邦画に夢中!

洋画ファンに捧げる日本映画入門

We Love Japanese Films !

 


 

 ある舶来映画愛好家の懺悔録

 A Confession of a Foreign Films Lover

 夫馬 信一

 by Shinichi Fuma

 

 

投稿日 12月21日(火)00時37分 投稿者 夢珠(むっしゅ)

映画館主FさんA> Fさん、香港映画もかなり詳しいんですね。

一体苦手なジャンルってあるんですか??

 

投稿日 12月22日(水)00時21分 投稿者 映画館主・F

夢珠さん、そんなに私はどんな映画にも強いわけじゃないっすよ。

致命的な部分が弱いんです。それは・・・。

日本映画の新作にめっぽう弱いんですよ。トホホ。

 

(1999年12月21〜22日「夢珠るうむ」掲示板より)

 

 

 私の最初の映画体験はいつ頃だろう。実は、私は自分がそれと自覚して見た映画のタイトルを、今でもちゃんと憶えている。

 その名は「黄金バット」。東映の1966年作品。「黄金バット」と言っても、すごい大昔みたいに思われては困る。元々の「黄金バット」は戦前の紙芝居。そんな古いシロモノではなくて、戦後リバイバルで雑誌掲載マンガやテレビアニメと連動した、今でいうメディア・ミックスのはしりとして登場した実写劇場映画である。私の映画体験は、何とこの日本映画から始まっているのだ。

 この映画の印象なんか憶えてないだろうって? いや、かなり私は夢中になった記憶がある。うろ覚えながら、なかなかキレのいいアクションで迫力があったと思う。映画館を出たとき、やっぱりでっかいスクリーンはいいなぁと声に出して言った記憶もある。

 当時わが家は東映の株を持っていて、夏休み冬休みはいつも東映まんがまつりを見ていた(逆に東宝や大映の怪獣映画を見た記憶は、当然ながら全くない)。しかし、それらの記憶は後述する一作品を除いて全く失われている。だから、いかにこの「黄金バット」のインパクトが私にとって強かったかがわかるだろう。

 では、東映まんがまつりのアニメーション作品では印象に残ったものはないのか? いや、それが実は一本だけある。「空とぶゆうれい船」がそれだ。石森章太郎原作のSFアニメーションで、とにかくお話のスケールのでかさに圧倒された記憶がある。

 この頃の印象はあくまで子供時代のものだから、あんまり実際の出来とは関係ないもんだと思っていた。しかし先日、NHKの衛星で放映された「空とぶゆうれい船」を見たら、またまた魅了されてしまったんだなぁ。やっぱりこれ傑作だよ絶対。そして「黄金バット」はというと、再見する機会はまだないものの、この作品が何と怪奇SFの傑作としてカルト的人気の高い「吸血鬼ゴケミドロ」の佐藤肇監督の作品だったと知り、やはりあの時の興奮は間違いなかったのだと思うようになった。子供の感性ってバカにならないよね。

 こんな感じで、私の映画初体験は日本映画にあったのですが、その後の私の日本映画遍歴と言うとお寒い限りのものになってしまうのです。

 

 実際、私がその後映画を見に行くきっかけとなる要素は二つ。まず、小学校高学年から中学生の頃にかけて、テレビで洋画劇場のブームが起きたことが挙げられる。NET(現・テレビ朝日)で放映の洋画劇場の老舗・日曜洋画劇場は淀川センセの解説、NETにはもう一つ、スカした解説者・増田貴光が解説の土曜洋画劇場があった。あとはTBS放送の荻昌弘解説による月曜ロードショー、日本テレビ放送の水野晴郎解説による水曜ロードショー(後に金曜に移動)、フジテレビ放送の高島忠夫解説(唯一映画評論家以外の解説で、僕ら映画少年はみんなバカにしてた)によるゴールデン洋画劇場(後に土曜に移動)など。その間隙を縫って東京12チャンネルが火曜洋画劇場とか木曜洋画劇場とか短命に終わった洋画劇場番組を滑り込ませるなど、もう花盛りなんてもんじゃない。これだけの枠が一時期にどっと増えたのだから、見る映画も増えるし目も肥える。ゴダールの「軽蔑」もヴィスコンティの「山猫」もヴィンセント・ミネリの「パリのアメリカ人」も、フォードもホークスもヒッチコックも、みーんなこの小学生から中学生の多感な時期に見たんですよね。そこに「大脱走」やら「大空港」やら「80日間世界一周」やら玉石混合。そりゃ人生狂いますって。だけど玉石混合とは言え肝心な要素が抜けていた。そう。それらは洋画劇場だった。日本映画はお呼びでなかったんだね。

 映画を見に行くきっかけの次の要素としては、そんな映画に対する期待と下地ができあがってたところに襲ってきた、ビートルズ映画の鮮烈な衝撃があった。小学6年の秋にテレビ初放映された「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のショックったらなかったねぇ。次いで放映された「HELP! 4人はアイドル」もよかった。私もビートルズになりたくなったよ。格好良かったもん。でも、その時でも自分がイメージするのはジョンやポールでなくてリンゴだったんだから、昔から自分のポジションってのはよくわかってたんだね(笑)。リンゴなら俺でもなれるかもしれない(笑)。子供のくせに不憫。で、そんなビートルズの実像に少しでも近づきたくて、本当の声が聞ける字幕スーパーでの劇場公開が見たくなった。それが、まぁ劇場に自分で映画を見に行った初めての経験。

 日本映画と全然関係ないって? いや、話の本題はこれからだ。つまり、こうした映画鑑賞の経験が、私から日本映画を見る機会を奪っていったのだということを言いたかった。フォードからゴダール、そしてビートルズまで世界の巨匠と大スターが巨費を投じて豪華絢爛と毎週繰り広げる華麗なショーを前にして、わが日本の映画はあまりに寂しく貧しい佇まいに映ったんだよな。当時、大映が倒産、日活がロマンポルノに転換、黒澤明は自殺未遂…と、まさにドツボの日本映画界。あまりに時期も悪かった。今、1970年代の日本映画は面白かったと言われることは多いけど、それはあくまで後年になってからマニアックに面白がる中での評価だ。いわばカルト化した日本映画。でも、マニアやらカルトが横行できるってことは、意地悪く言えば一般的には真空状態に見えたと考えて間違いないんじゃないか? 少なくとも映画に目覚めた中学生の男の子には、魅力的には映らなかったんじゃないかな。

 それと、これは白状するのも恥ずかしいことなんだが、私は極端な舶来愛好主義者だったのかもしれないんだ。中学時代、クラスじゃかぐや姫とかよしだたくろう(今、漢字で書く吉田拓郎とは別人と言ってもいい)なんかがやってたフォークを生ギターでポロポロ真似する奴がワンサカ。女の子はキャー。文化祭で一生懸命に劇の脚本や演出をやってた私は、クラスの女の子がすっかり残らずフォークやってる連中の手伝いに行っちゃったのには内心ムカついてました(笑)。そんなこともあってか、あんなの音楽じゃないと心底バカにしきっていた。演歌とどこが違うんだよ。実際、当時のレコードなんか聞いてみればわかるけど、ヒュ〜とすきま風吹いてくるようなお寒いサウンド。私はもっぱらストーンズだ、ツェッペリンだ。そりゃあカッコよさが違うんだよ(もっとも、今になってそれらの寒いフォークを聞くと、あんなに忌み嫌っていたのにほとんど口づさめるのには驚く。恐ろしいことです)。

 だから、今の人には信じられないだろうけど、我々の心の中には舶来のものと比べて国産のものは劣るという固定観念が極めて強く残っているのだ。あのころは宇多田ヒカルはいなかったからね。映画だって同じだったんだよね。

 

 例えばそんな時期に見た数少ない日本映画の一本が、1973年の大ヒット作「日本沈没」だった。これ、小松左京のベストセラーになった本も読んだし、SF少年でもあった私としては絶対見るしかない作品だった。幸い割引券が手に入ると聞いて、クラスの仲間何人かと見に行った。

 実際、この作品を見た方ならおわかりと思うけど、東京の大地震のシーン、今思い出してもうなされそうな迫力だったと思わない? もちろん模型とハッキリわかるチャチなセットだよ。でも、その崩れ落ちるときの重量感みたいなものがすごいんだよ。まさに悪夢そのもの。これは正直に評価してもいいな。ビデオじゃ味わえない映画の醍醐味だ。こりゃすごいじゃないかと満足した。

 だけどねぇ、それ以外がまずいんだよ。もっともその頃は中学生だったから、島田正吾やら丹波哲朗の演技がどうのなんて、よっぽど恥ずかしいことでもしない限りどうでもよかった。そんな高級な不満じゃないよ。人工衛星から沈みゆく日本列島をとらえた映像とおぼしきショットが何カ所か挿入されるんだけど、その引き裂かれて分断される日本列島の模型の裂け目に、ポコポコとかわいくドライアイスの煙が上がってるんだよな。そりゃあないだろう? 日本列島の模型自体は人工衛星からの写真を元にリアルにつくったと豪語してたけど、そこに洋菓子についてるようなドライアイスの煙がポコポコ。もう、トホホなわけ。大体、衛星からの映像だとするなら、ビデオか何かに写せばいいのにフィルムでじか撮り。何でかなぁ。

 それと、海外に日本人が移住していったということを表現するのに、海外ロケできなかったのか外国の絵ハガキどアップにして使ってるんだよ。これやるくらいなら、こんなシーンやめちゃえばいいのに。

 結局感想としては、この映画は日本映画にしては凄かったけど、やっぱり日本映画はダサいからもう見に行くのよそうということになる。でもさぁ、ハッキリ言って普通の神経の人間ならそう思うよ。あのころの日本映画の問題点ってすぐお金のなさを言うけど、そうじゃなくて意地悪く言えばセンスのなさじゃないか?

 

 ところでこの時期、テレビで放映されて何度か見る機会があった日本映画があった。何だと思う? 「戦争と人間・完結編」。監督は共産党員の山本薩夫だから、もう全編左翼は正義の味方、貧しく無力な民衆は善人ばかり、金持ちと軍部だけがワルという小学生でもわかる単純バカ明快ステレオタイプ・ドラマ。

 ところでそんな赤旗まつりみたいな「戦争と人間」、つまんないかというとさにあらず。ドラマは北朝鮮のプロパガンダ映画並みの幼稚さだけど、中学生にはそんなことどうでもいい。お話にいろんな人々が出てきて、スケールがでっかい大作ってだけで飽きない。しかもエンディングに大変なお楽しみが隠されていたんですよ。

 旧ソ連モスフィルムの協力を得て撮影された、ノモンハン事件の場面。ホンモノの戦車が何台も地響きあげて登場するくだりには、何度見てもしびれた。かっこい〜。左翼メッセージもへったくれもない。ホンモノの戦車が出てくるんだぜ(笑)。これぞスペクタクル!

 後年、酔っぱらって地元の名画座で偶然時間つぶしに見た「野生の証明」、元・自衛隊の特殊工作員の高倉健と、自衛隊との戦いを描く終盤部分。孤立無援となった健さんが、拳銃一丁で地平線のかなたから押し寄せてくる戦車軍団に単身立ち向かうエンディングの発想の原点は、たぶんこの映画にあるな。もっとも、「野生の証明」のエンディングはまるっきりの無駄死にを意味するから、何だか納得できなかったけれど。

 

 そんなトホホ体験の極め付き、それは高校に上がってから見た「人間の証明」。こりゃひどかった。悪名高い角川映画だけど、そもそも角川映画、最初からあんな金権体質の粗大ゴミ映画というイメージじゃなかった。「犬神家の一族」で映画界に登場してきたときは、日本映画界に新風を吹き込むとそれなりに期待されてたときもあったんだよ。

 それにこの「人間の証明」、お話の三分の一ぐらいはニューヨーク・シーンで、それをちゃんと現地ロケして撮るというんで、洋画ファンとしても注目してたんだ。でも、ドラマの主要登場人物の一人であるニューヨークの刑事役に向こうのスター俳優を起用すると聞いたとき、またどうせ安いテレビ俳優でも使うんだろと思った。ところが違ったんですよ。「暴力脱獄」でオスカーを取り、「エアポート」シリーズでも知られるジョージ・ケネディーを起用すると発表したからビックリした。これはやってくれるんじゃないか? 向こうのユニオン通して完全なアメリカン・スタイルで撮影されていると聞き、期待はふくらむ一方。前売り券まで買って劇場に駆けつけたよ。

 この映画については、みんなどんな評価か知ってると思うから私は言わない。と言うか、言いたくない(笑)。ただ、ニューヨーク・シーンだけは見事に洋画のにおいがしたね。でも、それ以外のシーンとの落差は凄まじいものがあった。それに、肝心のニューヨーク・シーンにしても、カー・チェースは向こうのスタント使って交通止めまでしたのに、まるでしまらない出来に終わった。

 しばらくして角川映画は、その海外路線をさらに拡大した大作「復活の日」を発表した。これは「人間の証明」とは違って、露骨にひどく恥ずかしい部分がない作品ではあったが、かと言って何の面白みもなかった。それに南米の山をボロボロになって歩く草刈正雄のシーンは、何であんなに長いわけ?

 外部の血を導入しようと、所詮日本映画はこの程度なのか。絶望はますます深くなった。

 

 そんな私が大学に入った後の1982年、日本映画の各賞総なめ状態の「蒲田行進曲」が公開されている劇場に私はいた。もうだまされないぞ、と頑なになっている私ではあるが、とにかく松竹系のタダ券が今日までで手元にあるのだから、見るしかない。始まった映画は…。

 これはなかなかよかった。バカバカしくてね。世評の通り面白い。それに映画の世界を描いているというのが、我が心の琴線に触れた。フランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜」以来、私は映画の製作裏話に弱いのだ。結構のめり込んで見る。

 というわけで映画としては嫌いじゃないんだけど、ちょっと疑問が残ったんだよね。キンキラ・エゴイストの時代遅れスター・銀ちゃんを崇拝する大部屋俳優ヤスが、銀ちゃんを盛り立てるために新撰組映画のなかの「階段落ち」シーンに挑戦することになるくだり。死ぬかもしれないと煮詰まったヤスが、銀ちゃんからもらい受けた女優の小夏に向かって、「階段落ち」決行前夜に八つ当たりする。あのさぁ、君やるって決めたんでしょ? 小夏はやめろって止めたのに、やるって言ったのはお前だろ? 何で八つ当たりするのよ? 俺の気持ちをわかれ…とばかり、小夏相手に暴れまくるヤスを見ていて、何ともイヤ〜な気分になった。ハッキリ言うと日本の男の幼児性を見せられているようでさ。

 俺の知り合いでこの映画が好きという男がいたんだけど、そいつが一番気に入ってるシーンがこの甘ったれたシーン。男の哀愁が感じられるとか言ってたけど、私に言わせりゃ「早く階段から落ちて死ね!」の一言だよ。そいつは結婚したときも「女房操縦法」みたいなことを偉そうに言ってたけど、すぐに家庭が崩壊した。ざまみろバ〜カ。

 ところでこの映画について、先ほど「アメリカの夜」のことにチョコっと触れたけど、それはあながち的外れなことじゃなかったんだよ。監督の深作欣二はこの映画をつくるにあたって、「アメリカの夜」そしてトリュフォーをもの凄く意識していた証拠がある。

 ラスト、ヤスが階段落ちしたところで暗転。場面変わって包帯だらけのヤスが病院にいる…という設定。ここから先のことはもう書いてしまっても構わないと思うが、ハッキリ言ってちょっと前に公開されていたフランソワ・トリュフォー監督の「終電車」のラストのもろパクリだよね。それもちょっとやそっとじゃない、オマージュなんてなまやさしいもんじゃない。100パーセントのパクリ。批評家も誰もまったくそれを指摘しないのがホントに不思議だった。

 だ・か・ら、日本映画はダメなんだよ、と私はさらに意を強くした。

 

 あとは、友達からビデオを借りて見た「転校生」がよかったな。これに味をしめて、大林宣彦にちょっと凝った時期がある。「時をかける少女」もなかなか。この人の尾道シリーズが気に入ったんだね。だけど、1作1作重ねるごとに、何となく自己満足の度合いが増してくるのが気になった。この人のおしゃべりと同じ、押しつけがましくて饒舌なのがアダ。「さびしんぼう」あたりまでで、ついていけなくなった。やっぱり俺は日本映画が向いていないのかなぁ。

 

 そんな一方で黒澤明あたりから過去の日本映画は徐々に見始めていた。面白い。しかし、自国の過去の作品は見て、新作は無視ってやっぱりどこかヘンだと、何となく後ろめたい気にはなっていた。まぁ、例えば黒澤だったらコッポラやスピルバーグ、小津だったらヴェンダース、溝口だったら…みたいに、それぞれの巨匠を崇拝する海外の映画作家つながりで見ていたんだよな。だから、私が見ていたのは日本映画ではなかった。日本人が撮った日本の話ながら、私の気持ちの中ではそれはまぎれもなく洋画なのだった。これも偽善には違いない。

 

 さて、それから何年も何年も歳月が流れ、私に日本映画を見てみようなんて気持ちがカケラもなくなっていた1995年のある日、一本の映画の映画評が私の目を引いた。それは「ガメラ/大怪獣空中決戦」、いわゆる平成「ガメラ」シリーズの第1作目の映画評だった。そこには簡潔に「大人の鑑賞に耐える怪獣映画」と書いてあった。

 この言葉にはシビレた。「大人の鑑賞に耐える」…私が今まで見た日本映画は、子供向けじゃなくとも怪獣映画じゃなくとも、とうてい大人の鑑賞に耐えうると言えるものではなかった。見て恥ずかしくなるし、見たことを恥じるような作品ばかりだった。…もう一回チャンスを与えてもいいか?

 その翌日、こっそりと人目を気にするように、銀座の映画館に滑り込む私の姿があった。悪いことしている訳でもないのに。私の根城と言える新宿を避けたのも、何となく隠れごとめいていた。今度もつまらなかったら、私としてはなかったことにしたいというのがホンネだったのだ。

 まず、見て恥ずかしいか恥ずかしくないかが大事だ(笑)。でも、ハッキリ言って日本映画はまずここから入らなきゃいけない。恥ずかしくない映画とわかってから、いい悪いの話になる。邦画ファンの方、日本映画関係者の方、ごめんなさい。でも、「日本沈没」のドライアイスみたいな部分が、必ずどっかあるんだもの。「アルマゲドン」なんかのトホホとは全然レベルの違う恥ずかしさが、そこにはあるんだよ。そうねえ、正直言ってあの黒澤作品だって、「乱」以後の晩年の作品には、ちょい恥ずかしい部分があったな。「乱」がいい映画かどうかは問題ではない。ここではとりあえず恥ずかしくないという尺度で話をしている。

 何でこんなことが起きるんだろう? 例えば政治家が何で国民から見て信じられないほど恥知らずなことをやれるかというと、よく「永田町の論理」で物事を考えているから…と言われるよね。これを言うのは心苦しいが、その言い方で言えば「日本映画界の論理」で作品をつくり売っているところに問題があるのではないか。何かスタンダードや常識が、一般人のそれと大幅にズレている。そこに根本原因があるんじゃないかと思えるんだよね。

 現場でやっている方々は本当に大変なんだろうと思う。おまえみたいな奴が、暖かい部屋でぬくぬく何言ってやがるって言われるのは百も承知。でも、本気でやってる人の口からそんな言葉を聞くのは寂しい。それと、コアなファンのひいきの引き倒しも、邦画のためになってないんじゃない? 強かろうと弱かろうと熱烈な阪神ファンが甲子園に詰めかけるおかげで、いつまでたっても阪神タイガースは勝てないし、チームそのものも根っこから腐ったまま。私もファンだから、よくわかります。

 ひどいことを言っているとは思うよ。おまえにそんなこと言う資格あるかと、またまた批判殺到しそう。邦画のコアなファンって情念深そうだし(笑)。でも、洋画も含めて映画が「生活必需品」ではなくなった今日、新たな映画のあり方というものを、映画ファン全体で考えなくてはいけないところに来ていると思うんだな。もちろんすべての日本映画人や日本映画ファンが上記のような“困ったちゃん”だと言っているわけでもない。並々ならぬ力量と心を込めた、真に見るに値する映画とそのつくり手が、この国にもあふれんばかりに存在すると信じてる。この特集がその証明だし、私がこれから書くこともそれを力強く裏付けている。今回の趣旨はそこにあるんだ。

 

 で、「ガメラ」はと言うと…恥ずかしくないんですよ。それどころか、大いに感心した。キチンとつくってある。普通の人が普通に感じることがちゃんとクリアされている。これって上にも言ったとおり大事なことだ。こんな大ボラ吹きのウソっぱなしをするときには、一番要の部分なんだよ。だから、シラけるどころかズンズン前のめりで見た。興奮した。いわゆる怪獣ファン、特撮ファンとは違う楽しみだと思うよ。彼らは元々あばたもエクボだから発想の根本が違う。この作品はむしろそういうのを敬遠している人こそ見るべき映画だと思う。これ怪獣映画ですらないんじゃないか?

 この作品のどこが優れているかと言えば、演出、脚本、撮影その他…さまざまなポイントが指摘できるだろうけど、ここでは目で見てハッキリわかる一点を指摘するにとどめておこう。

 怪獣が街を破壊するシーンは怪獣映画の肝心要の部分。この映画では夜間場面はともかく、昼間の場面については屋内ステージではなく屋外で撮影した。この意味わかるだろうか? 人工照明ではなく太陽光線によって特撮シーンを撮影したのである。

 かつてドイツ映画界から大ヒット作品「Uボート」が登場してきたとき、そのものすごいサスペンス演出に目を見張らされたが、実はもう一つの点に私は注目したのだった。それは特撮シーンだ。

 正直言ってただ潜水艦のミニチュアを使っただけのもので大した特撮ではないのだが、なぜか今までとはひと味違うリアル感があった。チャチな模型が見え見えなのに、なぜ?

 その疑問は、NHKの海外ニュースでこの映画の撮影風景を見たときに氷解した。何と、Uボートの模型にモーターを取り付け実際の海で走らせて、モーターボートでそれを追いかけて撮影していたのだ。実際の海で太陽光線の下で撮影したからこそ、あのリアル感が生まれたのだ。これは制作費や技術の問題ではない。センスの問題なのである。

 特撮シーンを太陽光線下で撮影した「ガメラ」スタッフのこだわりは、戦う怪獣の姿を一貫して建物ごしや電線ごしで見せるというあたりでも徹底していた。あの阪神大震災の時、ヘリコプター・ショット以外のテレビカメラは、必ず建物ごし、電線ごしに被害の状況をとらえていた。確かに被写体は何かがじゃまになって見えにくい。だが、それがリアリティなのだ。東京都庁をぶっ壊すゴジラを全身バッチリ見せるアングルって、一体誰の視点なんだ? 「ガメラ」のカメラ・アイは、一貫して地面に立つ人間の視点を尊重している。

 そしてもう一つ特徴的なのは、あまり建物が壊れないということだ。怪獣映画ではビルの「模型」を盛大にぶっ壊すのが見どころとなる。しかし、「ガメラ」ではさほど建物を壊さないばかりか、建物が壊れると見ている我々のほうが落ち着かなくなってくる。よくできたオモチャ壊すのは楽しい、しかし自分の街が破壊されていくのはたまらないだろう? 「ガメラ」に映しだされているのは、何万分の一かの縮尺の東武ワールドスクエアなんかじゃない。我々が毎日働き遊び食べ飲み愛し合う、生活の場としての街なのだ。これは大切なことだよ。

 その通り。ようやく我々はたどり着いたみたいだね。これはことさらガタガタ言わなくても、黙って見れば映画ファンなら納得する、文句無しの娯楽作品の誕生だったのだ。

 そして約1年、私が邦画の新作の公開を心待ちにするなんて、そんな日が来るのを想像できただろうか? 「ガメラ2/レギオン襲来」の公開である。先日、実際に札幌の街を訪れて、いかにこの映画がリアルかがわかった。そしてこの映画は、「エイリアン2」も真っ青の、近来まれに見るコンバット・アクション映画だということにも、目を見張らされた。本当にすごいエンタテインメントだ。これ見てるから、私は「アルマゲドン」なんか鼻で笑ってしまうんだよ。長年洋画一筋に見てきた私が責任を持って言います。この映画は面白すぎです。洋画ファンこそ見るべきです。

 そして、さらに待つこと3年。平成「ガメラ」シリーズ三部作完結編と銘打たれた、「ガメラ3/邪神<イリス>覚醒」が公開。実はこれのエキストラとして私も参加したのだ。渋谷の破壊シーンで殺されている大群衆の中に私がいます(笑)。それにしてもこの渋谷壊滅シーンは、「日本沈没」東京大地震シーン以来久々にスクリーンに出現した悪夢だ。しかも100万倍以上にパワーアップ。映画としては前2作ほど面白くないという人もいるが、世紀末オブチ不況の末世観漂う時代の空気を確実にとらえた作品として、他のどの映画より優れていたと思うんだがいかがだろうか? 元々、カタルシスなど望むべくもない作品なのだ。

 いい映画をちゃんとマトモにつくれば、大本営発表みたいな恥ずかしい言い訳を言わなくて済むはず。映画ファンの意識を変えていくのは、むしろそれからじゃないだろうか?

 

 ある映画ファンからのお便りから、さまざまな映画で個性的なキャラクターを表現している俳優・田中要次氏とコンタクトをとることができ、インタビューすることになったのが昨年11月。しかし、困ったことが一つあった。私は邦画をほとんど見ない。だから、彼の出演作をどれも見ていないのだ。そこで、彼の最近での自信作という「鮫肌男と桃尻女」をビデオで見ることにする。近所のビデオショップで邦画のビデオ借りるのも初めてだ。しかし、なんちゅ〜恥ずかしいタイトルだ。何とかならんのか。

 しかし映画の開始早々、その独自のテンポに圧倒された。確かにクエンティン・タランティーノ作品の影響は見て取れる。でも、同じタランティーノの影響でも、低予算アクションで出てくる奴らが黒タイ黒スーツにサングラスなんて、「レザボアドッグス」のヘタクソなパクリ丸出しのみっともない作品とは全然違う。この作品を見ながら私には、タランティーノあたりから始まって全世界的に広がっている、若い世代の新しくイキのいい映画の流れの全貌が、初めてかたちとしてとらえられた。そしてただボーッとしてるような浅野忠信なんて役者が、どうして人気あるのかもよくわかった。これぞ映画だ。面白い。

 すっかり興奮した私は、インタビュー当日の田中氏に向かって、「鮫肌男と桃尻女」の素晴らしさを切々と語った。田中氏喜んでくれるかと思ったら、さにあらず。

田中「それ、ビデオで見たんですか? 劇場で見れば全然違うのに…」

 うっ…。冷水を浴びせかけられた感じ。でも、そうだよなぁ。

 私の「邦画も見る洋画ファン」への道のりは、まだまだ限りなく遠いのであった。

 

今回の文章作成にあたり、「夢珠るうむ」掲示板の内容を一部抜粋させていただきました。夢珠さん、どうもありがとうございました。

 

*ここに挙げた日本映画の英語題名は、海外在住の「DAY FOR NIGHT」協力者による情報、並びにThe Internet Movie Database(http://us.imdb.com/)からの情報を参考に表記しました。海外映画祭での題名、または公開題名とは食い違う点もあるかと思いますがご了承ください。

  

 

 "Bayside Shockdown"

 "Shark Skin Man and Peach Hip Girl"

 "Give It All"

 "One Step on a Mine, It's All Over"

 "Kikujiro"

 Sweet Ghosts in Japanese Films

 "After the Rain"

 "The GAMERA Trilogy"

 "Owl's Castle" VS "Gohatto"

 

 

 

 Cinema Toy Box

 

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