格闘技地獄篇 第3回

「グレーシー柔術最強伝説の終焉」

ホイス・グレイシー VS ヴァレッジ・イズマイウ(1998年12月17日/リオ・デ・ジャネイロ)

 

 格闘技界において様々な出来ごとがあった1998年であるが,暮れも押し迫った最後の最後になって実にショッキングなニュースが飛び込んできた!僕が頻繁にアクセスする格闘技専門のホーム・ページ「BoutReview」の最新情報によると,脊椎損傷により長い間戦闘不能となっていた初代アルティメット(UFC)王者ホイス・グレーシーの3年半ぶりの復帰戦が去る12月17日にリオ・デ・ジャネイロのコパカバーナ・ビーチ特設会場で行われたが,ホイスは僅か5分程度で対戦相手のヴァリッジ・イズマイウにKO負けしたということである.詳細な記事や写真が現時点で無いため詳しくは分らないが,この試合はバーリトゥードではなく時間無制限,ポイント制無しの柔術マッチで行われ,開始早々タックルからマウント・ポジションをとったホイスであったがイズマイウに返され,クロック・ポジションからの変型送り襟締めで失神KO,痙攣してドクターが駈け込んでくる程であったという.試合後イズマイウは「イージーな試合だった.グレーシー・ファミリー(エリオ派)は皆な悲しみに打ちひしがれていたよ.」とコメントしている.イズマイウといえば1997年のUFC大会でパンクラスの高橋義生に判定負けしたのに続いて昨年の「PRIDE-4」においても同じく日本人の新鋭・小路晃にTKO負けしており,NHBマッチでの株価がこのところ著しく暴落した選手であったのだが,復帰戦とはいえホイスがイズマイウに秒殺されたということはエリオ派にとっては相当に深刻な事態であると言えよう.この敗戦によりPRIDEシリーズで予定されていたマーク・ケアーとの一戦も白紙に戻ったと言って間違いないだろう.

 1993年11月12日にコロラド州デンバーで行われた「ノー・ルール,なんでもあり」の第1回アルティメット大会において,それまで全く知られていなかったグレーシー柔術のホイス・グレーシーがジェラルド・ゴルドーやウェイン・シャムロック等の強豪をあっさりと秒殺して以来,特に日本の格闘界は「グレーシー柔術」や「バーリトゥード」という言葉に翻弄されて大きく様変わりしてしまっていた.マウント・ポジションやガード・ポジションといった聞き慣れない単語が登場し,戦い方にしても「如何に有利な体勢に持っていくか」というポジション取りの戦術が重視されるようになった.日本でもシューティングやPRIDEシリーズ等の大会でバーリトゥードの試合が行われたが,それらは今まで僕達が目にしてきた格闘技とは全く異質なもので,エンターテイメント性とは掛け離れたよりマニアックな方向に変貌していった.確かに日本にはこのような状況を作り上げやすい土壌はあったとは思うが,その起爆剤となったのはホイスであり,より具現化させたのがヒクソンであったと思う.この5年間バブルのようにブラジリアン柔術の選手達が多くのノー・ルール系の試合に登場したが,カーウソン・グレーシー派やマチャド柔術の選手がコロコロ負ける中,エリオ・グレーシー派だけは形の上では土付かずで無敗神話を維持していた.彼等は「他の柔術と自分達の柔術は根本的に異なるものだ.」と差別化を図っていたが,昨年ホイラーが負けてさらに追い討ちをかけるようにホイスが敗北したことによりその基盤は大きく揺らいできたと言えよう.ただホイスに初めて土を付けてグレーシーの魔術を解き放ったのがイズマイウで日本人格闘家でなかったのが返す返す残念でならない.こうなると最後に首の皮一枚残ったヒクソンだけは日本人の手でおとしまえを付けて欲しい.別に僕はグレーシーに怨みも何もなく,どちらかと言えば素晴らしいと思うし感謝しているぐらいなのであるが,特に日本の格闘マスコミによるグレーシー至上主義とも言える報道の過熱ぶりには明らかに尋常ではないものがあった.偏向した格闘技界をここらへんで一度リセットする時期にきているのかもしれない.


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