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You've Got a Friend  君の友達

キャロル・キング

 

あなたが落ち込んだり、悩んだとき
あなたが愛の慰めを望むとき
そして全てにおいて、うまくいかない、そんなときは
そっと目を閉じて、私のことを考えて
私はすぐに飛んで行って
とても暗い夜さえも、私は明るくしてあげるから

あなたが私の名を呼ぶだけで
私はどこに居ようとも
あなたに会いに飛んで行く
冬でも、春でも、夏でも、秋でもかまわない
あなたが呼んでさえくれたなら
私はすぐに飛んで行く
あなたには居る、友達が

もしも、あなたの上にある空が
暗く、雲でいっぱいになって
そして、いつもの北風が吹き始めたら
頭をしっかり上げて
大声で私の名を呼んで
私はすぐにあなたの扉をノックするから

あなたが私の名を呼ぶだけで
私はどこに居ようとも
飛んで行く、あなたに会いに行く
冬でも、春でも、夏でも、秋でもかまわない
あなたが呼んでさえくれたなら
私はすぐに飛んで行く、そう、飛んで行く

友達が居るのは素晴らしい
周りの人があなたに辛くあたるとき
あなたを傷つけ、あなたを見捨てる時があるかもしれない
その気があれば、魂までも奪ってしまう
でも、そんなことさせちゃ駄目だよ

あなたが私の名を呼ぶだけで
私はどこに居ようとも
飛んで行く、あなたに会いに飛んで行く
冬でも、春でも、夏でも、秋でもかまわない
あなたが呼んでさえくれたなら
私はすぐに飛んで行く、そう、飛んで行く
あなたには居る、友達が


家主の戯言

 キャロル・キングの最も代表的なこの曲は、逆境に立たされた時に、それを助けてくれる友達が必ずいるんだから、元気を出してという、シンプルでありながらも心にジンと来る、彼女からのメッセージが凝縮されている。私はこの曲を聞くことで、何度立ち直ったことか・・・。聞くところによると、友達からの励ましの歌ベスト3の1つだそうだ(その内の1つは、シンディ・ローパーの「True Colors」らしい)。

 自分の今までの人生を振り返ると、友達に恵まれて きたのかな、と思う。長かった学生生活を通して、そして、社会に出てからも、公私において今でも大変世話になっている。彼らには非常に感謝している。ただ それと同時に、友達に対して「甘え」のようなものがないかと言えば、否定できない。「どうにかしてくれるだろう、何とかしてくれるだろう」という甘えが。そのくせ、時としては一人になりたいという欲求に駆られる。こんなふうに思うのは、まだまだ修行がたりない せいか・・・。

 改めて、上記の歌詞を読み返すと、(友達って、一体なんだろう?)と 思ってしまう。「友達」という言葉の概念について深く考えたことはないが、少なくとも、人一人が人生を送る上で掛け替えのない存在の1つであることは間違いない。きっと、この言葉が持つ意味は、人の数ほど多く定義付けられるものだろう。それだけ人にとって重要なものであり、難解な概念と言える。

 ところで、私はかつて、人間同士の利害関係のやり取りに疲れ、どうしようもなく気が滅入った時期が あった。人に会うのが億劫で、電話をとるのも嫌だった。今では死後となってしまった「ポケベル」が鳴るたびに、憂鬱な気持ちになったことがあった。「孤高」という言葉の響きが、妙に気に入っていた。

 その頃は、あれだけ好きだったキャロルの「You've got a friend」を逆説的に捉えるようになっていた。本当に自分が悩んでいるときに、すぐに飛んできて、助けてくれる友達がいるのか・・・。全ての悩みを聞き受けて、自己犠牲を払ってまでも行動してくれる人がいるのか・・・・と。たしかに、聞きつければ、飛んできてくれる友達はいる かもしれない。ただ、解決事項の優先順位が前提にあることは否めない。それは、自分自身にとっても否定はできない。都合のいいとき、そして、金銭等の物理的条件が揃っているとき。それ は、当然のことと思う。

 自己矛盾を来しているのは十分承知していても、やり場のない苛立ちが心の中に充満する。慰めてもらいたいのに、誰にも会いたくない。結局、誰も自分を理解できないだろうから・・・。本当の友達。全てを受け入れてくれる理想の他人は、絶対的存在としてはいない。しいて言えば、自分の心の中にしか、いないのかもしれない・・・。

 「君には友達が居る。自分を本当に良く知る人物。つまり、自分自身が。」

 キャロルがそんな風に行っているように聞こえた。悩みを理解してくれるのは、自分以外誰もいないのか ・・・。心の中に居るもう一人の自分が自らを励ます。頑張れと。

 しかし、内なる他人である自分との対話は、時として危険な状況を生むのでは 、とある時気づいた。自分の中に居るもう一人の自分を認めることは、もう一つの人格を形成する恐れがあるでは、と。 自分の中に逃げ場を作ることは、目の前にある現実から逃げたいという心の表象。自分が生きている世界は目の前にある現実であって、決して自分が良いように作り上げた仮想世界ではない。また、他人が 存在することからこそ、自分という存在が成り立つ。他人という「友達」の存在。これ無くしては、自分の人生は成り立たない、と。そう考えたとき、上記のような考えは徐々に払拭されていった。そして、現実を直視し、解決方法を模索しながら、ゆっくりと立ち直って行った。

 素直な気持ちで、改めてこの曲を聴けるようになったのは、それから間も無くである。

 完全な人間ではないから、相変わらず友達に甘え、時として接触を持ちたくないと思ったり もする。そして相変わらず、人生の途中で気が滅入ることもしばしばある。 けれども、キャロルの歌声を聞けば、自然と心が和らいで、励まされる。また頑張ろうと思える。砂漠のオアシスのような存在。それは、ちょっとだけ大人になった自分を実感する時でもある。この歳になって言うのも変だが・・・。

 私には居る。友達が。そして、あなたにも居る。友達が。