| 2009年10月19日(月) |
ハックル (DVD) |
・評価:7(佳作)
・制作年・国:02年ハンガリー
・監督:パールフィ・ジョルジ
・出演:バンディ・フェレンツ、ラーツ・ヨージェフネー、ファルカシュ・ヨーゼフ、ナジ・フェレンツ、ヴィラーグ・フェレンツレー、カサーシュ・アッティラ、マルギタイ・アーギ
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ハンガリーのある小さな村。朝、しゃっくりが止まらないチェクリックおじいさん(フェレンツ)が、家の前のベンチに腰かける。目の前をアヒルやブタ、荷馬車などが通り過ぎる。地下ではモグラがミミズを食べ、そのモグラをおばあさんが鍬で叩き、犬にやる。別なところでは、おばあさんが何か液体を料理にしのばせ、それを食べた猫が痙攣を起こし息絶える。何が起ってもチェクリックおじいさんのしゃっくりは止まらない・・・。
この作品が映画学校の卒業制作で、無名のハンガリー若手監督(28歳)の長編デビュー作というから驚く。牧歌的な日常の風景に潜む、おぞましいサスペンス。若手作家のデビュー作らしく宇宙的ともいえる視点がユニークで、斬新な手法のオンパレードだ。
この作品のコンセプトは、「全世界の出来事を総合的に描写したい」とのこと。ハンガリーのある田舎の日常で、人間の行動と動物・昆虫・植物・機械の働きとを分け隔てなく均等に描写することのようだ。
映画は蛇の目線でスタートし、ある時はコウノトリの目線となり、ある時はX線で人体内部が覗かれ、ある時はF16戦闘機のコックピットからの風景となる。さらにモグラやナマズや機械のパーツなどが見境なくクローズアップされる。ミクロからマクロまで縦横無尽に視点が駆け巡り、食物連鎖で生と死が繰り返され、森羅万象が記録される様子は「神の目」のようにも思える。
「映像」だけでなく、「音声」も非常に斬新だ。この映画はサイレントや記録映画ではないが、台詞が一切ない。アヒルやブタの鳴き声、ミルク缶がぶつかり合う音、工場のミシン音などに、チェクリックおじいさんのしゃっくり(ハンガリー語の擬音でハックル)の音が重なり、シンフォニーを奏でる。
ラストシーンの結婚式で歌われる未亡人の女合唱隊と、民族衣装を着た若い娘の民謡が素晴らしく、この映画の種明しにもなっている。
「亭主が嫌いな女なら/毒草を準備して/唐辛子を加えましょ・・・亭主が好きな女なら/おいしい料理を作りましょ」。
「私は行く/鳥さえ飛ばぬ場所へ/私はみなしごコウノトリ/誰も支えてくれない/悲しみの人生 嘆きの日々/私はここ 悲しい星の下」。
『ミクロコスモス』(96年)や『ツイン・ピークス』(89年)、さらにラストの歌は『白樺の林』(70年)をも彷彿させるが、牧歌的風景やユーモアに隠れた、東欧独特の暗さと不条理感もよく表現されていた。
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| 2009年10月16日(金) |
チェ 28歳の革命 (BD) |
・評価:5(不満)
・制作年・国:08年スペイン、フランス、アメリカ
・監督:スティーヴン・ソダーバーグ
・出演:ベニチオ・デル・トロ、デミアン・ビチル、サンティアゴ・カブレラ、エルビラ・ミンゲス、カタリーナ・サンディノ・モレノ、ロドリゴ・サントロ、ジュリア・オーモンド

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1955年、貧しい人々を助けようとする若き医師ゲバラ(トロ)は、メキシコでカストロ(サントロ)と運命的な出会いをする。キューバ革命を画策するカストロに共感したゲバラは、わずか82人でキューバ政府軍と戦うため海を渡る。チェという愛称で呼ばれ、軍医としてゲリラ軍に加わったゲバラは日々戦い、厳しい規律を守り、農民や女子供には礼を尽くし、やがて指令官となる。そして革命の要となる大都市サンタ・クララを陥落させる・・・。
「チェ」2部作の前編で、カストロと出会ったゲバラがゲリラ戦士となり、バチスタ政府軍を破り、キューバ革命を成功に導くまでを描く。先に公開された、23歳ゲバラの南米大陸横断の旅を綴った『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03年)の続編記録映画として観ることもできる。ソダーバーグ監督の映画としてはテンポが悪く、いささか盛り上がりに欠ける。
ゲバラが生涯戦い続けたものは、映画から類推するに、帝国主義や階級社会の搾取構造そのものだったのだろう。モノクロ画面で、革命後のインタビューや国連総会での演説も織り込まれているが、この映画ではイデオロギーや政治の世界での活躍は控え目に、あくまで弱者の立場で貧しい人々を助けようと、現場で実践し続けるゲリラ戦士としての姿が描かれている。「本気で世界を変えよう」と理想を抱き、具体的に行動し、決してブレず初志貫徹する姿勢には潔さがある。
「革命とは、愛だ。愛のない革命家などありえない」という言葉や、弱者への誠実な態度や自立させるため人材育成や医療面に力を入れる真摯な活動は素晴らしく、現在のキューバの識字教育の改善や医療制度の充実などに成果をあげている。しかし、平和革命が実現できないという理由で「祖国か死か」の武力闘争は極端で、現在の自爆テロに結びつきかねない危惧もあると思う。
当時、ジョン・レノンは「世界で一番カッコイイ男はチェ・ゲバラだ」と語り、サルトルも「20世紀で最も完璧な人間だ」と絶賛した。共産主義・資本主義を超え、世界中でTシャツやポスターなどのPOPアイコンが流通し、ベルリンの壁が崩れ去った今も語り継がれているゲバラとは? 階級社会や搾取構造は今も全く変わらず、環境問題と同様に、個人が如何に行動するか誰にでも関ってくる問題だろう。
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| 2009年10月14日(水) |
1000年の山古志 (SCR) |
・評価:6(満足)
・制作年・国:09年日本
・監督:橋本信一
・声:長谷川初範

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2004年10月、新潟県山古志村を襲った中越大震災。水没した集落からヘリコプターで長岡市へ避難させられた住民たちは、仮設住宅に住むことを余儀なくされる。2006年春、住民たちは仮設住宅から故郷へ通い、少しずつ復旧作業に取り組み始める。そして2009年正月、復興への決意も新たに伝統行事「賽の神」の火祭りが行われ、約7割の住民たちが故郷へ戻ってくる・・・。
映画の序盤は地震の勃発から始まり、山が崩れて道が埋まり、川が土砂で堰き止められて集落が水没し、そして全村退避が発令されて住民たちが自衛隊のヘリコプターで退避する惨状が記録される。中盤は水没や全倒壊した集落の人たちが直面した人生の選択や復興への努力に焦点が当てられる。終盤は住民たちが山古志へ戻り、集落を復元し祭りを執り行ない、困難を乗り越えた人々の達成感と喜びの姿が映し出される。
私たちがTVなどで見聞きしているのは、大震災で壊滅状態になった山古志の惨状でしかない。この映画はその後4年の歳月をかけて、奇跡的に復興した山古志のドキュメンタリーだ。それは、全てを失った敗戦後の日本の復興にも似た、住民たちの故郷再建への思いに基づいた不屈の努力の記録だ。
崩壊した田圃に水を引き、父の思いを継いで養鯉業を復活させ、地震には倒れない立派な牛舎を再建し、明るいひまわりを植えて新たな事業も夢見るなど、住民一人ひとりのチカラで故郷を復興させ、代々続いた故郷で生きていこうとする。
橋本監督は、「この作品は単に復興を描いた作品にはしたくない」。「どんな過酷な逆境におかれても、それを粛々と受け入れ、しなやかに、したたかに生きていく山古志の人々の
<生きるチカラ> を描きたい」。「土地で1000年もの間リレーされ続け、大地に根を張って生きている山古志の人々の根底にあるものは何なのか。その答えを探しながら撮影した」と語っている。
不屈の精神や慎みの心、親から子へ受け継がれてゆく家族の絆と価値観など、昔の日本映画でもみられた日本の美しい精神文化。そうしたものが、日本の現在にも残っていることを確認できたことも嬉しい。
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| 2009年10月12日(月) |
ぐるりのこと。 (DVD) |
・評価:6(満足)
・制作年・国:08年日本
・監督:橋口亮輔
・出演:木村多江、リリー・フランキー、柄本明、寺島進、安藤玉恵、倍賞美津子、八嶋智人、寺田農
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1993年、小さな出版社に勤める妻・翔子(木村)と生活力に乏しい夫・カナオ(リリー)は、子供の誕生を控え幸せな日々を送っていた。しかし子供の死去という悲劇に見舞われ、翔子は次第に鬱に陥っていく。静かに見守るカナオは法廷画家という職につき、法廷に通ううち連続幼女誘拐殺人事件や地下鉄サリン事件などの大事件を目の当たりにしていく・・・。
女好きでヘラヘラとした頼りない夫と、何事もキッチリしたいしっかり者の妻の約10年間に渡る身の回りの話。子供の死で病んでいく妻を、じっと見つめて支え続ける夫。この映画は困難に直面しながらも絆を強めていく1組の夫婦を、90年代の大事件と並行して描いている。
その夫婦の物語と90年代の大事件との関連性は、淡々と描かれているためもうひとつ分かり難いが、夫婦の人生と世の中の歴史とを重ね合わせ、その関係性を示したかったのだろう。妻の心が病んでいくことと呼応するかのように、次々と起こる猟奇的な凶悪事件。その2つを見比べながら、監督は「人はどうすれば希望が持てるのか」を検証し、「希望は人と人との間にある」という答を導き出したかったのだろう。
物語の序盤、夫婦はバナナを食べながら「する」「しない」で言い争っている。終盤に会話はめっきり減るが、阿吽の呼吸というか、会話はなくとも「通じ合っている」ようだ。天井画を見ながら寝そべり、手を握り足を絡ませる仕草から、より大きな信頼に基づく愛情が感じられた。
名作『渚のシンドバッド』(95年)を始め、橋口監督の過去の3作はいずれもキワモノ的な同性愛を扱っていたが、今作はストレートな夫婦を扱った大人の愛の映画だ。この作品には、愛を育む包容力や他人を許す寛容さが描かれていた。「歳をとることも悪くない」と思わせる終わり方だ。
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| 2009年10月07日(水) |
歩いても歩いても (DVD) |
・評価:7(佳作)
・制作年・国:08年日本
・監督:是枝裕和
・出演:阿部寛、夏川結衣、YOU、高橋和也、田中祥平、野本ほたる、林凌雅、寺島進、加藤治子、樹木希林、原田芳雄

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ある夏の日、元開業医の横山恭平(原田)とその妻とし子(樹木)が2人きりで暮らす家に、次男・良太(阿部)と長女・ちなみ(YOU)がそれぞれの家族を連れてやってくる。良太は子連れのゆかり(夏川)と結婚したばかりで、いまは失業の身。家族一同が久しぶりに集まったのは、事故で亡くなった長男の命日のためだ。ごくありふれた家族の法事と里帰り風景だが、それぞれの思惑が渦巻いていた・・・。
小津や成瀬の系譜を受け継ぎ、家族をキレイだけでなくリアルに描いた良質なホームドラマ。法事で子供たち一家が実家に集まり、親と子の断絶や老いの孤独が露になるという点は、小津の『東京物語』(53年)に似ている。
実母の死がキッカケになったというこの作品について、是枝監督は「亡くなった母に何もしてやれなかった、という後悔からこの映画を撮った。だから逆に明るい映画にしようと思った。生の一瞬を切り取り、そこに家族の記憶の陰影を折りたたんでみた」。「セリフの半分ぐらいはぼくの母親が言ってたこと」と語っている。
原作・脚本も監督自身が手がけ、演出にも入念さが伺える。母と娘が料理する台所の様子や家族揃っての食卓風景、亡長男が助けた若者を招いての法事、墓参りへ向かう歩道などで交わされる台詞や現場音など情報量の多さに驚く。
何気ない日常の会話から徐々に浮かび上がってくる家族の微妙な関係や確執が露わになる展開は、まるで推理ドラマを観るかのようだ。
跡継ぎを失った失意と前時代的な権威に囚われている父、表面的には優しいがさらっと怖いことを言う母、亡長男へのコンプレックスが克服できず一歩出遅れてしまう次男、明るい性格だがズケズケと物言う長女など、キャラクター設定と配置が的確で、各キャラクターが建前と本音を使い分ける場面が面白い。
大小さまざまな思惑や確執が現れ感情は波立つが、長い目でみれば純化され、思い出とともに家族の歴史は刻まれていく。夏の日射しを受けて咲くサルスベリのピンクの花が、家族の歴史をずっと見守っているかのようだ。
タイトルから『転々』(07年)や『長い散歩』(06年)などのロード・ムービー系の映画かと思ったが、ロケ地は三浦半島にある横山家とその周辺に限られている。タイトルは恭平が浮気していた頃に流行った曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」の一節から付けられている。とし子はその曲をひっそり聴いていたというが、数十年間どんな気持で聴いていたのだろうか?
「歩いても歩いても、なかなか距離が縮まらない夫婦と親子の関係を象徴する映画」として観ることもできる。
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| 2009年10月05日(月) |
風の中の子供 (TV) |
・評価:6(満足)
・制作年・国:37年日本
・監督:清水宏
・出演:河村黎吉、吉川満子、葉山正雄、爆弾小僧、突貫小僧、アメリカ小僧、坂本武、岡村文子、末松孝行、長船タヅコ、笠智衆
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善太(葉山)と三平(爆弾)の兄弟は、楽しい夏休みを過ごしていたが、父親が私文書偽造の嫌疑で警察に連れていかれる。家計を支えるため母親は働くことになり、まだ幼い三平は叔父の家に預けられる。家族と離れて田舎で1週間暮らすが、叔母は腕白な三平に手を焼き母親の元に帰す。家財まで差し押さえられる
どん底生活の中で兄弟は明るく母親を励ましあう。父親の嫌疑も晴れ、一家に明るい日々が甦る。
『ノンちゃん雲に乗る』(55年)と同様の児童文学の映画化。原作は朝日新聞に連載された坪田譲治の同名小説。読者から清水監督を望む声が寄せられ映画化が実現したという。清水監督は前作『有りがたうさん』(36年)のロケ撮影による「実写的精神」が評価され、この作品でも大人の芝居臭い演技を嫌った自然な演出法を徹底させ、子供たちの活き活きとした日常をフィルムに定着させた。
腕白小僧たちが映画の中で所狭しに駆け回り始めると、俄かに画面が活気づき、さわやかな風が吹いてくるように感じられる。布団の上での水泳競技の真似やターザン(チャンバラ)ごっこ、木登りや川遊び、ラストの曲馬団(サーカス)など子供の頃の懐かしいシーンも満載だ。
親を思う気持、子を思う気持、親戚や近所を思う気持など、一昔前の「日本人の心」を確認できたことも快かった。
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| 2009年10月02日(金) |
存在の耐えられない軽さ (DVD) |
・評価:8(名作)
・制作年・国:88年アメリカ
・監督:フィリップ・カウフマン
・出演:ダニエル・デイ・ルイス、ジュリエット・ビノシュ、レナ・オリン、デレク・デ・リント、エルランド・ヨセフソン、パーレル・ランドフスキー、ドナルド・モファット、ステラン・スカルスガルド
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舞台は1968年のプラハ。脳外科医トマシュ(ルイス)は、画家のサビーナ(オリン)や複数の女性とつきあうプレーボーイ。ある日、出張手術の病院で、プールで泳ぐテレーザ(ビノシュ)と出会う。プラハに戻ったトマシュの家にテレーザが訪ね、同棲から結婚に踏み切る。トマシュはテレーザと結婚しながらも、サビーナとの関係を続ける。そんな中チェコ事件が勃発し、2人は先に亡命したサビーナの後を追うようにジュネーブへ旅立つ・・・。
先日観た『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』(06年)と同様に、冷戦期のソ連衛星国の「動乱」を背景に「恋愛」と「自由」について描いたものだが、作品の印象は大きく異なる。両作品ともラブ・ストーリーには違いないが、この作品は同名の原作小説があり、哲学的なタイトルからも分かるように非常に深みがある。
また監督はアメリカ人だが、アメリカ映画とは思えない落ち着いたヨーロッパ的な雰囲気。舞台がヨーロッパということもあるが、ベルイマン映画で有名なスヴェン・ニクベストをカメラマンに据えていることが大きく、透明感の中にも絵画的な深みを与えている。
この映画は、テレーザがトマシュの浮気に耐えかねてプラハへ戻るときに残す以下内容の手紙がポイントで、さまざまに解釈できる面白さがある。「人生は私にはとても重いのに、あなたにはごく軽いのね。私はこの軽さに耐えられないの。私は強くないから。・・・私は弱いの。だから弱い者の国に戻るわ」。
まず「恋愛」についてだが、この物語は男女の三角関係というオーソドックスなスタイル。前半はトマシュの軽薄なプレーボーイぶりが全開で、エロティックなシーンの多さに戸惑うが、後に全体から眺めてみると無駄のない必然的なシーンであったことが分かる。この映画は、一見軽薄そうな男が保守的な女を愛するが故に愛の「重さ」に振回され、一方で保守的な女が男の「軽さ」に耐えられず悶絶する映画と観ることもできる。
次に「自由」についてだが、トマシュとサビーナが「自由」で「軽い」人間を象徴していて、その「軽さ」は不道徳にみえるが、「動乱」の時には理性的に的確な判断・行動をする。一方テレーザは社会・道徳の価値観に「束縛」される人間を象徴していて、その「束縛」が人生の「重さ」となり、動乱の時には流されて長いものに巻かれるしかない。
E.フロムも、名著「自由からの逃走」の中で「権威主義は自由からの逃走のメカニズム」と分析しているが、ある価値観や権威に従って生きることは容易といえる。最近は哲学やイデオロギーが語られることは少ないが、この映画で問題提起される「自由」と、先の『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』で語られる「自由」について、今の平和な時代にこそ考察する必要があるかもしれない。
旧体制下の動乱の時代を、亡命→帰国→迫害→田舎での逃避生活の中で自由に生き抜いた男と、ただ一人の男を愛しつづけた女。人生に「軽さ」も「重さ」も必要であり、その判断も無限にありそうだが、少なくとも自分自身に誠実に生きていきたいものだ。
最後にトマシュとテレーザが交わす会話がとても良い。「トマシュ、何を考えているの?」「うん、自分がどんなに幸せかと・・・」。先につづく道が白フェードで終わり、ある意味ハッピーエンドなのだろう。
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