
| デルフトに関わる画家 |
あ行
| アブラハム・ ファン・ベイヘレン(1620/21-1690) |
ハーグで生まれる。静物画家として知られるベイヘレンは、1640 年代初め、ヤン・ファン・ホイエンの影響が見られる海景画を描いた。魚の写実的な描写にも優れていたが、1650年代からは、ガラスや銀、陶磁器などの高 価な器物に果物が豊富に盛られた豪華な宴卓の様子を、好んで描いた。オ−フェルシ−で没。
| アントニ−・ パラメデスゾ−ン(1601-1673) |
デルフト生まれ。生涯ほとんどをこの地で過ごした。彼の弟と長男も画 家であった。主に室内を舞台とし、兵士や若者の男女達が酒を飲み、陽気に集う場面を描いた風俗画で知られている。アムステルダムで没。
| ウィレム・ ファン・アールスト(1627-1683?) |
デルフト生まれ。1643年にデルフト画家組合(聖ルカ組合)に入 会。その後数年にわたり、フランス、イタリアで活躍。精密に描写された花の静物画で知られる。色彩のコントラストと光を受ける物事の表現に優れている。 1657年以降はアムステルダムで生涯を過ごしている。アムステルダムで没。
| エフベルト・ リ−フェンスゾ−ン・ファン・デル・プ−ル(1621-1664) |
デルフトに生まれる。農村の情景や農家の内部を描いた作品で有名。 添景として人物を配したり、横から光の描写にはアドリア−ン・ファン・オスタ−デからの影響が見られる。暖かみのある赤褐色の色調を主とした。最も有名な のはデルフトの火薬庫爆発事故を表した絵で、恐らくフォスマ−ルの作品を手本にしていたと思われる。
| エマニュエ ル・デ・ウィッテ(1617-1692) |
アルクマ−ル生まれ。1636年アルクマ−ルの画家組合に加入後、 ロッテルダム、デルフトを経てアムステルダムで生涯を終える。当初は人物画、肖像画、風俗画を手がけるが、1650年頃から教会内部に強い太陽光と多くの 色彩を持ち込み、独特の臨場感を出しているのが特徴。
か行
| コルネリス・ デ・マン(1621-1706) |
デルフトで生まれ、同地で没。1621年デルフトの画家組合に加 入。その後フランスとイタリアの各地に滞在する。1657年から96年まで、再び画家組合の記録に名前が登場する。1700年ハーグに移住。室内画には フェルメールやデ・ホーホの影響が見られる。教会画に見られる2点消失透視図法を家庭の室内空間表現に利用している。
| コンラ−ト・ デッケル(1651-1685) |
アムステルダム生まれ。銅版画家として活躍。都市景観図を得意と し、デルフトやハーレムの地にプラハを描いたものもある。一方で王侯貴族の肖像や死の愚意の主題においての才能を発揮した。出版物の挿絵も制作していた。 同地(アムステルダム)で没。
さ行
た行
| ダニエル・ フォスマ−ル(1622-1666以降) |
17世紀にデルフトで活躍した画家の一家に生まれる。1650年に デルフトの画家組合に加入していた以外に確かな記録はない。都市景観図を得意とし、デルフトの火薬庫爆発事故を繰り返し描いたことでも知られている。都市 の装飾的な描写、独特の透視図法の用い方が特徴。
な行
| ニコラ−ス・ マ−ス(1634-1693) |
ドルトレヒトに生まれる。アムステルダムでレイブラントに師事。初 期の風俗画で見られる赤みを帯びた色調には師事の影響が感じられる。1655年から<立ち聞き>のように、物語的要素が強い室内風俗画をいくつか描いた。 1660年代からは、肖像画を専門とし、画面はより明るく、幅のある色調へと変化する。アムステルダムで没。
は行
| ハブリエル・ メソ−(1629-1667) |
ライデンに生まれる。ヘラルト・ダウに師事したとされる。中流市民 の生活場面を多く手がけ、洗練された色彩と精密な描写が特徴。ライデン画家組合の創設のメンバーの一人。ユトレヒトに滞在した後、アムステルダムに永住。 アムステルダム時代の作品は、ヘラルト・テル・ボルフ、ニコラ−ス・マ−ス、デ・ホ−ホの影響が見られる。アムステルダムで没。
| ピ−テル・ス テ−ンウェイク(1615?-1656以降) |
骸骨や宝石、硬貨などもモチーフを描いて、生のはかなさや現世の快 楽のおろかさを説くいわゆる「ヴァニタス」の静物画家。この作家についてはわずかなことしか知られていない。ライデンで画家・素描家のダヴィット・バイリ −に師事し、1642年にデルフト画家組合に登録している。1654年にはハーグに移住していた。
| ピ−テル・ デ・ホ−ホ(1629-1684) |
ロッテルダムで生まれる。ニコラ−ス・ベルヘムに師事したとされて いる。1650年代をデルフトで過ごし、画家組合にも入会している。正確な空間描写と明るい自然光を取り入れた中流家庭の室内を描く。1681年頃にアム ステルダムへ移住後は、明暗の対比や色彩の点で誇張が目立つようになる。アムステルダムで没。
| ピ−テル・ヤ ンセンス・エリンハ(1623-1682) |
ブリュ−ジュ生まれ。アムステルダムで活躍。彼の風俗画は長年デ・ ホーホの作品と混同されてきた。画風はフェルメールやエマニュエル・デ・ウィッテにも近い。エリンハの人物の多くは後ろ姿で描かれる。ウィレム・カルフに 共通する静物画も描いた。アムステルダムで没。
| ヘラルト・テ ル・ボルフ(1617-1681) |
スヴォレに生まれる。幼い頃より画家であった父から指導を受ける。ハ −レムでピ−テル・デ・モレインに師事。その後、イギリス、イタリア、ドイツ、フランスなど各国を旅行。デル・ボルフは、中流階級の優雅な生活を抑制され た色調で詩情豊かに表現した風俗画で知られる。特に繻子(しゅし)の描写に優れた才能を発揮した。デ−フェンテルで没。
| ヘンドリッ ク・コルネリスゾ−ン・ファン・フリ−ト(1611頃-1675) |
| ヘンドリッ ク・コルネリスゾ−ン・フローム(1566-1640) |
| ヘンドリッ ク・ファン・デル・ブルフ(1627-1666またはそれ以降) |
デルフトに生まれる。没地不明。彼の妹はデ・ホ−ホの妻と推測され ている。1649年デルフトの画家組合に入会、その後ライデン、アムステルダムで活躍。彼の室内画にはデ・ホ−ホの強い影響が認められている。幾何学的学 的空間と洗練された光の効果、隣接した空間表現を得意としていた。
ま行
や行
| ヤ−コブ・ ファン・オホテルフェルト(1634-1682) |
ロッテルダム生まれ。1660年代から同門であるデ・ホーホの影響 が見られる静寂な室内風俗画を描いている。1660年代後半かにはテル・ボルフの光沢の表現やフェルメールの光の表現、人物配置に影響を受ける。集団肖像 画も残している。1874年アムステルダムへ移住、同地で没。
| ヤ−コブ・ ファン・ワルスカペッレ(1644-1727) |
ドルトレヒトに生まれる。アムステルダムに移り公職に就くが、画家 としての制作活動も続けた。花の静物画家コルネス・キックに師事したとされる。花や果物を題材とした静物画を専門とし、画風にはヤン・ダヴィッツ・デ・ヘ −ムの影響が見られる。鮮やかな色彩表現に優れ、当時は人気を博した。
| ヤ−コプ・ワ ウテルゾ−ン・フォスマ−ル(1584-1641) |
デ ルフトの画家一家に生まれる。ジャック・デ・ヘインに師事。花の静物画を専門とする。イタリアを旅行後、1633年にデルフトの画家組合の代表となってい る。大振りな筆触で描いた花を暗い背景に安定した構図で配した。花を活ける水差しのガラスや陶器などの材質感や、表面の浮き彫り装飾などの描写も魅力であ る。
| ヤ−コブ2世 ウィレムゾ−ン・デフル(1619-1661) |
デ
ルフトに生まれる。肖像画家であった父から教育を受ける。デルフは、優れた肖像画家の複製画を作る版画家として名高く、オランダ内外の著名人の肖像画を数
多く製作した。卓越された技術により、英国王の版画家としての称号を授与される。同時に最初期から本の挿絵も手がけていた。
| ヤン・ステ− ン(1625-1656以降) |
ライデン生まれ。ライデン画家組合の創設メンバーとなる。オランダ の各地で制作活動を行い、道徳的教訓を込めた浮かれ騒ぐ大家族の風俗画で有名。歴史や神話、聖書にも精通し、それらに取財した物語画なども手がけている。 同地(ライデン)で没。
| ヨハネス・ デ・ラム(1647/48-1696) |
この作家についての記録は少なく、生涯については不明な点が多い。 アムステルダムに生まれ、銅版画家として活躍。出版者でもあった。主にアムステルダムやデルフトなどの都市の景観を描き、地勢図的な作品にも取り組んでい る。アムステルダムで没。
ら行
わ行
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