フェルメールの師

 

 当時、画家になるには師の元で6年間修行することが常であったが、 その修行時代に先立つ幼少時代(9歳の頃)彼は近隣の学校で読み書きを学ぶ傍らカトリックの画家コレネーリス・ダーメン・リートウェイクが主宰する素描学 校に通っていたらしいと推測されている。しかしフェルメールの師は誰なのか。今の段階では特定出来ていない誰 に師事したのかその内容に関してと後に触れるが、彼の技法に関する記録が全く残っていないのである。ちなみにこうした情報不足はフェルメール問わず17世 紀の画家にとってはごく当たり前のことである。その中で、フェルメールを導いた師が誰なのか、整理してみよう。

具体的には次の候補が4人挙げられている。

 
 
最初に師ではないか と推測されていたカーレル・ファイブリツィウス

 彼は1654年デルフト火薬庫の爆発に遭い命を落としている。1667年に刊行 されたブレイスウィックの著書の『デルフト市誌』の中で彼の死を悼する8節からなる詩を載せて、その才能を讃えている。その中でフェルメールの名が出て来 ている。

   かくして不死鳥は30歳でその歩みをとめた。
   華々しい活躍の真っ最中に
   だが幸いな事に、彼を運び去った火の中から
   フェルメールが現れて、堂々と彼と腕を競った。

 でこの最後の節で、ファイブリツィウスの偉業を継ぐ者はフェルメールだという趣 旨のことがうたわれているからであった。しかも、ファイブリツィウスとフェルメールは、視覚機器への関心、粘りのある色彩方(特に初期である1650年代 後半のフェルメール)、光の描写に対する深い関心を共有している。ファイブリツィウス説には様式から見てそれなりの説得力が備わっているのである。

(否定論)
 ファイブリツィウ スは1650年頃にデルフトに移住しているが、同市で弟子をと り得たのは1652年10月29日以降だということが分っている。この日、フェルメールはデルフトの聖ルカ組合に入会しようやくデルフトの画家として活躍 する資格を手に入れている。修行期間が6年だった事から、1653年12月29日に聖ルカ組合に加入したフェルメールの修行期間は、1648年頃から始 まっていることになる。したがってもしフェルメールがファイブリツィウスに師事したとしてもそれは彼の修行の最後の1年に限られてしまう。

 

 
レオナルド・ブラーメル

 この説はしばしば提示されてきた。彼は生涯の大半をデルフトで活動した静物画家 で一流とは言えないが、当時の評価は高かったようである。イタリア、フランスを訪れたこともあり劇的な明暗法を使った夜景で知られている。フェルメールの 関係を示唆する記録も残っている。

 ちなみに1653 年4月5日フェルメールの婚姻契約書の仲越したりその1ヶ月後の5月6日にはフェルメールの実母に係わる公正証書の証人として署名もしている。ま た11人のデルフトのコレクター所蔵作品を素描でコピーしているが、その中で何点かはフェルメールの父のコレクションであった。これからこからフェルメー ル家が家族ぐるみでブラーメルと親しく行き来していたことが分かる。そして彼の作風は、フェルメール初期の作品である物語画に見られるカラヴァシスムの影 響は、イタリアに滞在したことのあるブラーメルの教えからとの見方もできる。

(否定論)
 ブラーメルは不分 明な大きな空間に複数の小さな人物を配し、糸のような震えるハ イライトで強い明暗を示唆した画家であり、明快な空間、人物を大きく配置した構図、色彩効果への強い関心を特徴とするフェルメール様式面では類似点もなく 疑問が残る。先ほどフェルメールの初期の作品にはカラヴァシスムの影響が見られると述べたが、ブラーメルはカラヴァシスムの盛んだった1615〜26年頃 にはローマに滞在しており、かつ17世紀には弟子が師と異なる画風で仕事をするのは必ずしも珍しいことではなかったからである。そして画商であったフェル メールの父は、当時の記録を見る限り複数のデルフトの画家と行き来があり、ブラーメルばかりがフェルメール家と交渉のあった画家ではなかった。

ユトレヒトの画家アーブラハム・ブルーマールト

 この説は長年にわ たりフェルメール関連の古文書研究に精力的に携わってきたアメ リカ人経済史家モンティアスが1987年に提示した。元来プロテスタントを信仰するフェルメールがカトリックを信仰するカタリーナ・ボルネスと知り合うこ とができたのも、ブラーメルが義理母マーリア・ティンスの婚姻関係で あり、カトリック信者であり、この人脈を考えれば納得がいくと言うので ある。
フェルメールとカラヴァシスムの出会いに関しても次の事が言えるという。1620年代のユトレヒトは、オランダ・カラヴァシスムのメッカである。何度も言 うように、フェルメールの初期の作品に見られるカラヴァシスムもブラーメルの影響ではないかという。


クリスティアーン・ファン・カウェンベルフ説

 この説は、フェル メールが聖ルカ組合に入会する時払った入会金から推測された。 この時、彼は入会する時に6ギルターを支払っている。しかし、組合の規則によれば新入会者はデルフトに生まれ、その父がすでに組合員であれば入会金はその 半額の3ギルターであるはずである。モンティアスは、おそらくフェルメールの父がすでに亡くなっていた(1652年)ため、「父がすでに組合員である場 合」という条項の適用がなかったであろうと推測した。
 しかし、ファン・デル・フェーンは、その推測に疑問を持っていたようである。そこで彼は、組合の規則を読み直し、「当人が2年以上をデルフトの聖ルカ組 合所属の画家の許で修行した場合」に注目した。なぜフェルメールが入会金を六ギルター支払ったのかは、この規則に達しなかったからというというのが筋が通 るのである。つまりフェルメールはデルフトでは2年以上修行を積んで いない、本格的な画家としての手ほどきはデルフト以外の都市で受けた可能性が高いのである。

 しかしなぜカウェ ンバルフが推測出来るのか。フェルメールが修行を開始したと考 えられる1648年前後に彼もデルフトからハーグに移り住んでいる時期と符合している。そして彼とフェルメールの作風が近似しているのである。フェルメー ルの初期の物語画でカラヴァッジョを思わせる深々とした色彩、光を強く意識した明暗などが挙げられる。
<アリアとマルタの家のキリスト>を例にあげてみよう。この作品は、ルーベンス風の様式であるが、もし、フェルメールがハーグのファン・カウェンベルフの 許で修行していたとすれば、彼はオランダにいながらにして最新のフランドル絵画を間近に学ぶ事が出来た事になる。次に最初期作品に選んだ主題「マリアとマ ルタの家のキリスト」を考えてみよう。 この主題は、すでに1629年にファン・カウェンベルフにより取り上げられているが、そこではカラヴァシスムに特 徴的な半身の構図、キリストを真ん中にした人物配置がとられている。フェルメールとの違いは実に大きいが、両者は室内の構造を壁や天井で大まかに暗示する という明らかな共通点を持っている。そればかりか、画面のすぐ近くに人物を大きく配置し、光の効果を強く意識したフェルメール作品は、より迫力ある画面作 りを求めたカラヴァシスム様式なしにとうてい考えられない。もし、フェルメールがファン・カウェンベルフに師事したとすれば、師の構図にそっくり倣うより はカラヴァシスムを生かしつつも、より伝統的な全身構図<アリアとマルタの家のキリスト>を構想したとしたのは至極もっともな選択といえるのではないか。

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