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■2010年01月

2010年01月30日(土) ベリッシマ (VT)
・評価:5(不満)

・制作年・国:51年イタリア

・監督:ルキノ・ヴィスコンティ

・出演:アンナ・マニャーニ、ワルテル・キアーリ、ディーナ・アピチェラ、アレッサンドロ・ブラゼッティ、ガストーネ・レンツェッリ、テクラ・スカラーナ、ローラ・ブラッチーニ

チネチッタで、ある映画会社が美少女(ベリッシマ)コンテストを催す。子供をスターにしたい母親たちが、娘を伴いこぞって押しかけた。マッダレーナ(マニャーニ)も、そんな母親の1人だった。娘マリア(アピチェラ)をスターにするため、彼女はあらゆる努力を試みる。見事1次選考を通過したマリアだったが、2次選考ではカメラの前で泣き出してしまう。そのフィルムを見て監督たちが笑い転げる様子を見たマッダレーナは、初めて自分のしてきたことの愚かさを悟る・・・。

ヴィスコンティ唯一の人情喜劇で、『揺れる大地』(48年)に続きネオリアリズモの影響が色濃く残る作品。この映画の主題は、ヴィスコンティが「彼女を通して一人の女性を描きたかった」と語っているとおり、主役を演じたアンナ・マニャーニ自身だろう。

演技指導が必要と言われれば女優の講師をつけ、大きな写真が必要と言われればすぐに写真屋へ行き、果てはコネが大切と言われれば大金をつけ届ける。無償の愛情を注ぐ母親の揺るぎないたくましさは、強引であさましくも思えるが、現代のステージ・ママやお受験時の母親の姿とも繋がってくる。

何よりも喋りっぱなしで、傍若無人で、迫力ある声と体型のアンナ・マニャーニの独壇場といえる映画だが、ヴィスコンティのコメディとしては「軽み」がなく、もうひとつ馴染めなかった。
2010年01月28日(木) 美しき結婚 (TV)
・評価:7(佳作)

・制作年・国:82年フランス

・監督:エリック・ロメール

・出演:ベアトリス・ロマン、アンドレ・デュソリエ、フェオドール・アトキン、ユゲット・ファジェ、アリエル・ドンバール、タミラ・メツバ、ソフィー・ルノワール、エルヴ・デュアメル、パスカル・グレゴリー

ル・マンからパリの大学に通うサビーヌ(ロマン)は24歳。パリには妻子持ちの愛人がいるが、彼女は彼と別れるつもりだ。ル・マンには彼女の親友クラリス(ドンバール)のアトリエがある。クラリスは医者の卵と結婚している。クラリスはサビーヌに弟の結婚式の披露宴に招待し、従兄弟の弁護士エドモン(デュソリエ)を紹介する。エドモンと結婚したいと思ったサビーヌは彼を追いかけるが、多忙なエドモンとなかなか会うことができない・・・。

原題"Le Beau Mariage"の直訳は「美しき結婚」だが、「玉の輿」という慣用句があるとのこと。この映画は安定した理想の結婚をしようと、パーティーで出会った人を理想の結婚相手と夢想し、猛烈にアタックする女性の話。

主人公の女性はロメール映画の登場人物らしく饒舌で理屈っぽく、自己主張が強く、プライドが高く、思い込みが相当に激しい。「私から追いかけたことはない」と言いながら、何度も電話してはストーカーまがいの行動に走るし、「どんな男でも好きにさせられる」という自信から、反面ヤキモキして落ち込んだりする。

この映画で描かれる理想の結婚とは、親友クラリスのような医者と結婚して自分のアトリエを持つ、経済的に安定しかつクリエイティブな生活。極端と思える主人公の行動も、冷静に考えれば誰も似たようなもので、恋愛の心理や結婚の意味が見えてくる。

最初は、常にジェントルで王子様のように描かれていたエドモンだが、終盤は混乱して俗っぽさと訳の判らなさで相対化されている。エンディングでは、オープニング時に列車の中ですれ違っていた見知らぬ長髪の青年と出会い、懲りることなく「美しき結婚」を夢想する男女を暗示して終わる。

ロメール映画の魅力は、饒舌なお喋りとロケ効果による自然さと瑞々しさだろう。台詞の面白さと展開は相変わらず見事だが、この映画のロケ効果も素晴らしい。地方都市ル・マンと大都会パリの陽光・風・音による対比、そして移動する列車と車から見える風景が瑞々しい。

この映画の撮影クルーは、ロメールにカメラとマイクを加えた、たった3人であったという。脚本さえ素晴らしければ映画制作できそうと思わせる、親近感のあるシンプルで風通しの良い小品だ。

この作品は「喜劇と格言劇」シリーズの第2弾にあたる。この「喜劇と格言劇」シリーズは、1981年〜1987年までの間に計6作が創られている。私が最初にロメールの映画を観たのが、このシリーズの第3作目にあたる『海辺のポーリーヌ』(83年)だったが、それから21年を経て、やっと全6作を観ることができた。

最後に、ロメールの追悼(1月19日逝去。享年89歳)も兼ねて、この全6作の格言をまとめてみよう。

第1作『飛行士の妻』(81年)
「人は何も考えずにはいられない」:「人はすべてを考えるわけにはいかない」という慣用句のもじり。人は何も考えなければいいものを、ついあれこれ考えて思い悩んでしまうというお話。

第2作『美しき結婚』(82年)
「夢想にふけらない人があろうか。空想を描かない人があろうか」:ラ・フォンテーヌ。誰だって他愛のないことを考えるものだし、誰もが心に空中楼閣を建てるものというお話。

第3作『海辺のポーリーヌ』(83年)
「言葉多き者は災いの元」:クレチアン・ド・トロワ。ひと夏のヴァカンスの恋愛騒動。大人たちのやや軽薄で愚かな恋愛模様を15歳のポーリーヌは落ち着いてシニカルな目でみている。

第4作『満月の夜』(84年)
「二人の妻を持つ者は心をなくし、二つの家を持つ者は分別をなくす」:シャンパーニュ地方の諺。あっちの家もこっち家もキライになり、とうとう1人になってしまったというお話。  

第5作『緑の光線』(86年)
「ああ、心という心の燃えるときよ来い」:アルチュール・ランボー。幸福探し、自分探し、恋にさすらう主人公が、ラストに日没の「緑の光線」を見るまでの感動の物語。

第6作『友だちの恋人』(87年)
「友だちの友だちは皆友だち」。女友達2人の恋人がいつの間にか入れ替わってしまうというお話。ドロドロした愛憎劇にはならず、愛と友情、信頼と裏切のドラマとして軽やかに描く。

ロメールは、終生 小津の映画のように同じテーマを一貫して追い続けた。ありふれた日常の中で男女の恋愛模様を描き、ワガママな登場人物を均等に優しく見つめ、登場人物はみな素敵な恋と幸せを求める小市民(一部プチブルも含まれる)だ。シニカルで一見残酷に終わるときもあるが、そこには人生や人間に対する教訓が詰まっていて、あたかも「エスプリの宝庫」を見るようだ。観賞後の心地良さも格別だ。
2010年01月14日(木) 按摩と女 (TV)
・評価:6(満足)

・制作年・国:38年日本

・監督:清水宏

・出演:高峰三枝子、徳大寺伸、日守新一、爆弾小僧、佐分利信、坂本武、春日英子、京谷智恵子、油井宗信、二木蓮

按摩の徳市(徳大寺)が伊豆の温泉地へやってくる。徳市は盲人でありながら、驚くべきカンを持っていた。ある日、東京から来た女(高峰)が徳市を呼んだ。徳市はどこか陰のあるその女に惹かれるが、東京から来た青年や、その甥っ子もその女に惹かれる。一方、周辺の旅館で次々と盗難事件が発生する。徳市はその女が犯人と思い込み、かくまおうとする・・・。

『有りがたうさん』(36年)、『簪』(40年)と同様に、自然の景観を活かした清水監督特有の移動撮影で物語は始まる。「近頃の目明きは、ボケッとしている奴が多くていけないや」「その点、眼暗はボケッとするこたぁないからな」。「日が暮れるまでには宿に着きたいな」「日が暮れようが暮れまいが、眼暗には関係ないじゃないか」。

按摩2人が、山道を上りながら交わす皮肉な会話が延々と続く。目が見えないが故に、女の姿をずっと心に刻みつける徳市。カンの鋭さに絶対的な自信を持つが故に、大きなカン違いをしてしまう徳市。恋は盲目という普遍的な男女の機微が、旧き良き温泉情緒と共に描かれている。

冒頭の山道での按摩2人を追うトラック・バックに始まり、室内を左右・前後に移動する長回しで複数の人物の特徴と位置関係をワン・シーンで収めたり、傘をさして木の橋を渡る女をフェイド・アウトとジャンプ・カットで情感たっぷりに表現するなど、今から70年前にしてこの表現方法は驚きだ。

この映画のリメイク『山のあなた 徳市の恋』(08年)が草g剛主演で製作・公開されたが、脚本からカメラアングル、役者の動きまでを忠実に再現した完全カヴァー作品だ。リメイクとして悪くない出来ではあったが、旧作のモノクロ映像と作品から醸し出される情緒には、やはり及ばなかったようだ。しかし旧き良き日本映画を、若い人たちに紹介できた効果は大きいだろう。

清水監督は、自身の目指す映画について次のように語っている。「映画が映画でありうるものといえば、ロケですよ。劇映画というが、一般に劇が強すぎる」「映画とは芝居に頼らず、その人の感じや持ち味を生かしていくもの」「私は意識的に芝居をなくしていった。それで映画が一つの流れを持てれば、つまり詩だ」。

溝口監督や小津監督と比較して知名度がなく、評価の確立されていない清水監督であるが、この方向で一番成功した作品は『風の中の子供』(37年)であるように思える。
2010年01月05日(水) THIS IS IT (SCR)
・評価:7(佳作)

・制作年・国:09年アメリカ

・監督:ケニー・オルテガ
・出演:マイケル・ジャクソン


2009年6月、1ケ月後に迫ったロンドン・コンサートを控え、突然この世を去ったマイケル・ジャクソン。照明、美術、ステージ上で流れるビデオ映像にまでこだわり、唯一無二のアーティストとしての才能を復帰ステージに賭けながら、歌やダンスの猛特訓は死の直前まで繰り返されていた。100時間以上に及ぶ楽曲とパフォーマンス映像や舞台裏でのマイケルの素顔を記録したドキュメンタリー。

「まさにコレだ」「これで最後だ」という題名のとおり、幻となったロンドン公演を、リハーサル映像を使い擬似的にスクリーン上で開催し、世界同時体験させる試みの映画だ。あたかも観客が、実現されなかったコンサートの最前列にいるかのような臨場感溢れる仕上がりになっている。

観る前は本物のステージではなく、DVD特典にあるような未完のパフォーマンス映像に過ぎないのでは・・・という危惧があったが、クオリティーの高いメイキング映像で、何よりもマイケルのステージに賭ける情熱と人間性が垣間見える構成が良かった。

「人を日常とは違う世界に連れていくために、自分の最高のパフォーマンスを見せたい」と語る観客に対する真摯な姿勢や、シンガー/ダンサー/クリエイターとして完璧さを追求するプロ意識には目を見張らせるものがある。

この映画はマイケルが不慮の死を遂げた1ケ月半後に映画化が決定し、その2ケ月半後の10月28日に、当初は「2週間限定」で全世界に同時公開された。これだけ短期間で、質の高い作品ができた理由は、幻のロンドン公演のディレクターであったケニー・オルテガがこの映画を監督したためだろう。

ファンが求めている時「商機を逃さず稼ごう」とするショウ・ビジネス界のしたたかさも感じるが、一方でマイケルの家族は、あまりにも早すぎるため「悲しすぎて まだ観られる状況ではない」とも語っている。

私は、観るまでは整形や奇行、幼児虐待などのスキャンダルで「過去の人」というイメージしかなかった。しかし、そうではなかったようだ。50歳になっても歌と身体のキレはシャープで、現在もクオリティーの高いパフォーマンスを提供できるプレイヤー兼クリエイターであった。最後に最高のステージを観客に見せて、プレスリーやジョン・レノンのように、永久不滅のポップ・アイコンとして定着していくのだろう。

マイケル・ジャクソンの死因についてはまだ調査中とのことだが、別途 40年前のブライアン・ジョーンズの死因についても再調査される可能性があるらしい。私にとっては、ブライアン・ジョーンズとパゾリーニ、ジョン・レノンの突然の死が衝撃的であった。なお、ブライアン・ジョーンズの死の真相については、『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』(05年)をご覧ください。
2010年01月02日(金) 約束の土地 (TV)
・評価:7(佳作)

・制作年・国:75年ポーランド

・監督:アンジェイ・ワイダ

・出演:ダニエル・オリブリフスキ、ヴォイツェフ・プショニャック、アンジェイ・セヴェリン、アンナ・ネフレベッカ、タデウシュ・ビフウォシチンスキ、ボジェナ・ディキエル、フランチシェク・ピェチカ、カリーナ・イエドルシック、イェジー・ノヴァク

19世紀末、ポーランド中部のウッジは繊維工業の中心地だった。地主の息子でポーランド人のカルロ(オルブリフスキ)、商才のあるユダヤ人のモリツ(プショニャック)、繊維工場主を父に持つドイツ人のマックス(セヴェリン)は友人同士。彼らは旧世代の経営者に代わり、ウッジに新しい繊維工場設立を誓い、日夜資金集めに奔走していた。手段を選ばぬカルロの野心は事業をみるみるうちに急成長させるが、あるスキャンダルが発覚する・・・。

町並や工場などに19世紀のたたずまいを残す工業都市ウッジで全編ロケされた叙事詩風ポーランドの現代史。ポーランド人・ユダヤ人・ドイツ人3青年の夢と挫折が、ブルジョワ階級の新旧世代の対立を軸に、民族・歴史・政治を絡ませながら展開される。

映画の始まりでは希望に燃え、結束の強い3青年として登場し、伝統にしがみつく旧世代を批判し改革を進めていく。しかし、終盤に入って3人はバラバラになり、資本家階級の中でそっくりその跡を継ぐだけになる。そして、ラストはカルロの命令で労働者階級のストライキへの発砲で終わる。

『白樺の林』(70年)を彷彿させる叙情的な美しい白樺のシーンで始まり、『灰とダイヤモンド』(58年)を彷彿させる残酷な射殺シーンで終わる対比も衝撃的だ。

最新作『カティンの森』(07年)も公開され、半世紀以上に渡って商業主義に走らず、一貫して自民族の歴史を見つめ、独立や抵抗をテーマに描くワイダ監督の真摯な姿勢には敬服せざるを得ない。
 

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