
こちらでは、皆様から頂きました、ご意見をまとめ、検証いたします。
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<赤い帽子の女>真作の疑惑
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<赤い帽子の女>の作品に対して疑問を抱いている方は少なからず多
いと思います。(当HPの中ではフェルメールの作品として紹介。)
1995-96年に行われた『大フェルメール展』そして2001年に行われた『フェルメールとデルフト派展』でも
フェルメールの作品としてエントリーされ、『フェルメールとデルフト派展』の3つ折のリーフレット(カラー版)を開いたら、
大きく紹介されている。カメラ・オブ・スキュラを使用した時の特徴が表れ、この作品のファンの方も多い。
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フェルメールがカメラ・オブスキュラを使用した直接的利用が認めら
れる。
(ハイライト、唇などに見られる光の粒など)→カメラ・オブスキュラを使用を裏付けるため
ア−サ−・K・ウィ−ロックがこの作品を手がかりにしている。)
前方にある獅子飾りの椅子は幾度かフェルメールの作品に登場。
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他のフェルメールの作品と比べると、厚く塗っている。
厚く塗ってと言うと、初期作品の<牛乳を注ぐ女>、<窓辺で手紙を読む女>を連想するが、それとは異なり、
ごつごつ感はなく、ベタっと塗った感じである。それに背景が曖昧なタッチで仕上げられている。
フェルメールは写実と表現にのバランスを求め、
改善に改善を重ねながらも画像を作り上げた画家であるが、この作品ではバランスが大きく崩れている。
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この作品にはフェルメールらしきサインがある。Mの上にIが重なっ
たサインである。
フェルメールのサインは10種類近くある。なのでサインだけでフェルメールの作品であると言うのは難しい。
ちなみに、サインのないフェルメールの作品も十数点ある。
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競売履歴に一番最初に登場するのが、1822年頃からである。
ちなみに「1822年、パリのラ・フォンテ−ヌ競売 200フラン」、1823-25年頃パリの住む人の個人蔵となり、
1925年ロンドン、NYの画廊に渡り、1937年からワシントン・ナショナルギャラリーが収蔵する事となる。
約180年後に突然現われ、それをアメリカが買い取っている。
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女性の被る帽子、高く立つ襟(えり)が17世紀オランダにはない ファッションである。
(しかし、<真珠の耳飾りの女>のターバンも当時のオランダには見か
けない。
<絵画芸術>に登場する後ろを向いて描いている画家の服装も当時のあ1世紀前の服装である)
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この作品があるのはワシントン・ナショナルギャラリーその学芸員が
ア−サ−・K・ウィ−ロックである。
フェルメールの展覧会には彼がかなり携わっている。(ちなみに大阪で行われた『フェルメールとその時代展』にも関わっている)
その彼が「この作品が贋作だ」と言うはずがない。
何と言っても最初にフェルメールの作品であると公表したのも彼である。
美術界には裏がある。美術市場に出回っている大半が後年作成された
贋作である。
もちろん美術館内でも安心は出来ない。気づかないうちに我々は贋作を目にしている。
学芸員たちも気づいていないこともあるが、気づいていてもそれを表に出さない場合も多い。
さて。この作品はどうなのか?私は専門家でもないので、それ以上調べ ることは難しい。
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フェルメールの素顔は?
![]() <取り持ち女> <絵画芸術> |
誰もが興味があると思う、フェルメールの素顔。いくつか説はあるもの の、まだ謎のままである。。
<取り持ち女>、<絵画芸術>の中に同じ(らしき)人物が登場してい
る。
髪型、服装が類似しているというのが根拠だが、それだけで判断するのは難しい。
なお、左の写真は、アムステルダムにあるマダム・タッソ−蝋人形館
にあるフェルメールの部屋にあるフェルメール(らしき)人物である。
この顔は何をモデルにしているかは不明。

この絵はこれもまたフェルメール(らしき)絵?である。これも微妙に
髪型、帽子の形が共通している。
しかし、フェルメールである証拠が見つからない限りは謎のままである。
さて、フェルメールはどんな人だったか・・・これもまた判断が難し
い。
作品から見て、繊細で、物静かで、自己主張せず、誠実な方ではないかと私は思うが、皆様はどうお考えでしょうか。
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