「ビューティフル・マインド」特設掲示板過去ログ
注意:ネタバレを含みます

戻る


皆様、ありがとうございました 投稿者:Kumiko  投稿日:10月15日(火)05時20分31秒

*夢見さん、どみさん、りんりんさん、ペコさん、無印さん、ゆきさん、マルコさん、明子さん、ゆりぶうさん、すぽっつさん、rainbowさん、じゅうばこさん
メイン掲示板の方で長らくおなじみの方も、こちらに初めて来て下さった方も、誠にありがとうございました。お陰さまで臨時とはいえ充実した掲示板になったと思います。映画の力、ジョン・ナッシュというキャラクターの力も感じます。

またラッセルの映画が公開されたら臨時掲示板を作るかもしれません。(何時のことやら…)またおしゃべりしましょうね。


最後に。 投稿者:ゆりぶう  投稿日:10月13日(日)13時18分31秒

今日で最後だと知ったので、取り急ぎやってきました。お久しぶりです。皆様のお考えを興味深く拝読しておりました。私はナッシュさんに関してあまり悪い印象は持っていません。近くにいたら嫌なタイプかもしれませんが、純粋に数学というものを愛して、それを突き詰めたところまで探求したいという欲望が強かっただけだろうと思っています。そしてそうやって一つのことに対しての集中力や持続力は、人間ならば誰しも羨ましいと思うことでしょう。それが、たとえ学問というような高尚なものでなくても。ナッシュさんには功名心や金銭欲はなく、ただ自分があまり評価できない研究に対して表彰されることなどに我慢できなかっただけで、それがエキセントリックになったりしたのだろうと思います。それにしても、そのようなことが病気の原因になったかもしれないし、それだけでは悲惨な生活を送らなければならなかったかもしれないのに、アリシアさんとの出会いを始め、幸運にも恵まれた方だと思います。それを、温かみのあるラッセルが演じたということで、実際より憎めないキャラクターになったのではないかなぁ~って思っています。ただ、監督や製作に関わる方々との思惑とは反対に、ナッシュとアリシアの夫婦愛には意外性がなくあまり感動がなく、それよりも学科長、ハンセンなどとの日常会話や、アリシアの賢い選択の中に、人間の優しさ、尊厳みたいなものを感じました。

これは、ファンとしてふさわしくない感想かもしれませんが、ファンにとって暇なこの期間に、グラとか複数回見直していますが(ファン暦短いものでして、グラ上映時はラッセルという人も知らなかった)、POL以降の作品で彼はテクニックに溺れているような気がしています。グラの前が、ビューティフルマインドだったら、、、と、妄想している今日この頃です。

Kumiko様はじめとして、いろいろ教えてくださった皆様、ありがとうございました。


皆様、又お会いしましょうね。約束。 投稿者:明子  投稿日:10月12日(土)15時29分48秒

すぽっつ様。
レスありがとうございます。すぽっつ様のコメントを拝見すると、いつも、ホンワカと満足してしまいます。

(映画での、そう読んでよかったかなぁ。)ナッシュの最初の状態が「整理」されていないのではない、というコメントは、新鮮で、とても面白ったです。
というのは、チャールズの出現は、病的なものではないというふうに、読み取れて。ああいう具合に、自分の人にさらすべきではない部分を、自分で処理するというのは、幻覚というより、ある種の自制ということですかしら。(いまさらかしら。以前のすぽっつ様の発言の読み不足かも。)

別のとこででしたが、「話された事」をちょっと、ご紹介すると、(これは、掲示板上、イエローカード?)
ナッシュは『困難を克服して、再び(前より精神的に大きくなって戻ってきた人』と言うのが、最終的な結論となり、beautifulもそれと関連付けた、解釈がなされて、決着を見たと思います。
ですから、すぽっつ様のおっしゃることは、多くの方の共感を得るだろうと思います。監督の
意図にも近いように、個人的にも思います。

ここからは、感覚の問題ですが、私は、理系の人に、ないものねだりの一種の憧れが有ります。ですから、数学の問題をひたすら説く、映画のナッシュを美しいと感じ、惹かれました。その点が、私の感想の原点で、揺らがないようです。

短い間でしたが、ありがとうございました。

kumiko様。
突然の乱入を暖かく迎え入れてくださって以来、色々教えていただき、ほんとうに、ありがとうございました。お世話になりました。
ここへの書き込みは、特に真剣に致しましたので、残しておいていただけるとのこと、とても感謝しています。

皆様。rainbow様。じゅうばこ様。ペコ様。ゆりぶう様。
ありがとうございました。


ありがとうございました 投稿者:すぽっつ  投稿日:10月12日(土)10時13分26秒

もう終わりになるんですねえ。
最初『ABM』を見た時は、いろんな感情が渦巻いて、ナッシュさんしか見えなくてラッセルはどこにいるの?という感じでしたが、こちらでいろいろと吐き出させていただいて、やっとすっきりとして、ラッセルも見ることができるようになりました。皆様の感想も、いろいろな方向から光をあてているようで、とても面白く読ませていただきました。この映画自体が、何か語りたくなるほど中身が濃かったんだろうな、とも思います。私も、いろいろと余計なことまで書きつらねてしまったかなあ、と後でいつも反省してます。でも本当にこんな場があってよかったと思います。Kumiko様、皆様ありがとうございました。


ありがとうございました 投稿者:rainbow  投稿日:10月12日(土)07時18分59秒

ノーベル賞のニュースとともに閉じるABM掲示板ですか…。
とってもスマートな終わり方ですね。
DVD購入のあたりから、勝手に乱入させていただいて、とても楽しかったです。
色々楽しくためになる興味深いコメントを拝見させていただいて、皆様<一括りですみません
本当にありがとうございました。
Kumiko様、このHPの色々なコンテンツのすばらしさ、行き届いた管理から、映画に対する鋭く、愛情深い視線など、感嘆しっぱなしです。これからも、新作上映されたら、ニュー臨時掲示板よろしくお願いしますぅ。<それにしても寡作といおうか、ほんま、ラッセル、もっと働け〜。
蛇足>ERってそんなに面白いんですか。職場の友人も、病気の話をすると、すぐ、
「そういえばERで…」とすべてERで見て知っているので、驚いています。(しかし、その友人は純粋にドラマだけを楽しんでいて、「J.クルーニーが出てるんでしょ?(古い?)」と言っても、「ごめん、俳優はわからへんねん」というのがまたおかしいんですが。)
時間の余裕のある時に、レンタルで見てみようっと!
ではでは、まだまだ他のところへお邪魔しますがよろしくお願いします。


そろそろ 投稿者:Kumiko  投稿日:10月11日(金)20時51分54秒

さて、皆様のお陰で予想外に盛りあがったこの掲示板ですが、あくまで臨時掲示板ですでそろそろ終了したいと思います。当初は公開から1ヵ月ぐらいまでの予定だったのですが、DVDが出るまで…に予定変更してました。

キリ良く(?)DVD発売から1ヵ月ということで、10月13日までとさせていただきます。ログは後ほどまとめて「掲示板過去ログ」のコーナーに掲載します。

以後はメイン掲示板の方へお願いします。長らくありがとうございました〜


花とみつばち byヒロミゴー 投稿者:Kumiko  投稿日:10月11日(金)20時50分47秒

(…こんな歌があったのを覚えている人はいるだろうか。)

日本人が二人いっぺんにノーベル賞ってことで話題になってますが、特に43歳現役サラリーマンで受賞ってのはすごいですね。ナッシュはずっとずっと昔の論文で忘れた頃に受賞したわけですが…「最近、あれ(非協力ゲーム理論)が人気らしいね」というセリフが好きです。音声解説によると、ビリー・ワイルダーが「サンセット大通り」について言ったセリフの引用らしい。あの傑作「サンセット大通り」が公開当時は人気がなかったなんて信じられないけど。音声解説っていろんなことがわかって面白いですね。

*rainbowさん、すぽっつさん、じゅうばこさん、明子さん

>トイ・ストーリー(横道にそれますが)
私はこれが好きでねー。「2」はもっと好き。基本的には子供のための映画なんですが、そういう経験のない子供にバズの悲しさがわかるかなあ、ジェシーの気持ちがわかるかしら…なんて思ってます(号泣しながら)。まあ、わからなくったって充分楽しい映画なんですが。

>撮り直すごとにキス
…なんて事をしてたら、いつまでたっても撮り直しが終らないに決まってるじゃん!まったく何を考えているんだー!ちゃんとつっこめよハワード監督も。(<何を怒っているんだか)

>ビルゲー
学生にからかわれるシーンのあのメガネですね。そういえば以前に見た、ERのカーター先生(役のノア・ワイリー)がアップル社の創始者スティーブ・ジョブスを演じたTVドラマに出てきたビルゲーは似ていたなあ…と思って調べたらアンソニー・マイケル・ホールでした。


お花がすきっ 投稿者:すぽっつ  投稿日:10月 6日(日)12時24分32秒

じゅうばこ様
マキシマスとは全然違うタイプですが、ナッシュさんもなかなか良いとこもあるでしょう?(笑)
私も、ナッシュさんの老齢になった時の気持ちの変わり方が、とてもいいなと思います。

明子様
いえいえ、ただわからなかっただけです。私の理解力不足で申し訳ないです。
題名がナッシュ氏への賛辞であるというのは、私もそう思います。最初の状態がすでに整理された状態ではない……そうなのかあ。私は困難を克服して再び戻ってきた人として考えたんですけど。それの状態が「beautiful」なのかどうか?というと、私も引用した以上のことはわからないので、んーちょっとわからないです。(逃げ)


私、最初の感想のあたりは(じゅうばこ様と同じかもしれませんが、映画のことではなく、すでに自分の立場をもとに話していまして、)統合失調症の話であるということをほとんど無視しているかもしれません。身近に、不登校とかいじめとか、教室の居場所のない子の親御さんとよく話をする機会があり、(息子も含めて)そんな子たちが排除されることなく社会に出られたらいいなーと思う気持ちで見ていました。ナッシュさんの社会生活が苦手な様子をどうしても重ねてしまいます。誤解されることも多い子達なので、そんな子にも理由があり自尊心もあってストレスを感じているんだということを、親も社会も共に、アリシアさんやプリンストン大学みたいに見守っていけたらな〜と思っています。

rainbow様
でもでも、だからラッセルはセクシーなのよん。私はこんな話は結構好きだったりして…。
あ、でもその女優は誰か、は、私の想像なのですよ、あくまでも。ヤキモキさせちゃったらごめんなさい。



突飛なようですが、色々レス。 投稿者:明子  投稿日:10月 4日(金)14時35分29秒

kumiko 様。
私も、圧倒されて、とりとめなく、、、(まねしていいのかぁ。笑)
「評価を求める心」って、なんか社会性と呼ぶこともできなくないと思います。(自己卑下しているわけじゃないです。)基本的に、ポジティブなことだと、私は思ってます。
 脈絡ないですけど、自分が特別な存在ではないと、自己評価しても、(それに客観性があるかどうかは別として)其の気持ちとともに、死ぬまで、生きてゆくわけじゃない、ような気がするんです。(深刻にkumiko様が、考えていられるのではないか、という意味ではなくって)
ちょっと前、少し年下の方から、(私「落ちた星」なの)という言葉を聞いて、エッ、数年前の私の気持ちも、言えばこれだったの?とかなり、「複雑」なおもいがしたものでした。つまり、今は、ほとんど、そういう感じがしないんですね。(私は、中年の分類に入る歳だと思いますが)むしろ、(どう自己実現できたか、これからでもできるのか)、の方が、重要だという心境になってる、とでもいいましょうか。決定的だと思った心もちも人生とともに驚くほど、変化します。(経験談です。(笑))
rainbow様。
こういうお話はとにかく好き。こちらこそありがとうございました。私は、時期が過ぎたのか、ファン心理の自然の経緯なのか、よくわかりませんが、今はラッセルのマキシマスが好きとしか、言えない自分が、実に恨めしい。(笑)密かに、本物のナッシュ氏の若い頃のほうが、ラッセルの演じた学生よりかっこいいと思ってるくらい、不埒です。(笑)けど、来日の時のテレビでのラッセルとか、いろいろな場面でのラッセルの写真を見た時の痺れ方は、初めての頃と同じです。「ABM」では、よれよれスゥエットあたりは、私も大好きです。原作によると『強制された、理性の幕間狂言』と呼ばれている時期の演技だそうですね。ラッセルならではだと、感じてます。
すぽっつ様。
まず、ごめんね。このやり取りは、私のミス、勘違いからスタートしてるんだと思います。だから、とにかく、やな思いをさせていない事だけを、祈ります。
で、本題に入りますと、映画では、ナッシュの心理に、初めから「整理」されている心理状態が、無い、です。そして、後半部で、「整理」された心境に戻ると、私も思いますが、その「クライマックス」(整理された心理)を映画タイトルとした、というのでは、原作と違うことになります。が、感覚として、原作と映画タイトルには、共通する何かがあるはずだ、と思いました。で、原作では、「整理」された心の時期のナッシュへ、beautiful mindという言葉が捧げられたエピソードが書かれているけれど、ナサー氏は、そこからタイトルを採ったのであっても、
さらに「進めて」、ナッシュ自体を、beautiful mindと、表現しているように、私には読めたんです。それと、beautifulというナッシュへの献辞も、「整理」というのとは違う、スケールの表現に思えました。で、その献辞と著書のタイトルと映画タイトルとに共通ななにかを探すと、それは、藤原正彦氏が、おっしゃっていた数学者の求める美しさへの探求心を指すのではないか、と思いました。そういう風に、すぽっつ様のコメントを理解してしまったのでした。
じゅうばこ様。
せっかく、じゅうばこ様のコメントが分かりかけてたのに、書いてるうちに、また自分の巣へ帰ったようで、かなり、恐縮してます。
けど、お話変わって、「ねじれる」という件です。この『したいこと』と『悪い事』の関係は、話せば長くなる題材です。(笑)
私は、したいことと、周りの評価を、合わせよう、という気概だけは、すごく強いです。(笑)以前に申し上げたのと逆のようですが。そうでもない。つまり、評価されなければ、自分がやりたかったんだしと思い、私は、鈍いから、人からの評価を、的確に測れなかったんだ、と思えばいいので。(笑)善悪の基準も、この哲学者とあの哲学者は違うことを言ってる、つまり、答えが、でないんじゃないの?とかいうふうに、時々に、自分のしたいことに都合よく、ぶれてみたり。だからって、個人の選択がすべてとは、思いませんけど。そういうのを、私のケースでは、「ねじれる」ことは有ります、と言うのではないかって、思います。
編集済


おしゃべりしたくて、 投稿者:じゅうばこ  投稿日:10月 3日(木)00時21分48秒

指がむずむずしてるのですが、涙をのんで、ほんのちょっとだけ。

Kumikoさん。
「トイ・ストーリー」そうですそうですそうです!

私もパーチャーは、映画の紹介を読んだ段階でもう見当ついてたんですが、どうせそんなこっちゃろうと。でも、チャールズには完全にやられました。あー、せつないー、とずっきり来ました。びっくりする暇もなく「は?」と思った次の瞬間には、もうすっかりとてもよくわかってしまったほど身につまされたのもショックでした。

rainbowさん。
今日、久しぶりに雑誌でラッセルの不機嫌そうな人恋しげな顔のカラー写真を見て、あー、私はやっぱりラッセルウィルスキャリアやーと実感しました。雑誌、買いました。

すぽっつさん。
何かを持ってる人の喜びのひとつって、それを人に与えることだと思うんですね。それも迷惑な時もあるけど(笑)。ナッシュが最後の方でそれを理解していくのはとても自然で安心します。そして、チャールズの幻想を追っ払って、ハンセンに頼みごとをするナッシュは、私にはとても強い人に思えるし、それを支えてるのはアリシアの存在だと思います。うー、まだ書きたいけど。

明子さん。
私は「したいこと」は「悪いこと」だったことが多く、だから、回りに評価されてさしあたり見逃してもらってて、こっそり「したいこと」してよう、というスタンスで生きてたんですよねえ。今もちょっとそんなとこがあります。人って皆、こういうとこ、ねじれてしまうこと、ありませんか?(笑)
それとナッシュはかわいいですよ。私がバーであんなこと言われたら、ひっぱたく代わりに押し倒してキスします。


雰囲気だとおっ 投稿者:rainbow  投稿日:10月 2日(水)18時16分53秒

おい、おい、おーいっ。
ミツバチラッセルはいい匂いのお花が大大大好きねっ。
想像してください、美しい花花の間をぶんぶん飛び回るミツバチラッセル…。あら、かわいいわ。
赤ちゃんにちゅっだったらよかったのに…(あの赤ちゃんは私もぶっちゅー!としたい、かわいすぎ)


ちゅっ 投稿者:すぽっつ  投稿日:10月 2日(水)13時38分13秒

rainbow様
確か、ビューティフルマインドに関する記事で、ジェニファー以外の女優の人で、現場の雰囲気をよくする為ってラッセルが言って、シーンごとに頬にキスしたって(一度は口にしたって)、彼女が言ってたって書いてあったと思うんで〜す。(どこに書いてあったか、忘れちゃったんで、元と違ってたらごめんなさい。)
ジェニファー以外の女優ってあの人とブロンドって呼ばれた人とくらいしかいないと思うんで、(まさか教室から出るシーンの人とも思えないし)、あのシーンかな〜と思ってます。……うらやましいぞ!


えっ? 投稿者:rainbow  投稿日:10月 2日(水)06時06分34秒

>すぽっつ様
取り直すごとにキス?だれがだれに?o(;△;)o


落ちてても楽しきャいいじゃん 投稿者:すぽっつ  投稿日:10月 1日(火)22時31分16秒

明子様
映画では最初から幻覚が出てますけど、本ではそうは書いてませんよね。で、優秀さを表す意味の「beautiful mind」って言葉は本にしかないですよね。だから、病気になる以前の整ったナッシュさんの状態と思ってもいいかな〜と思ったんですけど、どうでしょう? すいません、ちょっと明子さんがどのように思われているのかよくわからないんですけど(別に追求することでもないとは思うのですが)同じかな?と思ったのですが、少し違うのですね? それと、整理→混乱→整理 というのは、もちろん私なりの解釈(というより感想)ですが、私的にはなんとなくあう感じがするんですね〜。
新聞で統合失調症の人たちの生活する合宿所のような所の記事を見ました。そこでは幻覚もみんな認め合って暮らしているんですね。たとえば「あなたの宇宙人さんこのごろ元気?」とか。否定するより、認めて日常生活をスムーズに送ることを考えてる。それで時々「宇宙船が呼んでるから行くんだ」とか言って逸脱しそうな人がいると「宇宙船の免許がないでしょ」とか声をかけて否定することなく日常にもどしてあげる。妄想があること自体を否定しないで、それによって日常生活が送れなくなることが問題だと考えている。そして妄想と共存しながらも普通の日常生活を気持ちよく送っている。そんな状態ってラストのナッシュさんの状態に似てませんか?
七十過ぎたナッシュさんは、なんか評価への気負いとか昔ほどはなくなって、いい意味で枯れた感じで、幻覚とも共存している感じがするんですけど。それが整理されたというか、ちゃんと引き出しに収まった感じということでお話したことなんですけども、どでしょ?その整理のされ方は「beautiful」とはちょっと違うかもしれないけどね。(私、ネバ〜った?)
ま、感想っていつでも各論だと思うので、それぞれでいいんじゃないかな〜と思いますが、こんな場があるからこそ突き詰めて話せて、この場があって良かったな〜と思います。

Kumiko様
チャールズは私もびっくりしました。いろいろとレビューも読んでから見たのでパーチャーはそうだなと思いましたが、チャールズは全然疑ってませんでした。
『ABM』を一回だけダンナと見たんですけど、ダンナは考えていることが口からダダ洩れになる人なんで、パーチャーと秘密基地のようなところに入ると「なんかSFみたいなコンピューターだな」「この時代にこんなのあったの?」「なんかチャチだ予算がなかったのか?」などと言い、ダイオードを埋める所では「そんな技術があるわけないじゃん」などと、監督の予想どうりの道をたどって見てくれまして、ホント可笑しかった。車で追われる所では、「いきなり追われてるけど、誰に追われてるの?」と聞かれ「ノーコメント」としか言えなかった。そしてチャールズの正体では「ええ!!」っととても気持ちよく驚いてくれまして、「あらまー素直なんだな〜」と思ったものでした。最後まで見て、「怖い映画だ、二度と見ない」と言われてしまいました。私はダンナほど怖がりはしないけど、やっぱり感情を左右にうんと揺すぶられてしまって、覚悟なしではなかなか見られない映画だとは思います。

「カッコ良く落ちる」っていいですね。私なんか、早めに自分がおもちゃだってこと認めちゃったんで、落ちながらいかに楽しく滑空するかってことばっかり考えてます。

rainbow様
あんな声であんなセリフを言われたら(あんなセリフだからこそ)、即答OK以外ないじゃない!
ま、普通のヤツに言われたら彼女と同じでしょうけど。
取り直すごとにキスされたって言ってたのはあの人かな〜〜??


おおっ、おおっ<共感の叫び 投稿者:rainbow  投稿日: 9月30日(月)23時04分39秒

トイ・ストーリー
そうですよね。バズのあのシーンは泣けます。子供の手前泣くまいとしても泣ける!
だいたい、あのおもちゃ達は、キャラクター的には長く生きてきた老人の趣ですよね。楽しく子供と遊んでも、いつか子供は大人になって自分に見向きもしなくなる…という根底のテーマからして。
突飛ではないです、全然。人生を描く映画は共通点がたくさんあるのでしょうね。
Kumiko様ってやっぱりすごい!
>明子様
私でも即答できそうな話題を振っていただいてありがとうございます!
むっちゃつまらん事しか書けなくて、申し訳ないのですが、ラッセルの魅力はもうラッセルが演じているというだけで終わってしまうのです。レンタルで「グラ」「POL」を見てファンになり「インサイダー」や「LAC」(これは以前に見ていた)を見てもう頭がラッセル一色になってしまい、やっと劇場で観れたのが「ABM」だったのです。ナッシュの様に「女にもてない」設定は、どんな演技力を持ってしても、無理だろうと思っていて、案の定絶対これは不自然だろ!と思いましたもん。(バーの女性にはたかれるシーン)旦那にそういうと、「そうか?こんなセリフ言ったら、たたかれて振られるんのはあたりまえとちゃうん?」と答えるので、がーっと距離が空きました。あの目がすぐ近くに来てしゃべっていて(話の内容はどうでもいい)その顔をたたいたり、どうしてできようか!!!メイキングで監督も、「ここで女優がなかなかラッセルをたたけなくて、撮影に時間がかかった」とおっしゃってましたが、それはそうでしょ、あの女優さん(名前も知らないけど)お気持ちお察ししますわー。
リアルはここにあるかも、などとアリシアが言うシーンの、もけもけのくたびれたスゥエットの上下を着た、太って見える(太い?)なさけない表情のラッセルも、抱きつきたいほど好きなんですから、真面目に映画を語る資格なしですな<いつものあほが恋心でさらにあほになっております。すべてのシーンにおいてラッセル魅力的です!あ、ラストのおじいさんシーンはちょっと魅力落ちるかな…というより、アリシアの老けメイクが、あまりにも不自然でそっちが気になる…。
ところで、話変わりますが、また大学に行くようになって月日が流れていく時の中年ラッセルが、ビル・ゲイツに似ていた瞬間があったので、ビルゲーが自伝映画を作る!となるとまたラッセルに白羽の矢がたてられるのかなあ?などと考えてしまいました。ビルゲーを徹底的におちょくった映画にだったら出て欲しいけど…。


雑感 投稿者:Kumiko  投稿日: 9月30日(月)20時41分45秒

*rainbowさん、すぽっつさん、明子さん、じゅうばこさん
書き込み量に圧倒されて既にレス不能の状態に陥っていますので、レスということではなくて、皆様の書き込みを読んでとりとめなく感じた事を書きます。

>チャールズについて
この映画を観ていて、みなさんパーチャ−の事は途中で疑いませんでした?「この人、ひょっとしてナッシュの幻覚なのかしら?」って。私は疑いました。(主人公が統合失調症(精神分裂症)に罹るということを知っていたからですが。)でも、チャールズの事はまったく疑ってもみませんでした。病院で目覚めた時、チャールズに話しかけているナッシュを見てローゼン博士が「誰に話しているんだ?」と言うのを聞いた時さえ、チャールズは「そこ」にはいないだけで、どっか別の場所にいるんだと…。そこまでチャールズの存在を不自然だとも、都合が良すぎるとも全然思わなかったので…だって映画における「主人公の親友」って、だいたいこんなじゃありません?チャールズが「ナッシュの願望が生み出した幻」なら、やっぱりこんな友達ってのは現実には存在しないのかなあ、と少し寂しかった私でした。

>評価を求める心
これは難しいなあ。好きでやっていることだから、評価されなくていいとは、なかなか割り切れないものだと、近頃しみじみ実感しているので。まあ「評価」といっても、高い給料をもらえるとか、ステータスの高い職場に入れるとかよりも、誰かに一言「君は最高だ、これは君にしかできない、君がいなければ困るんだ」って言っもらうほうが嬉しかったりして、それでパーチャーの出番になるのか。…天才でも凡人でも、人間って哀しいかも(笑)。

誰しも、「私は自分が思っていたほど特別の存在じゃない」と気づかされる瞬間があるものだと思います。どのぐらい特別だと思っていたか、その程度は人によりけりでしょうが、人間自分のことは過大評価しがちなもので…重要なのは、気づいてしまった後の長い人生をどう生きるか…てなことを考えていて、かつて同じような感想を抱いた映画があったのを思い出しました。それは「トイ・ストーリー」。

この映画のバズ・ライトイヤー君は自分が「宇宙の平和を守る戦士」だと信じていたのに、「ただのおもちゃ」だと気づかされます。ナッシュの「暗号解読によって平和を守る冷戦の戦士」→「ただの数学者」より、ずっとずっとすごい落差(笑)。自分が本当は飛べないんだということを信じたくなくて、階段からジャンプして腕が外れてしまうバズは、腕を血だらけにしながらチップを探すナッシュよりもさらに可哀想で、いつ見ても胸がしめつけられます(本当)。普通なら到底、受け入れられない落差だと思うんですが、バズが立ち直って、幻想が打ち砕かれた後の人生(おもちゃ生?)を逞しく楽しく生きて行くのを見るのは本当にほっとするんですよね。バズの「飛んでいるんじゃない、カッコ良く落ちているだけだ」という台詞が好きで。ナッシュも「カッコ良く落ちる」術を学んだのかなあ。

突飛な話ですみません。全然違う映画を比べるの好きなんです。


いろいろ「言い訳」? 投稿者:明子  投稿日: 9月29日(日)21時08分28秒

 じゅうばこ様の『何かあっちこっちで』に、名前を載せていただいて、何か書こう(笑)と思いました。(言い訳)
キャリアと呼ばれたら、私は、はっきり言って、とめどなく、にたにたしてしまう位、嬉しいと思います。
それで、使いました。(ごめんなさい)けど、これをきっかけとして、じゅうばこ様の感想は、『自分が責任持って言える、嘘でない気持ち』についてのコメントだったんだ、ということは、とてもよく分かったと思います。

あのですね、、、私なりに受けとめてしまうと、(私の「世間」の狭さだと思うのですが、)じゅうばこ様の書かれているような道のりで、「自滅する人」って、出会った事、記憶から絞りだせない。(笑)そのため、感情的に想像しにくい、です。(状況説明に過ぎませんけど)

たしかに、評価とやりたい事のバランスについて、ナッシュは苦しむのですよね。
じゅうばこ様のお言葉に励まされて、(ナッシュの世界をそれほど「持ち上げる」事は無いと、仮にして、自省的に言えば)私は好きな事をやっていない時、評価が非常に気になります。
また、評価が気になる時は、それはやりたい事ではなかったよぉ、と分かる、という感じです。(なんか、精神年齢の若さ(笑)を曝しているだけのような)ナッシュとは、精神的にも、(能力的にだけでなく)「遠い」のかなぁ。

すぽっつ様
9月26日へのレスです。遅いレスで、、、基本的に非生産的な事しか、思いつかないのです。ゴメンナサイ。でも、書かないよりは、、、と。(笑)

 題名について、私も、すぽっつ様のコメントと同じように、思ってました。
けど、映画では、初めから、ナッシュの「現実」に、幻覚が出てきますね。つまり、(というほどの事でもないか。笑)映画での、発病の時期は、ナッシュが、ある人から『美しい、、、頭脳』と言われるより前のことです。beautifulは、発病前のナッシュに捧げられたのだから、これは、病気そのものとは、くっつかない形容詞なのでは、と思いました。
(kumiko様の『ABM』評で、この側面の、beautifulの分かりやすい、上手な説明があったと思います。)
いずれにせよ、“a beautiful mind”って、ジョン・ナッシュ自身の事ですよね。だから、いろんな見方が出来る。(というか、そういう仕組みになった作品である。褒めすぎ(笑))ので、私も、各人の納得度の一番高いのが、いい見方なのだと、今の時点で、やっと、実感しています。(でも、こういう一般論を言われるとちょっと引く時ありますよね。笑。ここでは、すぽっつ様の受け止め方に、反対、などというわけでは、全くないと、言うつもりでした。念のため。)

次のところに、移ります。
(うーん。ちょっと、すぽっつ様のコメントを、きちんと理解し切れてないだけかも(笑))
『カオス』と『統合失調症』、『精神が整理された』と『数学的に整っていて完璧な』、
というのは、微妙に違いませんか。
むしろナサー氏著作の中の『鋭く美しい、論理的頭脳』の箇所は、その後の発病(『認知能力の低下』を含む)の悲劇を、強く印象付けるようにも、私には受け止められたのですが。

私は、先のすぽっつ様のbeautiful発言で、充分満足してます、よ。
つまり、数学者の言う「美しさ」をどこまでも求めようとする「美しい心」という風に、
読ませていただいたので。(それで、よかったのかしら。笑。今回は、とっても、粘ってしまいましたが、いつもは、相手になってくれる人が、「居ないので」もっと、サラッとしてますから、どうぞ、ご安心ください。笑)

rainbow様。
 確かに、キャリアというと、其の方を、枠に囲ってしまうような、響きがあるのかもしれません。映画とは、もっと、普遍性のあるものなのでしょうね。(この言い方は、ちょっと大きく出過ぎ。(笑))
 この前、すごい!とrainbow様のコメントのことを、申し上げたのは、私には、この作品で、ラッセルの魅力をあまり感じられなかったから、(というのも理由のひとつ)なのです。
どういうとこが、ラッセルは、魅力的でしたか。
私は、それを見つけたくて、作品について語ってるのかしら?と思う時があって、ちょっと、怖い。(なんて。笑)教えてくださいませ。


とりいそぎ 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月28日(土)10時47分50秒

じゅうばこ様
評価を求めてしまうことのジレンマから逃れることって、なかなか難しいですね。私なんか評価とは縁遠い一主婦ですが、それでも「ごはんはおいしいか、どうだ」なんて評価を求めちゃいますね〜(笑)。
私は「四十にして惑わず」もまだ達成できてないなあ。「七十にして心の欲するところに従へども矩をこえず」になれたらな〜。つまりストレスなく自由奔放に好きなことをして好きなことを言ってても、自然と行動をわきまえているような人、理想ですね〜。それまでに何を考えて何をしてきたかが決まるんでしょうね。(そろそろ老後のことも考えないと(笑))

rainbow様
本当にいろいろな見方のできる映画ですね〜。『POL』を見る時は早送りのスイッチに手を置きながら見るんだけど、『ABM』はそんなことできないわ。ナッシュさんに没頭してしまって、ラッセルを見ることすらできないわ。
映像も美しい。私、ストーリーもさることながら、映像もこの映画すごく好きです。
『ABM』の原作を読むと映画とまったく違うのに、描いている内容はまったく同じで驚きます。アキバさんて凄い。

あ、もうダンナがDVD−ROMを持って後ろに!! それではまた


長文で中身うすいので申し訳ないですが 投稿者:rainbow  投稿日: 9月27日(金)23時30分23秒

じゅうばこ様、スポッツ様、明子様の感想、とても面白いです!

>幻想の的確さ、諸刃の刃

そう、そうなんですよね!わかりやすく書いて下さってありがとうございます。
あんなに都合のいいルームメイトがいるわけないんですよね、ネタがばれてみると…。それに、

>パーチャーの父性

そうだったのですね!強大な影響力を持つ父性といえば、トゥルーマンショウのエド・ハリスと似たキャラですよね。おー、ますます納得。
映画の要素になりやすいのか、「サイダーハウスルール」のマイケル・ケインなんかも、そんな感じでした。しかし、映画の中のナッシュはその父性すらも頭で作り出してしまったというわけですね。これはアキバさんのアイディアかな?でもこんなにリアルな父性を描けるということは、結局親って身近な他人に過ぎなくて、その人物像は子供の頭が作ってるってことでしょうか?

>キャリアとか言われますと、何か病気になったような気が…(笑)。

こんなところに妙に受けてしまう私。ラッセルウイルスキャリアですかね?
明子様のおっしゃる”キャリア”の指すところ、わかる気がします。
私なんぞ、大学の先生と聞いただけで、卒業するだけの単位がとれず、試験用紙の最後に嘆願めいたものをしたため、先生の温情で卒業させてもらった短大時代を思い出しまして、身が竦みます。でも、じゅうばこ様が先生だったら、もっと楽しい勉強だったかも(って今の生徒さんに失礼か)

皆様の感想を拝読していて、この映画が、どんな環境の人が見ても、何か自分の生活との共通点が見出せるようにできていることにつくづく感心しました。実際に最高学府で働いておられる方でも、身近なお祖父さんや息子さんとナッシュの類似点が、情けない、あるいはいとおしいなどと感じられる方でも、『闘病記』の部分を真摯に読み取られ、『数学者』の世界に興味を持たれる方でも、ロマンスや、夫婦間のこと、赤ちゃんのねんねはげや狭い台所に興味を持つ私のような俗物にでも。それから、多分ですが、数学を勉強している方でも、経済を勉強している方でも、精神病の研究をされてる方も。
アカデミー賞狙いが見え見えすぎるといった意見も読みましたが、ここまで作りこまれていて、狙ってどこが悪い!といいたいです。

そして、私自身の感想はというと、DVDを見る前と見た後の違いが思い出せなくなってしまいました。映画館で一度見ただけのときから感じていたことなのか、しっかり説明を受けてから得た感想なのか…。さらに、原作を買って読み始めてしまい、もう、映画の感想なのか、実話についての感想なのか…で、この映画の完成度はすばらしい、さすがアカデミー作品賞!くらいしか言えない…。あまりにいいと思うので、まわりに貸すためにせっせとビデオにコピーしております…(小声)商用目的でないので、いいん…ですよね?<やばかったら削除して下さい。他サイトにアップした感想も、今やはずかしーい!状況です。

Kumiko様の感想も大好きです。

>勝利はもっとさりげない日常の中にある…教鞭を執り、図書館で学生とサンドイッチを分け合ったりすることとか。

くーっ、かっくいーっ。私も皆様のように深く面白い感想が書けるよう精進したいと思います。しかし、最近ラッセルの魅力に鼻薬かがされ状態で、シンプルに映画を評価できない気がする…。


そうですそうです。 投稿者:じゅうばこ  投稿日: 9月27日(金)21時36分43秒

すぽっつさん。
赤毛のアンの世界ですよね、ナッシュの幻想って。アン・シャーリーって実はけっこう危ない人だと思います(だから好きなんですが)。

アリシアさんは、もちろん「現実」である以上、ナッシュは彼女には何かを要求されるわけですよね。別にセックスだけではなく。そういう点でチャールズとはちがう。アリシアさんについてもしゃべり出すととんでもないこと言いそうなので、またいずれ、ゆっくりと。

お話だけから考えると、息子さんはナッシュよりずっと対人関係もその他のことも、ちゃんとして立派だと私は思ってしまうのですが、そしてまた、ナッシュその人も、私は決して捨てたものではないと思ってもいるのですが、ただ、私の書き方では、ナッシュに似た人って救いがないみたいで、それはちょっと読む人を滅入らせるなあと反省してました。
私が早口にまとめるとろくなことないので、また、これもゆっくりいつか書きますが、何かを生み出すこと、好きなことに打ち込むこと、は幸福なことだと思います。どんなことでも。でも、それで周囲に評価されることとのバランスがとりにくいんですよね。評価を求めるのは決していけないことではないけど、自分が好きなこと、したいことは何なのか、評価されなくてもしたいことか、そのことを知っておかなくてはいけないのかもと思います。ナッシュはこのへんが混乱してるし、誰でもそうだと思います。でも、そこを何とか(笑)。
まだまだお話したいのですけど、明日から三日間出張なので、帰ってからでもまた。私の大ざっぱな言い方にていねいにお返事下さって、ほんとに恐縮、感謝しています。


続き 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月26日(木)01時40分40秒

じゅうばこ様
昼までのお話にレスを書いてアップしようと思いましたら、さらにご説明があって、その分も付け加えたら、ちょっと文脈があちこちに飛んでしまいました。↓(下の話)

ナッシュさんには、じゅうばこ様がおっしゃるような焦りで自滅するという要素もあるけれども、私はやっぱり対人関係の苦手な彼の心の動きを愛しいなあと思って見てしまいます。それは、私が息子とナッシュさんが似ていると思う部分を、じゅうばこ様がそう思われないということと同じかもしれません。私の見方も息子よりで、ナッシュさんからは少しはずれた所から見ています。じゅうばこ様はじゅうばこ様サイドからの見方で、私は息子側からの見方なので、それぞれの背景が違いますから、しょうがないことなのでしょうね。(映画ってこれが正しいとかじゃなくて、人によっていろんな見方がありますよね。)

息子の話は長くなりますし本筋ではないので、ここでは、ちょっと終わりにします。
現実はやっぱりいろいろあります。じゅうばこ様が愛憎渦巻いていて切り離せない様子はなんとなく理解出来ましたが、私は、子供を励ましてたしなめて守って社会の一員にしなくてはならないという立場にいます。アリシアさんが彼を社会復帰をさせたように見守っていきたいと思っています。


明子様
この題名って、最初の天才ぶりを発揮していた論文を書いた頃のナッシュさんが「ビューティフルマインド」と評されたのが元になっていますよね。そして、後に幻聴などが出てきて現実と夢想が混沌としてくる。カオスですよね。そこからまただんだんと精神が整理されてきて、幻覚までも収まるべき場所に収まって、きちんと整ってきて、社会復帰する。
私のただの思いつきなんですが、beautifulというのが数学的に整っていて完璧なことを現わすとしたら、カオスの状態から再び整った状態になることを比喩しているんじゃないかな〜とも思いました。
統合失調症を「克服」するというテーマにも添っているようにも思います。ですよね?明子さん


12時には寝ようと思ったのに、書き直してたらこんな時間に〜〜 明日は5時に起きるのに〜 眠い〜


ああっもうこんな時間だ 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月26日(木)01時21分33秒

じゅうばこ様
私の大学はおじいちゃん教授ばっかりののんびりした所だったので、あまり大学のその雰囲気はわかりませんが、じゅうばこ様のおっしゃるような焦燥感って、私も芸能界とか芸術家の方の話で聞くような感じだと思いました。「自分には力があるのに、適した場がないから力を発揮できないんだ」って言っては落ちていく話、聞いたことがあります。(普通の会社員のセリフとしてもよく聞きます)
先日読んだピーター・フランクルさんの半生記にあったのですが、彼は共産圏のユダヤ人として生まれたので差別などもあり、友人の中には力はあっても賞の選考外になったり妨害されたりして潰れていった人もたくさんいたようです。当人もおかげで亡命しなくてはならなくなってしまったそうです。天分があってもそのまま順調にそれを育てていけるものとも限りませんね。

何か創造したいって気持ちって大切なことだし、それも自分独自のアイデア、今までにない新しいことを生み出すって、私なんかには思いもつかない程、苦しくて大変なことだと思います。駄目だった時の挫折も、望みが高いほど大きいだろうと思います。でもその苦しみって醜いことなんですか? 私のような門外漢から見ると、そんなに高みを目指すなんて、その情熱に憧れる、尊敬するところだと思うんですけど。だからこそ後世に残ったり、人々に訴えかけるものが出来るんですよね。だから私にはナッシュの焦る様子までもキラキラとして見えてしまいます。その中に身を置いているのは辛いことなのかもしれませんが。

「天才」って言葉については、私もよくわかりませんが、「あったま良かったんだな〜」くらいは思います。原作を読むと出てくる人出てくる人みんな同じくらい頭良くて、コンピューター(初期のですけど)と一緒に計算を始めて先に解いちゃった人だとか、いっぱいいて目がチカチカします。まあナッシュさんが特別ってこともないような気はします。でもその面々の中に含まれるとは思います。
ハンセンとナッシュがマキシマスとコモドゥスって面白いですね。そうかもしれませんね。マキシマスが身分が低いってことだけが違うけれど。そう対比するとコモドゥスのいつもびくびくしながら虚勢を張る様子もなんだか似ていますね。

そして挫折感があっても、それを癒せるような、明子様のおっしゃるような幸福感をもたらすような事・物・人があれば違うのかもしれないな〜と思うのですが、どうでしょう? もちろん幻想ではなくて… コモドゥスだって父から認められていれば違った人生があったでしょうし。
それとも別のもので満足していたら創造への情熱が出てこないものなのかな? 私はそこまで人生を賭けて仕事したことはないので、申し訳ないけどわからないです。

チャールズとパーチャーとマーシーは、映画の仕掛けがわかってから見ますと、私にとってはある意味「癒し」でした。だって自分のことを完全にわかってくれる友達なんて現実にはいるもんじゃありません。アリシアさんも、ナッシュが自分でも掴みきれてない感情までわかってくれているようでしたが、やっぱり他人だな〜と思うところもあって、幻覚の友人たちには及びません。赤毛のアンが孤児院時代に鏡の中に友人を作っていたように、必要に迫られて出てきてしまうんだろうなあ。「チャールズとも時々話したい」というナッシュさんの気持ち、わかるなあ。それから解説で(誰のだったかな?)パーチャーは父性であると言ってて、あ〜男の人ってやっぱり父親に認められることが一番うれしいんだな〜と思いました。
「両刃の剣」そうですよね。パーチャーの場面は物事が少しうまくいきかけると、まだまだこれじゃだめだ、もっと上を目指せ、というように出てくるように思いました。いかにも「父」が言いそうだなあ。そして事態を混乱させるんだ。

アリシアにも言えない自分の事をチャールズになら話せる。そうですね〜。
解説では、幻覚と話している時のナッシュはくつろいでいる、と言っていました。本当に安心できる相手なんだなあ。
自分の本当に辛い部分は自分ひとりの時だって、認めたくないですよね。
息子の小・中学生の時期は「いじめ問題」とか「少年の事件」とかがたくさんあった頃でした。その事件の中でも、学校側が本人に聞いてみたけれどいじめはなかったと言っている、という事がよくありました。でもいじめられている本人は「実は自分はいじめられている」ということがどれだけ苦痛か。「いじめられている」と思うくらいだったら、「ぶたれて痛いけど遊んでるんだ」と思うほうがどれだけ楽か。「ほんとうは辛いんだ」と言える人がいたら全然違います。それが幻覚では問題は解決しないですけど。
そしてナッシュさんはそういう誰にも言えない部分をホントに持っていたんだと思う。たぶん対人関係で。


ごめんなさい、これで終わりです。 投稿者:じゅうばこ  投稿日: 9月25日(水)21時24分03秒

数学とナッシュについても、長くなるので、ちょっとだけ。私は自分にひきつけて理解してしまってるとは思いますけど、ナッシュのあの「すべてを理論化したがる」傾向は、数学とはまたちょっとちがう気もするのです。
少なくとも私は、もう三角形の面積の出し方さえもマジで忘れた人間ですけど、それでも、すぽっつさんの息子さんのなさるような、理屈で割り切る、法則を見つけようとする傾向はずっとあったし、今も強いです。パターンを見つけることが楽しいし、うれしい。それもまた、たくさんの人たちの抱く欲求だと思います。だいたい、「水戸黄門」の映画で、最後はいつも印籠が出てハッピーエンドっていうのが、あれだけうけるっていうのも、そうなんじゃないでしょうか。

特に、現実になれてない、本などで得た知識が先行しがちな人間は、こうなってしまうことが多いし、宗教とか思想とかを信じている人にも、少しちがいますが、こういう恐いところと愛すべきところはあるように思う。
また、若い人は体験が少ないから特にそうではないでしょうか。それも、まだ今の社会では女性に比べて家事をする機会の少ない、現実にふれる機会の少ない男性は特にそうなっている気がします。すぽっつさんの息子さんが、ナッシュに似ていると感じられるのは、そういう点もあるのではと思ったりもしたのですけど、それはもちろん、私にはわからないことですけど。失礼なことを言っているのだったら、ほんとにごめんなさい。

これも前にどこかで書いたけど、チャールズとパーチャーを否定してしまえばいいというものでもないところが、とてもやっかいなのですよね。だって、あの二人は、ナッシュの心のとてもよい部分、美しい部分が生み出したものでもあり、彼らを通してナッシュは人間とかかわる勇気を持てている。結婚をすすめるのはチャールズでしょう?あれだって、ナッシュの自問自答なわけですが、「愛する勇気」を与えてくれるのはチャールズなんですから。決して名誉欲ではなく、社会参加しなくちゃ、という学者としての良心がパーチャーを生み出したのだもの。彼らは常に、ナッシュにとっては、「両刃の剣」なんですよ。
この映画がもう一つ、私に迫ってくるのはそこなんですけどね。弱い人間にとって、幻想は時にとっても必要なのだ、というところ。

すぽっつさんが、ナッシュは数学しかないから、それを使って賞や地位を得て安心したいのだと言っておられるのにも、まったく同感です。
その心理についても書きたいことは多いけれど、また長くなるので。
わかりきったことを確認すると、ナッシュが「僕は性格が悪い」「付き合いが苦手」「人に好かれない」と言うのは、チャールズに対してだけですよね。
他の人には、アリシアにさえも、彼はそれは言えないと思う。自分ひとりの時にだってきっと言えない。自分自身だって認めたくない、認められない。
自分が作ったチャールズと対話する時にだけ、彼はさらりとそれが言える。「僕はこうなんだよ」と。その時も実は彼は一人だけど、でも一人ではないのですね。
余談ながら、こうした存在のチャールズに、あの影のうすそうな、しかも強烈な印象を刻むベタニーをもってきたキャストの妙は悪魔的です。彼の肉体が、存在感が、ただいるだけで、チャールズというものの意味を、もうこれ以上はないってほどに、あますところなく表現している。

あー、もう長くてすみません。


何かあっちこっちで、 投稿者:じゅうばこ  投稿日: 9月25日(水)21時19分57秒

明子さんに今日はお返事をしているような。

キャリアとか言われますと、何か病気になったような気が…(笑)。
自分が責任持って言える、嘘でない気持ちを書こうとしたので、仕事のことまでひきあいに出してしまったのですけど、私の職場以外にも、こういう例はよく見ます。芸術家の人たちとかでも。一度、作品が受賞したら、それでもう自分が特別と感じて、予測した成果が出ないのにあせり、周囲の陰謀と思いつづける主婦の方、OLの方。大学に入って留年したり退学したりする学生にも、似た心境があるなあと感じることがあります。そのような人たちがどのように感じ、考えているのかは、明子さんのおっしゃるようなことかもしれないし、どうなのか、まだよくわかりません。それぞれちがうかもしれない、と言いたいのですけど、見ていて私はどうしてもあまりちがいを感じられない。
そういう人生や過程だって、大事なことかもしれないから、決して無駄とは思わないのだけど、それで自滅してしまうまでになると、やはりどうすることもできない自分が腹が立つ。その人にも腹が立つ。

すぽっつさんも言われたと思いますが、こういう人たちは、ほんとに、そんなに周囲に嫌われてもいないのですよ。すごく憎まれてる、そねまれてる、無視されてる、と本人は思っていても、周囲は全然気づいていなくて、好感さえ持っていることが多い。現実はそうでもない、とおっしゃっていましたが、私の見る限り、現実もけっこうそうでした。

私はどうもナッシュが天才とは思えないのです。何を天才と言うかにもよるけど。だってあの研究所だって、何年かに一人ぐらいは誰かが選ばれて行くんでしょ?その程度で天才かなあ?それじゃ、そのへんに続々天才がいるわけでしょう。それはそれで別にいいけど。でも、そう喜ぶほどのものでしょうか。「私たちとはちがう」って思うほどのことかなあ?
「ゲーム理論」がノーベル賞もらったから、「やっぱり彼は天才だった」ってことになるのでしょうか。でも、あれは結局、彼の理論が世の中の動きの中で注目される、利用されるようになったから、それでもらったようなものなんでしょう?もし、社会の動きが別の方向に発展して、彼の理論があまり使われなかったら、受賞はなかったと思います。
ノーベル賞にしてからが、毎年いっぱいの人が貰うわけで、たとえば日本で貰った人の顔ぶれ見ても、少なくとも文学の分野じゃ、私はもっとすぐれた人でもらってない人がたくさんいると思います。だからノーベル賞が意味ないとかくだらんとかは言いませんけど、それをもらったから、おお、あの人は天才だったのかというようなものではないと思う。

天才とは何かってことになればまた話は広がってしまうけど、少なくとも私は、ナッシュに(映画のですよ)そういう「私たちとはちがう」偉大さや哀れさを感じなかった。まだ「アマデウス」のモーツァルトとか、「アラビアのロレンス」のロレンスになら感じたかなあ。あ、この二つは脚本家が同じか。それじゃ好みの問題か。そうでもないと思うんだけど。
すぽっつさんが「傲慢じゃない」とおっしゃったことに私は深く同感するのです。だからこそ私は、彼を天才とは感じなかったのでしょう。天才は傲慢です。(傲慢だから天才では決してないですけど。)ナッシュのように、周囲の基準や評価で自分を判断したりはしません。ハンセンがそうなる可能性があるとすぽっつさんがおっしゃるのも、その通りで、あー、もう、物議をかもして大騒動になるのは承知で言うと、私はマキシマスにもこういう傲慢さはあって、ハンセンとナッシュの関係は、マキシマスとコモドゥスの関係と基本的には同じとさえ思ってます(え、ハンセンて、ナッシュのライバルの彼ですよね?それさえももう覚えていないわ。これで語っていいのだろうか。まちがってたら笑って下さい。)

私がこういう印象を受けるのは、私の職種とは多分そんなに関係ありません。ノーベル賞とか大学の研究所とかいうのは、あの映画の舞台装置で小道具ですけど、ナッシュのような人や心理は、ちがった場所にでもたくさん存在すると思う。「自分たちとは関係ない、偉大な人たちの、別の世界の話なんだ」と思うことはないんじゃないでしょうか。この映画は、決して。


beautifulは、キーワード? 投稿者:明子  投稿日: 9月25日(水)13時25分58秒

じゅうばこ様。皆様。
 じゅうばこ様のこの作品についてのお話は、やや、「特殊」な気が致していました。
私は、特にキャリアもなく、「無名の市民」です。そうすると、ナッシュの天分の部分は、天才ってそんなかあと、煎じ詰めれば、そういう印象で素通りするしかないのです。それで結果として、この作品で、分かりやすいところは、『闘病記』の部分、好奇心の対象は、『数学者』の世界、でした。(なんか、教授に「説明」するのも、「奇妙」ですけど。「月には、うさぎがいるんだよ。」とか言っている気分です。)

 そうは言っても、じゅうばこ様のようなキャリアの有る方には、この映画がどう見えるかに、興味も関心もあります。拝読できて、嬉しいです。
その未知の世界に感想を申し上げるのは、論理的に変ですが、(じゅうばこ様、そう思われたら、ほんとうにごめんなさい。しかし、空想するしか出来ないのです。)コメントの中に出てくる、ある方たちは、一時の栄光のために、不満になるのではなくて、その成功が、期待したような、幸福をもたらさないので、「妄想的」になるのではないかなあ、などと、「想像」します。

 じゅうばこ様のご指摘は、ナッシュが、病に倒れるのは、彼の極度の競争環境の所為との見方は、一方的ではないか、ということなのでしょうか。もしそうなら、確かに、ナッシュ自身の精神構造については、避けて、考えていなかったのかもしれません。少なくとも、私は。
映画では、ナッシュの精神の説明を、ラッセルは、しているのに、、、

 けれど、、、ナッシュの精神が、チャールズとバーシーという幻想に表現されるような何かにのっとられ、終わらなかったから、beautifulなのではないか、と思います。ナッシュの精神がどのように病的だったかではなく、ナッシュの精神が何に勝ったか、ということ、ナッシュの幻想を、彼の数学者としての美しい精神が、「克服した」ということ、が、この作品への、私の主感動です。(月ウサギの心境が、濃くなってきましたので、これにて、終わります。あしからず。
もし、不快に感じられ、また、訂正すべきところがありましたら、できるだけのことを、いたしますので、なにとぞ、お許しくださいね。)


もう少しだけ。 投稿者:じゅうばこ  投稿日: 9月24日(火)22時23分06秒

私が、この映画を見ていて、泣いていいのか笑っていいのかわからないほど感心したのは、チャールズという親友と、パーシーという工作員という二つの幻想の的確さでした。これはたしか、実話のナッシュの幻想とはちがう、監督の創作ですよね?

ナッシュのような人にとって、何よりも必要なのは「自分と同じ学問をしていて、しかもライバルにはならない友達」と、「誰も知らないし、したがって評価されることもないけれど、自分にしかない能力をかわれて、世の中に尽くしている仕事」です。
人と心を通い合わせたい。ありのままの自分を「それでいいんだ、君はそれでいいんだ」とうけいれ続けてくれる友が欲しい。自分の価値を知ってくれ、欠点も知ってくれて、しかもいつも全面的に支持してくれ、ひるむ自分に「それでいい、周囲と妥協するな」と励ましてくれる、そして自分に何も要求はしない、決して裏切らない、脅威にならない友人がほしい。
社会に役立つ仕事をしたい。正義のために戦いたい。誰にも評価されなくていいから、自分の能力を実感できることを通して、多くの人の役に立ちたい。自分の毎日はつまらなくても平凡でも、本当は自分はそんな人間じゃないとひそかな誇りを抱いていられる仕事がほしい。「君でなくてはだめなんだ」と言いながら、困難な仕事を次々に与えてくれる上司がほしい。その課題をクリアーしたい。その期待に応え続けたい。
ナッシュという人間の(多分あらゆる人間の)、強さと弱さ、美しさと醜さ、気高さと卑小さが、あの二つの幻想には恥ずかしいほど正確に表現されていると思います。それは、とても私の心を打ちます。同時に限りなく滅入りこませます。

ナッシュと数学について、アリシアについて、ノーベル賞について、も書きたいけれど、長くなるのでここまでに。くりかえしますが、私はナッシュという人も、この映画も、全面的に、正確に理解できているとは感じていません。だから、解釈は多分ゆがんでいるし、抜けているところも多いです。
ただ、自分と、周囲との中にいやというほど見てきたものの数々を、あれだけわかりやすく露骨に提示されると、快感と恥ずかしさ、そして嫌悪感をとっさに感じないではいられません。その最初のショックから私はまだ立ち直っていないのです。


どうも私は、 投稿者:じゅうばこ  投稿日: 9月24日(火)21時57分47秒

ナッシュの話をしようとすると、性格の悪さがもろ出るようです。そこを抑えて、できるだけ簡単に話します(でもそうすると、性格の悪さが凝縮されそうな不安もある)。

すぽっつさん、ごめんなさい。まだDVDが手に入らず、本も読んでいないので、きちんとお返事できないと思います。それで、失礼ですが、私が前にすごく乱暴に早口で書いたこと、一部よその掲示板でも書いたこともまざりますが、もう一度ていねいに書いてみますので。対応したお答えにはならないと思うので心苦しいのですが、それこそ私の気持ちを「わかって」いただければ幸いです(自分でもわかってないところがある)。

私はどうも、この映画を闘病記とはうけとめてないようです。また、数学者の話とも。そこは私がまちがってると思います。ただ、何度も書いてすみませんが、自分に切実な部分で強く反応してしまって、それ以外のものが見えなくなっていると思います。

話をうっとうしくしまいと思って、ややふざけた書き方をしたので、すぽっつさんをはじめとした皆さんにナッシュのことを私が大変嫌っているような印象を与えてしまったのはおわびします。決してそうではありません。しかし、この映画が描いた彼の狂気は、ある種、型にはまって図式的ですが、ラッセルの名演技とあいまって、私には大変説得力がありました。ありすぎて興奮したから、照れ隠しにあのような過激な表現をとったとさえ思います。

私は大学につとめています。文科系ですが、大学院に入り、就職しました。好きな仕事ができる要素は他の職種よりあるかもしれないけれど、実際にはそうでもなく、矛盾も多い場所です。どんな職場でもそうでしょうが、出世も成功もあると言えばあります。でも、そう簡単にいちがいに、順位をつけられるものでもないし、むしろ、それぞれがめいめいの満足を感じられる可能性も高いです。それも多分、他の職場と同じです。

でも、その中で、非常に不満を持って去って行く人もいます。不満を持ち続ける人もいます。その表れ方はさまざまで、時には周りを不幸にしますが、何より自分が不幸に見えます。酒に溺れる人も、精神を病む人も少なくありません。そして、去った後でもずっと、その不満を抱き続けて幸福になれない人が多いように思います。

私が痛感していたのは、先輩後輩同輩教え子どれをとっても、このようになる人は、ある時点でナッシュが研究所に行けたような、輝かしい勝利を収め注目を集め評価される人です。具体的に言うと、教授から「大学院に残らないかね」と声をかけられるとか。若者がそれで、自分の能力を確信するのはむしろ当然でしょう。しかし実際には、教授はそんなにその学生の将来の可能性まで確信して声をかけたわけではない。そんなことが教授ふぜいにわかるものでもないのだから、それも当然でしょう。だから大学院に来たって、当然その学生を特別に目をかけるとは限らない。ですが、学生にして見れば、裏切られたと思います。
それは、わかりやすい場合です。大学や大学院に合格しただけでも、自分は何者かになったのだと思ってしまうこともあります。
けれど、そんなものではないことに、間もなく大抵の人は気づくし、あきらめる。でも、その一時の栄光が自分にとって大きかった人ほど、「自分はこんなはずじゃない」「もっと注目されるはず」「大きな仕事ができるはず」と思いつづけます。それがそうならないのは、誰かが邪魔をしているからだ、と周囲や他人の陰謀を頭の中で作る人も。そういうことも事実あることもありますが、それを非常に大きく考えてしまったりする。

私はそういう人たちに同情はしません。してもしかたがないし、第一失礼です。しかし理解はとてもできます。私だってそれと近い心境で生きてきたことが多いですから。

え、この掲示板、字数制限あるのかしら。とりあえずここで投稿します(笑)。


待ってねー(笑)。 投稿者:じゅうばこ  投稿日: 9月24日(火)00時23分35秒

実はまだDVDが手に入らないんです。それと、ナッシュさんの伝記も読んでない。この段階でいろいろ発言するのは、ちょっとひかえさせて下さい。
あー、でも一言言ってしまうと、私はやっぱり語ろうとすると、愛憎まじってぐらぐら煮え返りそうなので、黙ってた方が無難かも。
すぽっつさーん、私はナッシュが息子さんとそんなに似ているとは思えないのですが。あらゆる人が皆ナッシュにどこか似ているという以上には。それで、「嫌い」と私が言ってるのは、それで切り捨ててるのではなく、何万回そう言っても切り捨てられないから言ってる、つまりナッシュを私がののしってるのは、もう切り捨てようにもどうしようにも、彼は私の一部と感じるからなのです。
あ、この後いろいろ書こうとしたけど、やっぱり危ない。またその内に、落ち着いてからまいります。


beautifulって何?の答え 投稿者:明子  投稿日: 9月23日(月)21時10分44秒

すぽっつ様。
ありがとうございます。月並みだけど、心から。タイトルに書いた問いへの「答え」が、ずーっと
ほしくって、もどかしくなって、『ABM』からは、遠ざかっていたくらいでしたの。
私、すぽっつ様の解釈に、ほんとに、共感してます。

kumiko様。
とんでもない。いつも、頼りにしてますけど。
自分で書いといて、なんとなく分かりました、も無いものだと思っていたのですが、
ペコ様が、(いいですか、書いて。お許しいただけると思います。勝手に。笑)
教えてくださっていたので。けど、kumiko様の素敵なご説明で、
さらに納得度が深まりました。
いつもながら、聡明な方って、ホントに、いいなあ、と思いつつ。有難うございました。

編集済


ABM酔い 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月23日(月)15時34分32秒

rainbow様
そうですね、息子にもアリシアさんが現われるといいですね〜。愛情を持って接してくれるってだけじゃなくて、当人と社会の間をつなぐ人、必要です。
最近わが家は、娘が数学を主に受験することもあって、にわか数学ブームで、『ビューティフル・マインド』の次はピーター・フランクルさんの半生記とか藤原正彦さんの『心は孤独な数学者』とか読んでます。いろんな数学者が出てくるんですけど、みんな情熱的で精力的で変人ばっかりという印象です。やさしい数学パズルの本も買ってきて、娘は楽しそうに解いているんですが、私にはすでに情熱と根気はなくなったということがわかりました。(2問目で脱落〜)

ナッシュさんとアリシアさん、あんな夫婦になれたらいいな〜と思います。信頼しあってる感じですね。いろんな波を乗り越えたからかな〜
ナッシュさんって、キャラクターとして取り出すとすごい素敵とはいいがたいのですが、映画の中ではホント魅力的ですよね。何度も見て、あのどんでんがえしとかにはもうびっくりしなくなっても、彼の表情を見てるだけでまた見たいと思っちゃう。これはラッセルだからこそでしょう。

rainbowさんの感想も教えて下さいね。私はとりあえず吐き出しつくしたので……


ABMジャンキー 投稿者:rainbow  投稿日: 9月20日(金)06時25分09秒

すぽっつ様
>数学者にとって美しいというのはそういうことなんですね
わかりやすく説明してくださってありがとうございます。
私も、映画の題名は数学的な思考のシンプルさ、気持ちよさなどを表現するものだと
ずーっと思ってました。
息子さんのお話を拝読していて、この先、映画のような恋愛をされるのかしらと、
楽しい想像をしてしまいました。息子さんにとってのアリシアがこの先の人生で
表れて、「私は信じたいの…人間の力を超えたことだって可能だと」<記憶あやふやです
などと胸に手を当て合いながら語ったりして。
人間関係に悩んだことの無い人より、悩んで悩んでそれでも関係を続けていった人の
ほうが、年のとりかたが美しいのかしらと、ナッシュ夫妻をみながら思いました。
映画を一度観たきりでは、ナッシュは実在の人物で、偏固な天才、と片付けていましたが
DVDを見ていると、ナッシュという映画の中のキャラクターにとても惹かれていくのが
自分でも驚きです。生半可なヒーローよりずっと魅力的なキャラクターということに気がついたのです。
面白いナッシュについての感想、ありがとうございました。私もまた書き込ませていただきます!(もういいって?!)


最後に 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月19日(木)14時43分14秒

その3
長い年月の間に、性格への劣等感も幻覚もすべてひっくるめたものが自分自身というもので、自分はこれでいいんだと思えるようになって、始めて不安感がなくなり、幻覚とも共存できて、落ち着いてきたのではないかしら?と思います。

そして、本人は最初からずっと人に嫌われていると認識しているけど、実際はそうでもないんですよね。困った時に助けてくれるのは友人たちだし、彼はそれになかなか気がつかなかったけれども、暖かく見守ってくれる人もたくさんいました。それがなんといっても救いですね。現実はなかなかそうもいかないけれども。

私は数学者でも心理学者でもないので、全部間違っているかもしれません。脚本家さんとラッセルに惑わされているだけかもしれません。でもこれが私の感想です。

rainbow様
薄で韻をふんだお歌、笑わせていただきました。
私は厚切りハムだわん。


公式があると楽なのに 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月19日(木)14時41分31秒

その2
ナッシュさんはいつでも不安を感じています。発病してからはもちろんですが、映画の最初からずっとそんな感じがしました。理論的なことを話している時はそうではないんだけど、人の中にいると、こんなに全身から不安がにじみ出ている人はいないんじゃないだろうかと思います。地に足がついていない感じです。自分がその場にそぐわないんじゃないかといつも不安なんだと思います。
先ほども書いたように、人間関係が築けていないから、心のよりどころがなくて安心できないんだと思います。
だから具体的な称賛や評価を欲しがるんだと思います。賞とか昇進とか昇給とか。
頭脳には絶対的な自信を持っているから、それを使って賞や地位を得て安心したい。
でもそれはなかなか与えられない。だからアセる。つまり心の寄りどころが愛とか信頼じゃなく「僕には数学しかないんだ」ということです。数学が一番得意だからとかそんなことではなく、本当に人生の中で数学しかなかったんだ。
だからマクベス(実は読んでないです)みたいに自分から選択したのじゃなくて、それしか選択肢がなかったんだと思います。だから傍目には人より優位に立っている大天才みたいに映っていたかもしれないけど、本人的にはせっぱつまったところにいたように思います。


そんなふうに息子も、小さい頃から対人関係ですんなりうまくいったためしがないので、人づきあいは本当に臆病です。ナッシュさんもそうだったのでしょうか。傷つかないためのいろんな方法を考えます。息子は人情の機微なんかはわからないので、○○と言ったら怒るとか、○○なら喜ぶとか、いろんな法則のようなものを考えます。(でもなかなかうまくいかないのよ)。ナッシュさんも女性と話すと叩かれるという法則を自分で作ってましたよね。

ナッシュさんの分析好きももそんなふうに生まれたのかな〜なんて思います。森羅万象の解析ができれば、人間関係の行動の予測も出来そうな気がしますよね。でも出来ないんだな〜。それはもう、多変量解析問題を一生かかっても解けない人がいるように。


数学者の藤原正彦さん(作家新田次郎さんの息子さん)の『古風堂々数学者』というエッセイの中に
『職業柄、三人の息子に数学の問題をよく聞かれる。解いてみせた後で私が必ず付け加えるのは「与えられた条件をすべて使わないとだめだ」である。数学の問題に余分なことは何一つ書かれていない。
 一般に数学者は物事の本質を見極めることだけに興味を持っているが、世事は苦手である。理由の一つは、世事が数学の問題と異なり不必要な情報に満ちているからである。どんな情報もすべて判断のための条件と言えるが、多過ぎて手に負えない。(中略)
 情報が多いというのは幻惑要素が多いということでもあり、本質を見るのにさほど役に立たない。本質が見えないのは大いなるいらだちである。』
と、あります。入ってくるあらゆる情報を分析する、そんな考え方をしていたら人間の心なんて複雑なものはとてもじゃないけど分析しきれないでしょう。単純な定理を求める気持ちもわかります。

同じ本に「美しい」ということについて次のように書いてありました。
『抽象的世界で仕事をする数学者にとって、唯一のガイドラインは美と調和である。(中略)
 数学者が美を感ずるのは、「単純が、複雑で多様な現象を規制している時」である。例えば、誰がどこでどんな三角形を描いても、「内角の和は必ず一八〇度に保たれる」というのは美しい定理である。一八〇度という最も単純な角度が、ありとあらゆる三角形を見事に規制しているからである。』

数学者にとって美しいというのはそういうことなんですね。このかたが数学について話す時には何度も「美しい数学」という言葉が使われています。
「美しい心」というと「無垢な」とか「温かい」とか病気もの映画に似合う印象の言葉が出てくるように思いますが、この場合それとは違うと思います。うまく言えませんが、「整った」とか「すっきりした」とかそんな感じかな〜と思います。
だからナッシュさんが最初からすべてを支配する真理を求めていたっていうのも理解できます。複雑怪奇な人の世の中で、物事の本質を見極めたいというのは、彼の心が求めていたものでもあったのではないでしょうか。ただ研究テーマに選んだということではなく、それを求めずにはいられなかったのだと思います。

だからラスト近く「今はダイエットのように欲求を抑える。パターンを探す欲求、想像と夢を見ることへの欲求」というのが本当に悲しかった。それこそが彼の本質なのに。


対人関係は辛い 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月19日(木)14時37分16秒

その1
普通の掲示板のほうで8月に話していたことの続きになりますが、ずっと考えていましたナッシュさんのこと、あらためて書いてみたいと思います。
じゅうばこ様の御意見にもあるように、ナッシュさんて嫌われる要素をたくさん持った人だと思うんですよ。本の中でも嫌なヤツ、かわっていると言われ続けています。(本まで含めるとすごい量になるので、映画を中心にして書きますね。)
本人もそれはよく分かっていますよね。映画の中でも人付き合いが悪い、嫌われていると自分で言う場面がたくさんあります。
「育ちはいいんだが、性格が悪くて」
「小学校の教師から頭は2人分、ハートは人の半分と言われた」
「僕は付き合いが苦手でね、相手も嫌う」
「僕は一匹狼でね、それに人に好かれない」
マーシー(チャールズ)も「頭はいいんだが、礼儀知らず」と言ってますよね。

また事実、初対面でも人を唖然とさせるようなことを言ってしまいます。
だからパーティでもパブでもからかわれる。女の子にもふられるし。今までもさぞいじめられてきたことでしょう。

でも、よく映画に出てくるような自分はえらいんだとカンチガイしていて傲慢で周りの人から嫌われている人、そういう嫌なタイプとはちょっと違うと思います。
監督も天才にありがちな傲慢さとおっしゃっているので、私が違うというのもなんなんですが、傲慢さとは違うと思うんてすよね。傲慢ならプロポーズの時、あんなふうにドキドキしながら待ったりしないと思います。「もちろん承知だよな、俺と結婚できてうれしいだろ」くらいは言っちゃうと思います。傲慢なキャラといえば、むしろハンセンのほうが、そう成り得るキャラなんじゃないかと思います。


DVDの解説にもありましたが、仲間に入れず窓の中から中庭にいるクラスメイトを眺めているという図は象徴的でした。仲間には入りたいんですよね。でも入り方がわからないんですよ。

彼が人間関係を壊してしまう原因というのは、すべて本音を言ってしまうことにあるんだと思います。
決して悪意でいじわるを言ったり、陥れようとしたり、悪口や皮肉を言っているわけではないんですが、本音を配慮なしで言ってしまうんですよ。
本人も「自分は単刀直入に言ってしまう」と言っています。
つまりそういう配慮ができないんです。傲慢とかわがままというのではなしに…。


そして、うちの高校生の息子とそんなところが似ています。
人間関係の距離を計るのが苦手で、他人の心を推し量ることが苦手です。
でも心が半分なわけじゃない。表現できなくて、配慮ができないだけなんです。
何でも思ったことが口から出ちゃうんですよ。
それが出来ない事がダメなんだといわれたら…息子の場合、それは障害の部類に入るものなので、まぁ、場面ごとに教えていくしかないですね。ジェフパパと同じように「愛する息子を、恥ずかしいとは思わない」のですが、なかなか言い出せないのもパパと同じです。
相手の心を無視するように見えるので、対人関係の問題を小さいころからいろいろ起こしてきました。
息子がズケズケと言うので相手のお子さんがムカッとしてケンカになったり、いじめられたり。
そのたびに学校へ説明に行ったり謝りに行ったりする私からすれば、変わっていても嫌わないでいて!と本当に言いたいです。
クラスメイトのお子さんたちも、クラス替えで始めてあった頃はいろいろと問題が起きるのですが、一年以上一緒にいた子たちは、息子が何を言っても悪気じゃないことがわかるらしく、適当に受け流したり、「それを言ってはだめだよ」と穏やかに注意してくれたりしました。息子も人を傷つけようとしているわけではないので、注意をされると、それからはその件に関しては言いません。案外素直なんです。

人ってみんな一つの枠に入るものじゃありません。良い子とか悪い子とかひとくくりにして終わるのじゃなく、この人は何故そうするのだろう?とわかろうと努めてみて欲しい、と思います。
初対面から嫌ったりからかったりしないで、理解しようとつとめてみて、それでも合わない者同士と思うなら、ほっといてやってほしいと思うのも本音です。

ナッシュさんからズレて息子の話になってしまいましたが、これが私が擁護する理由です。
じゅうばこ様の気になる部分とはだいぶ違うのかもしれません。でも私はこんな人って「辛いよね」とは思うのですが、「嫌い」と言って切り捨てられないのです。「嫌い」なのは人それぞれなのでかまわないんですが、息子とダブらせている私としては胸がズキズキしてしまうのです。


とうとうここにも 投稿者:rainbow  投稿日: 9月19日(木)09時48分18秒

はじめましてです。
ABMのDVDに浸りきっているrainbowと申します。よろしくお願いします。

ハム売場 薄切り見つめる 邪魔おばさん
 薄笑いする 薄気味悪さよ

いきなりお粗末な一句を失礼しました。

監督の解説、アキバ氏の解説、撮影小ばなし風のエピソードが楽しいです。
クリストファー・プラマー演じるローゼン医師の顔を見て
「サウンドオブミュージックの人だ!」
なんて、なんてかわいい人なんだろう、ラッセルは!!
ポール・ベタニーとのトークショーも是非メイキングに入れて欲しかった…。

>音声解説
いやいや、たいしたことだと思います。
だまされてはいたけれども、妙に落ち着かない、怪しい雰囲気がよく出てたと。
すべて監督の計算づくだったのですね…。


こちらにはごぶさたで…(平身低頭) 投稿者:Kumiko  投稿日: 9月18日(水)23時03分59秒

*明子さん、ゆりぶうさん、ペコさん、すぽっつさん
どうも、こちらの掲示板には長らくレスもしませんですみませんでした。

>字幕本
これはずいぶん前に買ったのですが、明子さんのおっしゃる通り映画とは大分違うみたいだったので、ちゃんとは読んでなかったのです。今回DVDを見てやっと疑問解決。これは最終編集前のShooting Script(撮影用台本)だったのですね。DVD収録の未公開シーンが入っています。映画のノベラゼーションは編集前の脚本を元にしていることが多いのですが、「ABM」は原作があるのでノベライズ本は出版されず、代わりに(?)こういう形になったのでしょうか。

>うすぎりシュゼット
私もあれは自前ではないかと…歳を取ってからのシワシワのたるんでいるアゴは「うずぎりシュゼット」で、30−40代の中身のつまったぷるぷるの(うっ…)二重アゴは自前なのでは…?私も特殊メイクだと思いたいのはやまやまですが。

私の自前二重アゴもべりべりと剥がして捨てたいわ〜。

>音声解説
いや、大したことじゃないんですが、ハワード監督の音声解説で「チャールズ、パーチャー、マーシーの初登場シーンは(姿が見える前に)まず声から聞こえて、ナッシュの一人称カメラが続く」と言っていたのが「なるほど〜気がつかなかった」って感じでした。


メイクなら取れるけど… 投稿者:すぽっつ  投稿日: 9月18日(水)09時24分12秒

ペコ様
病院でインシュリン療法の処置室から見上げるラッセルの悲しげな瞳に見とれるとともに、その下の二重だか三重だかの首にもつい目がいってしまいます。自前?うすぎりシュゼットですよね、きっと(希望)。

メイクといえば、ハンセンはもう少し年とっても良かったのでは?
若過ぎて幻覚かもと思っちゃいましたよ。


あの二重顎は・・・ 投稿者:ペコ  投稿日: 9月18日(水)03時42分45秒

DVD『ビューティフル・マインド』の特典映像ディスクを鑑賞してみたら、『インサイダー』でラッセル様の老けメイクを担当した方が再びに組んでやったようですね。あの二重顎はメイクだったんですね。でも、チップがないと腕に傷つけたりするシーンでは、ただ髭を生えるだけで、二重顎は自前では・・・と疑ってしまいますけど・・・。皆様はいかがでしょうね。


台本の原文は映画どおりでしょうか? 投稿者:明子   投稿日: 6月23日(日)14時21分53秒

DHCの完全字幕シリーズについて、私も、ゆりぶう様と同じようなことを感じたのです。授賞式のスピーチ、全然ちがいません?
(訳とか解説とか、いろいろと素敵な内容もいっぱいですが。)

ゆりぶう様。
お久しぶりです。いや、どうされているかと、しょっちゅう、のぞきにきていましたが、、、そうでしたかあ。結構、危ない映画ですねえ。(笑)
ゆりぶう様のコメントを拝見すると、いつも、共感してしまいます。この気持ちが、うまく、正確に、伝わるといいなあと、思っています。


疑問解決? 投稿者:ゆりぶう  投稿日: 6月23日(日)10時52分29秒

たびたびすみません。DHCの完全字幕シリーズを買って来ました。教員ラウンジと受賞シーンの謎?が解けました。
教員ラウンジのシーンは、「お茶でもどうです?」「あまり入らないんだ。」「いつも図書館でサンドウィッチだよ。」その後、キングに背中を押されてとうとう敷居をまたぐという感じのト書きでこのシーンは終わりになっています。インドティーがどうのこうのと言う、ナッシュ博士との会話を参考にしたセリフを入れるために、重要なシーンが台無し、とまでは言わないけれどちょっと不満が残ります。そのせいか、"I don't really go in there."(実際映画でこう言っているか不明だが)のところが、映画館で見た字幕は、「私はそこへは入らない。」でした。
授賞式シーンは、ナッシュが立ったままスピーチをしないでしばらく時間が過ぎ、キングやアリシアがそれを心配するという部分が、映画ではなかったような気がします。第一声の"Thank you for your patience."を待たせた聴衆と苦労をかけたアリシアに向けて、2つの意味をもたせて言ったことが、私にはわかりませんでした。スピーチの途中、突然その部屋にアリシアと2以外誰もいなくなるってト書きがありますが、そんなものは映画にはありませんでした。んー、これで納得できたものの、だったら今度は演出自体に文句のひとつも言いたくなる気分です。


ごぶさたしています。 投稿者:ゆりぶう  投稿日: 6月19日(水)22時50分39秒

前回書き込みしてからもう一ヶ月も経ってしまいました。ABMに関しては、かなり危ない状態になりまして、46時中考えるという状態が結構長く続きました。今は少しお休みしてリセットできたかなーって感じです。思い入れが強すぎて、考えすぎても結論を出す能力がなく、しばらく離れてみて熱をさましました。結局10回見て、ペコ様の31回の約3分の1です。この予想は当たりでした。Kumiko様をはじめとして、明子様、ペコ様、丁寧なレスをありがとうございました。教授専用食堂に入っていくシーンのナッシュさんのセリフは、私がイメージしていたものより軽い感じだったようです。Kumiko様がおっしゃるように、ナッシュにとって重大なシーンなので、もっと重みのあるひっぱったシーンにしてもよかったのではないかと思いますが、ロン監督は受賞式のシーンの方を重大だと考えたのでしょう。どうせなら撮ったシーン全部みせてぇー、自分で編集してみたい。9月?に発売予定のDVDは、そういうことができるってどこかで読んだような気がします。ただ、ABMを見ると、病気が再発しそうで(日常生活にも支障をきたす)、楽しみというか恐怖を伴う楽しみとなっております。


教授クラブ?へ入るシーン 投稿者:明子   投稿日: 6月18日(火)22時10分25秒

ペコ様。
私が書くと順番が違うかな、などと、、ちょっと心配ですが、ずっと気になっていたので。お褒め戴いて嬉しいです!ありがとうございました!ところで、話題のシーン、教えていただいたDHCので、今日読んでみたんですが、(実際は原文のスクリプトも、なんだか、少し違うと思うので、どうしたらいいの?という感じではあるんですが)ペコ様の、おっしゃるのが、ラッセル様の本筋としては、そういう感じで演じられたかも、と、思う今日この頃です。(正解は無いのかもしれないけれど。)


ちょっとだけ 投稿者:ペコ  投稿日: 5月28日(火)07時07分31秒

>ゆりぶう様
おはようございます。まあ、ついにここにいらしたのですね。ようこそ!
私も明子様の美文の上にまずい文を書くのは躊躇ってしまいますが、気になさらず書く事にします。

昨日も27回目『ビューティフル・マインド』を観てきました。セリフ字幕にあまり拘らず映像の全体を観るたびに、教授の溜まり場にナッシュ博士は入る資格がないと思い込み、「私はそこへ入らない」と言ったんだとラッセル様の演技を見てそうと感じました。実際のナッシュ博士も当時には正視な教授ではなかったんですね。遠慮して恐る恐ると言ったかもしれませんね。でも、使者は入る資格があるとでも言いたいように、招きましたね。本当に感動でした。ナッシュ博士はドキドキしながら「北インド紅茶〜」と言い訳がましくぶつぶつ述べたのですね。『グラディエーター』の映画字幕の誤訳をKumiko様が指摘していらした以来、もう戸田奈津子氏の字幕を鵜呑みしなくなり、映像の流れに拘って観るようになったんです。


印象いろいろ、、、 投稿者:明子   投稿日: 5月22日(水)21時25分19秒

kumiko様。
テーマ論ですが、最近の「読売新聞」の書評で紹介されていた「内田樹」という方のサイトを、ちょっとのぞいてみたのですが、映画のテーマについて、今回のkumiko様と、同じような発想をされているように、読めました。こういう映画のテーマ論は、ひとつの観方なんだなあと、改めて知った次第です。
私は、最近、神谷美恵子氏の『構造主義と精神医学』を再読して、「奔放に」かつ「なんとなく」
連想して、テーマを立てることに、こだわらず、映画を見るというほうが、自分との相性は
良さそうだなあとも、おもいました。
(長く書いたわりには、コンテンツがないコメントになってしまった!(苦笑)

「誰でもなんとなく感じ取っているけれど」以下の文、kumiko様が、美しく語られているので、嬉しく、共感しています。

ゆりぶう様。
kumiko様が、レスをなさったので、そのあとなら、私も、書いてもいいかな、なんて。(笑)どうぞよろしくお願い致します。kumiko様より、「無責任」な「立場」ですが。(笑)

ナッシュの教授クラブへの、あのシーンは、表面は、ゆりぶう様のコメントの前者の感じで、そこに、後者の感じが、入り混じっているという印象が、しますが。(おいおい、はっきりしろ>私。笑)
本物のナッシュ氏の撮影現場訪問の時のことを、ラッセルが語っているインタビュー記事では、前者のイメージが、語られていたように、思います。ラッセルは、来日記者会見では、結構、省いて、答えていたようですが、実際には、すごく参考にしていたらしいですよね。ナッシュ氏が、どんな「問い」に対しても、「非常に」「正確に」答えようとするという感じというのかしら。純粋さと言い切るのも、違うだろうケド、なにかを、人に問われた時の子供?のような真剣な感じというか。
と同時に、あの前のシーンで、自分の証明した均衡論が、それほど、多くの分野に影響をしていた
とは、知らなかったとか、語るあたりから、ナッシュが、自分の存在に、非常に謙虚である感じが、描かれている、と思いました。その続きとして、ここで、ゆりぶう様の後者のコメントのイメージも、含ませた表現を、ラッセルは、演じているんじゃないのかしら。(というか、そういうのが、ナッシュの社会性?なのかもしれない)と感じました。
(でも、私の鑑賞回数は、ご存知のように(笑)少ないから、ゆりぶう様には、幼稚っぽく思われるかも。長くて、ごちゃごちゃしてたかしら。ごめんなさい。)


遅レスすみません。 投稿者:Kumiko  投稿日: 5月19日(日)15時29分02秒

>明子さん
ジョシュ・ルーカスさんの映画は、私も他には見てないですね。「アメリカン・サイコ」に出ていたようですが…

映画の「テーマ」に関しては、私はあまり決めつけてしまってはいけない、というか「映画にテーマなんてあるかい!」というスタンスです。(<ここまで言うと極論だってことはわかってますけど。)「結局監督は何が言いたかったのか」なんていうことに拘っていると、ひとつひとつのシーンやセリフのbeautyを見逃してしまうから…昔、和田誠さんの本で読んだ「こういう観方は『木を見て森を見ない』と批判されるのだけど、僕は『木がなければ森は出来ない』と考えているからかまわない」という言葉に影響されているのかもしれません。

「ナッシュ均衡」についての映画的表現は、ハワード監督というより脚本家のアキヴァ・ゴールズマンが作り上げたものだと思いますが、私も「美しさ」を感じました。この理論をちゃんと理解されている方から見れば単純化しすぎなんでしょうけど、理論の「美しさ」のキモのところを素人にもわかりやすく表現してくれていたと思います。

多分、誰でもなんとなく感じ取ってはいるけれど、ちゃんとした理論的な説明は出来なかったことを、数式でびしっと証明してくれたところがこの理論の「美しさ」なのでしょう。(自分が理論の内容を理解しているとは思えないので、まったく自信はありませんが…)

>ゆりぶうさん
はじめまして!9回もご覧になったのですか〜すごいですね。私はまだ4回…もう一度行こうと思っているのですが、他にも観たい映画が目白押しでなかなか…

協会の人と食堂へ入るシーンは、私もなんとなく気になっていました。あの食堂へ入るということは、ナッシュにとってとても重大な−本当の意味で社会に復帰する、ぐらいの意味があったと思います。でも、セリフが何て言っていたのか思い出せないのです。

ノーベル賞のスピーチは、私もあまり気に入っていません。現実にはスピーチはなかったわけですし、あのシーンはスピーチなしでもっとあっさりすませた方が良かったのかなあ、とも思います。"You are all my reason." は、言葉的には複数のYouを指しているともとれるのですが…前後関係や、アリシアの顔とオーバーラップする演出から見ても、やっぱりアリシアを指していたと見るのが自然かなあ、と思います。

「ハーヴェイ」をご覧になったのですね…うらやましい。ビデオ屋さんを探したのですが、見つかりませんでした。ジェームズ・スチュワート、大好きなんです。プリンストン大出身なのですね。


はじめまして 投稿者:ゆりぶう  投稿日: 5月16日(木)21時19分02秒

Kumiko様、皆様(明子様、夢見様、ペコ様、こんにちは)
はじめましてゆりぶうです。ドキドキしながら書き込みしています。Kumiko様のビューティフルマインドの感想を読んでから、Kumikoファンになりずーとロムっていました。今回どうしてもKumiko様とお話がしたくなって(という割には中味がないが)、勇気を出して書き込んでいる次第です。HNを他サイトと変えようかとも思いましたが、性格的にボロが出ると思うのでそのまま(ってどのまま?)で行きます。
この映画9回も見てしまいました。でぇ、昨日の鑑賞で気になったところは、2点です。一つは、教授専用食堂へアカデミー協会の人に誘われて入るところ。ナッシュのセリフの字幕は、「私はそこへは入らない。」だったと思います。英語はさっぱり聞き取れないのですが、ここはとても重要なシーンで、ナッシュが自分は教授専用食堂に入る資格がないと思っているということをここで観客に教えてあげなくてはいけない(たほうがいいと私は思う)。原作では、それを知ったアカデミー協会の人が「この人をこのままにしておいてはいけない。(この人にノーベル賞をあげたい)」って急に味方に回った(フェアでなくてはいけない立場なのに)ほど重要なセリフなのに、「入らない。」ではあまりにもインパクトが弱すぎるのではないでしょうか?(こうやって書いてしまうと、細かすぎてどうでもいい気になってきたけどこのままで行きます)英語では、どういうニュアンスで言っているのでしょうか?「私はそこへは入らない。いつも図書館でお茶している。」っていう感じなのか? それとも、「そこは私の入れる場所じゃない。私は図書館で十分な人間だ。」って感じなのか?(って聞かれても困りますよねー)
もう一つは、ノーベル賞のスピーチのところ。以前この掲示板で書かれていますが、“You are all my reason.”の”youの解釈ですが、アリシアだけではなくてあなた達って、複数の人を指すとは考えられないでしょうか? これはぜんぜん自信がない意見なのですが、どうーも、あのスピーチは好かんのですわ。あれだけの観客を前にして、アリシアだけにメッセージを送るっていうのもなんか変な気がします。アリシアだけに送ったメッセージとしては、ハンカチを取り出したところで十分でなかろうかと思います。私としては、世話になった人達(ハンセンも出席していたわけだし)に送ったメッセージだったら納得できる気がします。月並みだけど、「皆様のおかげで今の自分がいます。」みたいな感じで。

映画と原作は全く別ものって、頭では理解できているのです。でも、この映画の脚本って原作のエピソードをうまーくいろいろなところで食い込ませていると思います。ラッセル流に言うと、実在の人物および原作に敬意を払っているってことでしょうか。エドハリスの役は、原作本を読む前だとちょっと字余りーみたいな感じでしたが、世界市民第一号をめざしていた部分を形を変えて表現したのかなぁーと私の中では納得できるものとなりました。他にも、有名な蝿のクイズを学生達とコミュニケイトできたところで使ってみたり、一年も自分の子に名前をつけなかったので映画の中でもベイビーと呼んでいるし、他にもいろいろなかなか凝っている…。私、ラッセルのファン歴1年とちょっとで、映画も極めて浅学です。ただちょっとばかし偏ったマニアック(変な人ではありませーん)な人になりつつあり、こちらで教えていただいた「ハーヴィー」もちゃっかり鑑賞致しました。「ハーヴィー」はハートウォーミングな物語でシニカルでもあり、これが流行った制作された時代にもナッシュって生きていたのねーととても感慨深く、ジェームズスチュワートがプリンストン大学出身ってのも感心させられました。
明子様との美しいビューティフル談義にいきなりおじゃまして長々とすみませんでした。あーん、ダムが切れたみたいにとめどなくお話したいことがあふれ出て、まとまりのない(いつもですけど)読みづらい文章になってごめんなさい。Kumiko様、皆様、今までいろいろ教えて下さってありがとう、そしてこれからもよろしくお願いします。


ジョシュ・ルーカスさん 投稿者:明子   投稿日: 5月 1日(水)10時19分52秒

kumiko様。レスありがとうございます。ベタニーさん、私も、印象に残りました。あの方がいて、ナッシュの幻影の哀しさのようなもの、私、強く感じたんだとおもいます。個人的にはですね、今回の(他の出演作はほとんど見ていないのですが)ジョシュ・ルーカスさんの演技も好きでした。特に、ナッシュを、助ける状況での。
映画のテーマについて、触れてくださって、嬉しいです。私は、確かに、映画についても浅学ですが、今回は、めまいがするほど、テーマについて「考え」ました。(この作品にも、正反対の「観方」が、あるようです。たまたま、この映画について、私と違うなあと思うのは、テーマは、わりと「もうわかっている」というスタンスの観方なのですね。後、資料的なものも、すっかり「消化」されていて。)つまり、私には、作品のテーマがよくわからなかったんです。(苦笑)従来は、テーマがピンとこないと、そういう映画は、即「放り出し」てました。ケド、今回はそういうわけにもいかず。結果は(わからないかも、無理かな)という感じになってしまったのですが。けれど、ラッセルに、惹かれているおかげで、映画というものに違う「迫り方」が、出来たので、良かっのでは、と思ってます。(やけに、くどい。笑)


ベタニーさん 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月30日(火)22時54分14秒

チャールズ役のポール・ベタニーさんの出ている「ロック・ユー!」をレンタルで見ました。まあ話の筋はありきたりなのですが、ベタニーさんのチョーサーを見ているだけで結構楽しかったです。いきなり全裸で現れるし…(それほど見応えのある全裸ではありませんが)「ムービースター」かどこかで「脱ぎ癖があるのか?」と書かれてましたが、この映画を見る限り納得かも…(笑)。とにかく主役を完全に食ってましたね。

ベタニーさんは次回作でもラッセルと共演、しかもまた親友役。「今度は幻覚じゃないのね」…って、絶対どこかで書かれるだろうなあ…

>明子さん
私はあまり複雑に考えない方で、好きな俳優が出ていても嫌いな映画は嫌いで終わりにしてしまうのですが…でも、ただ好きな俳優の顔を見るだけのために何回も観ているうちに好きになって来るっていう場合もありますよね。何て言ったら良いのかよくわからないけど、映画に特定のテーマはないと思うし、好き嫌いってのは絶対あるし、それぞれの感じ方でいいんじゃないでしょうか…


kumiko様。有難うございました。 投稿者:明子   投稿日: 4月27日(土)13時45分42秒

kumiko 様。
実は、今は、最後のナッシュに「寛解」の時期が来て、良かった良かったという気分なんです。色々「試行錯誤」したあげく、そういう感想で終わるのは、「救われないよ」とも、思うんですが。(この作品は、すごく、考えないと、良さが、わからないし、「複雑に」考えても、わからなくなって、単純な結論でいいか、という気分になる、という点で、ちょっと、引いてしまう感もあります。)
あえて、言わせていただくと、Nash's “keen,beautiful,logical,mind”から取って、“a beautiful mind”とタイトルをつけたことで、話は尽きているのかしら、などと思ってしまっています。
こちらの動機は単純で、ラッセルがでてるのだから、少しでも、いいなあと思える道を探した、ということで、ファンの熱意ではあるのですが。(混乱気味。)笑。
飛び入りに、色々、わかりやすく、教えていただきまして、本当に、有難うございました。


「ABM」と「メメント」 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月27日(土)02時00分54秒

>明子さん
この映画は色々な見かたが出来て、何度も観るとどんどん良さがわかってくる映画ですよね。私も明子さんの書き込みをきっかけに改めて色々考えて、また観に行きたくなりました。

>じゅうばこさん
(「プレクエル掲示板」の方のレスです)
*「メメント」ネタバレ*
私も「メメント」のラストではちょっとがっくりきたのですが(主人公にけっこう思い入れていたので)…でも後で考えてみると、この映画の場合あの結末もありかなあ…いや、あの結末しか有り得なかったんじゃないかと思えてきました。妄想と記憶が最後の最後でごっちゃになるのは「確信犯」だと思います。観客を主人公の立場に置くのなら、最後まで救いを与えずにとことんまで…ってことでしょうか。
「ビューティフル・マインド」とは逆ですね。

「メメント」と「ビューティフル・マインド」の共通して良い所は、観ている間はテーマとか象徴的意味とかを考えさせない、でも後から思い返してみると「あーあそこはそういう意味があったのか」と気づいてまた観たくなる…ってところでしょうか。私は両方好きです。(比べる意味はないのですが)1回づつ観た直後は「メメント」の方がやや好きかな?と思っていたのですが、「ABM」を何回も観ているうちに甲乙つけがたくなってきました。

今年に入って観た映画は1本を除いてみんな「当たり」で、幸せです。


「ナッシュ」の「美」を、感じます! 投稿者:明子   投稿日: 4月20日(土)22時11分08秒

kumiko様。ご丁寧なレスをいただきまして、本当に有難うございました。
とても嬉しくなりました。

kumiko様の「美」についてのコメント、創造的だ!すばらしい、と感嘆いたしました。創造的と思ったのは、kumiko様のような見方を致しますと、映画のいろいろな部分が、とても、美しく見えてくるからです。

さらに、このタイトルは、ナッシュのこと。という、根本的な点を、教えていただいたことで、
作品全体の記憶をたどる時、色々なシーンの味わいが、深まるような気がします。
ノーベル賞受賞の件でナッシュの調査が行われる一連のシーンも、美しいシーンとして、蘇っています。当座は、感情移入して、ひたすら感動しただけでした。けれど、今は、あの静かな落ち着いた、「空しく」老いてしまったナッシュの姿にも、病気が、奇跡的に「回復」してというだけでは、言い終われないような、「美」を感じました。

ナサー氏の「伝記」から、「ナッシュの「美しい頭脳」(beautiful mind)にうたれたのだ」(邦訳ではp143)というところを、やっと見つけました。(笑)
はっきりしない時期も多い、数学の天才に挑んだジャーナリストも、すごいけれど、
この大天才を、映画にした監督も、すごく、勇気があるなあと、今は思っています。
そして、kumiko様のおっしゃるように、ナッシュ氏を、「美しい」人物として
描ききれていることは、監督のすばらしい才能だ、と思うようになっています。(生意気な言い方ですが、前回のコメントを反省する意味で)

kumiko様のgiftのおかげで、この作品をいっそう好きになりました。
心より感謝致します。有難うございました。
今後とも、どうぞ、よろしくおねがいいたします。


恐縮です。 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月19日(金)00時28分55秒

>明子さん
私の駄文を丁寧に読んで下さり恐縮です。自分の文章を読み直してみて、やっぱりわかりにくい文章だと反省してます。それにナッシュの病んだ精神を「美しい」と表現するのはやっぱり誤解を招く言い方だったかなと思います。「狂気が美しい」と言っているわけじゃなくて、独創性とか、天才的な直感力とか、狂気ぎりぎりの鋭敏さとか、そういうすべてをひっくるめた彼の思考形態に「数学の美」に通じる一種の「美」を感じる、と言うか…(あ、またわかりにくくなってる…)。それが良いというわけじゃなくて、善悪を超えた「美」ですね。

ロン・ハワード監督は評価低いんでしょうか?私は単純にこの映画が良かったから、ハワード監督はいい監督だと思っているんですが。(「スプラッシュ」や「バックマン家」も好き。ま、「ガン・ホー」なんていう箸にも棒にもかからない映画もありましたが…)でも実は私、明子さんの書き込みを呼んで「そういえばハワード監督だったっけ」と思い出したぐらいで(笑)。私は映画を観ても、この監督だからこうとか、監督が何を描きたかったのかとか、ほとんど考えないんです。単純に自分の感じることだけで…(だから何を書いても批評になってなくて「単なる感想」なんです。)要は映画で監督が何をするのか、よくわかってないってだけなんですけど(笑)。

giftは、「贈り物」でも正しいです。「才能=神からの贈り物」ってことですから。

題名の意味について、私は映画を観た印象だけで書いてしまったのですが、この題をつけたのは原作者だから、本当の意味はシルヴィア・ナサーに訊かないといけないんでしょうね。原作には「美しい頭脳」という表現があるし、第1部に「ビューティフル・マインド」という題がついているところを見ると、原作者は病気になるのナッシュのことを指しているような気もします。

この映画が「愛の物語」であることを否定しているわけじゃないですよ〜。ただ私はひねくれているので、つい違う見方をしたくなる(ま、それほどユニークな見方ではないですが)のと、目立ちたがりなのでつい人のあまり書いていないことを書きたくなる…というだけです(あ、ちょっとナッシュの要素あるかな…)。


ありがとうございました!きちんと理解できているでしょうか。a 投稿者:明子   投稿日: 4月18日(木)16時25分55秒

kumiko様。有難うございました。拝見した瞬間から、お礼を言うまでに、時間がかかったのは、
じっくり、このすばらしい解答を「理解」したかったからです。(まだ、途中です)それほど、
私には、衝撃でしたし、高度でした。ほんとうに、嬉しいです。本当に、貴重なプレゼントと、
感じています!ありがとうございます。

(みもふたもないような確認ですが)タイトルは、「ひとつの美しい精神」という、日本語を当てると、和訳として、問題がない、わけですね。
(私は、先にあげた英文のgiftを、贈り物、なんぞと訳していました。また、ここででてくる
a beautiful mindと、映画タイトルを、同じ日本語に、とれないで、困っていたのだ、と思いました。kumiko様が、訳してくださったので、すっきりと、つながりました。
また、「理性」とmindの単語の範疇も混乱していました。これも、kumiko様のノーベル賞スピーチの書き込みで、reasonを求めてきたmindというふうに、理解すればよいことがわかり、あっ!と言うような、感じでした。)

 ハワード監督が、「美しい」を、病気のナッシュにも、当てはめて、映像として描いたという点
は、とても、ユニークな感想ではないか、とおもいました。幾つか、疑問(ハワード監督ってそういう力があったのかしら。なんと失礼な(笑)。とか、病気は苦し過ぎて、「美しい」どころではないような、とか)がわきました。が、今は、その感想が理解できるところまで、来たと思います。そうすると、前半のシーンの美しさが、倍増するので、夜空の星に
形を示していただいたような気分です。(私に、アリシアの要素があるという意味は、まったくありません。笑)
後半ですが、(しつこいのですが)ナッシュが、自分の求めたもの、(その一つは、もちろん、現実的に、病気の治癒であったでしょうが)の解にheart・loveをあげた(理解できた?)ことは、前半の彼のmindの「美しい」に、加わった何かだ、と思うのですが。 kumiko様にとっては、そのことは、あまりにあたりまえすぎることなのでしょうかしら。
(私は、後半のそういう部分では、「リアルをわかるのはheartで」というアリシアのー
正確な記憶かどうかー言葉が好きです。それは、ナッシュの「妄想」との戦いを助けたというふうに、思えました。)

ナッシュが、自身の理性と意志で、病気を乗り越えてゆくという過程は、私も、しっかり、泣きました。私は、ナッシュが、幻影と闘いながら、大学に、ひたすら通い続け、数学を解き続けるシーンが、大好きです。あまり、ナサーの「伝記」では、伝わってきませんでしたけど。

ちょっと、整理不足で、書き込むような文章になってないか、とも思いますが、ご容赦いただければ、幸いです。kumiko様が、ふんだんに与えてくださったものに、心より、御礼申し上げます。


Mind と Heart 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月17日(水)22時00分33秒

>明子さん
はじめまして!更新も気まぐれなこんなサイトをお褒め頂き嬉しいです。よろしくお願いします。どうぞお気軽に書き込んで下さいね。

さて、"A Beautiful Mind"という題名ですが…

まず、Mindというのは「心」という意味ではあるのですが、Heartが感情、愛情をつかさどる「心」であるのに対し、Mindは理知的な思考・認識・判断をつかさどる「心」を表わしています。「頭」と訳した方がいいのかもしれません。一番近い訳語は「精神」だと思います。ナッシュはローゼン医師に「Mindの力で病気を治そうとしても、そもそもそのMindが病んでいるのだから無理だ」と言われます。

しかし、「Heart=心」との対比で使うのなら、「Mind=頭」と訳していいと思います。明子さんが書かれている「It's good to have a beautiful mind, but even greater gift is to discover a beautiful heart」は、「素晴らしい頭脳を持つのもいいが、素晴らしい心を見つける事ができるのはもっと素晴らしい才能だ」という意味です。

明子さんはプレクエルも読んで下さっているということですので、そこから例を出しますと、「グラウクス・ストーリー」26章のマキシマスのセリフ、『よく考えずに感情のまま行動して…おれの過ちの報いを妻と息子が受けたんだ。』と訳したところの原文は「I reacted with my heart not my mind and my wife and son paid for my mistake.(mindではなく、heartに従って行動してしまった…)」となっています。

で、"A Beautiful Mind"という題名の意味なんですが、私が感じているのは明子さんの仮説のどれとも違うんです。これが正しいってことじゃなくて、あくまで一つの見方なんですが。

"Beautiful Heart"(美しい心)と言う表現はよく使われますが、普通"Mind"に"Beautiful"はつけません。「素晴らしい頭脳」なら"Brilliant Mind"と言います。(宣伝コピー:"John Nash was one of the most brilliant minds of his generation...ジョン・ナッシュは彼の世代で最も優れた頭脳をもつ一人…")ここであえて"Beautiful"という言葉を使っているのは、単に「素晴らしい」という事ではなくて、文字通り「美しい」ということではないかと。

ナッシュは学生に「数学は完璧さにおいて芸術だ」と言います。またナッシュの「非協力ゲーム理論」は「単純で美しい理論」と言われています。そういう「美」を、ナッシュの精神(Mind)に−鋭敏で分析的で(かつ病んでいて)「世界を他の誰もが想像できない目で見る」精神に−見出している…のではないかと。

この映画の一風変わった表現方法は、その「美」を余すところなく描き出していると思います。星空に画を描いたり、雑誌から文字がふわ〜と浮かび上がってくる所なんか…狂気を含んだある種の「美」を感じます。

それから、最初の"A"ですが…映画の題名は頭に"A"をつける場合、"The"をつける場合、あるいはなにもつけない場合があります。例えば「インサイダー」は"The Insider"、「グラディエーター」は冠詞なしの"Gladiator"です。"The"をつけた場合はその後の名詞を特定する意味が強くなります。(つまり"The Insider"の場合は、「内部告発者」全般というより、特定の人=ワイガンド博士を指す意味が強い。)"A"をつけた場合は逆にそれが弱くなり、「ある」「(無数にある中の)一つの」という意味が強くなります。どっちもつかない場合はよくわからないのですが、その中間かな…?

この映画には"A"がついていて、「ひとつの」という意味合いが強い。つまり、『美しいMindのあり方は一様ではなく、ナッシュのようなMind、病んでいるし、それを別にしてもいろいろと極端なところのあるMindも"A Beautiful Mind"である…』ということある…と私は解釈しています。

ラッセルはこの映画についてのインタビューで「知性は病気から人間を守ってくれない、守ってくれるのは愛と慈しみだ」と言ってますが…まあそれはそうではあるんだけど、そう言ってしまっては単純すぎるような気がします。この映画は愛情の強さを描いてもいますが、同時に知性と意志の素晴らしさも描いていると思うんです。病気と闘ったのは彼自身のMindで、その長いしんどい闘いを支えたのが奥さんの愛情、ということだと思います。「それ自体が病んでいるから無理だ」と言われたMindで、Mindの病気を克服してゆく…(「あの子は歳をとらない。だから現実ではありえない」)、それがこの映画の核だと思います。

以上、私の解釈です。長々とわかりにくい文でごめんなさい。


映画タイトルを訳すと? 投稿者:明子   投稿日: 4月17日(水)10時18分07秒

kumiko様。
初めまして。どうぞ、よろしく、お願いいたします。HNを明子といいます。
kumiko様のサイトは、昨年から、拝読していました。プレクエルの訳の見事なこと!ラッセルインタビューの訳のアップがはやく、説得力があること!英語を翻訳する力のすばらしいこと!
私が、書き込みをするのは、畏れ多いというほどの気持ちで遠くより拝見していました。

今回は、どうしても、教えていただきたいことが出来て、『求めよ』の心境です。(こういうことで、「切羽詰っている」のも、お恥ずかしいのですが。)内容は、『ABM』関連ですので、こちらに、書き込ませていただきます。
いつでも結構です。どうぞよろしくお願い申し上げます。

英語がわからないために、混乱していると思うのですが、、、
タイトルの『a beautiful mind』というのは、どういう意味なのでしょうか。(少し、長くなりますが)

仮説1・ナッシュの『天才、狂気、再生』という奇跡的な人生への賛辞。
仮説2・それに、加えて、アリシアの「愛」が変貌し、(「虚栄心に満ちた偶像崇拝」(ちょっと
はしょった言い方ですが)・恋愛感情から、恋愛感情の記憶(人生での肯定的な思いを抱きつつけようとする努力)と狂気の同情者、などへ)ナッシュの真の同伴者となったこと。そして、「logic or reason」に生き続けたナッシュが、アリシアを「love」に生き続けた女性と、思うことが出来るようになって、人生へのひとつの解答をだすことが出来たと感じた。
そういう二人のつながりが、奇跡的な「ラブ・ストーリー」(ラッセルいはくの)であり、二人の心が、「a beautiful mind」なのだということ。
仮説3・(仮説1より、日本的な気がしますが)ナッシュは、天才と呼べるほどの天分に、
恵まれながら、人間としては、未熟な偏った心しか育てられないでいた。が、その時点を越えて、「不治の病」と戦い、獲得した心は、奇跡的な「mind」だった。理性と感情のバランスがとれ、「意味」のある思考を選ぶ努力をし、現実にも「適応」(ここでは、身近な人々を大切にできるという広い意味でも)し、「真理を理解」出来る、(ノーベル賞授賞式でのスピーチに見られるような)美しい「mind」である、ということ。

仮説3は、かなり無理があるような気がするのです。1でいった方が、ずっと楽です。
ケド、ナサーの『伝記』の省かれた部分、美化された部分など、また、ラッセルの演技や幻影のあのような映画への登場のさせ方を思う時、監督は、映画としては、mindを、扱ってると思えるのです。それで、天才の数奇な「人生」の奇跡への賞賛というだけのタイトルかな?と。
2にすると、二人の限定版になりすぎやしないかなと?つまり、タイトルはテーマにかかわっているとすると、テーマにも、言及しなければならない。この映画テーマの一つは、「普遍的に、こういうバランスの取れたmindを、『美しい』と思う」と、いうことなのではないか。とか、、、

やっと、質問にたどり着きました。長々とゴメンナサイ。この映画タイトルを、無理にも訳すとしたら、
aは、ひとつの、一人の、又は、普遍的な、beautifulは、「美しい」または、適応性のあるとか調和のとれたとか、すばらしいとか、mindは、「心」(日本語の理性や感情の語感両方を含む)?どのように訳して、適切なのでしょうか。
そして、それを、すこし、映画や英語に即して、説明していただければ、と存じます。

気になっている情報のひとつ。
・映画で省かれた、ナッシュ氏のノーベル賞スピーチ関連に、以下のような言葉があるということなのです。映画タイトル以外で、でてくる同じ言葉、a beautiful mindなのですが、これは、映画タイトルより狭い範囲でと言うか、肯定的な普遍的な意味ではなく、使われているように思うのですが。
Perhaps it’s good to have a beautiful mind,
but even great gift is to discover a beauriful
heart.


シナリオ本&DVD 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月16日(火)00時31分24秒

字幕のことで、管理人自ら横道にそれてしまってすみません。反省。

>ペコさん
シナリオ本が出るのですか〜。それは嬉しいですね。DHCって出版社ですか?

嬉しいついでに(?)ちょっと気の早い話ですが、アメリカでのDVDのリリースが6月25日に決まったそうです。ということは日本では8月ごろかな?未公開シーンや音声解説、メイキングに加えてナッシュ博士のノーベル賞受賞シーンなんかもあるそうで…楽しみですね♪


感謝感謝です!!! 投稿者:ペコ  投稿日: 4月14日(日)23時21分40秒

>Kumiko様
今晩は!今日も予告した通り14回目『ビューティフル・マインド』を観てきました。
もう一度目を開けてしっかりと字幕を読んでおきました。「君がいて私がある」となっていました。ご多忙なのに、色々とご丁寧に説明してくださって感謝いたします。大いに勉強になりました。英語が出来ないくせに表紙に魅せられて英語版シナリオ本を持っています。

>「ヨボヨボの老議員に?」
そうと言われてみれば、何だか漫才っぽくて問題がありますね。もう少し古代風の言い方だったらいいのにですね。

ある筋の情報によりますと、近いうちにDHCシリーズより『ビューティフル・マインド』のシナリオ本が出るそうです。担当者は勿論ラッセルファンの一人なんです。はっきりと分かりましたら、追ってお知らせします。


字幕(ちょっとズレてしまってすみません。) 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月14日(日)15時47分25秒

うーん、私が「??」となるのは、単に省略しているのではなくて、意訳とも言えないほど、原文とまったく違う意味になっている時なんですよね。「ビューティフル・マインド」ではいい例が今思いつかないので、掲示板の趣旨とは外れますが「グラディエーター」で例を挙げます。コモドゥスが父に「お前は皇帝にしない」と言われて、

コモドゥス:"Which wiser, older man is to take my place?" 直訳:より賢い、年上の方が私の地位に就かれるのですね。どなたです?

これを字幕の字数に収まるように訳すとしたら「一体どなたが?」とか、「私では不足と?」「私が若すぎると?」って感じだと思うんですが、戸田さんの字幕は…

「ヨボヨボの老議員に?」

…なぜこうなったのかはさっぱりわかりません。この一言のために、どうもコモは必要以上にアホだと思われているような気が…いや、アホには違いないのですがね(笑)。この「まるっきり違うセリフにしてしまう」というのは、私は翻訳の範囲を逸脱していると思うんです。戸田さんは「そのほうがわかりやすい」と思われているのでしょうが、私はわかりにくいのなら、わかりにくいまま訳すべきだと思います。「わかりにくい」のも脚本家や監督の意図かもしれないんですから。

>特にワイガンド博士が来日され、記念特別講演があって手話通訳者を3人呼び出席し、『インサイダー』の内容を知らない方ばかりだった為にぜんぜん違う意味の手話通訳されてしまい、

そう、そこなんですよ。翻訳をするには、その対象となる英文だけじゃなくて、物語の背景も知っていないと、的外れな訳になってしまいます。だから本の翻訳をする人はたくさんの資料を読みながらじっくり時間をかけてやってると思うのですよ。それは映画でも同じだと思うのですが、戸田さんの仕事のペース(あれだけたくさんの映画をやり、来日スターの同時通訳をし…)からみて、どう考えてもそんなに時間をかけているとは思えないのです。「指輪物語」の原作を通読していない人が「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕をやるなんて、どう考えても常識に外れていると思うのです…これは戸田さんというよりも、依頼する映画会社の問題ですが。

ずいぶん「ビューティフル・マインド」の話からズレてしまってすみませんでした。

「ビューティフル・マインド」は脚本が手元にないので、正確な英文を憶えていないのですが、確かラストのスピーチは、「私は一生をかけてreason(理性、思考、道理)を探し求めてきた。physical(物質の)な世界、metaphysical(形而上の)世界、delusional(妄想の)世界を彷徨い…」で、最後が「You are all my reason.(君こそが私の全てのreasonだ。)」ていう感じだったと思います。"reason"という言葉でつながっているのですね。"reason"という言葉は日本語にぴったりくる言葉がないのですが、「私は理を求める旅をしてきた…全ての理は君の中にあった。」とか、「私は答を探してきた…君こそが答だ。」とか、「解を探してきた…君こそが解だ。」としたほうが相応しいのではないかと思います。プロポーズの言葉の「経験的データ」は、原文が思い出せません。


Kumiko様版字幕を 投稿者:ペコ  投稿日: 4月14日(日)06時51分39秒

>Kumiko様
おはようございます。語学のできる方々には誤訳字幕をご覧になると背がむずむず痒くなるかもしれませんね。何となく気持ちが分かります。私だって、手話通訳が下手で十分に相手に伝えなかった事がよくあります。特にワイガンド博士が来日され、記念特別講演があって手話通訳者を3人呼び出席し、『インサイダー』の内容を知らない方ばかりだった為にぜんぜん違う意味の手話通訳されてしまい、苛立った事がありました。その度に同行した友人たちに説明したり、手話通訳者に訂正の合図を送ったりしました。

ラストシーンのスピーチ「君がいて僕がいる」→Kumiko様版字幕だったらどういう風に訳しますか?(映画字幕は正確には翻訳字幕ではないと戸田奈津子さんがおっしゃっていますが・・・。画面に字の数が制限され、工夫して言葉を詰めていなければならない為、ああになったと思います。もしフルにするとバカ長くて字幕が出る時間が短くパンパンと出て消えるので、観客は追いつきません。)
プロボーズの言葉「経験的データ」→Kumiko様版はどうなります?ぜひに翻訳をお願いいたします。実は昨日も13回目見てきました。今日も観に行きます。


字幕… 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月12日(金)23時03分04秒

>ペコさん
「ハーヴェイ」をパロディにした映画があったんですか?うーん何だろう?…というより、まず「ハーヴェイ」を観るほうが先ですね。ビデオになってるかな?探してみます。

戸田さんの字幕については…言いたいけど言いにくいことがいっぱいあります…(汗)。「英語をそのままに訳さない」ってのは、どうなのかなあ…まあ、「ハーヴェイ」は字幕にしてもほとんどの人にはわからないだろうから、これでいいと思いますけど。でも、「グラディエーター」とか「ロード・オブ・ザ・リング」なんかでは、「どうしてこの言葉がこの訳になるんだろう??」と首をひねってしまうことも、しばしば。説明されればわかるのかもしれませんけどね。でもなんか、映画が微妙に別物になっている気がする…

「ビューティフル・マインド」のラストのスピーチの、「君がいて僕がいる」という字幕には、「君たちがいて、ボクがいる!」という吉本の芸人さんのギャグが、どうしても連想されてしまって…(笑)ま、私だけでしょうけどね。


こんな映画のパロディかと 投稿者:ペコ  投稿日: 4月11日(木)01時15分37秒

>Kumiko様、マルコ様
今晩は!どこかの映画の中に「ハーヴェイ」の映画番組がありましたよね。ド忘れでなかなか思い出せないけど、確かに子供主演映画だったと思います。そのジョークを知っていましたけど、ラッセル様もこういうセリフをしゃべたのですか?さすが語学の出来るKumiko様に感謝です!戸田奈津子さんはこういうジョークを知ってたけど、若い子には理解しにくいだろうと判断してああというセリフの字幕にしたんだと思われます。毎週木曜日にNHK教育テレビにて手話ニュースの中の「映画が大好き〜!」という戸田奈津子さんがレギュラーとして出演していて、英語をそのままに訳さないで、時代の背景や現在の人に通じるかと色々と工夫して日本語字幕をつけた話がありました。


私も4回目 投稿者:Kumiko  投稿日: 4月10日(水)21時51分20秒

>マルコさん
ラッセルの誕生祝に「ABM」を観るなんて素敵ですね。私も今日4回目を観て来たところです。ナッシュの家をソルが訪ねて来るシーンはいいですね。「ソルってイイ奴だな〜」と思ってしまいました。でもなんかやけにナッシュが小さく見えて、切ないです。

あのシーンでナッシュは「ハーヴェイに会った?」と言っています。「ハーヴェイ」は1950年の映画で、ジェームズ・スチュワート演じる主人公は、自分にしか見えない身長6フィートのウサギを友として、この親友を誰彼かまわず紹介する、という映画…だそうです(<観てないので)その映画にひっかけたジョークなんですね。


素のラッセルかも! 投稿者:マルコ  投稿日: 4月 8日(月)22時42分04秒

昨日ラッセルの誕生日のお祝いにABMを観てきました。ペコさんには遠く及ばず4回目です。最初みたときよりは泣けませんでしたが、切なくなる気持ちは変わりませんが。素のラッセルではないかと思うようなシーンがありましたね。ソルがたずねてきて、イスに座ろうとしたら、誰か座っているから(このとこのセリフ忘れた)とソルにいうとソルが思わず立ち上がるシーンで、ナッシュが「病気を楽しんでる」とお茶目な顔をするんですよね。この顔が「素のラッセル」だー、心から楽しんでセリフ言ってるように見えます。


退化か、進化か… 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月28日(木)21時58分29秒

会社の後輩が「ビューティフル・マインド」を観たそうだ。彼女の感想:「チャールズさんを見てると『ビバリーヒルズ青春白書』のスティーブを思い出して、可笑しくてしょーがなかった」…顔もだけど、存在感が似ているそーです。わかる人いる???

>ペコさん
何で読んだか忘れたし、あまり信用できる説でもないんですけど…髪の毛の濃い人より薄い人の方が、人類としては進化の進んだ高級な種族(?)なんだそうです。エド・ハリスさんとかハワード監督とか見てると納得できないこともない説だけど…ラッセルは…フサフサしてるなあ…


もう退化しちゃったみたいですね。 投稿者:ペコ  投稿日: 3月27日(水)06時40分18秒

>Kumiko様
おはようございます。そうそう、訂正しようと思いつつ、遅くなりました。
昨日見て、もう頭髪の退化がかなり進んでいるのを見て、はっと思いました。
ある雑誌では、ロン・ハワード監督がこんなになるまで監督業に力を注いでいるから、もう俳優業には復帰される事はないだろうと書かれていました。元々童顔でしたのに、昨日見ていい顔になっていましたね。

>ゆき様
この通りなんで、失礼致しました。ロン・ハワード監督もU型でした。
たぶん私が去年の12月にユニバーサルスタジオジャパンのアトラクションのバックドラフトにてロン・ハワード監督の解説シーンを見たせいだったと思われます。あれはまだU型じゃなかったんです。改めてお詫びを申します。でも、映画では別人です。


ラッセルは残念でしたが…ハワード監督おめでとう。 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月26日(火)19時35分41秒

「1年半前に亡くなった母は、僕がこの映画でアカデミー賞を獲ると予言してくれました…もっとも、母は僕が18で初めての映画を撮った時から、毎回そう予言していたんですけど。」

泣かせておいて、一拍おいて笑わせるなんて、ロン・ハワード監督の作風そのもののウマいスピーチだと思ったのは私だけでしょうか。

*ゆきさん
私の自閉症に関する知識といったら「レインマン」のダスティン・ホフマンだけなので、詳しいことはわかりませんが…
前の書き込みで触れた記事の中で、やはり精神科医の人が「この映画が分裂症に対して、『レインマン』が自閉症に対して与えたような影響を与えてくれるといい(つまり、偏見をなくすとか、理解が深まるってことだと思います)」と語っていたのが印象的でした。

*ペコさん
>ロン・ハワード監督のは前には薄く後ろに円型に剥げていますけど、パーテイにいたのはU型禿でした。
失礼ながら、この一文に爆笑してしまいました。すげぇ説得力!(<お下品。)

エド・ハリス氏は私の中で不動の「セクシーハゲNO1」ですが、ハワード監督は童顔と頭がアンバランス…だと、思っていました。でも、年と共にイイ顔になってきたと思いませんか?俳優復帰は考えてないのかな。


私も観たけど 投稿者:ペコ  投稿日: 3月25日(月)06時15分02秒

>ゆき様
おはようございます。先行オールナイトも観てきましたので、全部で6回目になります。
ええ、パーティシーンにロン・ハワード監督ではと思い、何回も確認してきました。よく似ていますけど、別人でしたよ!頭髪の退化ぶりが似ているように見えるけど、よく見ると違います。失礼だけど、ロン・ハワード監督のは前には薄く後ろに円型に剥げていますけど、パーテイにいたのはU型禿でした。


ナッシュについて 投稿者:ゆき  投稿日: 3月24日(日)22時50分25秒

Kumikoさんのお母様、ナイスですね(笑)確かにあの「頭」は似てますものね。
その場面では、ナッシュがパーティー会場の奥に怪しい人影を目撃して険しい顔で凝視するシーンなのですが、試写会の時も昨夜のレイトショーの時も、その手前右側に居る「頭」の主に目がいって、ナッシュが見てるスパイには全く目が行かなかった変な私です。

私はナッシュ博士に関した伝記本は何も読んでないので、おかしな事を言っていたらご免なさい

ナッシュは分裂症が発症する前から人との付き合いが苦手で上手くコミュニケーションできない「変人」でしたが、彼は自閉症だったのでしょうか?あのラッセル演じるナッシュの仕草が自閉症特有の癖に大変よく似ています。私の身近に自閉症の方が居りますが、数字に大変興味を持っていて自分の興味のある事に関しては周りが全く気にならないくらい没頭する集中力を発揮します。話し方も独特で全て一本調子で客観的に話します(その当たりもナッシュ氏と似てます)元々、自閉症の方は得意分野で大変な功績を残してる方がたくさんいらっしゃるそうで、アインシュタインもその一人なのだとか・・?(マイクロソフト社長とエジソンもそうだったかしら?)あの、自分の興味のある事に、とことんのめり込める自閉症者だからこそ成し遂げた快挙だったのではと私は思いました。


医療の進歩はすばらしい 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月24日(日)18時10分36秒

>無印さん
ちょっと話がそれるかもしれないんですけど、薬について…

最近、「ABM」関連で分裂症についての記事をいくつか読みました。その記事である精神科医が語っていたことなのですが、分裂症というのは投薬やセラピーを通じて「治らないけどコントロールはできる」病気で、これはおそらく映画史上初めて、分裂症について正しく描いた映画だそうです。ただ、その精神科医の人が、この映画の中で誤解を招くかもしれない点に挙げていたのは、映画の中でナッシュが受ける「インシュリン・ショック療法」が、「電気ショック」と誤解されるか、現在でも行われていると思われる惧れがある(現在はもう行われていない治療法だそうです)ことと、投薬についてのナッシュの態度がはっきりしないこと−の2点でした。発病当時の薬は副作用がひどくて、ナッシュは飲むのをやめてしまう(その結果えらいことになる)けど、時間が経つうちに副作用が少なくて効果の高い薬が出てきたので、それはちゃんと飲んでいる−ということなのではないでしょうか。

>ゆきさん
はじめまして!パーティシーンにハワード監督が…?それは気づきませんでした!公開されたらまた観に行って確かめてみますね。

関係ないけど、実家で「ABM」特集のビデオを見ていたら、うちの母はロン・ハワード監督とエド・ハリスの区別がつかなかった…「だって、頭が同じじゃない」だそうです(笑)。


あれは? 投稿者:ゆき  投稿日: 3月23日(土)08時25分35秒

初めまして。試写会で一度拝見しましたが、今日の先行上映にも是非!行きたいと思ってます。
あの、勘違いかもしれないですが、ナッシュとアリシアが出掛けたパーティーに監督のロン・ハワードが居ませんでしたか?さりげなくタキシードを着て談笑していたのですが、あの「頭」はどう見ても監督だったような?ご存じの方がいらっしゃいましたら教えて下さいませ。


ナッシュの治療だけど… 投稿者:無印  投稿日: 3月22日(金)23時53分45秒

明日先行ロードショー観てきます!

>Kumikoさん
お風呂入れるシーンは本当に怖かったです。あと、赤ちゃんを腕に挟んで
無気力に抱いているシーンも。

ナッシュが退院した後の服薬生活ですが、あれだけひどい幻覚症状に
悩まされてるのに、あんな、コーラックみたいな薬二錠ずつで
治るんでしょうかねえ…あそこはちょっとフィクションぽいなあ。


れ:二の腕 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月21日(木)22時42分08秒

>りんりんさん
プリンストンって、ニュージャージーですよね。白夜には…なりませんよね。夏ならかなり遅くまで明るいとは思うけど…Midnightっていうのは、大げさに言っているだけなのかな?そういうことにしておきましょう。

>無印さん
半そでシャツ姿で授業をするシーン、数学というよりマット運動でも教えそうでしたね。でも、アリシアが惚れたのはそのせいかも…(<違うって)

ラッセルの演技については…最初の方は「演技過剰かな?」と思うところもあったんですが、その「銃を取れ!」のシーンの辺りからだんだん引き込まれてきて、赤ちゃんをフロに入れる辺りはマジ怖いです。やっぱりすごいわ。


二の腕 投稿者:無印  投稿日: 3月20日(水)21時47分07秒

試写会見てまいりました。おもしろいですね〜。
ラッセルが出演していなかったとしてもおもしろく観られたと思います。
でもでもやっぱりラッソーの演技はすばらしかった…。
数学者にしてはあまりにもたくましすぎる二の腕を持ちながらのあの演技…。
幻覚の中で、エド・ハリスの運転する車に乗って「銃をとれ!」「いやだ!!」と
泣き叫ぶシーンが新鮮でした。だって、普段のラッソーの役柄だと、率先して
銃撃ってるから(笑)。
以前、本物の分裂症のかたに逢ったことがあるんですが、それと比べても
ラッソーの演じてたナッシュはリアルでした。怖かったです。
二度目に幻覚を見て、小屋の内部がメモだらけになっているシーンはぞっとしました。
あと、最後のほうで教員用ラウンジみたいなところでナッシュのもとに皆が来て
ペンを置いていくシーンがけっこう感動的でした。
…「このシーンも幻覚じゃないだろうなあ」とちょっとどきどきしてました(笑)。
試写会に一緒に行った友達は、映画も滅多に見ないし、ラッソーの出演作品を見るのも
初めてだったのですが、最後は泣いていて、そのあと何度も「ラッセルって演技
うまいんだねえ」と言っていました。またファンが増えたかな♪


midnight 投稿者:りんりん  投稿日: 3月20日(水)00時13分40秒

>Kumikoさん
>声もどっかあさっての方向から声が聞こえたような
そう!そうなんです。声も違って聞こえますし、ラッセルの口と合っていませんよね。
>こんなMidnight(真夜中)には来ない」と言っているんですが、外の明るさはどう見ても昼…?。
私もこのセリフに疑問を感じていました。プリンストンに白夜はないハズなのに・・・

>夢見さん
はじめまして。Kumikoさんもチェックされたことですし、ぜひ注意して聞いてください。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/5654


ミス? 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月18日(月)23時23分17秒

今夜再び観て参りました。良いと思ったことは変わらないのですが、前回は甘く感じられた最後の4分の1(ナッシュがプリンストンに戻ってからラストまで)が、今回はしみじみと胸にきました。(老けメイクに慣れたせいかもしれないけど。でも、ちょっとマーロン・ブランドに似て見えたのは私だけ?)

>りんりんさん
ご指摘のシーン、確かにヘンでした。ラッセルの声に聞こえないことはないんですが、「おやすみ〜」という声がした時、ラッセルの口が動いていない(!)し、声もどっかあさっての方向から声が聞こえたような…気のせい?(アリシアの幻聴??)

あと、アリシアが「こんな時間にゴミ収集の人は来ないわよ」というシーン…英語では「こんなMidnight(真夜中)には来ない」と言っているんですが、外の明るさはどう見ても昼…?。一瞬、アリシアの方がいかれたのかと思った…


ナッシュは形、アリシアは色。 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月17日(日)21時21分04秒

>夢見さん
夢見さんは理系女性なのですね。私は理系というとすごく頭のいい人に思えて、無条件に尊敬してしまう癖があるのですが…。理系=文章が苦手ってことはないと思いますよ。でも、「文章より数字の方が記憶に残る」ってところが違うかな〜。私は文章に関してはやたらに記憶がいいのに、数字となると自分の携帯番号も覚えるのに苦労したりします。πも、「3.14、、、」で終わってしまう。

>ペコさん
「巨人の星」(笑)!わはは!さすがはペコさん!チャールズとパーチャーはナッシュの潜在意識の好むタイプってことなんでしょうか。ラッセルもたしかインタビューで、チャールズを見るナッシュの目に、そういう要素が少しこめられている、って言ってましたね。

ナッシュとアリシアはたしかに変わり者同士ですよね。アリシアは理数系頭脳を持っているという他に、芸術家でもあるんですよね。「こんなにたくさんの色を創ったのだから、神様は芸術家だ」と言ったアリシアに、ジョンがガラスのプリズムをプレゼントして、これで"Every Possible color(この世に存在するすべての色)"が見える、と言うシーンが印象に残っています。

星座…ってのも、考えてみれば不思議なもので、正式な星座、たとえばオリオン座とか小熊座とか魚座とかにしても、昔の人の勝手な想像力の産物で、星の間に線なんか存在しないんですものね。でも、星をつないで絵を描き出すなんてとんでもないことを考えた人がいなければ、天文学だってこんなに発展したかどうか。パターン(形)の存在しないところにパターンを見る、というのは、後の「雑誌の暗号」の件にもつながってくるナッシュのビョーキなんですが、それが彼の天才たる所以でもあるのですよね。


変わり者同士 投稿者:ペコ  投稿日: 3月17日(日)19時42分30秒

>皆様へ
今晩は!ここでは、初めてなので、改めて初めまして。蛸の話で盛り上がっていらしてますね。星座に詳しくないので、よく分からないけど、蛸座って本当にあるかしら・・・。星に指すラッセル扮するナッシュ博士ってまるで漫画「巨人の星」みたいで思わずぷっと笑いたくなりますけど。
ナッシュに惚れてしまうアリシアも変わり者なんですよね。確かに劇中でもナッシュが「変わり者同士だ」と言いましたよね。
『ビューティフル・マインド』でもやはり360度にナッシュの頭を回って撮っていましたね。またマキシマスかと叫びそうになったんです。ラッセルの首筋が伸びっていて凄く綺麗なので、太っても痩せてもうっとりしてしまいます。ガラス窓に数式を描くように書く顔って本当にセクシーでドキドキしてしまいました。幻覚のチャールズといい、パーチャーといい、どれも目が鋭く光っていて男性としては綺麗なほうなんですよね。直接的に本物のナッシュ博士の男色ぶりを描いてなくても、これらだけで十分に要素が含まれていますね。どうしてナッシュ博士役にラッセル・クロウを選んだのかと考えてみたら、もしかして『人生は上々だ!』のナイーブな面が気に入られて決められたのではないかと勝手ながら思い浮かびました。


タコもいいけれど 投稿者:夢見  投稿日: 3月16日(土)15時58分29秒

今日は、
かく言う私、理数系(女性の10%ほどだそうです)なのですが、このようなBBSに参加すること自体無謀な事だ、と思っています、第一文章の読みこみが不得意で、語彙が少ない。Prof・ナッシュの数学に対する集中力は理解できますし、私も文章よりも数字のほうが簡単に記憶に残ります。精神分裂症(統合失調症に変わる予定)は別にして理数系の頭脳の持ち主は、文系の方とはかなり違いがあるのではないかと私は思います。「手順は重んじる〜したい」のナッシュの言葉にもそれほどの抵抗もなく受け入れられるのではないかしら?
私なら、あの場面で後ろ抱きで、耳元で、π(パイ)をず〜とささやいてほしい!(ちょっと違うかしら?)終わりがないのですよね〜(^^)

>どみ様・始めまして、このごろお邪魔している夢見と申します。
たしかに経理は得意です。

>りんりん様・始めまして、私も気がつきませんでした。今次は良く聞いてみたいと思います。


蛸座の淡き星影 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月16日(土)01時12分08秒

*りんりんさん
どうも、お久しぶりです。
>私もアリシアの「タコ」発言にはびっくりしておりました。
そうですよねえ。タコに、何か思い入れでもあるんでしょうか。研究対象にしてたとか、昔飼ってたとか…

ナッシュの声ですか…気がつきませんでした。今度観る時は注意してみます。


くどいけど、タコ 投稿者:りんりん  投稿日: 3月15日(金)22時49分43秒

お久しぶりです。
私もアリシアの「タコ」発言にはびっくりしておりました。
どうせなら、タコ型の星座を映して欲しかったものです。(笑)

ところで、退院したナッシュが夜机に向かっているところで、
アリシアが「もう寝るわ」と薬をわたして、「おやすみ」とナッシュが言うシーンですが、
私が2回見たところでは、どーしてもラッセルの声に聞こえないのですが、
私の思い違いでしょうか?でもそのセリフだけ違う声なんですよ。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/5654


タコが言うのよ〜(<誰もおぼえてないってそんなCM) 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月14日(木)21時47分46秒

>夢見さん
おお、鋭いかもしれません。「オクトパス(octopus=蛸)」は「オクトナル(octonal=8進法)」や「オクタン」にも似てるし、アリシアは生物学専攻だそうだから、彼女らしい選択なのかも…(<って、本当か?)

>どみさん
さすがどみさん、鋭い分析。では、私なら百足(ムカデ)をリクエストしますわ。(どんどんロマンティックから離れてゆくなあ…)

「手順は重んじるけど、手間を省いて早く君とセックスしたい」なんて言ってる男を可愛いと思ってしまうのも理数系ゆえでしょうか。(理数系の女性に怒られそうだなあ…)


あのタコは 投稿者:どみ  投稿日: 3月14日(木)20時23分59秒

Kumikoさん、おじゃまします。
夢見さん、はじめまして。
そういえばアリシアは優秀な理系の学生でしたね。ナッシュ家の家計が破綻しなかったのは彼女の頭脳のおかげかもしれませんね。

で、タコの件ですが、やっぱり足が8本もある生き物だから、描くのに時間がかかる……ということで、少しでも長い間手を握られていたいという、「アリシアの乙女心の産物説」はどうでしょう?(私だったら「イカ」をおねだりするわ)


忙しいと思いながら、、 投稿者:夢見  投稿日: 3月14日(木)15時58分08秒

「タコ」で、
アリシアも、もともとが理数系の頭脳で、多分もっとロマティックなものが思い浮かばなかったのではないでしょうか?


くだらないけど、一言だけ。 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月13日(水)20時29分05秒

しかし、あのような超ロマンティックなシチュエーションで「好きな形を言って」といわれて…「タコ」って(笑)。アリシアって、やっぱりタダモノではないから?


臨時ABM専用掲示板です。 投稿者:Kumiko  投稿日: 3月12日(火)23時50分57秒

ここはネタバレOK!「ビューティフル・マインド」について書き込んでね。

私の感想はこちら

http://www12.u-page.so-net.ne.jp/da2/ikedkumi/abm.htm