*管理者の日記です

トップに戻る

*おしらせ 「日記帳」をヤフーブログへ移転
本サイトの「日記帳」はヤフーブログへ移転しました。
以下、ヤフーブログのアドレスです。
『ワンダバステーション・日記帳』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station
このページは日記の過去ログとして今後も公開します。

これからもよろしくおねがいします。

05/8/16 19:40


祝!『マガジンZ』にウルトラ兄弟漫画が連載!雑感
まだ原物を見ていないので未確認ですが、『マガジンZ』にウルトラ兄弟の新作マンガが連載になるそうです。最近仕事が非常にいそがしく、なかなか実家に帰れないのですが、今日ひさびさに家にかえったら、某同人誌の代表(Sさん)から久々にお手紙があって、それによると『マガジンZ』にウルトラ兄弟のマンガが連載されるとか! これは要チェックですね! 第二期ウルトラファンは、『マガジンZ』を買って、「Official File Magazine ウルトラマン」は絶対に買わないようにするべし。

「Official File Magazine ウルトラマン」は予想した通りの、白石雅彦による遠回しの第二期批判本なので、立ち読みだけにとどめ、不買運動をしなければならないですよ。もう白石雅彦は二度とウルトラ関係にはタッチしてほしくないなあ。あきらかに切通理作と通じているのが内容から見え見え。『怪獣使いと少年』を道徳批判の文脈でとらえる解釈はもうやめてくれといいたいですね。昔のファンコレでは『怪獣使いと少年』は「人間のエゴを徹底的に暴いた」と評していたのに。本サイトの『ニーチェと少年犯罪についての一考察』の80年代以降の日本とは?で触れているように、80年代から90年代にかけて、道徳批判をやっている言論人が、みんなこぞって内向的な人間や神経症患者を差別したでしょ。それなのに、「道徳が差別を起こす」なんてなぜ言えるんでしょう。

白石氏は『ミラーマン大全』でああいう誤記(ミスの詳細はこのサイトの過去ログ参照)をやったのに、なぜまだ仕事がまわっていくるんでしょう。これはやはり彼が市川森一や飯島敏宏といった有名人権力(社会権力)の側に気に入られているから、どんなミスをやってもおとがめ無しなんでしょうねえ。余談だが筆者がこのサイトで第二期ウルトラの無名の名監督(深沢清澄とか岡村精などなど)を評価しているのは、そういう「権力装置としての有名人」への反逆であって反権力の行為なのですよ。

第二期ウルトラファンは、『マガジンZ』をなるだけ購入して読んで、ウルトラ兄弟マンガを読んだらアンケートハガキの「面白かったマンガ」にウルトラ兄弟マンガを挙げておくるように! 仮に読んでつまんなかった場合でもアンケートに「面白かったマンガ」にウルトラ兄弟マンガを挙げて、要望をいろいろ書くようにしてほしい。

そういえば、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』になんと『ウルトラ兄弟』という項があるのを発見しました。ここの解説がけっこういいこと書いています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E5%85%84%E5%BC%9F
「(前略)ただし、劇中においての歴代ヒーローの客演は、現役ヒーローへの援護や精神的フォローなどに限られる場合が多く、「集団で怪獣を袋だたき」「現役ヒーローが兄弟に頼りすぎる」との批判は適切とは言えない。
『せっかく出演した過去のヒーローが弱すぎて現役時のイメージと異なる』『ウルトラマンに家族を設定し人間的な会話をさせるのは神秘性をそぐ』等の批判はあるが、この設定が第二期ウルトラシリーズの大きな柱であった「人間的なウルトラマン」というテーマを支えたことや、ヒーローの客演というイベントでドラマを盛り上げたことなどの功績は多大なものがある。」

…というように、結構いいことを書いてくれています。こういう『ウィキペディア』のようなメジャーなところにウルトラ兄弟をちゃんと評価する内容のコメントが書かれる時代がくるとは、ティガ終了直後の状況からは想像もつかなかった。「〜この設定が第二期ウルトラシリーズの大きな柱であった『人間的なウルトラマン』というテーマを支えた」なんていうのは筆者が本サイトや同人誌、商業誌で幾度と書いてきたことであり、筆者の苦労はまんざらでもなかった、と思うと感慨深いですね。

さらにいえば、『はてなダイヤリー』のオタクという言葉の解説も、オタクという言葉が蔑称であるということがはっきり書かれてあります。これも数年前では考えられなかった。これも地道な努力の結果なのかとおもうと感慨深いですね。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%aa%a5%bf%a5%af

エヴァブームの直後に、現代用語の基礎知識でもオタク批判が掲載され、そのときの絶望感といったら言い表せないぐらいでしたが、こういう『はてなダイヤリー』というメジャーな媒体で、やっとオタクという言葉が蔑称として紹介されたのはホッとしました。

おもえば、筆者がこのサイトを立ち上げたのは、そもそも「有名人という権力装置」との抵抗が目的だったのではないかとおもいます。その抵抗も少しずついい結果がでてきて最近は安心しています。

05/7/13 19:54


ひきつづき『ウルトラマンタロウ』DVDライナーの雑感
05.7/2日加筆 加筆箇所は茶字
今回の『ウルトラマンタロウ』DVDのライナーは、前回の日記でふれた部分以外でも、今迄の定説を覆す新証言がつぎつぎにでます。Vol.6のライナーでも山際永三のインタビューで「橋本プロデューサーは脚本の通りに撮れとは言わなかった」と発言しており、東條昭平の『ウルトラマンAGE』でのインタビューの発言とくいちがっている。なぜ初期ウルトラからかかわっている関係者は、ある時期から、急に70年代以降の円谷作品の評判を貶めるような証言ばかり言い出したのか。これはやはり著名な市川森一あたりが批判したことによって影響をうけているとおもえます。やはり有名人というのは現代の権力者だとおもいます。

こういう政府以外の権力のことを経済権力ないし社会権力というらしいです。市場経済の発達した現代では、権力とは政治と必ずしも同一ではないのが現状です。このことは平凡社『世界大百科事典』9巻216ページ『権力』の項(大嶽秀夫による)で言及されています。

「権力は、政治権力、経済権力、社会権力(マス・メディア、大学など)、宗教権力などに区別される。(216ページ)」
「市場経済の発達とともに、政治と経済とが制度的に分離し、経済権力の獲得には、政治権力への接近は必要条件でもなければ、十分条件でもなくなった。(中略)その結果、今日では、政治権力は一定程度の社会的名声や経済的富を伴いはするが、それ自体ではある程度以上の特権をもたらすものではなくなった。(217ページ)」

このように、政治と経済とが制度的に分離した現代社会において、権力とは必ずしも政治的な力のみを指すものではないのです。マスメディアも社会権力という一種の権力であり、しかもそれが一流のマスコミとなると、経済権力としての性質も兼ね備えており、二重の権力をもっているといえるでしょう。そして一流マスメディアに好意的に取り上げられて有名になった有名人も経済権力であり社会権力ということになるでしょう。実は有名人が現代の権力者であるということについて触れている本があるらしいです。ズバリ『有名人と権力』(勁草書房)という本です。

http://www.populus.est.co.jp/asp/booksearch/detail.asp?isbn=ISBN4-326-65269-1

佐々木守などの作家はよく「反権力」を掲げますが、大体は政治権力を批判するのみで、実質的には社会権力には従順であり、社会権力に抵抗している人間に対してはむしろ弾圧する側に回っている?感がありますね。本来、アナーキズムや共産主義といった左翼とは、こういう権力にも対抗するものであるはずなのですが、どうも佐々木氏は日本の多くの言論人と同じで、リバタリアニズムを「進歩主義」だと誤解しているようなふしがあります。

とくに一流マスメディアは、経済権力でもあり社会権力でもあるという非常にやっかいな権力者です。こういうマスメディアが断続的に政界批判をやっているところを見ると、今の日本や政界よりもマスメディアが強い力をもっていると言えそうです。一流マスコミでバッシングされれば、政治家の政治生命なんて簡単に断てますからねえ。

そういう絶対権力である一流マスコミが、こぞってオタク批判を展開していたので、自分のような人間はこうやってネットでささやかな抵抗を試みているしかないのですが、最近マスメディアでオタク批判を相対化する動きがあることも事実です。しかし、仮にマスメディアがオタク批判をやめても、マスメディアが今の日本社会において強い権力を持っていることは変わらないので、マスメディアには常に批判的でいる必要があるでしょう。

05/7/1 19:35


わすれたころにひさびさの更新
おひさしぶりです。最近いろいろあって更新おこたってすいません。これからは、なるだけ週1ペースで更新するようにします。

さて、本サイトとしては触れないわけにはいかないのが、『ウルトラマンタロウ』 DVDです。このDVDのライナーには瞠目すべき新事実がいろいろ明かされますが、筆者としてうれしかったのが、Vol.7の進行主任の方(藤倉博)のインタビュー。いままで第二期ウルトラは予算が少なかったということがいわれましたが、画面ではとてもそんなようにはみえなかったので変だとおもっていました。が、このインタビューではやはり第二期ウルトラもかなり予算はかけてたということが明かされています。本サイトの『第二期ウルトラ特撮映像論』で書いているように、第二期ウルトラはけっこう特撮がすごいのですが、それはやはり2次使用やマーチャンダイジングで制作費を稼いでいたからだったというのは納得です。この製作進行さんの証言はホントにうれしかった。

これで、山本正孝が以前ある本で発言した問題発言「第二期ウルトラはお金がなくてどうしようもなかった」は完全に相対化されましたね。筆者は山本氏には一度商業誌できちんと謝罪してほしいと切にねがいます(これは筆者にとっては靖国問題のようなもので、山本氏はアジアに謝罪しない日本政府と変わらない)。とくに「ロクなスタッフがいなかった」というのはつくづく失礼だとおもいますね。

この進行主任さんには、筆者は足をむけては寝れませんね。この人にくらべて、熊谷プロデューサーの発言はかなりいい加減で、タロウのベムスターの着ぐるみは新しくつくったことは誰が見てもあきらかなのに(顔のアップ用のプロップまでつくっていて、これは初代ベムスターでもやっていなかった)「倉庫にある着ぐるみを使い廻した」という事実と違う発言をしている。なんで初期ウルトラからかんでいるスタッフはこういう変な発言ばかりするかなあ(みんなで山本氏を庇うために口裏をあわせているんでしょうか)。初期ウルトラだって、使い廻しは沢山あったじゃないか(ビートルは『妖星ゴラス』のものだし、怪獣もネロンガはバラゴン、ジラースはゴジラでしょ)。

『ウルトラマンタロウ』DVDのライナーについては、これからもこのサイトでふれるとおもいます。こうなれば『ウルトラマンレオ』DVDのライナーにも期待せずにはいられない。個人的には外山徹監督にインタビューしてほしいなあ。レオについてはあまり記憶していない可能性があるが、この人は船床定男の助監督をやっていて、いわゆる子ども向けアクション番組の創成期からかかわっている人だから、その辺の話もふくめて取材すればかなり面白い話がきけるはず。外山監督が関わった番組は、個人的には『妖術武芸帳』『闘え!ドラゴン』『コセイドン』なども捨て難いですね。

05/6/29 19:55


5/14マジレンジャー、響鬼雑感(見てないけど)
最近、筆者の某友人の日本特撮ファンから、おどろくべき話をききました。
その友人は、実は最近転職したのですが、転職前は会社で自分が日本特撮ファンであることを明言していたそうです。その結果、前の会社では会社の同僚から飲み会に誘われたことがなかったそうです。彼は転職後の会社では自分が日本特撮ファンであることを秘密にしていたそうですが、そうしたら、同僚が飲み会にさそってくれるようになったというのです。

これはどういうことかというと、やはり日本特撮ファンは今の日本社会から疎外されているということを物語る出来事でしょう。アニメファンも、これと同様の疎外をうけているとおもいます。日本特撮ファンやアニメファンは、実は社会から疎外されて仕方なく一人ぼっちになってしまっているのに、それをマスコミは逆さまに解釈し「日本特撮ファンやアニメファンは、自分から社会を避けている」というアベコベな分析をして、これが今の日本社会の常識になってしまいました。

この件に限らず、日本マスコミはとかく物事の因果関係を逆さまにした分析をおこなうことがおおいようです。これは「事実かどうか」より「面白いかどうか」ということを優先する日本マスコミの体質によるものでしょう。物事の因果関係を逆さまにすれば、割と簡単に多くの人々の意表をつく「面白い記事」がでっちあげられます。それによって日本マスコミは記事を売り、割のいいビジネスを行っているというのが実情ではないでしょうか。

川上和久の『情報操作とトリック その歴史と方法』(講談社現代新書)によると、ヒトラーは「自分の考えていることが真実であり、事実はそれに附随する」という考えをもっていたようで(156ページ)ここにもニーチェの価値相対主義の影響が垣間見れます。事実を平気で「面白く」歪曲してそれが真実であるかのように世間に流布する今の日本マスコミの記者や編集者たちは「自分たちの考えていることが真実であり、事実はそれに附随する」というヒトラーに近い考えをもっている可能性もありますね。今の日本マスコミはある意味「ナチス的」な体質があるといえましょう。

前述の友人は、前の会社では会社の同僚から「なんとなくオウムの信者みたいな雰囲気がする」とバカにされたこともあったそうです。これはやはりオウム事件直後の市川森一のウルトラマンや仮面ライダーへの批判が一般市民に強い影響を与えたことを物語るとおもいます。市川森一は最近『ウルトラマンA』の最終巻の座談会でそれをフォローしたような発言を語っているという噂を聞いたことがあるが(筆者は未見)そんなマニアしか見ないようなところでひっそりとフォローしても誰も気付かないでしょ。もっとワイドショーとか一般の人間が見るもので、そういうことをいって頂かないと。

マジレンジャーと響鬼を作っているスタッフも、結局そういう日本マスコミに翻弄されているということなのでしょうか。デカレンジャーの『リコモ星人ケバキーア』を相対化するようなことは今だに行われていないようです。おそらく意地でもそういうことはしないというのが、今の東映テレビプロの姿勢でしょう。そういう姿勢を崩さない以上、筆者も今の東映テレビプロをこれからも長期的に批判することになるでしょう。

そういえば、こんど講談社からでる「Official File Magazine ウルトラマン」は妙な構成だなあ。初代マンとセブンは2册も出す予定なのに、新マンとエースは2作品合同で1册、タロウ、レオ、80は3作品合同で1册というのはつり合いがとれないんじゃない? まさか一時期沈静化した第二期ウルトラ批判が再びぼっ発するんでしょうか。仮面ライダーの時は1人のライダーにつき1册でちゃんと出してくれたし、平成ライダーは無視してくれたのに、今回はなんでこんなに扱いがちがうんでしょう。

初代マンとセブンは講談社が自社でスチール撮影をしているからという理由で2册も出すのかもしれんが、それならウルトラマン80も講談社のテレビマガジンで連載していたのだから自社でスチール撮影をしているはずなので、80で1册ないし2册出さないとおかしいとおもえます。この「Official File Magazine ウルトラマン」は第二期ウルトラファンは不買運動して買わないようにしないとダメですね(この「Official File Magazine ウルトラマン」、まさか筆者のマスコミ批判への出版業界からの「報復」だったりして??)。

05/5/14 20:40


5/1マジレンジャー、響鬼雑感(?!?!)
そういえば、今度、とうとうボルテスVの超合金魂が発売になるとかで、筆者の念願がかなうときがきそうです。いままでコンバトラーVがでたのに、なんでライディーンとボルテスVがでないのか不思議でしたね。一時期『エヴァ』とか、超合金魂にしてもピンとこないようなものばっかりだしててどうなっているのかと思っていましたが(ポピニカ魂も、何でライジンゴーを出さないんだろうとおもう)。

ボルテスVの超合金魂が出ない理由は、当時発売されたDX超合金がすでに商品として比較的完成度が高かったからなんでしょうかね。しかし、当時のものなんて高いプレミアがついてて手が出ないし、しかも当時のものは腕に変型する戦闘機に余剰パーツがでるのでギミック的にも完全じゃないですからね。おまけに、たしか一号機のキャノピーが割れやすいとかアンテナ状のパーツが折れやすいとかメッキがはげやすいという問題もありました。そうそう関節が動かないのも今みると問題かとおもいます。コンバトラーVが各関節可動にできたんだったら、ボルテスVでもそれができるはずではないでしょうか。

筆者的にはデザイン的にコンバトラーVよりボルテスVのほうが好きでしたからね。まさに念願が叶ったという感じです。顔の形とかは、変にアニメの顔に近付けないで、当時のDX超合金の顔を再現してほしいとおもうのですが、超合金魂はアニメのキャラクターに近付けるというのが基本方針だから、それは難しいのかなあ。

最近、部屋をさがしていたら、ベクターマンのビデオが出てきたので久々にみてみたら中々面白かった。ベクターマンが日本で紹介された当時は、まだビデオ撮りの特撮ものはダメという風潮があったから、あまり素直にみれなかったんですが、最近はビデオ撮りが普通になってしまったので、昔より抵抗なくみれますね。

これに出てくるロボット、ベクタージャイアント(ジャイアントロボット)のデザインはなかなかかっこいい。これデザインしたのは誰なんでしょうか。まるでプレックスが担当したみたいなんですが、プレックスにいない人間でここまでプレックス的なデザインができるデザイナーなんているのかな。最近はプレックスですら、そういうデザインができなくなっているという御時世なので、このベクタージャイアントの存在は貴重のようにおもえます。マジキングはベクタージャイアントをみならってほしいですね。『響鬼』は、3人目の鬼の顔のデザインに、ややかつてのノリが戻ってきた感じがありますが(一応、マジレンジャー、響鬼にふれてみた・笑)。

ベクターマンはロボットの変型シーンが、日本の戦隊に先駆けてフルCGだったことは有名です。ベクターマンのCG場面は、表向きは韓国でつくったことになっているが、実は日本人がつくったものらしい。つくったのはこの人だ!「高橋 徹」!!
http://www.interq.or.jp/ox/takarin/profile.html
↑この『韓国特撮番組 "ベクトルマン』というのはベクターマンのことである。どうも東映動画(東映アニメーション)に韓国が外注したらしいですね。しかし、こうもぬけぬけとHPで公言してしまって大丈夫なんでしょうか。

そうなると、キャラクター造型も日本でやった可能性が高いとおもえます。敵側の幹部の衣装のデザインやマークが、あまりにも『宇宙からのメッセージ』のガバナスや『Xボンバー』のゲルマ軍団に似ているので、ひょっとしたらコスモプロがデザイン込みで担当した可能性があります。そうなると、ベクターマンのキャラクターデザインは高橋章によるものである可能性があるのではないでしょうか。ベクターマン自体のデザインは、腕のあたりまでの丈の短いマントをつけているのですが、『Xボンバー』にでてきた宇宙服にもそういう短いマントがついていたと記憶しています。そうなるとベクターマン自体のデザインも高橋氏によるものである可能性がありますね(この辺は邪推も邪推ですが)。

あと最近、このサイトで『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』について触れたので、久々に『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』を見返しました。この作品もチャイヨーとの権利の関係でもう幻の作品になりつつあるので、中古ビデオで入手しました。

『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』は内容的には一応文明批判テーマがあって、ある意味科学万能主義や西洋中心主義への批判というテーマの作品だったとおもえます。
(やはり仏像を壊した盗賊をハヌマーンが殺してしまうのはヤリ過ぎという感じはありますが、仏像を壊した盗賊は、コチャンをあんなにあっさりと射殺しているところをみると、あれ以前にも殺人の余罪があったとも考えられるので、そう考えればある程度納得はできるかも?)。
改めて見返すと、おもったよりライブフィルムも少なくて、わりとちゃんとした映画になっているかな?とおもえます。

『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』ではドロボンがウルトラマンたちに皮を剥がされて骨になるというシーンがあります。このときのドロボンの骨はロボネズの骨ににていて、ロボット的な骨格でした。そうなると、『〜vs怪獣軍団』のドロボンはロボットだったという解釈もできる。ドロボンがロボットだったとして、だれが作ったのかという疑問がわくが、それは『セブン』のユートムと同じで謎のままでよいのではないかとおもいます。ドロボンが皮を剥がされる前に剣に刺されて血を出すシーンもありますが、これはターミネーターと同じで皮膚に人工血液が流れているとかそういう解釈もありなんではないでしょうかね。

『〜vs怪獣軍団』の怪獣は人工雨作戦の失敗で登場したという設定なので、科学万能主義への警鐘という意味をもっているといえますが、その怪獣自体も実は何ものかがつくったロボットだったのでしょうか。ロボットというのも当然科学によって生み出さものです。そう考えると、ドロボンが骨になるシーンは、いろいろと奥の深いものを感じる場面ですね(!?!)。

05/4/24 11:20


4/24マジレンジャー、響鬼雑感(なんちゃって?)
…「なんちゃて」は死語か。そういえば、昔80年代に「なんちゃておじさん」という都市伝説があったなあ。それはいいといて、最近、またマスメディアに瞠目すべき動きがありました。

4月20日の共同通信によれば、文芸春秋の1999年に文京区で2歳の女児が殺された事件の報道に誤りがあり、そのために名誉が傷つけられたとして女児の母親が文芸春秋に謝罪広告などを求めた訴訟があったそうで、この裁判で文春側が負けたそうです。そして、謝罪の記事が今週発売の週間文春に掲載されていました。

この裁判の判決の注目すべき点は、新聞広告と電車の中づり広告で告知をすることも判決のなかに盛り込まれていた(らしい)という点です。原告の代理人弁護士は「都市部のサラリーマンなどに大きな影響力がある中づり広告での名誉回復は前例のない措置だ」と評価していたそうで、電車の車内の中づり広告の影響が法的に認められた最初のケースとして、歴史的な意味をもつでしょう。

筆者は常々、週刊誌の記事というものは、記事そのものだけでなく、中づり広告の見出しにも、世論を操作する影響力があるようにおもっていました。中づり広告は通勤途中の人間たちには、目にいれたくなくとも入ってきますからねえ。それを認めた今回の判決は大変意義があります。

しかし、実際に掲載された中づり広告は「報道被害を考える」という、ちょっと曖昧な見出しで、これが事件の遺族の名誉回復につながるのかは疑問という感じでもありますが。もうちょっと、はっきりと「母親は悪くない」とかそういう見出しをつけておかないと皆気がつかないんではないでしょうかね。

この今週の文春の記事(44〜45ページ)を実際によんでみると「女児の母親が犯人の女性を虐めていた」という報道が週刊誌やワイドショーで大量に流れたあとに、女児の母親のもとに嫌がらせの電話やら手紙が沢山きたということがかいてありました。この事実は、マスメディアのバッシング報道が、市民を扇動する影響力をもっていることの動かぬ証拠だとおもえます。

実際の今週の文春の記事(44ページ)によれば、ある人が記者にバッシング報道に異論をとなえたが、記者は「それじゃ面白くないからいい」ととりあわなかったということもかかれていました(この記事ではバッシング報道に異論をとなえたのは誰なのかはよく分からない書き方をしていますが、文脈からすれば、女児の母親を知っている市民のだれかだったようです)。ここで重要なのは、雑誌の記者が、情報が事実かどうかではなく、記事として面白いかどうか、ということの方を優先していることです。

この問題は、大変重大なものです。こういう週刊誌の「面白主義」とでもいうものが、社会の「常識」というものを作り出し、それに異論を唱えた人間はたちどころに「オタク」などという差別語でバッシングされ、さらに社会からつま弾きになるというのが今の社会の現状ではないかとおもいます。オタクといわれる日本特撮ファンやアニメファンも、事実より「面白いかどうか」を優先して捏造記事をでっちあげる今のマスコミの体質の犠牲者なのはまちがいないでしょう。

先日、筆者はある社会人サークルに顔をだして、非オタク系の人たちと話して飲んでいました(自分が日本特撮のファンだということを隠して)。このときにたまたまアキバ系の人の話題がでて、そのとき非オタク系の人の一人が、オタク系の人は生身の女性に興味がないということを事実であるかのように語っていました。

筆者がこのサイトの日記で以前書いたように、『ダヴィンチ』(メディアファクトリー)2005年2月号の『もうオタクと付き合うしかない?』という特集でのアンケートでは、アキバ系のオタクの過半数以上が「彼女が欲しい」と思っているという結果が出たので、オタクも実際は彼女が欲しいとおもっている人が大半なのに、まだこういう誤解がまかりとおっている。話題となった酒井順子著『負け犬の遠吠え』(講談社)に、そのような記述があるらしいが、そういう書籍の影響がおおきいとおもいます。

今の東映テレビプロも、こういう誤解のうえで、新作の特撮テレビをつくっているようで、そういうニュアンスをそこはかとなく今の平成ライダーやマジレンジャーには感じるので未だに見る気がしないのです(ということで、今回も見ていません。すんません!)。

05/4/24 10:20


4/18マジレンジャー、響鬼雑感(かも?)
最近、中国の反日デモが盛んになっています。最近の中国の反日デモは、やはり教科書問題が争点になっています。教科書問題に代表される近年の日本国内の新保守主義(本サイトでは新天皇主義と呼んでいるが)の動きが中国人を怒らせて、昨今の反日デモに繋がっています。

このサイトの『ニーチェと少年犯罪についての一考察』で書いているように、この国内の新保守主義も、宮台真司が『終わりなき日常を生きろ』で多元主義を口実に日本の侵略戦争を正当化したことの影響によってうまれたものとおもえます。つまり国内の新保守主義は、いわゆるフランス現代思想的な多元主義から派生したものです。そうなると、近年の中国の反日デモも、『ニューアカ』ブームがもたらしたものだといえないでしょうか。またしても国内のマスコミが仕掛けた流行が、深刻な社会問題を引き起こしたのです。

日本人が今だに中国をはじめアジアの人間に対して蔑視感情を抱いているのも事実ですからねえ。中国の人たちがあそこ迄怒るのも無理もないとおもいます(日本人もアジア人なのにねえ)。反日デモが暴動みたいになっている点は問題ですが、筆者は反日デモそのものは否定しません。

日本人のアジアへの蔑視感情を再認識したのは、10年くらい前?のコメ不足の問題。このときにどういうわけか「タイの米は不味い」ということを皆がいいだして、これが一般常識(あたりまえのこと)としてある時期まで定着してしまった(後になって「タイ米は和食には向かない」というようなバランスのある意見もでてきたが。)。筆者はタイ米を食べたときはそんなに日本の米とくらべて違和感はかんじなかった。タイ米はパサパサしているとのことでしたが、もともと筆者はごはんは固めに炊いたものが好きだったので丁度よかったですね。

最近、映画秘宝とかフィギュア王とかで、タイのチャイヨープロの作品を叩いているものをいくつかみかけます。こういうのも差別感情からくるものではないでしょうか。

まあ筆者も『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』は、日本のウルトラシリーズのライブフィルムの映像を左右に引き延ばして無理矢理シネスコの画面にしている部分とかは気に入らないので、あまり好きな作品ではありません(せめて上下カットでシネスコにしてほしかった)。が、それを気に入っているタイの人たちをバカにしようとは思わない。チャイヨープロやアジア映画を笑うこの手の雑誌記事を書いている人たちは西洋中心主義的な評価基準で、映画を評論しているのではないかとおもうのです。大方の日本のマスコミの映画評論は西洋中心主義に陥っているのではないでしょうかね。

よく、科学考証とか整合性にこだわって作品の評価を下す評論家がおおいが、こういう評価こそが西洋中心主義的な評価なのではないか。科学考証とか整合性がデタラメな国産SF作品があったとして、それは西洋の映画評論の基準からすれば問題なのかもしれないが「アジア映画」としてはOKなのではないか、という視点もあっていいと思います(もっとも何度もこのサイトで書いているように、実は欧米のSF作品もことさらに科学考証にこだわっているものばかりではないというのも、わすれてはいけない事実ですが)。

今でている『フィギュア王』は、チャイヨープロをバカにした上でタイで『ジャンボーグA』が人気があることにふれ『ジャンボーグA』のマッドゴーネのことを「ダメ怪獣」とかバカにしていて嫌味だったなあ。『ジャンボーグA』の幹部怪人(星人)のなかでは筆者はマッドゴーネが一番すきだったのに。あれは造型も悪くないし、かっこいいと思うンですけどね。70年代の円谷作品をたたきたくてしょうがないという国内の出版業界の体質は全然かわっっていない(表面上は批判記事がへったけど、水面下ではくすぶっているんでしょう)。

筆者がこういうことを書いても、やはり今だに中国人やアジア人をバカにしている人もいるかとおもいます。そういう人には『ドラゴン怒りの鉄拳』とか、それのジェット・リー版の『フィスト・オブ・レジェンド』を見るべし!といいたい。これらの作品をみれば、中国人がバカにされたときの怒りがどれだけ凄まじいかがわかるはず。

『ドラゴン怒りの鉄拳』はブルース・リーの作品なので有名だが『フィスト・オブ・レジェンド』は日本ではビデオ公開のみですが隠れた秀作。単なる『〜怒りの鉄拳』のリメイクに終始せず、アクションが凄まじく、ラストにはちょっとしたドンデン返しがあったりしていて、ある意味オリジナルを超えている(もっとも『〜怒りの鉄拳』のストーリーは、たしか『精武門』といって中国では有名な実話を元にしていて、ブルース・リーやジェット・リー以外の俳優をつかったリメイクも沢山あるらしい。)。

ジェット・リーの作品では『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』がベストといわれていますが、この作品のアクションはそれを超えるかも?という出来です(コマ落としは使いまくっているが)。なにせ倉田保昭vsジェット・リーという、もう二度とみられないとおもわれる大変濃い対決もみられます。ちなみにこの映画には特撮ファンにはなじみのある高橋利道もでてるぞ(声は吹き替えでアクションもしないけど。)。

おっと、今回もマジレンジャーと響鬼について全然ふれていませんでした。当然今日もみていませんが、マジレンジャーはロボットのデザインも気に食わないなあ。なんかOVAのロボットみたいなデザインになっちゃって。プレックス内部で本来のプレックスのデザインの持ち味を否定するような動きがあるんでしょうねえ。おそらくプレックス内部ではそれを「伝統への反逆」として捉えているのかもしれませんが、実際は他社製品と見分けがつかなくなって没個性化しているだけのようにしか見えない。

Sプロデューサーや井上敏樹が台頭してきたあたりからの、そういう流れが筆者は非常にイヤなんですよねえ。他の作品でいくらでもやっていることを東映の実写作品に持ち込んで「東映の伝統に反逆した」とかいわれてもどうもピンとこない。

最近、実写版の『ガイバー』と『ガイバー/ダークヒーロー』をみました。原作に全然思い入れのない筆者がみても結構たのしめました。この作品の監督スティーブ・ワンは『プレデター』の怪人(とあえて言ってしまおう。一般的にはクリーチャー)を造型したハリウッドの特撮マンですが、台湾生まれで子供の頃感銘を受けた映画に『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』を挙げ、『ガイバー』製作時の談話では『機動刑事ジバン』が好きだと答えたという人物。日本の洋モノ好きな評論家がこぞってバカにするこれらの作品を、洋モノを製作しているスタッフが気に入っているというのがおもしろい。

映画の『ガイバー』もマンガのガイバーのキャラクターを借りてスティーブ・ワンが東映のメタルヒーロー系の作品にオマージュを捧げたような部分が多いとおもいます(怪人を残酷に倒すのですが、これも『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』へのオマージュか・笑)。スティーブ・ワンはたしか『パワーレンジャー』も監督していたはず(『〜ロスト・ギャラクシー』)。『ガイバー』『ガイバー/ダークヒーロー』は、ちょっとグロいシーンがおおいのが難点ですが、造型やアクションは大変よい。

たしか『ターボレンジャー』はインドネシアで大ヒットしたという話をききますし、日本の特撮ものは、実は日本人よりアジアの人たちの方に愛されているのかもしれませんね(日本もアジアなので、こういう言い方は変ですが)。

05/4/18 9:25


マジレンジャー、響鬼雑感??
最近、ネット検索していたら興味深いページがありました。といってもそのページは新聞の記事を丸写ししただけのものなのですが、内容はスタジオジプリの作品の宣伝についてのものです。

そのサイトに転載されていたのは、2002年6月3日の日本経済新聞(夕刊)の『ヒット生む「宣伝仕掛け人」』という記事で、この記事には宮崎駿の作品の『ナウシカ』から『トトロ』までの観客動員数が書いてあったのですが、その数字が予想外のものだったので驚いた。ナウシカが91万人、ラピュタ77万人、トトロ60万人だったそうです。ナウシカが当時あまり客が入らなかったのは分かりますが、日本アカデミー賞をとったトトロが60万人というのは想像以上に少ない。トトロあたりから、評論家が騒ぎ出してジプリ作品が神格化されていくので、筆者はもっと客がはいっているのかとおもったんですが。

この『となりのトトロ』の60万人という数字は『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』の観客動員数178万人を下回り、『ゴジラ対メカゴジラ』の観客動員数133万人も下回り、さらには『ゴジラ対メガロ』の観客動員数98万人も下回っています。

よく『ゴジラ FINAL WARS』を批判したくてしょうがない評論家は、公開時に客が入らなかったことを理由にして批判しますが、それをいったら『〜トトロ』はどうなるんでしょうか。実は宮崎アニメというのは言論人たちの間でブームになり、それによって、雑誌のコラムなどで言論人たちが宮崎アニメについてやたらにふれるようになったため、それによって宮崎アニメを認めない人間は雑誌が読めないというような状態になり、それによって一般市民たちも「見ざるを得ない」状況に追いやられてしまっただけのようにおもえます。

この日本経済新聞の記事では、その後の宮崎アニメに客が入るようになったのは宣伝に力を入れたためということがかいてありますが、筆者はたた単純に宣伝効果だけではないと思えますね。やはり80年代後半から、一般市民がインテリにあこがれはじめ、マスメディアの表にでてくるインテリがみな宮崎アニメを賞賛したことから、宮崎アニメに客が入るようになっていったのだとおもえます。

それよりも筆者は、最近ゲーム脳理論が捏造だったとして、誰が捏造したのだろうと考えています。筆者が気になるのは、『千と千尋の神隠し』が2002年2月にベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したときの記者会見で宮崎駿は少年犯罪の原因がゲームや携帯電話のせいだという内容の発言をしており、その5ヵ月後に最初のゲーム脳理論の報道があったということなんですよね。2002年7月8日の毎日新聞や2002年7月12日の『AERA』に、子どもがキレやすくなるのは携帯電話やゲームの電磁波によるものだというゲーム脳理論の報道が初めて載ったのですが、なんかタイミングが良すぎるようなきがしないような…。

さて、今回も筆者は今日放送された特撮ものは一切みていませんが、このサイトが忘れ去られないように更新しました。サギみたいなタイトルつけちゃってごめんなさい。いつマジレンジャーと響鬼の話題がでるのだろうと最後まで読んで下さった方には慎んでおわび申し上げます。マジレンジャーと響鬼の簡単な雑感を最後にいうと、マジレンジャーはやたらに「勇気」を強調するのに、なにか含むところがあるようにおもえてどうも見る気がしない。響鬼も一旦Sプロの下でやったスタッフだから、みていく内にまたがっかりするような展開がまっているかとおもうと見る気がしない。ジャスティライザーも浦沢義雄が参加すると聞いてしばらく見てません。

05/4/10 18:10


『チベットのモーツァルト』とオウム真理教
さて、先日大変興味深い報道がありました。4月01日の共同通信によれば、「自閉症」という言葉はほとんどの人が知っているが、原因を「脳機能の発達障害」と正しく理解している人は3分の2程度という報道がありました。

http://www.excite.co.jp/News/society/20050401192722/Kyodo_20050401a403010s20050401192734.html

この報道によると、自閉症を「心の病」だと誤解している回答が23%に上り、特に若者に多かったそうです。自閉症の原因を「親の育て方」だと誤解している回答もあり、そういう解答は30%を超えたそうです。自閉症という言葉を知っている人は98%ですが、知ったのは雑誌などを含めたマスコミが80%以上を占めたそうです。

このように自閉症を「心の病」であり、「親の育て方」が原因という誤解が若者層に定着した原因は、やはり『エヴァンゲリオン』のブームのときのオタク批判が原因のようにおもえます。『エヴァ』ブームのときには、若者向けのサブカル雑誌などで、対人恐怖症と自閉症がごっちゃに語られ、そのうえで自閉症は本人の責任だというような理屈で批判したことが多かったとおもいます。

しかし、この自閉症についてのアンケートは『エヴァ』ブームの直後に行ったら、恐らく自閉症について誤解していた人は30パーセントどころではなく過半数を超えたのではないかとおもえます。なぜ30パーセント強で留まったのかといえば、昨年に『光とともに…』(戸部けいこ著)という自閉症をテーマにしたマンガがヒットしたことが大きかったのではないかとおもいます。このマンガは篠原涼子、小林聡美の出演するドラマにもなりました。筆者としては、この『光とともに…』が発表される前に、こういう自閉症についてのアンケートをやって欲しかった。そうすれば、『エヴァ』ブームの功罪の罪の部分が、よりくっきりと数字として浮かび上がってきて後々の教訓になったのではないかとおもいます。

そうはいっても、30%を超えた人が、いまだに自閉症について誤解しているのはやはり問題です。また、このサイトで何度もふれているように、対人恐怖について、いまだにマスコミでフォローするような記事が見られないのは問題でしょう。このサイトの『ニーチェと少年犯罪についての一考察』の『80年代以降の日本とは?』というコーナーでもかいていますが、対人恐怖は自分の意志ではどうしようもない神経症の一種であり、「勇気をもて!」と叱れば治るというものではありません。この部分の誤解にもアンケートか何かをおこなって、数字として結果をだして欲しいと個人的にはおもいます。

話はかわって、最近『チベットのモーツァルト』(講談社学術文庫)を読んでいました。この本は浅田彰の『構造と力』とともに、80年代の「ニューアカ」ブームの起爆剤となった本です。この本は、チベット密教とフランス現代思想(主にクリステヴァ)とを結び付けて分析した本です。

チベット密教といえば、オウム真理教を思い出す人もおおいとおもいます。現に『チベットのモーツァルト』の影響で、オウム真理教に入信した人間もおおかったいう話も聞きます。『チベットのモーツァルト』は巻頭で早速「ポワ」という言葉についての記述があったりします(21ページ)。この「ポワ」は、オウム真理教が殺人を行う際に用いたことは有名です。またチベット密教の「オーム・マニパドメ・フーム」というマントラについて触れている箇所もあり(123ページ)。この「オーム」はオウム真理教の名前の「オウム」と同じ「aum」だとおもわれます。

この『チベットのモーツァルト』は1983年に初版がでたのですが(初版時はせりか書房より刊行)この翌年の1984年にオウム真理教の母体となった「オウムの会」が渋谷区に発足しています。こういうことから考えても、オウム真理教は『チベットのモーツァルト』に影響をうけて生まれた教団であるといえます。つまり80年代の「ニューアカ」ブームがオウム真理教を生んだ、といって過言はないでしょう。一流マスコミの起こしたブーム(メインカルチャー)がオウム真理教を生んだのに、いざオウムが事件をおこすと、一流マスコミはこぞって責任回避のため、その元凶をサブカルチャーだけに押しつけたというのが実際なのではないでしょうか。

この本はフランス現代思想の本ですから、文中に「善悪二元論」を否定する記述があちこちで出てきます。チベット密教には善悪二元論を否定するような意味に読めるテクストが存在するそうで(116ページ)これを根拠に、著者の中沢新一は本のなかでくり返し二元論の否定や形而上学の否定を行っています。この本にこういう記述があり、そのうえでオウム真理教でオウムは「万物は変化する。固定されるものは一切ない」ということを絶対の真理として掲げていたとなると、オウム真理教の思想的スタンスはフランス現代思想的(ニーチェ的)ニヒリズムだったといえるとおもいます。

なんか今回も特撮ものなどについて全然触れない文章になってしまってすいません。実は最近『宇宙からのメッセージ 銀河大戦』もDVDをみていたのですが、これが想像以上によくできていて驚いた。基本的な設定がレジスタンスもので舞台が宇宙というのは異色だが、そういう異色の設定のうえで『仮面ライダー』のストーリーテーリングを踏襲しているのも異色で見ていて飽きさせない。主人公のコスチュームが中東風?なのも、今みると意味深な感じですね。

05/4/2 10:40


『レインボーマン』『ダイヤモンドアイ』雑感
さて、わすれたころに久々の更新です。最近、DVDボックスが安くなっているので、『ダイヤモンドアイ』DVDボックスと『レインボーマン』のモグラート編のボックスを購入してみていました。

『レインボーマン』『ダイヤモンドアイ』『コンドールマン』の3作品は川内康範が70年代に手掛けた実写のヒーローもので社会派の独特のドラマの切り口が異色で、「川内康範3部作」と日本特撮ファンの間ではいわれます。

『ダイヤモンドアイ』は、けっこう巷の評価は『レインボーマン』と『コンドールマン』の間にはさまれて今一つのようですが、これがなかなか面白い。変身ブームの時期の作品でありながら変身しないヒーローで、さらに主人公がヒーローではないというのは『アイアンキング』を超える奇抜な設定ではないでしょうか。また、毎回なぜか執拗にくり返される「外道照身霊波光線」「ばれたか〜」という会話のやりとりもインパクトが強くておもしろい。アクションもかなり激しいアクションをやっていて、多分コマ落としをつかってはいるんだろうけど、今みても結構迫力あります。

ドラマも初期のハリケーン作戦と後半のヒメコブラのドラマ両方いい話ですね。後半は一般的に社会風刺性が弱まったといわれますが、学生闘争を思わせる17話や、ダイヤモンドアイが機動隊にボコボコにされるというシーンが強烈な18話など、それなりに社会風刺をおこなっている話もありますね。個人的には『レインボーマン』より『ダイヤモンドアイ』の方が好きなんですよね。『レインボーマン』も嫌いではないのですが、見る度に「これが国際放映ではなく東宝映像の制作だったらもっとよかったのに…」という残念な気持ちが沸き上がってしまうのは筆者だけでしょうか。

『レインボーマン』は怪人の着ぐるみとかセットとかが同時期の他社の特撮作品と比較しても雑な感じがして今一つに感じます。怪人の着ぐるみは市販されていたお化けのゴムマスクを改造したことは有名ですが、どうせゴムのお化けのマスクを改造するにしても、もっときれいに改造できなかったのかなあと思えてしまう。最初の怪人フドラはマスクや衣装の選び方が上手くてそれなりにいい味を出しているのだが、このレベルを維持することなく、ガルマ、ジェノバード、アイスリーと後になるにつれてどんどん雑になっていく感じです。いっそのこと全部エルパンダみたいに俳優にメイクをしただけの怪人で統一すればよかったのに。

市販されていたゴムのお化けのマスクを改造した怪人では、他に『レッドバロン』の後半の戦闘員や、『コセイドン』の人造恐獣フランケン等がいます(ともにフランケンシュタインのマスクを改造)が、これらはやはり円谷、東宝(東宝映像)系のスタッフによるものなので、改造の仕方がうまく、それなりにカッコよく仕上がっています。それにくらべると『レインボーマン』の怪人は…。特にガルマはなぜか鼻にまで無精髭が生えているという変な改造で、おまけにけっこうアップのカットが多いので閉口してしまう。

『ダイヤモンドアイ』も国際放映の制作なのですが、怪人の着ぐるみをちゃんと番組用に作っていたりしているし、全体的に演出のテンポもよく、アクションも派手でスマートになっていて、『レインボーマン』より気持ちよくみれるんですよね。プロデューサーが変わったためか、あるいはスタッフが多少入れ代わったのか、スタッフの経験値が上がったためなのかどうかわかりませんが、『レインボーマン』はアクションシーンが少なくて、おまけに殺陣もやたらにガニ股になったりして今一つスマートさがない。ダイヤモンドアイはスーツアクターも足がながくて殺陣もカッコいいのだ。後半のアイチャッチのキメポーズがたまらなくかっこいい。

『レインボーマン』は確かに中盤のM作戦編とモグラート編は好きだし、俳優の熱演とかは魅力があるんですけどね。M作戦とモグラート編はあとに『コンドールマン』でちゃんとリメイクしてくれたので、筆者としては『レインボーマン』は川内康範の70年代の実写作品のなかでは、やや思い入れがうすい。『レインボーマン』は最終回の「日の丸をバックに立つレインボーマン」とか、全体的に川内康範のナショナリズム的な思想が出過ぎている点も気になるんですよね。『レインボーマン』のこういう問題点をサブカル系のマスコミの人たちはなぜ全く糺弾せず、第二期ウルトラをことさらに「思想的に問題がある作品」として叩きたがっているのはやはりよくわからない。

『レインボーマン』がもし、序盤のキャッツアイ編と終盤のボーグα編だけの番組だったら、こんなにあとあとまで伝説的にかたり継がれる作品にはならなかったでしょう。とくにボーグα編はそれなりに盛り上がるものの、ボーグαの設定に無理がありすぎ、ストーリーも少々まとまりに欠いたところがあり、これなら『ダイヤモンドアイ』の後半の方が面白いなあと筆者は感じます。

『レインボーマン』は岩佐陽一編の『レインボーマン/ダイヤモンドアイ/コンドールマン大全』(双葉社)では空前のヒットをしたように書かれているが、実際は関東地方の平均視聴率は15パーセントだったそうで、中堅クラスの人気番組だったというのが実際のようです。ボーグα編でああいう話になったのは、やはり『仮面ライダー』を意識してサイボーグという要素をストーリーにからめたんでしょうね。

おもうに、『レインボーマン』の中盤のM作戦編とモグラート編が高いインパクトを誇るのは、ただ社会派ドラマだからなのではなく、経済の問題をストーリーに盛り込んだのが異色だったのではとおもいます。モグラート編でも、最後の「Xゾーン爆破作戦」はわりとヒーローものとしてはよく有る作戦だったとおもいますが、その前段階で行われたタンカーを襲撃して石油の輸入をストップさせて日本経済を破壊するという作戦は今みてもユニークでおもしろい。この『レインボーマン』のもっともユニークな部分だけをリメイクしたといえる『コンドールマン』はやはり筆者的には名作だとおもうのですが、DVDはいつ発売になるのかなあ。東映特撮BBでみれるらしいけど、筆者はマックなのでみれないのですよ。

「川内康範3部作」は筆者の好みでは『コンドールマン』>『ダイヤモンドアイ』>『レインボーマン』という順番なんですね。『コンドールマン』の唯一の問題点は本数が24話と中途半端なことですが、13話で終わった番組もあるのですから、24話もったのはまだいい方でしょうか。

『レインボーマン』の研究サークル『レインボークリエイション』では『レインボーマン』の新作を企画していて、なんと監督は『ダイヤモンドアイ』『レインボーマン』でもっとも凝った演出をしていた六鹿英雄が自分で撮るという予定だったので期待していたが、結局ポシャッたみたいですね。

この新作『レインボーマン』の企画書には死ね死ね団の計画のアイデアとして「金融破壊作戦」というものがあり、これはオリジナルの『レインボーマン』のテイストそのもので、ぜひこの「金融破壊作戦」を映像化してほしいとおもったものです。前述の『レインボーマン』の平均視聴率の情報ソースは『レインボークリエイション』のHPに掲載されていたアニメ版『レインボーマン』の企画書からです。『レインボークリエイション』は近年なぜか解散したみたいですが、関係者と直にコンタクトをとっていたし、商業誌にも関わっていたサークルなので、こんなに早く解散するのは意外でした。

あと、今迄の話とあんまり関係ないが、他のHPではあちこちで『ウルトラマンレオ』のDVDが発売が決定したという情報がながれているがホントなのでしょうか。情報ソースを御存じの方は御一報ください。

久々の更新で長くなってしまいましたが、最近、仕事も一段落?したので、また週一ペースで更新したいと思っています。よろしく。

05/3/27 22:30


ゲーム脳理論は嘘だった
さて、しばらく更新をおこたってしまいもうしわけありません。なにせ仕事が忙しいうえに色々あって体調をすっかり崩してしまい悶絶していました。今週になってまたも急展開です。今でている『週間朝日』には「ゲーム脳理論」が誤りだったという衝撃的な記事がのりました。「ゲーム脳理論」は今迄、少年犯罪の原因について断定的事実であるかにマスコミに報じられていましたが、筆者はずっと疑問に感じていました。そうしたら今回初めて「ゲーム脳理論」を疑問視することを主旨とした記事が大手週刊誌に載りました。これは歴史的な出来事です。

この記事によると、精神科医の斉藤環氏が「『ゲーム脳』説は事例が少なく、科学的な根拠に乏しい。」というコメントをしています(36ページ)。いままでの『ゲーム脳』関連のマスコミの報道でも『ゲーム脳』を否定する意見が多少は載っていましたが、それははあくまで『ゲーム脳』を肯定することを主旨とした記事の文中にごく僅かに触れられていたにすぎません。今回のように『ゲーム脳』を否定することを主旨とした記事が週刊誌に載ったのは今回が初でしょう。

『ゲーム脳』があやまりだったとなると、なぜ『ゲーム脳』なる説が浮上したのか、捏造だったとして誰が何のために??という疑問もわきます。

また、今週は同時に『AERA』で「素顔の電車男たち」という題で、モテない人の擁護論的な記事がのりました。これは一応はモテない人たちへの擁護している記事のようなのですが、さらに叩いちゃっているような部分もあって、今一つ歯切れの悪い感じのする特集です。やはり筆者としては『ダ・ヴィンチ』や『週間SPA!』でのオタク擁護のような、もっときちんとオタクを擁護したものが理想ですね(この2誌の英断には感謝感謝です)。これらのような記事がもっと増えてほしいと切に願います。

そういえば、最近いろんな特撮もののDVDボックスが値崩れしているので、購入を検討しているのですが、意外なものが意外な値段になっているものがあるんですね。『スペクトルマン』『ダイヤモンドアイ』『タイガーセブン』は定価より1万円ぐらい安くなっていたりするのに、『電人ザボーガー』のDVDボックスは値崩れどころか定価の倍の10万円近い値がついていて驚いた。『電人ザボーガー』はそんなにマニア人気は高くないから、きっと安くなっているだろうとおもっていたのに10万円もするなんて。どうも予約限定生産だったから値段が高騰しているみたいなんですが、こんなに高値がついているんなら、再版してほしいなあ。

05/2/24 21:35


オタクにやっと安息の日々が?
今週のSPA!(2005年2/1号)には、『誤解と偏見の「オタク迫害」に異義アリ!』という特集でオタクバッシングへの反論がおこなわれていました。段々いい流れになってきてホッとしています。この特集では宮崎事件の直後にアニメファンがいじめにあったということがとりあげられていました。こういう報道が宮崎事件の直後におこなわれていたらどれだけよかったか。一流マスコミはみんな「アニメファンはヤバイ」という方に傾倒していましたからね。マスメディアの影響をようやくマスコミ自体が自覚したと評価するべきで、状況はすこしずつよくなっているという実感があります。

この特集では、オタクは社会的にすでに認められているという前提で展開している反論もあるのですが、筆者はまだまだだとおもいますね。やっぱりもう少しオタク擁護の報道をマスコミにつづけていただきたいと切に願います。この記事では、「今後はオタクの側からも、メディアへの露出を増やして理解を求めたりする必要がある」という意見がのっていましたが、これは同感です。メディアへの露出ということは露出したいからといってできるものではないのですが、オタクの側が世間に対してもっときちんと反論するべきだとはおもいますね。

筆者はそういう反論をずっと続けていたつもりですが、回りの特撮ファンが逆に自分のそういう反論を「みっともないからやめろ」とか否定してくるのには参った。『エヴァ』ブームのときのオタクバッシングに対しては、多くのオタクが自虐的にそれらを認めてしまい、オタク同士でお互いをバッシングしあうという状況になっていたのは辛かったですね。自分で自分の首をしめるようなことをなぜ、あの当時のオタクはやっていたのか、いまだによく分からない。オタク同士でオタクバッシングをやって、お互いをけなしあっていたのは、自分が批判する側に回ることで安心感を得たかったからなのではないかとおもいますね。

話は飛んで、筆者は最近たまたま映画『スーパーマン2 冒険編』をみていましたが、この映画では一般市民が侵略宇宙人を「やっちまえ!」と倒そうとするという展開がありますね。『ウルトラマンレオ』のバイブ星人の回でゲンが「おーい、そいつをつかまえてくれ〜!」と叫ぶと、周囲の土木作業員が集まってきて「やっちまえ!」と宇宙人を倒そうとするという展開があり、これが一時期「変だ」と批判されていたのですが、洋画『スーパーマン2』にも同様の展開があることを再発見しました。

先週の日記では筆者は「日本の特撮ものから足を洗う」などとかきましたが、たまたま録画したまま埋もれていた『マグマ大使』と『アイアンキング』をみたら面白かったのでマイブームとなっています。マグマ大使の特撮って初代ウルトラマンより出来がよかったんではないかとおもいましたね。とにかく特撮セットのミニチュアがおおがかりで細かくつくってあるのには脱帽(そのかわり何週も使い廻すけど)。ストーリーもスパイアクション的な展開がおおくて、個人的にはマンガ版より実写版の方が好きですね。

『アイアンキング』も話によっては結構重厚なドラマをやっていたことを再発見。ただ戦っているだけのストーリーもおおいんですが、アクションの演出が同時期の東映作品よりテンポがよかったとおもいましたね。これは『レッドバロン』にもいえますね。多分、このころの東映はアクションにコマ落としをつかっていなかったんじゃないかなあとおもいます。でも宣弘社の作品はコマ落としをすでにつかって撮っていたのではとおもいます。『アイアンキング』のアクションはチャンバラですが、『レッドバロン』は空手とガンアクションとカーチェイスでそれぞれ独自性があったとおもいます。

05/1/30 19:45


1/22ジャスティライザー雑感??
しまった〜!今日もジャスティライザーをみのがしてしまったじゃないか!どんどん見のがしがおおくなって、いつの間にか現行作品から離れている昨今ですが、あんまり現行作品にふれないと、このサイトのアクセス数が減ってしまうのではないかとおもってちょっと焦ってます。

でも東映作品を中心に見ると不愉快になる作品ばっかりになってしまって、おまけにまたSプロが動き出すし、もう日本の特撮ものから足を洗おうとおもって、最近不意に『スペース1999』のDVDを買って見返しました。みたら驚きましたね。宇宙人が宇宙人同士の会話で地球人の言葉(吹き替えでは日本語、原語では英語)をしゃべっているんですから(爆笑)。

16話『宇宙戦艦ミサイル発射!』という話は、特に特撮が派手な話で逆転劇が面白く、好きな話なんですが、この話に出てくる宇宙人はバイク用のヘルメットかぶっててバイク用の皮のスーツを着てますからね。黄色い線を入れて若干改造していますが、既製品なのはバレバレ。案外冷静にみると海外のものでも国内の作品とそんなに変わらないことをやっている。

冒頭でこの宇宙人たちが基地で会話するのですが、まだ地球人と接触を一度もしていないという設定なのに地球人の言葉で会話をしている。宇宙人の基地の外観もイラストで誤魔化していて、こういう予算のかかりそうなところをイラストで誤魔化すのも80年代あたりの東映作品とあまりかわらない。海外の作品は徹底的にリアルだというようなことをいう評論家がなぜか日本国内におおいですが、実際はこの『スペース1999』をみてもわかるように、リアリティという点では国内の作品とあまり変わらないレベルのものも海外には沢山あるとおもいます。

以前この日記で取り上げたゲーリーアンダーソンの発言「私は完璧なまでに、科学的な正確さを追求すると番組自体が退屈なものになると思うのです。」「私は表題が『SF』である以上、フィクションを強調します。」というのも、実は『スペース1999』についてのインタビューでの発言でした。

そういえば、先日のアメリカのブッシュ大統領の演説では世界中に「自由の拡大」を推し進めるという発言をしたらしいですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050121-00000003-kyodo-int

自由という言葉をブッシュは多用しているし、このサイトでも何度も取り上げているようにヒトラーも自由という言葉をつかっているのに、某有名脚本家はいまだに過去の自分の発言に対して訂正もおわびもなにもしない。日本はこんな脚本家が文部大臣賞やらなにやら、いろんな賞を受賞しているんですからねえ。それらの賞がはく奪されないかぎり、筆者の批判は続くといえましょう(はく奪なんてありえないんだろうから、半永久的につづくということか)。

ポスト構造主義の学者デリダ(ジャック・デリダ)は昨年他界したということはこのサイトですでにふれていますが、デリダの訃報をうけて青土社『現代思想』2004年12月号でもデリダの追悼特集がくまれました。

この特集にあるジュディス・バトラーのエッセイ『自分の生と名に、いかに最後に応えるか』によると、デリダは自著『法の力』において「正義はいまだ来ぬ概念」だとし、完全に現実化されることはないとしながらも「完全に現実化されることがないから、正義を求めたりしない、というのはまちがっている。」とも述べているそうだ。そして「現実化しないのなら正義を求めない」という思想的スタンスをデリダは「ニヒリズム」として批判していたという(『現代思想』2004年12月号、83〜84ページ)。

実は、感想はUPしなかったが、先週は仮面ライダーブレイドは久々にBパートだけみました。その最後に来年の新番組の仮面ライダーの予告がついていたんですが、なんかまた「強さを教える」というテーマのようで、まだ東映は「世の中強弱しかない」ということをうったえたがっているのでしょうか。前述のようにポスト構造主義の代表的な学者のデリダでさえ、正義を否定していなかったというのに。東映はひとりよがりのエセ哲学を子供とマニアにこれからも吹き込んでいくんでしょうね。東映のスタッフはみんなS氏の影響をうけちゃってるみたいです。

先週このサイトで岡本喜八について述べたので『独立愚連隊西へ』をみようと思い、ビデオを探しているがなかなか見当たらない。仕方ないのでヤケクソになって『幻の湖』のDVDを注文してしまった。これもある意味伝説のカルトムービーですからねー(『ゴジラ対メガロ』と双璧をなす東宝のカルト特撮作品でもある・笑)。そのうちこのサイトで感想をUPするとおもうのでお楽しみに!

05/1/21 21:45


『ゴジラ FINAL WARS』雑感その3
さて、「またか」とおもわれるでしょうが、平成ゴジラシリーズ中ある意味最大の異色作『ゴジラ FINAL WARS』についてです。この映画、観客動員数のランキングではけっこういい線いっているとおもえるのですが、日経エンタテイメントによれば、興業収入見込みは15億円で、劇場公開では制作費をペイできないというちょっと厳しい状況のようです。筆者はまた『ゴジラ FINAL WARS』のような方向性のゴジラ映画が見たいので、すこしでもお客が入るように、また少しこの作品についていろいろ書いてみたいとおもいます。

ある意味『ゴジラ FINAL WARS』は、北村監督のゴジラ映画へのオマージュというよりは、ゴジラ映画をはじめとする60年代から70年代の東宝のプログラムピクチャーへのオマージュだったとおもいます。劇中で『100発100中』というセリフが出てきますが、これが福田純監督の一般映画での代表作といえる映画です。北村監督は福田純監督をリスペクトしているようですが、福田監督は助監督時代には岡本喜八に師事していたそうで、監督に昇格したあとは若大将シリーズなども撮っており、東宝のプログラムピクチャーをささえた中堅の監督でした。

『100発100中』はスパイものですが脚本が岡本喜八なのでコメディタッチの作品だそうで(筆者は未見。LD出てたらしいけど)『ゴジラ FINAL WARS』が映画の序盤にコミカルなシーンがおおいのも、そういう岡本喜八作品のイメージを狙っているのかもしれませんね。といっても、筆者は岡本喜八の映画は『殺人狂時代』と『ブルークリスマス』しか見ていないのであまり語れないのですが。『殺人狂時代』はシュールなコメディのアクションものでしたから、北村監督が狙っていたラインはこの辺の岡本作品のノリだったのかもしれない。

ちなみに、福田純は自分で脚本をかくことがありますが(TV『流星人間ゾーン』『怪奇大作戦』など)、自分で脚本を書いたときはそれほどコミカルではなく、比較的シリアスで、敵と味方との駆け引きを巧みなはぐらかしで魅せるようなものがおおいようです。『ゴジラ対メカゴジラ』は脚本を福田監督が手を加えていますが、それによって、細かい伏線を仕掛けたち密な脚本となり、謎解きとはぐらかしの連続という実に福田監督らしい作品になったとおもいます。

『ゴジラ FINAL WARS』の北村監督は、『ゴジラ対メカゴジラ』が好きということでしたが『ゴジラ FINAL WARS』で『〜対メカゴジラ』に似ているところというと、x星人が死ぬと正体を現すという部分かなあ。中盤でバイクチェイスシーンがあったりするのは、『〜対メガロ』のカーチェイスを思い起こさせますね。あれを現代風にアップデートしていったら『〜FINAL WARS』でのケインと松岡の対決になるんでしょうか。『〜対メカゴジラ』には劇中で人間の格闘シーンが2箇所ありますが、『〜FINAL WARS』での人間とx星人とのクンフーはこれの現代版なのかもしれない。

『〜FINAL WARS』でカメラがくるくる回るのは、マシンガン撮影ではなく本当にカメラが回っているというのはおどろいた。マシンガン撮影をしないで同様の映像が撮れるという事実がすごい。北村監督は「20億もらったら30億ぐらいかかっているように見えるように撮らないと」といっていたが、この『〜FINAL WARS』でのマシンガン撮影もどきは、そういう監督の狙いが成功した好例だとおもいます。

『〜FINAL WARS』は国内の劇場公開だけでは制作費をペイできないようですが、最初から海外への輸出を前提にしているのは、こういう事態を予期していたからなんでしょうね。海外から一部スタッフを招いたり、外国人の出演者がおおいのは海外での公開を念頭においたからでしょう。英語ができて留学経験のある北村氏を監督に抜てきしたのはそういう狙いもあるんでしょうか。

話はかわって、今でている『ダヴィンチ』の特集『オタクと付き合うしかない?』では、やっと言論人たち(筆者がこのサイトで「市場原理主義系マスコミ」と呼んでいる側の言論人)がオタクのフォローをはじめました。こういう瞬間を十数年まったことか。しかし、こういうことを一時的にではなく断続的にやってくれないと、結局オタクが社会的に迫害されるという現状は変わらないでしょう。十数年の蓄積がありますからね。この『ダヴィンチ』の特集でのアンケートでは、アキバ系のオタクの過半数以上が「彼女が欲しい」と思っているという結果が出ました。いままでマスコミは「生身の女の子にオタクは興味がない」と分析していましたが、この分析は事実誤認だったことがあきらかになりました。

05/1/9 0:44


新年の御挨拶
みなさま、あけましておめでとうございます。このサイトも今年で5年目になりました。こんなに長くつづけられるとはおもいませんでした。これからもよろしく御願いします。

さて、いま出ている影書房の『季刊 前夜』2号(2005年冬号)という哲学系の雑誌には『ねじれた抑圧構造のなかの若者たち』という題で中西新太郎と小野祥子の対談がのっています。この記事では、「彼氏、彼女を切らせてはいけない」という90年代以降の流行を「強者の立場にたつための論理で構成されたメインカルチャー」と評して批判しています(22ページ)。こういう恋愛ブームを思想的な方向からきちんと批判したものが商業出版物で載るのは始めてではないでしょうか。筆者はこの瞬間を10数年間待ち続けたので感慨無量です。 

しかし、この対談ではそういう流行をつくったのがマスメディアであるという事は一切触れていないのはやはり納得できないですね。あえてオミットしてい誤魔化しているとしかおもえない。

恋愛の対象になる人の条件として「性格が魅力的な人」という条件があげられることがおおいです。が、こういう場合「魅力のある性格」というのは、今流行している価値観にそった言動をとる人物が「魅力のある性格」の人間ということになるとおもわれます。価値観の流行というのを仕掛けるのは、大概マスコミに登場する知識人です。そうなると、90年代以降マスコミが仕掛けた恋愛ブームという流行は、マスメディアによる事実上の思想統制だったといえないでしょうか。

筆者からすれば、恋愛ブームの批判は、もっと早い時期にやって欲しかったですね。ちょっと遅すぎます。筆者はその間にすっかりオジンになってしまった。失った若さは取り戻せない。「なにもかも遅すぎた」という感じでしょうか。筆者のマスメディアへの怨念も消えることはないでしょう。

東映は、またSプロデューサーがなんか変な新番組を作っているみたいですね。どうせまた前述の「強者の立場にたつための論理」を謳いあげた作品にちがいない。最近の東映のスタッフは、どうも妻子持ちではない大人が変身ものを見たりすることに対して煙たがっている感じがしますね。なので、妻子持ちになるまで東映の特撮ものは一切みないという生活を送ろうかとおもって、最近見ていないのですが、Sプロデューサーがまた動き出すとなると、そういう傾向がますます強まるでしょう。今でているAERAでもわかるように、今は「結婚難の時代」なのに、東映はマニアをいろんな口実をつけて叩きたくてしょうがないみたいです。

『ゴジラ FINAL WARS』の北村監督のインタビューが『ディレクターズマガジン』(クリークアンドリバー社)にのっていました。このインタビューでの北村氏の発言は、映画業界の体質への批判などはなかなか過激で、ちょっと言い過ぎと思えるところもありますが、その反面ゴジラのマニアを嫌がっておらず、過激さのベクトルがSプロデューサーや井上敏樹とは正反対で、そういう点ではまだ信用できますね。『ゴジラ FINAL WARS』を見るかぎり北村氏を始め東宝のスタッフは東映や円谷にくらべまだマシという感じがするので、しばらくは東宝の作品だけみようかなあ。

05/1/2 19:35


過去の日記13(2004年7/03から2004年12/28まで