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庭訓の往来誰が文庫より今朝の春 (ていきんのわうらいたがぶんこよりけさのはる)

 我が家でも、正月二日には必ず書き初めをする。始めの頃は妻がやろうやろうというので、おつき合い程度の気分でやっていたが、最近字を筆で書くと言うことが、面白くなってきてひと月に一回はお習字の日として、使うことにした。そんなにたくさん書くわけではなく、たった一枚、色紙程度の大きさの紙に書くのである。これが何とも、快い緊張感があってよい。私と息子は大体自分の俳句などを書く、妻は聖書の言葉などから選んで書く。上手くても下手でも良い、心を込めて一枚書くと、気持ちがすっきりする。多分これは上手くはないが、良い字に違いないなどと、自己満足している。

三十五歳(俳諧江戸広小路)

「新春、寺子達は手箱から『庭訓往来』を出して年賀状を手習う。新春が手箱の中から出てくる様なものだが、さてどの子が真っ先にあけるかな。」

※庭訓の往来  寺子屋などで用いる初等教科書。
※文庫  手箱


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甲比丹もつくばはせけり君が春 (かびたんもつくばはせけりきみがはる)

 私はあまり、というかほとんど政治的な人間ではないが。それでも、権力とか力には反発する気持がどこかにある。だからアンチ巨人だし、アンチ自民党なのだが。芭蕉のこの句を読むと、かなりべったりと時の権力を讚えているが、芭蕉はそういう型の詩人なのかなあ。万葉の詩人などには、自分と国と国土との一体感があったようだが、本来そういうふうになれれば、幸せなんだろうな。でもまあ、この句ぐらいでは、将軍に対するオベンチャラぐらいの句だ。

三十五歳(俳諧江戸通り町)

「遠い異国の使者甲比丹まで、へへえと這いつくばわせる将軍様の、ご威光あまねきめでたい春。」

※甲比丹  長崎出島にあったオランダ商館の長。毎春江戸に赴き、貿易免許の礼として、将軍に献上物を捧げた。


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内裏雛人形天皇の御宇とかや (だいりびなにんぎやうてんのうのぎようとかや)

 私は、雛人形を毎年飾るような家庭環境に育たなかったのだが、日本人の特に女性などには、この雛人形を毎年飾って祝うということで、かなり意識の中に、ああ自分も大きくなったら、こういう幸せな家庭が作りたいなとか思うものなのだろうか。あるいは内裏雛は天皇だと知って、自分はもう少し低い位置のこのくらいになりたいな、などと思うものなのか。あるいはただかわいいなと思っているだけなのか。雛人形は飾らなかったが、おままごとの相手はさせられた覚えがある。あれはもう全く、女の子主導で、男の子はただかしこまっているばかり。そこでも一般的な幸せな家庭像みたいなものが演じられるわけだが、近年こう離婚などが一般化してくると離婚ごっこなどという、おままごとがありはしないか。「ちょんなことをいうと、もうりこんでちゅよ。パパ」とか。それとももっと、進んで(離婚ゲーム)などという、パソコンゲームで遊ぶ時代がやって来る可能性もある。

三十五歳(俳諧江戸広小路)

「桃の節句の雛壇に飾り立てられた内裏雛。それは文字どおり人形天皇の御代といった感じだ。」

※内裏雛  天皇・皇后の姿に似せて作った人形。


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初花に命七十五年ほど (はつはなにいのちななじゅうごねんほど)

 「初」の付く季語は、「現代俳句歳時記」によれば140程ある。これは良く分かることで、何でも最初に出会ったものには、一番強烈な印象を受ける。二回目、三回目と印象がうすれてゆき、十回目ともなれば、もうどうでもいいや、ということになる。俳句や、芸術作品などでもそうで、最初いやに新鮮な印象を受けた作品でも、二回目三回目となるとだんだん色あせて見えてくる。そこのところである。本当にすぐれた芸術作品や俳句には飽きがこない。いつも新鮮である。時代を越えていつも新鮮である。だから芭蕉の名句はいつまでも残るし、I.T.さんなどの句は消えていってしまうのである。

三十五歳(俳諧江戸通り町)

「諺に『初物食えば七十五日生き延びる』とあるが、この初花を見ては、七十五日どころか七十五年ほども生き延びる思いがするよ。」


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  不卜亡母追悼

水向けて跡訪ひたまへ道明寺 (みづむけてあととひたまへだうみやうじ)

 昨日高崎の実家に行って、筑摩書房の古典日本文学全集の松尾芭蕉集(上、下)を頂いてきた。母は高校の国語の教師だったので、こういう本が割とそろっている。ちなみに、上巻は昭和三十五年の発行で一冊450円である。加藤楸邨が1句1句丁寧に解説しているし、芥川竜之介や島崎藤村、萩原朔太郎などがそれぞれ芭蕉のことを書いていて、なかなか面白そうである。だいたい、「芭蕉全句鑑賞」などやろうとすれば、こういう本の一冊や二冊読んでから始めるのが普通の様な気がするが、私は全然読んでない。つまり私の鑑賞の意図というのは、現代に住んでいるごく普通の知識しか無い私が、いかに芭蕉を鑑賞してゆく事ができるか、という一つのチャレンジでもあるので、読者は私の鑑賞文の中から学者的な知識は全く期待しないでもらいたい。それにしても、貰ってきた本は面白そうなので、ぼちぼち読んでみようとは思うが。

※不卜(ふぼく) 江戸の俳人。「江戸広小路」の選者。

三十五歳(俳諧江戸広小路)

「炎暑の今、亡き母御の霊前には、冷たい水で和らげた道明寺を手向けて弔い給え。」

※水向け  仏前に水を手向けること。道明寺に水を注ぐ意をきかす。
※道明寺  もち米で作った乾飯。河内の道明寺に起こる。夏、暑気を避けるのに良い。


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あやめ生ひけり軒の鰯のされかうべ (あやめおひけりのきのいわしのされかうべ)

 何か非常に生な感覚のある句である。解説にいろいろ、もじりだ何だと書いてあるが無視したい。何かこう、非常に冴え冴えとした、生と死がぶつかりあったときに感じるある種の感覚がある。やはりこれは、あやめとされかうべの配合から来るものでしょう。たとえば、インドのタントラには、人間の髑髏を器にして食べ物を頂くという修業があるそうだが、そんな話を聞いた時に感じる感覚である。

三十五歳(俳諧江戸広小路)

「節分の夜に軒端に挿した鰯の頭が、されこうべになって残っている。そのかたわらに端午の節句であやめを挿してあるのを見ると、小町の髑髏ならぬ鰯の髑髏の目の穴から、薄ならぬあやめが生えだした具合だ。」

※小野小町の死後、その髑髏の目の穴から薄が生えて「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ小野とは言はじ薄生ひけり」と詠んだという故事のもじり。
※節分の夜、鬼払いの呪いとして鰯の頭をヒイラギの枝に通して戸口や窓に挿す風習がある。
※「あやめ」には「あなめ」を利かす。


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水学も乗物貸さん天の川 (すいがくものりものかさんあまのがわ)

禁煙二十六日目、途中で一度破れたがまがりなりにまだ続いている。一年半ぐらい前にも実は禁煙に挑戦したのだが、このときは一月半で、だめになった。理由はかんたんである、カミさんと喧嘩したからである。どうもこれが私には一番のストレスだ。「もうどうでもいいや、ブカブカ煙草をすって、早く死んじまおう。」っていうわけですよ。
 「男は見えで生きている。」とは(北のくにから)の宗太の言い草だが、私もそれは良く分かる。で、今回の禁煙では、会う人ごとに「禁煙をはじめた。」といっている。これで、禁煙を止めたらかなり男がすたる。一応目安としては、この「芭蕉全句鑑賞」が終わるとき(約二年半先)に禁煙状態が見事につづいていたら、成功としよう(ちょっと長すぎるかな、だいたい三ヶ月つづいたら大丈夫という人もいるくらいだから)。
どうですか、一緒に禁煙をやりませんか。吸いたくなったら、掲示板か何かで愚痴るんですよ、愚痴るとだいぶ楽になりますよ。  あーあ、きょうも俳句とは関係ない事を書いてしまった。

三十五歳(俳諧江戸広小路)

「今宵は彦星が天の川を渡って織女と契る七夕だが、雨で川が荒れ模様。だが、これには水学も同情して、あのからくり船を貸して渡してくれよう。」

※水学  水機関(みずからくり)の発明家。
※「天」に「雨」をかける。


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秋来ぬと妻恋ふ星や鹿の革 (あききぬとつまこふほしやしかのかは)

 解説「秋が来ると七夕の彦星は織女星に愛を求める。同様に、秋の交尾期の牡鹿が妻恋するのも、きっとあの毛皮の白斑のせいなのだ。」
 「なるほどねえ、さすが桃青さん。うまいところに目を付けた。」と、当時の人は思ったのだろうし、加藤楸邨なども「いかにも談林風」と書いている。私はこれが貞門風これが談林風とよくまだわからないのだが。いずれにしろ言葉の表面的な部分の面白み、観念連合を楽しんでいる気がする。そして、それを非難することはできない。五七五という短いことばが、あれほどの高み、あるいは深みに達するとは、当時の人は誰も経験したことが無かったに違いないから。

三十五歳(俳諧江戸通り町)


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雨の日や世間の秋を境町 (あめのひやせけんのあきをさかひちやう)

「霜降れば霜を盾とす法の城』虚子、が思い浮かんだ。つまり芭蕉の句では、雨の降る陰気な秋の日を嫌なものとし、盛り場である境町を良しとしているわけであるが。私は、雨が降ったら雨が降ったでいい、陰気な日は陰気な日で良い、とする虚子の句に共感を覚える。この辺の力の差は、このとき虚子が「さあ、これから俳句をしっかりやるぞ」と意気込んでいたときだし、芭蕉の方は談林の芸風に甘んじていたときだから、やはり、句の意味をこえて気迫の差が出ている。

三十五歳(俳諧江戸広小路)

「秋雨がそぼ降り世間はどこも陰鬱だが、境町だけは世間と境を画すかのように大にぎわいだ。」

※境町  江戸の芝居街。


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実にや月間口千金の通り町 (げにやつきまぐちせんきんのとおりちょう)

 今は不況だ不況だといわれて久しい。私は経済の事は良く分からないのだが、不況と言うことは地球にとっては優しい事なのでは、と思ってしまうのだが。つまり好況ということは、地球の資源をどんどん使って、物を作り、物を消費し、物を捨てるということなのでは、と単純に考えるのだが。どうなんでしょうかねえ、経済成長率0が嫌だという部分は、多分に人間の欲望の部分がそう言っているのではないでしょうか。まだ大地とともに人間があった時代、人間は大地から生まれ、大地とともに生き、大地に還って行くという生活をしていたのではないでしょうか。私はロマンチスト過ぎるか。

三十五歳(俳諧江戸通り町)

「この通り町は間口1間値千金の繁盛ぶりだが、月もそれにふさわしく、一刻千金の眺めだ。」

※通り町に近い鍛冶橋の俳人ニ葉子亭で巻いた歌仙の挨拶句。
※当時商業地の地価は間口1間いくらで表した。
※通り町は日本橋を中心に南北に通ずる江戸一番の繁華街。