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Golf & I
ゴルフと私
私の趣味の一つにゴルフがある。
ゴルフというと「老人の遊び」というイメージが
日本では強い。または「金持ちのお遊び」という事も。
私が初めてゴルフに出会ったのが小学生の頃。
それまで「ボーリングキチガ○」だった父がある日突然
マイボールを納戸に押し込み、当時土曜の夜11時から
NTV系でやっていた「ビッグイベントゴルフ」を見だした。
アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレイヤー、ジャック・ニクラウス。
ビッグ3と言われる面々がまだその若さを保っていた頃だった。
子供心にパーマーのハイ・フィニッシュはかっこよく見えた。
ほどなく練習場通いを始めた父。それから文字通り死ぬまで
ゴルフにはまっていた。肝臓ガンで亡くなるほんの1ヶ月半前に
ラウンドした父。ほとんど趣味がない人の唯一の趣味だった。
私が本格的にゴルフにハマったのはもっとあとになってから。
アメリカに2年だけ勉強に行った時の最初の年は
日本のゴルフ界にとって記念すべき年になった。
青木 功がU.S.オープンで帝王ジャック・ニクラウスと
渡り合って2位になったのだ。
それに刺激を受け、またアメリカという環境がゴルフをするのに
非常に恵まれていることもあった。当時日本で20万円は
下らない一流ブランドのクラブが約8万円で買える。
ラウンドする料金もパブリックコースだが約1400円。
当時1ドル200円くらいのレートだったと思う。
1980年
生まれて初めてコースに出たのはカリフォルニア州パサデナに
あるALTADENA G.C.パブリックコースで9ホールしかない
ところだった。そのときは自分のクラブを持ってなかったので
友人のを借りた。セット構成は、
ドライバー:不明(忘れてしまった)
3・4番ウッド:不明
3〜SW:ウィルソン・スタッフFG-17
パター:PING ANSER2
ボール:不明
PING ANSER 2 (PATENT PEND.)

この時のスコアはまったく覚えていない。自分がどうやってプレイ
したかも無我夢中で忘れてしまった。ただウィルソン・スタッフは
当時の自分の腕に不相応なクラブだったのは間違いない。
あれ以来スタッフにはアレルギーができたみたい。
1981年
この年から本格的にゴルフをすることになる。一度ビザの更新で
日本に戻った時父のお下がりのクラブをわざわざ持っていった。
この時のセット構成は、
ドライバー:本間
3・4番ウッド:本間
3〜SW:コンフィデンス
パター:スポルディングTPM-1
ボール:ダンロップDDH
こののちどうしても青木 功モデルのパターが使いたくて
日本から送ってもらったのがこのパターだった。
青木 功ゴルフ企画 青木 功モデル


これを使うこと約半年。最初ハーフ60くらい叩いていたのが
50を切ることが出来るようになり、1ラウンドで100を切れる
ようにもなってきた。この頃US・PGAツァーで賞金レースの
トップに立っていたのは新帝王トム・ワトソン。前年1980年に
初めて賞金王になり、4月のマスターズに2度目の優勝を
果たし、まさに絶頂期を迎えていた。
テレビのゴルフ中継を見ていてそのスィングの歯切れの良さに
しびれてしまった私は、それまでの自分のゴルフスタイルを
一変させようと思った。これがどういう意味を持つか、なんて
いう事など考え無しに、ただただワトソンのような歯切れのいい
ゴルフがしたい、という一念だけだった。
そう思うとまず外見から入るのが悪いところ。
道具を変えようと思った。
パターをワトソンが使っているのと同じピン社製のPALという
モデルに変えた。パターをそれまでのT字型からオフセットのついた
ピン型に変えるなんてまったく無謀無策この上ない、と今は思う。
が、この時はそんなに深刻に考えなかった。
PING PAL

好きになったら一直線。良くも悪くもこれが私のスタイルと
気がついたのはずっとあとになってからだったが、この時はもう
ワトソンの一挙手一投足しか見えなくなっていた。弟にまで
「兄ちゃんはホモになった。」とまで言われるくらいワトソン党に
なり、その道具の情報に飢えていた。
1982年
日本で再び大学受験をするために年末に帰る。
合格発表時自分の番号がなくて不合格になったと思い、
アメリカの大学への入学を真剣に考えてアメリカに帰国。
その後大学側から合格通知が来て何がなんだかわからない
ままわずか3週間で日本へトンボ返り。
そのあいだにも新しいクラブを買ってゴルフをしていた。
この頃のセット構成は、
ドライバー:本間
3・4番ウッド:本間
3〜PW:スポルディング・トップフライト
SW:ウィルソン・ジーン・サラゼンモデル
パター:PING PAL
ボール:ダンロップDDH
アイアンをスポルディング・トップフライトに変えたのだが
このアイアンを買いに行ったとき、今でも後悔する事が起こる。
ゴルフクラブには「シグネィチャーモデル」というのが存在する。
いわゆる誰々モデルというもので、良いモノもあるのだが
安物に名前を付けただけのほとんどやる気のないモノも存在する。
アイアンを探しに行き、いくつか見ていると「トム・ワトソンモデル」
というのが現れた。会社はゴールデン・ラム。
この時の私には聞いたこともないメーカーだ。
きっと無名の会社の粗製濫造モノだろうと見送り、トップフライト
を手にとってどうしようか悩んでいた。
800ドルくらいの買い物なんて初めてだったので緊張も
していたが、どうもさっき見たワトソンモデルが気になっていた。
「いい感じ」だったんだよなぁ。値段も同じ。一緒に来た友人に
聞いてみたのだが、はっきり答えない。やっぱり彼も知らない
ようなクラブはきっと粗製濫造モノに違いない、と勝手に思い
トップフライトを買ってしまった。
ところがそれから3ヶ月後の6月にワトソンが初めて
USオープンに優勝する。そして各ゴルフ雑誌にワトソンの
使用クラブが公開された。彼のバッグに入っていたのは
紛れもなく「ゴールデン・ラム トム・ワトソンモデル」。
彼はラム社のクラブを1976年からずっと使っていた。
この事をもっと早く知っていればあの時トップフライトじゃなく
あれを買ったのになぁ。
この年の夏休みにアメリカに残っていた友人に預けた荷物や
車を処分してもらったお金などを受け取りに再び渡米。
この時ラスベガスに初めて行き、有名ゴルフショップで
ゴールデン・ラム ツァーグラインドを購入した。
トム・ワトソンモデルはもう販売していなかった。
RAM Golden Ram TOUR GRIND

この頃のセット構成は、
ドライバー:トニー・ペナ
3・4番ウッド:本間
2〜PW:ラム・ツァーグラインド
SW:ウィルソン・JPII 56度
パター:PING PAL
ボール:ダンロップDDHバラタ
もうアメリカかぶれもいいところの構成になっている。
サンドウェッジを変えたのだが、ワトソンがUSオープンを
取ったとき17番ホールでチップイン・バーディを決めている。
この時のサンドウェッジがウィルソンの58年モデルという事
だったのだが、本物はとても高くて手が出ない。それでその時
最新のモデルJPIIというのをアメリカで買った。
これが後にアメリカでプレーする各プロが使用することになり
いいクラブとはどういうものか?少し理解するようになった。
このころになると100を切るのは当たり前。90を切るのは
時間の問題になってきた。だが日本に戻ってくるとアメリカに
いた頃に比べてラウンドできない。プレー代が高すぎるのだ。
これを境にゴルフから少しずつ離れていくようになるのを
まだ気が付かないでいた。
1983年
この頃のセット構成は、
ドライバー:クリーブランドクラシック・RC85
3番ウッド:同上
2〜PW:タイトリスト・841
SW:クリーブランド485
パター:PING PAL
ボール:タイトリスト384ツァー
タイトリスト・841アイアンは現在名器と云われているらしい。
美しい顔のアイアンでこの年はラムに代わってよく使った。
1984年〜1986年
この頃あるパターを購入した。
Wilson The Wilson 8802

L字型パターの名品で、ベン・クレンショーが長年相棒として
使っている「リトル・ベン」と呼ばれるパターはこれである。
この頃の構成は、
ドライバー:クリーブランド・クラシック R75
3・4番ウッド:クリーブランド・クラシック R85
2〜PW:PING EYE2 ベリリウム・カッパー
SW:ウィルソン JPII
PT:ウィルソン8802
ボール:タイトリスト384ツァー
このパターでペブルビーチ・ゴルフリンクスを回った。
それが結構自慢だったりする。スコアは悲惨だったけど。
MacGregor TommyArmour IMG-5

マグレガー・トミーアーマー・アイアンマスターIMG5。
これは当時ジャンボ尾崎が使い始めて日本で話題になったもの
だった。ロス市内を探し回ったのだがどこも品切れでリトル東京の
ゴルフショップに一本だけあったのを購入した。当時の日本の相場の
半分だった。この頃は猫も杓子もIMG-5。復刻版も出るほどだった。
PING ANSER 85029

ピン・アンサーの古いモデルは、裏に刻印されている
製作元の住所、社名またはZIPコードの数字で区別される。
現在は裏に住所が刻印されていないのだが
最も古いのはスコッツデール。このモデルの社名は
PING GOLF CLUBS とある。
次に古いのは社名に KARSTEN CO. とあるもの。
カーステンとはピン社の創業者ソルハイム氏の名前である。
それからこの85029モデルになって85068モデル、現モデル
へと微妙に形を変えながら来ている。
1987〜1989年
いよいよ大学も卒業を迎え、国家試験の準備などであまり
練習にも行けなくなった。
Ben Hogan SAND IRON ベリリウム・カッパーモデル

当時ベリリウム・カッパーという新素材のアイアンが流行った。
固い素材の為、打感が柔らかく感じるのだ。私も便乗してこの
ベン・ホーガンのサンドウェッジを購入してみた。だが
ウィルソンのウェッジの方が私には合っているみたいだ。
RAM Tom Watson SCORING SYSTEM

またラム社からこういうウェッジの3本セットが発売された。
80年代後半からアメリカや日本のプロがウェッジを3本持つ
傾向が強くなった。年々早くなるグリーン、難しくなるセッティング
に対応するためだった。アメリカのプロは60度のロブ・ウェッジを。
日本のプロは52〜53度くらいのアプローチ・ウェッジと用途は
異なるが、ロングアイアンを抜いてこうしたウェッジでスコアメイク
に励むようになった。
Taylor Made TOUR DRIVER 8.5LOFT
TOUR GOLDシャフト装着モデル

またこの頃ジャンボ尾崎がテイラーメイド社のメタル
ドライバーを使うようになったことで日本に大ブームを
巻き起こした。メタルヘッドに金色のシャフトというのが
このころのトレンドだった。
Taylor Made TOUR BURNER 7LOFT
ダイナミック・ゴールドシャフト装着モデル

写真ではよくわからないが、これはロフトが7度の
ツァー・バーナーである。ジャンボが使っていたのも7度ロフトの
ものだったが、これは金色シャフトではなくスチールのダイナミック
ゴールドS300である。私にはカーボン製のものよりDGの方が
合っていたように思う。
当時のセット構成は:
ドライバー:テイラーメイド・ツァーバーナー7度DGS-300
スプーン:ラム・メタルスプーン15度
2〜PW:ラム・ツァーグラインド
SW:ウィルソンJPII 56度
PT:ピン・PAL
ボール:タイトリスト384ツァー
いろいろクラブを試してみたが、結局このアイアン、パターが
自分にとってのエースだった。またこの頃私にとってのベストスコア
81を出したのであった。
1990年〜1995年
PING ANSER DALE-HEADモデル
Flat-Sole

この頃念願だったピン・アンサーのデールヘッドを手に入れる。
スペインのセベ・バレステロスが長年使っていて数々の勝利を
彼の手にもたらしたパター。
アンサーのスコッツデールモデルは取引価格が高騰し、この時で
すでに50万円以上した。アンサーCOモデルでも25万は下らない。
私の手に入れられるものはデールヘッドモデルしかない。
デールヘッドには平底と舟底の2種類の形がある。
これは平底。底が平らなのと背面の削り方がなめらか。
私はこの形が基本的に好きである。
PING ANSER DALE-HEAD Curved-Sole

平底を買ってしばらくして今度は舟底のデールヘッドを購入。
上のモデルと比べて背面の削り方が違うのがわかる。
スコッツデールモデルにもこの2つの形があるのでどちらが
どうとはいえないのだろうが、こちらのモデルの方がライ角が
ややフラットである。現在ピン社から出ているモデルはライ角も
選べるがこの頃からすでに人それぞれの好みに合わせられる
ようなラインアップ作りが始まっていたのかもしれない。
SCOTTY CAMERON CLASSIC 1
1993 Augusta WINNER モデル

1993年のマスターズでドイツのベルンハルト・ランガーが
スコッティ・キャメロン クラシック1を使って優勝した。
それを記念して発売されたのがこの「オーガスタ・ウィナー」である。
発売当時日本でも中嶋常幸などが使用したが、現在は
プレミアが付いて正規価格5万5千円が20万オーバーの
異常な世界に突入している。
PING SCOTTSDALE-ANSER LIMITED EDITION
Flat Sole

ピンよりスコッツデールモデルが限定発売された。
シリアルナンバー入り限定2000本だった。
常々復刻されないか思い続けたモデルだけにそのニュースを
聞いたときから落ち着かない日々だった。
PING SCOTTSDALE-ANSER LIMITED EDITION
Curved-Sole

これも平底舟底両方発売され、両方とも購入した。
Cleveland Classic Tour Action REG. 588
ロフト角:60度

タイガーウッズを含めたこの頃のアメリカツァープロ御用達の
サンド・ウェッジ(ロブ・ウェッジ)である。
顔は往時のウィルソンに近く、ロフト角を数種類用意して
ツァープロの細かい要求に応える仕様にした画期的な
ウェッジだった。一時は80%に近い占有率を誇った。
BRIDGESTONE J’s WORLD STAGE
10.5 DRIVER DEEP FACE

ジャンボ尾崎がブリジストン契約時に作らせた最後のメタル
ドライバーJ’Sワールドステージである。この後ジャンボも
チタン・ドライバーに移行し更にブリジストンを離れてしまった。
個人的意見だが、彼がブリジストンのクラブを使わなくなってから
その強さがなくなったと思う。年齢的な事もあるだろうが、
クラブメーカーを変えるというのはかなりの冒険である。
実際アメリカでもペイン・スチュアートがウィルソンから
スポルディングに変えてからサッパリ勝てなくなった。
結局スポルディングを離れてからU.S.オープンに勝ったわけで
それはクラブの影響があったと言えるだろう。逆にグレッグ・ノーマンは
スポルディングのクラブを使っていたときの方がはるかに強かったと
思う。強くなって自分専用のクラブを作らせるようになってそれは
それで良いことなのだろうが、結果がそこに反映されているかと
問うたとき???である。
2001年〜
Ben Hogan Apex2 JAPAN EDITION

最近インターネット・オークションでこのベン・ホーガン エイペックス2を
購入した。ゴルフはコースはもう3年以上行ったことがないし、
練習場ですら同じく3年以上行っていない。しかしゴルフ中継や雑誌
などを見ると最近はキャビティバックのアイアン、高反発チタンの
ドライバー、ロングアイアンやフェアウェイウッドに代わる
ユーティリティクラブが流行っているそうで。一度使ってみたい。
でもそんな最新のクラブを見ていると急に昔ながらの
コンベンショナルなモデルを使ってみたくなる。特にホーガンの
クラブは「上級者のクラブ」と言われてきた。最近はエッジなど
初・中級者向けのクラブもあるが、エイペックスやエイペックス2
などは明確に上級者向けと言われてきた。
1980年に発売されたこのエイペックス2は一度使ってみたい
クラブだったので気軽に出せる値段もあいまって購入してしまった。
だがこのクラブで球を打つ機会が果たして何年後にあるのか
わからない。
「ゴルフと私」終わり
つづきはまたいつの日にか。
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