著名人の墓標
 
 パリにはモンマルトル、ペール・ラシェーズの2大墓地があり著名人の墓も多い。肖像のレリーフやブロンズ像などですぐわかるものが多く、訪れるファンの花などが絶えない。
 日本と事情が違うのは土葬であるということ。したがって、ただの記念碑以上の重さがあり、独特の雰囲気が漂う。
 著名人の墓巡りもロケ地巡りもそのスピリットは同じ。


モンマルトル墓地に眠る人たち

モンマルトル墓地にはあちこちに表示板が立っていて、氏名索引と地図の番号から目的の墓標を探せる。

 トリュフォー監督

 1984年、52歳という若さでガンのためこの世を去った名映画監督。「アメリカの夜」の舞台になったニースのアトランティック・ホテルには、それと知らずに偶然泊まり、気付いてびっくりした想い出がある。

 

オッフェンバック

 フレンチカンカンといえば、BGMはオッフェンバック作曲の「天国と地獄」。何にでも使われ過ぎて、すっかり手垢のついた曲になってしまったが、たくさんのオペレッタを作曲している。1819-1880

 ニジンスキー

 墓標には、1989年キエフに生まれ、1950年ロンドンに死すとある。天才と呼ばれながらも栄光はわずか8年。発狂したままこの世を去った前衛舞踊家。舞台で踊る映像は全く残っていない伝説のひと。「ニジンスキー」という1980年製作の映画がビデオになっている。

   ドガ

 オルセー美術館にたくさん所蔵されている一連の「踊子」作品で有名な印象派のドガ。これはドガ個人の墓ではなく一家のもので、名前の綴りはDe Gas 危うく見逃すところだった。ドアに肖像のレリーフがある。 1834-1917

 ベルリオーズ

 「幻想交響曲」の作曲家ベルリオーズ。彼の葬式では柩を引いて来た馬が、何かにとりつかれたように墓地を走り回ったという話が伝わっている。1803-1869

 ゾラ

 墓地の正面入口に近い場所にある。冒頭の写真でも右上に見えていて、最初にご対面するのはこのゾラ。1840-1902

 ハイネ

 ドイツからフランスへ亡命した詩人ハイネの墓は、白一色。1797-1856

 小デュマ

 「三銃士」を書いた大デュマの子で、代表作は「椿姫」。モンマルトル墓地のほぼまん中に位置し、死の床に横たわるデュマの像がある。 1824-1895

 「椿姫」のモデル

 デュマがモデルにして結核で死ぬ娼婦「椿姫」を書いた女性で、本名はアルフォンシーヌ・プレシス。「プリティ・ウーマン」でリチャード・ギアがジュリア・ロバーツを連れて行ったオペラが「椿姫」だったのはそういうわけ。 この墓は探すのに時間がかかった。

行き方 地下鉄2・13番線「プラス・ドゥ・クリシー」下車。墓地の入口は墓地の南東部、陸橋の南端から階段で降りる一ケ所しかない。


ペール・ラシェーズ墓地に眠る人たち

   イブ・モンタン  /  シモーヌ・シニョレ

 1991年に70歳で亡くなったイブ・モンタンは、結局女優シモーヌ・シニョレの隣に永眠することになった。遺作映画「IP5」を見た直後だっただけに感慨深く、花と日本から持参したチラシを墓前に置いて来た。その後、認知問題をめぐって遺体からDNAを採取するというニュースでも、この墓地はクローズ・アップされた。

 エディット・ピアフ

 



「愛の讃歌」や「バラ色の人生」を作詞し歌ったシャンソン歌手、ペール・ラシェーズでおそらく一番有名な墓。花束も多い。
1915-1963


行き方 
地下鉄2・3番線「ペール・ラシェーズ」下車。
案内所で地図をもらえる。ほかにショパンやジム・モリスンの墓もある。


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