キャラクター
−頻度順−
しのぶ
【本名】九野市しのぶ
【役職】ノーショウ部隊員
【特徴】巡査長。警視庁の国家2種試験に合格し公安部に配属され研修中。獰猛果敢で目的のためなら手段を選ばない。ただし熱しやすい性格で、「人を見たら犯人だと思え」と思いこんだら最後、状況判断に見極めがつかなくなる。機密裡での犯罪抑止を優先とする公安部では異端児扱い。本人も刑事事件を望んでいる

静香
【本名】服部静香
【役職】ノーショウ部隊員
【特徴】警部捕。O女子大理学部情報処理学科卒業後、防衛庁に入省。幹部候補研修課程を修了後、渡米しカリフォルニア州立大学ロサンジェルス校の犯罪心理学科へ留学。帰国し警視庁に出向し、ノーショウ部隊に編入。しのぶと同じ現場調査員であるが、将来を嘱望された人物

公一郎
【本名】桑原公一郎
【役職】ノーショウ部隊中隊長
【特徴】警視庁多摩川警察署公安部警部。剣呑な性格。中年のダンディさを持ち部下からは慕われている。しのぶの管轄である公安活動の指導教官

泰典
【本名】高田泰典
【役職】ホテルアクア夜勤フロント
【特徴】アミューズメントパークの社員で接客業界に長くいる。したがって接客に関しては強いが、経理などの計算が苦手

竜介
【本名】下田竜介
【役職】ホテルアクア夜勤フロント
【特徴】有名大学の経済学部出身。長く経理会社にいたため事務処理に強いが、フロントとしての接客は弱い。ナイトマネージャーとして活躍している

専門用語
−あいうえお順−

アサイン
部屋割り。ホテルがその日の宿泊客をどこの客室に宿泊させるかを決定することで、たいていのホテルは午後3時のチェックインの前に行う。ホテルは通常、高層階から順番に客室を決定していく(見晴らしが良いからではなく、夜、客室に電気が灯っていることが、ライバル店舗に売室を多く見せるため)ため、「見晴らしの良い部屋で」という注文は、午後2時から3時までに連絡するほうが安くすむ(アサイン決定後の見晴らしの良い部屋は高額の部屋だから)。しかしこのアサイン、コンピュータ端末での宿泊客管理がなされているホテルでの話であり、予約を宿泊台帳に直接書いているホテルでは、こうしたことはなく、予約と同時に部屋を決定している。

インジケーター
客室状況管理ランプ。その部屋が売室か、空室かを示すランプ。フロントはチェックインでキーを渡すと同時に、その部屋のランプをつけることで、その部屋に宿泊客がいることを示す。またチェックアウトでキーが戻ってくると、再びランプを付け、今度はルームメイクに客室清掃を指示する。

VOID
無効印。ホテルが発行する文書で、何らかのミスをした際、この文字を大きく書き無効であることを強調する。

ウォークイン
無予約客。本書でもあるとおり、ホテルは通常、電話やインターネットなどの予約をしてからチェックインするのがセオリーとなっているが、そのままフロントに訪れて宿泊することをウォークインという。つまりセオリーに反したこの行為は、ホテル側の警戒を抱かせる要素を多分に孕んでいるため、ホテルは注意深くなる

Su
シングルユースのこと。

オキュパンシー
ホテルの客室稼働率のこと

カルトン
お釣りや料金を支払うときに載せるおぼんの業界用語

キーボックス
客室のキーがある棚のこと。大概のホテルはフロントテーブルの下に各客室のルームキーがある。キーの下にはそれぞれ箱があり、そこにレジストなどを入れておくことで、客室の管理をしている

禁煙ルーム
禁煙者のための客室。最近の禁煙事情によりホテルは禁煙室を用意している。

現金売掛明細表
フロントはその日の売上が、何によるものかを区分するとき、まず現金として預かった中から1泊の宿泊料金、翌日以降の連泊の料金、明日以降の宿泊料金の支払いなどをわけて計算する。こうした現金の区分をする表が現金売掛明細表である。どのホテルも、この表の作成からナイト書類と呼ばれる、夜勤フロント者が書き記す膨大な書類の数々の最初の一歩なのだが、客室状況を理解していないと、まずこの表の作成に時間を費やし、その後の書類へと進まず、混乱したまま朝を迎えるハメになる。

コンプ
コンプレイン。客室、もしくはフロントにて宿泊客がホテルに対して苦情を言うこと。たとえば客室の電気がきれていたとか、あるいはフロントの対応がマズいとか、そういうすべてのクレームが発生したとき、ホテルはその処理を行った後、書類を作成し、その詳細を書き記す。その書類は「コンプ表」という。ホテルチェーンは、この書類が多いホテルはホテルマネージャーは降格扱いとされる。ちなみにこのコンプ表、市や区でにある情報公開条例の対象に微妙にひっかかっているため、一部のホテルでは「コンプ表をみせろ」と言えば見せてくれる

コンフォーター
ふとんのこと

サニタリーバック
汚物入れのこと

サーモスタット
客室内にある温度調整器

シリンダー交換
カギ交換。たとえばホテルに宿泊した客が、チェックアウトせずにそのままキーを外に持ち出してしまったとき、ホテルはその部屋のカギを別室と交換する。なぜならば、いったんホテル外に出てしまったキーは、鍵業者によって同じキーをコピーされる可能性があるからである。シリンダー交換の代わりのカギは、隣や別階の同じルームは避け、まったく違う予想もしなかった部屋のキーと交換する。ちなみにルームキーを無くした場合の請求額は平均5000円であるので注意。

宿泊台帳
宿泊者の一覧台帳。多くのホテルでは端末入力による宿泊客管理がなされているが、一部のホテルではいまだに台帳を使っている。予約があった場合、台帳をみて空室に鉛筆で宿泊者の名前を記していく、というきわめて古典的な方法である。端末に比べて、人目で客室の状況がわかる反面、どの客がどの部屋に宿泊しているのかがわからなくなる弱点がある。こうしたホテルは「何月何日に予約した者ですが...」というと、その予約照会にやたら時間がかかり、客の電話料金をやたら使わせる大失態を起こすことが多く、ホテルの多くが端末導入の方向に向かっている

シングルユース
ダブルルームやツインルームのシングル仕様。本書でもあるとおり、シングルユースとはダブルやツインの売れ残りを防止する行為で、その販売方法にはホテル側の思惑が深く孕んでいる。

深夜シメ
午前0時に行う売上精算のこと。通常のホテルでは朝シメ、夕シメ、深夜シメの3つがあり、それぞれで売上の状況を管理している。とくに深夜シメはチェックインが済んだ後の処理で、一番過不足が発生しやすい状況の中で行うため、夜勤フロント者がもっとも神経を使う。

スキッパー
未払い客。チェックインした客が、客室内の有料放送や電話料金を未払いのまま出ていく(スキップ)する客のこと。通常はチェックアウト時に精算するのだが、フロントを素通りし出ていく。

ステーショナリースタンド
客室にある案内の板

精算レシート
シメの際に出す精算表。このレシートに書かれている数字と、レジの中にある金銭が一致するかどうかで、過不足金の発生を見極める。ちなみに過不足金が発生すると、夜勤者は必死で、その行方を追い続けなければならない。この作業がもっともフロントにとって精神力を使う作業である。

タリフ
ホテルの客室料金表を著した紙のこと

電話がワンコール鳴り
ホテルでは2コール以上の電話は「お客を待たせた」とされ、ペナルティーの対象となる。1コールででるホテルこそ、もっとも優れたホテルなのだが、朝や深夜などの人手がないときは待つこともある。

ナイトサブ
ナイトサブマネージャーのこと。

ナイトマネジ
ナイトマネージャー。夜勤者の中での責任者のことで、カギや金庫の管理を任されている人物のこと。しだかって過不足が出て、それが判明され無かった場合、その人物が始末書を書くことなる。

7はナナだ
本書もあるとおり、7はナナと呼ぶ。シチと呼ぶホテルは常識がないホテルとされる。

ノーショウ
本書では公安部秘密調査部隊の略称として照会しているが、ホテル業界では予約したのに来訪しない客のことを指す。多くが遅刻なのだが、中には朝までこない客もいる。これを「完全ノーショウ」と呼ぶ。通常、ホテルは予約と同時に部屋を押さえるのだが、完全ノーショウの場合、最後まで客室が売れ残るため、宿泊費を請求されるケースもある。

ノースモ
ノー・スモーキング・ルーム。禁煙室のこと。

バウチャー
チケット支払い。旅行代理店に支払ったチケットでの客室支払い

ピロ(ピロケース)
枕カバーのこと。

Bill
ホテルが発行する領収書のこと。

フルカウント
残室数ゼロ。満室という意味。

フロント日報
夜勤フロントが作成する日報のこと。すべてのナイト書類の作成が終了したとき、この日報を書くことになる。逆に言えば、すべての手順がなされていなければ、この日報はかけない。まさにナイトフロントのその日の成果があらわれてる。

ヘッドキャビネット
ベッド上にある客室電気操作盤

ナイトテーブル
テーブル上にある客室電気操作盤

マスターキー
すべての客室のドアを開閉させることが可能であるカギのこと。よくオートロックの部屋でキーを中に入れたまま閉め出された(キーロック)とき、フロントがドアを開けるために同行し、開錠させるが、あのキーこそマスターキーである。このマスターキーを管理するのがナイトマネジである。もし、このキーを無くした場合、始末書を書かされる。

メイク指示表
客室整備指示表。翌日のルームメイクに清掃を指示する文書で、これは深夜勤務するナイトフロントが作成する。その作成方法は夜に宿泊した客室をチェックし、連泊客とチェックアウトした部屋の清掃の指示などを書く。この書類が間違っていれば、ルームメイクがフロントに怒りをぶつける

メイク
ルームメイクのこと。

ルームチャージ
素泊まり料金のこと。ほとんどのホテルでは基本室料に10パーセントのサービス料金と5パーセントの消費税がかかる。計算は簡単で基本室料に1.155をかければいい。

ラインカン
ゴミ箱のこと。

レジスト
レジストック、もしくはレジストリー。チェックインの際に書かされる宿泊者記入用紙。多くは3枚に分かれていて、1枚目は精算後にキーボックスに入れ、2枚目はホテルの経理に挙げられ、3枚目は宿泊客に渡される

ワンナイト
一泊のみの客のこと




「ノーショウ」とは?
 20歳以上の成人における犯罪者、もしくは犯罪未遂者において犯罪発生から24時間以上経過し、逮捕された広域犯罪容疑者の87.5%がビジネスホテルに宿泊していることが判明した。つまりビジネスホテルは、指名手配犯にとって格好の逃げ場になっている事実がデータとして示されたのである。
 警視庁はこのことに注目し、ビジネスホテルにおける宿泊者の監視を行うことで、初動捜査における捜索活動の円滑化並びに凶悪犯罪の未然防止に務める目的で、都内のビジネスホテルに捜査員を極秘裡に潜入、宿泊名簿データの共有化、監視カメラ設置、容疑者誘導など、ビジネスホテル滞在者の監視活動を開始した...
名称:ビジネスホテル滞在者国家監視網
号令:国家公安法特種乙号(部外秘事項)
執行:広域犯罪情報分析室
組織:総合分析官3名、現地捜査員145名
年齢:平均25歳
統括:警視庁公安部

●とある都内の繁華街(朝)
  そびえたつビジネスホテル。

●同1F・フロント
  フロントに次々とやってくるビジネスマン。
  彼等にBillを渡すフロント女性・九野市しのぶ
  そこへやってくる客Z。キーを差し出す。
客Z「チェックアウト」
しのぶ「ありがとうございます」
  しのぶはキーを受け取り、客Zは出ていこうとする。
しのぶ「お客様...」
  ビクッとする客Z。しのぶBillを指し示す。
しのぶ「領収書がございます」
  客Zは領収書を受け取る。
  そこに書かれているのは「逮捕令状」。
  客Zは顔を上げ、驚く。
客Z「なんだ、これは!」
しのぶ「身に覚えがございませんか?」
  客Zは懐中に手を突っ込もうとする。
  しのぶはすかさず、その手を捕まえ、手錠を掛ける。
客Z「...ッ!」
しのぶ「午前7時42分、大手町中央ビル爆破犯、逮捕!」
  同時にロビーに待機していた捜査員たちが客Zを取り囲む。
客Z「てめえは! 誰だ!」
  しのぶは警察手帳をみせる。
しのぶ「警視庁公安部、ホテル犯罪対策監視チーム。ノーショウだ!」

●従業員準備室
  しのぶをフロントの女性従業員たちが囲っている。
従業員A「しのぶさん。ノーショウだったんですね!」
  しのぶはロッカーの荷物を整理している。
しのぶ「悪いな、今まで騙しスカして」
従業員B「カッコイイですよ。いいなあ、アタシもなりたいな」
しのぶ「因果な商売だぜ」
  しのぶは荷物をまとめ、制服から従業員バッジを外す。
しのぶ「こうして正体がバレたら最後、出て行かなきゃならんし」
  携帯電話の写メールのカメラをしのぶに向ける従業員C。
従業員C「記念に写真を一枚!」
  しのぶは慌ててカメラをどかす。
しのぶ「あー、ダメダメ。アタシらの存在は秘密厳守だから」
従業員C「そういわずに!」
  ドアのノックが3度鳴り、入ってくる総支配人。
総支配人「九野市...」
  総支配人は給与明細をしのぶに渡す。
しのぶ「退職金だ」
  しのぶは給与明細を一瞥する。
しのぶ「多くないですか?」
総支配人「おまえ、有給が残っていただろ。そのぶんを含めている」
しのぶ「そうですか。じゃ、とりあえず...」
  しのぶは退職届とともにバッジを出し、立ち去ろうとする。
総支配人「なあ」
しのぶ「はい?」
総支配人「もし、お前が公安をあぶれたら」
しのぶ「え?」
総支配人「戻ってこいよ」
 総支配人はバッジを懐中に沈める。
総支配人「また一からシゴいてやるからさ」
しのぶ「すいません、支配人、その約束、守れそうにもありません」
総支配人「...?」
しのぶ「アタシ、この仕事、気に入ってますから」

●同・駐車場
  日溜まりの駐車場を、花束を肩にかけ気だるそうに歩くしのぶ
  しのぶの眼前に止まるパトカー。
  運転席には公安部警部の桑原公一郎
公一郎「よう、別れの挨拶、しっかりしてきたか?」
  しのぶはリアシートのドアをあけ、座る。
しのぶ「ああ。花束贈呈付きだった...」
公一郎「そうか。そいつはまた難儀だな」
  花束を助手席に投げるしのぶ
しのぶ「やるよ。どーせアタシだと枯らすから」
  公一郎は苦笑しながら代わりにジュースをさしだそうと、バックミラーを覗く。
  ミラーにはホテルを見ているしのぶの姿。
公一郎「悔いは残すな。これからの業務に響くからな」
しのぶ「わかってるって」
  しのぶはジュースを奪い取り、グッと飲み干す。
  同時にパトカーは出発する。

●都内繁華街
  道路を走行するパトカー。

●同・車内
  運転する公一郎
  しのぶは業務報告書を書いている。
しのぶ「で? 今のオペーションの採点は?」
公一郎「75点ってところかな」
  公一郎はステアリングを慎重に左右に揺らす。
公一郎「犯人逮捕までの手順はよかった。ただ手錠を出すまでは
 やりすぎだ」
しのぶ「しかたねえだろう。向こうが懐中に手をつっこんだんだ。発砲の危険性が
 あったんだぞ」
公一郎「しかし現実に犯人の懐中には拳銃がなかった」
しのぶ「....」
公一郎「代わりにあったのは起爆装置だった」
しのぶ「そうか...やっぱりね」
公一郎「なんだ、気づいていたのか?」
しのぶ「まあな。あいつ、チェックインするときにバックを2つ持っていたが、アウト
 時には1つだった...」
公一郎「確かに。犯人の話では自爆用にプラスチック爆弾を用意していたらしい。
 もし、自分の素性がバレてもホテルを爆発すると脅すことも視野に入れていたと
 思われるが...」
しのぶ「ああ...」
公一郎「お前の場合、あのホテルの従業員を守ったんだろ?」
しのぶ「さあな」
公一郎「とりわけ、隣室にいたルームメイクに被害が及ぶのを見越していた」
  ブズッと膨れ、しのぶはペンをおく。
しのぶ「しらねえよ。もう終わったことだ。グダグタいうな」
  公一郎は不敵な笑みを浮かべる。
公一郎「お前は優しいからな。しかし、オレたちの仕事は...」
しのぶ「はいはい。わかったよ。小言は後にしてくれ」
  しのぶは書類をクリップで止め、アームボードに勢い良く突き刺す。
しのぶ「夜勤明けで眠たいんだ。とっとと家で寝たい...」
公一郎「そうも言ってられん」
しのぶ「何だ?」
公一郎「次の仕事が入った。これから潜入先の面接にいってもらう」
しのぶ「ウソだろ?」
公一郎「不規則な任務で休ませてやりたいのはやまやまだが。今回の案件は
 エマージェンシーコードだ...」
しのぶ「エマージェンシー? 公安部総掛かりってこと? 何の事件だ?」
公一郎「厚生労働省からの例の事件の調査が廻ってきた」
しのぶ「例のって?」
公一郎「なんだ、テレビ見ていないのか?」
  公一郎はカーナビの液晶モニターを操作。
  液晶モニターにテレビニュースが流れる。

●テレビニュース
  ニュースを伝えるアナウンサー。
アナウンサー「先日からお伝えしている成田空港の検疫官の謎の病死に
 ついての続報が入りました。解剖を調査していたC大病院は、遺体から
 東南アジアで猛威を振るっている新種のウィルス・ゼロワンが摘出されました」
  テレビは資料映像に切り替わる。
  東南アジアの病院に殺到する病人達。
  病棟を隔離する武装した治安部隊。
  それらの光景を淡々と解説するアナウンサー。
アナウンサー「発症した日時を逆算し、数日前にこの手荷物検査官が調査した
 タイ航空005便の乗客がウィルスを保持している可能性が高く、厚生労働
 省はこの男の捜索に当たっています」

●パトカー車内
  テレビを真顔で見つめるしのぶ
  運転席から茶封筒を差し出す公一郎
公一郎「その男のデータがこれだ」
  しのぶは書類を開き、黙読する。
公一郎「イシイハジメ。青年海外協力隊員で、東南アジアに出向していたが、
 数年前から現地の高校のサッカーチームの監督をしていた。今回、日本の
 高校チームとの親善試合のために凱旋してきたが、入国と同時に行方をく
 らまし、現在都内に潜伏していると思われる」
しのぶ「行方不明?」
公一郎「後で調べた結果、どうやらサッカーの親善試合というのは名目で、
 日本での就労の斡旋が目的だったとみられる...」
しのぶ「そいつはえれえタマだが...」
  しのぶは書類を次々とめくる。
しのぶ「肝心の顔が見えねえが...」
公一郎「ない」
しのぶ「ないって..パスポートの写真とか、青年海外協力隊の身分登録
 写真とか?」
公一郎「ダメだ。それを牛耳る外務省が資料を渡さない」
しのぶ「...外務省が?」
公一郎「渡してくれたところで、そいつは別人だ」
しのぶ「なーる」
  しのぶは鋭い眼光を公一郎に向ける。
しのぶ「つまり、外務省はイシイ・ハジメを介して就労斡旋をしていたわけか」
公一郎「と、いうより、イシイ・ハジメという戸籍を使い、利用していたといった
 ほうが正解だろう」
しのぶ「戸籍を使う?」
公一郎「まあ、現地邦人の名義貸しってのは、あの役所では昔からよく
 ウワサされていたがな」
しのぶ「キナ臭い輩ってことか...けど、こんな顔も経歴もみえねえヤツを
 相手に、どうやって探し出せっていうんだ?」
公一郎「通常ならお手上げもいいところだが。今回は事が事だ。早急に
 この男の身柄を確保しなければ、これまで水際で阻んでいた新種の
 ウィルス・ゼロワンの国内での蔓延を助長させる」
しのぶ「そんなにスゴいのか? ゼロワンってウィルスは」
公一郎「特効薬がない。発症したら最後、待っているのは死だ」
しのぶ「そりゃまた、えれえモンを持ち込んだなあ」
公一郎「そこで外事課が成田空港の監視カメラの映像を提供してくれる
 そうだ」
しのぶ「へー。そいつは豪勢なお土産だ」
公一郎「もっとも門外不出だから、分析官室のみの貸与が条件だ。したがっ
 て犯人の面どうしは分析官が行う。キミらノーショウ部隊は日本国内蔓延
 帽子のために、当面、この調査を最優先課題とする。上陸から48時間以
 上が経過していることから、男はホテルに滞在していると思われる。男の
 発見を全力であたってほしい」
しのぶ「それで? アタシが受け持つのは?」
公一郎「ここだ」
  公一郎は車を止める。
  しのぶは窓から外を覗く。

●都内M市・繁華街
  そびえ立つ巨大なビジネスホテル。
  スーツ姿のしのぶが玄関へと歩んでいる姿。
公一郎「(声)ビジネスホテル・アクアだ」

●アクア・エントランスホール
  木目の拡張高いロビーのイスに座るしのぶ
  通路を挟んだ向こう側のフロントには、忙しそうにチェックインをしている
  フロントマンたちの姿。
公一郎「14F建て、収容人員221人の高層ホテル。ビジネス客がメインで、
 この地域では格安の値段だ。ここのフロント夜勤に潜入して欲しい」
  テーブルに置かれたテスト用紙。
  しのぶは事もな気に万年筆をしまう。
  机上のテスト用紙は正回答で埋まっている。
公一郎「入社試験は一般常識だ。といっても、そう難しい問題じゃない。
 国家公務員試験をパスしたアンタなら、簡単にパスできる」

●同14F・ゲストラウンジ
  自分の座っていたイスを軽々と持ち上げるしのぶ
  それに目を見張るマネージャー。
公一郎「問題は面接だ。夜勤は体力勝負だ。ジムに通っているとか、陸上部
 だったとか、健康に支障がないことをあることないこと並べたてろ。いいか、
 くれぐれも言うが、ノーショウは機密調査部隊だ。こっちから社員のお膳立
 てすることはできない。自力で潜入することが必須条件だ」

●同・廊下
  マネージャーとしのぶがにこやかに握手している光景。
マネージャー「では、出勤の日取りはおって連絡します」
しのぶ「すぐにでも働かせてもらえませんか?」
マネージャー「ほう? 意欲的ですね!」
しのぶ「この不況でしょ。面接とか試験とかばっかで身体がなまっちゃって。
 身体を動かす意味でも、はやく仕事を覚えたいのですが」
マネージャー「では、明日の...」
しのぶ「今夜は?」
マネージャー「今夜?」
しのぶ「そうです。とりあえずどんなものか、見ているだけでも...」
マネージャー「なんだかやる気に燃えてますね! ますます気に入りました!」

●ホテル付近のファストフード内
  ハンバーガーを食らいつくしのぶ
  対面してコーヒーを飲む公一郎
しのぶ「一時間後から勤務だ」
公一郎「よし。ここからは時間との勝負だ」

●ホテル・アクア(夕)
  夕暮れ迫る繁華街。
  その頭上にそびえ立つホテルアクア。
  アクアの看板に火が灯る。
しのぶ『ビジネスホテルのフロントには大きく分けて2つある』

●同・フロント
  日勤の女性フロントが端末を操作しながら、レジの金を数えている。
しのぶ『まず午前8時から出勤する日勤。主に前夜からの宿泊客のチェック
 アウトを行い、前夜からの売り上げのシメをする。さらにルームメイクへの
 清掃を指示し、自販機の補充や書類の補充をし、午後3時からのチェック
 インを手伝い午後5時に退勤となる。これは主に女性が担当するケース
 が多い』
  一万円札を数え終わり、ため息をつく日勤女性フロント。
女性フロント「過不足ゼロ!」
  同時に続々とゃってくる夜勤のフロントマンの高田泰典と下田竜介
  泰典竜介は机上にある宿泊台帳と予約カードを見比べる。
しのぶ『問題は夜勤だ。早い勤務は午後3時に入り、宿泊客の部屋割り、
 世に言うアサインを行うが、これは端末が整備されているホテルでの話だ』
  テーブルの上の電話がワンコール鳴り、すかさず受話器を取る。
泰典「お電話ありがとうございます。ホテルアクアでございます」
電話相手A「今晩一泊、あいてる?」
泰典「おタバコはおすいでしょうか?」
電話相手A「吸わないけど」
泰典「お調べいたしますので少々お待ち下さいませ」
 泰典は保留を押し、宿泊台帳を見る竜介に叫ぶ。
泰典ノースモ、明いてる?」
 宿泊台帳に描かれている禁煙ルームの残室チャート。
 正の時で書かれた数字は0と書かれている。
竜介「シングル、フルカウント
泰典「オーライ」
しのぶ『ホテルアクアは電話予約から直接、宿泊台帳に記録するから
 その必要がない。午後5時に出社し、それまでチェックインした客の
 売り上げを精算した後、深夜0時までチェックインに専念する』
泰典「大変申し訳ございません。本日は禁煙ルームが満室いただいてお
 りまして...」
  その受話器を背後から奪いとる手。
泰典「え...?」
  泰典は背後を振り返る。
  そこには制服を着たしのぶの姿。
しのぶ禁煙ルームで御用意されていただきます」
  慌ててやってくる竜介
竜介「ちょっと、アンタ..!」
  竜介を手で制し、なおも受話器に語りかけるしのぶ
しのぶ「こちらのお値段、税金サービス料含めて8565円でございます」
電話相手A「8565円? いつもより高くない?」
しのぶ「こちらのお部屋、ダブルルームのシングルユースでございます」
電話の相手「シングルユースか。それもいいな」
しのぶ「ご予約ありがとうございます。恐れ入りますがお名前とお電話番
 号を...」
  しのぶは予約カードに書き記し、受話器を置く。
  同時に怒り狂う竜介
竜介「ダブルのシングルユースだと? 誰がそんな指示を...」
しのぶ「状況を判断しろ。今日は水曜日、団体客はゼロだ。こういう日のメ
 インは単身のビジネスマンでダブルとツインはガラ空きだ」
竜介「しかし、そもそもシングルユースはもっと深い時間に販売するの
 が...」
しのぶ「知ってるよ。終電を乗り過ごした客の足元をみて、深夜割り増しの
 タクシー代より安いだろってボッタくる、それがSu販売のセオリーだっ
 てことは。だが、今回のように禁煙を希望している客ってのは、たいて
 い健康重視の高年齢層だ。健康のためならカネを惜しまない。そういう
 客なら通常のシングルを売るより、どうせ空室で売れ残ることがわかっ
 ているダブルをシングルとして切り売りするのがフロントの腕の見せ所だよ」
竜介「そうだが...」
しのぶ「で、そういうヤツラが一度シングルユースを堪能すると病みつき
 になる。高い金を払ってでも、間取りの広いダブルやツインに泊まると
 言い出す。そういうときはちゃんと正規料金を払って貰う...そういう
 今後の営業活動の一環でもあるんだ」
泰典「なるほど...うまいやり方だな」
しのぶ「自己紹介が遅れたな。アタシは九野市しのぶ。今日からここの
 夜勤で働くことになった。よろしく」
泰典「ボクはナイトサブ高田泰典...」
竜介「オレはナイトマネジ下田竜介だ。なかなかデキそうだな」
しのぶ「この業界、結構長いから...」
  自動ドアが開き、客がやってくる。
客A「すいません。今日、泊めてもらえますか?」
しのぶ「ご予約はございますか?」
客A「いえ。してません」
しのぶ「わかりました。ルームチャージ5313円のお部屋を御用意いたしま
 す。ご記帳くださいませ」
  しのぶは宿泊カードを差し出し、客Aは名前と住所を記す。
  しのぶ竜介にボソっと呟く。
しのぶウォークイン
竜介「了解。503号室でいこう」
  竜介宿泊台帳の503号室に青○を記す。
しのぶウォークインとは予約のない宿泊客だ。ビジネスホテルは予約が
 前提となっている。予約がない、ということは、それだけ急用で入る環
 境下にある客で、問題を孕んでいる可能性が高い。フロントは要注意
 人物である認識を持ち、注意深く観察する...』
  電話が鳴り、慌てて受話器を取る泰典
泰典「はい、ホテルアクアです』
電話相手B「すいませんが、今日、一泊できますか?」
泰典「おタバコは御吸いでしょうか?」
電話相手B「え? いまお客さんに聞いてみます」
泰典「お客さん?」
電話相手B「ええ。私、タクシーの運転手です。酔いつぶれちゃって...」
泰典「お待ちください」
  泰典は保留を押し、宿泊台帳を見る。
  そこへ客Aにルームキーを渡し、覗き込むしのぶ
しのぶ「どうした?」
泰典「いま、タクシー運転手から代理予約が...」
  しのぶはすかさず受話器をつかみ取る。
しのぶ「すいません。本日、満室ですので」
電話相手B「え? そうなの? じゃあ、今度にしますよ」
  しのぶは受話器を置き、泰典を睨む。
しのぶ「タクシーからの代理予約は絶対に受けるな。高確率で問題を
 起こす、これはホテル業界の不文律だ」
  フロントテーブルで困惑している竜介
竜介「九野市! 高田! ちょっとこっちに来い!」
しのぶ「なに?」
  テーブルの向こうで怒り狂う客2。
客2「予約で言っていた料金と違うぞ。予約では4200円だって言っていた
 のに、4851円もとりやがる」
  しのぶはすかさず電卓をつかみ取り、客2にかざして説明する。
しのぶ「ご説明いたします。4200円は基本室料でございます。ここに
 10パーセントのサービス料である420円が加算され、さらに消費税
 5パーセントが科されます。すると、ほと、ほら、この値段に...」
客2「サービス料とか消費税とか。妙なものを付けやがって」
しのぶ「申し訳ござません。あとでご説明した予約担当をきつくしかって
 おきます」
客2「頼んだぞ」
  客2はキーを受け取り、エレベータへと向かう。
  ほっと安堵のため息をつく泰典竜介
しのぶ「いいか。室料4200円を打ったら、『税金とサービス料を含め
 まして』といって、11.55パーセントを素早く掛けろ。相手がそんな
 もんか、と思っているうちに精算させるのがコツだ」
泰典「どうせサービス料なんてもの、理解してませんしね」
  そこへやってくる客3。
客3「ねえ、朝食は何時から?」
しのぶ「午前6時半から10時まで、和定食と洋定食がございますが?」
客3「おいくら?」
しのぶ「お一人様900円です」
客3「えー、900円もするの?」
しのぶ「申し訳ございません。しかし、それに見合った料理をお出し
 しております」
客3「いいや。明日になったら決めるから」
しのぶ「当日ですと1000円となりますが?」
客3「そうなの?」
しのぶ「はい。何分食材の御用意がございまして。いまのうちのご予
 約でございますと、900円で御用意いたしますか?」
客3「わかった。予約する」
しのぶ「ありがとうございます」
  しのぶは胸ポケットから万年筆を取り出し、バックテーブルに歩む。
  バックテーブルには朝食券が。その一枚をとり、名前を記そうと
  するしのぶ
  その横に泰典がやってくる。泰典はしどろもどろにカードライターに
  クレジットカードを差し込む。
しのぶ「おい! 食券をきっているんだ。どいてくれ」
泰典「すいません。クレジットカードがエラーを起こしていて」
しのぶ「カードライターの表示は?」
泰典「それが回線使用中と表示されていて」
  しのぶは背後のFAXを見る。
  FAXの前で書類を送信している竜介
しのぶ「何を流している?」
竜介「本社への中間売り上げをFAXしている」
しのぶ「後にしてくれ。FAX回線はクレジット回線と同一だ。クレジット
 を優先させろ」
竜介「わかった」
  さらに食券を切ろうとするしのぶ
泰典しのぶさん。カードがダメです」
しのぶ「今度は何の表示だ?」
泰典「わからない。4401と表示されています」
しのぶ「どこの号室だ?」
泰典「305号室です。そちらのお客様です」
  泰典はフロントに立っている客4を平手で指す。
しのぶ「わかった。アタシに任せて、お前は1014の客に食券を渡せ」
  客4の前に歩み寄るしのぶ
しのぶ「恐れ入りますが、お客様のカードは無効となっております」
客4「無効? そんなはずはない! もう一度、試して見ろ」
しのぶ「はい。もう一度、入れてみますが、なにぶんお時間をとらせるか
 もしれませんので、おかけになってお待ち下さい」
客4「....」
しのぶ「さあ、どうぞ、おかけに...」
客4「わかったよ。現金で払うよ」
  しのぶは客4から現金を受け取り、レジにいる泰典に渡す。
泰典「どういうことですか?」
しのぶ「4401は口座未払い番号だ。カード支払いの口座が底をつい
 ていて、差し止められている」
泰典「そうなんですか?」
しのぶ「おそらく本人は、今になって気づいたんだろう。ただでさえフロ
 ントは混雑し、殺気立っている。ヘタに刺激するとコンプが発
 生する。うまく誘導し、現金支払いに移行させる、それがプロの
 フロントマンの仕事だ」
泰典「はあ...」
しのぶ「おまえ、いま手が空いているか?」
泰典「はい」
しのぶ「御茶を20人分、出してくれ」
泰典「御茶? 20人分?」
  しのぶはロビーを見る。
  ロビーには、いつの間にか無数のビジネス客でごった返している。
しのぶ「チェックイン待ちの客がロビーで待っている。このまま待たせる
 とフロントで不満をぶちまけて余計な仕事が増える。温かい御茶を
 無料で配ることで、気分を緩和させるんだ」
泰典「なるほど! わかりました!」
  泰典は給湯室へと向かおうとする。
  泰典の腕を引っ張るしのぶ
しのぶ「配るときは笑顔で低姿勢に、それとなくな。無料だとか一人
 一杯とか、妙な制限を加えたり高い位置から物を言うなよ。こっちは
 あくまでも待たせているんだ。それと手渡しは厳禁だ。テーブルに
 静かに置け。御茶を取り損ねて床に落として見ろ。一気に不満が
 破裂する」
泰典「わかりました!」
  泰典は給湯室からヤカンを持ち、ロビーで茶を配り始める。
  フロントでは竜介がチェックインを慌ただしく行っている。
  その横で鳴り響く電話に次々に出ているしのぶの姿。
しのぶ「はい、ホテルアクアでございます」

●M市・繁華街(深夜)
  そびえ立つビジネスホテルアクア。
  看板のネオンに『満室』が灯る。

●同・事務室
  デスクにドッカリとヘタりこむ泰典竜介
泰典「いやあ。今日は入りましたね」
竜介「ああ。満室になるとはな...」
  フロントからやってくるしのぶ
しのぶ「どーやら西急線で事故が発生したらしい」
竜介「そうなんか?」
しのぶ「客から聞いたハナシではな」
泰典「それで、足止めをくった人がなだれ込んだのか...」
しのぶ「そーゆーことらしい」
  しのぶはヤカンから冷め切った茶を豪快にグビ飲む。
竜介「なんか余裕だな」
しのぶ「いや。けっこうキてるってトコが本音だ。さすがアクアだ
 。221室を保有するだけのことはある」
竜介「勤務初日が水曜日なんて厄日だな」
しのぶ「ああ。ビジネスホテルは火、水、木が宿泊客の集中日
 だからな」
泰典「助かりましたよ。ホテル経験者が入って。今までこっちが
 手こずっていたことを未然に防いでくれましたから」
しのぶ「ヘタな世辞はいいよ。それよりこれからの時間が、
 フロントの本当の勝負だろ?」
竜介「そうだ」
  竜介は時計を見る。時刻は深夜0時...。
竜介「午前0時以降の客のほとんどが、いわく付きだ」
しのぶ「残り客は?」
泰典「チェックインしてないのはあと三人です」
  泰典は3枚の予約カードを机上に広げる。
しのぶ「うち2名は深夜1時と2時到着か」
  しのぶはフロントから宿泊台帳を持ち出し、めくる。
しのぶ「この2人の客室、メイク指示表に清掃は午後からだと
 書いておけ」
泰典「え? どうして?」
しのぶ「午前0時を越えてチェックインする客のほとんどが、
 午前10時のチェックアウトを守らない。大概午後まで宿泊
 延長する」
  しのぶメイク指示表を取り出し、次々と記していく。
しのぶ「メイクが入って寝てました、なんていうと、相手は睡眠
 不足で寝起きでたたき起こされたんだ。それこそフロントで
 怒りをぶちまけて、アタシらの退勤時間までも延長させる
 ハメになる」
泰典「なるほど」
しのぶ「だからあらかじめ、宿泊延長と想定するんだ。しっかり
 延長料金をチェックインでとっておいて、正午まで静かにね
 かしてやる....」
  しのぶ宿泊台帳の翌日分をのぞき見て、1枚の予約
  カードを差し出す。
しのぶ「とくにこいつ。こいつの入る部屋は、明日、午後3時に
 団体客の一人が入るから、別の部屋にしてやれ」
泰典「え?」
しのぶ「正午にチェックアウトして、午後3時までメイクが仕上
 がるかどうかは不明だ。ここは221室あるんだ、メイクだっ
 て清掃行程がある。しかも団体客のチェックインは、午後3
 時のチェックイン開始より前に来て、部屋で着替えをしたり
 するケースがある。ヘタに清掃ができなかったら、今度は
 団体客を待たせることになりかねない。だから、この客の
 部屋をどかすんだ」
泰典「なるほど。明日の宿泊まで考えるんですね」
しのぶ「ホテルってのは24時間営業だ。たとえチェックインと
 アウトの時間が5時間あったとしても、それはあくまで指標
 にすぎない。一つ一つの業務がうまくいって、初めて機能
 するんだ。そうした配慮や余裕をどこかで作らないと、どこ
 かで破綻し、クレームがつく」
  竜介は首を気だるそうにクリクリと左右に動かす。
竜介「しっかし、クレームやコンプがつくのを極力避けるな」
しのぶ「ああ。叱られて気分のいいヤツなんて、どんなプロの
 ホテルマンでもいやしないよ。アタシだってヤだし、それに
 このご時世だ。悪いウワサってヤツほど大きく広まる」
竜介「驚いた新人だよ。フロントマンは叱られてナンボの商
 売だってオレは教わってきたが...」
しのぶ「そいつは売上重視の上司の理論だ。結局、コンプ
 んてのは客へのサービスとホテル側の売上事情が食い
 違ったところに集中する。二者択一の結果『売上を優先さ
 せるためには叱られるしかない』そういう前提だろ。だがな、
 客に叱られる前に機転を効かしたトークやサービスでか
 わす、そういう選択肢もアリで、これが出来るヤツが本物
 のホテルマンの仕事だ」
竜介「まあ、な...」
 しのぶ宿泊台帳を指差す。
しのぶ「ここでいうと、5Fは要注意だな」
竜介「5F?」
しのぶ「インターネットからの予約客の階だ。ここのホテル
 はネット客の枠をこの階に集注している。ヤツらはネット
 の使い方を熟知している。ヤツらの機嫌を損ねてみろ。
 どっかの掲示板でここのホテルの不満をぶちまけ、
 それがネットで大騒ぎとなって、評判、そして売り上げを
 下げる」
泰典「ネットは形に残りますからね」
  泰典宿泊台帳に書かれている料金襴を見る。
泰典「...にしては、一般の料金よりやや安いですね」
しのぶ「ああ。ネット予約には手数料が支払われているからな。
 便利で格安だとうたって宿泊させれば、いいホテルだと
 絶賛してくれる。そうした宣伝費を見越して、各ホテルとも
 格安の値段で提供している」
泰典「ものは使いようってわけですか」
しのぶ「そうだ。ただ、ホテルの良い評判ってはあまり書かれ
 ないからな。むしろネットをよく使う客=ビジネスマンという
 捉え方のほうが、いいかもな」
  竜介は一枚の残された予約カードを取る。
竜介「しっかし。残りの一人の客。この客はどんなもんかな?」
泰典「ええ。ボクも気になっていました」
しのぶ「予約では到着は午後7時か...」
竜介「もしかしてノーショウかな」
  ピクッとするしのぶ
竜介「どうした?」
しのぶ「いや、ノーショウって?」
竜介「予約だけ入れて来ない客のことだが。あれ? この
 言葉ってホテル業界用語だろ? 知らなかったのか?」
しのぶ「いや。そうだったな...」 
  しのぶは改めて予約カードを見る。
  カードの末尾に高田のシャチハタ印。
しのぶ「おい、この予約入れたの、お前か?」
泰典「はい」
しのぶ「ナナジといったか?」
泰典「はい、シチジと言いました」
しのぶ「違う! ナナジだ!」
泰典「え? シチジでしょ?」
しのぶ「バカだなあ! 7はナナだ。シチはイチと発音が似て
 いて区別が付きにくい。だからホテルでは7をナナと呼ぶ」
泰典「え? そうなんですか?」
竜介「ああ。常識だ」
  泰典はハッとする。
泰典「つまり、この客は7時ではなく、1時の到着の可能性
 がある、というワケですか」
竜介「だったら、遅れている理由がわかるが」
しのぶ「とにかく待ってみよう」

●同・フロント
  アンティーク時計が午前2時30分を指している。

●同・事務所内
  レジ金庫の中の一万円札を必死に数えている泰典
  それを覗き込むしのぶ竜介
竜介「どうだ?」
泰典「ダメです。0時シメがあわないんです」
しのぶ「いくら?」
泰典「5万4735円」
しのぶ「おいおい。なんだ、その額は?」
竜介「過不足にしては妙にデカい金額だな」
しのぶ「原因は?」
泰典「いま、調査中です」
  泰典は慌ててNECのPC9800−NCを起動する。
泰典「それより皆さん、ちゃんと釣り銭勘定は出来ていま
 すか?」
竜介「おい! オレたちを疑うのか?」
泰典「いえ、でも...」
  しのぶ泰典の横に立ち、モニターを覗き込む。
しのぶ「おい。現金売掛明細表(現金売掛明細表)をみせろ」
泰典「待ってくださいよ、これ、すごく難しい計算ですから」
  泰典はキーを操作する。同時にエラー音。
泰典「あれ? また違った」
  しのぶはモニターを見る。
しのぶ「お前、ABCD現金というのを理解しているのか?」
泰典「なんですか? それ」
しのぶ「いいか。ホテルは24時間営業だ。つまり24時間、
 どこかで売り上げがある。その売り上げをどこかでシメて
 回収しなくてはなない。ここでは午前10時の朝シメ、
 午後4時の夕締め、午前0時の深夜シメがある」
  しのぶは紙を取り、チャートする。
しのぶ「いいか。今日の売り上げをもっと立体的にみるん
 だ。まず今晩一泊だけの客。これがA現金だ。さらに
 今晩チェックインして、明日以降も滞在する客が今日、
 滞在費の全額支払ったとする。今日一泊分はA現金、
 翌日以降をB現金とする。さらに昨日以前から宿泊し
 ている客がいるとする。この客は昨日以前に全額支
 払っている。この今日分をC現金とする」
泰典「なるほど」
しのぶ「さらにもう一つの可能性がある」
泰典「もう一つ?」
しのぶ「つまり翌日以降にチェックインする客が、今日訪
 れて、あらかじめ支払う収入。これをD現金という」
泰典「あー、そうか! 宿泊費の前預かりか!」
  泰典はレジ金庫から一枚のレジストを取り出す。
泰典「ありました! これですよ! 3日後に宿泊する
 客。この客の預かりがありました!」
しのぶ「それをわけて計算すると、どうだ?」
  泰典はキーを操作する。
泰典「ピッタリ! 過不足ゼロです!」
しのぶ「よし。これでフロント日報に書けるな」
泰典「ええ。すごいですよ。こんなに混雑しているのに
 コンプも過不足もないなんて...」
  泰典フロント日報を綴るファイルを開ける。
泰典「見て下さいよ。昨日までのフロント日報...」
  書かれている訂正の文字の嵐。
  フロント日報全体が真っ黒...
しのぶ「ヒデえなあ、お前たちの資質を疑うね」
泰典「いいっこなしですよ!」
竜介「まあ、これでフロント最大の難関の深夜シメ
 書類の作成も完了だ」
  竜介はウーンと腕を伸ばす。
竜介「あとはオレらに任せて仮眠しろ。お前は今日
 入ったばかりだしな」
しのぶ「その前に夜食といこうぜ」
  しのぶはビザ屋のデリバリーリストを取り出す。
しのぶ「アタシの歓迎会まだだしな。これからこの
 メンツでやってくんだ。挨拶会を開こうぜ」
竜介「新歓コンパなら、改めて席を設けるが?」
しのぶ「おいおい。アタシらは夜勤だぜ。コンパなん
 て開いても、その時間、誰かがフロントにたって
 いる。こうしてメンツが顔を揃えるなんてめったに
 ない機会だ」
竜介「確かにそうだな...」
しのぶ「ヘタにコンパであぶれたヤツなんか出して
 見ろ。あとでそれが根拠となってチームワークが
 乱れて、引き継ぎが滞り、コンプの温床となる」
竜介「なるほどな。そういうケースで深夜派閥がで
 きたりするからな」
しのぶ「そういうことになる前に、やれるうちにやっ
 ておく。これが鉄則だ」
竜介「わかった」

●同・フロント
  テーブルに置かれている看板とチンベル。
 『ご用の際はお手元のベルを鳴らしください』

●同・事務室
  食い残したピザとカクテルが卓上に並ぶ。
  その横のソファで眠る泰典に毛布を掛けるしのぶ
しのぶ「夜勤フロントってのは酒に弱いヤツらが多いが」
  しのぶは机にもたれ座る竜介を見る。
しのぶ「アルコール5パーセントのカクテルで、ここまで
 良く眠るか? フツー」
  すっかり酔いつぶれている竜介
竜介「つーか、フツー、カクテルなんか頼むか?」
しのぶ「まあ、アタシも本意じゃないが、あくまでも任
 務だ。悪く思うな」
竜介「少しだけ眠る。午前5時になったら起こしてくれ...」
  竜介はばったりと眼を閉じ、眠り出す。
  しのぶは同時にバックから携帯PCを取り出す。
  モニターには公一郎の姿。
しのぶ「悪い。少し手間取った」
公一郎「25分超過だ! はやくデータをあげろ!」
しのぶ「OK、ちょっと待って」
  しのぶはNECの98とLANコードで接続し、キーを操作。
しのぶ「まず今日チェックインした宿泊名簿からだ」
  モニターの向こうの公一郎がニヤリとほくそ笑む。
公一郎「きたきた。へー、202人の満室御礼、やるねー」
しのぶ「感心しているヒマはねえ。どうだ? 目星は?」
公一郎「いま照会しているけど...出た。犯人と似た対象と
 なる人物は全部で55名」
しのぶ「55人か。多いな」
公一郎「さらに選別したい。このうちクレジット支払い者は?」
しのぶ「いま、データを送った」
公一郎「15人ね。いずれも正規のカードを使用していて、
 日本の銀行に口座を持っている」
しのぶ「この15名は限りなくシロに近いということか」
  しのぶはPC98をさらに操作する。
しのぶ「次は?」
公一郎「残りの現金払いの40名の部屋クラスのデータを...」
しのぶ「シングル30名、10名がツインとダブルだ」
公一郎「よし。犯人は単独である可能性が強いからダブル
 とツイン客は排除だ」
しのぶ「すると30名か。この30名の有料放送の使用は?」
公一郎「有料放送?」
しのぶ「ああ。成田税関の話では、3日前に犯人を取調した
 ときに大量のエロ本があった」
公一郎「それでね...待ってよ。いま、調べるから」
  しのぶはキーボードを叩く。
しのぶ「...25名だ」
  ゲッと思わず嘔吐しそうになるしのぶ
しのぶ「25名も見ているのかよ。これだから世の中のオヤ
 ジは!」
公一郎「しかし、絞り込めてきたぞ。最後に、この25名の
 郵便番号の照会だ」
しのぶ「郵便番号?」
公一郎「犯人は偽名で偽の住所を使用している。それらを
 見分けるには郵便番号を見るのがはやい。たとえ住所や
 電話番号をどこかに実在するものを使用しても、郵便番号
 までは覚えているケースほとんどない」
しのぶ「やってみよう」
  しのぶはファンクションキーを素早く切り替える。
しのぶ「出た。4名が偽の郵便番号、一名が無記名だ」
公一郎「よし、その5名が犯人対象だ。全データを本庁に
 あげてくれ」
しのぶ「わかった...」
  しのぶはキーを操作しようとするが、
公一郎「それとここ一ヶ月間のホテル売り上げと、顧客リ
 スト、社員名簿もだ」
しのぶ「いつも思うんだが。それ、何に使うんだ?」
公一郎「それを聞くな。俺たちは公安部だ。犯罪調査のほか
 にも、いろいろと使えるデータは保存しておく。それが公安
 が武器とする有事の情報網だ」
しのぶ「というか、政治の道具にしかおもえんが」
公一郎「まあ、そこらは大人の世界だ。あまり深く勘ぐるな」

●東京・警視庁
  皓々と照らす4Fの一角にクローズアップ。

●同・公安部犯罪情報分析室
   整然とサーバが並ぶオフィス。
   サーバは次々とはいる通信を受けて、パイロットランプが
   忙しなく瞬く。
   その横で分析官の3人が顔をあわせている。
分析官X「都内758店舗のホテルに潜伏中のノーショウ部隊
 からのデータがあがりました」
分析官Y「よし。そろそろいってみようか」
分析官Z「では、これらを成田空港の税関からの事情聴取デー
 タと照合し、一挙に検索をかけます」
  分析官Zがキーを叩く。
  画面には『検索中』が表示。
  ジっと見入る3人の分析官。
分析官X「この3日間、アタリはありませんが」
分析官Y「今夜も期待はできんな...」
  画面に表示される文字は『該当2件』。
分析官X「え?」
分析官Y「2件も?」
分析官Z「どこのヤツだ?」
  ファイルをオープンする。
  驚愕する分析官の3人。
分析官X「これは....」

●都内M市・ホテルアクアのフロント
  フロントテーブルごしに公一郎しのぶが語っている。
しのぶ「え? ウチのホテルの宿泊客でヒットした?」
公一郎「ああ。2件とも、そっちの宿泊客だ」
しのぶ「参ったなあ。どんなヤツだ?」
公一郎「まず最初に705号室に宿泊中のソメヤ・ケンイチ、35歳の
 営業マン。次に902号室のフリーターのマノ・ヒサシだ。どんな
 ヤツか覚えているか?」
  しのぶは慌ててキーボックスの中からレジストを覗く。
しのぶ「いや。いま、レジストを見ているが、アタシがチェックイン
 を担当していないから」
公一郎「よし。朝になったらこの2人を注意しろ。二人とも朝食券
 は買っているか?」
しのぶ「ああ」
公一郎「朝食に出てくるわけか。食堂にスタッフをつけよう。
 キミも要注意してくれ」
  公一郎は出ていく。
  2枚のレジストを見て、立ちすくむしのぶ
しのぶ「えれえことになったな...」

●同・玄関(午前6時)
  ホースで呼び水を撒いている泰典
  ふと、泰典は道路の真向かいを見る。
  黒いバンが止まっている。
  それを不思議そうに見つめる泰典

●同・フロント
  Billキーボックスに入れている竜介しのぶ
  そこにやってくる泰典
泰典「おい。あの車はなんだ?」
竜介「さあ?」
泰典「さっきからずっと止まったままなんだ。誰も出てこない」
しのぶ「朝食を喰いに来たんじゃないか?」
  窓の向こうに見えるバンから降り立つのは、服部静香
  静香は玄関へと歩み、フロントへとやってくる。
静香「すいませーん。食堂のキーを下さい」
泰典「あれ? 見かけない顔だね。新人さん?」
静香「ええ。朝食のオバチャンが倒れて。ピンチヒッター」
竜介「わかった。ほら、カギ」
  竜介はキーをしずかに渡す。
  静香しのぶの前に歩み寄り、
静香「あ、初めまして。よろしく」
しのぶ「よろしく...」
静香「これ、自宅の前に咲いていた花です。よかったら」
しのぶ「ああ、ありがとう」
竜介「おいおい、女どおしの友情か、いいなあ」
  しのぶは花束の中を探る。
  そこにはイヤホンと携帯無線器が。

●同・女子トイレ
  しのぶはイヤホンを耳に付ける。
しのぶ「こちらクノイチ。感度は良好だ」

●同・レストラン
  厨房で食事をつくっている静香
  静香もまた耳にイヤホンをつけている。
静香「サイレント。こちらも良好」

●同・玄関先のバン
  バンのレザー張りの窓の中には、無線通信をしている公一郎
公一郎「よし2人とも。オペレーションだ」

●同・レストラン
  静香は大きなカチューシャでイヤホンを隠す。
静香「はい!」

●同・女子トイレ
  しのぶはリボンをとき、耳に刺したイヤホンを髪で隠す。
しのぶ「了解!」

●同・フロント
  エレベータから宿泊客たちが下りてくる。
  笑顔で「おはようございます」と挨拶する泰典竜介しのぶ
  そこへやってくるのはソメヤ・ケンイチ。
ケンイチ「すいません」
しのぶ「はい?」
ケンイチ「705号室の者ですけど。朝食会場は?」
しのぶ「あちらにございます」
  ケンイチはレストランとへ歩く。
  しのぶは見定めながら、ボソッと呟く。
しのぶ「405、サイレントゾーンへ移動」
公一郎「了解...」
  真向かいのロビーで新聞を読む公一郎が立ち上がり、レストランへ。

●同・レストラン
  テーブルに座るケンイチ。
  その横の席に座る公一郎
  公一郎はデジカメを新聞で隠しながら、シャッターを降ろす。
  同時に携帯電話に装着し、送信開始。
  そこへやってくるウェイトレス姿の静香
静香「いらっしゃいませ」
  新聞を読むフリをして、ボソリと呟く公一郎
公一郎「いま、本庁に画像データを送る。成田税関の画像データと
 一致すると同時に、捜査員が一斉に始動、彼を隔離する...」
静香「わかりました。和定食ですね」
  静香は厨房へと戻り、ケンイチに洋定食を運ぶ。
静香「お待たせいたしました。洋定食でございます」
ケンイチ「あー、どうも」
  ケンイチ、ナイフを持つが、手を滑らせ、血が出る。
静香「大丈夫ですか? いま、テッシュをお持ちします!」
  静香は慌てて厨房へと戻ろうとする。
  静香の過ぎ去る瞬間、公一郎が小声で呟く。
公一郎「いいか。彼には絶対に触れるなよ。ゼロワンは血液感染だ」
  蒼白の静香。ハッとして営業スマイルを取り戻す。
静香「和定食ですね。少々お待ちください」
  静香はティッシュを持ってケンイチのテーブルへ。
ケンイチ「消毒液はない?」
静香「え?」
ケンイチ「テッシュだけじゃ止まらないよ」
  ケンイチの手に滴る血。
静香「いや、こちらには...」 
ケンイチ「あー、血が...」
  ドクンドクン..と静香の鼓動が響く。
  呆然と立ちすくむだけの静香
  そこに軟膏薬を持って現れるしのぶ
しのぶ「軟膏をお持ちしました。こちらでお拭き下さい」
ケンイチ「あー、ありがとう」
  ケンイチは傷口を拭う。
  ホッとする静香
  しのぶ公一郎の横を歩きながら、ボソッと呟く。
しのぶ「本庁、まだか?」
公一郎「いま画像を照会しているが、何分、空港の映像は上からの
 撮影で、顔かたちの照合に時間がかかっている」

●同・フロント
  憮然としながらやってくるしのぶ
しのぶ「これだけからヤツらの仕事ってのは!」
  え? と首を傾げる竜介泰典
竜介「どうした?」
しのぶ「いや、なんでも...」
  レストランからやってくるソメヤ・ケンイチ。
  ケンイチはしのぶにキーを差し出す。
ケンイチ「チェックアウト」
  ビックリするしのぶ
しのぶ「お客様、御朝食は?」
ケンイチ「食欲がないんだ。キャンセルするよ」
  ケンイチは朝食券を差し出す。
しのぶ「少々お待ちくださいませ」
  しのぶは視線をレストランの前に馳せる。
  レストランの前でタバコを吸ってくつろぐフリの公一郎
  公一郎は窓辺を見ながら、ボソッと無線で呟く。
公一郎「このままチェックアウトさせるな。時間を長引かせろ」
しのぶ「(小声で)どうやって?」
公一郎「なんとかしろ!」
しのぶ「....!」
  しのぶは705のキーボックスにあるBillを見ながら、
しのぶ「お客様。朝食をお食べにならないのでしたら、朝食料金の
 御返金をいたします」
公一郎「あ、そう? 頼むわ」
しのぶ「少し手続きに時間がかかりますので、おかけになっ
 てお待ちください」
公一郎「時間かかるの? だったら...」
しのぶ「いえ。すぐすみますが...」
  そこへレストランからやってくる静香
静香「お目覚めのコーヒーをどうぞ」
  静香はケンイチにコーヒーを差し出す。
静香「先ほどは失礼しました。レストランからのお詫びです」
ケンイチ「ありがとう」
  ケンイチはロビーへと退き、イスに座ってコーヒーを飲む。
  しのぶは朝食券にVOIDと記し、返金確認証をゆっくりと
  記している。
  それを横で不審に見ている竜介
竜介「朝食の返金で返金確認証なんて必要ないだろう?」
しのぶ「まあな。でもここは慎重に...」
竜介「慎重たってなあ。どうせあの客だけだし。すぐわかるだろ?」
  しのぶは苦笑しながら、公一郎を睨む。
  そのとき、公一郎は携帯が鳴り、慌てて受信する。
  ハッと注目するしのぶ静香
  同時に公一郎がボソッと呟く。
公一郎「705、クリア!」
  ホッと安堵する静香しのぶ
しのぶ「了解!」
  しのぶカルトンに900円を載せテーブルに差し出す。
しのぶ「ソメヤ・ケンイチ様。お待たせしました!」

●同・フロント(午前10時)
  レジがガンガンと音を響かせ、精算レシートを吐き出している。
  その横でキーボックスを見ながら引継表を作成している竜介
竜介「っかしいな...」
  レジ金庫のカネを数えるしのぶ泰典
泰典「どうしました?」
竜介「一部屋、出てこないんだよ」
泰典「どこです?」
竜介「902のマノ様」
泰典「902?」
  泰典はステイ表を見る。
泰典「おかしいですね。ワンナイトなのに。もうチェックアウトの
 時間ですよ」
  レストランからゃってくる静香
静香「朝食の集計です」
泰典「あ、902号って朝食きた?」
静香「それがこないんですよ。朝食予約はしていたのに...」
  傍でジッと考え込んでいるしのぶ
しのぶ「チッェクアウトコール、してみるか」
竜介「そうだな...」
  竜介は受話器を持つが、
しのぶ「アタシがやる」
  しのぶは受話器を奪いとり、902と押す。
  呼び出し音だけが延々と鳴り響く...。
  みるみるうちに蒼白になっていくしのぶ
しのぶ「まさか...」
  しのぶは慌てて902のキーボックスの横のインジケー
  ター
スイッチを押す。
  同時にフロントの精算ライターがカリカリと音を立て、
  レシートを吐き出す。
  レシートを覗くしのぶ
しのぶ「電話料金800円、マッサージ料金1万5000円、
 有料放送1000円...」
  それを聞いて、ハッとする竜介
竜介「まさか...」
しのぶマスターキーを貸せ!」
泰典「え?」
しのぶ「借りるぞ!」
  しのぶ泰典が首からかけるマスターキーを奪い取り、
  フロントから出ていく。

●同9F・廊下
  902のドアの前に立つしのぶ静香
静香「待って! どうしたの?」
しのぶ「黙っていろ!」
  しのぶはドアを3回のノック。
  返事はない。
  しのぶはカギ穴にマスターキーをさしこむ。
しのぶ「開けるぞ!」
  慌てて静香が止める。
静香「待って! まだ本庁から逮捕状が!」
しのぶ「そうじゃない!」
  しのぶはドアを開ける。
  同時に無人の部屋。荷物一つない。
  呆然とするしのぶ
しのぶ「やっぱり...!」
静香「何? なんでいないの?」
しのぶスキッパーだよ!」

●同1F・事務室
  マネージャーに報告している竜介泰典しのぶ
マネージャー「つまり、902の電話代、マッサージ代、有料
 放送代が未収...」
泰典「それとカギの持ち出しですから。弁償費として5000
 円が...」
マネージャー「そうだな。それで? 本人とは連絡取ったのか?」
竜介「かけましたが、住所、電話番号ともデタラメです」
マネージャー「....合計4万円の過不足か」
  泰典竜介が頭を下げる。
泰典竜介「すいませんでした!」
マネージャー「まあ、こういう頼りない先輩だけど...」
  マネージャーはしのぶを見る。
マネージャー「それなりに頑張ってはいるから」
しのぶ「いえ。私こそお役に立てなくて。本当にすいません
 でした」
マネージャー「初日なのに。悪かったね。みっともないところ
 みせて」
しのぶ「そんな...」
マネージャー「上がって下さい。本当にお疲れさまでした」
しのぶ「はい...」
  頭を下げて更衣室へと向かおうとするしのぶ泰典竜介
マネージャー「九野市さんだけです!」
  ハッとする泰典竜介
マネージャー「2人はただちに902号室のへ行ってカギの交換を」
泰典竜介「はい!」
マネージャー「そのあとに過不足金報告書と始末書を!」
泰典竜介「はい!」
  泰典竜介は慌てて走っていく。

●同・駐車場
  パトカーの窓越しに語り合っているしのぶ静香公一郎
公一郎「そうか。そいつはイタイ損害だな」
しのぶ「ま、あの2人は間違いなく減給だろうけど...」
静香「問題は、あの902のマノって客...」
公一郎「ああ」
  公一郎はタバコに火をつける。
公一郎「イシイ・ハジメの可能性は濃厚だな」
しのぶ「だったら刑事部を動かしたらどうだ? あの部屋に指紋は
 残っているかも」
公一郎「いや。まだ状況証拠でしかないからな。それじゃあ地検
 だって令状はだせんよ」
しのぶ「しかし、こうしている間にも感染者が...」
公一郎「わかっているさ。ま、ともかく今日の所はここまでだ」
しのぶ「さあて。アタシは帰るぞ、もう帰る、いや、絶対帰ってや
 るからな!」
  しのぶはパトカーの後部座席に座る。
しのぶ「この2日間、寝てないんだ」
公一郎「わかった。もう犯人はここにはこないだろう。ホテルへの
 辞表はこっちから出しておく。次の逮捕ミッションまで休んでくれ
 ていい」

●都内某所
  ふらふらとマンションの一室へとやってくるしのぶ

●同・寝室
  ベッドに倒れるしのぶ
  そのまま布団をかぶろうとする。
  そのとき、鳴り響く携帯電話。
しのぶ「なんだよ、このクソ眠みぃのに...」
  しのぶは腕で携帯電話を払いのける。
  同時に携帯電話は壁に激突し、受信スイッチが入る。
  携帯から響くマネージャーの声。
マネージャー「あ、九野市さん。至急、連絡を御願いします!」
しのぶ「やかましい! 逮捕ミッションまで眠らせるってハナ
 シだろ!」
マネージャー「逮捕ミッション?」
しのぶ「どなたです?」
マネージャー「ホテルアクアのマネージャーです」
しのぶ「へ?」
  ムクリと起きあがるしのぶ
しのぶ「アタシ、辞めたんじゃなかったの?」

●ホテルアクア
  赤々とした夕陽に染まるホテルアクア。

●同1F・事務室
  マネージャーの前でボーと立っているしのぶ
  マネージャーが拝むように見つめている。
マネージャー「今日の夜勤者が体調不良で急遽お休みなん
 です。ぜひ、代わりに出ていただきたいのですが」
しのぶ「他の夜勤連中は?」
マネージャー「高田クンと下田クンですか。彼等はシリン
 ダー交換
のため、午後2時まで残ってやってくれてい
 たんですよ。さすがに仮眠をしてないので、今夜の
 勤務は...」
しのぶ「アタシだって2時間しか...」
マネージャー「面目ない限りです。その代わり給料ははず
 みますし、深夜、仮眠をとってくださっても結構ですので...」
しのぶ「....」

●同1F・トイレ前
  トイレから出てくるしのぶ
  しのぶ、あまりの疲労と眠さに、思わず自販機にもたれかかる。
  自販機の前にやってくる公一郎
しのぶ「アンタか...」
公一郎「態度が悪いぞ。お客様にはいらっしゃいませ、じゃな
 いのか?」
しのぶ「フザけるなよ。こっちは精神フルパワーで何とか立っ
 ているのがやっとだってのに...」
  しのぶはほくそ笑み、イスに座る。
しのぶ「で、なに?」
公一郎「イシイ・ハジメが今夜、ここに宿泊している」
しのぶ「は?」
  しのぶは怪訝な顔。
しのぶ「けど、宿泊名簿には...」
公一郎「それはマノ・ヒサシって名前だろ。今朝、スキップして
 同じ名前は使えんよ」
しのぶ「じゃあ...」
公一郎「ナカムラ・キタロウだ。中野のハイテク犯罪捜査班から
 の通報だ。インターネット予約で予約を入れているのを発見し
 た。ネット会社でのデータを照会した結果、相変わらず偽の
 住所だが、ほとんど同じ電話番号を使用している」
しのぶ「そいつは今、...」
公一郎「604号室だ。試しに午後4時に、フロントに問い合わ
 せたところ、どうやらすでにチェックインしているらしい」
しのぶ「なーる。それでアタシを駆り出したワケ」
公一郎「キミには悪いと思ったが。とにかくこれは時間との勝
 負だ。一刻もはやく犯人逮捕をしたい」
しのぶ「わかったよ。その前にアタシがぶっ倒れるかもしれない
 がな」
  公一郎は自販機から栄養ドリンクを買い、渡す。
公一郎「とりあえずこれで」
しのぶ「これでおしまい? 今度、しっかり奢ってよ!」

●同・事務室(午前2時)
  フラフラになりながらコンピュータを操作しているしのぶ
  静香がコーヒーを飲んでいる。
静香「しかし良い度胸ですよね。スキップしといて、昨日の
 今日でチェックインするなんて」
しのぶ「要注意だぞ。こっちが知っているのは名前だけだ。
 相手は偽名を使ってくる。顔をしらないってことこそ、本当
 に怖ろしいんだ」
静香「しかし、2日間もここに滞在して。いったい何の目的
 でしょうね」
しのぶ「...できた」
  しのぶはコンピュータを操作し、プリントアウト。
  印刷機からデータ用紙が排出される。
しのぶ「これでナイト書類は完成だ。とりあえず眠るよ」
静香「もう限界?」
しのぶ「当たり前だろう。この3日間ずっと寝てないんだぜ。
 それに今夜はワンナイト(一人夜勤)。さすがにもうズタ
 ボロだよ...」
  しのぶはソファに横になる。
しのぶ「悪いけど、何かあったら知らせてくれ」
静香「はいはい」
  静香は毛布を掛ける。
  同時に内線電話が鳴り響く。
静香「はい」
声 「605号室だけど、隣がヘンなんだよ」
静香「はい?」
声 「壁越しから聞こえて来るんだが。なんかせき込んで
 いて」
  電話が切れる。
静香「隣は604号室...」
  静香は懐中から無線機を取り出す。
 
●同・駐車場
  車に乗った公一郎が無線通信機に驚いている。
公一郎「え? 隣の号室から呼び出し?」
静香「はい。アタシ、フロントじゃないし。どうしたらいいのか」
公一郎「...そろそろその時期か」
静香「はい?」
公一郎「厚生労働省からのハナシだと、ゼロワンの発病
 は感染から一週間ぐらいだ」
静香「...」
公一郎「九野市は?」
静香「眠っています」
公一郎「...わかった。一緒に行こう」

●同6F・4号室
  静香公一郎がノックをする。
  だが返事はない。
静香「お客様、フロントです!」
  返事、なし。
静香「どうします?」
  公一郎はドアに耳を添える。
  中から微かにテレビの音が聞こえている。
公一郎「テレビの音が聞こえる。...マスターキーを」
静香「はい」
  静香マスターキーを取り出し、ドアに差し込む。
公一郎「いいか。充分注意しろよ!」
静香「はい!」
  静香はドアを開ける。
  室内は無人。有料放送のアダルトチャンネルが流
  れているだけ。
  呆然とする公一郎静香
公一郎「緊急警戒態勢!」

●同2F・非常口
  非常階段をせき込みながら下りるイシイ・ハジメ。
  そこに立ちはだかるしのぶ
しのぶ「お客様。困りますよ」
ハジメ「....」
  しのぶは領収書を見せる。
しのぶ「有料放送料金、1000円、まだお支払いじゃない
 ですよ」
  イシイ・ハジメは錆び付いた手すりを引きちぎり、
  鉄パイプをかざす。
ハジメ「ホテルフロント風情が! ナマイキな!」
  しのぶは特殊警棒を取り出し、構える。
しのぶ「残念ですが、アタシはフロントじゃないんです」
ハジメ「何者だ!」
  同時にしのぶに襲いかかるイシイ・ハジメ。
しのぶ「私は...」
  ハジメが振り下ろす鉄パイプをかわし、警棒ハジメの
  ミゾオチにブチあてる。
  ハジメ、激痛のあまり、階段を転げ落ち、のびる。
  倒れているハジメにしのぶは叫ぶ。
しのぶ「ホテル監視公安部隊員、ノーショウだ!」
  
●(翌日)同1F・フロント
  泰典竜介がフロントデスクで立ち話をしている。
泰典「しっかし、九野市さん公安の潜入部員だったなんて」
竜介「なんかショックだよな...」
泰典「それで、九野市さんは?」
竜介「今朝までフロントやって、退社したらしい」
泰典「へー。そんなことがあっても、ちゃんと仕事をしてったんだ。
 すごいなあ」
竜介「ああ。オレたちよりプロだぜ。あいつはフロントマンの鏡だ!」
  そこへやってくる深い帽子を被った女性。
泰典「いらっしゃいませ」
女性「あの、今晩、一泊したいのですが」
泰典「ご予約はございましたか?」
女性「....」
  女性はフロントにあるレジストに自分の名前を書き記す。
  その文字は「九野市しのぶ
  唖然とする泰典竜介
女性「すいません。家にいるといろいろと忙しくて...」
竜介「御用意いたします」
女性「ありがとう」
泰典「お支払いは現金 クレジット?」
女性「退職金で...」
  女性はキーを受け取り、そそくさと去っていく。
  同時に事務室からやってくるマネージャー。
マネージャー「おい、いま警視庁から連絡があって。九野市が行方
 不明になったらしい」
竜介泰典「....」
マネージャー「キミたち。何か心当たり無いか?」
  竜介泰典は微笑み、首を傾げる。
竜介泰典「さあ...」
  マネージャーは怪訝な表情。ふとキーボックスを見る。
マネージャー「おい。スウィートルームのキーがないが?」
泰典「いま、お客様がお見えになりました」
マネージャー「どんな客だ?」
竜介「チェックイン時間に遅れていた客です...」

●同・スウィートルーム
  ベッドで眠るしのぶの姿。
竜介の声「そう、ただのノーショウですよ」



NO SHOW by NARUSE Ryoh
ノーショウ/END
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