シルミド   

 まずシルミド(実尾島)の位置。2001年3月に開港した仁川国際空港は仁川沖にあるヨンジョンド(永宗島)など島と島の間の浅い海を埋め立てて作られた。ヨンジョンドの南西にあるムイド(舞衣島)の西にくっついている小さな島がシルミド。干潮の約3時間はムイドと陸続きになり、歩いて渡ることができる。映画ではこの時間を利用してイム・ウォニたちはムイドへ行った。
 座席と飛行ルート、天候の条件に恵まれれば飛行機からシルミドを見ることができる。写真左(西)がシルミド、右(東)がムイド。

 次に歴史。1968年1月、北朝鮮のゲリラ31人が朴正熙大統領の暗殺を狙って官邸の近くまで迫り、1人が逃亡、29人は射殺され、1人が逮捕された。韓国政府はこれに対する報復のため北のゲリラと同数の31人からなる北派部隊の創設を決定、訓練地を無人島シルミドに定めた。68年4月に編成されたことから、彼等は684部隊と呼ばれた。

 実は映画に描かれたような"ならず者部隊"だけではなく、もっと高度な作戦が別に計画されていたという説もあるが、その後北からの平和ムードがただよいはじめ、その流れに邪魔になる684部隊はないがしろにされ始め、ついには抹殺命令が出た。1971年8月、隊員はシルミドを出て大統領に直訴するため青瓦台をめざしたが、ソウル市内の永登浦で軍隊に包囲されて20人が死亡、4人が捕われ死刑になった。(7人はそれまでに死亡)

  この後現実の歴史では、南北赤十字会談の陰で南侵トンネルが何本も掘られ、ラングーンではチョン・ドファン大統領が爆殺されかかり(大統領暗殺計画はまだ続いていた)、大韓航空機爆破事件と続く。
 平和の幻想、希望的観測に踊らされて実体を見抜けず、結果684部隊を死に追いやった政治家の責任は・・・・?
もっとも、「平和の気運が盛り上がった時ほど危険」という半島の常識が生まれたのはこの後ではある。

映画製作会社による シルミド・セットの配置図


韓国版プレスシートから シルミド・セットの全景



 以下「シルミド」セットの写真はソル・ギョング・ファンサイトのべってぃさんが映画撮影中の03年6月、現地を訪問、撮影されたものです。このセットは撮影後完全に撤去されたため大変貴重な記録になりました。
 詳細は「旅行記」http://www.h3.dion.ne.jp/~sol-sama/2003_6seoul1.htm をご覧ください。
アン・ソンギ?、イム・ウォニ、天使のようなアジョシも登場。

セットと言ってもここは35年前、684部隊の31人が実際に訓練を受けた場所でもある。


「ウリエシンジョ」 〈我々の信条〉の意か?

この2枚をつなぐとパノラマに。2本のパイプのようなものは撮影機材。

中央の幕はアン・ソンギが立って訓示した場所

通信室。左の赤い看板は「接近禁止」入口には「通信保安」

ムイドから見たシルミド。まだこの時間は陸続きになっている。


出演者が宿泊して現場に通ったペンション


仁川・ホンイェムン(虹霓門)

 結婚披露宴でヤクザを刺したカン・インチャン(ソル・ギョング)が逃げる場面で使われているトンネル。併合前に日本が堅い岩盤を3年がかりで掘って作った。
ドラマ「オールイン」で逮捕されたインハが護送車で運ばれて行くシーンもここ。
どちらもトンネルの南側を使っている。

行き方 地下鉄1号線のインチョン(仁川)またはトンインチョン(東仁川)から歩いて15分。名所なので、その場所はどのガイドブックにも書いてある。


684部隊が自決した場所

 684部隊はシルミドを抜け出し、バスを乗っ取って青瓦台をめざしたが、緊急配備された軍隊に包囲される。最期の場所は実際にはソウル市内のヨンドンポ(永登浦)だが、現在のヨンドンポは30年間の変ぼうが激しく、とても撮影には使えない。

 30年前のソウルの風景を求めたロケハンの結果、撮影地に選ばれたのが全羅北道、扶安。この扶安という場所もべってぃさんからの情報。
 このような交通を遮断して爆発シーンまである撮影は警察、消防への届け出と許可が必要。そこで、まず向かったのが扶安警察署。聞くと「ケファ・パチュルソへ行け」と言っている感じ、タクシーでケファ(界火)派出所へ行くと、派出所の警官に聞くまでもなく、まさにそこが撮影現場だった。


歩道橋 

 軍隊に行く手を阻まれ、停車したバスから見えた歩道橋。「慶祝 南北赤十字1次本会談開催」という684部隊抹殺命令の原因になった動きを祝う横断幕が撮影当時のまま、かかっている。橋の上には狙撃兵の姿もあった。


東部劇場

 映画館「東部劇場」として使われたのが交差点にあるケファ面事務所。時代を感じさせる手書きの看板がかかっていて、上映作品も「ベトナム帰りの金上士」韓国がベトナム戦争に参戦していた時代背景を表している。
 映画には「彼等をいっそベトナムへ派遣してください」とアン・ソンギ教育隊長が嘆願する場面も。

 撮影地を見に来る人のためか、看板などは撮影当時のまま残されており、この建物の中でケファ面の事務が行なわれている。ガラス窓も数枚割れていてこれもそのまま?


 新聞記事や資料でホ・ジュノが演じている役名がチョ中佐となっているものがあるが、これは「中士=チュンサ」の間違い。中佐ならアン・ソンギのチェ准尉より階級が上になってしまう。「JSA」のオ・ギョンピル(ソン・ガンホ)も中士。

 急を聞いて現場にジープで駆け付けるホ・ジュノが落とす紙袋入りのキャンディの描写はすばらしい。


農協

 東部劇場の真向かいにあり、映画では外壁に「YUHAN CORPORATION」と英文の社名を書いたビルになっていて、屋上には銃を構えた兵士もいた。農協の建物の上にさらに映画用のセットをかぶせて撮影したらしい。


歩道橋の東側

 歩道橋の裏側(扶安から来る方向)には、「韓国映画に新しい足跡・・・」と、ここで映画が撮影されたことを誇る横断幕が張られていた。

歩道橋に上がってはいけないらしい。

行き方 地下鉄3号線「高速ターミナル」からプアン(扶安)行きバスで245km、約3時間。プアンのバスターミナルからタクシーでケファ派出所へ約10分。派出所のある交差点に郵便局、ケファ面事務所、農協があり、歩道橋はその少し東。帰りはタクシーがほとんど通らないので、歩道橋の近くにある「チャンブク(昌北)1マウル」というバス停からプアン方面へのバスを利用する。1時間に2本程度あって、それに乗ればプアンのバスターミナルへ約15分で着く。

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