
(*1)1ギルター=20スタイフェル、ちなみに当時の1日労賃は1ギルターほど。
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| 1615年 |
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デルフト在住のキャファ繊工レイニール・ヤ ンス ゾーン(24歳)とアントウェルペン出身のディングナム・バルテンス(20歳)がアムステルダムにて婚姻。二人はフェルメールの父母。 | |
| 1623年 |
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レイニール・ヤンスゾーンが義理の父へ売り 渡す為 に動産目録を作成する。合計評価額は全体で693ギルター、そのうち絵画分は53ギルター10スタイフェル(*1)であった。 | |
| 1629年 | 2 月9日 | レイニール・ヤンスゾーン・フォスが初めて 宿屋と して言及される。 | |
| 1631年 | 10月13日 | 10月13日、レイニール・ヤンスゾーン・ フォス またその名をレイニール・ファン・デル・ミンネがデルフトの聖ルカ組合に画商として加入し、6ギルターの入会金を支払う。 | |
| 1632年 |
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ヨ ハネス.フェルメール生まれる(洗礼は新教会) |
レイブラント<トゥルブ博士の解剖講議>制作。 デルフトの商人、微生物学者、医者でフェルメールと親
交のあったアンソニー・ファン・レーウエンフック生まれる(彼は自分でレンズを磨き、単レンズ顕微鏡を組み立てたことで知られている) |
| 1635年 |
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レイニール・ヤンスゾーン・フォスの住所が フォル スラハトの「空飛ぶ狐」として言及させる。 | |
| 1640年 |
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レイニール・ヤンスゾーンが初めて「フェル メー ル」と自称する。 | ル−ベンス没 |
| 1641年 |
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アーリア・ティンス(後のフェルメールの義 理の 母)の親戚、アウエ・ランゲンデイクに家を購入。ここが結婚後のフェルメールの住まいとなる。 | ヴァン・ダイク没 |
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レイニール・フォスがマルクト広場に宿屋 「メーヘ レン」を購入。 | ||
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レイニール・ボルネスとマーリア・ティンス (フェ ルメールの将来の妻の両親)が離婚。財産分割のために絵画を含む財産の目録を作成。 | ||
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1652年 |
画家レオナールト・ブラメールが、デルフ トの所 蔵家の持つ油彩画作品を素描にてコピー。うち数点はレイニール・ヤンスゾーン・フォスが所有していた |
1642年ガリレオ・ガリレイ没、レイブラント<夜警> 制作。 イギリス市民戦争始る(〜51年) 1651年1月、オランダ7州代表会議開催。 10月、英のクロムウェルが、第1次航海条例を発布。オ ランダの仲介貿易に大打撃。 |
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レイニール・ヤンスゾーン・フォス没。新教 会に埋 葬される。 | 第一次オランダ・イギリス戦争勃発(〜54 年) |
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フェ ルメールとカタリーナ・ボルネスが結婚。新婦の母マーリア・ティンスは 結婚の書類に署名の意思はないが結婚を邪魔する気はないと語った。証人の一人に画家レオナールト・ブラメール。この結婚を機にフェルメールはカトリックに 改宗したとの説もある。 | ヤン・デ・ウィットがホランド州首席委員に就任。オランダ7州連合共 和国の実 権を握る。 |
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デルフト近郊のスヒップライで両者の結婚が 承認さ れる。 | ||
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フェルメールが某証書で画家テル・ボンフと ともに 証人として署名。 | ||
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フェルメールの母に関わる証書に画家レオ ナール ト・ブラメールが証書として署名。 | ||
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フェルメールが聖ルカ組合に親方画家として 加入し 入会金の一部10スタイフェルを支払う(残金4ギルター10スタイフェルは1656年7月24日に完済した) | 1654年第一次オランダ・イギリス戦争終 わる。 オランダ、ポルトガル、スウェーデンはクロムウェルの航海条例を受諾。パスカル『エビクテトスとモンテーニュに関するサシの対話』著。 | |
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フェルメール夫妻が1648年12月5日付 の父の 負債(250ギルター)の保証人になる。 | |
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この年最初の記念作品<取り持ち女>の制 作。 | ベラスケス<ラス・メニーナス>制作。 | |
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マーリア・ティンスが財産のほとんどを娘で フェル メールの妻カタリーナ・ボルネスとその子供達に譲ると言う内容の遺言状を作成した。 | |
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画商ヨハネス・デ・レニアルムの財産目録に フェル メールの<聖墳墓詣で>の記載あり。評価額は20ギルター。 | ||
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フェルメール夫妻がピーテル・クラースゾー ン・ ファン・ライフェンから200ギルターの借金をする。 | ||
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フェルメールの子供が旧教会に埋葬される。 住所は アウエ・ランゲンディク | ベラスケス没 |
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宿屋コルネーリス・コルネーリスゾーン・ デ・ヘル トの財産目録に「黒檀額入りのヤン・ファン・デル・メール」の絵の記載あり。6月14日に20ギルター10スタイフェルで売却。 | |
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フェルメールがデルフトの聖ルカ組合の理事 とな る。 | レイブラント、<アムステルダムの服屋ガイドの標本>(The Staalmeesters)制作。 |
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マーリア・ティンスが1657年6月18日 作成の 遺言状を変更。娘に以前贈与したものの他に金の十字架、孫達に600ギルター、さらにフェルメールに50ギルターの金贈与を決定した。 | ||
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フェルメールはこの年も引き続き聖ルカ組合 の理事 となる。 | ||
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フランス人美術愛好家ド・モンコニーがフェ ルメー ルを訪問。画家の自宅には作品が1点もなかった、パン屋に1点あったが人物が一人しか描かれていないのに600ギルターと言う、自分には60ギルターでも 高く思える、と日記に記す。 | ||
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フェルメール、薬屋に6ギルター13スタイ フェル に借金。おそらく絵具代だと思われる |
ハルス<リ−ジェントにある老人の家>制作 第二次オランダ・イギリス戦争始まる。(〜67年) |
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ハーグの彫刻家ジャン・ラルソンの財産目録 にフェ ルメールのトローニーの記載あり。評価額は10ギルター。 | ||
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ピーテル・ファン・ライフェンの妻がフェル メール に対して500ギルターの贈与を決める。ただし、彼女がフェルメールより先に没した場合、との条件が付けられた。(彼女は1681年に亡くなったのでlこ の遺贈は実現されなかった模様) | スペインのフィリップ4世からチャールズ2 世に王 位が継承される。 |
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マーリア・ティンスは、重なる暴力を理由に 同居し ていた息子ウィレムの矯正院収容許可を得る。 | ハルス没 |
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この年に刊行されたファン・ブレイスウィッ クの 『デルフト年代記』に、存命画家の一人としてフェルメールの名あり。フェルメールはファブリティウスの後継者としても称揚されている。 | ブルタの和約成立し、第二次オランダ・イギ リス戦 争終わる。仏王ルイ14世侵略戦争を開始。西領ネーデルランドに侵入。 | |
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フェルメールの子供が死去(旧教会に埋葬) | ||
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アーリア・ティンスが遺言状を作成。6分の 5娘カ タリーナに、6分の1を息子ウィレムに遺すと記する。 | ||
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この年、<天文学者>の制作。 | ||
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この年、<地理学者>を制作。 この年から78年の間に書かれたヤン・シスムスの画家 ファン・デル・メール(フェルメール)の名があり、作品として「上流社会の若者たちと城」が挙げられている。 |
レイブラント没。 | |
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フェルメールの母が自宅「メーヘレン」を売 りに出 すが、低い値しかつかず、競売は中止された。 | ||
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フェルメールの母がメーヘレンを賃貸に出 す。年間 賃貸料は190ギルター。 | ||
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ピーテル・テーディング・ファン・ベルクハ ウトが フェルメールを訪れ作品を見る。 | ||
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ピーテル・テーディング・ファン・ベルクハ ウトが フェルメールを再訪 | ||
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フェルメールの子供が死去(旧教会に埋葬) | ||
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フェルメールの母が死去(新教会に埋葬) | ドーヴァーの密約で英王チャールズ二世は、 仏王ル イ14世の対スペイン・オランダ戦争に協力することを約す。 |
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フェルメールの姉が死去。遺言状(1670 年に作 成)に従い、フェルメールは400ギルターの遺贈を受ける。 | ||
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2月に没した母より「メーヘレン」を相続 | ||
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聖ルカ組合の理事となる。 | ||
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この年も聖ルカ組合の理事となる。 | ||
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フェルメールが5月1日より6年間契約で 「メー ヘレン」を賃貸に出す。年間賃貸料は180ギルター。 |
第三次オランダ・イギリス戦争始まる。(ドーヴァーの密 約による) 4月6日、仏王ルイ14世、オランダ7州連合に宣戦、 6月12日、英国、ミュンスター、ケルンと同盟した仏軍
がオランダに侵略する。 |
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ハンス・ヨルダーンスと共にハーグに呼ば れ、イタ リア絵画を鑑定する。 | ||
| 1673年 | この頃から没年までフェルメールは義理の母 の代理 人として貸金の回収に走することが多くなる。 | 8月30日、オランダ7州連合共和国は、ハーグでスペイン王、神聖 ローマ皇 帝、ロレーヌ公と盟約を結ぶ。年末第三次オランダ・イギリス戦争終わり、略奪をつくした仏軍がオランダより撤退する。 | |
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フェルメールの子供が死去(旧教会に埋葬) | ||
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この年までのデルフト市民防衛隊の名簿に
ファン・
デル・メール(フェルメール)の名前あり。 デルフト市民の5%にあたる人々に対するこの年の課税簿にマーリア・ティンスの名前あり。フェルメールは対象外。課税額から判断して、マーリア・ティンス の当時の財産は2万600ギルターと推測される。 |
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フェルメール、1000ギルターの借金をす る。 | ||
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フェ ルメール、アウエ・ランゲンデイクで死去。死亡記事に8人の未成年児 (25歳以下を意味する)を遺すとある。旧教会に埋葬される。同所はすでにフェルメールの3人の遺児が眠っていた。 | |
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フェルメールの死去に際し慈善院に義援金の 納入な しと記録あり。 | ||
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パン屋のヘンドリック・ファン・バイテンの もとに フェルメールの未亡人カタリーナ・ボルネスが出頭し、未払いのパン代金617ギルター6スタイフェルのかたに<手紙を書く婦人と召使い>、<ギターを弾く 女>を渡す。ただし年間50ギルターを返済し、完済した暁には二点の絵画を返却するという条件をつけた。 | |
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あるいは24日、カタリーナ・ボルネスが母 のマー リア・ティンスに<絵画芸術>を譲渡。 | ||
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フェルメール夫妻の財産目録が作成される。 | ||
| 4月24日及び30日 | カタリーナ・ボルネスが自己破産を申請。申 請書の なかでフランス王の侵略(1672年)以来夫は全く収入がなく、手持ちの絵は損失覚悟で売った、11人の子供養わなければならなかったと証言。 | ||
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マーリア・ティンスがすべての財産をフェル メール の子供に遺贈すると遺言状を書き変えた。 | ||
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アンソニー・ファン・レーウエンフックが フェル メールの遺産管理人に任命される。 | ||
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画商やヤン・コロンビールがヤヌチュ・ス テーフェ ンスの依頼で「ステーフェンスに対するカタリーナ・ボルネスの借金のかたに、1676年2月10日、ボルネス所有の絵26点を500ギルターで購入し、ハ −ルレム市に運んだ」と証言。コロンビールはステーフェンスに金を貸したので、この代理取り立てになった模様。 | ||
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この時に作成された証書で、カタリーナ・ボ ルネス はステーフェンスに442ギルターの借金をしているが、彼女が342ギルターを支払った場合には、ステーフェンスは26点の絵画を返却しなければならない と定められた。 | |
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マーリア・ティンスは娘より<絵画芸術>を 譲渡さ れていたにもかかわらず、ファン・レーウエンフックがこの絵を他の(25点の)絵と共に競売にかけようとしていると抗議。 | ||
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フェルメールの遺児の後見人がカタリーナ・ ボルネ スの親戚の者に合計3200ギルター余の案件を任せる。同日、カタリーナとその母はそのうち2900ギルターの処分を許可される。 | ||
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ボルネス所有のハウダの土地の処分をファ ン・レー ウエンフックが指示。 | |
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マーリア・ティンス死去。フェルメールと同 じ墓に 埋葬される。 | |
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タリーナ・ボルネスが400ギルターの借 金。 | |
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タリーナ・ボルネスが400ギルターの借 金。 | ||
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ヤーコブ・ディシウスの妻マフダレーナが死 去。約 1年後に作成された財産目録には20点のフェルメールの絵が記載されている。おそらくこの20点に1点が加わったのが1696年に競売にかけられた21点 の絵と考えられる。 | |
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ディエゴ・デュアルト(ハイエンスの友人で アント ウェルペン在住の音楽愛好家)の家に<リュートを弾く女>(フェルメール作、150ギルター)があった。 | ||
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カタリーナ・ボルネスがハウダ市長に出頭。 以下の ように述べる。「夫の死後、11人の子供を抱え、生活が困難である。この状態が8年続いているので、援助無しで8人の子供を養うことが出来ない。その中で もヘ−ルライト(1713年没)は重い病気にかかっていて、金を稼ぐ事は出来ない・・・・」その後市長は、この願いを聞き入れ、2年間にわたり 96 ギルタ−を割り当てた。その後、この96ギルタ−の支給は3年間延長された。その後、この96ギルタ−の支給は3年間延長された。 | |
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カタリーナ・ボルネス死去 | |
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カタリーナ・ボルネス新教会に埋葬される。未成年遺児が5人いたとい う記録あり。慈善院に 義援金の納入はなかった。 | |
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1ヶ月後に行われる競売の広告が出る。「極めて芸術的な油彩画であ る。そのうち21点がデ ルフトのフェルメールが制作した力強く、見事なできばえの作品である。画材は様々でこの作家の最良の作品と、その他の2〜3作品からなる」 | |
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21 点のフェルメールの作品がアムステルダムにて競売にかけられる。 |
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