レクチャー
「新しい音楽とは、その現状と可能性について
 - 大友良英」

`96 9/28sat. 14:00〜15:00 札幌芸術の森アートホール

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contents
( PART 1 )
prologue
新しい音楽の生まれる現場=フェスティバル
フェスティバルの実例 −MIMIフェスティバル、アンジェリカ・フェスティバル

( PART 2 )
「ジャンル分け」の無意味化
お金のないところに生まれるもの
[質疑応答]
 Q1.「音楽以外のコラボレーションでおもしろい例があったらおしえてください」

 Q2.「映画音楽について、考えを聞かせてください」
 Q3.「音楽作品が人体に影響を及ぼすことがあると思いますか」
 Q4.「私は小学校の先生で、子供たちの若くてありあまるエネルギーを持てあましているのですが・・・」



(PART 1)

 「新しい音楽とは、その現状と可能性について」ということですが、この辺の話題はむしろこっちがレクチャーをききたいくらいです。今日は僕の知っている範囲で、新しい音楽の生まれている現状を話すことにします。途中からは質疑応答にします。ここまで交通費もかかっているんだし、おもしろい質問をして、得した気分になって帰ってってください。

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【新しい音楽の生まれる現場=フェスティバル】


 ここ何年かヨーロッパでは音楽フェスティバルがさかんに行われてます、いろんな人がやってきてまとめてコンサートをやる、と認識されているような。レゲエやロックなどのジャンルが一般的だけど、僕の関わるのは地味なものが多いです、規模は500〜1,000人くらい。最大でドイツの「メールス・ジャズフェスティバル」が8,000人くらい。あちこちのフェスティバルに出演しながら旅暮らしをしている人たちが200人くらいいて、ほとんどみんな顔見知りです。
 メジャーなフェスティバルの体裁は、たとえばジャズならジム・ホール、ロックならルー・リードといった有名な人物を呼び物にするというのが一般的です。ルー・リードが新作をやってニール・ヤングも新作やって、スペシャル企画で二人のセッションがあったりもしますが、ベースは個々が自分の完成品/商品を持ってきて売る、というやり方です。おまつりの出店でお面屋さんがお面を、綿あめ屋さんが綿あめを売るように、こうやってどのジャンルのミュージシャンもフェスティバル回りの旅をしているわけです。
 僕の参加している多くのフェスティバルでは、完成品を持っていくことと、人を多く呼べるミュージシャンほど高いお金が支払われることに関しては一般のフェスティバルと全く同じです。でもその先に、大きな違いがあります。大きな呼び物でオーネット・コールマンが呼ばれ、小さい呼び物の前座などで大友が呼ばれるのと同時に、地元の無名ミュージシャンの発表の場というのが用意されています。そこではセッションが行われ、中には有名人も参加したりして−−−さすがにオーネット・コールマンは来ないけど−−−いっしょに演奏して、新しい出会いが生まれ、新しい音楽が生まれる現場となります。ようするに、単に完成品の陳列になるのではなくそこでの出会いの中から、次の新しい創作が生まれるような現場こそが僕の考えているフェスティバルです。このへんは実際にフェスティバルに行ってその空気を肌で感じてもらえればわかるんですが、いくつか例を紹介してみましょう。

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【フェスティバルの実例− MIMIフェスティバル、アンジェリカ・フェスティバル】


 フランスのマルセーユは夏場の観光客が多く、フェスティバルも音楽に限らず演劇、映画など非常に多く催される都市ですが、そこで「MIMIフェスティバル」という野外フェスティバルが毎年行われています。それこそフリージャズもダンスミュージックも現代音楽もエスニックも、なんでもあるフェスティバルです。お客さんは1日数百人くらい。4〜5日間行われます。いわゆる「レコメン系(Recommended = レーベル名)」や、バルカン半島のダンス音楽など、主催者が毎年おもしろい人をいろんなところから探してきています−−−ユーゴスラビアの即興ピアニストが、札幌の宝示戸君に似ている演奏をしていました、二人はお互いを全く知らないのに、おもしろいことです−−−。特に人呼びになるような有名な人はいないけれど、なにか新しいおもしろい音楽が聴けるだろう「MIMIフェスティバル」の名前に人々が集まってきます。誰でも参加できるオフステージのようなものがあって、これもいろんな人が出入りしてておもしろいです。もちろんなかには5分としてきいてられないようなひどいのもあるけれど、そういう時は外でアイスクリームでも食べればいい。そういうところもみんなひっくるめて、いい感じのフェスティバルです。アイスクリームを食べながら、僕がドクター・ナーブやバルカンのダンスミュージックの人たちと仲良くしてる姿なんて想像つきにくいでしょ。
 そこではワークショップがあり、毎年いろんな人に依頼して行われていています。10年前はフレッド・フリス(イギリス出身のギタリスト、20年間新しい音楽をつくり続けている人)を呼び、8カ月間分の滞在費も出して若い人たちといっしょにオーケストラの曲をひとつつくらせる、ということをやっていました。うまくいけばフェスティバルで発表、だめならそれでもいいという、懐の深いものでした(「懐が深い」という英語の言い回しがわからず“great”と一言いうしかありませんでしたが)。日本人のやぶきまことさんという方がマルセーユに3年間住んでいらして、このワークショップへの参加を続けています。彼の音楽は竹だけでつくったパーカッションの数人〜10人のアンサンブルで、本当に美しい、まさに心の洗われる音楽です。2年前に呼ばれたのはボーカルのマリリン・クリスペルでした。
 去年はクリスチャン・マークレイと僕がターンテーブルのワークショップに呼ばれ、地元のテクノなどの若いDJを集めて行いました。DJはふつう人と競演しないものです、MCがDJにあわせてラップすることはあるけれど。で、どうだったかというと、集まったのは10代〜20代のいわゆる“キッズ”で、人の話は聞かない英語もしゃべれない、講義を受けるどころではない。ただ自分のスクラッチのテクニックを聞いてもらいたいだけで、講義の間も「シャカシャカ」「イェーイ」ととにかくうるさい。マークレイもフランス語で「シャラップ」を連発しなければならないほどでした、ふだんそんなことを言う人じゃないのに。音楽以前の問題でたいへんで、そんな若いエネルギーを相手に10日間もレクチャーしてたいへん疲れました。つくづくガキの集まりはキライだ、と(笑)。音楽的にも大した成果はありませんでした。
 ところが3、4か月たって、主催者のフェルディナン・リシャール−−−フランスでは有名な音楽家です(ex.エトロン・フー・ルルー・ブラン)−−−からファックスで「生徒が作品をつくった」「俺のバンドでアンビエントをやっている」などと書いてよこしてきました。そのうち現物も送られてきて、それがなかなか良かったりします。あのときのガキどもが、半年後には想像以上によい出来の作品を作れるようになっていたと知り、若いエネルギーの中にある新しい可能性というものに気づかされました。そしてこれはもう、今考えるとフェルディナンが仕組んだとしか思えないのですが、あのときのガキのうちの3人とサンプラーの松原幸子と僕とで、今年のMIMIフェスティバルでいっしょにやることにまでなりました。ワークショップのメンバーとバンドをつくったわけです。ターンテーブルのアンサンブルは、世界でも初の経験だと思うので成功したかどうかはわからないけれど自分じゃよくやったと思ってます(来年CDでリリースでれるらしいです、興味ある人は聞いてみてください)。
 副島輝人さんが毎年レポートしていらっしゃるメールス・ジャズフェスティバルも、大きな会場の傍らの小さな会場で「モーニング・プロジェクト」を朝からやってます。僕もリチャード・タイトルバームとフレッド・フリスといっしょにやったことがありますが−−−CDにもなってます−−−、何万人の前でやるようなものではない地味なものだけれど、数十人の前でやる良い音楽というものが存在していて、それを大切にしてる場所です。要するに単に表面に出てくるコンサート以外にフェスティバルというのは、音楽の生まれるダイナミックな現場でもあるわけなんです。

 ふたつめの例は、イタリアの大学都市ボローニャ、観光地としても賑わう街の「アンジェリカ・フェスティバル」です。もう5、6回目になり、主催者はいま27才だから始めたときは22、3才ですね、それで何千人も集まるイベントを続けているというのもすごいことです。アンジェリカには若いミュージシャンがたくさんいます、たぶん数年前は、やる気はあるが自分が何者だと言える個性もまだできあがってないような、そんな状態だったんでしょう。みんな仲良くてバンドのメンバーもダブってます−−−東京と似てますね−−−。10人以上のビッグバンドが多くて、即興よりアンサンブルが好きみたいで、とうとうと話してアレンジを決めるというように民主的です。右翼の強いイタリアにあってボローニャは左翼やリベラル派の人たちの牙城であり、政治的緊張感のなかで新しいシーンができあがっていく前夜だったんでしょう、5年前は。最初はクリス・カトラー、ジョン・ゾーン、スティーブ・ベレスフォードなどこの世界の先人たちを呼んでジャム・セッションの場をたくさんつくってました、彼らが参考にしあこがれていた人との競演の場を。それが4、5年たてば似てもにつかない彼ら独自の音になっていましたけれども。これはお客さんのことよりも、ミュージシャンのためを考えたフェスティバルと言っていいでしょう。もちろんそうした新しい何かが生まれる現場をお客さんも充分に楽しんでます。フェスティバルとは、音楽をただ集めてるだけじゃないんだ。という話でした。 (→ PART 2)

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