アマによるアマのためのシナリオ講座


2−11)難解な文章の書き方

 今度は文章についてです。

 文章の書き方を憶えてくると、どんどん難しい文を書きたくなってきます。
 難解な文章を書くのは……実はそんなに難しくありません(汗)。むしろ、読み易い文章を書く方が難しいものであります。哲学について書いてみれば、どうしたって難しい文章になってしまい、簡単に書くことがいかに難しいかがわかります。一方で、簡単な文章を難しく書き直すことはかなり容易です。法律文や判決文、契約書の文面などは簡単な内容でもわざと難しく書いてありますね。
 ここでは、どうやれば難しい文章を書けるかを考えることで、逆説的に読み易い文章についての認識を深めたいと思います。

 もっとも簡単に書ける「難しい文章」とは…読者がふだん使ってないような言葉を大量にちりばめたものです。
 たとえば専門用語/古典的な表現/外国語などを多用すれば、それなりの教養がある読者にしか読めない「難しい文章」ができあがるでしょう。これは、技術書や知識書には向いています。一定の知識が無いと理解できないわけで、自動的に読者層を限定することができるからです。
 読者層を限定することに何の意義があるかというと、基礎知識の説明を省けることで重要なテーマを伝えることに集中することができます。共通の語彙が多ければ多いほど、メッセージの伝達は正確にできるようになりますからね。そのためには、専門用語の大洪水という文章が都合よいわけです。たとえば、外国語の例…
 

 ニーズとウォンツはマーケティングにおけるビッグ・ツー・ポイントです。
 マーケティングリサーチにはカスタマーのシンキングがキーとなるのですが、これをゲットするのはなかなかディフィカルトです。どのカンパニーもこれにはトライしてるものの、多くのサクセスはリトルなものです。
 まずはイナッフにリサーチを繰り返し、メンバーによるディスカッションによってノウレッジをシェアしてから初めてゴーサインを出すべきでしょう。パーソナルなシンキングだけでスタートするのはデンジャラスと思われます。
 

 中学レベルのエゲレス語(英語)しか使ってませんが、それでもそれなりに高尚感が漂い、難解になったと思います。会社で上司に出す意見書はこんなのがいいでしょう。内容を理解してもらうよりも、圧倒して思考力を奪うのが目的(笑)。一種の催眠術のようなものですね。…でもまったく読まれなかったり反感持たれたりしたら逆効果ですが(汗)。

 さて、次は専門用語を羅列した例。
 

 植芝流の合気道において重要なことは、相手と気心体ともに一体になることである。それを自分から見れば、角度と合わせと呼吸力の三つの要素に分けられる。この三要素は稽古中にはそれぞれ別物として認識されるが、剣体一致の境地になるとすべてが一つになって「合気」という概念で知覚される。この時にはじめて、技を離れた自由な境地が会得されることとなる。この境地=武産合気を実現できれば、相対的な相手の強さはすでにほとんど関係なく、あとは絶対的な自分の強さだけが問題となる。
 そこに至るための感覚の修得は、剣杖の理合を土台として、固体(固い技)→流体(気の流れの技)→気体(相手に触らせない技)と、充分に時間をかけ段階を追って進むのが望ましい。ただし気体は、約束演武や奇襲的実戦では可能でも稽古はできない。気体は稽古の結果であり、稽古法ではない。稽古法は固体による三要素の認識と会得が主であり、それに加えて流体によるその練磨を行う。
 

 文体はさほど難解ではないはずですが、ここまで専門用語が多くなったらもう専門家以外には理解できないと思います(^^;。というより、合気道の有段者でもこれが何を言ってるのか理解できない人、かなりいるんじゃないでしょうか?(汗) 
 専門用語も知らず経験もない人にこれと同じことを正確に説明しようとしたら、何十ページが必要になるか想像もできません(爆涙)。しかし逆に言えば、完全に理解できる人は別に読む必要も無い文章ですね……(爆汗)。
 ではこういう文章にどういう意味があるかと言うと、読者にどの程度の教養/理解力があるか予想できなくて試してみる場合がひとつ。もうひとつは、「専門用語は知ってるけど体験が無い人」に読ませて自分を尊敬させるという効果を狙う場合です(自爆)。 ただし後者は、「対抗意識の強い人(=公共の場で筆者をやりこめて『俺はこいつより優れてるぞ』と示したがる自己顕示欲旺盛なふんげらももぐちょのスットコドッコイ)」の激しい敵愾心に火を着けてしまうというリスクを伴っています。(汗)
(追伸 本当に完全に理解できる方へ:上記の文に誤りを見つけたらこっそり教えて下さい…正しい指摘だったらこっそり直します(汗))

 言葉ではなく、文を捻って難しくする方法もあります。たとえば、否定と肯定を最後でひっくり返すような奇襲的表現です。これをやると読者は混乱します。読んでる最中に、筆者からのメッセージと思ってたものが入れ替わってしまうからです。
 

 否定と肯定を最後でひっくり返すという芸術的表現はすばらしいもので、文章がとても奥深い雰囲気となり、読んでる人をびっくりさせるという効果もあってなかなかおもしろくはありますが、この文のように、結論を直感的には理解しにくくなってしまいます。
 

 もちろん、文章を書く上で「前に出た事の否定」という表現は必要になってきます。ですが、1文の中で否定する回数が多いほど、読みにくく理解しにくい文章になっていきます。哲学の本など読むとこれが多くて、チンプンカンプンとなり、途中で投げ出してしまったりしますね。(汗)
 その主原因は、自分の頭が悪いのではなく、書いてる人が「わかり易く書いてない」(または「わかり易く書けない」)ということにありそうです。
 もちろん、内容自体もそう容易なものではないでしょうけれども、、、

 さて、文というものには必ずテーマがあります。
 あ、テーマと言っても「愛」とか「命の尊さ」とか、そーゆー言い訳くさいヤツ(笑)じゃなくて、単に「伝えたいこと」という意味です。
 たとえば
 

 僕は、できるだけわかり易い文章を書きたいと思います。
 思うだけで、できていませんけど。(汗)
 

 この2文では、テーマが明確ですね。ストレートで「そのまま」と言え、こういうのはわかり易い文ではないかと思います。

 文をわかりにくくするには、1文の中にテーマをたくさん詰め込めばOK。
 

 まあたまには、1文の中にテーマを複数にしてみても面白いし、なにもがちがちに原則に凝り固まることはないのですけど、そういう文章がたくさんあると読みにくいですから、特別に効果を狙う場合以外はできるだけテーマを1つにしぼった方がいいし、こうやってテーマや否定接続をいくつも並列してる文は読んでて理解しにくくて読みにくく、筆者が何を言いたいのかも納得しにくいでしょうが、わざとケムに巻く時とかリズムで軽い催眠状態を起こさせたい時には効果がある場合もありますから、とりあえず完全否定はしませんが、特別に意図がある場合以外は避けた方が無難でしょう。
 

 「文はできるだけ短い方がわかり易い」と言われますが、長い文でもテーマが絞られてればわかり易いでしょう。逆に言えば、短くてもテーマがいろいろ含まれてたらわかりにくい

 時制もそうですね。時間が未来へ過去へと行ったり来たりする文章はわかりにくい。そういう構成でもわかり易い文章を書こうと思ったら、かなりの文章センスが必要となるでしょう。
 過去から未来へと一方通行で流れている場合でも、時間の速度が頻繁に変わったらやはりわかりにくくなります。スローモーションで1秒に2ページも使ったかと思えば、次は1行で1年を飛ばしてしまう……ここぞというところではインパクトが強くて効果的な手法です。けれど、これを頻繁にやられまくったら、読んでて気が狂いそうになることうけあい(涙)。アリステア=マクリーンや高千穂遥の小説ような絶妙なリズム感のある作品でなかったら、読んでるうちに気分が悪くなって読むのをやめてしまうでしょう。

 時制と関連して、視点の問題もあります。特にアクション物で言えるのですが、読者の「視点」の誘導は作者に責任があります。
 移動し易く理解し易い順番で「見」せれば読者は快くサクサクと文章を読めるわけですが、移動しにくく理解しにくい順番で「見」せたら、頭がクラクラしてくることでしょう。
 これも、文体か内容に超絶的な魅力が出せる場合に絶妙な計算のもとでこういう文を書ければ、感動的な「芸術」ともなり得ます。またうまく誤魔化せば「難解で高尚な文章」とみせることもできるでしょう。ただし中級以下の筆者がこれをやれば「ワケワカ」「素人クサ」になってしまう、上級者向けの難易度の高いワザです。未熟者がこれを使えば自殺行為ですので、推奨しません。もちろん僕もふくめて。(汗)
 このあたりは以前にも触れたので詳解は省略〜。

 さてもう一つ、難解な文章の書き方の究極奥義(笑)を。
 それは「矛盾」です。
 

 「空(くう)」とは、
  有るのでもなく、無いのでもなく
  有って無いのでもなく、有ることなく無いこともないのでもない
  ことである。

 わかりますでしょうか? これが正確にわかった人は、すでに大乗仏教の悟りを開いており、ということは人生に何の苦痛も感じてないはずです(爆)。当然、僕にもわかりません。(汗)

 仏教だの哲学だのに限らず、言葉で伝えにくいものはありますね。たとえば武道の技のコツ。「つまり、バッと入ってグッと来てダーっ、だ。」としか言えないものがある。これは文字だけでは伝わりません(汗笑)。正確に理解するには、実際に体験してみることが必要となります。
 絵の描き方などもそうでしょう。線の引き方や構図の取り方などには一応の基礎理論がありますが、最終的には感性(センス)の問題になってしまうはず。文章の書き方もまた同じです。料理などでもこういうものはありますね。人づきあいの呼吸なんかもおそらくそうでしょう。
 そういう、言葉で伝えにくい感覚を無理に言葉に置き換えていけば、どうしても内容に矛盾が発生します。そういう矛盾を散りばめていけば、難解な文章や誤解され易い文章をいくらでも書くことができます。仏典などはおそらくそういう文章の集大成でしょう。「大乗起信論」なんかもきっとそうに違いない。(涙)

 また、実際の感覚を知らなくても、文の中に自己矛盾を起こすような要素をどんどん入れていけば、一見高尚そうな「ムズカシイ文章」はわりと簡単に書けます。(笑)
 

 にんじんを千に切るのはさほど難しくない。それは言葉にはできないが、実に簡単なことである。
 にんじんを抑え、さくっと切るだけだ。
 賢明な読者ならこの記述だけからでも理解できるであろう。
 

 理解できるわけ無い。(笑) 主張に矛盾があって、しかも、それを理解できない責任を読者に押し付けてますね。それにより、筆者に対し尊敬心を持たせる目的の文章です、これは。
 実際にこういうのは普通に売ってる本でもしばしば見かけますから困ったもの。(溜息)

 というわけで、賢明な読者ならもうこの記述からだけでも、哲学的だったり芸術的だったりに見える難解な文章をいくらでも書くことができるであろう。(笑)
 おもいっきり難解な文章を書いて、本当は頭のいい人には「自分は頭が悪い」と勘違いさせケムに巻き、本当に頭の悪い人には「問題は理屈じゃあない」「語彙が貧弱」「詭弁」などとオリジナリティのない泣きごとを言わせて、筆者の自己満足の生けにえにしてやろうじゃないですか!
 うわははは、はははッ!! ~~~~~^Q^~~~~~ (笑死)

 (注:ちゃんと主題を伝えたい文章の場合には推奨しません(汗))
 

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