされ、
今までに例のないホラー映画からのオスカー候補に話題が集まった。
こうして営業・批評面共に成功を収めた「キャリー」の評判は
公開時よりも高まったが、デ・パルマは映画をハロウィンの
ポップコーン・ムーヴィーとして封切った
ユナイテッド・アーティスツの配給に不満を抱いていた。
「キャリー」は大人の観客の視聴に耐えうるシリアスな作品であり、
「エクソシスト」が巻き起こしたような社会現象となることを
(恐らく本気で)期待していたのだ。デ・パルマは映画がもたらした収益についても、
スティーヴン・スピルバーグの「ジョーズ」に比べて
"がっかりした"と漏らしている。
デ・パルマは次作「フューリー」に希望を託す。
この映画で自分の名前はルーカスやスピルバーグと並ぶかもしれない。
そして、もしかしたら、追い越すかも・・・(ローラン・ブーズロウ著/
今野センセ翻訳の「ディ・パーマ・カット」より。ここの下り、サイコー)。
そんなデ・パルマ氏も、さすがに最近のインタビューでは
「ルーカスやスピルバーグ、スコセッシらと同じ映画界で仕事を続けられたのは
「キャリー」のおかげだ。これが後世に残る映画になるとはとは
夢にも思わなかったよ」なんて殊勝なことをおっしゃってましたが。笑
actors
Sissy Spacek as Carrie |
シシー・スペイセク |
|
1949年12月25日、クリスマスの日、テキサス州ダラスの北東 90マイル(150キロ)にある小さな町クイットマンで生まれる。 洗礼名はメリー・エリザベスだったが、兄が口にしていた シシーという愛称がそのまま呼び名になった。 父は州の農業指導者。 映画のキャリー役とは反対に、幼い頃から活発な女の子で、 近場の森を遊び場に、木登りや水泳などに明け暮れて過ごす。 クイットマン高校時代はチアガール、バンドのドラマー、 校内新聞の記者などを経験。小さな頃からたしなんだ 乗馬の腕は学校一だったという。人気者のシシーはこの時期に (やはり映画と反対に)ホームカミングクイーンの座を射止めている。 |
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1967年、シシーが高校生の頃、兄のロビーが僅か 18歳で白血病で死去。この一件で、彼女は 限りある人生の4年間を無駄にするまいと決意。 大学に進学する道を拒み、高校を出ると理解ある 両親の応援を得て、声楽家を目指してNYへ向かう。 従兄である俳優のリップ・トーン夫妻の家に同居しながら、 グリニッジ・ヴィレッジにあるコーヒーショップで歌を唄い、 CMなどにも楽曲を寄せるが結局、歌手の夢は挫折。 だが写真モデルの仕事がつき、名優リー・ストラスバーグの 下で演技のスキルを学ぶ機会を得る。 映画デビューはアンディ・ウォホール一派の 「トラッシュ」(70)で、バーにたむろする女の子役での エキストラ出演。次いでリー・マービン主演の 「ブラック・エース」(72)で麻薬漬けの少女を演じ、 「ハンチントン家の娘たち」(73)に出演した後、 テレンス・マリック監督の「地獄の逃避行」(73)で 連続殺人に手を染める15歳の少女に扮し、 その不思議な存在感を絶賛される。 「地獄の逃避行」の現場で知り合った美術監督 (後に監督となる)ジャック・フィスクと74年にゴールイン。 「キャリー」(76)では惜しくもアカデミー主演女優賞を逃した シシーだったが、ロバート・アルトマンの「三人の女」(77)で 鬼気迫る怪演を見せ、実在のカントリー歌手に扮した 「歌えロレッタ!愛のために」(80)で見事、 オスカー女優となった。 趣味は作曲、ギターの弾き語り、乗馬など。 身長1m 57cm(ちっちゃーい)。 現在は北ヴァージニアの広大な農場に、夫ジャックと (女優となった)2人の娘シュイラー、 マディソンらと共に暮らしている。 |
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「キャリー」撮影当時に27歳だった、シシー・スペイセク。 オリジナル脚本では少女時代のキャリーが、小説通りに 隣家の日光浴する女性(バビロンの淫売女:笑)と喋ったことで 母親から虐待を受け、自分の身を守る為に 反射的に超能力を発揮するプロローグ的な場面があり、 実際に撮影もされたものの 諸事情(詳しくはDVDでチェック)あって、 結果的にボツになったのが左シーン。
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●シシー・ファン必見のTVドラマ
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●「キャリー」そのまんまのルックスで登場する |
Amy Irving as Sue Snell |
エイミー・アーヴィング |
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パイパー・ローリー Piper Laurie
1932年1月22日、ミシガン州デトロイト出身。
本名はロレッタ・ジェイコブスで、父はポーランドからの移民で
家具ディーラー、母はロシア系アメリカ人だった。
6歳で一家はカリフォルニアに移住。当時の彼女は赤毛の美少女だったが
極度の内気だったので、両親は演技を学ぶことを薦めた。
やがて高校時代にユニヴァーサルから声がかかり、17歳で銀幕デビュー。
パイパー・ローリーの芸名をつけられ、トニー・カーティスや
ロック・ハドソン、ロナルド・レーガン、ロリー・カルホーンら、
若手スターの相手役である、愛らしいお姫様女優として売り出す。
だが、タイプキャストを嫌った彼女(このままハリウッドにいたら
自殺するか、誰かに殺してもらっていた筈、と後にコメントした)は
NYに向かい、TVの仕事を受けながらアクターズ・スタジオで
本格的な演技を身につけ、その成果か「ハスラー」(61)では
アカデミー助演賞候補となる快演を披露。
同年、NYヘラルド・トリビュート誌で記者をしていた
ジョー・モーゲンステーンと知り合い、9カ月後にはゴールイン。
一時期ショウビズ界を離れ、71年に生まれた一人娘のアン・グレースを
育てるべく家庭に入る。ハリウッドを離れNYに居を構えていた彼女だったが、
ユナイテッド・アーティスツで働く隣人(かつてのエージェント?)を通して
「キャリー」の映画化は知っていた。ローリーに惚れ込んだデ・パルマは
ポール・モナシュを通じて彼女を口どき落としにかかったが、
脚本を読んだローリーは「新味がない」と一蹴。
ところが夫君から「デ・パルマの作品には皮肉な笑いがある」と
言われてシナリオを読み返し、そこにサタイアを見出して出演をOKした。
ローリーは役の扮装でオーディションに現れ、
デ・パルマは即座に自分の選択が正しかったことを知った。
現場でも狂信的な母親に徹した彼女は(脚本にあった「ドレスは赤ね」
というセリフを実際にはドレスがピンクであるにも関わらず、
そのまま喋ったり、あまりに長いということでカットされそうになった
ホワイト家の家族関係を説明するセリフをリハーサルなしの本番一発撮りで
演じたりと)時にデ・パルマさえとまどわせたが、神と一体化する
異様なエクスタシーを表現した死に様を含め、その凄まじい熱演
(スペイセクはローリーとのぶつかり合いでヘレン・ケラーを
イメージしたという)は、誰もが納得する名演技だった。
これでスクリーン復帰を果たした彼女は二度目のアカデミー助演賞
候補に名を連ねる(が受賞はできず)。81年に夫と離婚、
南カリフォルニアに移ったパイパーは、順調に映画への出演を重ね、
「愛は静けさの中に」(86)で三たび助演賞にノミネートされた。
89年から始まったTVシリーズ「ツイン・ピークス」以後は
ホラー作品への出演も多くなり、「トラウマ/鮮血の叫び」(92)
「パラサイト」(98)「エクソシスト/トゥルー・ストーリー」(00)などに
顔を出している。身長1m 64cm。

ウィリアム・カット William Katt
1951年2月16日、ロサンジェルスで誕生。
父は俳優のビル・ウィリアムズ、母も女優のバーバラ・ヘイル。
兄のジョディ(47生まれ)と妹ジャニータ(53生まれ)も俳優という
芸能一家で育つ。幼い頃は作曲家を志し、大学では作曲科を専攻。
ところがカリフォルニアの地方劇団でアルバイトの照明係をしていた時に
舞台に上げられたことで演劇熱に取りつかれ、劇団で下積み生活を送る。
「Shadow Box」「Small Craft Warning」などの人気舞台で
評判を取った後、TVに出演。映画にはビル・カットのクレジットで
「Night Chase」(70)「The Late Liz」(71)などに顔を出す。
「キャリー」(76)に次いで、「ファースト・ラブ」(77)
「ビッグ・ウェンズデー」(78)「新・明日に向って撃て」(79)と出演し、
名実共に若手スターとしての地位を固める。
81年に主演したTVシリーズ「アメリカン・ヒーロー」が日本でも大ヒット。
おとぼけスーパー・ヒーロー役で人気を博す。

ナチュラルな個性が魅力の王子様、W・カット
その後は「恐竜伝説ベイビー」(83)「ガバリン」(86)「ガバリン3」(92)
「サイボーグ3」(94)「ピラニア/殺戮生命体」(95)などに出演する一方で、
和製アニメ「3x3 Eyes: Legend of the Divine Demon」(95)の声優も担当。
また演出業にも進出し、脚本も兼任して「Clean
and Narrow」(99)を製作。
現在は監督作「Molding Clay」(05)がポストプロダクション中。
「ハードキャンディ」(99)でP・J・ソールズと一緒に
殺される女子高生の両親役としてカメオ出演し、話題になった。

でも裸にマフラーはどうか、と・・・


ジョン・トラヴォルタ John Travolta
1954年2月18日、ニュージャージー州のイングルウッド生まれ。
イタリア系の父、アイルランド系の母のもと、6人姉弟の末っ子として誕生。
演技コーチをしていた母の影響で5歳の頃からタップ・ダンスを習い、
舞台で役者としての経験を積む。16歳で高校を中退すると、
NYのオフ・ブロードウェイやTVなどに出演。
個性派俳優が共演したオカルト作品「魔鬼雨」(75)の端役で映画デビュー、
「キャリー」(76)「プラスチックの中の青春」(76)に出演した後、
クラビング狂いの若者に扮した「サタデー・ナイト・フィーバー」(77)の
大ヒットで一躍大スターの仲間入りを果たす。だが人気に実力がついていかず、
「年上の女」(78)「グリース」(78)と出演を重ね、現代的な暗さを秘めた
青年に扮した「アーバン・カウボーイ」(80)「ミッドナイトクロス」(81)で
イメージの転向を図るが、「ステイン・アライブ」(83)以降は低迷。
「ベイビー・トーク」(89)のヒットで息を吹き返し、
「パルプ・フィクション」(94)で第一線のスターに返り咲いた。

私生活を地で行く内容で話題になった「年上の女」
私生活では「プラスチックの中の青春」で共演した年上女優、
ダイアナ・ハイランドとのロマンスが伝えられたが、彼女の病死する
悲劇に見舞われた。91年に女優のケリー・プレストンと結婚。
一男一女をもうけた。兄のジョーイも俳優。
ナンシー・アレン/Nancy
Allen


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「キャリー」で共演、ナンシーのお友達でもある
P・J・ソールズ/P.J.Soles
についてはココ。


ベティ・バックリー/Betty Buckley
1947年7月3日、テキサス州フォートワース生まれ。
本名はベティ・リン・バックリー。
テキサス・クリスチャン大学を卒業後、
ブロードウェイ女優としてキャリアを積み、
83年に「キャッツ」でトニー賞の最優秀主演女優賞を受賞。
また早くから映画出演にも意欲を見せ、オーディションに挑戦。
「ファントム・オブ・パラダイス」(73)の出演者選考の際に
ブライアン・デ・パルマと知り合い、「愛のメモリー」(74)で
端役のアフレコを担当。「キャリー」(76)で映画デビューを果たす。
また、映画のなかでキャリーをバカにする自転車の少年
(デ・パルマの甥であるキャメロン・デ・パルマが演じる)のセリフも
アテている(イマイチ活舌の悪いキャメロン君の生声は予告編で聞ける)。

その後はハリソン・フォードの妻役を演じた「フランティック」(88)の他、
「私の中のもうひとりの私」(89)「ワイアット・アープ」(94)
「バニラ・フォグ」(99)などの作品に出演。
後に「キャリー」が舞台化された際(中身は大ブーイングだったが)には、
母親マーガレット・ホワイトを演じた。私生活では、
72年にピーター・フラッドと結婚。79年に離婚している。
プリシラ・ポインター Priscilla
Pointer
1924年5月18日、NY生まれ。「欲望という名の電車」などの
ブロードウェイ舞台で経験を重み、元俳優で舞台の演出家だった
ジュールス・アーヴィングと47年に結婚、
エイミー、デヴィッド、ケイティーの3児をもうける。
70年代からテレビ、映画にも顔を出すようになり、本作の後も
「ミスターグッドバーを探して」(77)「コンペティション」(80)
「トワイライト・ゾーン」(83)「ブルーベルベット」(86)
「エルム街の悪夢3/惨劇の舘」(87)などに出演。
夫ジュールスが79年7月28日に心臓発作で死去した後は、
「エクソシスト」(73)「XYZマーダーズ」(85)「マンドロイド」(93)
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(02)などに出ていた俳優の
ロバート・シモンズと81年にゴールイン、現在もその関係は続いているもよう。
シモンズとは(息子のデヴィッドと共に)「C.H.U.D.
II」(89)
「Rumpelstiltskin」(87)など共演しているので、その辺が縁になったのかも。

シドニー・ラシック Sydney Lassick
1922年7月23日、イリノイ州シカゴ生まれ。
50年代から俳優活動を始め、名バイプレイヤーとして活躍。
「1941」(79)のセールスマン、「アリゲーター」(80)の
ペットショップ店主、「恐怖のいけにえ」(81)の性的異常者など、
クセのある役柄を得意とし、その独特な存在感で画面に妙味を加えた。
他の主な出演作品は「ラットボーイ」(86)
「ブラッドバイター」(88)「汚れなき瞳のなかに」(88)
「天使にラブソングを2」(93)「マン・オン・ザ・ムーン」(99)など。
2003年4月12日、糖尿病のためにLAで死去。遺作は「Vice」(00)。

ステファン・ジラッシュ Stefan
Gierasch
キャリー・ホワイトをキャシー・ライトと間違える副校長センセを演じる彼は
1926年2月5日、NY出身。50年代から映画で活躍するバイプレイヤーで、
「悪魔の狂暴パニック」(76)の刑事や、「血に飢えた白い砂浜」(81)のドクター役で
ご記憶の方もいらっしゃるかも。他には「チャンプ」(79)「パーフェクト」(85)
「ジュニア」(94)などに顔を出している。

マイケル・タルボット Michael Talbott
PJ扮するノーマの彼氏で、ビリーの悪友であるフレディ。
体はデカいが豚殺しをためらったりと、意外と小心者?なこのキャラを好演するのは
1955年2月2日、アイオワ州ウェイヴァリー生まれのM・タルボット。
テレビの「Blood Sport」(73)「Unwed Father」(74)に出演後、
ロジャー・コーマン製作の「ビッグ・バッド・ママ」(74)で
シェリフの息子役を演じる。ケイ・レンツが超能力ギャルに扮した
TV用ホラー「The Initiation of Sarah」(78)では
「キャリー」(76)と同じフレディーという名前の役を演じ、
同年の「ビッグ・ウェンズデー」(78)ではウィリアム・カットと共演。
そういえばケイ・レンツは「ガバリン」でW・カットの別れた
奥さん役だったっけ。世間って狭ーい。
他に「僕は殺していない(TV)」(78)「フーリング」(80)
「ユーズド・カー」(80)「ランボー」(82)「SPACE/宇宙への旅立ち(TV)」(85)
「刑事グラハム/凍りついた欲望」(86)「マイルズ・フロム・ホーム」(88)
「タイム・トゥ・ダイ/闇の処刑人(V)」(91)「デモリション・デイ(V)」(95)
などの出演作があるが、警官や刑事の役が多いもよう。
ビル・キャンベル主演のSFコメディ「Out There」(95)でPJと共演している。
人気TVシリーズ「特捜刑事マイアミ・バイス」(84)の
コメディリリーフだったデブ刑事、スタンリー・スワイテク役で
ご記憶の方も多いかも。77年に「The Reunion」を演出している。

エディー・マックラーグ Edie McClurg
クラスにひとりはいる太っちょ娘ヘレン。
こういう子もイジメられそうだが、明るいキャラ(おばさんキャラ)で
ちゃっかりイジメる側に回ってる辺りが面白いかも。
演じるE・マックラーグは1951年7月23日、ミズリー州のカンザス・シティ出身。
テレビシリーズの「The Jetsons」(62)でアテレコを経験、
66年から74年までラジオ局で働き、「キャリー」(76)で銀幕デビュー。
その後はテレビを中心に活動。「フライパン殺人(V)」(82)「Mrマム」(83)
「チーチ&チョンの コルシカン・ブラザース(V)」(84)
「フェアリー・テール・シアター/シンデレラ(V)」(85)
「バック・TO・スクール」(86)
「ドライビング・アカデミー(V)」(87)
「エルヴァイラ」(88)「アリッサ・ミラノの
朝まで踊ろう(V)」(89)
「ティーンエイジ・ヒーローズ」(93)
「フラバー」(97) 「変身パワーズ」(02)などが
日本でも公開され、コメディエンヌとしても評価が高い。
「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(94)では、ジュリエット・ルイス扮する
マロニーのママ役を演じていた。新作は「Everything
You Want」(05)。
「ニムの秘密(V)」(82)など、アニメでの声の出演も多数。
エド・マックラーグ名義でクレジットされる事もある。

ノエル・ノース Noelle North
50年代から活躍する「大空港」(70)のメリー・アンダーズ、
「エアポート'75」のクリストファー・ノリスらと共に
ロサンジェルス・ヴァリー・カレッジに学ぶ。
「Report to the Commissioner」(75)「Farewell, My Lovely」(75)
などに出演した後、「恋のスランバー・パーティ(V)」(76)、
本作と経歴を重ねる。その後は「新・ジキル博士とハイド氏(V)」(82)、
「ブラッドソング(V)」(82)など、一年に数本の割合で映画に出演。
最近はぺースが落ちたものの、「Bite Me」(98)「Geppetto(TV)」(00)と
現役女優として活動中。ニシェル・ノースとしてクレジットされる場合もある。

ハリウッド・ブルーバードを闊歩する夜の天使=ドナ・ウィルクスちゃんが
「ジョーズ2」と「エンジェル」の間に主演した「ブラッドソング」(82)から。
ノエルは「キャリー」から8年経っても
まだ高校生の役(アンタいくつだよ!)。
学友ドナちゃんと一緒にスクールバスで登校(右)、
パーティーにまた独りで参加・・・とボヤく
(左)など、結構出番多し。
全体的にダイエットでスッキリした印象?

シンディ・デイリー Cindy Daly
「キャリー」(76)のコーラ役で映画に初出演。続いてバッド・タウンゼント監督、
「ザ・ダーク」のキャシー・リー・クロスビー、マイケル・ビーン、
キーナン・ウィン共演の「美人コーチのお色気大逆転(V)」(78)に
ワンダ役で登場。他に「ビッグ・ウェンズデー」(78)のパーティー場面で
少女のひとりとして顔を出している。チャールズ・ブロンソンの主演作
「狼よさらば」(74)の続編的作品「ロサンゼルス」(82)のナース役を最後に
スクリーンから遠ざかっているようす。
ディードル・ベースロング Deirdre Berthrong
「キャリー」のロンダ役以後は主にテレビで活躍。
「James at 15」(77)、「Young Joe, the Forgotten Kennedy」(77)、
「チャーリーズ・エンジェル」(78)へのゲスト出演など。
テレビの「Born Too Soon」(93)で共同製作を担当している。

アンソン・ドーンズ Anson Downes
俳優のトランス・ドーンズとは兄弟。
「キャリー」(76)で映画デビュー後、「アーバンカウボーイ」(80)
「パーフェクト」(85)など、トラヴォルタ主演作に何度か登場。
脚本も手がけるようだが、現在はアソシエート・プロデューサーに
落ちついているようで、「閉ざされた森」(03)などを製作。
現在は「Lonely Hearts」(06)が待期中。
| ★ Love Among the Stars ★ |
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I
Never Dreamed Someone Like You |
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キャリーとトミーがダンスを踊るシーンにかかるこの曲、 歌詞をご覧頂ければお分かりのように、えらく甘ーい(笑)。 でも、クルクル回りながら取り止めのない問答を 囁き合う二人と、彼らとは逆の方向に回転しながら やがて会話の意味さえ、うやむやに消してしまう 陶酔的なカメラワークの中でプレイされると・・・。 何度見ても泣いちゃう(恥)名シーンだよネ(急に同意モード)。 作曲はピノ・ドナジオ、作詞はメリット・マロイ。 歌うのはエイミーの実妹ケイティー・アーヴィング。 |
●日本盤サントラ(ユナイトFML-73)収録曲は、メイン・テーマ/夢のような恋/
イブのお話/生まれながらに/血のバケツ/学校炎上/スーの悪夢〜エンド・タイトル
など、全12曲(詳細ご存知の方、情報をプリーズ!)。
原文 (出典はここ) |
対訳 (恥ずかしいケド) |
Could it be that the lady is me in
the photograph |
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もう一曲
「生まれながらに /Born to have it All」って挿入歌は資料なし・・・。
乏しい英語力で聞き取ったのがコレ。対訳も含めて、間違ってたらご指摘プリーズ(泣)。
Young girls, some're born to
dance, |
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第49回
オスカー・ナイト
ちょっと写真デカすぎる(そして暗すぎる)んですけど、
アカデミー賞授賞式に現れたシシーとパイパーのフォトが見つかりました。
元々小さいのをデジカメで撮ってるもんだから、ホント見難くってスミマセン。

”主演女優賞への期待に胸振るわせるシシーは男友達と”って
キャプつきの一枚。男友達、っていうか、
横にいるのはどう見ても旦那のジャック・フィスクだよねぇ・・・。
結局、受賞は3度目のノミネートでようやくオスカーを得たフェイ・ダナウェイの手に。

パイパーも会場に。助演女優賞の受賞者は「ポルターガイスト」の
臆病科学者で知られるベアトリス・ストレイトに。

シシー、がっくり・・・
祝!「キャリー・特別編」DVD発売記念
もう、皆さん、購入されました?
「キャリー:特別編」DVD、素晴らしかったですねぇ。
役者編と技術編に分かれた、合計80分以上の製作ドキュメンタリー、
ミュージカル「キャリー」の裏話、アニメーションギャラリー。うーん、満腹です。
中でもナンシーが披露する「キャリー」のキャスティングに関する思い出、泣けました。
彼女がオーディション最終日に、一番最後に脚本を読んで、
一番最後に起用された役者さんだったなんて・・・。
他にも、キャリー役に全てを賭けていたシシー・スペイセク(再び涙)、
女優魂を見せつけたパイパー・ローリー(キワモノじゃなかったのね)、
エイミー・アーヴィング、ウイリアム・カット、ベティ・バックリー、
P・J・ソーレス(監督のお気に入り!)、プリシラ・ポインター、
そしてデ・パルマ&スタッフ・・・みんな元気で、でも年を取ってて、まるで同窓会。
この楽しい、至福の時間を与えて下さったMGM様(と日本版製作スタッフ様)に感謝。
例えジョン・トラヴォルタだけが出てこなかった(理由を想像するのも一興)としても、
日本語字幕で「悪魔のシスター」→「地獄のシスター」って間違いがあったとしても、
んなもの、全然気になりません(ホント)。これは間違いなく必携の一枚です。
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というわけで、個人的に「キャリー」へのトリビュートとして、
某映画雑誌の特集グラフ記事に載っていた「特写」をお披露目。
(オリジナルの雑誌をお持ちの方は、スンマセン)
記事のタイトルは題して”白銀に遊ぶ「キャリー」一家(本当)”。
これはアヴォリアッズでグランプリを取った時の記念写真。
一部関係ない人(スピ先生)も写ってますけどね(笑)。
左からナンシー・アレン、デ・パルマ(すでに恋が芽生えていた?)、
エイミー・アービング、スティーヴン・スピルバーグ(この2人も隣り同士で怪しい・・・)
そして一人でハシャぐシシー・スペイセク(涙)。
もちろん、演技派シシーには後でステキな監督さんが
スキーのコーチをしてくれるオマケがついてました。それがコレ↓
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・・・良かったね。シシー。恋は芽生えそうにないけどな。
え?この監督、誰かって!?シャロン・テートと結婚してたアノ人ですよ。
あ、でもシシーもジャック・フィスク@裏方って旦那がいたか・・・。
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以上、アヴォリアッツからシシーのフォト日記でした。
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