
| 制 作法を探る |
幾 度も述べる事になるが、今現在、習作デッサンが残っておらず、いきなり遠近法を充分に活用し、造形的にも優れた作品を描きはじめていることは今でも謎であ る。
その中で、様々な制作法が研究者の中で問われているが、その中で代表
的な論説をそれぞれ辿ってみよう。
フェルメールの制作法について多くの研究者がカメラ・オブスキュラについて触れているが、、フェルメールの光学装置利用説の口火を切ったのは
19世紀末、アメリカの画家ジェ
セフ・ベンネルであった。
フェルメールの眼前のものを直接描いたのではなく、写真的な機器を 使って制作したのではないかという説を提示。
その中で<兵士と笑う女>を指摘。

この作品はフェルメール独特の日溜りの室内画の先駆けと思われる作品 である。
そして多くの研究家が指摘していることだが、至近距離で向かい合っ ていながら女性と比べて後ろ姿の兵士が大きすぎるというのである。これは、レンズに近接している被写体に起こる写 真的な歪みに似ている。当 時の初期型カメラ・オブスキュラに用いられていたレンズは、長焦点のものであったと考えられる。そのため、絞りが装備されていたとも思われない。そのた め、被写体深度が浅くなり、手前の兵士、中央の娘、背景の壁を描くのにレンズを少しずつ動かしながらそれぞれの被写体に焦点を合わせる必要があっただろ う。仮にフェルメールが初期の光学装置で、像を直接壁面などに結ばせるタイプのカメラ・オブスキュラを使用していたなら、画面ガラスが大きくなったぶん、 画面も広がり、遠近感が増すばかりである。
この大きさの違いは、1920年代にウィレンスの
目にも止まり、今度は鏡の利用を想像させることになる。ウィレンスは、舞台となった部屋の寸法を概算し、投影図を作成している。
1946年、ハ イヤット・メイヤーは、モチーフの大きさの違いのみならず、色 調、点描にも注目し、さらには某画家がカメラ・オブスキュラから多くを 学んだとの1755年の記録を傍証して、フェルメールもまた同じ機器を利用した可能性があると結論した。ローレンス・ガウイングは、こうした指摘とフェル メールとアンソニー・ファン・レーウエンフックとの関係を結び付け、別の角度からフェルメールによるカメラ・オブスキュラの利用説を再説している。繰り返 すことになるが、顕微鏡の発明者であるアンソニー・ファン・レーウエンフックは、フェルメールの没後の財産管理を任されており、画家との一定の交渉を推測 させる人物である。
ここで、<音楽の稽古>を挙げてみよう。
床のタイ
ル、窓枠、画面右側に置かれたテーブルの左端の線が単一の地平線上に縮小していく典型的な遠近法構図を示している。
そして、<音楽の稽古>だけではなくほとんどの作品で、作品の視点、 つまり彼の目の前にある情景を観察する視点が、窓の下枠の高さに一致している。(下の図参考)
ここで壁にかかっている鏡に注目しよう。
鏡には、
ヴァージナルに向かって正面を向いている女性の姿、彼女のうしろにテーブル、画架の足の部分が見えている。しかし、鏡の中に映り込んでいる床のタイルの図
柄から判断し画家は女性の左後方に斜めに置かれた画架にいるはずであり、女性を斜め後ろからながめていることになる。しかしこの作品では、彼女の真後ろか
らの視野が収められている。つまり、この作品の視点が画家のもとではないと物語っていないだろうか。(右図参考)
(参考)
観察する視点。このようにほぼ同一の場所に集中。(左端は後ろの壁を想定)
この矛盾のおくに、フェルメールの作品制作の秘密であるカメラ・オブ
スキュラによる視点が隠されているのではないか。
ローレンス・ガウイング以降、フェルメールのカメラ・オブスキュラ利用説は勢いを得て、60年代には、チャールズ・セイモアによる一九世紀のカメラ・オブ
スキュラを使った実験結果が、70年代にはD・A・フィンクによるフェルメール作品に見られる光学的現象の観察結果が共に『The
Art
Bulletin』誌上で発表され、カメラ・オブスキュラ利用説を補強している。そこで、カメラ・オブスキュラ利用説の強力な推進者であるフィンクの指摘
した点をその理由と共に挙げてみよう。
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フェルメールの作品の大半が同じ高さから描かれているが、当時のカメラ・オブスキュラの高さがこれに一致する。しかも視線が窓近くに設定され、しかも視線 が窓に平行かやや内側へ逸れて壁に向かっているのは光をできるだけ多く取り込むためための工夫ではないか。
人間の目は焦点面を瞬時に、そして次々に変えてゆくことできる。したがって、静止したレンズで起こるピンボケ現象を日常生活のなかで意識するすることはあ まりない。しかし一度カメラを覗けば、像というものが焦点面以外ではぼやけてしまうのだということに直ちに気付く。そして、一定の面、大抵は後ろの壁だけ に焦点が合い、その他の部分がぼんやりとしているフェルメールの画像がカメラ画像に近い。フェルメールの作品では、画面と平行の奥の壁が最もシャープな像 を結び、前にくるほど像の輪郭は柔らかさを増す。つまり、奥の壁が焦点面になり、しかも画面と平行なのは、ぼやけご具合で各モチーフの画面からの距離を明 示し、空間の構成に混乱を来さないようにするためである。
この点描が焦点面以外のところに生じていること、しかもそれが焦点面から遠くになればなるほど大きくなってることにカメラ・オブスキュラ使用説の強力な推 進者であるフィンクは注目した。精度の低いレンズを使ったカメラ・オブスキュラだからこそ起きる現象だというのがフィンクの理解である。
フェルメールの画像は光の強く当たるところでソフトになり、くっきりとした輪郭を失う。椅子の鋲、袖の刺繍、真珠、宝石、篭、水差しの描写が具体的な例で ある。このハレーションに似た現象は、レンズ特有の現象であり、裸眼では説明がつかない。
<窓辺で手紙を読む女>、<音楽の稽古>のガラス及び鏡に映った像は、実像より小さめで、しかもぼんやりとしいる。他の画家は反映像をはっきり描いている にもかかわらず、なぜなのか。もし、焦点面が鏡の面にあるとすれば、こそから一定距離のところにあるはずの反映像は当然小さくなるであろうし、ぼやけても くる。レンズを使った証拠ではないのか、というのである。 <窓辺で手
紙を読む女> <音楽の
稽古> (拡大図)
フェルメールの作品にいくつにかは前景左側にカーテンが掛かっている。これはカメラ・オブスキュラに最適の光の加減を調節するための工夫ではないかとい う。曇りのない像を得るためには多くの光を取り入れる必要があるが、映し出された像を鮮明にするためには、受像面を暗く抑えておかなければならない。カー テンは、私達が証明写真用の写真を撮るときにカメラマンの上に被せる黒い布に相当するというわけである。
フェルメールはときに静物を詳細に描き込んでいるが、動き回る人物よりも、動かぬにこそ効果を十分に発揮するカメラ・オブスキュラえを使用した結果であ る。
フェルメールが使用したキャンバスの比率はたいてい1対0.85に収まり限りなく正方形に近い。丸いレンズに映った像を切り取ったとすれば、極めて自然な キャンバスの選択である。
画面に描き込まれたモチーフは、置かれた位置に正確に対応した大きさを持つ。こそには、裸眼で、つまり二つの目で見た場合に無意識に施される修正も、既知 の情報に基づく修正も見られない。これは、レンズの映し出す冷厳な像に従った結果である。 |
それは、フェルメールの現存作品の3分の2にあたる23点を集めて1995
年11月から翌年3月に、アメリカ・ワシントン、オランダ・ハーグで行われた回顧展を
機にフェルメール熱が一気に高まり、それに呼応してフェルメールに関連する書物が大量に出版された。その回顧展のためにフェルメール作品の修復にあたった
ハーグにあるマウリッツハイス絵画館の学芸員ヨルゲン・ウェイドゥムが書した『Vermeer
in Perspective
』の中で、従来とは全く異なる視点からフェルメールの画像とカメラ・オブスキュラの直接的関係に疑問を提示している。彼は、13点のフェルメール作品で、
消失点の想定される部分に地塗り層が欠損していることを発見し、そこからフェルメールが当時の透視法理論に厳格に則して構図を決定していたと推論したので
ある。
その論文の重要な部分を引用すると、
| 「フェルメールは、彼の絵で実際に行っているように、ハンス・フレ
デンマン・デフリース
の『透視図法』という理論書で記されている遠近法の法則に精通していた。キャンバスの中の消失点にピンを差し込み、そのピンに紐を付けておくというフェル
メールの制作法の物的証拠を彼の13点の絵が未だに残している。 ちなみにフェルメールの制作方法の痕跡は、ピンホール(針の穴)を除いてはほとんど、あるいは全く残されていない。その糸を使用することで、彼は正しい消 失線を作るためにキャンバスのどんな場所にでも到達することができたのである。」 |
フェルメールの作品では、下塗りのほとんどすべてが鉛白を含んでいるので、ピンが差し込まれた下塗りの欠損は通常X線写真で見ると暗点となって見える。
キャンバスを通じてピンを置くこの方法は、フェルメールの特有なことではなく、彼と同時代の建築画家の間では実に広く実行されていたり、今日でもトロンプ
ルイユの室内画家によって使用されている。フェルメールは、この作図法に徐々に習熟していき、初期には45度〜35度であった画面視野は、後年には30度
〜22度に減じているという。
フェルメールはこの作図法が当時の遠近法、特に2点遠近法の理論に厳格に則ったものであることは多くの研究者によって確認されている。また、ウェイドゥム
は、こうした遠近法を理論を1650年代にデルフトで活躍していた教会室内画家や同じ風俗画のデ・ホーホから学んだのではないかと推測している。これは、
彼らの作例が、フェルメールの試みに時間的に先行しているからが理由である。ところがそれらの巨匠が遠近法の歪みの追放に苦心していたのに対し、フェル
メールは理論的でありながらも目に違和感のしない像を徐々に獲得していった。
ウェイドゥムは、ここで、フェルメールの作品の消失点の多くで地塗り層で欠損があるのは、フェルメールが当時の理論書にある透視法をまさに糸と粉による便
法を使って実践したためだと結論した。確かに、フェルメールの作品の消失点、2つの遠隔点に糸を固定してみると、ハンス・フレデンマン・デフリースの言う
透視法が適用されていることが判明する。ウェイドゥムはさらに続ける。フェルメールがそうした作業のなかでハンス・フレデンマン・デ・フリースの図の誤り
を修正しながら進めているのである。フェルメールは、当初消失点はやや高めにし、消失点から各遠隔線の距離を小さめに設定したため透視図法的に歪みのあら
われやすい画面周辺でタイルの大きさが極端に小さくなったり、細長くなったりして空間の構成にやや無理が生じている。視野角度43度の<紳士とワインを飲
む女>、37度の<二人の紳士と女>などがその例であっていずれも初期の作品である。フェルメールはこのことに徐々に気づいていったのか、1660年代に
進むにつれて、消失点を低めにし、消失点から各遠隔線の距離を大きめに取る事によって視点は画面から徐々に遠くに離れ、同じ範囲の情景を捉える視野角度は
小さくなり、それとともに、透視法上の歪みが集中する周辺部分は描写の対象から追い出されることになる。
この結果、視野角度は<絵画芸術>で30度、<ヴァージナルの前に 座る女>で22度にまでなり、透視図法的に正確で、しかも自然な視覚印象を与える。
ウェイドゥムのこの議論が正しいとすれば、フェルメールは透視図法に厳格に則りつつ空間を構築していたことになる。それは、自分の求めるイメージに合う空
間を自由に描いていたということでもある。カメラ・オブスキュラの像をそのまま写したのとは異なる操作された空間がフェルメールの空間である、というわけ
だ。ウェイドゥムは、フェルメールの没後の財産目録にカメラ・オブスキュラの記載がないことにも注目している。しかしそこに記載されている「本」の類が透
視法の理論書であった可能性はあろう。カメラ・オブスキュラとフェルメールの関わりは、ウェイドゥムによって透視図法説が定着しつつある。
ここで、日本のフェルメール研究で知られている小林頼子氏の説を紹介しよう。小林は、ウェイドゥムの説を支持しながらも画面構成法に関するもう一つの仮説
を次のように提示した。
フェルメールは描こうとする部屋の見取り図を予めいくつか用意しており、制作の際にはそのうち一つを選び、視点を定め、視野角度を定め、スウィレンスが再
現したような見取り図を光に仕上げる。次にこの見取り図に従って描こうとする空間を小さなスケールで透視図法的に矛盾なく平面に描いてゆく。これなら描き
入れるべきモチーフの大きさは、位置に従って正確かつ容易に算出できる。フェルメール作品の各モチーフの大きさが首尾一貫しているのも当然となる。キャン
バスには、その縮小版の画面から計算して、消失点と床の高さに先に入れておけば後の作業は楽に進む。先に触れた消失点部分の地塗り層の絵の具の欠損は、そ
こに糸の一端をピンでとめて、消失点の修正に役立てた後ではないか。
このような制作法は、当時の建築画家、例えばフェルメールと同時期にデルフトに居住していたヘンドリック・ファン・フリートも遠近法的に矛盾のない下絵を
描きそれを拡大して油彩画制作をするという手法を用いていたようだ。フェルメールはこうした建築画家の手法に学んで予め小さなスケールと空間図を用意して
その上で油彩画に取りかかったのではないかと推測している。
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