*シリーズ・フィビヒを聴く〜T*

@ フィビヒって、誰?
A 曲紹介 交響曲第2、3番

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@ フィビヒって、誰?

Z.フィビヒ

 何の前触れもなくいきなり始まったこのコーナー、チェコの知られざる作曲家、ズデニェク・フィビヒの音楽を紹介していきたいと思う。といっても、よほどチェコ音楽に詳しい方でもなければ、名前も聞いたことのないであろうフィビヒという作曲家、いったいどんな人物なのか。まず手始めにそのプロフィールをひも解き、そのあとで所長の所蔵するCDを一枚づつ取り上げ、曲、演奏について紹介したい。

 スメタナを祖とするボヘミア国民楽派はドヴォルジャークからマルチヌー、ヤナーチェクと、20世紀前半に至るまでその伝統を脈々と受け継ぎ、音楽史上に名を残す傑作を数多く生み出していった。特に近年ではヤナーチェクのオペラが再評価されるなど、「モルダウ」「新世界」「スラヴ舞曲」のみに留まることのない、チェコ音楽の魅力が広く知られるようになってきた。しかし、チェコ音楽は上述の4人のみによって築かれたものでは決してなく、彼らの周辺にも綺羅星のような才能を持った作曲家が数多くいることはあまり認識されていない。

 そうした知られざる作曲家の中からここで取り上げるのは、ドヴォルジャークより9歳年下の作曲家、ズデニェク・フィビヒ(Zdenek Fibich, 1850-1900)である。まさにロマン主義の時代の真っ只中を生きた彼の音楽は、後輩のマルチヌーやヤナーチェクに見られるような、ある種の「現代」的な難解さを感じさせるところがなく、美しい旋律やシンフォニックなオーケストレーションで我々の耳を楽しませてくれる。彼はチェコの民族音楽を消化し、それを盛り込みつつも過度に頼ることなく、重厚な響きと堅固な構成力で曲を作り上げる。スメタナよりオーケストレーションは数段上。「我が祖国」以外のスメタナの交響詩を聴いたことがある人!あんなもの、目じゃないからね。オケの扱いに関しては、しばしば影響が指摘されるシューマンよりも上だ。ということで、チェコ音楽で一番フィビヒに近いのは、ドヴォ(ルジャーク)の7番。いやいや、あの曲よりは出来がいいぞ。でもそこまで言うか、と疑うのなら、ドヴォの一連の交響詩群。あ、あんま魅力的じゃない? まあまあ。だからとにかく、ドヴォ8のようにメロメロには決してならない。さしずめ、ドヴォの交響曲10番「アウス・ドイッチュラント」、といったところか。スケルツォにチェコ民謡、っていうお決まりは守りつつも、聴き終わって必ず一曲の「交響曲」を聞いた充実感が得られるのである。

 フィビヒは1850年、東ボヘミアの小邑で森林長官の息子として生まれた。母親はウィーン出身でドイツ語を話したという。幼少期はウィーンで過ごし、青年期にプラハで音楽学校に入学するも、16歳から再び異郷の地に赴き、そこで本格的な音楽教育をうけることとなる。つまりライプツィヒ、次いでマンハイムという当時のドイツ音楽の中心地で学んだ彼は、ウェーバー、シューマン、そしてワーグナーらのドイツロマン派音楽から深く影響を受けたのだ。この点は彼の音楽をスメタナやドヴォルジャークのそれと異なるものとしたと言ってよい。彼はスメタナやドヴォルジャークから学んだチェコの民族音楽の語法と、ドイツ音楽の堅固で重厚な構成を融合することに成功した、唯一の作曲家なのである。

 1874年にはプラハに戻り、合唱指揮者として活躍しながら創作活動を続けて行く。出世作は「ピアノ四重奏曲作品11」で、1883年のウィーン初演の際にはハンスリックから絶賛を受け、名声を確立した。しかし、彼はオペラ作曲家として、最もよくその名を知られていよう。「メッシーナの花嫁」「シャールカ」はチェコ・オペラの傑作として、現在もしばしばプラハの劇場の舞台にかかるものである。また劇音楽三部作「ヒッポダミア」も、畢竟の大作として名を残している。管弦楽作品としては、なんといっても三曲残る交響曲を挙げねばなるまい。第一番は若書きの感が強いものの、第二、三番はドヴォルジャークの交響曲に匹敵しうる傑作である。また、彼は1892年から死の前年にかけて、「気分、印象、思い出」と題されたピアノに小品集を書きつづけている。それはピアノによる「日記」とでも言うべきもので、彼の様々な作品の着想源になっており、まさに作曲家の創作の原点が秘められている作品である。

 また、フィビヒの生涯と作品は、どうも彼と3人の妻をめぐって起こった様々な不幸と切り離して考えることは出来ないようだ。一人目は、勿論、最初の妻。しかし1874年、彼女との間にもうけた双子の一人が早死にし、同時に妻の姉も病死するという不幸に見舞われる。その2年後には母と残りのもう一人の子供も死ぬ。そうして(なぜかはわからないが)彼女と離婚すると、その姉妹の一人と再婚してしまう。しかしうまく行かず、1876年には、自分の女弟子と駆け落ちまがいの再々婚をやってのけるのだ。その間二年間。幸か不幸か、その後は女弟子だったアネツカ・シュルツォヴァー(?)と仲むつまじく暮らしたそうで、彼女と過ごした幸福な時間が、「気分、印象、思い出」には刻まれているそうだ。

ヴルタヴァとプラハ城

2000/08/28


 

A 曲について/交響曲第二番変ホ長調op38&第三番ホ短調op53

では、この場で彼の代表作、二番と三番のシンフォニーの曲想にも触れておこう。

 二番は長調の曲で、明るい雰囲気に満ちている。快活なアレグロ・モデラートの第一楽章からして、主題を展開させていくフィビヒのテクニックはなかなかのものだろう。この第一主題はどの楽章にも現れる重要なモチーフで、曲全体を統一している。第二楽章は情感溢れるアダージョ。「あの」CDには入ってないけど、かなりの名曲だと思うな。マーラーチック(?!)な濃密な後期ロマン派のメロディが展開する。聴かせどころですね。ドヴォのようにベタなところはないのだ。とはいえ、小鳥のさえずりのような木管、森のざわめきのような弦といった、チェコ音楽お決まりの要素も盛り込まれている。第三楽章はトランペットの合図で始まる舞曲風のスケルツォ。コーダが見事。そしてフィナーレはアレグロ・エネルジコ。元気溌剌、盛り上がりまっせー!そしてグランドフィナーレは凝ってます。好きみたいですね。凝ったフィナーレが。進んでは止まり、盛り上がっては息を潜めしながら最後は何時終わるやら、と心配したくなるほど。でも素敵だ。作曲は1892-93年。

 三番は短調。アレグロ・インキエト(不安げな、そわそわした)と指定された一楽章は、ホルンの静かな合図に弦がざわざわとうごめきだして始まる。しかし途中から次第に明るい楽想が顔を覗かせるようになり、最後は明るく締めくくる。第二楽章はアダージョ。歌いかけるように優しいメロディが聴く者の心を和ませる。二番のアダージョに続き、こちらもなかなか濃厚な味付け。そして三楽章はお待ちかね、ポルカ風の楽しいスケルツォ。四楽章も冒頭は一楽章のそれのように、何かが起こりそうな予感を漂わす、ざわめきのある楽想で始まる(アレグロ・マエストーソ)。しかしまもなくアレグロ・ヴィヴァーチェに展開、フィナーレに向かっていく。盛り上がるのだが、それはただ騒ぎ立てているのではなく、曲全体を有機的にまとめあげている点がすばらしい。これぞシンフォニー。旋律の多くはかのピアノ日記から取られ、作曲者が病み上がりの時期に作られたこの曲は全体を通して、暗闇から光へ、というテーマに貫かれている(らしい)。作曲は1898年。

プラハ国民劇場

2000/08/29

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