
| フェルメールキーワード |
デルフト
当
時人口2万数千人オランダでは4番目に大きい小都市。
運河に囲まれた美しい古都である。オランダ独立戦争(1568年〜1648年)の初期に、「建国の父」沈黙公ウィレム(オラニエ公)が指揮をとり、スペイ
ンの刺客の手で倒れたのもこの街であった。
ここでは、デルフト焼き(フェルメールの時代には、独特の絵付けを施したデルフト焼きを完成させている。)、織物産業(タピスリー、椅子の上張り、カーテ
ンなど)、ガラス産業(食器、窓ガラス、ステンドグラスなど)が有名。
トレ・ビュルガ−
1849
年、社会主義運動に敗れ、フランスを去らなくならなかったテオフィル・トレは、フランスを去った後、オランダ、ベルギー、スイスでの生活を余儀なくされた
(〜1859年)。1855年、テオフィル・トレは、トレ・ビュルガ−とのペンネームで研究を公にし始めた。ちなみにビュルガ−とは、ドイツ語で「市民」
を意味する。進歩的な考えを持ち、政治的な配慮が裏にあるのが特徴。
盗難事件
フェルメールの作品は、サイズが小さく、稀少価値が高く、「人質」にとって相手を脅迫するのに、ターゲットになりやすいかもしれない。<ギターを弾く
女>、<召使いと手紙を書く女>は1972年と1986年の2度も盗まれている。そして<恋文>は、キャンバスをナイフで切り取り、しかも丸めて持ち帰っ
たため、絵具が剥がれ、周辺の図柄が数カ所消えてしまうなど深刻なダメージを受けた。
中でもアメリカ、ボストンで起きた被害総額300億円と言われる<合奏>は、1990年に盗難にあって行方不明のままである。(詳細はフェルメールの盗難事件簿に
て)
ハン・ファン・メーヘレン(1889〜1947)
20世紀の贋作事件で名高いフェルメールの贋作者。
1932年、<ヴァ−ジナルを弾く女と紳士のいる情景>を発表し、「巨匠の作品中の最も美しい宝石の一つ」と絶賛する。1943年に贋作<キリストと悔
恨の女>を手掛けるが、それを売ったあと、第二次大戦後の1945年、オランダの国宝級の絵画を敵国ドイツに売り渡した罪で捕まることとなる。しかしそこ
で彼は、真相を告白した。ドイツへの協力者となるよりも、贋作者として名のり出たほうが罪も軽いだろうとの計算もあった。当初は信用されなかったが、そこ
で、これは法廷で実際に作品を描いてみせた。オランダの美術史学界が大騒ぎしたのは言うまでもない。
ラスボロ−・ハウス(フェルメール の盗難事件簿よ りリンク)
1974年、1984年、2001年に盗難事件が起きている。ラス ボロ−・ハウスは、ダブリンから南西約30キロ、車で約45分ほどの距離にある緑豊かな丘の真ん中に建っている大邸宅である。一番近い町までは約2キロ、 見渡す限り他に家はない周囲は羊がのんびりとしている牧草地帯で、屋敷の南側には大きな池、北には森が迫っている。
この邸宅は1741年から10年間かけて建てられた。「邸宅」とい うよりもむしろ「居城」といった感じの建物である。3つの棟が繋がっており、中央の棟が美術館として公開されている。1952年この館をイギリス貴族アル フレット・バイト夫妻が購入した。彼らは南アフリカでダイヤモンド採鉱会社を設立した伯父の絵画コレクションを譲り受けており、さっそくロンドンからラス ボロ−・ハウスに移送させ、邸宅の壁にかけた。バイトコレクションは、フェルメールをはじめとし、メッウ、ゴヤ、ル−ベンス、ベラスケス、ムリ−ソなどオ ランダ、フランドル地方、スペインなどの絵画を中心とした約百点でヨーロッパの個人コレクションでも有数とされている。
マ−ティン・カ−ヒル(フェルメー ルの盗難事件簿よ りリンク)
1986年5月ラスボロ−・ハウスから<手紙を書く女と召使い>含 む11点を盗んだグループの頭かつ、ダブリンで悪名高き犯罪者。
カ−ヒルはダブリンのスラムで育ち、彼は武装強盗が専門で、ラスボロ −・ハウスを襲う数年前にも市内の宝石店から大量の貴金属を盗みだすことに成功している。警察はカ−ヒル逮捕に躍起するが、彼ははいつも周到な計画ぶりに その鼻先をすり抜けていた。赤外線警報装置に細工をするという方法は彼が考ついたものである。
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