contents


( PART 1 )
prologue
新しい音楽の生まれる現場=フェスティバル
フェスティバルの実例 −MIMIフェスティバル、アンジェリカ・フェスティバル

( PART 2 )
「ジャンル分け」の無意味化
お金のないところに生まれるもの
[質疑応答]
 Q1.「音楽以外のコラボレーションでおもしろい例があったらおしえてください」

 Q2.「映画音楽について、考えを聞かせてください」
 Q3.「音楽作品が人体に影響を及ぼすことがあると思いますか」
 Q4.「私は小学校の先生で、子供たちの若くてありあまるエネルギーを持てあましているのですが・・・」



(PART 2)

【「ジャンル分け」の無意味化】


 で、なんでこれが新しい音楽の現状かということになります。新しい音楽、と銘打ったところで、その音が将来新しいジャンルになるだろう、という考えはまちがいだと思う。僕は、新しいジャンルは生まれないと思うし、今あるジャンルの意味も無くなってきていると思っています。人間の考え方はメディアの発達と関係してると思うけど、ジャンルもまさに20世紀のレコードメディアが生んだ産物です。いまの音楽ジャンルの役割は、レコード屋さんで便利なくらい。
 かつて「人種の坩堝」と言われたマンハッタンで、白人同士の中にあった「アイルランド系」「フランス系」「ポーランド系」とか、言葉の訛りや生活主観へのこだわりや差別が今はほとんど無くなってしまった(ジューイッシュをのぞいて)。もちろん人種差別は今でも根強く残ってますが。それと同じように、アイデンティティとしての音楽ジャンルは形だけ残っているが、その分け方は有効ではなくなっていると思います。
 このへんの話は副島さんの本(「現代ジャズの潮流」丸善ブックス)を読むと良いでしょう。1980年以前は、音楽にはっきりしたカテゴライズがありました。「私はロックファンです」とか「ジャズファンです」って具合に聴き手もジャンル化してました。常識的にジャズの人はロックの人とはやらなかった(特に新しい分野、フリージャズのアルバート・アイラーなどは別ですが)。決してジャンル分けを否定しているのではありません。ジャンルはその人の個人的な考えでいい。僕が言いたいのは、いまは、状況が違う、ということ。たとえば僕の場合、言語になぞらえるならジャズ語ならカタコトだし、ロック語ならなまってます。僕がしゃべっているのは自分語、参考にしたのはマークレイ。というような、ロックではなくジャズでもなく、その流れを汲むものでもない、自分がどのジャンルに属しているか言えない(言う必要もない)人たちがいっぱい出てきている状態、中心のない現状があり、そういう人たちをすくう場としてフェスティバルが有効なのだ、ということ。そして確かに、そこから何かが生まれてきている、ということです。人種で言えば、父方は日系、母方は中国系で4年前にハワイに来て自分は英語しかしゃべれない。実際に僕の友人の話ですが、こんな人に古いジャンルをあてはめたらただの異端にしかならないでしょう。何が異端で何が主流かなんていう必要はないし、そんなことにこだわってたら、右翼の人種差別主義者みたいになってしまいます。自分が何人であるかは大切ですがそれによってカテゴライズする必要はない。ジャンルも同じです。

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【お金のないところに生まれるもの】


 そういう意味でのフェスティバルは日本には根付いていなかったと思う。かつて東京ムラムラというイベントがありました。心有る人がお金を集めて細野晴臣さんを呼んだりしてやったものですが、いろんな人が集まって、中には本当におもしろいことをする人もいた。けれどもこれはまさにバブル時代のものという感じがあって、だから長続きしないで終わっちゃったんだと思ってます。そういう、お金があるところでなく、お金のないところで何が起きているか、音楽に限らず。内橋君や僕らの世代、ボアダムズ、30代中頃から下の年代の動きが、この先どうなるかはわからないけれど現時点ではとてもおもしろいと思う。なぜおもしろいかって言うと、過去15年間、儲かりもしないのに皆そんなことに関係なくおもしろいことを発展させてきて独自なものをつくってしまった、あるいはつくり続けているから。これって、本当に創る理由があって、やらずにいられなくなってやってしまった結果なんだと思ってます。たった20人のお客のライブをするにもお金はかかるし、打ち上げ代、機材運ぶのにタクシー代、ほんとにお金がかかる。それでもやってたのは、音楽をやりたかったから。ただそれだけです。(お金にするための)万人のための音楽をつくるつもりもない。でも今それが、世界中って規模で考えると何万人、何十万人の聴き手のいる音楽になっているわけです。そのことこそ重要なんです。

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【質疑応答】


Q1.「音楽以外のコラボレーションについてのおもしろい例があったらおしえてください」


 僕がこれまでに話した現象は、音楽だけでなく美術やドキュメンタリ映画やその他の分野でも起こっていると思います。東京20代前半がおもしろいなと思うひとつの例ですが、芳賀くんという人がいます。彼は音楽家であり美術家でありコンセプタでもある人です、誰も知らないけど。ウクレレ持ってよくフラフラ歩いてます。彼のアパートが解体されることになったので、大家さんに頼んで、解体されるまでの1週間好きなことをやらせてもらえることになりました。知り合いをたくさん集めて、1週間の間、何日目の何号室は誰それ、何日から何日までの何階の廊下は誰それ、というように割り振りして、発表の場のない若い人たちに提供したそうです。ある人は4畳半でライブをやって、後ろの壁では写真展、というように。僕は日本にいなくて見られませんでしたが、意外と身近なところでもおもしろいことが起こっているという例です。それはもうたくさんの人が来て、活気あるフェスティバル、そうまさに、フェスティバルだったんです。また、スイスにマリーンというかわいい女性がいて、彼女はビルをひとつスクワッド(=不法占拠)してフェスティバルをやって、しかもそれに政府にお金を出させるというスゴ腕です。10人呼んでソロをやらせ(狭いのでソロしかできない)、出演者にはギャラも飛行機代も出ます。ガレージでは音の出る彫刻展もやってて、おもしろい作品が並んでいて。ほかにも採算がとれるようにサーキットといって何カ所か回って。続けるために赤字を出さないのは大事なことです。それから、おととしは映画100年で、政府から援助金もらいやすかったことから、それ系のイベントも多かったのですが、お金を引き出すために企画を考えるという人もたくさんいたみたいですね。僕が言いたいのは、お金の有無ではありません。芳賀君の企画も、話はおもしろそうだけど実際に行ったらつまんない、という人もいたことでしょう。それでただ帰っちゃうと意味がない。おもしろいものは、与えられるもんじゃなくて自分で発見するものです。なにかひとつでも、輝くものをみつける。つまんなくても「こうすればおもしろくなる」と考えて自分でやっちゃう。ものごとの見方は何とおりもあります。膨大な徒労の中に輝くものがある、ということです。カオスのなかから輝くものを見つける、育つの待つ。前例がないものに対して、過去の見方で見て結論づけてはいけないと思います。

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Q2.「映画音楽について、考えを聞かせてください」


 映画音楽をつくるのは、映像という異種なものとの競演であり、一種格闘技のようです。映画には音楽がついているのが当たり前、という前提もあるし。これまでは映画のほうからやってくれ、と言ってきます。最初に音楽をつけた「青い凧」が話題になったので、中国や台湾からの依頼が多いです、そこの人たちは僕のやっている音楽のことをよく知らないけれども。そういう文化的体験の違う人とやるのは本当にたいへんです、けど楽しくもあります。自分の知らない面を気づかせてくれるから。僕は「青い凧」以前にメロディを作ったことはなかったし−−−学生バンド時代は別にして−−−、つくりたいとも思わなかった。きれいなメロディを聴くのは好きだけれど、メロディをつくる力があるとは思ってなかった。異文化同士でひどく葛藤しながら、あの作品はできあがったのですが、葛藤の中での“火事場の馬鹿力”みたいなものが良いものを生むことがあるんだなと思っています。言葉も通じにくいなかで、なにか共同でつくるときにいちばん大切なものは、はっきい言いますが「義理と人情」です。互いを認めあい尊重しあう。お金だけになっちゃいいものは生まれない。でもお金も義理と人情のひとつです。
 かつて、移動する音楽家が文化(音楽)を運び、音楽とはつまり情報で、情報を運ぶというのが音楽の大きなベクトルであったはずだったのに、100年前レコードができてそれが崩れてしまった。音楽はレコードとして記録され完結し、他の文化と結びつかなくなり、守りの体制に入った。それが「ジャンル」の始まりです。メディアが音楽にしたのはそういうことだと思う。僕がレコードの音を壊しているのも、こうした文脈とも関係のあることです。いまはメディアがあるのが当たり前で、それを壊せなんて非現実的なことを僕は考えていません。そのなかでどうすればよりよい状況ををつくれるか、それに尽きます。それが僕を含めて若い世代の立場だと思っています。

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Q3.「音楽作品が人体に影響を及ぼすことがあると思いますか」

 科学的には言えないけれど、経験上はあると思います。音楽を聞いて気持ち悪くなることってあるでしょう。以前、ミイラになって60日間かけて自殺するという日記をテキストにラジオドラマ風のコンサートをしたことがあったのですが、42日目に客席でたおれた人がいました。はっきり因果関係は言えないけれどもなにかあるのでは。人体、というと脳味噌は分けて考えがちだけれど、聴覚や骨の振動、脳もふくめて、はっきり影響はあると思う。トランス状態という点ではテクノ音楽の低音のビートや盆踊りの大太鼓もそうでしょう。もちろん個人差はありますが。アルファ波音楽を皆が気持ちいいと思うわけではないし(僕は逆に気持ち悪くなります)、秋田昌美を聴いて気持ちいい人だっている。

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Q4.「私は小学校の先生で、(先ほどのワークショップの例と同様に)子供たちの若くてありあまるエネルギーを持てあましているのですが・・・」


 13年前に3年間塾の先生をしたことがあります。その塾はヒカシューのサックスの野本君とか、福岡のピアニスト細川君とか、当時貧乏な音楽家がそこで生活のために先生をやっていました(もちろん受験クラスは受け持ちません)。当時僕はギターを持ち歩いてたんで、授業の後とかに小学生の生徒たちとそれで遊んでいました。もちろん授業とはなんの関係もなくてただ遊んでただけです。一生懸命教えたことなんかすぐに忘れられちゃうのに、こうしたちょっとしたことが人の人生を変えちゃうこともあります。1、2年の短いタームではわからなかったのですが、先々月ニューヨークへ行ったら、楽器屋で突然「タロウから伝言がある」と言われました。なんとその時の教え子がNYでDJをやっていたのでした(悪いことをしてしまったなぁ)。ゴミの中から輝くものを拾うのは先生でなく子供自身。不良になる子は小学生の時からなんとなく分かるものだし。無理にいい方に導こうとすると、宗教になってしまいます(文部省教育のように)。DJになったのだって、良かったことかどうかわかんないでしょ。先生はカリカリしないで、あたたかい眼で見守ってください。10年先のことなんて誰もわからないもんです。

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 長くなりました、楽器やりたくてウズウズしている人はごめんなさい。最後に、僕の言ってることをそのまま信じないでください。うそかもしれないから。ではこれで終わります、どうもありがとうございました。

*加筆・修正は大友良英本人により行われました。
(→ PART 1)

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