ヘイズ・コードの時代


「はじめに」にも書きましたが、当サイトでは映画についてあんまり背景知識的なことは書かない、という方針でやってきました。が、私が今まで書いてきたような勝手気ままなご紹介でも、どうしても言及を避けられない背景的話題ってのがいくつかあります。このサイトは1930年〜1970年ぐらいまでのアメリカ映画を扱うということになってますが、この時代範囲で作品の中身や作り方に影響を与えてきた事件や要素ってのはいろいろありまして、挙げてみますと、・映画製作倫理規定コードの影響、・第二次大戦の影響と戦争に協力した国策映画の存在、・赤狩り騒動とその影響、などなど思い当たります。

二つ目の第二次大戦の話は、まあ歴史的事実に関しては皆さんご存知でしょうし、国策映画か否か、ってのも作品を実際観れば一番分かるし、そもそもこのサイトはあんまり戦争映画についてはページを割いてませんし、というわけで必要に応じてコメントすれば、今のところ特別に何も1ページ割いて書く必要はないかなという感じをもってます。そして三つ目の赤狩りの件は、幸いにして茶絹麻さんユウジさんにご投稿いただいた文章があるので(ありがとうございます)これまたとりあえずOK、ですが一つ目のハリウッドを支配した倫理コードの話はさすがに、ちゃんと調べてきて何か書く必要があるだろう、と実はずっと思ってたんですよ。何でこの問題が重要かといいますと、映画製作倫理規定いわゆるヘイズ・コードがまかり通っていたのは1934年〜1968年、なのでこの「白黒名画劇場」でご紹介してる映画の時代と完全に重なっちゃうんですよ。つまり、このサイトでご紹介してる映画はほとんどすべてヘイズ・コードの影響のもとに作られていたということで、これはさすがにいいかげんな私といえどもほっとくわけにいきません。

さて、まず大雑把な年表を。

1930 主にギャング映画に対する牽制目的で、映画製作倫理規定(通称プロダクション・コード、ヘイズ・コード)が公にされる。

1934 カトリック団体などからの圧力により、さらなる厳格な運用が要求される。その結果、PCA(映画製作倫理規定管理局)が発足。

(1950年代後半 なしくずし的な運用破綻が蔓延)

1966 抜本的改訂

1968 映画製作倫理規定が廃棄され、以後レイティング・システムへ移行する。

(この後、倫理的により自由な表現が可能となったアメリカンニューシネマの時代となる)

ということらしいです。20年代末、初のトーキー作品が作られ始めますが、アメリカ各地の映画館に音響設備が設置され一挙にトーキーが氾濫したのが1930年のこと。そして、カラー映画も30年代にすでに傑作が生まれ始めるものの(「風とともに去りぬ」など)、30−40年代、トーキーのモノクロ映画が全盛を極めます。50年代でも主にシリアスな作品などではまだまだモノクロが多く、そして60年代になって円熟期のワイルダー、ヒッチコック、ワイラーらや若きキューブリック、フランケンハイマー、ルメットらがモノクロトーキーの完成形態と言っていい傑作を残して、こうしてモノクロ映画の時代は幕を閉じる、とこういう流れです。よろしければ当サイトの「年代別データリスト」を参考までにご覧ください。

ここで繰り返しますが重要なのは、まさにこの期間のすべてをヘイズ・コードは支配していたということなんです。ではその目的は?ということですが、そもそも問題になったのは、新しすぎ、過激すぎ、下劣すぎる新風俗を国内外に広めてしまう、映画の持つ強烈な影響力が危険視されたことです。現代日本ならさしずめTVのバラエティ番組なんかに対して長年問題にされてきたのと同じ話ですね。当時はTVなどないので映画の影響力は絶対的だったわけですし、さらに今も昔もハリウッド映画はアメリカ国家が世界に誇る輸出品だったわけですから、輸出映画によって世界の人々に「アメリカ人は暴力的で不道徳でスケベだ」と宣伝されるような事態は、当然避けられなければならなかったわけです。

さてその規制の動きの中心人物となったのが、倫理規定の別名「ヘイズ・コード」に名を残す共和党政治家ウィル・ヘイズ、それからPCAの別名「ブリーン・オフィス」に名を残すカトリック系ジャーナリストのジョセフ・ブリーンです。この二人は、20年代末の映画倫理の乱れに対する世論の批判に耐えかねたハリウッドが、自主的に外部から招いた人物らしいです。このブリーン・オフィスすなわちPCAという団体が、作品がヘイズ・コードに適合しているかどうかを、クランクイン前の脚本の段階からチェックし、修正要求を出し、さらに完成後の試写の段階でもう一度チェックする、という役割を担っていたそうで。

というわけで、ここでその肝心のヘイズ・コードの中身を見てみることにします。

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まず一般原則としては、「映画は人生の正しい規範を示すべきであり、観客を犯罪や不道徳なことに共感させてはならない」とあります。基本的にはこれがすべてなわけです。

それをふまえて、細かい具体的規定が続きます。この部分が「知らなかったけど言われてみればそうだなあ、意外とこういうシーンって観たことないな」みたいなのが多くて面白いんです。

例えば<違法行為>の項、「残忍な殺人を詳細に示してはならない」とか「現代における復讐を正当化してはならない」とかに加え、窃盗、強盗、金庫破り、爆破などの方法も詳細に示してはならないとあります。参考にされ真似されちゃいけないからでしょう。

スプラッタな猟奇殺人映画がクラシックでは存在しないというのは確かにそうですが、加えて犯罪の手口を詳しく示してはならないという条項があるとは知りませんでした。それにこれを厳密に守るとミステリって作れなくなる気がするんですがどうなるんでしょう。ヒッチ監督とか、結構これに悩まされたんではないでしょうか。

それから、<性>の項、まず、「結婚の制度ならびに家庭の神聖さを称揚せねばならない」とあります。これはどういうことかといいますと、まずもって、結婚前の恋人がベッドインする描写はたとえ暗示であっても子供に悪影響を与えるからまかりならん、と、そういうことを言いたいんですね。言われてみれば当時の恋愛映画は厳格にこれを守っています。

そして、詳しく描いてはならないものとして、夫婦でも過剰なキスあるいはそれ以上のこと、浮気、異人種混交(これは人権的に問題アリですね)、レイプ、出産シーン、などなどが挙げられております。喜劇の題材としてもダメ、と釘もさされてます。確かにこういったシーンはクラシック映画では全く観たことないですね。

次、<冒とく>という項がありまして、ここでは性的な俗語、ののしり言葉、差別語などが、禁止語として何十個もずらずらとリストアップしてあります。そういえばここに載ってる中国人の蔑称「Chink」っての、倫理規定施行前の作品であるグリフィスの「散りゆく花」では使いまくってたような気がします。

それから<衣装>ではヌード、脱衣シーン、過度の露出などは一切禁止。これも言われてみればそのとおりだったなあ、という感じです。

そして<宗教><国民感情>といった項では、あらゆる宗教とその聖職者、そして全ての国旗と国家、その歴史や制度を、嘲笑してはならないとあります。本音を言えばアメリカの国家と宗教だけを守ればよかったのでしょうが、しかし作品が全世界に配給されることを配慮してのものでしょう。戦後の冷戦時代には共産圏は保護の範囲外になっちゃうみたいですが。

最後に<嫌悪感を催す題材>として、以下の題材は良識の範囲内で注意して扱うこと、となっております。描写の厳密な禁止、ではないので、特に戦後の映画ではこういった題材もチラホラ見られますね。どういうのかというと、処刑の実際の場面、拷問、残虐行為、陰惨な場面、焼き印、子供や動物の虐待(これも「散りゆく花」ではやりまくってましたが)、売春(ワイルダーの「あなただけ今晩は」は全編これがテーマなわけですが)、そして外科手術、なのだそうです。最後の外科手術ってのがちょっと面白いですね。

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というわけなんですね。感想としては、ストーリーに大きく関わってくるような政治的な事柄については、意外にも詳しく書いてないんですね。戦前というのは反国家勢力の存在を恐れたりしなくてもよい、平和な時代だったということかもしれません。

さてこの倫理規定の内容の良し悪しについては、私はここでは何も書きませんが、でも、良くも悪くもあのハリウッド・クラシックスの形態を形作ったのもこの倫理規定なわけです。ルビッチ作品の優雅さやスクリューボールコメディの洒落た駆け引きなどがあのように高度に完成されたのも、こういった規定の縛りがあってこそ、だったのかもしれませんね。

そして良くも悪くもこのような厳密な規定が成文化され運用されていた、という事実を頭の隅にとどめておくことは、今後のクラシック映画観賞の際の参考になるのではないでしょうか。戦前の映画ならば、ああ、やはりこのあたりのシーンは厳しくヘイズ・コードに縛られてたんだろうなあ、とか、戦後の作品だと「おっ、このシーンはヘイズ・コードに挑戦してるんじゃないかな、がんばってるな」とか。

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参考文献:『映画 視点のポリティクス −古典的ハリウッド映画の闘い−』加藤幹郎 筑摩書房 1996

ヘイズ・コードの全文は、この書籍の「補遺」をご覧ください。また「第一章 検閲と生成」では「レディ・イヴ」の製作時にP・スタージェス監督がブリーン・オフィスからガンガン注文つけられてる過程が実証的に調査されてて、かなり面白いですよ。

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