未来少年コナン・タイトル

宮崎駿
未来少年コナン

 至極個人的な意見ではありますが、「未来少年コナン」はアニメ史上最高の作品と思っております。ちなみに、コナンコナンでも、名探偵のコナンとは一切関係ありません。それに、最近放送された「未来少年コナン2(タイガ・アドベンチャー)」と銘打ったアニメ。あれは絶対に認めない。

 1978年。日本アニメーションが製作。原作はアレキサンダー・ケイの「残された人々」。演出・キャラクターデザイン・絵コンテが宮崎駿。この脇を固めているのが、大塚康生、高幡勲、富野由悠季といった、今やアニメ界の大御所達ばかり。NHK初の本格長編アニメとして、火曜日の夜7時30分から8時までの30分枠で放送されていた。この時間帯の作品はこの後、「キャプテン・フューチャー」「名犬ジョリー」「ニルスの不思議な旅」「太陽の子エステバン」など、数多くの名作を世に送り出している。コナンの声は、のびた役で有名な小原乃梨子

囚われたラナ 2008年7月、超磁器兵器を使用した戦争の代償として地球は大変動に襲われ、大陸はほとんど海の底に沈んでしまった。それから20年後がこの作品の舞台。
 文明とはほど遠い島「のこされ島」で祖父・おじいと平和に暮らす自然児コナンが主人公。ある日、巨大サメ(ハナジロ)を捕獲して意気揚揚と家路に向かうコナンの目の前に、一人の少女が波打ち際に倒れていた。彼女の名前はラナ。文明都市インダストリアの追っ手から逃れているうちに、漂着したのだった。そこへ、インダストリアの飛行艇ファルコが現れ、女性軍人のモンスリーによって彼女はさらわれてしまう。それを阻止しようとしたおじいは重症を負い、やがて息絶えてしまう。唯一の身内を無くしたコナンは、あの不思議な少女ラナを追って、はじめて外洋へと旅発つことを決意。途中、ジムシーという、コナンに負けず劣らない自然児との出会いを経て、二人でラナを助けに行くことに・・・。
 彼女は何故狙われるのか?。その理由は、地球全土をも支配することが可能な太陽塔を再び復活させようとするレプカにとって、その秘密を持つラナの祖父・ラオ博士の居場所を知る唯一の手がかりが、彼女であったためである・・・。

三角塔からダイブ前のラナとコナン 作品自体は、宮崎作品に今でも受け継がれているエンターテイメント性重視の作品で、娯楽性に富んでおり、年齢層を問わない見ごたえのある作品に仕上がっている。ストーリー展開は非常にテンポよく、次はどんな冒険が待っているのだろうか?と、期待に胸躍らされたことを少年の日の記憶として留めている。実際、作品発表後の20年以上が経過した今でも、再放送が繰り返されていることが、その完成度の高さを証明しているのではないだろうか。
 物語はのこされ島という辺境の地から始まって、産業都市インダストリアへ舞台を移した後、農村ハイハーバーで穏やかに進む。その後物語は急展開し、再びインダストリアへ戻り地下にあるコアブロックを舞台に彼らの攻防が繰り広げられ、やがて物語は空飛ぶ大きな蛾ギガントがついに飛翔することで緊張感が増し、最後に「大団円」を迎えるのである。
 舞台を移しながら、個性あふれる様々なキャラが登場し、彼らとの交流の中で、視聴者がコナン、そしてラナの成長を見守りながら物語は進んでいくという非常にうまいストーリー構成で、「冒険活劇」という言葉がぴったりであり、決して見るものを飽きさせないことを保証したい。

コナンとジムシーの初対面 各キャラについてだが、非常に生き生きと描かれており、それぞれが主人公としてもいいぐらい個性に溢れている。コナンは、その超人的なアクションを、宮崎独特のコミカルな演出で面白く、そしてインパクトのあるものとして表現されている。だがそれにもまして、ジムシーの動きはさらにコミカルであり、その存在は偉大だ。彼なくしては、この作品は成り立たない、と言っても過言ではない。余談だが、「カリオストロの城」のルパンの動きはコナンジムシーの動きが憑依したものであろう(笑)
 ヒロイン・ラナは心を閉ざしたか弱い少女として当初描かれているが、それはラナの身に起きた様々な事柄のせいで、コナンと出合った事で徐々に心の壁は解かれていき、優しいだけでなく、強い少女として描かれるようになる。前述したが、この作品は視聴者がコナンラナの成長を見守る作品であると定義づけたが、きっと宮崎氏は、コナンは「男」としての自我の発達と確立を、ラナは「女」としての自我の発達と確立を表現したかったのではないだろうか?。
 また、ダイスモンスリーという個性あふれる敵側の人間も魅力的である。しかも、コナンとの出会いをきっかけに、インダストリア側へ反旗を翻し、ともに戦っていくという設定は、彼らの灰汁の強さが味方になった時にさらに相乗効果を増し、サブ・キャラとしてだけではなく、もはや中心をなす一個人として、キャラクターが確定してしまったかのようにも思える。これは、まんまと宮崎氏の思う壺にはめられたとしか言いようがない(笑)。因みに私は、最終回で二人が結婚式をあげる姿が、幼い頃に見たこの作品中、最も印象に残っているシーンである。
 なお、敵役のレプカは、まさに敵役に相応しい面構えと、根性の悪さで見るものを不快にする(笑)。何故か宮崎アニメの中年敵役は、レプカ顔になっている(カリ城ラピュタ)。どうして?。

エロオヤジ・ダイス

ジムシー最高!

宮崎アニメ・元祖中年敵役レプカ

エロおやじ・ダイス

ジムシー最高!

宮崎アニメ・元祖中年敵役レプカ

ラオ博士とフライングマシーン サブ・キャラだけではなく、登場するマシンも魅力的である。
 まず、ロボノイド。手と足と、オペレーターが乗る胴体があるのみという非常にシンプルなつくりだが、これは機能美を追求した故か?。走る際には短距離走には理想的なスタイルで走り、また、レバーが2つしかないのにも関わらず指先は微細な動きも可能という、人間工学の極みがこのマシンに注がれているのではないかと錯覚に陥るくらいである(笑)。因みに、コナンダイスロボノイドが登場するプラモデルがあったような気がする。
 そしてフライングマシン。高速で飛ぶわけでもないし、華があるわけでもないのだが、将来、このようなものを造れるのではないか?と思うぐらいシンプルな作品で、近未来的なデザインはお気に入りである。
 まだまだあるのだが最後に、ギガント。「蛾」という表現には非常に強く抵抗するのだが、その後の宮崎アニメに登場する近未来的な飛行船の原型が、このギガントに現れていることは間違いないだろう(ファルコも同様)。まあ、宮崎氏は「飛ぶ」シーンにひたすらこだわっており、その自己満足を満たすために「紅の豚」という作品を世に出したことで有名だし、また「耳をすませば」の飛行シーンだけ(?)は手がけたという話も伝わっているぐらいのお方であるので、その出発点とも言えるギガントのシーンは、とにかくすごい、すばらしい、最高!と、誉める言葉にきりがないくらいの出来である。ただしこのギガント、映画版では登場せず、アニメファンの間で当時、相当失笑を買ったらしい。

 ところで、表現力という点で、宮崎アニメは群を抜いている。「もののけ姫」のメイキングをTVで放映した時に、アシタカが土手を転がるシーンのコンテを宮崎氏が描く際に、何度も何度も描き直し、納得がいくまで訂正していたところを目にした時に、あのこだわり(頑固ともいう)が、完成度の高い作品を生むのだと感心(呆れ)したものだ。このこだわりが作品で最も現れているのが、「ギガント」の回ではないだろうか。大空を舞うギガントの船上で、コナンジムシーダイスの三人が風圧に耐えながらも何とか敵と戦っていくこのシーンは、宮崎氏の人間観察における卓越した表現力の成果と思う。

 子々孫々まで伝える価値は十分にあるだろう。

コナンの石頭 三角塔からの着地! 水中での名シーン

 ラナを助けようとして強化ガラスに 

 太陽塔から決死の着地

水中で繰り広げられる名シーン

コナンのキャラ設定変遷
余談その1

 TV放送終了後に映画版が製作されたのだが、ダイジェスト版には決してならないと断言していた製作者側、結局はダイジェスト版よりひどい作品をつくってしまう結果に。上の内容と重複するが、映画版は「コナンラナの愛」がテーマということで、ギガントのシーンはカット。レンタルビデオ屋に置いてありますので、是非興味のある片はご覧下さい・・・。因みにその主題歌「愛をもう一度」は、作詞作曲が谷山浩子、歌が研ナオコであります・・・。

余談その2

 宮崎氏は、当初コナンをもっといい男に仕上げるつもりだったらしいのだが、3枚目路線に変更。そのほうが、物語を面白くし、キャラに感情移入しやすいと考えたからであろうか?。右の画像は、当初のコナンのキャラ設定と、決定までの変遷(徳間書店 アニメージュ 1979年9月号より)。

余談その3

 オープニングのナレーションは、「私は子供が嫌いだ!」という歌まで出していた伊武雅人氏。この頃までは子供が好きだったのでしょうか?デスラー総統もやってたし。

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