
4エントリ「リュナンシー」「ゆらぎ」「脱社会的」「少子化」
少子化と未婚問題について −恋愛から遠く離れて−
ええ、人生には当たり外れがございます。そして人生とは、その外れクジを
引いてしまった人間が、そのことを結果としてひっくり返してしまう為にあるのです。
(橋本治「青空人生相談所」)
朝日新聞で少子化についての分析特集をしているのですが、
これがなかなか優れた見るべきもののある記事で…、アサヒコム
に掲載するのを待っていたんですが…載らないみたいですね…。
なんで朝日は私が良いなと思う記事は悉くネットに載せな(ry
朝日がアサヒコムに載せないようなので、私がご紹介させて頂きます。
「人口減で明日は」
今、少子化の要因として注目されているのが未婚化だ。1950年での
生涯未婚率は男女ともに1%程度。ほぼ全員が結婚していた。それが、
00年になると、生涯未婚率は男性が13%、女性が6%に上がる。
かつて「結婚適齢期」と言われた20代後半を見ると、結婚していない
人の割合は、50年が男性34%、女性15%だった。00年は、男性の69%、
女性の54%が未婚だ。30代前半の未婚者の割合は、男性が8%から
43%に、女性は6%が27%に増えている。特に80年頃からの増え方が著しい。
では結婚を望まない人は増えているのだろうか。国立社会保障・人口問題
研究所の02年調査によると、18歳〜34歳の結婚していない人のうち、
「一生結婚するつもりはない」と答えたのは5%だ。また男女共に
9割近くが「いずれ結婚するつもり」と答えている。………
ただ、結婚をする意志があっても未婚のまま過ごす人は確実に増えている。
02年の調査では30代前半の女性の85%、30代後半の女性の77%が
「いずれ結婚するつもり」と答えている。
しかし、同研究所が02年に行った推定では、30歳時点で未婚だった
女性のうち、将来結婚するのは5割程度とされている。35歳の未婚女性
の場合、7割が未婚のまま過ごすとみられている。
ではなぜ、結婚する人が減っているのだろうか。同研究所の岩澤美帆さんが
注目するのは、結婚のきっかけだ。70年代に最も多かったお見合い結婚は
大幅に減り、次に多かった職場結婚も半減している。岩澤さんは「出会いの
多数を占めていたお見合いや職場結婚が減ったことが未婚化の大きな原因
である」と指摘する。かつて会社は、職場結婚で女性が「寿退社」し、
新たに女性が入社することで出会いの場として機能した。上司は
縁結び役を買って出たし、社員旅行などの社内の交流も盛んだった。
(社会構造の変化で)結婚後も働く女性が増え、結果的に職場結婚は減った。
見合いや「職縁」が廃れた分を埋める新しい出会いの場はない。………
未婚化の背景には雇用の悪化もある、との指摘もある。フリーターは04年で
213万人とされる。91%の女性が結婚相手に求める条件として、「経済力」を
挙げていて(02年度調査)、低収入は結婚の大きな障害だ。
慶応大学の樋口義雄教授(労働経済学)らの研究では、フリーターの未婚男性
のうち5年後までに結婚した割合は、正社員の半分程度だった。
00年に誕生した第一子のうち、26%が「できちゃった結婚」で生まれた。
10代後半では8割だ。結婚を出産の前提と考える人が多いことを示している
と言え、未婚化は少子化と直結している。事実婚にも結婚と同じ権利を認め、
婚外子差別をなくせば、子供は増えるとの見方もある。
ただ、そもそも交際相手がいない人は、未婚男性の5割、未婚女性の4割を
占めている。こうした現状を受け、出会いの場作りの支援をする動きも出ている。
奈良県は民間のお見合いイベントの案内を、登録した未婚者5000人に送っている。
毎回参加希望が多く抽選だ。結婚した数は不明だが、昨年7月以降、約500組の
カップルが誕生したという。大分県も同様の取り組みを始める。経済産業省は、
結婚情報サービスの質を高めようと認証制度の導入を検討している。
(朝日新聞06/05/28 「人口減で明日は」)
いやあ、これは良い記事ですね。朝日の記事はイデオロギー的に偏向している
ケースがままあって、読んでいてちょっとなと思うことが多いですが、この記事
に関しては、とても誠実に、客観性を意識して少子化問題を分析していて、
そこから未婚問題について、丁寧な分析を行っていて、感心した。朝日新聞GJ!!
問題を最初から結論のあるイデオロギー的に捉えては、解決するものも
解決しなくなる訳で、きちんとなるべく客観性・公平性を意識して丁寧に
分析してゆくことが、大切でしょうね。また、少子化の解決策の一つは、
「お見合い結婚」というのはまさにその通りだと思いますよ。無理して
恋愛結婚する必要は全くないでしょう。お見合いして、結婚して、
そして一緒に暮らしているうちに、相手に対して、じわじわと思慕の情、
愛する想いが湧き上がってくるということもある訳ですし、恋愛結婚が
世界の全てであるかのような今の日本の風潮は、息苦しいと思います。
本田透さんが指摘しているように、恋愛イデオロギー(恋愛資本主義)が、
奥手な男性、奥手な女性、遊んでる男性、遊んでる女性、みんなの身心を縛っている。
そういった拘束を解き、恋愛もお見合いも、もっと自由に出来るようになるといいな、
そうしたら、少子化問題も改善の方向に少しずつ進んでゆくかなと思います。
最後に橋本治「青空人生相談所」から、恋愛についてのお悩みをご紹介――。
24歳の会社員です。恥ずかしいことにまだ童貞です。女の子とつきあったことは
あることにはあるのですが、長続きしません。相手に飽きられてしまうという
パターンがほとんどです。自分でも、真面目なだけの面白みのない男だと思います。
こういう性格を(恋愛上手になる為に)なんとか変えることはできないでしょうか?
「橋本治の回答」
結婚なさることが一番です。親、親戚、会社の上役、なんでもいいですから、
ともかく「結婚したいから見合いの話を探して欲しい」とおっしゃいなさい。
まだ24歳だから大丈夫です。30歳を超えたら多分もっと暗くなってゆくだけです。
あなたには、自由恋愛は向きません。結婚生活のなかで恋愛を育ててゆくのが、
一番あなたに向いているんです。ヘタに恋愛の真似事をして、「ダメだなぁ……」
と暗く自己嫌悪に陥るより、(お見合いで結婚した奥さんと)「二人で自分達の
生活を建設してゆこうよ」という真面目さがあなたには合っているのです。
冗談やイヤミで言ってるんじゃありません。本当にそういうことが向いている人
がいるんです。「そんな時代遅れなこと……」なんて恥ずかしがる必要はありません。
似合わないくせに、人の真似をして恋愛ごっこをしているあなたの方が、
真実、時代遅れです。あなたが女に捨てられるのはその為です。
真面目におなりなさい。その方がずっとあなたは魅力的です。
そういう自分と波長の合う――多分、見合いでしか結婚に
ゴールイン出来ないような、地味な女の人があなたを幸福にしてくれます。
ホントです。(お見合いで)結婚して、その後で、二人で協力して、
「楽しいことってなんだろ?」っていう探し方をする方法だってあるのです。
一人で何か(自由恋愛)をやろうとすると、暗くなるだけの人もいます。
そういう人は、(最初から)二人で何かをやって行くというパターンが
実は相応しいのです。結婚して、自分の身近に他人がいれば、あなたの性格
だっていい方に変わりますよ。そういうことはあなたの奥さんが教えてくれます。
よいご結婚を――。
(橋本治「青空人生相談所」)
参考図書(amazon)
橋本治「青空人生相談所」
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脱社会的尊厳 −「公正としての正義の崩壊」を超えて−
オーウェル「気の向くままに」(amazon)
知性というのは、私の意見(欲望)と合うかどうかではない。
本当に重要なことであれば、きちんと重点をおいて、例え
退屈なテーマでも真面目に取り上げ、しかるべき少なくとも
筋が通る、意味明瞭な施策を主張するかどうかだ。
(オーウェル「気の向くままに」)
中里一日記さんで、オーウェルの言葉の引用で、とても大切な
ことを書いていると思いますね…。ご紹介。
中里一日記さん「暴力について」
http://kaoriha.org/nikki/archives/000300.html
私は人々の頭上に爆弾を落とすことよりも、彼らを「フン族」呼ばわり
することの方がより大きな害をもたらすように思う。もし避けることが
できるならば、誰だって人を殺傷したくないことは明らかだが、
単に人を殺すことだけが最大の重大事だとは私には感じられない。
われわれはみんな百年以上は生きないのだし、また、たいていは
「自然死」と呼ばれる、みじめでぞっとする形で死ぬ。
最も悪いことは、平和な生活を不可能にするような行動をとることである。
戦争が文明の骨組みを破壊するのは、それがもたらす物理的破壊
によってではなく(戦争の結果は、最終的には世界全体の生産能力を
増大することにさえなるかもしれない)、また人間の殺戮によってでさえもなく、
憎しみと不誠実をはびこらせることになるからである。
あなたの敵に銃弾を撃ち込むことによってあなたは
敵にもっともひどい害を加えるのではない。
そうではなく、敵を憎み、その敵についての嘘を作り出し、
その嘘を信じるように子供たちを育てることによって、
もっともひどい害を加えるのだ。
それにまた、再度の戦争を避けがたくするような
不当な講和条件をやかましく要求することによって、
いずれ滅び去る一世代の人間に対してだけではなく、
人類そのものに打撃を与えているのである。
(オーウェル「気の向くままに」)
これは、今の世界の状況、すなわち情報がグローバル化した社会、
高度情報社会において、最も重大な意味合いを持つことと思います。
オーウェルは、ラジオによって人々に大量に情報を発信し、
人々の感情を煽り立てることが、支配において最も実効的な
力を持つのを、ナチスドイツのマスメディア戦略から実態として
掴み取った。彼はBBCのラジオメディア担当だったのですから…。
マスメディアの情報発信というのはグルグル回るんですよ。
メディアからの情報で熱狂し感情を煽り立てられた人々が、
さらに情欲的な過激なショーをラジオ放送側に要求し、
ラジオ放送側は人々のその欲望に従って、さらに過激な
放送を行って人々を更に狂熱的に熱狂させてゆく…。
こうなると、「何が正しく、何が誤っているか」という
自らの感情的欲望とは離れた、事実関係に基づいた考察は
一切失われ、感情的ムードが全てを支配してゆくことになる…。
オーウェルの時代はラジオがそれをこなしていた訳ですが、
メディアの情報発信はラジオからテレビへと移り変わり、情報は
視覚的なインパクトをあたえることでより強く情感的なものとなる。
ブラントリンガーの「パンとサーカス」はそのことが何を齎すかを
書いた本で、簡単に云えば、先に書いたような情欲のスパイラルとともに、
人気のスパイラルが起きて、全てはマジョリティの感情的欲望のままになり、
マイノリティは圧殺されてゆくということですね…。人気のスパイラル、
つまり、強いもの、人気を集めるものはマジョリティのスターとして、
圧倒的な力を持ち、その力によって更に情報を発信し、更に力を持ち、
その力によって更に情報を発信し…このスパイラルによって、絶大な権力を
持つことができる。マジョリティの欲望が、そのまま力として発動する。
「大槻心理科學總合研究所」2006/05/11(Thu)
http://park12.wakwak.com/~x-x/
現状の死にかけた業界(エロだから決して死なないけど、内容は需要に
迎合しすぎて=じゃないと買わないのが大多数になりすぎたので
アダルトビデオ化する=誰が作っても問題じゃない。女優=絵の代謝だけ)
この大槻涼樹さんの言葉は、エロゲ業界だけでなく、今の世界における標準化現象と
して意味を持っているでしょうね。創造性(多様性への意志)が需要の前に敗れる…。
希少なものの価値、弱いものの価値、マイノリティの価値といったものは、
マジョリティの欲望がスパイラル化によって増大するとともに衰退してゆく。
今では社会は安定している。人々は幸福だ。
欲しいものは手に入るし、手に入らないものはみんな欲しがらない。
(ハックスリー「すばらしい新世界」)
マイノリティは、ちゃんと世界にいるのだけれど、人々からいないものとされる。
マジョリティの欲望に根ざさなければ、力を得ることはできず、そして
メディアはメディア側の人間がマジョリティの欲望を掴んで力を得る為の
スパイラルのシステムとして使われるがゆえに、マイノリティの存在や価値を
消去してゆく方向へ向かう。そして世界は完全に一元化し、多様性のない、
同じ顔をした人々が同じように陶酔する社会となって、すばらしいプリっち。
そして、今の時代。ネットが情報発信の力を持ち、メディアの玉座を奪った時代。
私は、各人が情報を発信できるインターネットは、マスメディアによって
縮小された多様性が再び世界に取り戻される好機なのではないかと、思っていた
のだけれど…、確かにネットは様々な価値の情報発信を可能としたけれど、
それでも、やはり、マジョリティの欲望とそれに応える形でのスパイラルが
圧倒的で…、テレビと全く同じように、人気者(スター)は、マジョリティ
の欲望を満たせなくなって捨てられるまでマジョリティの代理執行人として力を振るい、
マイノリティとマイノリティ的価値はそれに対して、何ら力を持つことができない。
ブラントリンガー「パンとサーカス」は、状況が、マジョリティの勝利
(=スターに欲望を委ねる人々の勝利)へと向かっており、希少なものは
全て崩壊してゆく、絶望的な時代状況であることを認めながらも、それでも、
マイノリティ(=スターに欲望を委ねない人々)は自分で考えて生きる
という主体性を捨てずに、誇りを持って、頑張って生きようと叫んでいて、
もう、なんというか絶望的なんですが、なんだか、現代のネット時代も、
テレビ時代と全く変わらず、絶望的で、ああ…。
本当に、現代の状況はグノーシス的というかなんというか、人々の欲望に自らの魂
を売ってスターになって(スターと欲望的に同一化して)欲望を叶える権力を得るか、
自らの魂の尊厳を守ってマイノリティとして、自らの尊厳のみに拠って生きていくか、
この二つの道ぐらいしか開かれていなくて…。私は、後者の道を選ぶよ…、
それは茨の道だけど、覚悟するしかない、その覚悟の努力だけが、魂の尊厳となる。
私達の精神生活は私達自身の努力によって獲得されなければならない。
(ルドルフ・シュタイナー)
「我々は物事を愉快にやるのが好きなんだよ」
「ところが、私は愉快なのが嫌いなんです。
私は神を求めます。詩を、真実の危険を、自由を、善良さを求めます。
私は罪を欲するのです」
「それじゃまったく、君は不幸になる権利を要求している訳だ」
「それならそれで結構ですよ」
サヴェジは昂然として答えた。
「私は不幸になる権利を求めているんです」
「それじゃ、いうまでもなく、年をとって醜くよぼよぼになる権利、
梅毒や癌になる権利、食べ物が足りなくなる権利、
明日は何が起こるかも知れぬ絶えざる不安に生きる権利、
チフスにかかる権利、あらゆる種類の言い様のない苦悩に
苛まされる権利もだな」
永い沈黙が続いた。
「私はそれらの権利の全てを要求します」
ついに、サヴェジは答えた。
総統は肩をそびやかした。
「じゃ、勝手にするさ」と彼は言った。
(ハックスリー「すばらしい新世界」)
知らなかったよ。天国って、地獄の底にあるんだね。
(ちはや。「鎖」)
参考リンク
ゲーム評「鎖」−善悪の彼岸−
参考作品(amazon)
オーウェル「気の向くままに」
オーウェル「戦争とラジオ」
ハックスリー「すばらしい新世界」
マルクーゼ「一元的人間」
フランシス・フクヤマ「人間の終わり」
ロールズ「公正としての正義」
ぱじゃまソフト「プリンセスうぃっちぃずEXCELLENT」
Leaf「鎖」
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オーバージェンダー −ゆらぎを求める欲望−
おお、美よ、巨大な、恐ろしい、清浄無垢な怪物よ。
若しも、お前の眼や、微笑や、お前の足が、今は好むが、
今までは嘗て認識しなかった無限の門を開くなら。
(ボードレール「美の賛歌」)
「変身物語」さん
「エビちゃんや『働きマン』にフェミニズムという言葉が
でてこないからといって、それは彼女たちがフェミニズムと
問題意識を共有しないことを意味しない。」
http://d.hatena.ne.jp/rossmann/20060522/1148287358
上記エントリ、完全に同意。思想書とか読むことなくて、フェミニズム
のフェの字も知らなくても、基本的にフェミニンな、そして人間的に
倫理的で尊敬できる人は性別問わず、大勢いますよ。そのことをを上手に
言語化してくれて、感謝。化粧にしても、そう。男性だって化粧する
んですよ。化粧は決して女性だけの文化、しかも内田氏が云うような
男性への媚びだけといった矮小な文化ではなく、もっと豊穣な、
人間の抱く欲望(変身願望、己の美への欲求、コミュニケーション欲)
に根ざした、大きくて強い美(エロス)へ向かう文化です。
「外見と美の研究」
http://www.kepco.co.jp/insight/content/break/break_murasawa05.html
化粧の歴史を振り返ってみても、髪型を含め、外見をつくることと
その人の社会性とは支配層ほど切り離せないはずであったが、
タテマエとしては外見について表立って口にすることははしたないと
されてきた。化粧は不要なもの、無駄なものという考えが
まかり通っていたので、第二次世界大戦中でも、日本では化粧は
ぜいたくとされ、化粧品製造は禁止された。
私は、綺麗な男性が化粧して更に綺麗になっているのを見るのが
とても好きだし、綺麗な男性が化粧して女装している姿には、
性別という枠を超脱する美しさがある。丁寧に化粧をしてゆく
ことにはなんとも深い、姿を変えて新しい存在になる楽しさがある。
私はそういった、「枠を越えた欲望と美しさ」が大好きです。
人間には色んな枠(性別の枠、社会から与えられる枠、様々な枠)を
超えて出て行こうとするエロス的な欲望があって、内田氏のいうような
一方的な枠組では決して捉えられない。フェミニンな欲望も、そういった
枠を超えて、自分らしく生きられるようにする欲望の力であって、内田氏が
専門にやっているフランス現代思想はずっとそういった枠を超える力が
枠から自由になれるように助力していたのに、内田氏は全く逆のことをしている。
例えば私はバイセクシャルなマゾヒストですけど、バイセクシャルなのは、
同性愛者の権利が認められてきたおかげでかなり助かっているんですが、
マゾヒズムの方で凄く困ることがある、それはSMプレイにおける傷も社会の
法における傷害の罪にあたることですよ。合意の上でも、ダメなんです…。
第二百四条「傷害」
人の身体を傷害した者は、十年以下の懲役又は
三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
特に海外だと、SMに対する目が厳しくて、合意の上でSMプレイを
楽しんでいたら、警察に踏み込まれてしょっ引かれて、Mの人が、
「俺はSの人に頼んで、楽しんで鞭打たれていたんだ!Sの人は何も
悪いことしていない!」って叫んでも、Sの人が逮捕されたりする…。
(ドイツの)法律はサド・マゾ行為によって(合意の上で)身体に受けた傷と、
犯罪に巻き込まれて(合意なしに)身体に受けた傷との区別を認めない。………
(ドイツと法律が同じようになってる)イギリスでは、最近、五人のゲイ・ボーイ
が、プライベートな寝室内で、サド・マゾ的行為をしたとして告訴されて
有罪になり、数年間の禁固刑の判決を受けた。
(ジョン・K・ノイズ「マゾヒズムの発明」)
………ムチャクチャですよ。本当にムチャクチャ。我々は我々の最後の砦
である肉体すら、国家によって支配されている。フーコーが述べた「生権力」
「生権力 bio-pouvoir」
http://ised.glocom.jp/keyword/環境管理型権力
フーコーの権力概念に、「生権力(せいけんりょく)」と呼ばれるものがある。
これは近代権力が人民の「死」ではなく、「生」に直接介入するようになったことを
指し示す概念である。すなわち「生命に対して積極的に働きかける権力、
生命を経営・管理し、増大させ、増殖させ、生命に対して厳密な管理統制と
全体的な調整とを及ぼそうと企てる権力」ということだ。
なんで、こんな支配を受けなくちゃいけないのか。私はこういった枠が人間を
強制的に支配することを否定するし、そういった枠の支配を否定して、人間に
自由と多様性を齎す試みの一つとしてあるフェミニズムを支持している。
逆に、人間の自由と多様性を奪うような、例えば、内田氏が述べるような
「化粧は男性への媚!」みたいな、一方的な押し付けのフェミニズムには反対です。
現代日本でそんなことを云っているフェミニストは、寡聞にして私は知りませんけど…。
ニーチェが(普遍性として扱われる)道徳性の用いられ方を激しく批判して以来、
一世紀のあいだ、普遍的道徳という虚構は、社会には(個人の自由に基づく)多様性
が不可欠であるという認識とますます衝突するようになっている。近代性において
法が理解する主観性とは単一の均質な立場ではない。むしろ多種多様で互いに
矛盾する立場を統合しようとする試み(の失敗)なのである。
(ジョン・K・ノイズ「マゾヒズムの発明」)
私は、人間は己の欲望を大切にし、もっと自由であるべきだと思っている。
例えば「化粧は男性への媚であるから化粧するな!」みたいな言説こそ、
男性が女性を支配する為の内面支配として上野千鶴子さんとか否定していますよ。
つまり「女性は媚を売らないもの」という内面規範を押し付けることで、「媚」
によって男性に対して主導権を握る可能性を奪い「女性の内面は存在しない=客体」
という神話のなかに女性を押し込める為に、そういった言説が機能していると。
そして、現代日本というのは、女性がそういった「客体化の神話」を乗り越えて
女性自身として、主体的に化粧や性にアプローチしている時代であると。
私はこの考察は正しいと考えますね。
近代は逆転した性の内面支配を打ち立てました。女性の性欲の存在自体を認めよう
としないのです。(現代では女性が自分のエロス、性欲を認めることによって)
性に関しては女は完全に発展途上国ですから、やっと今ごろケダモノ君になれた。
男がケダモノ君から降りようとして(フェテッシュな世界へ)限りなく退行を
始めているとき、女がやっとケダモノ君に目覚めて目の色を変え始めているのは、
単なる歴史的時差なのか、それとも男女の生理的、本質的な違いなのか、それは
よく分かりません。………(現代の)女の子の世界を見てみると、かつては男に
とって性的に望ましい対象であるということではじめて女の肉体の値打ちが決まった
ものですけど、いま女の子たちは、自分の肉体の値打ちを決めるのに、男の子の
視線の媒介を必要としなくなってきています。
(上野千鶴子「スカートの下の劇場」)
私はこういった動きは不可逆な時代の流れだと思うし、もはやフェミニズムという
概念を超えて、女性の力が増大し、男性の力が減少して行く、それは不可避な事象
として、男女両方の外面的・内面的な大きな流れの動きとして、動いていると思う。
その現代の女性達を内田氏のように今更古い時代の枠を持ってきて論じることには、
私には何の意味も感じられないよ。単なる無意味なアナクロニズムにしか思えない。
伏見憲明
「受身=女っていうのは、古いヘテロセクシュアルの物語だよね」
(伏見憲明「変態入門」)
私は、自分の欲望を大切にしたいし、個人の自由、個人の尊厳が、枠よりも
尊重される世界であって欲しいと願っている。そういった世界の方が、
枠の支配する世界より、ずっとみんなが、それぞれ多様な幸せを求められる、
より良き世界だと、私は信じているよ。
嶋田啓子
「男になりたい」「女っぽいことしたい」って、すごく移り変わるんですね」………
伏見憲明
「蔦森さんはジェンダー二元制、男/女で何でも二分割していくことに窮屈さを
感じるって書いてるけど(男女両方を楽しんでいる)あなたの場合、いま、
窮屈さというのは感じるの?それともトランスしちゃって、男女のスイッチを
入れ替えれば自由ってところで楽しめちゃう感じ?」
嶋田啓子
「うん、けっこう楽しめちゃう」
伏見憲明
「あなた自身のセルフイメージは、男でもあり、女でもありという選択だけど、
その中間はないの?」
嶋田啓子
「中間もあるの」
伏見憲明
「まあー、なんでもアリね(笑)」
嶋田啓子
「だから男と女が二つあったとしたら、時間によって変化してゆく。
「今日はなんか男っぽいなあ」「今週はちょっと男っぽいかな」と思ったら、
次の週になったら「あれー?女がでちゃった」というような。女の子の
友達はよく「『男性』や『女性』じゃなく、あなたはあなたの『性』
なんだよ」って言ってくれます」………
嶋田啓子
「私はトランスジェンダーとかトランスヴェスタイトとか言う言葉じゃなくて、
自分で言葉を勝手に作っちゃったんです。オーバージェンダーって」
伏見憲明
「それいいね。誰もが勝手に自分に合った名付けを作っちゃえばいいんだよね。
それぞれ、みんな違うんだから」
嶋田啓子
「人に自分の『性』を聞かれてなんて答えていいのかわからないなら、
そうした方が、いいでしょ(笑)」
(伏見憲明「変態入門」)
私の感覚は、嶋田啓子さんに物凄くシンパシーを覚える。私も、男女の枠はいつも
ゆらいでいるし、それが凄く楽しい、ゆらぎじたいが、私にとって、自由で陶酔的で、
何物にも掛け替えなき、私の欲望、私の歓び、私の私自身であることなんですね――。
お勧めリンク
「たゆみ。」(魂のゆらぎを上手に描いたフリーゲーム。お勧め!)
参考図書(amazon)
ジョン・K・ノイズ「マゾヒズムの発明」
伏見憲明「変態入門」
上野千鶴子「スカートの下の劇場」
中山元「フーコー入門」
ボードレール「悪の華」(美の賛歌)
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ジャン・リュック・ナンシーへのインタビュー −ネットという異郷−
人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう。
(フーコー「言葉と物」)
06/5/22の朝日新聞夕刊に、哲学者ジャン・リュック・ナンシーへの
インタビューが載っておりまして、深く感銘を受けましたのでご紹介。
(余談ですが、こういう良い感じの特集に限ってアサヒコムは載せませんね…)
(グローバル化が進展すればするほど、人々の間に不安感や喪失感が
広がっている)その理由は、グローバル化の時代には精神的な異郷化が
避けられないからです。………グローバル化の中で、多くの場所で、
古くからの土地と人間の結びつきが失われた。それが目に見えない
不安に繋がっている。………異郷化が意識されるのは、いつも時代の
転換期だった。………古い世界が衰退に向かっている兆候は、大きな
言葉が力を失っていることにも現れている。進歩や正義などの言葉が、
なぜ衰弱したのか、我々は真剣に考えなければならない。………
大切なのは、異郷化を恐れないことだ。あれもこれも失われたと嘆いて
昔を美化する人々は、その時代の人間(過去の人間)が平気で残酷な
ことをし、暮らしが貧しくつらいものだったことを忘れている。………
(ネットのような新しい技術とそこから生まれる人間関係への否定的な
意見に反論して)現代人は、それほど孤立している訳ではない。………
インターネットによる人間関係は、乾いていて冷たいと言われるが、
そこから新しい人間の姿が生まれるのかもしれない。………
哲学とは、問いをすることで、答えを与えることではない。偉大な出来事は
ハトの歩みで近づくといわれるが、文明の大きな転換には2、3世紀は
かかるものだ。その時に人間はいまとは別の姿をしているかもしれない。
人間はいつも自分のことを人間だと思ってきた訳ではない。
人間が不変だというのは思い込みにすぎない。
(ジャン・リュック・ナンシー。06/5/22朝日新聞夕刊より)
………。凄すぎる…。己のなかの偏見や欲望に囚われない、こんなに
透徹な真っ直ぐな眼差しで世界を見られること、心から感服したよ…。
あれもこれも失われたと嘆いて昔を美化する人々は、その時代の人間
が平気で残酷なことをし、暮らしが貧しくつらいものだったことを忘れている。
これなんか、色々と、己も考えなければいけないなあと思うこと、しきり…。
グローバル化による故郷喪失の悲しみと不安が、過去への帰属意識への
欲望を強くして、結果、己の眼差しが欲望で曇ってしまうということを、
ジャン・リュック・ナンシーは述べていて…、私自身に沢山当て嵌まるよ…。
確かに故郷は失われてゆく、グローバル化は、全ての境界を曖昧にして、
あらゆる故郷、様々な人々の様々な故郷を経済と情報の力で溶かしてゆく、
だけれど、それを恐れて過去へ逃げて行くのではなく、今ある己の境遇と
対峙せよ、今ある結びつき、グローバル化によるインターネットの
発達などから生まれる、今までになかった新しい結びつきが、新しい
人間関係、新しい世界を構築してゆく、ほんとに、その通りだと思いますよ…。
私は、過去への郷愁が強い人間ですし、過去を愛しているし、どうしても羨むことは
あるけれど、逆に、私がインターネットで得た尊敬できる人達や友人達は、
昔だったら決して手に入れることのできなかった、今だからこその結びつき。
そういった”今”を考えるとき、過去を賛美したり、現状を批判したりしている
己の行為は、喪失と不安に動かされた欲望で曇った眼差しが影響している
行為ではないか、そのことをちゃんと戒めて、考えて行かねばならないと思った…。
インターネットというのはまさにグローバル化の申し子、”新しい異郷”な訳
ですが、十年来ネットをやっていると、その異郷に、ある種の懐かしさを感じる。
過去の社会、過去の社会から続く、我々が当たり前だと思っていたことが、
変わって行く。でも、その変化されたものこそが、新しい時代のスタンダートかも
知れない。そのことを思いながら、新しいものに対峙していかなきゃいけないね…。
例えば、悪の代名詞として使われることがほとんどである「脱社会的」という
言葉にしても、見方を変えれば、今までの社会に縛られない、新しい生き方、
新しい倫理だって生み出せるかも知れないと思う。社会的にしても反社会的
にしても、どちらにしても、今までの社会を土台とし、今までの社会に縛られて
いることには変わりがない、けれど、そういった縛りのない思考は、新しい世界の
新しい土台を作ってゆく力の一つかも知れない。世界は個人の意志を超えて、
否応無しに変わって行く、その時、その世界と向き合う、その為には自らの中の
故郷喪失を認めて、その上で、新しい世界――異郷と向き合うしかない。
ジャン・リュック・ナンシーのインタビューを読み、こういったことを、思いましたね…。
強く自由で真っ直ぐな、自らに曇らされない眼差し、本当に、強い哲学者ですね…。
この強さをほんの少しでも、自らの裡に持てるように、私はなりたいな…。
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