フェルメール盗難事件簿

〜フェルメールはなぜ盗まれるか〜

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 ちょっとシリアスな内容であるが、この国宝級の絵画は幾度か盗難にあっている。今までの経路 をまとめてみた。

 N.Yにある、メトロポリタン美術館、ロンドンナショナルギャラ リーで開催された、フェルメールの展覧会、
『フェルメールとデルフト派』展があった年の2001年の夏、実はあるフェルメールの作品の盗難未遂事件が起きたのは、以外と知らない人は多い。

 それはアイルランド、ダブリンで起こった。アイルランド、ナショナ ルギャラリーが盗難の警告を受けた。盗みのターゲットになると警察から連絡が来 たのは、まさしくフェルメールの<手紙を書く女と召し使い>であった。この作品は、以前ラスボロ−・ハウ ス(*1)の過去2度の盗難事件で被害になっている。そしてその後90 年代半ばにナショナルギャラリーに寄贈されている。

 とろこがそのラスボロ−・ハウスに白昼、武装した3人組が正面扉に 車で体当たりして侵入し、2枚の絵画を盗みだした。警報装置による知らせを受け た警察が駆け付けた頃にはすでに犯人は車で逃走した後だった。ラスボロ−・ハウスは今までに2度も盗難事件が起こり、フェルメールやゴヤなどの絵が盗まれ ており、3度目でも警察は面目を食らうはめとなった。

<手 紙を書く女と召使い>の盗難経歴

もし<手 紙を書く女と召使い>がラスボロ−・ハウスにあったならばまさしく 3度盗まれたかもしれない。今回の盗難未遂事件も含め、アイルランドでの盗難事件を見ると面白いことが分かる。犯人は別々の人物であり、動機もバラバラだ が、3つの事件には共通点が見られる。

 それはIRAで ある。IRAについて御存じの方も多いと思うが、IRAとは、北ア イルランドの英国からの独立を主張するテロリスト集団である。そのIRAとフェルメールと関係がないように思われるが、そのミスマッチが絵画盗難の動機に 関連している。そのIRAの関与は、絵画盗難事件がこれまでになかった新たな時代にはいりつつある事を示している。

 美術盗難事件は、欧米では日常茶飯事ともいえるほど幾度も起こって いるが、被害を受ける大半の絵画はそれほど有名な作品ではない。こういった盗難 品は、蚤の市や小規模なオークションなど目立たない所で本来の価値に及ばないほどに安い値で売りさばかれる。犯人も空き巣専門のこそ泥が大部分である。そ れ以外には、個人で所有することを目的とした盗み、あるいは所有者、保険業者からの買い戻しを目的とした窃盗事件も起こっている。

 一方世の中では、私たちの想像を超えた動機を持つ美術品盗難事件が 起こっていることも事実であり、フェルメール盗難事件にはそれが見て取れる。

 アイルランド、ナショナルギャラリーにある<手紙を書く女と召し使 い>は日本に来た事はまだないが、世界でわずか36点(疑惑作品も含む)残って いる作品の中の1点として計りしれない価値を持っている。評価額は想像するのは難しいが、200億〜300億と言われている。この作品が過去に2度盗難に あっている事はなかなか信じられないが、さらに驚くのは他の作品も幾度の盗まれる事件が起こっていたという事実である。アイルランドの2件の盗難事件を含 めて5件起きている。現存する作品の数からして、被害にあった頻度は多い。そらにこの5件中、3件が政治的動機を持った犯人による盗みであった点も特筆で ある。

 政治動機を持つ事件でフェルメールが標的にされるのはまさしく稀少 価値が高いからであろう。数が少なく、貴重であるほうが、交渉材料としては有利 だと犯人は判断したからだと思う。

過 去の盗難経歴

 まず5件のとう難事件を年代順にたどってみよう。

1: 1971年、ベルギー、ブリュッセルで行われていた展覧会場から、<恋文>(アムステルダム国立美術館所蔵)が盗まれた事件

 これは額縁からナイフで切り取られ、大きな損傷を受け た。

犯行の数日後に犯人から新聞社に脅迫電話がかかってき た。その内容は、「当時東西パキスタンで起こった内戦(内 戦の結果、東パキスタンはバングラデシュ人民共和国として独立)に よってインドに流出した約700万人の東パキ スタン難民に対し、オランダとベルギー政府が義損金として2億ベルギーフラン(約400万ドル)を送り、両国の美術館が国際的な反飢餓キャンペーンを打て ば絵は返す」という内容だった。

  その後、犯人である若いベルギー人がすぐに逮捕され、絵も発見されたが、<恋文>は額から切り取られ、それから内側に丸まれてそれをズボンに隠して逃走 し、犯人が泊まっていたホテルのベットの枕の下から発見された。しかし、一部分の顔料が剥がれ落ちるなど、大きな損傷を受け、修復はほぼ1年近くかかっ た。

2: 1974年2月、ロンドン、ケンウッドハウスから<ギターを弾く女>が盗まれた事件

 こ の事件は、3度目に起こった事件と、動機が共通している。

 その動機というのは、ロンドンの刑務所でハンガースト ライキを行っていたIRAの自動車爆破犯人を北アイルランドの刑務所に移送せよ という要求をイギリス政府に突き付ける事が目的であった。送られた脅迫状には、もし、要求に従わなければ、絵を爆破すると書かれていた。

  ダブリンで盗難された絵<手紙を書く女と召使い>が 発見された後、ロンドン市内の墓地に置き去りにされた状態で発見される。犯人は まだ分かっていないが、IRAのシンパだろうと考えられる。

3: 1974年4月、アイルランド郊外にあるラスボロ−・ハウスから<手紙を書く女と召使い>含む18点の絵が盗まれた事件

 ロンドンで起こった事件と動機は共通。

 事件が起こった1週間後にアイルランド南部でイギリス の女性IRA 活動家が逮捕され、絵も発見された。

4: 1986年5月再びラスボロ−・ハウスから<手紙を書く女と召使い>含む11点が再度盗まれた事件

 5 月21日午前2時頃、ラスボロ−・ハウスの警報装置が鳴り、駆け付けた警察が調べたところ、侵入者の形跡はなく、誤作動ということになったが、再セットし てもスイッチが入らなかった。これこそ犯人の作戦であった。警官が帰った後、彼らは邸内に再度侵入し、フェルメールの絵を含む11点でほとんどが74年に 盗まれた絵だった。被害推定額が3千万ドルから4千5百ドルと報道した。

 事件直後は、メディアではIRAの犯行ではないかと騒 がしたが、アイルランド国家警察では、かなり早い時点で犯人はダブリンの悪名高 き犯罪者マ −ティン・カ−ヒル(*2) であるという情報を得ており、犯行に加わっていた11人の顔ぶれも大体分かっていた。カ−ヒルが盗みを行った動機は2つあり、一つは、闇市場で絵を転売そ 金を手に入れること、もう一つは、世間を騒がせて警察や政府に恥をかかせることである。しかし、彼には計算違いがあった。前回の強盗事件もあり、転売相手 も見つけるのは容易な事ではなく、カ−ヒルはヨーロッパ中の様々な犯罪者や組織に接触するハメとなる。そしてIRAに接触するが、IRA はカ−ヒルを信用しなかった。その後カ−ヒルは1990年、IRAの宿敵であるプロテスタント系テロリスト「アルスタ−義勇軍」に声をかけ、絵を渡した。 カ−ヒルは盗んだ別の絵を持ってイスタンブールに買い手を探しに行くが、囮捜査にまんまとひっかかり逮捕される。

 これで彼は英国帰属派のテロリストと取り引きする不遜 (ふそん)な男として烙印(らくいん)を押された。この事がどれほどIRA を怒らせたか、カ−ヒルは4年後自らの墓穴を掘ることとなる。カ−ヒルが車で自宅から出た所を銃を持った男に襲われ、処刑とも言える残忍な方法で惨殺され る。後にIRAから犯行声明文が出された。

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