
*第14日目その2* 03/20 火 晴れ@ローマ⇔ボマルツォ&ヴィテルボ *ボマルツォの怪獣庭園、そしてヴィテルボ §ボマルツォの怪獣庭園
さて、Via del Lavatoioを下り、舗装路に出たら左に折れて更に下った緩やかな谷の底に庭園はある。なお、公式サイトらしきのがこちら(写真豊富)。内部の地図(日本語)がこちら(←持参すると便利)。怪獣庭園(=il parco dei mostri)とも、聖なる森(=il sacro bosco)とも呼ばれているこの庭園は、幾何学的に整然と事物が配された、いわゆるヨーロッパ式のそれではない。設計当初はそうだったのかもしれないが、400年に及ぶ忘却の歴史の中で、徐々にその姿を変えていったのであろう。起伏に富んだ木立の中に、壊れかけ、苔むした石像が散在する様は、我々日本人にとって親しみやすい雰囲気さえ醸し出しているのだ。
文学者の言葉を借りるならば、この庭園は、「非合理と非論理と幻想と常識はずれと反自然と謎」(マルセル・ブリヨン)であり、
また「幻想と驚異をあれほど花咲かせたバロックという時代の、まさに息絶えようとする最後の噴出」(澁澤龍彦)であるという。
造営が開始されたのは1552年、一帯の領主オルシーニ家のヴィチノ・オルシーニが、ピッロ・リゴーリオなる建築家に作らせたそうだ。しかしヴィチノは夭折、庭園は完成を見ることなく建設途上で放棄されてしまう。その後は人々から忘れ去られ、手入れも受けずに400年間放置されてきたそうだ。そのため石像は苔むし、庭園の制作意図や特異な彫像群の意味などは完全に忘れ去られてしまったのである。今でもその意味は完全に解明されていない。しかし20世紀後半にようやく整備され、マンディアルグの著書などで世界的に知られるようになった。現在は美術史的(?)な研究も進んでいるようで、マウリツィオ・カルヴェージ大先生がモノグラフ(2000年)を著している。
日本でも、「地球の歩き方」ローマ編に記事があり、各種美術紀行の類に紹介されていることも多いが、最初に紹介した人物はマンディアルグの著書を訳した澁澤龍彦ではないか。バロック期『ヨーロッパの乳房』(河出文庫し1‐14)なるエッセイ集には「バロック抄 ボマルツォ紀行」と題された文章が収められており、一読に値する。
さてこの辺で実際に訪れてみることにしよう。
管理事務所兼レストラン(季節営業らしい)で切符を買い、中に入る。のどかな牧場の脇を抜け、小川を渡ると門がある。最初に出迎えてくれるのは一対のスフィンクス。台座には次のような意味の文章が刻まれており、訪問者を出迎える。
眉をあげ
唇をひきしめて
この地を過ぎ行かずんば
世界の七不思議の最たるものを
嘆賞するも叶うまじ (澁澤龍彦訳)そして右に向かうと、戦う2人の巨人像。スフィンクス(byマンディアルグ)とも、オルランドとも言われる。一人の巨人が相手の両足を引き裂こうとしている、奇怪な場面だ。澁澤は犠牲になっている相手方は女性であるとして、エロティックな解釈を試みているが、どうだろう。
山の斜面を下ると、人像柱を載せた巨大な亀がいる(亀の拡大はこちら)。さらに亀の先には、大きく口をあけた正体不明の動物が待ち構える。そして隣には台座にのったペガサスがいる。苔に覆われ、崩れかかって原型をとどめない像が道端のあちこちに転がっていた。小川のせせらぎが聞こえる中、ここに異次元の世界が繰り広がるかのようだ。
丘を登り、ニンフの祠を通りすぎると広場に出た。「ニンフの神殿」、もしくは「劇場」と解説される階段状の舞台装置が残る。この野外劇場で、貴族たちはどんな舞台を見たのだろうか。
そして劇場の先には「傾いた家」がある。外見のみならず、内部も同じように傾いているから、一歩足を踏み入れたとたん、平衡感覚を奪われる。元来はこの家が庭園の出入口であったらしい。この怪奇の世界を訪れる者はこの家の中で「平衡感覚」を捨て去らねばならず、現実世界へ戻るものはこの家でそれを取り戻すしかけであったのだろう。
劇場の上には、柱のような壷が並ぶ広場があり、その奥に河の神ネプチューンが鎮座する。おそらく泉として機能していたのだろう。左手には海豚が上を向いて口を開いている。その口から水が噴出していたようだ。ネプチューンの左手に回ると「眠れるニンフ」、通称「眠れる森の美女」が巨大な裸体をみだらにはだけ、仰向けに寝ている。澁澤はこれをヘルマフロディトゥス(両性具有)と言っているが、男性であることを示すものを写真から見て取ることはできない。
ネプチューンの広場の右手には、再び奇怪な姿の彫像が並んでいるのが目に入る。櫓のようなものを背にのせ、鼻で兵士を巻き殺すゾウと、犬、ライオン、狼と戦うドラゴンである。
摩訶不思議なゾウとドラゴンを後にすると、巨大な「顔」がすぐそこに構えている。《人間の首》とも、《地獄の口》、または《冥界の神オルクス》など様々な名前で呼ばれているが、あんぐりとあけた口は人間がすっぽりと入れる大きさだ。その中はテーブルに見立てた舌を中心に、数人の人間が座れるようになっている。口の周りには"Ogni pensiero vola"と刻んだ銘文が残されているのが今でもはっきりと解る。曰く、「いかなる思考も飛び去る」。
更に丘を登ると、ライオンの像を中心に、二人の人魚(セイレン?)が座している。左側は「両尾の人魚(Echinda?)」、右側が「両翼の人魚(Fury?)」らしいが、どちらも実物より大きい。二人の人魚に挟まれたこの空間は、一体なんのために使われたのだろうか。見るもの全てが謎である。
最後にもう少し丘を登ると草原に出て視界が開けた。その中央には庭園内で唯一、クラシカルな様式の小礼拝堂が建つ。オルシーニ候が夭逝した妻のために立てたそうで、ヴィニョーラの設計による。この草原に腰掛け、白く咲いた可憐な花の向こうに、尾根の上のボマルツォの街並みと城を眺める。この庭園は俗界と隔絶された異空間であることがわかろう。見よ、まさにここは桃源郷ではないか。
名残惜しいが、バスを逃すと帰れない。また坂道を登ってバス停に戻った。ローマの喧騒と排気ガスから逃れてゆっくりするにはうってつけ。
§ヴィテルボ
さてヴィテルボの街である。時間があればエトルリアの遺品のある美術館にも行きたかったが、ボマルツォから戻ってきたのが既に4時だったので、街並みだけ見て廻ることにした。一言で言ってパッとしない町だ。城壁がぐるりと一周残っているのは事実だが、特に保存修復してあるわけでもなく、惜しい。「教皇の館のバルコニー」も向こう側の家が見えるだけで面白くもなんともない。町の南部のサン・ペッレグリーノ地区は唯一昔からの家並みが残っていて、風情があった。
列車でローマに帰りついたのは19時。まあヴィテルボはオマケでしたね。すぐのバニャイアにはランテ家の別荘などもあるのだが、個人で日帰りではなかなかそこまではむずかしい。
明日はローマを立ち、アムステルダムへ向かう。ヨーロッパ最終日。さあ荷造りせねば。
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